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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
さみしくとも明日を待つ
39/85

君はだいじょうぶ / いつき

「園田ちゃん、ちょっとおいで」


 月曜日、なんとか学校に来たけど、ずっと机に突っ伏しっぱなしだった。

 先生に声をかけられるたびに顔をあげたけど、結局前は見えないし声も聞こえない。

 考えてみれば、どうやってここに来たのかも不思議なくらい。


「葉山君」

「ひどい顔してんね」


 昼休みが始まって、周りはがやがや騒がしい。

 葉山君はいつもの優しい顔をふっと緩ませて、視線を私と同じ高さにしてのぞきこんでくれた。


「なんか食べないと元気でないでしょ」

「今日はいいの」

「とにかくさ、たまには付き合ってよ、ね」


 じゃ、行こうって、葉山君は私の手をとって引っ張った。

 のろのろ立ち上がって、のろのろとついていく。

 冬のひんやりとした廊下をずっと歩いて、階段を下りて、行きついた先は書道部の部室だった。

 誰もいない教室の中は寒くて、葉山君は手をすりあわせながら暖房のスイッチを勝手に入れている。


「ここ、勝手に入っていいの?」

「書道部のエースだからね、俺は。ちょっとくらい許されちゃうんだ」


 墨の匂いがする。

 壁にはあちこちに見本や作品が貼られていて、上手だったりなんて書いてあるかわからなかったり、さまざまだった。


「はい、これ。食べな」


 購買で渡される無地のビニール袋から、いちごの挟んである甘いパンが出てきて、私の前に差し出される。


「これもね」


 ホットの紅茶も。葉山君、いつ買ってきたんだろう?


「俺は母ちゃんの作った弁当をいただきますので」


 わざわざ袋を開けてくれて、ペットボトルのキャップも外してくれた。

 そこまでしてもらったら、もう食べないわけにはいかない。


 柔らかいパンの中にはホイップクリームがたっぷり入っていて、甘い。

 イチゴの甘酸っぱさが口の中に広がって、なんだかちょっとほっとしたかも。


「昨日なんか食べた?」


 一昨日の夜からなんにも食べてない。

 喉もからからだったから、あったかい紅茶が、体中にじわーっと広がっていくみたいに感じた。


 葉山君は高校生らしからぬ渋い内容のお弁当を一粒残さずきれいに食べて、若草色のハンカチで包みなおしている。

 水筒の中身は、緑茶なのかな。純和風なんだよね、いっつも、葉山君って。


 葉山君は優しく微笑んだような顔をしたまま、じっと黙って待ってくれた。

 もたもたとした私が全部食べ終わるのを。

 

