表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
ミュージック・アワー
6/85

恋する凡人 / いつき

 ドキドキしながら、改札の前に立つ。

 メールの返事は来なかった。


 困らせちゃったんだろうなと思う。

 

 でも、好きだって確信しちゃったし。

 すぐにどうこうっていうんじゃなくて、ゆっくりゆっくり近づけたらいいなと思ってついあんなことを書いてしまったけどやっぱり、唐突過ぎだった。もうちょっと我慢した方が良かったんだろうけど、でも、いまさら取り消せないし。


 いつもの電車がもう来る時間なのに、玲二くんの姿は見えない。

 もっと早いのに乗っていっちゃったのかな。

 それとも、今日は具合が悪いとか?

 

 商店街を駆け抜けて、何人もの人が通り過ぎて行った。

 後ろからは、電車のブレーキ音が聞こえてくる。

 あと二本行っちゃっても、学校には間に合うけど。


 でも、私と一緒に行きたくないなら、姿を見せないかもしれない?

 どうしよう。もう行った方がいいのかな?


 ひとりでぼやっと立ち尽くしていると、道の向こうに細長い影が見えた。

 半袖の白いシャツに、グレーのパンツ、頭は薄い茶色。

 

 悩んだけど、ちょっとだけ手を振ってみたりして。

 すると玲二くんも控え目に、手を挙げてくれた。


 次にやって来た電車に乗り込んで、二人で並んでいる。それだけで、私としてはかなり幸せな状況だと思った。一緒が「嫌じゃない」ってことだから。

 でも、二駅目までは無言。

 私もなんて言ったらいいのかわからなくて、ただただ、玲二くんの顔を時々見るくらいしかできない。


 駅員さんの吹く笛の音が響いて、扉がしまる。電車が動き出して、よろけて、玲二くんに思いっきり突っ込んでしまった。

「あの、ごめん、玲二くん」

 慌てて体を立て直すと、玲二くんは真っ赤な顔で、小さくこう返してくれた。

「俺こそごめん、……メール返さなくって」


 肌が白いから、耳まで赤くなっているのがよくわかった。


「ううん、私がいきなりあんなこと書いたから」

「いや、確かに困ったんだけど、あの……」


 目を思いきり窓の向こうに向けてそらして、私を見ないようにしている。

 やっぱりだめなのかなと不安になったけど、しばらくの沈黙のあと、玲二くんはこう続けた。


「ありがとう」


 メールは嬉しかった、と言ったように聞こえた。小さい声だったから、確信はない。ひょっとしたら私の願望がそう聞こえさせただけなのかもしれない。


 でも、ありがとう、は確実。

 ありがとうだって。

 

 結局駅に着くまで、玲二くんは私から目を逸らしたままだった。

 希望をもっていいのか、それともやっぱりダメなのか?

 隣よりも少しだけ後ろに下がって歩いているうちに、はっと気が付いた。


 これまでも、とにかくこう、目を合わせてくれなかったんだけど。

 ひょっとしたら照れてるだけなのかな?

 これまでのあれこれ、言動は全部、肯定だったと思う。

 家まで送るとか、傘を貸そうかとか、全部玲二くんからの提案だった。


「あの、立花くん」

 玲二くんはゆっくり、顔を向けてくれる。

 やっぱり赤い。いつもはきりりとした眉毛を、困った形に歪めている。

「お願いがあるんだけど、聞いてもらってもいい?」


 玲二くんが足を止めたので、私も一緒になってその場に留まった。

 さんさんと降り注ぐ日差しがまぶしい。

 玲二くんの薄い茶色の細い髪が光で縁どられて、それがすごく綺麗で、幸せな気分が胸の中で膨らんでいく。

 しばらく悩んだような顔で黙った後、玲二くんは表情を真面目な形に整えて答えてくれた。


「なに?」

 

「玲二くんって呼んでいいですか?」

「それは……」


 あ、また顔を逸らした。

 せっかく白に戻った耳が、また真っ赤になっていく。

 やっぱり照れてるのかな。だとしたら、ちょっとかわいいかも。

 いつもは物静かであんなにかっこいいのに。


「それは、いいよ」

「本当?」

「ともだちなら、好きな呼び名で呼ぶもんだろうから」


 ともだち、か。

 一気にカップルまでひとっとび、というのはやっぱり、そうだよね、無理だよね。


「葉山も玲二って呼ぶし」

「私も園田ちゃんって呼ばれてるよ」


 焦らずいかなきゃ。まずはちょっとくらい、私について知ってもらわないと。

 私はずっとこっそり見てきたけど、玲二くんは私に興味なんかなかっただろうし。


「良かった。いきなり下の名前は駄目かなあって思って立花くんって言ってたんだけど、心の中ではずっと玲二くんって呼んでたから」

「そう……」

 

 なんだかこっそり今、ため息をついたような。


「私のことも、いつきって呼んでくれたら嬉しいんだけど……」

「え? いや、それは、まだ……無理」

「そっか。残念」


 「まだ」だって!


