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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
It's A Hard Life.
75/85

新しい選択肢 / 玲二

 急ぎって話じゃなかったのかな。

 もうすぐ九時になるっていうのに、なんにも始まらない。

 

 あのへんてこなアルバイトの現場だった廃ビルの地下で、大きな椅子に座らされている。

 学校が終わったのはまだ昼になる前で、月浜まで移動してすぐここへ連れてこられた。

 地下の暗がりにはぽつぽつと影が見える。Watersに集っていた連中らしい誰かが結構な数集まっているみたいで、クロは入口で見張りのように立っている。

 目的がなんなのか、どうして集まっているのか、問いかけてもなにも教えてもらえない。とにかくそこに座ってろ、しかクロは言わない。

 家には連絡済みって言うけど、誰にどう伝えたんだ。せめてライくらいは一緒でもいいんじゃないか? 抗議したけど、答えはない。力ではまったく敵わなくて、何度も出ようとしたけど結局この椅子に戻されてしまった。

 トイレは許してもらえたけど、監視付きだし、例によって圏外だし。

 パンの差し入れもあったし飲み物ももらっているから、ますますもって目的がわからない。


「なあ、もう九時になるんだけど」

「仕方ないだろ、みんなルーズなんだよ」


 みんなって誰なんだ。今日ここに集まっている連中にはどんな共通点がある?

 時々なんとなく見覚えのある奴もいるけど、そもそも詳しくない。

 俺がはっきりわかるのはライ、クロ、カラス、イワと、遠屋くらいだ。

 あとは百井か。あいつの姿も見えない。遠屋もいない。イワの大きな体も見当たらない。


「カラスが来たぞ」


 うんざりしてまた座ると、黒い影が入り口に現れた。

 音もなく静かに移動してくるけど、あれはなんなんだろう、歩いているのかな。カラスの足元はとても曖昧で、足があるのかすらよくわからないけど、なぜわからないのか理由がこれまたわからない。


「これで全部だ、立花玲二」


 俺の前まで進んで、カラスはほんの少しだけ笑ってみせた。


「全部って、なにが?」

「我々に賛同する者が」

「賛同?」


 今日のこの謎の集会はカラスが主催したものなのか。

 問いかけると、黒い影は「いかにも」と気取った口調で答えた。


「なにに賛同してるのか教えてくれ」

「見えないのか?」


 彼らの「見る」の定義は俺とは違う。

 まだ疑っているのかな、俺が本当は力を隠しているって。


「俺には景色しか見えない」

「それはおかしいな」


 「わかっているはず」を押し付けてくる彼らのやり方は本当に困る。

 わからないまま進められるのも、全部知っている前提にされているのも。


「立花玲二には本来の力が備わったはずだ」

「本来の力って」

「先週手に入れた」


 なんで知ってる?

 どこかで見てたのか、カラス。


「手に入れてはいない」

「そう聞いているのだが」

 

 カラスじゃない誰かがあの場にいたんだろうか。

 わからないけど、少し違う。むしろ逆だ。手放してしまったんだから。


「あれはカラスの差し金だったのか?」

「そうではない。不思議な縁があったようで、私の古い友が教えてくれた」

「それって、俺に話しかけてきた?」

「さて」


 真っ白い顔は澄ましていて、なにを考えているのか読み取れそうにない。


「で、賛同ってなんの話なんだ」

「お前を新しいマスターに据える」


 思わず、はあ? と声をあげてしまった。そんな計画がいつ始まった?


「ここにいる連中が、賛同するってこと?」

「そうだ。今のマスターは長くその座にいすぎている。交代していい頃だからな」

「俺の意思は」

「意思は関係ない。マスターになれるのは、その資格を持っている者だけなのだから」


 俺に、そんな資格がある? 