「ごちそうさま、葉山君。ありがと」

「どういたしまして」


 心配されて当たり前だよね。

 ぐずぐず泣いてばっかりで、目も腫れたまんま来ちゃったから。

 玲二くんはいない。誕生日だったってきっと知ってるだろうし、なにかがあったのはバレてるんだろうな。


 そう勘付いている人はほかにももしかしたらいるかもしれないけど。

 最初にこうして声をかけてくれたのが葉山君で、本当に良かった。

 たとえば友香だったら、あれこれ聞かれて泣き崩れていたかもしれないし。

 本城君なんか来たら最悪だったと思うから。


「……あのね、玲二くんに、フラれちゃったんだ」


 葉山君の優しさに助けられて、やっと声に出せた。


「玲二に? フラれた?」

「うん、そうなの。フラれちゃったの」


 あの時の玲二くんは苦しそうで、なにがなんだかわからなかった。


「誕生日に家に行ったら、玲二くんが出てきたの。プレゼントを受け取ってくれて、それでね、大好きだよって言ってくれたのに」

「言ってくれたのに?」

「園田とはつきあえない、さよならって」


 別れの言葉って、多分、初めて聞いたと思うんだ。

 これまでずっと、またね、だったから。


「あいつ、今日休んでるけど」

「どうしてかはわかんない。だけどあの時、顔がすごく腫れてて、それに変なこと言ってたんだ」

「なんて言ってたの」

「自分には未来がないんだって」

「なによ、それ」

「わかんない。なんとかしたかったけど、どうにもならなかったって。それだけ言って、もう出てきてくれなかったんだ」


 あの時の言葉の通りだった。

 責任が持てないとか、自分の人生に意味があるのかわからない、とか。

 大げさな言葉だと思ってたんだけど、冗談じゃなくて、本当に大げさな事態が玲二くんに起きているってことだよね。


「なに言ってんのかね、あいつは」

「本当に苦しそうだったの、玲二くんは」

「思春期特有の誇大妄想なんじゃないの。俺が行って話聞いてくるよ。あいつ、園田ちゃんのことマジでめちゃめちゃ大好きだからね! 俺から聞くなんていやだろうけどさ。それだけは間違いないし、大体なにがあったとしたって、突然誰にも会えなくなったり連絡つかなくなったりする状況なんて今時ないでしょ?」


 たとえば絶対に明日死んじゃうとか以外に、ありえないよね、って。

 病気だったとしても、どこかへ去らなきゃいけなかったとしても、この瞬間から誰とも一切繋がれなくなるパターンって確かに思いつかない。


「園田ちゃん、とにかくちゃんと食べて、ちゃんと寝るんだよ。せっかくの可愛い顔が台無しだからさ。そんなんじゃ玲二が心を入れ替えて、すいませんまた付き合ってください、って言いだしたときに対応できないからね?」

「あはは」

「そうそう、それ。希望とユーモア! 忘れないで」


 ちょっとくらいふくよかな方が男は喜ぶから、とにかく食べなさい、だって。

 おかあさんみたいだな、葉山君。


「園田ちゃん、今日クラブは?」

「今日は休もうと思ってる」

「じゃあ、玲二の家の近くまで送ってくれない? あの辺目印になる建物がないから、多分迷うと思うんだ」


 帰りは玲二に送らせるからと、葉山君はニカっと笑った。


「わかった」

「じゃ、放課後よろしくね」


 葉山君と二回目の二人きり。電車に一緒に乗って、並んで座る。

 葉山君の出してくれる話題は軽快で、深く考えてもいいし考えなくても大丈夫ないいチョイスのものばっかりだった。すごく楽なんだよね、よく気を遣ってくれていて。

 話題も豊富だし、反応も面白いし、下品じゃないし。

 だから私はすごく油断して、こんな質問をぶつけてしまった。


「葉山君は、失恋したことってある?」

「え? それ聞いちゃうの?」


 参ったなあなんて頭をかきながら、葉山君は首元のマフラーを緩めている。


「俺ね、典型的ないい人顔だからモテないんだよ。だからさ、ちょっといいことがあるとすぐ引っかかっちゃうの」


 確かに、葉山君はいい人そうな顔をしている。中身もかなりいい人だけど。


「そんなに簡単に引っかかりそうには見えないけど」

「今ならね。去年ひどい目にあったから、かなり慎重になってんだ」


 受験生なのにもて遊ばれちゃってさ、だって。


「去年の冬はほんと荒れてて、それで第一志望もダメだった。二次募集でなんとかひっかかって、今通えてるの。焦ったよね、浪人になっちゃうかもしれないって。それで目が覚めて、心を入れ替えたんだ」


 なにがあったの、葉山君。そんな遠い目しないでほしいんだけど。


「園田ちゃんは、フラれたことってあるの?」

「ええ?」

「玲二はまだカウントしちゃ駄目だよ。あいつは今は取り乱してるだけで、本心じゃないだろうから」


 だって、大好きだって言われたんでしょ?

 そう、なんだ。大好きって言ってくれた。初めて、私が一番欲しかった言葉をくれた。


「それだったら、ないと思う」

「じゃ、玲二をがっちり捕まえて、生涯無敗宣言といこうぜ」


 玲二君の家の近くで、葉山君と別れた。

 ちゃんと家に着いたよって連絡がきて、それからしばらく、自分の部屋で悶々としながら過ごした。


 頭の中を、玲二くんとの思い出が駆け巡っていく。

 いい思い出も、なんだか悲しかった時についても、全部。

 花火大会の時、私が勝手にキスしたの、気が付いてるのかな。

 あふれだしそうになった涙を拭いたり、こらえたり、流れるままにしてみたり。

 どのくらい泣いたら涙は枯れるんだろうなあ、なんて考えていると、また葉山君からメールが届いた。


 うまくまとめられないから明日直接話すね、だって。

 なにそれ。葉山君でもお手上げなほどなの?




