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一方通行 / いつき

 慌ただしい四月のスケジュールが順番に終わって、明日からゴールデンウィークが始まる。

 なのに、予定がひとつもない。玲二くんは復活して元気そうだし連絡もこまめにくれるけど、目の前に現れてくれないんだもん。


 少し一人で集中したいことがあるからって言われたら、じゃあ頑張ってねって返すしかない。ちょっとくらいわがまま言ってみようかなって考えると、来月の終わりくらいにどこかに行こうか、なんて具体的なメールが送られてきて、それに、やだやだ今すぐがいい! ってだだをこねたいのに、上手にできない。


 一路君はすっかり葉山君に懐いたみたいで、クラスでもぽつんとしてしまう。

 そんな私に声をかけてくるのは、調子を取り戻した本城君くらいで。


「いつきちゃん、海に行こうよ」

「気が乗らないんだ」

「気晴らしに行くんだよ。楽しいよ、海は。まだ水着になるには早いけどさ」


 水着でデートしたなあって、ため息をついた。

 あの時の水着、本当に十分着たかどうかってくらいしか使ってないんだけど。

 今年また、着てもいいかな。玲二くん、一緒に出掛けてくれるかな?

 

「いつきちゃん、ちょっとつれないんじゃない?」

「玲二くんがいるからね」

「最近全然一緒にいないじゃない」


 夢の中ではいつも一緒だもん、なんて言ったら、寂しい女だと思われちゃうのかな。

 

「ねえ、いつきちゃん」

「本城君も付き合ってる子がいたら、他の女の子の誘いになんて乗らないでしょ?」

「それは時と場合に寄るよ」

「そっか。じゃあ私もそうするね。本城君からのお誘いには乗れません。ごめんなさい」


 お昼になると一路くんと葉山君はどこかへ行っちゃって、玲二くんも一体どこに隠れているのやら。体調はかなりよくなったみたいで嬉しいけど、姿も見せてくれないってどういうことなのかな。


 

 とにかく、予定がガラ空きなのは仕方がないので、何日かアルバイトを入れようと決めた。こういう時、親戚のところで雇ってもらえるのは楽でいいなって思う。

 ゴールデンウィークなんてお客がわんさか来る時期だから、人手はいくらあってもいいんだよね。また彼氏がどうのこうのって突っ込まれるだろうけど、まあいいや。順調ですよーって言ってしまおう。


 動物園は相原君のことを思い出しちゃってなんとなくトラウマで、だけど水族館はカップルが多くて心が荒んでしまいそうで。そんな私の思惑はあんまり考慮されず、いつの間にか水族館の物販コーナーに配置されていた。

 ゴールデンウィーク中、五日間。

 人込みに紛れて揉まれていたら、余計なことを考えずに済むかな。



 祝日と祝日の間に挟まれた平日は、開校記念日になっていて学校は休み。

 この日はアルバイトは入れないで、家でのんびりしようと決めていた。

 ひょっとしたら玲二くんが連絡をくれるかもしれないしって期待していたっていうのもあるけど、このささやかな願いはまだ叶っていない。


 暑い日もちらほらあるおかげで、男兄弟の多い我が家は洗濯物が大量に溜まっている。じぶんたちで洗う兄弟はいないので、気の利いた妹が手伝うという図式ができあがっていた。


 何枚も何枚も汗臭いTシャツを洗っては干してを繰り返していると、庭の片隅になにか、違和感を覚えた。

 古めかしいブロック塀に囲まれている庭には、ガーデニングと言えるほどではない木や花が植えられているんだけど、その中になにか、いたような気がして。


 気のせいかな。

 遠くから鳥の声が聞こえてくる。

 うららかな春の日。ポカポカしていて気持ちがいいのに、一人か。

 

