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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
春の歌
48/85

白日夢 / いつき

 教室に居づらくて、昼休みになると同時に廊下に飛び出した。

 なのに、五組の教室に玲二くんの姿はない。


 預かっていたお弁当箱にごはんを詰め込んで、渡しに行った時の反応は、一路くんの言った通り。玲二くんの言葉は、ありがとうだけ。

 戸惑っているような表情で、一言だけしか言わなかった。


「ねえ、中村さん、玲二くんはまだいるの?」

「え……? ああ、園ちゃん」


 いつもはこれでもかってくらいやかましいのに、今日は全然元気がない。


「玲二さんなら、いるよ。でもどこかに行っちゃった」

「具合でも悪いの?」


 私が心配する義理はないんだけど。一応、恋敵みたいなもののはずだし。

 それでもちょっと気になってしまった。様子が普段と違いすぎるもん。


「ううん、別に」


 そういえば、本城君も元気がないんだよね。

 今日はしょんぼり、しおれかけの花みたいにぐったりしていた。


 玲二くんはどこにいったのかな。急いで出て行ったんなら私に会いたくないんだよね、きっと。一人でいたいって言ってたし。


 友香と一緒に食べさせてもらおうと思って三組の教室を覗いたら、島谷君とじいっと見つめあいながらおしゃべりしていたので、間に入れなかった。

 仕方ない、戻るか。

 ところが、一路くんの隣の私の席はほかの誰かに占領されていた。一路くんは弟特製のお弁当を夢中で食べていて、そのまわりをぐるっと女の子が囲んでいるような状態。


「園田ちゃん、良かったらここにおいで」


 葉山君に招かれて、そのお隣に座らせてもらった。


「一路くん、モテてるね」

「あのビジュアルであのしゃべり方じゃ、みんな母性本能くすぐられちゃうんでしょ」


 確かに、私も可愛いなって思ってる。弟にはない魅力を持っているのは間違いない。


「玲二はどうしたの?」

「うん、なんかね、調子が悪いみたい」

「ガリガリだもんな」

「そう。また痩せちゃったし、精神的にもなんだか辛いみたいで」


 家事が負担になってるのかな。でもそれだけで、そこまで追いつめられるのかな。


「朝、会いに行ったんじゃなかった?」

「昨日お弁当箱忘れていったから、中身を入れて持ってきたの」

「愛妻弁当ですか」


 もう、やだな、みんな。冷やかしてきて。

 女子のみなさん、一路くんはなんでもかんでも全部話しちゃうから、ちゃんと指導しないと彼氏にするのには向いてませんよ!


「ごめん、そんなこと言うなんて玲二もやるなって思ってさ」

「確かに意外だったけどね」

「でもいいよって言ったんでしょ」


 はい、言いました。

 まだ薄茶色の王子さまの時代に、快諾しましたけど。


「もっと頼ってくれていいんだけどな」

「かっこつけたいんじゃないかな、園田ちゃんの前では」


 怒りっぽくなったところを見せたくない?

