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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
無言の月
43/85

0404

 僕は少し後悔していた。

 あの場にとどまっていてはいけなかったし、玲二がいつも暮らしている家だとよくないっていうのはライの言う通りだったけど。

 でも、お父さんの住んでいた家に行ったのは間違いだったのかもしれない。

 せっかくわけたはずの力が、いつの間にか消えていて、かわりになにか、得体のしれない大きななにかが入り込んでいるなんて。


『お母さん、予想外のことが起きたよ』


 今、あっちは何時かな?

 とりあえず呼び掛けてみると、すぐに返事があった。


『予想外ってなあに?』

『よくわからない力が玲二に入ったんだ』

『どうなったの?』

『問題はないよ。玲二はむしろ強くなったと思う。だけど正体がわからない』

『見えるの?』

『ううん。完全に見えなくなった』


 これまで僕にだけは見えていた玲二の魂が、今は完全に濃い霧の向こうに隠れてしまった。だから僕は、とても焦っている。それに、外見まで変わってしまった。


『髪が黒くなっちゃったんだ。瞳の色も、濃くなった』

『玲二はなんて言ってるの?』

『なにも。どうしてなのかなって、そのくらい』

『性格に変化は?』

『どうかな』


 お母さんはすっかり黙り込んでしまった。

 去年からずっと元気がなくて、本当にかわいそうだ。

 

『お祖父さん怒ってない?』

『カンカンよ』

 

 すぐに戻るつもりだったけど、お母さんが戻れない以上僕が玲二を支えるしかない。

 今はお父さんの車で家に戻っている最中で、後部座席の更にうしろには小鳥が三羽とまっている。

 リアとハールはいいとして、問題はライかな。

 こっちのマスターを怒らせちゃって、玲二と一緒に守ってやらなきゃいけない。


『なあ一路、着いたらなるべく早いうちに店に顔を出した方がいい。こっちでしばらく暮らすんだろう?』

『わかってるよ』


 気が進まない。

 僕は玲二の世界をのぞくのが好きだったけど、ごちゃごちゃとした街には魅力を感じたことがないから。人ばっかり、建物ばっかり、石ばっかり。狭いところでひしめきあって、肩をぶつけあってはお互いに怒っている。

 

「父さん、月浜に寄って」


 車はもう二時間も走っていて、家まではまだ一時間もかかるという。

 うんざりした僕の隣で、玲二は涼しい顔で父さんにこんな注文を出した。


「どうしてだ、玲二」

「あの店に寄って行かなきゃ」

「あの店って、Watersとかいう?」

「ほかにないだろ」


 あ、今、違うやつが出てきている。おかしいと思った。

 時々やたらと鋭くなった視線の向こうに、憎しみが見えるような気がしたんだ。


「駄目だよ玲二、まだ回復しきってない」

「いいんだよ。一路だって挨拶しなきゃならないだろ?」


 ライもな、と玲二はにやりと笑った。


「玲二、なにが入った?」

「入ったって?」

「あの家にいる間に、違う誰かが玲二の中に来たんでしょう?」

「……さあね」


 こんな物言いをする弟じゃなかった。お父さんだってほら、鏡越しに驚いた顔を見せているじゃないか。


「駄目だよ、やっぱり。玲二は全然安定してない。前の玲二と絶対違う」

「一路になにがわかるんだ。見えるのか、俺が」


 玲二はこれまでにない強い瞳で前を見つめて、お父さんにもう一度月浜に寄るよう告げた。

 

 ひょっとしたら逆らえなかったのかもしれない。

 お父さんはわかったと答えてしまった。


『玲二の中に誰かがいる』


 お母さんからの返答はなかった。


 あんまり心配かけたくないんだけどな、お母さんに。

 多分、三つ岩の穴倉に閉じ込められていると思うから。 

 助けに行ってあげたいけど、でも、そうしたらおじいさんがこっちに来ちゃうし。

 そっちの方が面倒な気がするけど、どっちがマシなのかな。


 窓の外の景色に建物が増えていく。

 僕の好きじゃない混み合った街並みが迫ってきて、すっかり憂鬱な気分になった。

 

「一路はこれからどうするんだ。ひょっとしてすぐに帰っちゃうのか?」


 あれ、さっきの悪い玲二じゃなくなっているぞ。

 