 ため息を吐き出して、次の一枚を手に取る。

 その瞬間、気が付いてしまった。

 ブロック塀の下の方、模様が刻まれている部分に、人の顔が見えているって。


「ひゃあ!」


 自分でも可愛げがないと思える悲鳴をあげて、Tシャツを放り出して家の中に慌てて逃げ込んでしまった。


「うるさいな。虫でも出たのか」


 サンダルが片一方脱げなくて足をバタバタしているところに現れたのは、私同様におひまな草兄ちゃんだった。


「塀の下の方から、誰か覗いてて」


 最後の一蹴りで右のサンダルが庭のど真ん中に飛んで行ってしまう。

 兄ちゃんは顔をしかめると、黙ったまま庭に出て、まずは私の飛ばしたサンダルを拾い上げた。そして塀のそばまでいって、下の方をのぞき込んで、さらには上からも様子を見て、玄関の方へ移動していく。


 誰かいたのかな。

 普通に歩いているから、追いかけているのではなさそうだけど。


「いつき、どうかしたの?」

「ちょっと」


 お母さんに話そうとすると、玄関の方から声が聞こえてきて、最初はどうしようか迷っていたけれど、はっと気が付いて足を向けた。


 玄関で靴を履いてドアを開けると、草兄ちゃんが誰かを通せんぼしている。


「ばか、いつき、お前は来るな」

「ううん。いいの、大丈夫」


 一路くんの話は本当だった。

 兄ちゃんの向こうにいるのは、間違いなく相原君で。


「でも、ここにいてくれる?」

「いいぜ」


 こんな風にうちの周りにしょっちゅう来てたのかな。

 動物園に来ていたのも、わざわざあとをつけてきてたのかな。


 好意って本当に難しい。相手に振り返ってもらえなかった場合はすごく辛い。簡単に諦めなければ、ひょっとしたらって考えるのも普通だと思う。

 

「相原君、ここでなにしてるの?」

「今日はお休みだから、一緒にどこかに行かないかと思って」


 本城君は要領が良いよね。相手が嫌だって思ったらちゃんと引いてくれて、だけど目の届く範囲にちゃんと留まるから。あの絶妙な距離感、なかなか出来ないことだと思う。


「何度も言ったけど、私は相原君とはどこにも行かないから」

「立花とはもう終わったんでしょう?」

「終わってないよ」

「最近全然一緒にいないし、連休中もアルバイトで埋めてるじゃないか」

「相原君は全然わかってない」


 相原君はなんにもわかってない。私が嫌だって思っているのも、好きあう二人がいつでも一緒にいるわけじゃないってことも。しつこくしすぎたら嫌がられる一方なのも。


「なにが?」

「なにもかもが。私はあなたのことが怖い。私の行き先やスケジュールを知っていたり、家のまわりにいたり、普通じゃないよ」

「それはその……」


 なんだっていうのかな。

 どうして相原君とうちの玄関前で向かい合わなきゃいけないんだろう。

 おなかの中に、ムカムカが溜まっていく。


「園田さんはとても可愛いでしょう。学校では一番だよ」

「……それがどうしたの?」

「だから、僕は君と一緒に出掛けたいんだ」

「意味がわかんない」


 そういえば、何度も出かけようって誘われたけど、告白みたいなものはなかった。

 これも、気持ち悪さの理由のひとつなのかもしれない。


「わからなくはないでしょう。可愛いって褒めてるんだよ」

「そう言ってくれるのは」

「やめろ、いつき。礼を言わせようとしてるんだよ、こいつは」


 そんなの言ったらダメだ、と草兄ちゃんはまた顔をしかめている。

 