 自分が変わったっていう自覚があって、元通りになりたいのかな。


「無理してると思うんだよね」

「今日は大丈夫でしょ。園田ちゃんのお弁当食べてるよ、きっと」


 葉山君がいつもの優しい感じで笑ってくれたので、私もなんだかほっとした気分になってお弁当を広げた。


「あれじゃないの、玲二は。一路がべたべたしてくるから、欲求不満になっちゃったんじゃないの」

「欲求不満?」

「あ、いや、ごめん。あの……、うん。ピンと来ないならいいんだ」


 そういえば玲二くん、ことあるごとに「二人になりたい」って言ってたもんな。

 いきなり押し倒されたし、お父さんの前でもお構いなしにキスしてくるし。


「ごめんね、園田ちゃん。食事中なのにね」

「え、別に、大丈夫だけど」


 うう、耳が熱い。カッカしちゃってる。

 教室の中はいつもよりも騒がしい。女の子たちが大勢で一路くんを囲んで、好き勝手に言いたいことを全部言ってるから。

 時々、一路くんの顔がちらりと見える。良太郎、いつき、どっちでもいいから助けてって言われているような、そんな感じ。


「大丈夫かな、一路くん」

「難しそうだけど、まあいいんじゃない? 玲二の気持ちもわかるかもしれないし」

「玲二くんの気持ち?」

「一方的にわあわあ来られると、ちょっと辛いってさ」


 玲二くんはこっそりと葉山君メールのやりとりをしていて、一緒に暮らし始めたお兄さんの愚痴をこぼしているらしい。

 私といる時はいつも一路くんが一緒だったから、言えなかったのかな。

 そもそも言いづらいんだろうな。一路くんは全然、悪気なんかないだろうし。


「園田ちゃん、今日はクラブでお菓子作るの?」

「ううん、まだ。スケジュール組んで、買い出しリスト作るの」

「じゃあ一路は俺が預かってもいい? ラーメン屋に連れてってやろうと思うんだけど」


 うわ、一路くん喜びそう。まだ話し合いしかしてないから、クラブなんて嫌だって言い出すんじゃないか、実はひやひやしていたんだよね。


「俺の行きつけの店、学生だと麺の割り増しサービスがあるの」

「一路くん、お小遣い持ってなさそうだよ」

「ラーメン一杯くらいいいよ。俺のおごり」


 優しいんだな、葉山君は。みんなが喜ぶことを考えて、実行してくれる。

 

「園田ちゃん、帰りひとりになっちゃうけど大丈夫?」

「大丈夫……だよ」


 そういえば相原君の問題があるんだったっけ。

 いや、いいや。友香と待ち合わせよう。島谷君には悪いけどお邪魔させてもらおう。

 一路くんだってさすがに一人で帰るくらいできるだろうし、挑戦したらいいよね。



 放課後になって、一人で家庭科室へ向かう。

 一路くんは今日は書道部の見学に行ったけど、たぶんそれどころじゃないだろうな。初めてのラーメンにすっかりうかれていたから。

 友香とも約束を取り付けたし、準備は万端。そういえば相原君って何組だったかなって考えながら階段を下りて、一階へ。

 特別室が並んでいる別館への廊下を歩いていると、窓の外にふっと人影が見えて、思わず立ち止まった。

 遠くなんだけど、背が高いから目に入ったんだと思う。

 玲二くん。正門の方を向いて立ち止まっていて、隣に誰かがいる。


 先輩だ。


 立ち止まる二人の周りを他の生徒たちが歩いている。家に帰るのか、バイトにいくのかわからないけど、門に向かって流れていく。

 その流れのど真ん中で、二人はなにか話しているように見えた。

 なんの用なのかな。

 バレンタインのチョコをちゃんと受け取ったかどうか?

 ホワイトデーのお返しをおねだりしてる、とか……。


 私ももらってないけど、そんなのはどうでもよくて。

 玲二くんは先輩に向けて何回か頷いて、そして二人は並んで、外へ向かって歩き出してしまった。


 一緒に帰るの?

 中村さんみたいに、駅までは一緒に行けるとか。

 どこに住んでいるのかな、蔵元先輩は。

 胸が痛い。急に激しく心臓が動き出して、苦しい。


 廊下を走って昇降口へ向かった。

 乱暴に上履きを突っ込んで、靴を履き替えて、校門に向かってまた走る。

 生徒の波をすり抜けてどんどん進んでいくと、細長い二人の後姿が見えた。

 ギリギリのタイミング。揃って、駅前のカフェに入っていく。


 この店には何回か入ったことがある。あんまり広い店じゃない。テーブルはほとんど二人掛けで、大勢で入れる感じじゃあない。学生がたむろし辛い、大人向けのお店だったはず。


 外からそっと覗いてみても、二人の姿はなかった。一階じゃなくて、二階席にいるのかもしれない。ホットのカフェオレを頼んで、スティックシュガーを一本取って階段をあがっていくと、一番奥の席に黒い頭がちらちらと見えた。


