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記憶の気配 / 玲二

 連休が終わると教室にあふれていた緊張感は一気に緩んだ。外から入り込んでくる暖かい風に誘われてうたた寝したり、新学期を迎えるにあたって高ぶらせていた気力がなくなってぼけっとしたり。五月らしい空気が漂っている。

 そんな生徒たちの尻を叩くためなのかもしれない。もうすぐ体育祭が開催されるので、休み明けのホームルームでは選手を決める話し合いが行われた。


 俺としては、どうでもいいイベントだ。参加しているクラブもないし、結構な暑さでずっと外に出ているのは正直辛い。体を動かすのは嫌いじゃないけど、みんなのように盛り上がれない。


 とはいえ、だからってサボるほどでもない。涼しい素材の長袖シャツを下に着こんで、校庭に出ている。高校生にもなると練習はほんの数回しかないけれど、それでもやっぱり気だるい。日差しは結構キツイし、クラスにはいつきがいないし。


 それに毎晩、集中の訓練をしているから。一路と向かい合って、俺の中にいる誰かを支配下に置くべく、自分を乱さない練習を続けていた。

 

 相原には悪いことをしたし、あの後の気分は最悪だったけど、実際に目の当たりにして一路も俺の状態が良くわかったようだった。

 決して負けているわけじゃないから。そう言って励まされて、だいぶ前向きになっている。有用な力がいっぱいあるんだから、使えるようになればいい。一路の笑顔は俺と違って人懐こくて、少し幼い。


 だけど、練習に力を入れすぎているせいで疲労も溜まっている。学校で眠たいなんて滅多にないんだけどな。今日はちょっと、頭がぼんやりしている。

 体育祭の練習で良かったといえば、良かったかな。


「玲二様」


 クラスの塊の一番後ろにいた俺のさらに後ろから、こんな妙な声がかかったのは、そろそろ練習も終わろうとしている昼近くの頃。


「百井?」


 どうして急に「様」なんて言い出したのかさっぱりわからないけれど、あいかわらずの顔をやけに神妙な形に整えて、百井は俺にこう囁いた。


「申し訳ありません。ですが、お伝えしなければなりません」

「どうしたんだ、その話し方は」

「マスターが来ています」


 百井から視線を外すと、確かに、校庭の外に佇んでいる影があった。

 学校まで来るなんて、意外すぎる。


「お前が連れてきたのか?」

「違います。どちらかというと、止めました」

「止めた?」

「嫌がられると思ったので……」


 百井とは同じクラスになったけれど、教室で話すことはこれまでになかった。

 ただじっと俺のそばにいるだけで、それすらも不快に思っていたけど、なんなんだ一体。


 グラウンドに目を向けると、一路も気付いたようで外を睨み付けている。

 