 考え方を変えたらいいんだ。

 簡単に呼び捨てにしてきて、いいぜ付き合おうぜ、からの誰もいない体育倉庫に連れ込みなんて絶対にしない、誠実な人なんだって。



 視線は合わせてもらえないものの、ずっと隣を歩いて学校まで来られた。

「今日も図書室に行くの?」

「いや、今は貸出してないから」

 じゃあ、今日は一緒に教室まで行ける。


 なんの会話もないんだけど、隣を歩いていられるだけで嬉しい。

 階段をのぼる玲二くんの後姿を見ていられるのが嬉しい。

 足が長いなあって、考えられるのが嬉しい。


「おはよー、玲二。お、園田ちゃんも一緒なの?」

「おはよう葉山君。今日は一諸だよ」


 どう受け取ったのか、葉山君はにこにこと、微笑ましいものでも見ているような穏やかな笑顔を浮かべている。

 

 

 試験前の授業を一生懸命聞かなきゃいけないのに、私は三時間目の終わりごろにはっと気が付いてしまった。

 思い切って告白して、ちょっと近づいたのはいいけど、ここからどうしたらいいんだろう。


 もうすぐ一学期が終わって、夏休みになってしまう。

 そうしたら、一緒に登下校はできないわけで。


「ばかじゃないの、いつき」


 昼休みに慌てて飛び込んだ一組の教室で、友香はおもいっきりため息をついて私をこう罵った。

「デートしろって言ったでしょ。プールに誘いなよ、ビキニ用意して!」

「水着なんて恥ずかしいよ」


 そもそも、玲二くんはアウトドアって感じじゃないし。

 私がぶつぶつ言い訳すると、友香はまた激しく息を吐き出してみせた。


「冗談に決まってるじゃんか。どこだっていいからとにかく、デートだよ。デートの約束取り付けなよ」

 せっかくの夏休みなんだからね。

 友香は荒々しくお弁当の包みを開けて、卵焼きに箸をぶすっとさしている。

「でも、付き合ってもいないのにデートなんて」

「じゃあ、おともだち同士って名目で行けばいいじゃん」


 なるほど。デートは恋人同士じゃなくても可能なんだ。


 どこがいいかな。玲二くん、どこが好きかな。

 図書館とか? でも、あんまり盛り上がらないかもしれない。あんまり興味のない私がずっと玲二くんについてウロウロ歩いているっていうのも、邪魔そうだし。


「その前にさ、いつき」

「なあに?」

「苦手なところ教えてって、一緒に試験対策したらいいんじゃない?」


 ひょっとして友香って天才?

 玲二くん、成績いいんだもんね。バイリンガルらしいって噂も聞いたことがある。

「それ、すごくいいアイディアだね」

「普通でしょ」


 せっかく褒めたのに、友香はやれやれと大袈裟に肩をすくめている。

 そして次の発言で、友香が天才なんじゃなくて、私がだいぶ平均以下なんだって思い知らされてしまった。

 

「すごく恥ずかしがり屋みたいじゃん、立花君は。プールとか海とかだと引くかもしれないけど、勉強だっていえば考えてくれるんじゃない?」

「恥ずかしがり屋なのかな、やっぱり」

「どう見たってそうでしょ? あんなにわかりやすい人初めてかも」

 

 こっちは今日ようやくその可能性に気付いたくらいなのに。

 もしかして私、鈍いのかな。


 いや、私は玲二くんが好きだから、「もしかしたら迷惑なのかも」って考えすぎていたのかもしれない。


 

「ねえ、玲二くん」


 お弁当を終えて教室へ戻ると、玲二くんは自分の席で本を読んでいた。

「なに?」

「あのね、試験勉強一緒に出来たらいいなって思うんだけど……」


 言い出してから、どこでやったらいいのかちっとも考えていなかった自分に気付く。

 私の家だと、兄が二人に弟が一人。いつ帰ってくるかわからないゲリラ集団がいて落ち着かない。

 そもそもどちらかの家っていうのが、なんというか、急な気がする。

 昔からの馴染の仲でも、付き合っているわけでもない男女が集まるのにちょうどいい場所って、どこなんだろう?