「お兄さんですよね。失礼なんじゃないですか、ちょっと」

「おめえにお兄さんなんて呼ばれる筋合いはねえ。なにが一緒に出掛けようだ、人の家を覗いてたやつが言っていいセリフじゃねえだろうがよ」


 草兄ちゃんはほかの兄弟と違って顔に迫力がないけど、言葉使いは一番悪い。

 相原君も少しびっくりしたみたいに、急におどおどとしだしている。


「見たらわかるだろうが、いつきはお前のことが嫌なんだよ。見た目のいい彼氏もちゃんともういるんだから、お前の出る幕はない。帰れ」


 そこまで言ったらいけないかな、というレベルの言葉が全部出てきて、思わず笑いそうになってしまった。

 相原君は口をパクパクさせていたけど、なぜかすぐに気を取り直して、こんなことを言い出したりする。


「彼氏って、それ以外にも男と仲良くしてるじゃないか。葉山も本城も、それに立花の兄弟だって」

「友達としてだし、本城君とは別に仲良くしてないよ」

「してるじゃないか。家にも来てた! あいつを家にあげてくれるなら、僕だって招かれていいでしょう!」

「あいつは弟が間違えて入れただけだよ。俺だったら追い返してたね」

「どうしてなんだ。君に一番ふさわしいのは僕だ! そうでしょう、園田さん」

「どうしてって、こっちのセリフだよ。なんでそんな考えになっちゃうの? 私は嫌だって言ってるのに」

「贈り物だって、僕のが一番素晴らしかったよね」


 贈り物?

 なにかもらったっけ、この人から。


「あ!」

 

 そうか。イニシャルSは、相原君だったのか。

 下の名前、Sで始まるんだっけ。わからないけど、でも、他に心当たりがない。


 急いで部屋に戻って、保管しておいたクリスマスプレゼントを取って、玄関に戻った。


「これでしょう」

「そうだよ、それ。バレンタインにも」

「チョコレートは捨てた。これは返す」


 なんで、だって。

 こっちがなんで、って言いたいよ。


「どうして返すの」

「誰からかわからなかったから返せなかっただけ。これはいらない。私は相原君からなにももらいたくない!」

「じゃあチョコレートも返せよ」

「無理だから弁償します。いくらかかったの?」


 この後の展開は酷かった。

 私を罵ったかと思えば、君にふさわしいのは僕だ、僕にふさわしいのは君だって大声で訴えたりして。

 

「どうしてそんな言い方しかできないの?」


 相原君は私に対して「好き」という言葉を絶対に言わない。

 

「私のことをなんだと思ってるの?」


 どうして私の意志をそこまで無視するんだろう。


「あなたの思った通りにしないなんて、もうわかってるよね」


 なのにどうして、執着してくるの?


「全然理解ができない。これ以上付きまとわないで」

「いつき、言っても無駄だよ。警察に通報だな、これは」

「なっ、どうしてそうなる?」

「だってお前、ストーカーだろ。これだけ言われてわからないなんて、本気でヤバいからな」


 警察はともかく、学校には言うからなって、兄ちゃんは私とよく似た顔をぐっと歪めて、相原君に向かってすごんだ。


「そんなことを言っても君が恥をかくだけだぞ」

「なんでそうなるんだよ、このバカ」


 履いていた靴をわざわざ脱いで、兄ちゃんは相原君の頭をパーンと叩いた。

 もちろん、怒っている。私が返したプレゼントの箱を握りつぶして、足をだだっこみたいにバタバタさせて。


「バカじゃない!」

「俺はお前をバカだと思う。いつきもそう思ってる」

「そんなこと、考えてないよね、園田さん」

「ううん、私もそう思う。そんな最低の兄妹だから。相原君にはもうふさわしくないよね。だからもう帰って。二度と来ないで。あと、もう話しかけないで!」


 兄と妹で揃ってここまで否定の言葉をぶつけても、相原君は真っ赤な顔で怒ったまんま、しばらくの間私たちを睨み付けていた。


「いつき、塩もってこい」

「もういい! わかったよ、この最低女! いつか後悔させてやるからな!」

「お前、今のセリフ録音したからな」


 兄ちゃんがお尻のポケットに入れていたスマホを取り出して、ようやくこのどうしようもないぐだぐだが終了した。

 相原君は持ってきた大きなカバンを掴んで、駅の方へ向かって走って行く。


 私は足に力が入らなくて、立っているだけで精一杯だった。

 

「大丈夫か」

「うん、……ううん」


 結局兄ちゃんに手を引かれてやっと家の中に戻って、お母さんになにをやってたんだって叱られてしまった。

 大声を出してたから、近所の奥様から電話がかかってきちゃったらしい。


「仕方ないだろ、信じられないくらい不気味な奴なんだから」

「でも、あんな家の前なんかで」

「家に入れたら婚約が完了したくらいの勘違いすると思うよ」


 なんにも言えないでいる私のかわりに、草兄ちゃんが全部話してくれた。

 私は悪くない、あんなに話の通じないやつは初めてだって。

 

