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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
春の歌
49/85

雨の日 / 一路

 ラーメンは本当においしかった。

 つるつるの麺も、乗っている具も全部。スープも全部飲んだし、小さなお茶碗に入ったごはんも一緒に食べたらすごくおいしかった。

 良太郎にいっぱいお礼を言って上機嫌で帰ろうとしたんだけど、やっぱり僕は自動改札が苦手だし、いつもより電車がぎゅうぎゅうに混んでいるし、雨まで降ってきたし。

 残念な気分で改札を抜けると、ライが立っていた。


「一路、大変だ」

「夜は苦手そうだもんね」


 お迎えにわざわざ来てくれたんだと思って礼を言ったけど、違っていた。


「玲二がいないんだ」


 びっくりしすぎて鞄を落っことしてしまった。

 なんでもっと早く教えないんだ、そんな大切なこと!


『リア、ハール、玲二はどこ?』

『わからない、暗くてよく見えないし』


 夜行性の鳥は、うちにはいない。

 

『速音が帰って来た』

『お父さんに話して』


 雨がどんどん強くなっていく。

 鞄が邪魔だ。傘も。いらない。


「ライ、これ持って帰って」

「どうするんだ、一路」

「探すよ。最後に玲二を見たのは誰?」

「台所にいたはずなのに、気が付いたらいなくなってて」


 目を離さないでって言ったのに。誰だ、さぼってた悪い鳥は。


『一路、速音に電話してもらったが、玲二は家に置いていったみたいだ』

『ハール、なんで目を離したの?』

『離してない。玲二は俺たちの目をごまかしたんだ』


 なにをどうやったら、三羽もいる鳥たちの目をごまかせる?

 玲二が家にいるからってだらだらピヨピヨしてたからこんなことになった!


「一路、すまない。俺も探す。荷物を置いたら一緒に探すから」

「いつきの家は? 行ったの?」

『速音に確認してもらおうか』

『でもそれじゃ、いつきに心配かけちゃうわ。探しに出てきちゃうかもしれない』


 もう夜も遅いし、雨も降っている。いつきを駆り出すのは確かに気が引ける。

 

『それは最後にしよう。僕が確認しに行くから』



 ライと別れて、雨の中を駆けた。

 狼の姿になれたら楽なのに。鳥はこういう時便利なはずが、重たい大粒の雨のせいで使えない。ハールなら平気だけど、あんなに大きな鳥が飛んでいたら怪しまれてしまう。


 いつきの家の周囲には誰もいなかった。いつきに執着しているあのヘンな奴も、今日はいない。いつきの家には暖かい光がともっていて、優しい空気が満ちている。もっとも、肝心のいつきは随分落ち込んでいるみたいだけど。


 玲二のことを考えて、暗くなっているように感じた。

 なにかあったのかな。今日、玲二と会ったのかな。

 

 ラーメンはおいしかったけど、そんな場合じゃなかったんだ。

 僕もイライラが溜まっていて、それでつい、流されちゃったけど。

 僕こそが玲二から目を離さずにいるべきで。

 だけど僕がまとわりつくほどに、玲二の心は重たくなるみたいで。

 どうしたらいいのかわからない。

 僕にはもう玲二が見えない。

 一歩一歩進んで、弟の黒い影を探さなきゃいけない。

 力の使えない暮らしは窮屈でたまらない。

 玲二の役に立ってない。

 それがなにより辛くて、僕の足元を大きく揺さぶる。


『……おい、おい、いるんじゃないのか、ひとでなし……!』


 歩き回っても玲二が見つけられず、僕はどこだかわからないバス停の屋根の下で立ち止まって、一番頼りたくないやつに語り掛けていた。


『犬ころがなんの用かしら?』


 悔しいけど、仕方ない。この土地の暗がりに一番詳しいのは、闇の中に潜んでいるこいつだろうから。


『玲二の姿が見えないんだ』


 人でなしは姿を見せず、返事もしなかった。


『頼むよ。心配なんだ。玲二は今とても苦しんでいる』

『なにがあったの? 一度は死んだと聞いたのに、どうやって蘇ったの?』


 あの龍に報告するのかな。

 気に入らないけど、仕方がない。早く玲二を見つけて、どこに行ってたんだよバカって言わなきゃ、安心できないんだから。


『あの龍の支配する土地にはいない方がいいと思ったから、北の方へ行った。お父さんが昔暮らしていたところで、誰も住んでいない家があったから』


 そこへ行って、僕の力をわけた。それでようやく、ぎりぎり命が繋がったのに。

 