 ちょうど、ついたてを挟んだ隣が空いている。


 二人の声は小さかったけれど、思い切って隣に座ったおかげでなんとか聞こえた。


「そうなんだ。やめちゃったんだね」

「はい、家庭の事情があるらしくって」


 なんの話なんだろう? 肝心の部分を聞きそびれてる。

 そうだ、クラブを休むって伝えなきゃいけない。スマホを取り出して部長に向けて、雑に文章を打ち込んでいく。

 すみません今日は急な用ができたので休みます 園田

 もうこれでいいや、送信。


「立花君は随分仲良くなったんだね」

「そうですね。はい、そうだと思います」


 先輩の声は少し高くて、優しい感じ。男らしさが全然ない。

 玲二くんの声はいつも低くて落ち着いているけど、今日は緊張しているみたいな、固い響き。


「連絡先って知ってる?」

「携帯の類は持っていないみたいなんで、たまに会いますから、伝言があるなら伝えます」


 誰かがやめちゃった、ってことなんだろうけど。

 二人の共通の知り合いって誰なんだろう? 玲二くんにわざわざ連絡先を聞かなきゃいけない人って……。あ、そうか。来平先輩かな。

 学校やめちゃったのかな。そういえば、お礼を言ってなかった。幸せを運ぶ羽根をもらったお礼。あれが本当に効果があるのかはわからないけど、勇気はもらえた。


「そうか、お兄さんが来たんだよね。じゃあ僕、玲二君って呼ばせてもらっていいかな?」


 なにその急な話題の変え方。


「玲二君、すごく顔色が悪いから、心配してるんだよ」


 玲二くんの返事はない。

 どんな顔をしているのか、すぐ隣にいるのに見えない。


「あのね、その……。僕は……」


 声がゆっくりと消えていく。

 お客さんの数は少なくて、他にはサラリーマンとOLらしき人たちが四、五人くらいしかいない。


 結局、先輩の言葉に続きはなかった。

 二人はテーブルに並べた飲み物を黙ったまま飲んでいるみたいで、私も冷めたカフェオレを音を立てないようにそっと口にしていく。


「ごめんね、玲二君。伝えたいことがまとまったら、お願いしてもいいかな」

「はい」

「今日はありがとう。それじゃあ、またね」


 先輩はまだ玲二君のことが好きなんだろうな。

 少し声が震えていたように思う。好きになって、勘違いして、否定されて、それでもまだ声をかけているんだもん。チョコレートも大きくて重たかった。玲二くんはあれを食べたのかな。チョコレートなんか好きじゃなさそうだけど、受け取って、どうしたんだろう。


 あんなに好きだって言われて、抱きしめられているのに。心の中にもくもくと黒い雲が湧き出してきて、すごく苦しい。

 嫉妬する必要なんてあるのかな? 一生一緒にって言葉をもらって、なにがあっても受け止めるって決めたのに、先輩とのこんなささやかな時間にムカムカしている。


 心がぐらぐらに煮立った鍋みたいになって、爆発してしまった。


「玲二くん」


 立ち上がって、ついたての上からのぞき込むと、玲二くんはびっくりした顔をしていた。


「いつき」

「ごめん、クラブに行こうとしたら、先輩と一緒に歩いていくのが見えちゃって」


 玲二くんの顔に入っていた力がみるみる緩んで、優しい微笑みを形作っていく。

 たったこれだけで、心の沸騰は全部おさまってしまった。バカみたいだねって自分を罵る言葉だけが残って、恥ずかしい。


「その席にいたの?」

「うん」

「こっちに来て」


 優しい笑顔に誘われて隣に移動して、玲二くんの向かいに座った途端、顔が近づいてきて唇がぶつかった。


「や」


 こんなところで。確かに、一番奥の席で誰からも見えない、かもしれないけど。

 手が伸びてきて、私の頭に添えられる。ううん、添えられたって感じじゃなくて、力強い。最近の定番になってきた、ねっとりとしたキスへの挑戦はなかったけど、でも、軽くって感じでもなくて。


「ごめん」

「ごめんって思ってないよね」

「うん」


 玲二くんは不敵な笑みを浮かべている。私とは正反対に、いっぱい余裕を漂わせながら。

 

