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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
ミュージック・アワー
8/85

放課後乱高下 / いつき

 夏休み直前の授業はだらだらしていて、気合が入らない。

 先生も明らかに手を抜いているというか、今このタイミングで重要な内容を教えられないんだろう。生徒のふわふわ感、これ以上ないってくらいだから。


 私も相当にふわふわしている一員だった。

 いいもの見ちゃったなあって、ふわふわ。

 朝から玲二くんと二人きりで、友香には悪いけどそれだけで嬉しかったし、あんな笑顔をみたのも初めてだったし、水族館はかなりいい線いってたんだろうな。にこーって。いつもはキリキリッとしているのに、あんなに優しそうににこーってしちゃって! いきなり可愛かったから、直視できなかった。


 もっともっと仲良くなって、好きになってもらえたら、あの顔をいっぱい見られるようになるのかな。なにが好きで、なにが楽しいのか。もっと知りたいし、もっと一緒に過ごしたい。

 まずは水族館デートの、計画を立てなくちゃ。


 どんなにデレデレしていても、今のこの時期ならば許される。

 先生には注意されず、突っ込んでくるのは葉山君だけ。


「園田ちゃんえらく幸せそうじゃん」

「えへへ。葉山君昨日はありがとう。昨日っていうか、毎日お邪魔しちゃってありがとう」

「こちらこそ楽しかったよ。また次の試験の時にも一緒にやろうぜ」

「いいの? 嬉しいな。なにかお礼に持って行かなきゃだね」


 やっぱり、いきなりプールにしなくて良かった。

 前髪がだいぶ伸びてきたから、美容院に行かなきゃ。

 なにを着て行ったらいいのかな。そういえば、最近新しい服を買ってない。

 もうバーゲンが始まっているから、お母さんに連れて行ってもらおう。

 夏休みはどうせ手伝わされるんだから、前借りしたらいいんだし。


 玲二くん、どんな服が好きかな。どんな服なら可愛いって言ってくれるかな。


「そりゃ、白いワンピースでしょ」


 ふわふわの私の前で、葉山君が笑っている。

 あれ、心の中身が漏れちゃってた?


「なにを着て行ったらいいのかなって、ぶつぶつ言ってたから」


 デートなんでしょ、とLED男は言う。

 鋭すぎて、困ってしまう。


「白いワンピースって、なかなかないよ、葉山君」

「そうかもね。男が思う可愛さって、女の子が考えるのとだいぶズレてるし」


 でも、やっぱり清楚な雰囲気がいいというアドバイスをもらった。

 そこではたと気が付いたんだけど、玲二くんの姿がない。


「玲二ならなんか先輩に呼び出されて、廊下に出て行ったけど」


 三時間目が終了して、今は休み時間の真っ最中。

 玲二くんにだらしない顔を見られなくて良かったけど、ちょっと気になる。


「先輩って、なんの先輩かな」

「さあねえ。委員会のとかじゃない?」


 委員会なら私も一緒だし、それにあんなサボリ集団が用事なんかあるかな、と思う。


 気になってそっと教室の入口まで行くと、確かに玲二くんの姿があった。

 玲二くんはすらっとした素敵な後ろ姿で、その向こうに二人いる。


 片方は、なんだか人の良さそうな顔の、上半身のがっちりした人。

 もう一人は玲二くんの陰にいてよく見えないけど、でも、細くて髪がさらさらしていて、肌が白くて。


「えらくフェミニンな感じだけど、男だよね、あれは」


 背後から現れて、葉山君が呟く。

 確かに。制服は男子のものを着ている。


 フェミニン先輩の方が一生懸命話していて、がっちり先輩はにこにこ笑っているだけ。

 今までの美化委員の集まりで見た顔ではないけど、全員集まったこともないから、委員かどうかは結局わからない。


「あの細い先輩、どこかで見たなあ」

「どこでみたの?」

「うーん。どこだったか……」


 不明なまま二人で席に戻ると、玲二くんもすぐに帰ってきて椅子に座った。

「誰だったの、玲二」

「図書委員の人だよ。夏休みに市立図書館で本の整理のアルバイトがあるから、良かったらどうかって」

「わざわざそんな話をしに来たの?」

「俺がよく図書室に行くから、声をかけてくれたんだと思う」


 すぐ後ろから聞こえてきた会話に、ほっとしていた。

 にしても葉山君って、エスパーみたいだ。私の欲しい情報を瞬時にくれる。

 昨日もわざわざ、玲二くんのアドレスを教えてくれたし!