『玲二、遠屋が見てる』


 あっちからは声をかけられるんだけど、こっちからは伝えられない。俺には便利だけど、一路には不便だろうな。


「誰に用なんだ?」

「玲二様にです」

「一路は」

「今日は関係ないみたいで」

「じゃあ、一路に伝えてくれ。俺が話しに行くって」


 一路の隣には良太郎がいて、すぐ近くにいつきもいる。

 それ以外にも女の子が大量に取り巻いているから、動いたら目立つだろう。


 練習はすぐに終わって、用事のない生徒はみんな校内へ戻っていった。

 ジャージのままでその流れから離れて、体育館の裏手へと向かった。


 じっとりとした冷たい空気が流れる体育館裏には、なぜかもう百井が待っている。


「なんでいるんだよ」


 抗議に答える声はなくて、胸の中に芽生えた苛立ちをそっと抑えた。

 些細なイライラは最近すぐに大きくなって、心を支配しようとする。コントロールしなきゃ、また見失ってしまう。遠屋の前ではマズい。


「沙夜にも関係があるからだ、立花玲二」


 人間じゃないんだから、フェンスを通り抜けるなんて朝飯前なのかな。

 すぐそこ、目の前にもう遠屋が立っていた。いつ来たのかわからない。ふわっと、煙よりも早く姿を現して、俺の前で冷たい顔をしている。


「君たちは兄弟そろって無視をする」

「無視した覚えはない」

「君には声が届かないとしても、他はどうだ」

「一路はこちらの生活に慣れていない」

「そのようだが、ライまで巻き込まないでくれないだろうか」


 巻き込んだ覚えはないけど、巻き込んでいるのかな。


「ライはあなたが謹慎するように言ったから、うちに身を寄せたんだろう」

「育ちは違ってもやはり兄弟なんだね、君たちは」


 物言いがそっくりだよ、と遠屋は吐き捨てるように言った。

 あまり感情を表に出すタイプには見えなかったけど。


「沙夜、住処に戻れ。『ボス』が待っている」

「はい……」


 なんで百井まで戻れなんて言われるのか。どうして俺の前でわざわざ言うんだろう。妙な呼び方をし始めたのと関係があるのか。


「君たち兄弟は大きなルール違反をした。だからペナルティを与える」

「俺たちが?」

「立花玲二は人間に対して力を行使し、人生に多大な影響を与えた」


 相原か。確かに、あれは良くない。

 もとに戻したくはないけど、なんとかできないかとは考えている。

 本城や中村はいつの間にかもとに戻っていたから、時間が解決するんじゃないかと思っていたんだけど。


「まだうまく使えないから、もう少し待ってもらえれば」

「わざとじゃないと言えばなんでも通ると、君は思うのかね」


 それは確かに。単純に殴ったとか、傷つけたなんて問題じゃない。

 誰かの人生を自分の思った通りに変えさせるなんて、どんな相手だったとしても駄目だろう。


「わかりました」

「君はものわかりがいい」


 遠屋はようやく満足そうに顔から力を抜くと、俺の胸を指で軽くたたいた。


「一家そろって人間の暮らしから出ていってもらえるのが一番いいんだが」


 マスターの微笑みにはみるみる冷気が満ちていく。

 まるで海の底にいるような、世界から切り離されているような気分になっている自分に、少し震えた。


「君の問題は片付いたのだから、ここにとどまる理由はもうないだろう」


 遠屋の姿はまるで霧のように薄まって、ふんわりと消えていった。

 あとに残ったのは俺と、あいかわず不愉快な姿の百井だけ。


「ペナルティって、なんだ?」


 小声でした問いかけに、吐息のようなささやきが答える。


「マスターの心はわかりません」


 一路にも、俺にも、罰が与えられるのかな。

 それともこの町から出て行って、世界の片隅に移動すれば、なにも起きなくなる?




 家に帰ってから、ぼんやりと一路の帰りを待った。

 朝は一緒に行くようになったけど、帰りは一人。

 一路じゃなくて、俺が一緒に帰ればいいんだけど。だけどやっぱり、どこで糸が切れてしまうかわからないから。それが怖くて、先に帰宅している。

 コントロールできるようになった気がするし、まだできない気がするし。

 けど、どっちにしても確かに俺は、もう、ここにいる理由なんてないのかもしれない。

 力がなくて、一路と離れていなきゃならなくて、人間として育てたいから日本で育った。今は、俺はもう、人間じゃない。発展途上の人外で、まだ正体はわからないけど、危険な力を抱えている。


「マスターが嫌がるのも当然だよな」


 俺が話すと、ライはいつものおどおどした雰囲気で首を傾げた。


「だけど、ここで育ったんだ。出ていく理由はないと思う」

「人じゃない存在としては育ってない。やるならちゃんとあのコミュニティに参加しないとダメなんだろう」


 一路が言うことを聞くかな。

 母さんと父さんのこの後の人生設計もちゃんと確認しなきゃ駄目かも。


「大体、玲二はあちらで受け入れてもらえるのか?」

「本当だな。それも聞いてみなきゃわからない」


 俺のよりどころは家族しかない。狼じゃないし、人じゃない存在としての生き方も、全然わかっていない。

 

「だけど、普通の人間として暮らすのはもう無理だよ」


 あの日、人間じゃないと告げられた日から、どうにかしたいとは思ってきたけれど、力を手に入れた後の展開については全然考えていなかった。

 狼の力が目覚めたら、もう少しシンプルだったと思うけど。一応、母さんの故郷が選択肢に入ったはずなんだから……。


「ライはどうやって暮らしてるんだ?」

「俺は基本的に人に紛れて暮らしてるんだ。幸運を分け与える相手は人間だからな」

「書類とかどうしてるの?」

「大丈夫。得意な奴がいるから」

「偽造でもするのか」

「そうだな。人間の暮らしに必要なものは、俺の場合だとカラスに揃えてもらっている」


 ずいぶん器用なんだな、カラスは。

 一路の書類はどうしたんだろう。というか、俺たち一家の戸籍ってどうなってるんだろうな。


 考えてみれば、今の環境は穴だらけだ。

 わけてもらった命と、勝手に入り込んだ力。狼にはなれなかったようだし、いつコントロールできるようになるかわからない。人間としての暮らしにはいつか必ず無理が出てきて、そうなれば何処かに去る以外、選択肢はない。


