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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
VOICE
74/85

目の当たり / いつき

 新学期が始まる前夜にようやく連絡がきた。

 長い間ごめん、明日の朝迎えに行きます、だって。

 簡単な内容で玲二くんらしい。旅はぎりぎりまで行ってたのかな。一路くんと二人で、なにか進展があったのかな。


 お母さんから話を聞いてから一週間、会わないまんまきてしまった。

 玲二くんを信じる気持ちはいっぱいあるんだけど、やっぱり不安もあって。

 再来年の三月までしかここにはいられないって話が本当なら、これから先の進路をどうしたらいいのか、わからなくなってしまう。


 遠距離とかになっちゃうのかな。

 玲二くん、進学しなくていいのかな。

 ここにはいられないっていうけど、日本にはいてもいいのかな。

 お母さんの言う通り、人間に変われたらいいよね。ぱーっと、魔法かなにかで解決できないのかな。


 迷いながらコーヒーマグをにらみつけていると、インターホンの音が聞こえた。

 玄関までダッシュで行って、やっと玲二くんと再会できたんだけど。


「おはよう」


 なんだかまたげっそりしてる!


「おはよう玲二くん」

「ごめん、連絡が全然できなくて」

「ちょっと心配したけど、でも、旅に出てたんでしょう?」


 一路くんの姿がないけど、一緒じゃないのかな。

 もしかして更に仲たがいしちゃったとか?


「待ってて、カバン取ってくるね」


 こんな気持ちは奥にしまって、私はひたすらに奇跡が起きるよう祈らなきゃならない。

 願いが叶うように、まっすぐに光だけを見つめ続けなきゃいけない。

 疑えばその分、玲二くんとの未来が暗くなってしまいそうだから。


「お待たせ」


 靴を履いて外へ飛び出すと、玲二くんの手が伸びてきて、細長い指が髪を撫でた。

 正体がわからない、狼の家の息子。変な感じだと思っていたけど、家族からも謎扱いされて、辛かっただろうと思う。


「なにかついてる?」

「ううん、あの、ちょっとやせたかなって思って」

「夏バテしたんだと思う。田舎でいろいろ、不便だったから」

「そうなんだ」


 山籠もりでもしてたのかもしれない。免許もないし、行くだけでも大変な場所だったのかも?


「なにか、成果があった?」

「成果?」


 きょとんとした顔はあんまり見たことがなくて、新鮮な気分になれる。

 いや、そうじゃない。こんなきょとんとした顔をするなんて、私が秘密を教えてもらったって伝えられてないんじゃないかな?


「えっと」

「俺はとにかく、いつきに会いたいばっかりだったよ」


 手が伸びてきて、指が絡み合う。

 細いけど力強い玲二くんの指に、今更ながらドキドキしちゃったりして。


 げっそりして見えるけど、目の光は強くなったような気がする。

 春にも感じたんだけど、目を離せないんだよね、玲二くんのこの強い視線から。

 葉山君もそんな風に言ってた気がするけど。中村さんもだったっけ。本城君は怖がってたかな?


 それも、新しい力のせいなの、玲二くん。


「次の休みに、どこかに行かない?」

「え?」

「急な予定が多くて夏休みはあんまり会えなかったから。俺、いつきとデートしたいんだ」


 やだ、もう。嬉しいんだけど。

 顔がカッカしてる。玲二くん、今日はやたらとかっこよく見えるんだけどどうしてなの?