「ああ」

 玲二くんは読んでいた本をぱたんと閉じて、また頬を赤く染めて視線を逸らしてしまった。

「なに? 一緒にお勉強会しちゃうの? いいね、玲二って。こんな美少女と二人きりでお勉強だなんてさ」

 後ろから葉山君が容赦なく突っ込んできて、玲二くんはますます赤く染まっている。

「いや、二人きりでなんて……」

「園田ちゃんやるじゃない。先週ともだちになったばっかりなのに、もう正妻の座を手に入れたの」

「そんなんじゃないよ。ね、玲二くん」

「そうなの? 昨日から心変わりしたのかと思ったのに」

「違う」

 

 あ、玲二くんがそっけない。

 これは心証を悪くしてしまったパターンだったりして?

 どうしよう。このままのムードで試験期間を過ぎちゃったら、夏休みの間完全になんにもないまま終わってしまいそう。


「じゃあさ、俺も入れてよ。試験勉強一緒にさせて。園田ちゃんは誰か可愛い女の子をもう一人連れて来て」

「えっ?」

「家はじいさんが書道教室やってたんだけど、三月で閉めちゃったんだ。教室に使ってた広い和室が空いてるし、俺の家はすぐそこだし、会場にはうってつけだと思うんだよね」

「いいの? 葉山君」

「女子をもう一人連れてきてくれたらね!」


 友香に話したら協力してくれるかな。


「それは嬉しいな。玲二くん、わからないところ教えて」

「俺も! この間みたいに玲二君に教えてもらいたい!」


 二人でやんやん騒いだ効果があったのか、玲二くんは小さな声で「わかった」と答えてくれた。やった、試験勉強、一緒に出来る! っていうか葉山君、この間みたいにってなに? そんなに仲が良かったの? 抜け駆けするなんてちょっとズルいよ。


「頼むから騒がないでくれ」

「シャイだな、玲二は」


 いやいや、嫉妬してどうするの、私。

 葉山君って、もしかして天使なのかもしれない。優しそうな顔を心の中で拝みながら、私はそっと机の下で友香あてのメッセージをぽちぽちと打ち込んだ。



「もう今日からいいよ」

 放課後、チャイムが鳴るなりエンジェル葉山は笑顔でこう言ってくれた。

「いや、さすがに今日っていうのは」

「でも試験まであんまりもう時間ないし。早い方がいいと思うけど、どうかな、園田ちゃんの都合は」


 私は全然、なんの問題もない。

 さすがに授業中に友香の返事はないし、心が浮かれすぎてなんだか恥ずかしかったので、ここはちょっと落ち着く時間が必要だと思う。


「あのね、一組に友達がいるの。中学の時から一緒の親友がね」

「かわいい子?」

「うん、友香は可愛いよ。行けるかどうか聞いて来るね」


 急展開だなあー。

 うっかりメールで告白しちゃってからの、この流れ。

 これなら、次に会った時に千早からわあわあ言われる心配はないよね。

 っていうか、葉山君が偉大すぎて、お礼を用意しなきゃいけない。

 調子のいい人だなあくらいにしか思ってなくて本当に申し訳ない。

 深刻な恋愛相談をしたわけでもないのに、あんなに協力的で。

 

 お似合いだって言われちゃったんだっけ。


「園田さん」


 かなり上機嫌で、多分だらしなく笑いながら廊下を歩いていた私の前に、突然誰かが立ちふさがった。

 それで、一気に現実に戻ったような気分。


「はい、えっと……」


 同じクラスの男の子。知ってる。あいうえお順でかなり早い、多分一番最初の人。だから、「あ」とか「い」から始まる苗字じゃないかな、と思うけど。


「相原です。相原宗人。同じクラスの」

「ごめんなさい、名前がぱっと出て来なくて」

「いいんです、僕は地味だし、覚えてなくても仕方がない」


 しまった、自虐的なコメントを言わせてしまった。

 でも、相原君とは接点がない。教室に入るときに、前のドアから入ればそこに座っていたような、くらいでしかない。


「葉山の家での勉強会、僕も参加させてほしいんだけど」

「えっ?」


 さっきまとまったばかりの話を、どうして知ってるのかな。

 葉山君と仲がいいとか?