「いつかは帰るけど、しばらくはいるよ。玲二がもっと元気になるまでは手伝うから」

「ありがとう」


 いつもの感じだなあ。

 これはかなり、手強そうだ。


『ハール、リア、玲二から目を離さないようにしなきゃ』

『大丈夫だ、まかせておけ』

『これまでと変わらないわ』


 そう言うけど、玲二が攫われた時にはリアの目が届かなかった。

 誰かが故意にそうしたはずで、そんな悪い奴はやっつけなきゃいけない。

 あの連中みたいに一掃しちゃいたいけど、きっと龍が邪魔してくるだろう。


 

「そこで停めて。すぐに戻るからここで待っててよ」


 お父さんは心配そうに何度も何度も「本当に大丈夫なのか?」って聞いた。

 僕にも玲二にも確認して、最後にはライにまで。


 ライは不安でたまらないみたいだけど、玲二は平気そうだ。

 なにをしにいくつもりなんだろう。

 あの時のことを丸々覚えていないのに、犯人だけは感じられるのかな?


「一路、行こう」


 少しずつ玲二の色が変わっていく。

 穏やかな木々の緑から、煮えたぎる赤に。

 玲二は怒っている。理由はわからなくても、感じるんだろう。

 さっきの身元不明の誰かが顔を出して、玲二を導いているようにも思う。


「ねえ玲二、少し待って」

「なに?」

「僕のこと、覚えているかなと思って。うんと小さいころと、最近では夢の中で会ったよね」


 たった一度だけ、帰郷が許された日があった。

 僕は浮かれて、玲二を森に連れ出して一緒に遊んだ。

 母さんが何度も止めたのに遠くへ行ってしまって、それで、けがをさせてしまったんだ。頭をぶつけて気を失った玲二を背負って慌てて家に戻った。玲二は結局その時のことを忘れてしまって、僕はどうしようもなく悲しかった。