「いや?」

「嫌なんかじゃないよ」

「そう?」

「私も玲二くんに会えて嬉しいんだと思う。なんだかすごく照れちゃって」

「良かった。じゃあ今日の帰りにどこに行くか決めよう」

「うん」


 自分から話したいって、きっと正解なんだよね。

 私から「人間じゃないんでしょ?」なんてデリカシーのない切り出し方をするのはやめよう。

 二人きりで出かけたいなら、話すつもりなのかもしれない。

 玲二くんは真面目だから、あらゆるパターンについて考えているかもしれなくて。

 それで今、こんな風にげっそりしちゃってるのかも。

 一路くんにどう納得してもらうかだって、きっと悩んでいるはずだよね。

 玲二くんが、兄弟なんかどうでもいいなんていうはずないんだもん。


 電車に揺られている間、玲二くんは私をじっと見つめて、頬や髪を撫でては微笑んでくれた。

 黙って俺についてきてくれって言われたら、私、行っちゃうんだろうな。

 世界のどこにでも、二人だけでいいのって、飛び出しちゃうんだろうな。


 黒い髪と瞳にもずいぶん慣れたと思う。

 高校に入ってからすっかり大人びた雰囲気も、もう当たり前になっている。


 この一週間で、私と玲二くんの歩幅の合わない人生について考えていた。

 今のままの素敵な玲二くんと、そうじゃなくなっていく私は、どんな暮らしをしていけばいいんだろう。

 近くに住んでいる人は少ない方がいい。仲良くしない方がいい。

 同じところに何年も住み続けない方がいいし、仕事だって、ずっと同じままじゃきっとダメなんだよね。

 二人だけで、なにもかもを自分たちでまかなうくらいの気持ちじゃないと、秘密は守れないんじゃないかな。

 私が年を取って病気になったら、玲二くんはどうするんだろう。

 夫ですと名乗りでることもできなくて、遠くから見守るだけになっちゃう?


 二人でいるはずなのに、とても孤独でさみしい人生になってしまいそうな気がして、想像に潰されそうな夜もあった。

 そんな悲しい未来じゃないよって言ってほしくてたまらなかった。


 今は幸せ。玲二くんが目の前にいて、手を握って、隣を歩いてくれるから。


 私が手に入れられるであろう、当たり前の幸せについて。


 子供はいなくても、いい、と思う。

 ごく健康でも授からない場合があるんだし。それは別に、いい。

 じゃあ、その一歩手前はどうなのかな。

 恥ずかしい気持ちもあるけど、夏休みに自分を突き動かした衝動についても深く考えて。

 だけど、出てきたのはため息ばっかりだった。


 抱きあって、唇を重ねていたら、それ以上を欲しくなっちゃうか、そうじゃないのか。

 まだ体験したことがないから、わからないんだけど。

 具体的には全然わからないんだけど、でもあの日の私はやっぱり、玲二くんを求めていたんだと思う。


 玲二くんはどうだったのかな。危なかったって言ってたけど、本当なのかな。

 あの小さなお守りを使っていれば、困った事態にはならずに済む?

 

 永遠に清らかな二人。


 それがいいものなのか、非現実的なのか、私にはまだわからないみたいだ。

 考えても考えても答えは見えない。

 玲二くんが同じループにはまっていたんだと思うと、胸が苦しかった。


「いつき、駅だよ」


 電車はもう目的地にたどり着いていて、慌てて玲二くんに続いた。

 この道も久しぶりだねって言われたけど、先週歩いてるんだよね。

 私の返事の嘘っぽさに気が付いたかな。

 まだ朝が早いから、学生たちの姿はない。

 逆に、駅に向かう通勤客はたくさんすれ違うけど。


 二人で流れに逆らって、いったいどこにたどり着くのかな。

 本当に人間になれたらそれで万事解決なんだろうけど、じゃあ玲二くん頑張って! なんて無責任には言えないし。

 今月からもう進路の希望についての調査とか、始まるんじゃないかな。来年受験で、そのあとどこへ行って、なにを目指すのか。なんにも考えてない。全部玲二くん次第だなんて、先生にも両親にも言いにくい。というか、言えないよね、そんな風には。


 階段を上って教室へ着くと、玲二くんも一組に入ってきて、私の席の隣に立った。

 珍しいかも、こんな風に一緒に来るなんて。

 なにか話があるのかなと思ったら、顔が近づいてきて、唇に触れた。


 すぐに離れていったけど、初めてなんかじゃないんだけど、朝の教室でなんてものすごくドキドキしちゃう。


「玲二くん」

「ごめん、我慢できなかった」


 真剣な目のせいで動けない。また近づいてきて、触れて、幸せだけど、なんだか破裂しちゃいそう。心の底から幸せだって思えていないから。玲二くん、気が付いているのかな。さらにそばにきて、ぎゅっと抱きしめられてしまった。


