表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/85

まぼろし / いつき

 本当に、自分で自分が信じられない。

 夕方、葉介に呼ばれて玄関まで行って、あれ、一路くん髪の毛染めたのかな? って考えていた。


 そんなわけない。一路くんが私に会いに来るって、かなり特殊な状況だろうから。

 やって来たのは玲二くんで、今日は約束していたのにすっかり忘れてて、電話を確認したらものすごい数の着信があって、メールも何通も来てて。


 電話の音、聞こえてたはずだよね。

 どういう現象なんだろう。

 お弁当作るねって、確かに言ったのに。楽しみにしてたのに。


 わけがわかんなくなってしどろもどろになった私の頭を、玲二くんは優しくぽんぽんと叩いて、大丈夫だよって言ってくれた。

 なにやってんだろ、私。申し訳なさすぎてなんて言ったらいいのかわかんない。


 玲二くんが帰ったあと、何回かメールを送ってみた。

 返事はちゃんとあって、大丈夫、気にしてないよ、とか。俺も春休みすっぽかしちゃったから、これでおあいこだねとか。やさしさ爆発で本当に辛い。





「本当にごめんね、玲二くん」


 次の日の朝も平謝りから始まった。

 すっぽかしちゃったのはともかく、会った瞬間、玲二くんだってわからなかったのが本当に痛い。心が痛い。隣を歩いていて、痛い。


「いいんだよ、いつきのせいじゃないんだから」


 いやいや、私のせいだよ。


 教室に着いてからも、ため息を連発してしまった。

 ふう、とか。はあ、とか。

 それで憂鬱な気分が晴れるかと言ったら、NO。むしろますます落ち込んでいく気がして、青い空もなんだか暗く見えてくる。


「園田ちゃん、おはよ」

「あ、おはよう葉山君」

「どうだった、デートは」


 いつも通りのニコニコのむこうで、一路くんも笑っている。

 私も二人を見て笑ったけど、質問の意味がなぜだか全然わからない。


「デートって」

「玲二と約束してたんでしょ」


 体育祭の日はよく晴れていたから、葉山君がいつもより黒い。

 一路くんも少し、赤くなってるかな。

 私の頭に浮かんでくるのはそういう、目から直接入ったどうでもいい情報ばっかりで、言葉が全然消化できなくて、頭が混乱していた。


「えっと……」


 理解できるはずの会話だっていうのは、わかる。

 なのに、奥までやってこない。葉山君のセリフは空の上にふわふわ浮かんでいて、私の心に全然届いてこなかった。


「どうしたの、園田ちゃん」

「良太郎、デートはできなかった。いつきが来れなくて」

「え、そうなの」


 デートってなんだっけ。

 葉山君、誰と約束って言った?

 そこだけ言葉がマジックで塗りつぶされてしまったみたいに、ぽっかり穴が開いて、ちっともわからない。


「そりゃ玲二は残念だったろうなあ」


 葉山君は苦笑いを浮かべている。

 今、たしかに聞いた。葉山君ははっきり名前を言った。

 聞こえたはずなのに、もう抜け落ちてる。

 あれ? なんで? どうして?

 

 両手で顔を挟んで、ぎゅうっと潰した。

 そんな私を葉山君はぎょっとした顔で見ていたけど、見てくれなんか今はどうでもいい。なんでこんなに頭がぼけっとしているのか、考えなきゃ私、絶対にヤバい。


 モヤモヤしたまま授業に突入して、二時間目が終わりかけた頃。やっとわかった。玲二くんだよ。世界で一番大好きで、一緒のクラスになりたくて、ようやくなれて同じ委員に手を挙げてそこから必死になって距離を詰めてきた大好きな、それも、付き合ってってやっと言ってくれて散々キスしてきた玲二くんの名前を、なんで忘れちゃってるのか!