 でも、それなら葉山君に言うよね。

 どうして私に、しかもこんなヘラヘラしながら歩いているところに言いに来たんだろう?


「ええと、急に寄らせてもらうことになったし、葉山君に確認しないと」


 ごく普通の返事を選んだと思う。

 でも、相原君はずいずいっと顔を近づけてきて、こう言った。


「園田さんから頼んでもらいたいんだ。仲間に入れて欲しいって」


 答えに詰まってしまう。


 どうして参加したいんだろう?

 玲二くんとは接点がなさそうだし。

 葉山君には言えない理由があるのかな?


「いつきー、よくやったー!」


 がやがやと大勢が行き過ぎていく廊下で、上から声がする。

 のっぽの友香ならではの現象。声が空から降ってくるような、この感じ。


「友香」

 ほっとして振り返って、親友を出迎える。

「どうしたの、この急展開は。この、このぉ!」


 ほっぺを両手で挟まれて、もみくちゃにされてしまう。

 相原君、この間に行ってくれないかなと思っていたんだけど。後ろからはまだ妙な気配がしている。


「いつからなの、そのお勉強会とやらは」

「一緒に来てくれる?」

「当たり前だよー。可愛いいつきのためだもん」

「今日からですよ」


 日時について返事をしたのは相原君で、友香は突然の声にきょとんとして目を丸くしている。

「あなたが葉山君、だっけ?」


 友香は思いっきり首を傾げて、眉間にしわを寄せている。

「僕は相原宗人といいます」

「誰?」


 そんなの、私が聞きたいくらい。

 目で訴えてみたところ、さすが親友。わかってくれた。

 一転、ああ、ああ、なんて作り笑顔で大袈裟に頷いて。


「そうなんだ、ありがと! じゃあいつき、行こうよ。待ってるんでしょ、葉山君とやらが!」


 私の手を引っ張って、ダッシュで教室へ。



 突然引っ張られて戻ってきた私を、葉山君も玲二くんも訝しげな顔で見ている。


「どうしたどうした、園田ちゃん」

「なんか変なヤツいるから、詳しくは門の外で!」


 鞄は私が持っていくから、いいからいつきは行きなさい。

 友香はうらやましいことに玲二くんの手を引っ張って、私と一緒に教室の外へ放り出した。


 一応見回してみたけれど、相原君の姿はない。


「玲二、お前の分は俺にまかせろ!」


 友香と葉山君に急かされて、二人で廊下を走ってしまった。

 ああ、夢に見ていたやつだ。

 

 玲二くんは腑に落ちない、って顔をしている。

 なんにも説明してないから、当たり前だ。 


 でも、そんな顔をしながら、一緒に走ってくれている。



「変なやつって?」


 門から出て少し歩いたところにある植え込みの陰に隠れて、玲二くんと二人きり。顔の筋肉がゆるゆるになりそうなのを必死にこらえながら答えていく。

「相原君ってわかるかな? クラスにいるんだけど」

「ああ」

「勉強会に招いてほしいっていきなり言われちゃって」


 玲二くんの整った顔が歪んでいく。

 そんな顔もかなりかっこよく見えて、ほんの少し得した気分かも。


 友香たちを待っていると、門の向こうから聞き覚えのある声が響いてきた。

「駄目だよ」

「どうしてだ」

「お前が来たら、三対二になるだろう。お前も女子をエスコートして来い。話はそれからだ!」


 容赦のない葉山君にシッシとされて、相原君は恨めしそうな顔で去っていく。

「言っとくが、美少女じゃないとダメだからな!」


 こう注意すると、葉山君はぱっといつもの明るい表情に戻った。バイバーイ、と叫んで、大袈裟なくらい手を振っている。


 相原君の後ろ姿が見えなくなってようやく、葉山君と友香は私たちのところへやって来てくれた。


「いやあ、あいつはものの道理ってやつを全然わかってないね」


 私にはなにがどうなっているかよくわからなかったけれど、葉山君の物言いがなんだかおかしくて、つい笑ってしまう。

 おかしいね、と玲二くんに話しかけると、白い肌が真っ赤に染まって、素敵な顔はぷいっと横を向いてしまった。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