 しかもあったかいお茶まで淹れてきてくれて。こんなの、初めてなんだけど。


「ありがと」

「お前、しばらく一人で行き帰りするなよ。朝もちゃんと迎えに来てもらえ、例の彼氏に」


 どうしても頼めないときは一緒に行ってやるから。

 ぶっきらぼうな言い方だけど最大級のやさしさがこもっていて、なんだか調子がくるっちゃうな、草兄ちゃんがこんな態度だと。



 洗濯物を干すのはお母さんの仕事になって、私はまたヒマになってしまった。

 水族館にも来てるのかな。こんな風に考えるのも嫌だな。

 はあ。


 ため息が出てくる。ひとつだけじゃなくて、ふたつ、みっつ、よっつ。まだ出てきそう。

 部屋に戻ってまた大きく息を吐き出すと、ベッドの上でちらちらと輝いている羽根が目に入った。


 来平先輩からもらった羽根、あの時はキラキラしてたけど、学校が始まったあたりから光らなくなっちゃったんだよね。金色ではあるけど、発光は収まっていたはず。

 それがまた、うっすらだけど、光っている。


 私が今、不幸な気持ちでいるからなのかな。

 私の幸せはどこに行っちゃった?

 玲二くんに繋がって、だけど、玲二くんは私に会ってくれない。


 心の底にたまったモヤモヤがせりあがってきて、体中を満たしていく。

 立ち上がって、部屋着を脱ぎ捨てて、タンスの中から可愛い服を選んだ。

 着替えて、髪を結びなおして、それから顔を洗って。


「ちょっと出かけてくる」

「おい、おい。いつき、待てよ」


 送ってくれるんだって。

 こんなの初めてかも、草兄ちゃんと二人だけって。充兄ちゃんとは結構あった気もするけど。

 


「あの、すぐそこだから」

「そっか。帰りは送ってもらえよ」

 

 会話は一切ないまま、草兄ちゃんは帰っていく。

 うーん。ちょっと侮ってたかも。草兄ちゃんの彼女はきっと安心だろうな、付き合ってたら。もしかしているのかな、彼女。それならこんなにダラダラしてないか。


 兄の恋愛事情はおいといて、久しぶりにやってきた立花家のインターホンを押した。

 なんとなく来ちゃったけど、いるかな、玲二くん。

 車がないな。いやだな、このパターン。朝から家族でどこかに行ってるのかな。

 

 一人で帰ることになっちゃったらどうしよう。

 ちゃんと在宅を確認してから兄ちゃんと別れるべきだった。


 そんな後悔をした瞬間、ドアが開いた。

 お母さんが出てきたら、ちょっと緊張しちゃうかも。


「こんにちは……」


 ドキドキしながら待つ私の前に現れたのは、見たことのない男の人。

 濃いグレーみたいな色の髪の背の高い外国人男性で、四十代くらいなのかな。ちょい悪ファッションが似合いそうな、精悍な顔立ちの素敵なおじさまだった。


「玲二だな」

「え?」

「玲二に用があるんだよな」


 流暢な日本語ですねって、言っていいのかな。


「はい。あの、園田といいます」

「玲二は出かけていて、すぐに帰ってくる予定だ」


 誰なんだろう、この人。

 お母さんの方の血縁か、知り合いかな。

 おじさまは私に手招きをして、家に入るよう促してくる。


「いいんですか」

「玲二はすぐに戻る」


 玄関はがらんとしていて、靴が置かれていない。

 自分のくつを揃えて置いて、すっかり整頓されたリビングへと向かう。


「一路くんも一緒なんですか?」

「一路は服を買いに行ったんだ。速音とテレーゼと三人で行った」


 速音とテレーゼは、ご両親だよね、きっと。

 

「ちょっと待っててくれ」

「はい」


 素敵なおじさまはなぜか二階に上がって行って、戻ってくるなり冷蔵庫の中を確認し始めた。なにかぶつぶつ言ってるんだけど、なんなのかな。この人本当に何者なんだろう。

 冷蔵庫の前でしゃがみこんだまま、首をかしげてるんだけど。


「あの、どうかしましたか?」

「お茶を出した方がいいって話なんだが」


 いつやって来たのかな、このおじさま。言葉はナチュラルなのに、日本式の家のやり方は全然わからないとか?

