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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
VOICE
68/85

裏工作 / 玲二

「ずいぶん素直に出て行ったけど」


 夕方になって、一路はうきうきした様子で家を出て行った。

 良太郎に誘われて外食をする。俺が頼んだんだけど。


「別に一路をどうこうするつもりはないんだ。ただ、ちょっとだけ二人と話したくて」

「そう」


 母さんはそう返事をすると、台所に戻っていった。

 父さんはクーラーが直接当たらない位置に座って、仕事の資料なのかな、ファイルを広げて読んでいる。


 リビングのいつもの自分の席に座って、再現された少し前までの日常の光景をしばらく眺めた。

 いつも一人の俺と、料理に打ち込む母さんと、微笑んだような顔で家族を見守る父さん。なんだか懐かしく感じる。今は、意見の合わない双子の兄貴と、鳥が三羽、もうすぐ生まれる卵がいる。


 静かな食卓を囲んだあと、三杯の食後のお茶が並んで、切り出した。


「最近やっとわかったんだ。三月に大きな変化があった後、どうしてあんなに荒っぽくなったのか」

「どうしてだったんだい?」

「一路が来て、それで、俺の中に残っていた狼の血が騒いだんだと思う」


 母さんはなんだか不満げに息を漏らしたけど、父さんは楽しそうに小さく笑っている。


「新しい誰かが入り込んだから、その影響だと勘違いしてた」

「それで? 今はなんともないの?」

「そうだね。ずっとどうしたらいいのかわからなくて、俺も随分悩んだし、迷ったんだけど。でも一番大事なものがなにかはっきりして、もう少しわがままになろうって決めたら、力も落ち着いたみたいなんだ」


 あの日で全部決まった。

 いつきのお兄さんに偶然会って、家に行った日。

 いつきが俺に会えた喜びで涙を流してくれたから。


「わがままになろうと決めたって、どういうことだい?」


 父さんの口元にほほえみが浮かんでいるのは、全部お見通しだからなんじゃないのかな。余裕のある眼差しに、汗がじわりと噴き出してきた。


「いろいろ考えすぎてたって思ったんだ。ちょっとくらい自分の幸せを優先してもいいんじゃないかって考えたら、心が落ち着いた」

「そうか」


 父さんがにっこり笑って見つめた先はなぜか母さんだった。

 母さんは目を閉じて、ふうと息を吐いている。


「そんな話はいいんだ。とにかく落ち着いたから、これからのことをちゃんと考えなくちゃいけないと思って」

「そういっても、まだ二年生だろう。学びたいことがあるなら大学にも行くだろうし、二人の将来を決めるには少し早くないか」

「違うって、そういう話じゃなくて」


 遠屋からはここから去るように言い渡されている。しかも期限付きで。

 俺は少しだけ考え方を変えたけど、狼の仲間たちの住む森に行く気はやっぱりなくて。

 できれば人間になりたいし、それについてはあきらめてはいない。

 いつきと生きていきたいと願っているけど、受け入れてもらえるかどうかはわからない。


「父さんと母さんがここで暮らしていたのは俺のためだよね。まだ全部が解決してはいないけど、でも、ここにいる理由はもう二人にはないと思うんだ」


 俺の問題が片付いたらどうするつもりだったのか。

 問いかけると、父さんは首をかしげた。


「全然考えていなかったな」

「そうなの?」

「そうだよ。玲二はちゃんと大人になって、自分なりの幸せのために生きていくと思っていたからね」


 母さんは違うんだろうな。表情が冴えない。


「だからここを去るとか、家族が離れるのはもっと先の話だと思っていたんだ。私はどこに行こうとかまわない。最後までテレーゼと一緒ならね」


 呆れる俺に気が付いて、もちろん玲二と一路も一緒に暮らせるのが一番いいんだよ、ととってつけたような発言が続いた。

 母さんはまだ、なにも言わない。

 