「夢の中で?」

「うん。僕はずっと玲二と一緒だったけど、玲二は僕を感じられなかった。でも夢の中でなら、ほんの少しだけ会えた」

「あの狼は一路だった?」

「そうだよ。うん。玲二が助けて欲しいっていうから、僕は狼になって敵をやっつけた」


 玲二は口をきゅっと結んで、黙り込んでしまった。

 見ていたと思うんだけどな。

 それとも、繋がってはいなかったのかな。


 結局返事はないまま、玲二は店に入っていってしまった。

 仕方がない、僕も続くしかない。ライは怖いみたいで震えていたけど、引っ張って一緒に連れて行った。


 店の中は薄暗かったけれど、その男の姿ははっきり見える。

 水の香り。静けさも激しさも併せ持った、龍の化身だ。


「立花玲二君、その兄の一路君」


 玲二は答えず。僕は前に進んで、弟の隣に並んだ。


「ずいぶんと勝手な真似をしてくれたようだね」

「はじめまして」

「とぼけないでもらいたい」


 遠屋は鋭い目で僕を見据えた。

 そんな僕らをよそに、玲二は店の奥に無言のまま進んでいく。


「おい、玲二」


 ライの声もものともせずに進んで、一番奥にあるテーブルの下に、玲二は手を突っ込んだ。


「なにをするのよ、離しなさいよ!」


 暗闇から引きずり出されたのは、髪をまっすぐに切りそろえた女だった。

 きれいな顔だけど、邪悪なオーラをまとっている。

 僕は玲二の世界をたまにのぞいていたけれど、この女の素顔は見ていない。


「いつきにちょっかいを出さないって約束、破っただろう」

「あんた、死んだはずでしょう!」

「ふうん。もしかしてお前が仕組んだのか?」


 冷たい目。あんな目をするはずないのに。

 玲二は穏やかで、優しい弟のはずなんだ。


 首をつかまれて、人でなしの女は暴れている。

 玲二をにらみつけているけど、なんの効果もないみたいだ。


「やめないか、立花玲二!」


 龍の制止も聞かない。なにか力を使っているようだけど、こちらも効かないらしい。


 僕はじっと店の奥を見つめていた。

 見極めなければいけないから。

 玲二の中に入り込んだ者の正体と、どんな影響を及ぼすかを。


「一路、止めてくれよ」


 ごめんね、ライは怖いのに。でもそれどころじゃないんだ。


 龍は僕を睨み付け、苛々とした表情を見せると、玲二に向かって手を伸ばした。

 だけどその前に、もう一つ暗闇から影がにゅうっと伸びてきて。


「調子に乗るのはいい加減にしろ」


 出た。もう一人の人でなし。

 沙夜の後ろに隠れていた強大な力の持ち主、真夜。


「へえ、あなたのお仕置きは随分軽いんだな」


 玲二は真夜に目もくれず、遠屋に向けて顔を歪めた。


「沙夜から手を離せ」

「俺は納得がいかない。争いは駄目だ、ルールは絶対だと言っておきながら、どうしてこいつらを見逃す?」

「見逃してなどいない。違反があれば、その都度罰を与えている」

「罰ねえ」


 ふいに玲二の瞳が金色に光った。

 一瞬だけだけど、僕は見逃さなかった。

 多分、真夜も見たんだと思う。

 その光にひどく怯えたみたいで、玲二に向けて強い力を放った。


「ちゃんと死ねよ、この亡霊!」


 玲二は沙夜の首をつかんだまま、ぴくりとも動かなかった。

 視線すら向けないまま。

 なのに、真夜が突然苦しみ始めた。


「なんだこれは……」


 指先から姿が消えていく。手が消え、腕が消え、長い髪、足、眉毛、膝、そして世にも美しい形の目も消えた。姿を消しているんじゃないのは明白。だって、いつまでも残っている口から、ずっと怨嗟の声が上がっているから。


「なにをしやがった!」


 叫んでも無駄だ。唇も消えて、真夜はもうなにも言えなくなった。

 最後に残ったかけらは、胸のあたりだったのかな。それもふわっと空気に溶けて。


「立花玲二。真夜になにをした!」

「見てただろう? なにもしてない」


 遠屋の問いに、玲二はまた鼻で笑うようにしながら答えた。

 最愛の兄を失った沙夜は、がくがくと震えている。


「反射させたんだな」

「させてないよ。そんな力が俺にあったのかなあ」

「とぼける気か」

「とぼけてない。大体、反射のせいで消えたんだとしたら、真夜は俺を消そうとしたってことだろう? それについてはどう思うの、マスター」


 玲二は沙夜をぽいと店の隅に投げると、振り返ってにっこり笑った。


「これでもういつきに手出しは出来ないな」

「玲二」


 玲二じゃないよな、今出ているのは。

 怒りの原因は、いつきへのちょっかい?

 それとも、自分の死の原因を作った犯人を理解しているのか。


 まだわからない。

 玲二が目覚めて、まだ四日しか経っていないんだ。

 もっと時間が欲しかったのに、あの誰かが入り込んでから回復が早くて、戻ることになってしまった。


「俺はちゃんとあなたの指示に従うよ。会合にも出るし、今は少し百井に対して怒っちゃったけど、でも二度も警告をされたのにまた同じことをしたんだ。あいつだって悪いでしょう?」