「はいはい、そこまでよー。そこまでにしておきなさいよー」


 後ろのドアに葉山君が立っていて、私はなぜかほっとしている。


「なにやってんの、朝っぱらから。帰ってからにしろよ、玲二」

「ごめん」

「いや、俺には謝らなくてもいいけどね」


 いいね、美男美少女は絵になって、だって。

 玲二くんは私から離れたけど、すぐそばで微笑んでいる。


「今日、寄り道して帰ろう」

「あんまいかがわしいとこには行くなよ、玲二」

「やめろよ、そんなことを言うのは」


 葉山君は肩をすくめて笑うと、カバンを自分の席に置いて窓を開け始めた。


「いつき、待ってて」

「うん」

「なあ玲二、一路は?」

「あとから来るよ」


 そっか、二人旅の成果もちゃんと聞かなきゃだよね。

 玲二くんがなにを話したいのかわからないけど、事情を聴いたってちゃんと教えた方がいいかな。隠しておいた方がいいのかな……。難しい、この前提があるとないじゃ全然伝え方も違うんだろうけど。



 夏休み明け初日のスケジュールはあっという間に消化されて、十一時になる前に終わってしまった。

 玲二くんがやってくる。私の心の準備が終わっていないのに、黒髪の王子様が姿を現して、私の前で上品に微笑んでいる。


「帰ろうか」

「うん」


 ひとまず玲二くんの話を聞いて、言えそうなタイミングがあれば打ち明ければいいよね。

 それで大丈夫。

 私たちがなにをしようとしているか、わかっているのかな。一路くんはちっとも口をはさんでこなくて、静かに自分の席で口を閉ざしている。


 葉山君にも声をかけて、昇降口へ向かった。

 一度わかれて靴を履き替えて、出口へと歩いていく。


「レイジ、待ってたよ」


 すると、半袖の黒いパーカーを着たお兄さんが待っていた。

 真っ黒いフードを目深に被っていて、顔はよく見えない。迷彩柄のハーフパンツに、足元は黒いスニーカー。

 玲二くんのともだちらしさは全然ない。

 背は私とあまりかわらないくらいで小柄なんだけど、態度はすごく大きかった。


「さ、行くぞ」

「ちょっといきなりすぎるんじゃないかな」


 玲二くんは困った顔で私を見つめている。

 その視線が、ふっと動いた。


「用があるなら僕が聞くよ」


 後ろから現れたのは一路くんで、この流れに胸がハラハラしていた。

 これってきっと、私の知らない、二人の向こう側の世界の話が始まっているんだって。


「お前じゃない、弟の方だよ」

「話があるなら僕に言えばいい」

「うるさいな、お前には用なんかないんだよ」


 一路くんの声にはずいぶんたくさんの敵意が含まれているように感じた。

 狼の兄弟に挟まれて戸惑う私の手を、玲二くんがつかむ。


「いつき、ごめん。ちょっと待ってくれる?」


 私たちの周りを不思議そうな顔をした高校生が行き過ぎていく。

 だけど誰も立ち止まらないし、声をかけてはこない。


「うん」


 返事はこれだけで精一杯。

 

 一路くんになにを言われても、パーカーのお兄さんはまったく取り合わない。全部スルーして、玲二くんを睨んでいるだけだった。

 たまりかねたのか、一路くんがお兄さんの襟をつかむ。


「いいのかよ、立花一路」

「わかった、行くから。やめてくれ」


 玲二くんが間に入って、ようやく二人が離れた。

 一路くんたちはまだにらみ合っていて、玲二くんは困った顔で私に振り返った。


「ごめん、いつき。今日は行けそうにない」

「うん、あの……」

「一路、いつきを送っていって」


 俺の代わりに頼むよって言われてようやく、一路くんは頷いた。しぶしぶなのは隠せないみたい。

 最後にパーカーのお兄さんの胸をドン、と軽く突き飛ばしてから、一路くんは私の隣に立った。


「夜にまた電話するから」


 返事を待たずに玲二くんは身を翻して去っていく。

 残された私たちの間の空気はとにかく、気まずい。

 

「一路くん、大丈夫?」


 への字口がわずかに開く。目は鋭くて、心の中でどんな悪態をつかれているのか、不安になってしまう。


「いつきになにがわかるの」


 そう。私はまだわかっていない。

 二人の抱えている事情はわかったけど、どんな思いでいるのかはきっと理解し切れていないと思う。

 玲二くんの愛情は嬉しい。一路くんの思いはわかる。だけど本当の気持ちなんて、ただの人間である私には決してわかりはしないから。


 きっとすごく憤っているんだろうけど、一路くんは私と一緒に家まで帰ってくれた。

 なにもいわなかったけど、隣を歩いて、わざわざ送ってくれた。


「ねえ一路くん」

 