『その土地にいたなにかが玲二の中に入った。正体はまだわからない。僕は会っていないけど、玲二の目の前に現れて、入り込んだ』

『……そう』


 風もないのに、ざわざわと木々が揺れる音がした。

 闇から闇へ。影から影へ。なにかが走り抜けている。


『ここから遠くない。振り返ってまっすぐに進んだら、桜の木がたくさん生えている公園が左手に見える』


 すぐさま振り返って駆けだした。

 左側に目を向けたまま走って行くと、大きな木のてっぺんが並んでいるのが見えて、次の角を曲がった。


「玲二!」


 公園の中は薄暗くて、大きな遊具のせいで見通しが悪い。

 雨はますます激しくなって、制服がすっかりずぶぬれになっている。


「玲二、どこ?」


 歩き回っているうちに、とうとう見つけた。

 あの人でなしの言う通り。くさりでぶらさげられた板の下に、ばったり、倒れていた。


「玲二!」


 どうしてこんなところに、ひとりでいるんだ。

 小さいころ、僕は暴れてばっかりでどうしようもなかったけど、玲二の世界を覗いている間だけは穏やかでいられた。

 静かで正しい玲二の世界にこんなめちゃくちゃなことは、なかったのに。


「玲二、起きて」


 何度呼んでも、頬を叩いても全然反応がない。

 玲二は浅く息を吐くばっかりで、目を開けてくれない。


 冷え切った体を背負って、めそめそ泣きながら帰った。

 お父さんを呼べばもうちょっとラクに帰れたんだろうけど。

 だけど誰かに頼るのは嫌で、びしょびしょにぬれたまんま、匂いを頼りに帰って、玄関で体を拭いている間、何度も何度も呼び掛けて。


 だけど玲二は返事をしなかった。

 また死んでしまうんじゃないかって考えたら怖くてたまらなくて、まためそめそ泣いてしまった。

 お父さんは大丈夫だよって言うけど。

 寝かせてあげなきゃいけないから手伝ってって言われて、一緒に運んだけど。


 どうして僕はいつも間に合わないんだろう。双子のお兄さんなのに、いつも気が付くのはことが起きてからなんだ。


 人間の姿だと怒られるから、狼になって、玲二の隣に潜り込んだ。

 熱が出て苦しそうで、体の震えを抑えたくて、ぴったり寄り添った。

 朝が来ても、昼が来ても、目を覚まさない。

 机の上に乗った電話が何回か音を立てたのに、起きなくて、僕はとにかく辛くてたまらない。


「一路、なにか食べないともたないぞ」


 お父さんがご飯を持ってきてくれたけど、喉を通らなかった。

 もう一生お菓子を食べなくてもいいから、目を覚ましてほしい。

 玲二がいなかったら、僕は、どうしたらいいかわからなくなってしまう。


 玲二を連れて帰ってから丸一日過ぎて、また夜が来て、いつの間にかうとうとしていたらしい。

 僕の頭を誰かが撫でていた。

 お父さんじゃない。もっと優しい手が。


『玲二?』


 玲二でもないってわかっていた。だけど僕が今一番望んでいたのは玲二の目覚めだったから思わず、こう言ってしまった。


「まだ寝てていいのよ」

『お母さん!』


 顔をあげたら、お母さんがいた。玲二のベッドに座って、僕の頭をくしゃくしゃと撫でている。


「逃げてきちゃった」


 お母さんがにっこり笑って、僕は心底ほっとしていた。

 しかもその隣に、玲二も起きて呆れたように笑っている。


『玲二!』


 いつ起きたんだ。

 お父さんがお盆にいろいろのせてやってきて、肝心なタイミングで僕だけ寝てたみたいで、恥ずかしいやら悲しいやら。

 だけどそれより、安心の方が断然大きい。


「顔は舐めないでくれってば」


 うるさい、心配かけて。体もまだすごく熱いじゃないか。

 あんなところにひとりぼっちで倒れて、玲二はバカだ。



 ご飯を食べるように言われて、しぶしぶ下に降りた。

 台所からはいい匂いがして、お母さんが作ったおいしいごはんが出てきて、僕はまたぽろぽろ涙を流してしまっている。


「ごめんね、一路。大変だったわね」

「玲二の方が大変だった」


 大体、お母さんだって大変だったはずだ。

 鳥たちもびくびくしていて、家の中はちっとも落ち着かず、平気そうだったのはお父さんだけ。


「おじいさんが来たらどうするの?」