 遠屋は苦々しい顔をしたけど、最後にはそうだな、と頷いた。


「ごめんな、百井。お前の兄貴を消しちゃって」


 沙夜は震えながら、目を大きく見開いて玲二を見つめ続けている。


「これは俺の兄貴。余計な手も口も出すなよ」


 玲二の用事はこれでおしまいだったらしい。

 僕に行こうと促して、店の出口へと向かっていく。

 ライは慌ててそのあとへついて行って、僕も続いた。


 店の外に出ると、ビルの隙間には強い風が吹いていた。

 もうすぐ春を迎える町に吹く風は生暖かくて、気持ちが悪い。


 そう思う僕の視線の先には、黒づくめの男が立っていた。


「立花玲二、これを」


 こいつはカラスとかいう蛇だ。

 玲二に向けて、四角い機械を差し出している。


「これは俺の?」

「そうだ。クロが廃ビルに立花玲二をつれてきた時に落としたもの」

「カラスが持っていたのか?」

「真夜が持っていた。私の匂いが付いていたから、気付かれないよう取り戻したんだ」


 カラスはなぜかうやうやしく頭を垂れて、まるで捧げるようなポーズで玲二へ機械を渡した。

 玲二はそれを手に取って、口の端だけをあげて笑う。


「良かった。新しいのを買わずに済んだよ」


 ありがとうと礼を言われて、カラスは闇に溶けて消えた。


「じゃあ、家に帰ろうか」

「玲二?」

「なに、一路」


 ゆっくりと戻っている。

 玲二じゃない誰かは、まるで太陽と月のように自然に、いつのまにか本当の玲二と入れ替わるみたいだ。


「さっきのは、力を反射させたの?」

「わからないよ。でも、もしかしたらそうなのかも」

「自覚はある?」

「いや、ないよ。相変わらず誰の心も見えないし」


 僕のは見えてもいいと思うんだけど。

 そばにいれば少しは変化があるのかな。



 父さんの車に戻った後、玲二はすっかりおとなしくなっていた。

 カラスから渡された機械を触っては首を傾げて悩んでいる。


「どうしたの、玲二」

「いつきに会いにいきたいけど、さすがにもう遅いから」

「遅いから、なに?」

「いや、メールを送っていいかなって」


 あんまり遅い時間に送るのはマナー違反だと玲二は言う。

 さっき一人消したとは思えない呑気さで、恋する自分を楽しんでいる。


「玲二、連絡するのはいいけど、もう少し体を休めたらどうだい?」

「これ以上待たせられないよ」


 玲二は本当にいつきが好きなんだ。

 僕はずっと見てきたから知ってる。

 玲二の心は時々星の裏側に隠れて見えないこともあったけど、それでも、あんなに満たされたり、苦しくなっていた時間は人生の中になかった。


「もうリアの監視はいらないだろ?」

「いや、まだいるよ。玲二、さっきも言ったけど中に誰かが入り込んでる。今の玲二を見たらいつきは驚く」

「どうして?」

「玲二じゃないみたいだから」


 僕の意見が気に入らなかったんだろう。

 玲二はぷいと外を向いて、もう話してくれなかった。

 家に戻ってからも自分の部屋に入ったっきり、出てこなかったし。

 何度呼んでも開けてくれなかった。


 ちゃんと休んだ方がいいから、寝てるならそれでいいんだけど。

 なにか変化があった時、困ってしまう。


「一路、玲二は大丈夫なのかな」

「わからない。体が回復したらもう少し違うかもしれない」


 もっとじっくり休ませたいんだけどな。

 でも、駄目だろうな。今のままだと、誰の言うことも聞きそうにない。


 いつきに言われたら聞くだろうか。

 でも、あんな不安定な状態で、真実を話すわけにもいかない。



 玲二の隣の空き部屋をもらって、僕も少し落ち着いていた。

 お父さんはお客さん用の布団を敷いてくれたので、狼の姿になって丸くなった。


「テレーゼはいつになったら戻れるかな?」


 狼になった時、僕はお母さんにそっくりだから。

 お父さんは寂しげで、二人の絆の強さを感じる。


 狼と人の間にある厚い壁を乗り越えたんだもんな。

 よっぽどお互いが好きに違いない。

 玲二といつきもこんな風になれればいい。

 だから僕は、玲二をしっかり守ってやらなきゃいけない。


『ハール、リア、ライ、来て』


 僕の部屋の中には、動物しかいない。

 全員鳥の姿になってもらって、玲二に聞こえないように話し合いを進めた。


『玲二の中にいる誰かは、多分すごく強いんだと思う。意志もはっきりしていて、譲らないんだ。その影響で、玲二も他人に対して強く出てしまう』

『これ以上マスターを怒らせたら大変じゃないか?』

『肝っ玉が小せえ鳥だな、お前は』

『おじいさま、ライをいじめないで』


 ハールは細かいことをあんまり気にしない。

 ライは臆病に見えるけど、慎重だし、持っている力は玲二に必要だ。

 リアはお母さんみたい。ライと仲良くなったみたいだし、つがいになるのかな。


『とにかく、玲二から目を離さないで。ここにこうして鳥が集っているのは、きっと意味があると思うから』

『まかせておけ、一路』

『わかった、玲二に借りをちゃんと返すよ』


 リアは今までと変わらないわねと、ひとり高い声で囀った。


 三羽もいれば大丈夫かな。


 僕はどうしよう。玲二の様子を見るなら、同じ場所にいた方がいいとは思うけど。


『ちょっと月を見てくるね』


 家の中は暗いし狭いし、息が詰まる。

 この辺りは静かだし、緑も多いけど、森の中ほどじゃない。


 屋根の上に登って月をぼんやり眺めていると、すぐそばに真っ黒い誰かが現れて僕に影を落とした。


「カラスだよね」

「ああ。もしも必要なものがあるなら、申し付けてくれ。用意する」

「どうして急にそんなに協力的になったの?」


 カラスはなにも言わずにふわっと消えてしまった。

 協力してくれるなら助かるかな。僕も「高校」とやらに潜り込めるようになる。



 まだ日本に来て少しなのに、いろんなことがいっぺんに起きた。


 どんなに走っても疲れないのに、頭を使うとこんなにへとへとになってしまうことを僕は学んだ。

  

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