 玲二くんがどこへ連れていかれたのか知りたい。

 心配だよねって言いたいのに、すぐにぷいっと去っていってしまった。

 追いかけられないし、呼び止められない。私の声にはなんの力もない。



 部屋に戻って、今日配布されたプリントを机の上に並べた。

 進路調査の紙はペラペラなのに、やたらと重たい。

 

 私は、玲二くんのいない未来について真剣に考えなきゃいけないんだろうな。

 どこか別の町へ、誰にも見つからない場所へ行くなら、第一志望の欄に「駆け落ち」って書かなきゃいけない。そんな馬鹿正直な真似はしないけど、でも、嘘でもどこかの学校の名前を書いたら、そこを受けなきゃいけないよね。願書とか、受験とか、入学金とか、お金だってかかるのに。私はお父さんやお母さん、先生に励まされたり、応援してもらっておいて、玲二くんについていきますってなにもかも捨てて飛び出してしまうのかな。こんな可能性も、ゼロじゃないんだよね……。


 こんなに唐突に消える道を選ばなかったとしても、私はいつか、家族や友人と繋がる糸を自分から切らなきゃいけない。

 最善の道を探しているんだから、玲二くんを待つべきなんだけど。

 でも今すぐにどうこうできないからあんな話をされたんだろうし。

 信じたいけど。

 でも、難しい。時間は止まらないから、私は普通の高校二年生としてやるべきことをこなしていかなきゃいけない。

 まさか、家族に「愛する人が人間じゃないから、私もあっちの世界に行くの」なんて言えないよね。お兄ちゃんには鼻で笑われるか、病院に行ってこいって言われちゃうだろうな。


 玲二くんのお母さんが私を呼び出した理由はこういうことだ。

 私の未来について考えてくれているからこそ、あそこまで話してくれたんだと思う。


「いつきー、ちょっと手伝ってー」


 お母さんに呼ばれて台所に向かい、夕飯の手伝いをする。

 うちは男の兄弟が多いから、たくさん作らなきゃいけない。

 お母さんひとりじゃ大変なんだよね。

 野菜の皮をむいたり、小さく刻んだり、鍋を火にかけたり、コトコト煮込んだり。

 私にとっての家族って、こういう感じ。お父さんとお母さんがいて、お兄ちゃんが二人いて、弟もいて。

 近所には仲良くしている友達が何人もいて、学校へ行けば部活の仲間がいる。

 一人ぼっちになることなんてなかった。

 そんな私が、玲二くんと二人きりで、それ以外はなにもない暮らしを、していけるのかな。


「どうかしたの、いつき」

「ん?」


 お母さんは私の隣でじゃがいもの皮をむいている。

 私の担当はにんじん。ベージュとオレンジの皮が、お互いの前に小さな山を作っている。


「どうしてそんな顔してるの」


 悲愴感でも出てたかな。確かに、野菜の皮むき中には出てこないものだよね。たまねぎだったらごまかせたのかもしれないけど。


「なんでもないよ」

「そう?」


 どうにもならないと決まったわけじゃない。

 一応考えておかなきゃいけないから、少しシミュレートしてるだけなんだけど。

 不安って、種さえあれば勝手に大きくなってしまうものなのかな。

 去年は違う種類の不安を抱えてて、すごく辛かった。

 玲二くんに好きになってもらえないのかなって考えちゃって、嫌だった。

 それに今日、見てしまったから。

 あの黒いパーカーのお兄さんも一路くんも、眼差しがとてもとても鋭くて。

 あの時は考えないようにしていたけど、たぶん、私は怖かったんだと思う。


 ぼんやりしたままご飯を食べて、ぼけっとしたままテレビを眺めて、部屋へ戻った。

 机の上に置いた電話がランプを光らせている。


 慌ててつかんだけど、私にメッセージを送ってきたのは本城君だった。


 いつきちゃん、再来週の土曜日に誕生日パーティを開きます。

 ぜひ来てね!



 のんきなメッセージの後に、会場の案内が載っている。


 本城君が相手だったら、きっとなんにも悩まなくていいんだろう。

 気が利くし、社交的だし、センスもいいし。見た目だっていい、付き合ったらきっと大切にしてもらえると思う。


 そう考えてしまう自分がやたらと腹立たしくて、私は思わず電話をベッドに投げつけると、着替えをつかんでお風呂場へと走った。

 

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