「玲二くん!」


 昼休みになって五組の教室に駆け込むと、玲二くんはびっくりした顔で私を出迎えてくれた。


「いつき、どうしたの」


 いつも通りの優しい声で迎えられて、なんだか泣き出しそうだった。


「なにかあった?」

「うん」


 でも、理由は言えない。玲二くんがわからなくなってるなんてわけのわかんない話、できない。別に忘れたってわけじゃないのに。ちゃんと好きなのに。こうして一緒に居たら、この笑顔が好きなんだってちゃんとあったかい気持ちが湧き出してきて幸せなのに。


「一緒に食べる?」


 よく使っている中庭のベンチで、二人で並んで座った。

 周りにはいっぱい人がいて、先輩だったり後輩だったり、男同士だったりカップルだったりして、体育祭が終わったあとっていう少しだらけた空気に満ちている。

 もうすぐ中間試験があるから、ちょっと憂鬱だよね。

 そんな会話があちこちでささやかれている中、私は言葉を探しすぎて、ひたすらに沈黙し続けていた。


 この意味不明な状況に、玲二くんはなにも言わなかった。

 文句も言わず、お弁当を食べて、たまに私をちらりと見ては、長い指で少しだけ、髪を撫でてくれるだけ。


 病気なのかな、私。だとしたら、何科に行ったらいいんだろう。

 特定の人だけ名前が浮かばなくなって、一時的にでも忘れちゃうなんて。これってやっぱり……、頭、だよね。


「具合でも悪い?」


 今、どんな顔になっちゃってるのかな。心配そうな玲二くんの顔、すごくかっこいいけど、でも今の状況じゃ全然喜べないよ。


「うん、ちょっと……」

「早退したら? ちょっとって感じの顔じゃない」


 早退しちゃったら、玲二くんと一緒に帰れない。

 今の状況であんまり長い時間離れているのは嫌だ。


「今日クラブ休むから、一緒に帰ってくれる?」

「いいよ、もちろん。でも無理しないで」

「無理じゃないよ。体の具合が悪いんじゃないの」


 ただ不安なだけ。

 心の不健康が体に及ぼす影響ってきっとすごく大きいとは思うけど。

 でも、不安の理由を解消するためには、一緒にいた方がいいだろうし。



 お昼休みが終わりかけて、続々と生徒が校舎の中に入っていく。

 私たちも一緒に立ち上がって、一緒に階段をあがって、廊下を進んだ。


「じゃあ、放課後ね」

「うん」


 わざわざ一組まで送らせてしまった。ほんの少しの距離なんだけど、このやさしさが今はすごく嬉しい。

 ここでじっくり余韻に浸って、心に玲二くんを満たしていけばいいのに。だけど生理現象がうわっと私の邪魔をして、慌てて廊下の端にあるお手洗いに向かった。


 もうすぐ授業が始まるし、急がなきゃいけない。

 そう思って駆けだして、ものすごくびっくり。


「園田ちゃん」


 玲二くんの叔父さんが立っている。女子トイレの前で。しかも私を「園田ちゃん」って。


「言付かったんだ」


 名前、なんだったっけ。思い出せないけど、それにしてもやっぱり素敵なおじさまだ。目鼻立ちがくっきりしていて、玲二くんも年を取ったらこんな風になるのかな。ちょっとワイルドすぎるかな?


「なんですか?」


 おじさんが差し出してきたのは小さな紙袋で、手のひらに乗るくらいのサイズ。

 ひらべったいものが入っているのかな。厚みはあまりない。


「これを持っていて欲しい。そうすれば、悩みが解決するかもしれん」

「悩みって?」

「今抱えている困りごとだ。俺からではない。一番適任だから頼まれた。ずっと肌身離さず持っていてくれ」


 一方的に言いたいことを言って、おじさんは風のように去って行ってしまった。

 どこから入って来たのかな。あの調子だと、学校の許可とか絶対取ってないよね。



 誰から頼まれたら玲二くんのおじさんが私に届け物をすることになるんだろう。

 意味がわかんないけど、玲二くんと一路くんのおじさんなんだよね。

 あれ、じゃあ、ひょっとして玲二くんのお母さんからとか? 


 え、どういうプレッシャー?

 いや、お父さんって可能性もある……かなあ。でもあのお父さんなら、いきなり学校にあのおじさんを寄越すなんて真似はしなさそう。ちゃんと事前に連絡くらいくれると思うんだけど。

 

 うーん、じゃあ、やっぱりお母さんなの?