 花火大会に一緒に行こうって誘ってくれたし!

 玲二も連れていくから、まかせといて、だって!


 本当に来るのかな。

 浴衣を選びにいかなくちゃ。友香と千早と、実乃梨にも声をかけなくちゃ。

 六月の終わりまでぼやぼやしていたのが嘘みたい。

 水族館に行く日も早く決めなきゃ。


 心がふわふわになって、夏の空に浮かんでいく。

 やらなきゃいけないことも色々あるんだけど。

 今日だけはもう、このまま浮かれた気分で過ごしたい。




「園田さん、ちょっといいかな」


 四時間目の授業が終われば、もう学校は終了。

 部活のために残る人も、帰る人も、がたがた立ち上がっている真っ最中で教室の中は騒がしい。

 のんきなクッキングクラブは、もう二学期まで活動はない。

 たいした持ち物もないから、帰りの支度はすぐに終わった。


「相原君」


 だから、私もさっさと帰ろうと思っていたのに。玲二くんと一緒に、さんさんと降り注ぐ夏の日差しの中を高校生らしく歩いて帰ろうと思っていたのに。


「なあに?」

「映画に一緒に行かないかなと思って。金曜日から始まる『橋の上のふたり』っていう恋愛映画なんだけど、月浜のミニシアターでやるんだよ。とてもロマンティックな物語なんだ。新聞に批評が載っていたけれど、とても好意的に書かれていたよ」


 相原君の声は結構大きくて、それで、教室のがやがやがぴたっと止まってしまった。

 玲二くんの反応は見えない。私のほぼ真後ろだから。

 

「恋愛映画って、あんまり興味、ないかな……」

「それならむしろ、見るべきじゃないかな。審美眼が養われるよ。美しい愛の物語に触れて、君はもっと素敵な女性になれるはずだから」


 なんだろうこの意見。ちょっぴりイラっとしてしまう。

 

「一週間しかやらないんだ。こういった高尚なものこそ、たくさんのスクリーンでやるべきなのにね。とはいえ、小さな劇場もいいものだよ。余計な雑音が聞こえてこないから。とても素晴らしい時間になるよ。はい、これ」


 細長い水色の封筒の中身はきっと、チケットなんだろうと思う。


「あの、ごめんなさい。あんまり気が進まないんだけど」

「今はそうでも、気が変わるかもしれないでしょう。上映が終わるまであと十日あるから、よく考えて」

「映画もだけど、その、相原君と行くっていうのはちょっと……」


 あんまりはっきり言いたくない。こういう断りの文句を、大勢が注目している中で言いたくなかった。

 でも受け取ったらもう逃げられないような気がして。さっきまでの浮かれっぷりはどこへいってしまったのか、背中に冷たい汗が流れていた。窓を開けただけの七月の教室は暑いのに。悪寒っていうのかな。鳥肌がさわさわーっと、指先から頭のてっぺんへ、何度も走り抜けていっている。