「玲二、とても言いにくいんだが」

「なに?」

「怒らないか?」


 反省するしかない。最近ずいぶん態度が荒々しいから。

 戦う力のないライが怯えるのは、俺のせいだ。


「怒らないよ」


 信じてくれたのか、ライはほっと息を吐き、だけどすぐに大真面目に目を見開くと、こう話した。


「マスターは、これ以上の薄い血の拡散を認めない」


 薄い血の拡散。

 言葉を胸の中で何度も繰り返すと、意味がよくわかった。

 俺たちのような人間との混血をこれ以上増やしたくないんだろう。


「人間とのハーフって、どのくらいいるんだ?」

「あまりいない。そもそも、人間との間に子を為せる存在は少ないんだ」

「狼はありだった?」

「ああ。だってテレーゼたちは人の姿も持っている。狼の姿も人の姿も、どちらも本当だ。俺とは違う」


 ライが人の姿になれるのは訓練の賜物であって、本来の形は鳥でしかないらしい。

 

「ハールも?」

「ハールもだ。だってリアは人の姿になれないだろう」


 リアが人にならない理由はわからないけど、鳥的にはそういう結論になるのかな。

 

「龍は? 昔話や伝承なんかだと、そういう話がありそうだけど」

「種類によるんじゃないかな。人の姿も併せもった者なら、あるとは思う」

「人でなしも?」

「あいつらは死者だから、無理だ」


 人ではない者の世界は難しい。


 だけど、話はシンプルなんだ。ライが部屋から出て行って、一人になってから考えたら、嫌でもわかってしまった。

 俺といつきが結ばれても、子供は望めない。もしも望むなら、なにもかもを敵に回して、秘密を守るためにこそこそ逃げ回る暮らしをしなきゃいけない。



「玲二、遠屋になにを言われた?」


 夕食が済んだあと、一路はまっすぐに俺の部屋にやってきて、床の上であぐらをかいている。


「俺たちはそれぞれルール違反をしているから、ペナルティを与えるってさ」

「またそれか。ルールは必要だろうけど、例外だってある」

「一路はもうなにか言われてるのか?」

「ん? うん、言われた。でも知らない。僕はここのお友達なんかじゃないから」


 実際に会わなかったとしても、一路相手ならいつでも声をかけられるんだろう。


「なんて言われたんだ」

「具体的な話はない。文句を言われただけ」

「俺は相原に力を使った件を責められた」

「そうか。でもあれは仕方ない。相原が悪い」


 確かに悪いし、いつきにとっては良かった気もするけど。だけどやっぱり、後味は悪い。


「力を操れるようになったら、それとセットで、取り消せるようになったらいいと思ったんだ」

「それはいい話。玲二、訓練しよう。毎日頑張れば、必ずよくできるようになる」


 一路の態度はいつもと変わらない。

 俺を助けに来た時に、なにかあったのかな。

 突然来たし、いつきにも会ったと話していた。

 狼の姿を見せるようなヘマをしたとは思えないけど。


「俺になにがあったか、一路は全部知ってる?」

「……全部は知らない。でも玲二、今はいい。知らなくていい」


 そんなのは力が扱えるようになってからだ、と一路は言う。

 いっぺんに抱え過ぎたらパンクしちゃうだろうって。


 確かにそうだろうけど、心にひっかかりがありすぎるのもそれはそれで、ストレスになるというか。


「玲二は考えすぎ。もう少し簡単に、思ったまんまを大事にしたらいい」

「考えずに?」

「そう。考えるのは問題が起きた時だけでいい」


 一路の笑顔は優しくて、頼もしい。いつもはただの食いしん坊でしかないけれど、俺のために一生懸命になってくれる。


「ありがとう」

「僕は玲二のお兄さんだからね」



 一路はいろいろ知っているのかもしれない。

 俺のために、今はあえて隠してくれているのかもしれない。

 だったら俺は、今やるべきことから片付けていくしかない。


 そう思っていたけど、ことに気が付いた時、心が張り裂けそうになった。




 一路が大活躍をした体育祭が終わって、次の日。