 気になって気になって、午後もまったく授業に身が入らない。試験が近いのにマズイよね。そう考えても、気は散る一方。

 我慢できなくなって、机の下でそっと紙袋の中身を取り出してみた。


「なにこれ」


 思わず声が出てしまって、慌てて口を塞いだ。

 出てきたのは木でできた札みたいなもので、ものすごく古びていて、色褪せた墨でぼんやりとなにかが描かれている。

 人なのかな、真ん中に描かれているのは。その周りに、字のようなしるしのようななにかが、いくつか配置されている。


 背中がぞわぞわとしたけれど、そのあとはなぜか急に心が落ち着いたような気がした。

 見た目はおどろおどろしいけれど、神聖なもの、そう、お守りのように感じられる。


 あのおじさんのイメージとはかけ離れたアイテムなんだけど。

 つまり、玲二くんからもかけ離れている。和風なのかな。中国? わからないけど、とにかく東洋の香りが漂っている。


 この手のひら大の木札、どうやったら肌身離さず持っていられるだろう。

 紐を通せればいいんだけど、穴が開いてない。無理に開けようとしたら割れちゃいそうな古めかしさで。

 お財布にいれるにはちょっと大きい。

 今は制服のポケットに入れておけばいいけど、家に帰ったら忘れちゃいそうな気がする。




「いつき、どこに行くの?」


 放課後になるなり立ち上がった私の背中に、一路くんから声がかかった。


「ごめん、今日はちょっと具合がよくなくて」

「玲二と一緒に帰る?」

「うん」

「僕も一緒に帰りたい」


 一人で帰るのが嫌なのか、一人でクラブに参加するのが苦手なのか。それとも玲二くんと一緒がいいのか、どれなんだろう。

 わからないけど、でも、今は玲二くんと二人がいい。そんなわがままを言っていいのかな。


「あのね、一路くん。申し訳ないんだけど、今日は玲二くんと二人だけがいいんだ」


 一路くんの唇がぎゅうっと縮んで、子犬感が一段と増していく。


「いいじゃんか、たまには。じゃあラーメン食って帰ろうぜ、一路」

「ラーメン?」


 葉山君の出してくれた助け船の効果は絶大みたい。さすがだな、葉山君は。配慮もできるし、提案もこれ以上ないくらい的確で。


「いつき、お待たせ」

「おう、玲二。なんだかひさしぶりだな」


 また一緒に勉強しようって声をかけられて、玲二くんはにっこり笑った。

 それからラーメン屋に寄る話が出て、今度は申し訳なさそうにしている。


「一路、行くならお金持ってって。千円で足りる?」

「弟からお小遣いもらうって珍しいな」


 葉山君に笑われて、一路くんはちょっとだけ膨れた。

 私が思わずつられると、玲二くんも楽しそうににっこり笑って、それがすごく嬉しくって。


 

 玲二くんと二人で駅に向かった。

 黒い髪が短くなって、凛々しい顔立ちを際立たせている。

 背がまた高くなったのか、見つめていたい顔は少し遠くなったように思う。


 今日どうして一緒に帰りたいって言い出したのか、理由は言えないまま、ずっと無言で並んで歩いた。

 玲二くんも遠くばっかり見ていて、私に目を向けてくれない。何度もちらちらと様子を見ていたけど、目があうことは一度もなくて。


 一緒に帰りたいって言ったのは私なのに、なんにも話さないなんて変かな。

 それとも、二人にはもう言葉なんて必要ないのかな。

 並んで歩いているだけで、それだけでいいって、ことなのかな。


 ポジティブに考えようとしたけれど、それでもやっぱり、今までは何度もぶつかった視線を感じられないのは不安で、むりやり話題をひねり出してみた。


「あの、玲二くんのおじさん、いつまで日本にいるの?」

「おじさんって?」

「まだ家にいるんでしょう? この間、ゴールデンウィークに行った時に会った」

「……ああ、ああ。ハールおじさんね」

「今日、学校に来てたの。玲二くん知ってた?」


 帰りの電車は空いていて、私たちは並んで座っている。

 座っている状態だと、玲二くんの顔はぐっと近い。

 座高が低いからかな。

 だから、とにかくビックリしたのがハッキリわかった。


「学校に?」

「うん」


 玲二くんに用があったわけじゃないんだよね。

 本当に私にあれを渡しに来ただけなのかな。

 どこの誰から経由して、あんな古めかしい木の札を渡しに来たんだろう。


 頭の中にぽっと浮かんだのは、来平先輩だった。

 接点があるようには思えない。ただなんとなく、話し方や独特の鳥っぽさが共通してるから、浮かんだのかな。


 っていうか私、人を動物に例えすぎかもしれない。

 一路くんは子犬だと思ってるもんね。

 じゃあ玲二くんはなにかな。じっと見つめて考えていると、玲二くんは困った顔で首を傾げた。


「ハールとなにか話した?」

「え? うん。挨拶をしたよ」


 あの木札をもらったって話していいのかな。

 秘密なら、秘密にしてって言う……かな。しゃべるのはあんまり得意そうじゃなかったけど、その辺どうなんだろう。

 