 いつの間にそんな事態になったのか、そりゃ、先週だよな。

 あの時、父さんの故郷で起きた現象について、俺はきっとこうだろうという想像しかできてないんだけど。

 一路からもらった力が出て行ってしまって、まだ、手放してはいないけど、でも……。


「多く支持された者がマスターになる」

「遠屋が怒るんじゃないか」

「怒ったところでなにも出来まいよ。我々はそう決めて暮らしてきたのだから」


 参ったな。俺の望みとは真逆の道じゃないか。


「こんな若輩者の素人じゃ迷惑かけるだろ」

「迷惑などなにもない。立花玲二の力は、すべての者を従わせる」


 全然そんな感じはない。見えてないし聞こえてないのに。


「一路は?」

「あれはここの住人ではない。お前の母親もそうだろう」


 だから除外されているのか。ハールやリアも入ってない?


「ライは」

「もう忠誠を誓わせている」


 忠誠を、誓わせている?

 俺に協力してくれるように頼んで、受け入れてもらった。なんとなくだけど、強く念じたら繋がれるような気がして、父さんや母さんにもそうしたんだけど。あれが「誓い」に当たるのか。


「あの白い鳥はどうする」

「リアのこと?」

「卵が孵った後どうする気なのか、主である立花玲二が決めるといい」


 大げさな話になっている。

 俺は単純に、事態が収束するまでの味方が欲しかっただけなんだけど。

 心を繋いで意思の疎通ができるようにしただけなのに。主だって?


 カラスはぴったりと俺の隣に寄り添って立っている。

 俺の知りたいことをたくさん知っていそうに思えて、問いかけた。


「百井は」

「あれは消えた」


 消えた?


「立花一路から聞いていなかったか?」

「一路は知ってるのか、百井の行方」

「沙夜の終わりを見届けたのは立花一路だ」


 終わりって、本当に言葉通りの意味なのか? 消えたって……。


「あいつに調べてもらっていたことがある」

「消える前に告げていたよ。ずいぶん弱っていたから、双子の狼を見間違えたのだろう」


 一路に?

 聞いたことを俺に黙ってたのか?


「いつ消えたんだ」

「人間たちが夜空に花を咲かせる日に」


 立ち尽くす俺の周りに、いつの間にやら大勢が集まって取り囲まれていた。

 みんな値踏みするみたいにじろじろと見ては、ひそひそ話している。

 だけど、敵意や悪意のようなものは感じない。

 本当に俺を、新しいマスターとやらにするつもりなのかな。


「俺は人間になりたいんだ」

「立花玲二、戸惑っているのだな」

「当たり前だよ。何度も言ったじゃないか、俺はこっちの世界には全然慣れてない。人間として暮らしてきたんだから」

「それに、人間の娘に心を惹かれているから」


 カラスの隣にクロがやってきて、ニヤリと笑う。

 白猫は縦長の猫の目を細めると、なれなれしくカラスの肩を叩きながら、こう話した。


「マスターになれば解決だよ、レイジ。一番力があるんだから、人間の一人や二人どうとでもなる。うまく誤魔化しちまえばいいさ」


 俺が受け入れたら、新しい未来が開けるのか。

 ここで暮らしていけるようになる?

 それで、解決になるのか……。


「マスターになれるほどの力があるなら、血の問題もなくなるだろ」

「血の問題って」

「子の代までなら問題ないさ」

「クロ、いい加減な話をするな」

「だって、二代、三代なんていくらでもいるじゃないか。マスターともなれば、子の代だって相当な強さになるだろう」


 頭っからこの言葉を信じるわけにはいかない。

 だけど急に目の前が明るくなって、なんだかぼやっとしてしまった。


 椅子に座らされた俺の前には影がぞろぞろとうごめいて、色は暗いのに、声はやたらと楽しそうなものばっかりで。


 めでたいとか、新しいとか。ポジティブな反応に考えが鈍っていく。

 これが全部本当なのかわからないのに、流されてしまいそうだ。


「うーん、三割、いや、四割くらいか?」


 クロの声に、カラスは頷く。


「これだけいれば充分だろう。どちらでもいいとする者は多い」


 決選投票でもするのか、人じゃない奴らは。

 立候補の期間は? 誰が開票するんだ。


「立花玲二、新しいマスターになってくれ」

「そんなの困る」

「母親や兄の森に帰る意思があるのか」

 

 それは考えてないけど。

 そんなのダメだ。一路は間違いなく怒り出すだろう。

 俺がずっとここに留まるなんて嫌がるだろう。

 でも、人間になるのを諦めるって言えば、平気か?