「言われた期限までは一年半くらいか。玲二はどうしたいと思ってる?」

「遠屋がどうしてそこまで俺を追い出したいのか知りたい」


 理由がわかれば、ここに残れるかもしれないから。

 一路がなにか知っているんじゃないかと言われたから、協力してもらいたいことも話す。


「一路はずいぶん頑なになっているようだね」

「俺が悪いんだ。迂闊に話したから」

「考え方が違うだけさ。誰も悪くなんかないよ」


 俺と一路の育ってきた世界は違うから仕方ない。

 父さんはゆっくりと話して、いつもどおりの優しい笑みを絶やさない。


「二人の境遇は少し似ていたけどね。さすがに環境が違いすぎたな」

「似てたって?」

「本当に悪かったと思ってるんだ。二人とも孤独にさせてしまったからね」


 一路の周りにはうんと年上の狼しかいなくて。

 俺の周りには、寄ってくるともだちはいなかった。

 

 子供なら当たり前の、同年代のだれかとの関わりが薄かった。

 その点だけは同じで、父さんも母さんも悪かったと思っているらしい。


「俺たちを守りたかったからそうしただけでしょう」

「そうだよ。だけどもっといいやり方もあったんじゃないかって、やっぱり考えてしまうんだ」


 時間は巻き戻せない。

 いいやり方がわかったとしても、それは後から、全然違う角度から見る余裕ができたからってだけの話だ。


 俺も、一路も、無事に生きているし、ちゃんと出会えたし、今はちょっとすれ違っているけど、完全な決裂には至っていない。


 俺は一路を知らずに生きてきてしまったから。

 だから、一路がどれだけ寂しくて、兄弟に会いたいと思っていたか、ちょっと想像できていない。

 その気持ちを知らされてから、もちろん悪いなって思うんだけど。

 でも今、一番大切な人は他にいる。

 一路とは、兄弟としてそこそこ仲良くやっていきたい。

 俺の気持ちがそこまでしかいかないんだって、わかってもらいたい。

 同性の兄弟なんて、仲が良いに越したことはないけど、それでも十六にもなって一緒に寝たり、風呂にはいったりするもんじゃないんだっていう俺の常識を理解してもらいたい。

 それから、好きになってしまった相手のために、長く長く続く命を捨てて、歩幅を合わせて歩いていきたいと思ってしまうのも、許してもらいたいんだ。


 今自分が抱えているこの願いが、わがまますぎるのか、それとも理解できる範疇のものなのか知りたい。

 両親に受け止めてもらえるものか、ハッキリさせたかった。


 人間になりたいと思っているけれど、方法はさっぱりわからない。可能かどうかすらわからない。

 もしなれなかったら、また父さんと母さんに守ってもらわなきゃいけなくなるはずで。

 そうなった場合、手のひらを返した俺を、一路が許してくれるのかもわからなくて。

 いつきとどうなるのかも、さっぱりわからないんだけど。

 それでももう少し足掻いて、道を探したい。


 

 うまくいった場合と、いかなかった場合。

 どっちにしても自分ひとりの問題じゃないし、ハッキリさせなきゃと思っていた。

 だけど、この話をするのはちょっとばかり恥ずかしい。

 なんといっても、いつきとの関係について話さなきゃいけないんだから。


 体がカッカして熱いけど、それでもなんとか、俺が今日伝えたいすべてについて、二人に向けて話した。


「いつきちゃんは玲二のこと、全部知ってるのかい」

「まだ話してない。話そうとしたんだけど、邪魔が入っちゃって」


 伝えないままでいれば、不審に思われてしまいそうだ。


「だけどそれでも、ずっと一緒にいてくれると思う」


 これが俺の勘違いだったらどうしようかという不安を、思いっきり蹴飛ばしてやった。

 心の隅の、影がかかっている見えないところへ追いやらなければ、これ以上前に進めない。


「そうか。わかったよ、玲二」

「母さんはどう思ってるの」


 いまだになにも言わない母さんに目を向けると、けだるそうにため息をついて、しぶしぶといった様子で答えてくれた。


「今の時点でそんな風に考えるのは早いと思うけど」

「そうかな」

「そうよ。まだ十六でしょう、玲二もあの子も。早いわよ。高校だってあと一年半残っていて、大学だの就職だの、出会いは途切れないわ」


 やっぱりいやになったなんて展開は困る、と母さんは言う。

 ものすごく真っ当で慎重な意見に、思わず笑ってしまった。


「どうして笑うの、玲二」

「ごめん。父さんと母さんの意見が、なんだか逆なんじゃないかなって思って」


 ごく普通の人間の父さんの方が楽観的で、狼人間の母さんの方が将来の心配をしているなんて。なんだか変な気がした。


「いつの間にか人間社会の流儀がちゃんと身についたんだわ」


 母さんは天を仰ぐようにして長い髪を揺らすと、最後に俺にこう言ってくれた。


「一路もああ見えてかなりの影響を受けているわ。だから、いつかちゃんと、納得してくれるはず。玲二の考えや思いや選択について、理解してくれる日が必ず来るから」

「そうだね。俺もそう思う」


 二人は俺に協力してくれる。

 本当なら、そう確認できただけでよしとしなきゃいけないところだ。

 