 

「じゃあ私がやります」

「そうか? いや、うん? ああ、大丈夫。すまないが頼む」


 見た目はすごく渋くて素敵なのに、動きはちょこちょこしていて忙しない。

 少し来平先輩に似てるかな、この独特な話し方。


 冷蔵庫の中には冷たいお茶が入っていたので、グラスを二つ借りて注いで、テーブルまで運んだ。

 謎のおじさまは私の向かいに座って、緊張した面持ちで黙り込んでいる。


 間が持たないんだけど。

 思い切って聞いてようかな。


「あの」


 頭の中で言葉を選んでいると、玄関から音がして、私が今一番会いたかった人が顔を出した。


「いつき」

「玲二くん、お帰りなさい……」


 長く伸びていた髪が短くなっている。色が違うだけの、マイナーチェンジ版の玲二くんだ。


「どうしたの」

「会いたくなっちゃって」

「そうか」


 ちょっと待ってて、と玲二くんは廊下の向こうに去っていく。

 水の流れる音がしたから、手を洗ってきたんだろうな。

 上着を脱いで、私にむかってにっこり笑って、それからテーブルについているおじさまに気が付いて慌てたように話し出した。


「いつき、これは俺の……おじさんなんだ。母さん方の親戚で」

「そうだよね。そんな感じかなって思ってた」

「ありがとう、ハールおじさん」


 おじさんは玲二くんに押されて、二階に行ってしまったみたい。

 私は、今日自分を動かした原動力がなくなっていることに気が付いて、無駄にどぎまぎしていた。


「ごめん、散髪に行ってたんだ」

「やっぱり短い方が似合うね」


 影のある感じも良かったけど、短い方がきりっとしていてかっこよく見える。


「ありがとう、来てくれて」


 玲二くんはすぐ前までやってくると、座ったままの私を抱きしめてきた。

 ぎゅうっと、強く。

 胸の中に閉じ込められて、さっきまでのイライラが全部溶けていって、幸せだった。


「あのね、玲二くん。一路くんの言った通りだったの。今朝、うちの前に相原君がいてね」

「相原が?」

「お兄ちゃんと一緒に追い払ったんだけど、でもやっぱり、話が通じてない気がして」


 怖いって、抱きついてみる。

 するとますます、ぐっと、力が強くなって。

 

 元気になったのかな。

 相変わらず細いけど、でも、病的な印象はなくなってる。


「朝、家まで迎えに来て」


 玲二くんの鼓動が早くなっていくのがわかる。


「玲二くんと一緒にいたい」


 細長い指が頬を撫でて、耳に触れた。

 くすぐったくて、体がびくっと反応してしまう。


「ごめん、いつき。俺、自信がなくて」

「なんの自信?」


 胸の中から見上げると、玲二くんは黙ったまんま顔を近づけてきて、私の唇を塞いだ。

 私の鼓動も速まっている。玲二くんに負けず劣らず、速くなっていく。


「いつき、好きだよ」


 立ち上がって玲二くんにしがみついた。

 どうなっちゃうかな、ここから。

 この間は少し怖いって思ったけど、今日は大丈夫。

 いつもの玲二くんだもん。


 私も大好き。

 答えようとしたら、玲二くんの肩の向こうには素敵なハールおじさんが立っていて、慌てたせいでうっかり足をすべらせてしまった。


「あ、すまん。俺には構わずそのまま」

「ハール!」

「玲二くん、いいの、私が勝手に来ちゃったんだから」


 結局ラブシーンはお預けで、二人で駅前のカフェに繰り出しただけでこの日はおしまい。でもちゃんと会えたし、また一緒に登下校できるようになりそうだから、いいよね。


 いつもの店で玲二くんの短く整った髪を見つめながら、アルバイトなんか入れるんじゃなかったなって、幸せな後悔をした。

 

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