 だけど、百井のことを黙っていた。

 俺の中からわけてもらった命は出ていってしまったから、返さなきゃいけない。

 たぶん、薄情だって言われるだろう。兄弟の絆を切ったのかって。


 わらわらと寄ってくる暗がりの住人の声が響いている。

 どうしたらいい。母さんは知ってる? 一路になんて言う。


 それに、いつきにどう説明したらいいんだろう。

 俺は、いつきと一緒にいるために、人間になりたいんだって伝えたいのに。

 解決するのかもしれないけど、でも、いびつな形になってしまう。

 

 どうするのが最善なのか、もちろんこんな爆弾を投げ込まれたんだから、すぐに決められるわけがないんだけど。

 一路が話してくれるのかな。俺が聞きたいことのすべてを。


「俺の力ってなんなんだ?」


 まっすぐに目を見て聞いたつもりだったんだけど。

 カラスはなにも答えてくれなかった。


 

 廃ビルの地下で新しいマスターを支持する会がうわっと盛り上がった。

 そして次の瞬間、誰もいなくなってしまった。

 解散したのかな。カラスとクロだけが残って、俺をじっと見つめている。


「それで、どうなる?」

「今のマスターも自分を支持するか問いかける」

「多い方の勝ちだぜ」


 ちゃんと公平に数える奴がいるのかな。

 ああでも、みんな心のうちが見えるんだから、問題ないのか。


「俺は相変わらず見えないんだよな?」

「そうだ」

「じゃあ、本来の力ってやつも確認できないんじゃないか」

「問題はなにもない、立花玲二。見えはしないが、お前が持っていることは明白なのだから」


 意味がわからない。だけど、人間じゃないんだもんな。意味がわからなくて当たり前なのかもしれない。


「もう帰ってもいいのかな」

「もちろんだ、我々の新しい主」


 参ったな。本当に参った。なんでこんな展開になってしまったんだろう。

 今更思い出して、気分が沈んでいく。

 憎くてたまらない狼、なんだよな、俺は、遠屋にとって。

 面倒で生意気な狼の若造が勝手に力を手に入れて、自分の座を奪っていくって、許せるものなのか。それとも、決まりなら、すんなり受け入れる?


 カラスとクロも姿を消してしまって、仕方なく薄暗い廃墟の階段を一人で上がった。

 月浜の駅まで歩いて十分くらいだったか。人通りの多い、明るいところに早く出なきゃまずい気がして、細い道を走って抜けた。

 平日の九時二十分。電車はそれなりに混んでいて、ドアのそばにもたれかかったまま母さんに連絡を入れた。今から帰る。それから、いつきにもメールを打った。ごめん、もうすぐ帰る。遅くなるから、電話はできないねって。


 スマートフォンがすぐにブルブル揺れて、返事が連続して届いた。

 母さんからは、駅まで迎えに行く。

 いつきからは、何時になってもいいから、電話して。

 

 ため息を何回ついたかわからない。サラリーマンだらけの電車に揺られながら、何度も何度も顔を覆った。

 なにから片づけたらいいんだろう。いつきにしっかり話そうと思っていたけど、家族への説明が先かな。リアの意思を確認しなきゃいけないのか? 一路にはなんて切り出そう。争いになるのはイヤだけど、なんの問題もない片のつけ方はないように思える。


 父さんの実家はさびしいところだった。

 懐かしい景色ではあったけど、長く居たいとは思わなかった。

 辛い記憶が呼び起こされるからなのか、すっかり苦手になった暗闇に覆われてしまうからなのか。わからないけど、胸が苦しくなる場所だった。

 倒れて、帰ってきて、やっと目覚めたのに。

 一路が俺を心配して、やさしさを見せてくれて、仲直りのきっかけができたように思えたのに。

 