「ありがとう、父さん、母さん」


 二人の手を取って、息を吐きだし、集中する。


「今日から力を貸してもらう」


 だけど、それだけじゃダメなんだ。人じゃない者は心で伝え合うものだから。心を見せ合って、言葉の外で意思の疎通をしてしまう。


 たくさんの影がうごめく今の状況ではこうするしかない。

 信用していないわけじゃない。

 ただ、無駄に傷つけたくはない。

 二人の手を強く握って、目を閉じて心を静めた。


 これで全部、うまくいくはずだ。

 一路にはできなかったけど、やっぱり母さんは俺に同情的だから。だから、大丈夫だった。




 話し合いが終わって二階へと急いだ。

 一路は鋭いから、半端な真似をしたらきっと気が付いてしまうだろう。


「リア、どうかな」


 小鳥たちの部屋では、ライとリアが寄り添って卵を温めているところだった。

 ライはずいぶん大きいけど、小さなリアの生んだ卵は小さい。

 小さな小さな雛は一体どのくらい成長をするんだろう。


『大丈夫だと思うわ、玲二』

「今はいないの?」

『ええ。誰かに頼まれたとかで、出かけているの』


 誰になにを頼まれるんだ、ハールが。

 この辺に知り合いはいなさそうに思うけど。

 白と黄色の小鳥は行き先を知っているだろうに、なにも言わない。

 だったらきっと、俺はまだ知らなくていい話なんだろう。


『すぐに戻るわ。だけど一路もそろそろ帰ってくるわよね』

「一路はもう戻ってきそう?」

『すぐそばまでは来ていないぜ』


 なんにしたって、ハールがいなきゃ意味がない。

 仕方ない、また次の機会にするべきかな。できれば早い方がよかったけど、仕方がない。


「卵はどう。まだ孵らないの?」

『どうかしら。なんだか前よりも暖かく感じるけれど』


 どんな鳥が生まれてくるかわからないから、とリアは笑う。

 確かに。どんな能力の雛が飛び出してくるのか、俺も楽しみだ。


『なあ玲二、雛の名前を考えてもらえないか?』

「俺が?」

『ああ。俺たちが出会ったのは、玲二のお陰だ。こんなご時世で相手に出会えるなんて奇跡的だからな。だから俺は、玲二にとても感謝している』


 ライとリアは一斉にピヨピヨ鳴いて、俺の前でちょこちょこと踊るように羽根をパタパタやっている。

 人間の姿になるととたんにもっさりするんだけど。ライは小鳥の時はとにかく可愛らしい。


「わかった。考えておくよ」

『ありがとう』



 自分の部屋へ戻るとすぐに一路は帰ってきて、やっぱりライの話はそこまであてにできそうにないかな、なんて考えてしまった。

 すっかり汗だくになっていたけど、一路は上機嫌だ。


「おかえり」


 ただいまの声は、機嫌が良さそうだと思った。

 一路を完全に味方につけるのは無理そうだけど、どうやら怒りの中和には成功しているらしい。


「つけ麺と冷やし中華、どっちを食べるかすごく迷った」

「どっちにしたの?」

「良太郎が冷やし中華にするっていうから、僕はつけ麺にしたんだ」


 たぶんわけてもらったんだろう。

 それにしても、食生活の変化が大きすぎないか少し心配になってきたかもしれない。


「ラーメンばっかりじゃ体を壊すんじゃないかな」

「森に帰ったら食べられない」

「そうか」

「これだけは本当に残念。ごはんの時間だけこっちに来られたらいいのに」


 上機嫌のまま風呂場に向かって、さっぱりしてから出てきて、Tシャツにパンツ姿で水をぐいっと飲み干して。


 一路は自分の部屋に戻っていったけど、しばらくすると口をへの字にして、ノックもしないで俺の部屋に乱入してきた。


「玲二、今日はいつきと会ったの?」


 やっぱり駄目か。永遠に持続するとは思っていなかったけど、もう少しもってくれたら良かったのに。


「会ってないよ。親戚の家に集まらなきゃいけないんだって」

「ふうん」


 一路はいつきに会いにいって、怒って帰ってきた。

 なにもしなかったけど、なにかあったら困ってしまう。