「クラブはどうしたの?」

「今日はサボっちゃった」

「俺のために?」


 玲二くんの瞳の色が、明るくなっていくように見えた。

 落ち着いた内装のカフェだから、照明はぐっと抑えてある。

 暖色のあかりのせいなのかな。金色、きれいで、玲二くんによく似合う。


「一路は良太郎と一緒なんだよね」

「うん、そう言ってた」


 ぽーっと、顔が熱くなっていく。

 玲二くんで胸がいっぱいになっていく。心だけじゃなくて、頭も体も全部、玲二くんでいっぱいになっていくような、不思議な感覚。

 それは私が求めているものでもあり、私がなりたい姿でもあって、だけど今のこの気持ちは、とても不自然で押し付けられたような、そんな風にも感じられて。


「いつき、俺の部屋に来てよ」


 否定の言葉が今、私の中にはない。

 玲二くんの言う通り、したい通りにしなきゃいけない。

 大抵のことは叶えてあげたいといつだって思っていたけど、それとは違う、おかしな意識が私のど真ん中を占拠している。


「うん……」


 玲二くんの部屋には行きたい。

 だけどいま私を見つめている金色の瞳は多分、玲二くんじゃない。


「いつき」


 その奇妙な感覚に捉われていたのは、ほんの一瞬だった。

 そう頭で理解しているのに、何十分も経ったような疲労感がある。


「大丈夫?」

「え? うん、うん、大丈夫だよ」


 さっきのはなんだったのかな。

 俺の部屋に来てって、玲二くん、言ったっけ。言ってないっけ。わからない。


「せっかくだから一緒に帰ろう」


 前みたいに一緒に電車に乗って、一緒にドアの前に立って、一緒に改札を抜けて。

 二人で歩いていきついた先は、私の家だった。

 玲二くんの部屋じゃあなくて。


 じゃあね、って玲二くんは去って行って、しばらくぼやーっと後姿を見つめた。


 お買い物しに行くのかな。

 夜ごはん、一路くんがいないなら量が少なくていいから、楽だよね。



 気が散って散って、全然まともに働いていない。

 部屋に帰って、着替えをしようとしていたのに、ブレザーとリボンだけをはずしたままぼやーっとして、気が付いた時にはもう一時間近く経っていた。


 ベッドの上に座って、さっきの出来事を考えてみる。

 玲二くんの瞳と、言葉と、私の中に生まれた激しい違和感と。

 ふいに、葉山君の言葉を思い出した。欲求不満って、そういうアレなのかって。

 あんな話を聞いたから、妙な妄想をしちゃったのかな。

 男と女じゃ全然つくりが違うんだからって、友香も最近言うんだよね。

 お兄ちゃんの部屋にも、下着姿の女の子のグラビアが落ちていることがある。無造作にぽいって置いてあるから、ドアが開いていると目に入って、あらやだって思ったりするけど。


 なにを考えてるんだろう。

 私も、玲二くんも。なんだろう、今日のこの感じ。


 体の奥が熱くて、頭の中は冷たくて。

 わけがわからなくて、中途半端な格好のままベッドでしばらくごろごろしていたら、スマホがぶるぶると震えて、友香からのメッセージをディスプレイに映した。


 どこにいるの? だって。

 しまった、先に帰るって伝えるの、忘れてた。


 慌ててお詫びを送ったら、じゃあ島谷君とふたりだー、って返信があって安心したけど。



 

 玲二くんに聞いたらいいんだ。

 部屋に来てって言った? って。

 言ってないって返されたらどうしよう。

 あれ、もしかして私が欲求不満なんじゃないの、これって。


 キスは本当にあったのかな。

 もう全然わからない。

 玲二くんと一緒に帰ったのだけは、本当だよね?


 すっかり混乱してぐだぐだしたまま、夜ごはんの時間になってしまった。


「いつき、なあにその格好。まだ着替えてなかったの?」


 そうだった。着替えようと思って途中だった。

 慌てて部屋に戻って、着替えて、ごはんを食べて、お風呂でぼんやりしてお兄ちゃんに文句を言われて、デザートにいちごをもらって、ため息をついて。


 また部屋に戻ってから勇気を出してメールを送ってみたけど、返事はなかった。

 明日は土曜日。デートの予定は、結局ないまんま。

 

 だけど今はなんだか怖いから、会う予定がなくて良かったのかもしれない。

 

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