 一番適任だから、って言ってたっけ。

 あれも意味がわからない言葉だった。

 日本語を間違えて使っているんじゃないかな。

 だけど、確認する方法もない。


「そうか」


 玲二くんはそれきり黙ってしまって、私も結局木札について言いそびれてしまった。

 電車は駅について、そういえば私の困りごとってなんだったっけ、って今更、深刻な「病状」を思い出したりしたけど、でも今は全然なんともない。


 玲二くんと一緒に歩いているのに。

 去年の今頃は夢見ているばっかりだったこの状況に、私はすっかり慣れ切っちゃって、ときめきを感じる謙虚さを失ってしまっている。


「玲二くん」


 そんな自分に喝を入れなきゃって、白い指をぎゅっと握った。

 長いんだよね、玲二くんの指って。この手で髪を撫でられると、どうしようもなくドキドキしちゃう。


 私の存在を認識してもらえたあの頃。

 まともに目を合わせてくれなかった照れ屋の玲二くんだった日々。

 隣にいたくて必死だったけど、あんまりぐいぐい行き過ぎたら逃げていってしまいそうで不安だった。

 あの一喜一憂、ううん、喜びもあったけど、不安の方が多かったかな。

 見つめてくれているようで、避けられているようで、本当は駄目なんじゃないかって心の底にずっと諦めがあった。

 そんな不安は払拭されて、やっと幸せな毎日がきたと思っていたのに。

 