「その時は一路が追い返して。私じゃまだかなわないから」


 お母さんが言うなら、そうしよう。

 これで玲二も少し楽になる。ほっとしたら少し、眠くなってきたかも。


「休みなさい、一路」

「うん。だけど」

「玲二は寝てたら治るわ。あなたまで倒れたら困っちゃうから」


 本当はお父さんと服を買いに行く予定だった。

 そろそろ学校が長い休みがあるとかだから、その時でもいいかな。


「玲二には変な力がついている」

「それも回復してからにしましょう。ゆっくりやっていけばいいから。焦らないで、一路」


 

 確かに僕は焦っていたかもしれない。

 玲二も焦ってばっかりって言ってたから、僕たちの息は本当はぴったりだったのかな。


 すっかり眠たくなったので、二階にあがって、また玲二のベッドに入った。


「一路、自分の部屋で寝て」

『いやだ』


 文句を言われたけど、心配かけたんだから一緒に寝るくらいあたりまえだ。

 兄弟げんかは僕が勝って、朝までずっと玲二の隣でぐうぐう眠った。




「一路くんおはよう。玲二くんは?」

「玲二は風邪ひいたから、休み」

「そうなんだ」


 月曜日の朝、いつきはなぜかほっとしている。隠しているけど、残念ながらわかってしまった。


 玲二はずっとねむりっぱなしで話が出来ていない。

 だけどお陰でわかった。いつきとなにかがあったから、あんなことになってしまったんだろう。


「雨が強かったもんね」


 そう、強かった。大粒の重たい雨だった。

 玲二はどのくらいあそこで雨に打たれていたのかな。

 

「じゃあ今日はお弁当ないの?」

「ううん、お母さんが帰ってきた」

「あ、そうなんだ。良かったね、もう安心だね」

「うん、安心」


 沈んでいた気持ちが、いつきの笑顔でふんわりと浮かび上がっていく。

 僕もいつきがとても好きだな。優しいし、可愛いし、それになによりきれいなんだ。


「ラーメンどうだった?」

「うん。おいしかった……」


 僕がしゅんとしてしまったのは、呑気に食べている場合じゃなかったから。

 いつきはおかしいと思ったみたいで、首をちょこんとかしげている。


「なにかあったの?」

「僕が食べに行っている間に玲二が」

「玲二くんが?」


 しまった。これは、言ってはいけない話だった。

 あの雨の中で、外で倒れていたなんて。

 だけどいつきの目が鋭くて、僕はついつい、全部白状することになってしまって。


「私、一緒に帰ったんだけど」

「いつきのせいじゃない。玲二がどうして外に出たのかはわからないんだ」

「話してくれないの?」

「ううん、ずっと眠ったまんまだ……から……」


 ああ、まただ。ライが怒られていたやつ。

 僕たちは普段から全部共有しているから、部分的に隠すのはどうしても難しい。

 いつきは悲しそうに眼を伏せてしまって、僕もすっかり落ち込んでしまった。

 二人でしょぼしょぼしているのはすぐに気づかれて、良太郎がどうしたのか聞いてくる。


「玲二くんが、具合悪いみたいで」

「具合悪いだけでそんなに落ち込んじゃうの、二人は」


 ただの風邪でしょ、だって。

 

「一路、弁当ないなら学食に行くか」

「お弁当はある」

「園田ちゃんが作ったの?」

「ううん、お母さんが帰ってきた」


 そりゃ良かった、と良太郎は笑う。

 いつきにも、すぐに良くなるよって優しく話しかけていて、こういう心遣いみたいなものが人間の暮らしには必要なんだなあって、僕はまた深く反省した。

 玲二の注意ももっとよく聞かなきゃいけない。僕はいっつも聞いたつもりになるだけで、次からはちゃんと、なんて全然できてないんだから。



 お昼休みになって、僕は良太郎に引っ張られて、書道部の部屋へ移動していた。

 墨汁っていう黒いやつの匂いがして、変な気分だ。


「ちょっと聞きたいんだけど」


 部屋のど真ん中で二人で向かい合って、良太郎は鼻をぽりぽりと掻いてから、僕にこう問いかけてきた。


「一路ってさ」

「うん」

「もしかして、人間じゃない?」


 僕はびっくりしてしまって、本当にうかつな答えを返してしまった。

 良太郎もだったの? って。


「いや、俺は違うけど」

 