 体調も良くなってきたし、少しずつだけど自信もついてきたので、いつきと出かける約束をしていた。お弁当持って、公園に行こうという約束を果たそうと思った。


 いっぱい作っていくからね、といつきは言ったのに。

 約束の時間を過ぎてもやってこなかった。

 前日の夜、急な用事が入ったから現地で集合でもいい? とメールが来て、それに了解してやってきて、海の見える月浜公園の入り口で、もう二時間も待っている。


 電話をしても、メールを送っても、返事が来ない。

 振替休日の月曜日で、人の姿はまばらだ。

 近所に幼稚園でもあるのか、揃いの帽子をかぶったこどもたちが大量に通り過ぎていくくらい。


 空は真っ青で、大きく固まった雲が海の上に浮かんでいる。

 日差しを避けて、入り口にある大きな木の下で不安に駆られていた。

 

「もしもし、ライ?」


 こういう時に、小鳥は本当に便利だ。本人に直接連絡をすると、すぐに反応があった。


『どうした、玲二。緊急事態か?』

「いつきに連絡が取れないんだ。どこにいるか、わかるかな」

『園田ちゃんと? そうか、わかった。少し待っていてくれ』


 ライは俺の監視をしてなかったのがよくわかった。

 今でもなんとなく、誰かの監視下にあると思っていたんだけど。リアか、ハールかなって。

 いや、ハールは無理か。大きいしそこらにいるタイプの鳥じゃないから、飛んでいたら目立ちすぎる。


 木の下でぼんやりと待っていると、白い小鳥がひらりと舞い降りてきた。

 バスで三十分くらいかかる場所なんだけど。いつも高い空を飛んでついてきているのかな。


『玲二、ちょっと伝えにくいんだけど』


 リアは俺のすぐそばに降り立って、優しい声を曇らせている。


「なに?」

『いつきは家にいるみたい』


 意外な報告を受けて、言葉に詰まってしまった。

 入り口にふらりとサラリーマンがやってきて、行き過ぎるのを待ち、声を潜めて確認をしていく。


「具合が悪くなったのかな?」

『そういう様子はないって、ライが。今は家の手伝いをしているみたいよ』


 慌てて電話を取り出してかけても、まったく出てくれなかった。

 電話は鳴っているし、いつきもそばにいる。

 ライからの報告で、ますます混乱していく。


「どうして?」

「ペナルティを与えると言っただろう」


 戸惑う俺と小鳥の前に現れたのは、またしても遠屋だった。


「ペナルティって」

「ライから聞いたと思うが、私は薄い血の拡散を望まない。混乱を招くし、半端な力は仲間に危機をもたらす可能性が高い」


 返す言葉がない。

 でも、だからって、こんなやり方は、受け入れられない。


「君はここから去るべきだ。君だけではなく、君の一家すべて。君の父親は覚悟のできた人間のようだから、狼の群れの中でも生きていけるだろう」



 気が付いてしまった。

 今までずっと、こうだったんだって。

 俺は周囲からそっと切り離されて、関わりを最低限まで薄めた暮らしをしてきた。

 

 これなんだ。


『玲二、落ち着いて。大丈夫よ、一度帰って確認しましょう。いつきは力の影響が及びにくい。玲二を忘れたりなんかしていないわ』


 リアは気遣ってくれたんだろうけど。

 もしそうなっていたら、最悪だ。

 いつきが俺を忘れていたら?


 震えが体中まで広がって、まともに歩けない。


『一路を呼びましょうか』


 リアの声にこたえようと頭を働かせると、まるで閃光のように、一瞬、見覚えのない景色が頭の中に浮かんだ。


 なにかを思い出せそうなのに。

 だけど、わからない。俺に起きた出来事。暗い場所と、明るい部屋。


『玲二、しっかりして!』

 

 肩にとまったリアに頬を思い切りつつかれて、正気に戻った。

 できることから、一つずつ。

 一路の言う通り。


 今は、いつきに会いに行こう。

 

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