 今日の玲二くんは、ずっと前の、私が一方的に好き好きって言ってた頃みたいに遠くばかりを見ている。

 こっちには向けられない視線が見ているものはなんなのかな。


「玲二くん、なにか心配なことでもあるの?」


 黙っていつも通りの道を歩いてきちゃったけど。

 このままじゃもうすぐ、家に着いてしまう。


「いつきが元気がないのが心配で」


 あ、そうか。私が情緒不安定だからクラブを休んだって体だったんだっけ。

 意味不明なことが続きすぎているからかな。なんだか、現状の把握をできていないかもしれない。


「ごめんね。大丈夫なの。もう元気なんだ」

「そう」


 あの妙な不安感は一掃されて、心もすっきりしていた。

 ハールおじさんの持ってきてくれたあの木札の力なのかな。

 占いとかおまじないなんてあんまり信じてなかったんだけど。そっか。金色の謎の羽根もそうだったから、余計に先輩のことを思い出したのかもしれない。


「あのね、変な言い方かもしれないんだけど、玲二くんがなんだか離れちゃったように感じてて」


 玲二くんの足が止まる。

 なんにもない、ただの住宅街の間の細い道の途中で、私も立ち止まった。


「いつき、不安にさせたんならごめん」

「え? ううん、ごめんね。私、なにを言ってるのかな」

「違う。いつきは正しいよ。もし今不安に思っていることがあるんなら、それは俺のせいだ」

「玲二くんのせい?」

「俺、いつきとずっと一緒にいたい。困っている時には助けて、悲しい時には寄り添って、嬉しい時には誰よりも祝福したいと思ってる」


 突然始まった熱い言葉とは裏腹に、表情は厳しい。

 やめてほしい、このパターン。誕生日の時と一緒で、不安になってしまう。


 だけど、玲二くんの言葉はもっと激しくなって続いた。


「いつきは将来、子供が欲しい?」


 こんなにも具体的な話を振られるとは思ってもみなくて、私の口からは考えなしの反射的な返事ばかりが飛び出していった。


「えっと……、そうだね。うちは兄弟が多いから、にぎやかな方が楽しいと思うかも」

「そうだよな。お兄さんもいい人だし」

「男ばっかりだけどね。葉山君みたいに、お姉さんがいるのとか憧れちゃうな」


 玲二くんの表情はみるみる暗くなっていく。

 寂しげな目に慌ててしまったけど、でも、ふさわしい言葉はすぐには見つけられなくて、無難な返事が勝手に飛び出していってしまう。


「でもね、玲二くんと一緒なら、いいと思ってる。ずっと一緒にいられたらいいなって、私も思ってる」

「俺、いつきのためならなんでもするよ。他の大切なものを全部失っても、いつきといられるなら、きっと後悔しないと思うんだ」


 船の上でされた、あの問いと似ている。

 そうだよ、あの時から不思議に思っていたすべて。

 教えてくれるって言ってた、玲二くんの秘密を、まだ聞いていない。


「たかだかまだ高校二年生になったばかりの男が一生を決めるなんて早すぎる。だけど俺、いつきしかいないんだ。きっと君以上に大切な人間は、これから先に出会うことはないだろうから」


 だろうから、なに?

 聞けないまま、時間ばかりが過ぎていった。

 

 おひさまの匂いが風に乗って二人の間を何度行き過ぎても、遠くから小学生の集団が騒ぐ声が聞こえてきても、のろのろ運転の廃品回収の車が路地を抜けていっても、続きはなくて。


「玲二くん」

「ごめん、なにを言いたいのか、自分でもわからなくなった」


 玲二くんにしては、ずいぶん白々しいセリフだと思う。

 だけど、浮気男の軽薄な嘘とは違う、重さも含んでいるように感じられて。


 だから私はまた、なんにも言えないまま。

 黙ったまま玲二くんの手をとって、引っ張って、住宅街の細い道を、家の前まで歩いて進んで。


「ありがとう、玲二くん。私も玲二くんが大切だし、バカみたいに一生添い遂げる想像ばっかりしてるんだ」


 私の気持ちは変わっていない。

 なにもかも捨てて構わないって思っている。

 玲二くんと一緒で、間違いない。


 家の前だけど。毎度毎度家の前で、家族の誰かが見ているかもしれないけど。

 構わずに玲二くんに抱き着いて、お腹にぎゅっとしがみついたまま「大好き」って呟いた。


 すると玲二くんもぎゅっと私を抱きしめて、耳元に唇を寄せてきた。

 なにか言おうとしているんだって気が付いて、じっと待つこと三分くらいかな。


「愛してるよ、いつき」


 熱くなって動けない私を置いて、玲二くんは離れていってしまった。

 恥ずかしかったのかな。恥ずかしかったんだろうな。

 今の言葉を伝えたくて、あんなに大真面目な顔であれこれ語っていたのかもしれない。


 頭の中で渦巻いていたすべてが今の衝撃で吹き飛んでしまって、不安も不思議もなにもかもが私の中にはもう残っていない。


 愛してる、だって。


 からっぽのまんま家に戻って、お母さんには謎の微笑みだけを投げかけて、部屋に戻った。

 声が出せない。出してしまったら、さっきの衝撃が薄まってしまうから。


 背中に残る手のひらの感触。

 耳に触れた唇の暖かさ。


 ひとつひとつに浸って、ベッドの上で座り続けてどれくらい経ったかな。


 部屋の中が薄暗くなってきて、ようやく立ち上がった。

 あと三日くらい浸れる気がするけど、さすがにそういうわけにはいかないもんね。


 立ち上がって、制服のブレザーを脱いだ。

 一歩、二歩、三歩。ドアの隣にあるハンガーに向かって歩いて、かける。いつもの動作で、考える必要がない。


 ハンガーをフックにひっかけようとすると、カサカサと音がして、首を傾げた。

 なんの音だろう?

 ブレザーを上から撫でていくと、右のポケットになにかが入っていた。


「なにこれ?」


 ぼろぼろに崩れた、木の破片のようなもの?


 こんなのいつ入れたんだっけ。体育祭の練習の時とか? うーん、覚えてない。

 小学生じゃあるまいし、私、なにやってんのかな。


 机の下に置いたゴミ箱の中に木くずを全部捨てて、また首をかしげてしまった。

 なんだかご機嫌だった気がするんだけど。

 

「いつきー、ちょっと手伝ってー!」


 思い出せない。わからないけど、呼ばれたからには行かなくちゃ。

 園田家の夕食は戦争だもんね。


 制服を脱ぎ捨てて適当な部屋着に着替えると、大急ぎで台所へ向かった。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