 一路の考えはなんとなく、リアやライから伝え聞いているけど、なんといっても鳥だから。考え方が少し違っているせいで、細かい部分まではわからない。


 今日からは母さんが味方になる。

 あとはハールに協力してもらえば、一路の動きはわかる。


 ついでに、遠屋がなにを話したのかわかればもっといい。

 人間になる方法を知りたいのに、邪魔が入りすぎる。

 いつきともちゃんと話したい。

 俺の事情を全部わかった上で、どうするか決めてほしい。



 こんな極端な二択を強いるなんて、もうしわけないんだけど。


「玲二」


 一路が顔を覗き込んでいる。


「ごめん、ぼーっとしてた」

「人間になりたいってまだ考えてる?」


 俯かせた顔から、上目で、少しふてくされたような口調だった。

 一路を刺激したくはないけど、でも、もうあきらめたなんて言っても信じないだろう。


「なりたいとは思ってるよ」


 眉間に力が入って、白い肌にしわが寄る。

 夏に入って少し焼けたのか、肌は赤くなっているように見える。


 本当はわかってもらいたい。

 心を決めたんなら仕方ないと言ってほしい。

 一路を騙したくはないんだ。俺のためにずっと遠いところで我慢してきてくれたんだから。俺が命を失った時に、飛んできて、助けてくれたんだから。


 人生最悪の時間を思い出してから、ずっと気になっていた。

 あの時あの場にいた連中はもう、俺と同じで命を絶たれたに違いない。

 

 それについて、父さんと母さんが知っているのかはわからない。

 だけどきっと、遠屋はわかっているんだと思う。だから必要以上に敵視されるんだろう。


 初めて出てきた外の世界で、一番最初に体験したのがそんなことだなんて。

 俺と同じように、平和で平凡な学生生活でよかったはずなのに。

 だけど、一路は言わない。俺に聞かせないようにしてくれている。

 今こうして、わかりあえないでいる間ですら、自分の手についた汚れを切り札にしないままだ。


「あきらめたらいい。そんな方法はないんだから」

 

 俺に見せるやさしさと、狼らしい容赦のなさ。

 どちらもあわせもった一路に、どうしたらいいのか本当はまだ揺れている。


 操りたくなんかない。一路は俺が憎くて邪魔しているわけじゃないんだし。

 だけど、やっぱりいつきが大事だ。彼女がいなかったらもう、生きるのをあきらめていただろうから。


 ごめん、兄さん。


「そうかもな。百井の行方もわからないし」


 消えてしまったのか、遠屋に閉じ込められているのか、それとも俺に協力する気がなくなったのか。

 それならそれでいいのかもしれない。人の不幸を糧に生きるなんてと思ったけど、あいつも好きでそんな存在になったんじゃないんだろう。


 人生はなかなかうまくいかない。

 生まれも育ちも、自分じゃ選べない。

 

 人でなしにとっての幸せって、一体なんなんだろうな。

 

「玲二」


 信じなかったかな、もしかして。


「なに?」

「今日は自分の部屋で寝るから、クーラーが途中で切れないようにして」

「電源入れれば、つけっぱなしになるよ」

「本当? いつも途中で暑くて起きる」


 それは俺の部屋に入り浸るからだと思うけどな。


 疑う一路にタイマーの表示が出ていないことを何度も説明して、すっかり冷えた兄の部屋を出る。


『玲二、おじいさまに話した。明日の夜まで考えさせてほしいって』


 やっぱりハールまで取り込むのは無理なのかな。

 鳥たちがみんな俺の味方になってくれたらもっと動きやすくなるのに。


 ああでも、全員を「見えなくし過ぎ」ないようにしなきゃいけないのか。

 力の使い方はわかっても、コントロールは難しい。もしかしたらここで止めておいた方が、失敗しなくていいのかもしれない。

 

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