「どうして嫌なんだい?」

「相原君のこと、よく知らないし」

「立花のことだってあまり知らないんだろう? でも仲良くしているじゃないか」

「玲二くんは地元が一緒だったから」

「葉山とも仲がいいじゃないか。彼とは一緒じゃないだろう」


 相原君の口調はずっと平坦で、どんな思考で話しているのかよく感じ取れなくて、怖かった。怖いと思う相手と二人きりでミニシアターなんて、絶対に嫌だ。

 でも、なんて言えばいいんだろう。半端な言葉では断り切れない気がする。この結論がまた怖くて、誰かに助けてほしい。

 私を助けてくれるかもしれない誰かは、後ろに立っている。だから、振り返ろうと思った瞬間。


「バッカだねえ、相原は」


 間に入ってくれたのは葉山君で、差し出された封筒をぐいぐいっと相原君の胸に突き返している。


「バカだと? 失礼なやつだな、葉山。この間の試験、僕は学年一位だったんだぞ」

「それとこれとは関係ないの。明らかに嫌がられてるんだから、もう諦めな」

「嫌がっていないだろう、園田さんは」

「お前、鈍すぎ。そもそも園田ちゃんはもうじゅうぶん素敵だろうが」


 軽くすごんで、葉山君は相原君に思いっきり強いデコピンをした。

 そして振り返ると、私の手を取って引っ張り、玲二くんの胸の中にとんと押してくれて、それで私はよろけてしまって、まんまと王子様に抱きとめられたりして。


「じゃあな、玲二、園田ちゃん。また明日!」


 教室のあちこちからヒューとか、拍手が聞こえてきて恥ずかしい。

 玲二くんにも迷惑だろうと立ち上がろうとしたら、足に力が入らなくてまたよろけてしまった。

「ごめん」

 腕を伸ばしてくれた玲二くんに、しがみついている。

「いいよ。立てる?」

 案の定顔は真っ赤だったけど、心配そうな声。玲二くんの腕は細く見えるけど、力強くしっかりと支えてくれている。


 なんとかゆっくり立ち上がって、それで、葉山君に手を振って急いで教室を出た。



 早く行かなくちゃと思っていたから、駅までは割とすぐに来られたんだけど。

 電車に乗ったらまた力が抜けてきて、思いっきり大きなため息をついてしまった。


「大丈夫?」


 お昼の時間帯の電車は空いていて、玲二くんとふたりで並んで座っている。初めてのシチュエーションだけど、残念ながら楽しい気分になれそうにない。


「うん、ちょっとびっくりしただけ」

「ごめん、園田。もっと早く間に入れば良かった」


 心底申し訳なさそうな表情に、私は慌てた。


「いいの。私がはっきり言わなかったからいけなかったし」

「はっきり言ってたように聞こえたけど」

「そう、かな。でも、相原君には納得いかなかったんだろうね」


 また明日学校があるんだけど。また言われたらどうしよう。

 せっかくいい一日になったと思ったのに、体が震えてしまう。思い出し悪寒をしたところに冷房の風が吹き付けてきて、寒い。


 すっかりぐったりしながら電車を降りて、改札を抜ける。

 外は夏まっさかりで暑いのに、私だけ灰色に染まっているような感じ。

 そんな私を見かねたのか、玲二くんはこんな提案をしてくれた。


「園田、もし時間があるなら、お茶でも飲んでいかない?」


 駅の前のロータリーには、停車中のバスが一台。その向こうには、クロワッサンの美味しいカフェがある。ハンバーガーの店もあるし、その他にもお茶が飲める店はいっぱいある。


「水族館に行く日も決めたらいいんじゃないかな」

「いいの?」

「いい、よ。もちろん。腹も減ってきたし」


 今日は、やっぱりいい日だった。

 まさか玲二くんにお茶に誘われる日がこんなに早く来るなんて!


「気分が落ち着かないなら俺、送っていくから」

「玲二くん」


 ありがとう。嬉しい。やっぱり、大好き。


 一緒になって、駅前のハンバーガーショップに向かった。

 

 玲二くんのトレイに載っているのはフィッシュバーガーで、セットにつけているのはサラダ。私はポテトにてりやきのがっつりコンビネーションで、女子力だと完全に負けている。


 二階の禁煙席、窓際じゃなくて奥の壁沿いの席で向かい合って座った。

 さっきまでの恐怖はすっかりなくなって、今はどきどきばっかり。


 アルバイトの日程を確認しあって、まずは水族館に行く日を決める。七月の最後の木曜日。玲二くんのスケジュール帳は黒いカバーの薄いタイプで、スマホに登録しないあたりが、らしくていい。