「玲二には会えたんだけど、ちょっと色々変なことがあってさ」


 次の日も、書道部の部室に入り込んで二人でお昼を食べていた。

 今日はちゃんと、お母さんが用意してくれたお弁当を持ってきている。


「なにが変だったの?」

「まずさ、家に行ったら、わかるかな、玲二が例の図書委員の先輩にバイトの話を持ち掛けられたとき、一緒に来てた人。肩ががっしりしてる」

「来平先輩だよね」

「そんな名前なんだ。とにかく、その人が出てきたんだよね」


 え、本当に? お家から出てきたって、どうして?


「で、家に入れてもらったら、玲二の部屋になんにも置いてないんだよ。どうしたんだって聞いたら、ドアが壊れちゃったから自分の部屋は今使えないんだって」

「部屋のドアが?」

「うん。なんだかすごい壊れ方で、枠もガッタガタになっててさ。でもなにがあったのかは言わなくて」


 顔が腫れてたのとなにか関係があるのかな?


「ケガしてた?」

「顔にあざができてた。園田ちゃんも、腫れてたって言ってたでしょ」

「うん」

「まあとにかく、そのライヘイ先輩って人が水を運んできたり、玲二の頭には白い鳥が乗ってたり、なんかもうすごく変だったんだけどね」

「それって、冗談じゃない……よね?」

「この状況で冗談言えるほど無神経じゃないよ、俺は」


 そうだよね、ごめん、葉山君。

 心配してわざわざ行ってくれたのに、こんな意味のわからない嘘つく理由がないよね。


「園田ちゃんに言ってたセリフは、聞いた。将来がないとか、普通には生きられないとか」

「どうしてなのかは?」

「うん……」


 葉山君は急に渋い顔をして、水筒のお茶をコップに注いでいる。


「ちょっと先にもう一個の大事な話してもいい?」

「うん、いいよ」

「いろいろ話したんだよ、玲二に。話したっていうか、俺が一方的にしゃべっただけなんだけど」


 お茶を飲んで、鼻をぽりぽり掻いて。

 すごく言いにくそうで、不安になってくる。


「とにかくまあ、ひとつはっきりしているのは、昨日も言ったけどさ、玲二は園田ちゃんのことめちゃめちゃ好きなんだって。頭がおかしくなりそうなくらい好きだって言ってたよ」


 これには、返す言葉が見つからなかった。

 嬉しいんだけど。来平先輩に言われた時よりもずっと、信憑性があるんだけど。

 だけど葉山君の顔はなんだか苦悩に満ちたままで、そっちが気になって仕方ない。


「玲二は冗談を言うタイプじゃないと思うんだよな。嘘ついたら、すぐバレちゃいそうだと思うよね?」

「うん」

「ごまかそうとした割には、なんか……」

「どんな話だったの?」


 葉山君は眉間にふかーく皺を寄せたまま、私に顔を近づけて、本当に小さな声でこう囁いた。


「人間じゃないんだとか言うんだよ」


 玲二くんが?

 人間じゃない?