 「しまった」ばっかりだ、最近の僕は。用心深く、慎重に、正体は絶対に隠し通すって条件だったのに。こっちへ出てくるなら守らなきゃダメだって。


「玲二が前に言ってたんだ。冗談だと思ってたんだけど」

「僕も冗談」

「無理すんなよ。誰にも言わない。言ったって誰も信じないだろうけど」


 じゃあどうして信じたんだろう、良太郎は。

 細い目の奥には、玲二と似たような穏やかさと知性のきらめきがあって、なにひとつ隠し通せないだろうなんて思ってしまう。


「だっておかしいだろ? なにもかもが変すぎる。玲二も一路も、普通じゃなさすぎるんだよ」

「僕は変だけど、玲二は変じゃない」

「玲二の方が変だよ。髪の毛はともかく、瞳の色や性格があんな風に変わるなんてありえない。急に倒れたり、大けがしたり、あんなに園田ちゃんのことが好きなのに付き合えないとかさ」


 秘密があると思うじゃないか、って良太郎は考えたらしい。


「良太郎は不思議。なんでもわかる?」

「玲二にも言ったけど、お前らが単純なだけだから」


 僕のことを人間じゃないのかなって思いながら、ラーメン屋に連れて行ってくれたのかな。良太郎はすごいな。


「そういえばラーメンのお金払ってなかった」

「なんで今その話になるんだよ」


 俺のおごりだからいいって、良太郎はけらけら笑った。


「おごりってなに?」

「代金を払ってあげること。友達ならたまには、そんな時もあるんだよ」

「ともだち」


 僕の友達はこれまで、ハールしかいなかった。

 あとはみんな、家族だ。狼は森の中に何人か住んでいて、僕と遊んでくれたり、力の使い方を教えてくれたりした。


「もしかして人間の友達は初めて?」

「うん、初めて。僕はずっと森の中にいた」

「玲二と暮らしたことはなかったの?」

「なかった。僕と玲二は一緒だと危なかったし、そもそも玲二は僕のことを知らなかったから」

「知らなかったってなんだよ」


 なにをどこまで話したらいいのかわからなくて、結局、全部になってしまった。

 ずっと離れていたことも、一緒に暮らせなかったことも、みんなみんな秘密ではなくなっていった。


「死んだ?」

「うん。予言の通り。危ないってわかって急いだんだけど間に合わなかった」


 あの時の痛みはまだ僕の中に残っている。

 玲二の意識が不自然に途切れて、不愉快な感覚が僕の中に広がって、慌ててリアに向かって叫んだ。玲二はどこ、って。

 あの白いきれいな鳥は目くらましをかけられていて、僕はいてもたってもいられずに、ハールに飛び乗ってこっちに来た。


「じゃあ、生き返ったとかなの」

「そう。僕の力をわけた。だけど別なものが入り込んでしまって、玲二の中に潜んでいる」

「そのせいであんな姿になったのか」

「多分、そうだと思う。急に変わって僕も驚いた」


 性格が変わったのもそのせいだと話すと、良太郎は深く深く、頷いてくれた。


「なるほどね。そんなに劇的な出来事があったんなら、仕方ないな」

「全部信じるの、良太郎は」

「信じる以外にないんじゃない?」


 玲二と僕はあんまり似ていないけど、二人とも嘘はつけないだろうって、良太郎は笑う。

 重たかった荷物を下ろしたようなほっとした感じ。僕は細く長く息を吐き出して、改めて目の前の友達を見つめた。


「なんかついてる?」

「ううん。ついてない。良太郎はすごい」

「すごかないよ」


 すごいよ。だって僕は今、生まれて初めて、この人と出会って良かったって思ってる。

 


 人間は弱くて、勝手で、攻撃的なものだって言われた。

 僕たちの正体を知ったら、即座に排除しようと武器を向けてくるんだって。

 おじいさんはずっとそう言っていたけど、実際には違う。

 僕はなんにもしらない。もちろん、僕たちを疎ましく思う連中もいるのはわかってる。玲二を容赦なく叩いて殺したやつらを、僕は言いつけ通り、許さなかった。


「一路、そろそろ戻ろうか」


 僕は本当は獣なんだけど。

 それを知っても、良太郎は友達でいてくれるのかな。


 友達になっても、すべてを知られるわけにはいかない。

 人間の世界のルールが少しだけわかったけど、心の底には不安の砂も積もっていた。

 

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