「玲二」


 午後十時過ぎにようやく電車を降りると、改札の目の前で母さんが待っていてくれた。


「大丈夫だった?」

「うん、疲れたけど」


 今日の出来事についてはライに聞いてるのかな。

 母さんはなにも言わずに、俺の背中を撫でたり、手を取ったりしてきて不安そうに見えた。

 スキンシップばっかりの帰り道を終えて、ようやく家についたのに、また衝撃が待っている。


 リビングでは目を血走らせた一路が、ライを踏みつけていた。

 本来の姿、つまり大きな黄金の鳥の姿のライを、一路は裸足で踏んでこちらを睨んでいる。


「一路」

「玲二、どうしてこんなことになった」


 父さんが部屋の隅でうなだれている。肩の上にはリアが乗っていて、怖がっているようだ。


「ハールは?」

「上だよ」


 なにやってるんだよ、ハール、止めてくれよ。


『卵を温めてもらっているの』


 そうなのか。リアは、ライが心配なんだな。


「俺にもわからないよ。なんで今日いきなりこんなことになったのかは」

「嘘だ。あの時、なんだか変だった。お父さんのおうちに行った時、いきなり倒れたのはなにか変化があったからだろ!」


 どうしてそれを言わないのか。一路はライをぎゅうぎゅう踏みつけて怒っている。


「ライは関係ないから、もうやめてやってくれ」

「ライもリアも玲二の味方。信じられない」

「ちゃんと話すよ、全部。ライは俺たちに巻き込まれただけで、なにも悪くないだろ」

「でも」

「一路だって隠してることがあるじゃないか」


 クラクラしている。三日も眠り続けて、起きてからまだ二日しか経っていない。

 しかも今日、何時間拘束されたんだっけ。


「弱虫のくせに」


 一路は唐突にそう呟くと、ライをリビングの入口まで蹴っ飛ばした。


「一路」

「お父さんは黙ってて」


 あんな姿初めて見た。父さんにまで当たるなんて……。


「上で二人で話そう」


 荒々しく階段を上がっていく一路を、あとから追った。

 俺の部屋に来るかと思いきや、自分の部屋に入っていく。


「一路、ごめん、ちょっとだけ待って」

「なんで」

「いつきに電話するって約束したんだ」

「大事な話をしようって時に、いつきを優先するの?」

「待ってくれてるんだ。約束したから、一言話すだけにするから」


 急いで部屋に入って、カバンを置いて、いつきに電話をかけた。

 呼び出しの音がする間もなく、電話がつながる。


『玲二くん』

「いつき、待たせてごめん。でも長く話せないんだ。先にしなきゃいけないことがあって」

『そうなの?』

「明日ゆっくり話したい。長くかかっちゃうかもしれないけど」

『大丈夫。どんな話でも聞くよ』


 今日、一路となにか話したのかな。

 落ち着いているように聞こえる。

 見知らぬ変な男がいきなり現れて、妙に思っただろうに。


 もしかして、もう一路が全部話したとか?


『玲二くん、あんまり顔色が良くなかったから、ゆっくり休んでね』

「ありがとう。おやすみ」

『うん、おやすみ』


 部屋の入口から一路が覗いていた。

 着替えたいし、風呂にも入りたいけど、ダメだよな。



 一路の部屋は殺風景だ。最低限の家具しか置いていない。趣味のものなんてひとつもない。俺の部屋にもあまり物はおいていないけれど、はっきりと違う。一路の部屋には「暮らす意思」がないんだ。


 その部屋の隅には大きな黒い鳥が座っていた。卵はかなり小さかったように思う。ひ孫は大丈夫なのか、ハール。


「ここのマスターになるって?」

「俺が望んだんじゃないよ。資格があるからやれって、いきなり言われたんだ」

「わかってただろ、玲二」


 わかってなんかいない。

 こんな展開になるなんて、想像の範囲外だった。


「そうじゃない。力の話だよ」

「それは、そうだ。わかってた……」


 理解はできていなかったけど、把握はしていた。

 俺の中から一路のカケラが出て行って、そして、残った自分の力がはっきりと際立ったんだ。銀色の狼の影響がなくなって、純粋なひとつの力がようやく得られた。

 あの、絶望の淵から目覚めた春の日に、与えられていた、もうひとつの俺の、命。


「だけど」

「なに。はっきり言って!」


 完全じゃないんだ。俺がこの右のポケットにしまいこんだ一路のかけらを返したら、本当に本当の自分になれる。だけどそんなことをしたら、俺は一人になって、きっとまた暗闇に沈んでいってしまう。そうなったらもう二度と目覚めは来ない気がして、それが恐ろしくて、右手をしまいこんだままになっている。