「え、じゃあ、なんなの?」

「それは言わなかったけど」


 なに言ってんだろ、玲二くん。

 なるほど、葉山君のこの反応の理由がよくわかった。

 玲二くんが言うはずないんだもん、こんなこと。


「そんなに追いつめられてるのかな?」

「そうなのかなあ。でも、そこまで追いつめられる理由ってある? まだ家にいるみたいだし、どこかに行くって雰囲気でもなかったよ」


 二人でしばらく、じっと黙り込んでしまった。

 ますますわけがわからなくなってしまった感じがして。


「ありがと、葉山君。様子見に行ってくれて」

「役に立ったんだかわかんないけどねえ」

「ううん、そんなことないよ」


 好きだって、葉山君には話してくれたんだよね。

 じゃああの時の言葉は嘘じゃないんだ。

 だったら私も、もうひと頑張りしなきゃいけない。


「私も玲二くんのことめちゃめちゃ好きだから、もうちょっと頑張る」

「そっか。良かった」


 次の日曜日はバレンタインデーだから、玲二くんにチョコを持っていこう。

 ついでにって言ったらなんだけど、葉山君にもあげようかな。お世話になってるし。

 泣いてる場合じゃない。玲二くんが苦しんでいるなら、私が支えにならなきゃ。

 頼っていいんだってまずは思ってもらわないと。


 それにしても、どうして来平先輩が玲二くんの家にいるんだろう。

 どうしても気になったので、お昼休みが終わる直前、二年生の教室をのぞいた。

 あの妙にがっしりとした上半身の先輩の姿はない。


「あの、すいません」


 入り口のすぐそばにいた丸刈りの二年生に話しかけて、来平先輩の所在を聞く。


「来平?」

「あの、背は私よりちょっと高いくらいで、肩がこう、がっしりしていて」


 あとは目がきょろきょろしている。ちょっと、鳥みたいな印象の人。

 だけど、私が話しかけた先輩には心当たりがないらしい。


「来平君ならずっと来てないよ」


 その後ろからすっと出てきて、答えてくれたのは例のフェミニンな、蔵元さんだった。


「来平君になにか用なの?」

「いえ、……いないんなら、いいんです」

「そう」


 相変わらず色白で髪がさらっと長くて、男らしくない姿だった。

 すごく気まずくて、早く立ち去りたかったんだけど。


「立花君は元気?」


 聞かれてしまった。

 

「いえ、今日は休みです」

「そうなんだ」


 蔵元先輩は髪をさらっと揺らして、寂しげに目を伏せてしまった。

 だから私は、失礼しますと言い残して、慌てて自分の教室に走ったんだけど。


 まだ好きなのかな。

 なにをどうしたらそうなるのかはわからないけど、付き合ってるつもりだった、って言ってたもんね。

 実は全然つきあってなんかいなくて、ほかに好きな女の子がいるなんて。辛いよね、そんなの。


 譲る気はないけど、同情はしちゃう。

 

 で、来平先輩は「ずっと来てない」?