「十時にここのロータリーで」

「うん」


 白いワンピース、清楚な感じか。確かに、玲二くんも好きそうな気がする。


 予定を決めたら、会話が途切れてしまった。

 ハンバーガーを食べたらいいんだけど。

 玲二くんと二人で向かい合うのは初めてで、なんだか緊張してしまう。


「玲二くんって、食べ方がきれいだよね」

「そう?」


 向かい合って気が付いたけど、歯もきれい。白くて、虫歯がなさそう。


「良太郎の方がきれいだったと思うよ」


 良太郎って、葉山君か。いつの間に良太郎になったんだろう。葉山君、喜びそうだな、名前で呼ばれたら。


「書道をやっているからなのかな。この間みんなで食べた時、品があると思った」

「そうなんだ。葉山君っていいよね、ユーモアもあるし、字も上手だし」


 今日もすっかり助けてもらっちゃった。

 葉山君がいなかったら、もっと揉めていたかもしれない。


「相原はさ」


 フィッシュバーガーを置いて、玲二くんは抑えた声で話し始めた。


「園田のことが気になってるんだと思う。前に付き合ってるのかって問い詰められたし」

「そうなの?」

「あの時も良太郎が助けてくれて、なんとか逃げられた。あいつはちょっとくらいの反論じゃわかってくれないみたいだ」


 わざわざ問い詰められたなんて表現を使うあたり、相原君の激しさが伝わってくる。


「ごめんね、玲二くんに迷惑かけちゃって」

「園田のせいじゃないよ」


 今日はなんだか、いつもと違う。

 初めてのシチュエーションだからとか、さっき軽く胸に飛び込んだからとかだけじゃなくて、なにかが違う。

 それに今、やっと気が付いた。

 玲二くんが、ずっと見てる。私を、ずっと見てくれている。いつもそらしていた視線を、ずっと向けてくれている。


「今までもあったんじゃない? 誰かに告白されたりとか」

「えっ」


 確かにちょっとくらいはあったけど。

 むしろ玲二くんの方があったんじゃないのかな?


「園田は、誰かとつきあったことって、あるの?」

「ないよ。ないない! 確かに告白みたいなのはされたことあるけど、でも私は、玲二くんが気になってたから。だから、好きな人がいるって断ってた」


 あっ、しまった。

 視線が逸れていく!


「あの、ええと、だからね。あの、ちゃんと断ったらわかってもらえると思ってたから、今日はちょっと困っちゃった」

「……そうだな。困ったよな」


 あれ、視線が、戻ってきた。

 顔は赤いけど。また赤くなっているけど、でも、また、まっすぐ。私にまっすぐ。きれいな薄い茶色の目が、向いてくれている。


「もう部活はないんだよね」

「うん」

「じゃあ、毎日一緒に帰ろう。それなら、少しくらい安心できる?」

「安心って……」


 それどころじゃないよ。


「俺じゃあ頼りにならないかな」

「ううん。幸せすぎて死んじゃいそうなくらい嬉しい」




 二人で揃って真っ赤になって、もくもくと残りのハンバーガーを食べる。


 本当に幼稚だと思う。中学生の頃から、もっともっと先へ進んでいた子は何人もいた。彼女たちの語ったすべてが本当なのかはわからないけれど、高校生とか大学生の年上の彼氏がいたりとか、同級生の誰かと、親がいない間にあれやこれやなんて話は何度も聞いた。


 鼻で笑っちゃうほど可愛い進捗具合だとわかっているんだけど。

 でもこうして同じ空間にいられるだけで、私は幸せで、浮かれちゃって、少しくらいの嫌なことなんか全部すっかり抜け落ちてしまう。



 何回目かわからない、私の家の前での「また明日」。

 玲二くんはバイバイと言わない。必ず、また明日とか、また来週と言ってくれる。

 遠ざかっていく後姿にどうしようもなくときめいてしまって、家に入れない。

 ずっと先の角をまがって、見えなくなるまで。

 揺れる薄茶色の髪と、真っ白い半袖のシャツを見ていたい。

 

 家の前に立ち尽くしていると、角を曲がる直前で玲二くんが立ち止まった。

 こっちを振り返って、一瞬止まって、手を挙げてくれた。


 

 体の表面がホカホカしている。

 夏のせいじゃなくて、玲二くんが好きだから、ホカホカしている。

 しっとり湿った制服を脱ぎ捨てて、Tシャツと短パンに着替えて、ベッドの上でごろごろごろごろ、玲二くんの眼差しを思い出しては笑って、照れて、また笑った。


 幸せすぎる。


 もしかしたら、彼女にしてもらえる日も近いかも。

 そう思ったらまた嬉しくなってきて、この日はただただ浮かれただけで終わってしまった。

 

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