「まだ違うんだ。俺はここのマスターになる資格なんて、得られていない」

「じゃあどうして今日クロに呼ばれた?」

「早とちりだよ」

「嘘だ! 玲二は見えないからって僕を騙そうとしているんだろ!」


 一気にまくしたてた後、一路は唐突に背後を振り返った。

 ハールになにか言われたんだろう。

 結局鳥のみんなも巻き込んだ形になっていて、申し訳ない気分だ。


「俺はやっぱり人間になりたい」

「まだそんなこと言うの」

「人間だったら見えなくて当たり前なんだ。相手がどんな性格で、どんな家族がいて、なにが好きか考えて、どう思うかわからなくても話してお互いを理解しあっていく。それが俺の世界だ。一路たちには合わせられないんだよ」

「そんなの……」


 どんな言葉をぶつけようと思ってたんだろう。

 一路は歯をぎりぎり鳴らすだけで、なにも言わなかった。

 ただ俺をじっと睨むように見つめて、それが寂しくて仕方がなかった。


「一路、百井は消えちゃったんだろ」


 一路も隠しておきたいことがあって、生まれて初めて秘密を持ったんじゃないのか。

 俺相手にだから、秘密にできた。見えない見えないっていうけど、俺だって一路の心はわからない。


「そんなの知らない」

「いいさ、言いたくないなら」


 これで同じだなと呟くと、一路はまた歯をぎりぎり鳴らした。

 前歯がなんだか少し大きくなったように見えるのは気のせいなのか?


「同じなんかじゃない!」


 いや、違う。気のせいじゃない。

 一路の姿はじわじわと変化している。

 狼とは違う別な形に。


「かわいそうだから言わなかった。だって、人間になるには誰かの命を犠牲にしなきゃいけないんだ。そんなこと玲二にできないだろ、だから」


 泣きそうな声で一気にまくしたてられて、茫然としてしまう。

 動けない俺の顔を、なにかが撃ち抜いた。

 部屋の壁に激突して、息ができないまま床に、ハールのすぐ隣に落っこちてしまった。


『おい、玲二! 大丈夫か』


 目が見えない。チカチカしてるし、頭もグラグラだ。

 殴られた。最近少し慣れてきた血の匂いが口の中に充満して気持ち悪い。


 鳥の鳴き声がする。視界にゆっくり景色が戻ってきたけど、まだ霞んでる。

 だから一路の姿がいつもと違う、程度にしかわからない。

 

 だけどそんなことよりも、さっきの言葉に堪えていた。

 命を犠牲にしなきゃならない?

 誰の命を、どうやって。罪のない誰かから奪い取るとか、そんなやり方をしなきゃ、いけないのかな……?


『うおおおおおお!』


 真横からこんな絶叫が聞こえて、慌てて目を開けた。

 

「どうした……」


 ハールがこんな風に叫ぶなんて、予想外だ。

 見上げた先にはいつも通りの一路がいて、驚いたような顔で止まっている。

 首を動かして絶叫の発生源を見てみれば、大きな黒い鳥の足元から、平和でかわいい声が響き始めていた。


『生まれたぞ!』


 この叫びに脱力してしまった。

 足元から姿を見せた雛はまだじっとりと濡れているような姿で、色はよくわからない。でも、両親譲りの明るいカラーリングだろう。


 ぼやっと倒れこんでいる俺の前に、ピヨピヨと雛が歩み寄ってくる。

 すごいな、やっぱり普通じゃないんだろうな、この小鳥。

 生まれてすぐに歩いているし、目もパッチリ開いているし。


 起き上がれない俺の額を、小さなくちばしがコツコツつつく。

 ライのこどもだからきっと、みんなの心を平和にする力があるんだろう。


 一路は俺を抱き起こして「ごめん」と謝ってくれた。


 だから喧嘩は終わったけど、折られた心はすぐに回復できそうにない。

 


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