 ずっと玲二くんの家にいるとか。まさかね……。



 それから三日後、金曜日。

 教室にたどり着くと、葉山君がすでに到着していた。


「葉山君、おはよ」

「お、園田ちゃん。おはよう」


 すっかり元気そうだねと褒めてもらった。

 そう、だってニコニコで行かなきゃだからね。


「ちょうど日曜日だから、これ先に渡しておくね」


 鞄の中からチョコレート入りの箱を取り出して渡すと、葉山君は細い目を完全に「一」の字にして笑った。


「やったね、美少女からのチョコレートだ!」

「もう、やだなあ」


 時間が早いから他にクラスメイトはいない。

 なんだかんだ言ってるけど、葉山君も結構もらうんだろうな。

 気が利くし、頭の回転が速いんだもん。私以外にもお世話になっている女子はたくさんいそうだと思う。


 逆に、いつも一人で遠くを見ているタイプの玲二くんには、きっとあげる人がいないだろうから。じゃあ私が頑張らなきゃ仕方ないよね。

 玲二くんには悪いけど、こんな風に気合を入れてみたりして。


 特別なものを作らなきゃ。

 明日一生懸命作ろうと決めて、ふわふわの空気の中で授業を受けた。

 放課後はチョコが飛び交うんだろうなって思っていたら、案の定。


「いつきちゃん」


 授業が終わるなり現れたのは本城君で、私に小さな真っ赤な箱を渡してきた。


「これ、俺の気持ち」

「受け取れないよ」

「ただのチョコだから。高価なもんじゃないから、お願い、受け取って」


 そう言われると困っちゃうんだよね。

 周りの人の視線もあるし。

 クリスマスの時にもらった謎のアクセサリよりは確かに、受け取りやすいし。


「本当は明後日お邪魔しようかと思ってたんだけど、この前、お兄さん結構怒ってたみたいだから」


 受験のお邪魔になってはいけないよね、だって。

 確かに、草兄ちゃんはただいま戦争中。刺激しないようにみんな気をつかってる。


「わかった。ありがとう」

「いつきちゃん、好きだよ」


 堂々とされた告白に、周囲から冷やかしの声があがる。

 玲二くんがずっと来ていないせいか、なんとも言えない微妙な空気になっている。


 やれやれと廊下へ出ようとすると、意外な人が待ち受けていた。


「園田さん、だよね」


 蔵元先輩。今日もやっぱり、なんていうか、おきれいな顔で。


「立花君、ずっと来てないみたいだけど」

「はい」

「立花君に会う用事、あるの?」


 どうしてそんなことを聞くのかな。疑問に思っていると、小さな紙袋を渡されてしまった。


「渡してほしいんだ。僕にはもう会いにいく資格はないと思うけど、でも……」


 言わなくてもわかる。まだ好き、なんだよね、きっと。


「頼んでもいいかな?」


 すごく切ない目で見つめられて、引き受けてしまった。

 この人がうっかり間違えて男の子に生まれてくれて良かった、なんて思ってしまう。女の子だったらもしかしたら、もう取られちゃっていたかもしれないから。

 

 たとえ思いが届かなくても、伝えたい。

 その気持ちはよくわかる。

 私も届かないかもしれないけど、諦めきれないんだもん。


「わかりました。必ず渡します」


 先輩はふわりといい香りをさせて、廊下を去っていく。


 バレンタインの日はクラブは休みという決まりがあるので、今日はもうおしまい。

 下駄箱に向かうと、また小さな箱が私のスペースにちょこんと置かれていた。


 大切な君へ S


 またSだ。相変わらず正体はわからない。まわりを見渡してみても、みんな浮かれているか無表情かで、それらしき人の姿はないように見える。



 みんな、恋しているんだな。

 私とおんなじ。

 伝えるのか、届くのか、隣にいられるのか、そしてそれが、ずっと続くのか……。

 

 難しくても、私は玲二くんに伝えたい。気持ちを届けたい。隣にいたい。ずっと一緒に、歩いていきたい。


 重たいかな、こんなの。

 まだまだ人生の序盤で、学生生活もたっぷり残っているのに。

 いつまでもこの熱を保ったまま生きていけるのかな。

 もっと素敵な人に、出会ってしまわないかな。


 集めようと思えばいくらでも積もっていく不安の山を、大きく息を吐いて吹き飛ばした。

 とにかく今は、玲二くんのところに行かなくちゃ。

 閉まっている扉を開いてもらわなきゃ、なんにも始まらない。



 ライバルの分も一緒に抱えて、日曜日のお昼に玲二くんの家に向かった。

 先週は、この門の前で長い間留まってしまった。

 歩いて帰るの、大変だったな。


 指先が震えている。

 怖くて。また、玲二くんにさよならって言われたくなくて。

 

 情けない自分の頬をパシンと一回叩いて、息を吐き出す。

 大丈夫、私は、玲二くんが好きだし、玲二くんも私が好きだから。

 二人の間に壁があるなら、壊してしまえばいい。


 指先に力を込めて、インターホンのボタンを押す。

 そういえば、来平先輩が出てきたらなんて言えばいいんだろ?

 なんでいるのか聞いてもいいかな。


 決意したくせに、胸が騒がしい。

 必死になって呼吸を繰り返して、落ち着かせていく。

 鍵のひらく音がして、目を向けた。

 ドアの向こうから現れたのは――。


「園田さんだね。いらっしゃい」


 お父さんだ。

 相変わらず優しそうだし、アーガイルのセーターがなんとも言えない「玲二の父」感を醸し出している。


「玲二くんに渡したいものがあってきました」

「バレインタインデーか。ありがとう、玲二も喜ぶよ」


 本当かな。

 一目でいいから、姿を見たいんだけど。


「私としてはぜひ上がっていってほしいと思うんだけど、玲二の心の準備ができていないんだ。もう少し時間をくれるかい?」

「玲二くん、なにがあったんですか?」

「説明が難しいんだけど……。最近いろいろと見失ったものがあってね。それで少し、怖がっているんだ」

 

 抽象的な表現に戸惑ってしまう。

 玲二くんの姿は見えない。

 ドアを開けて出てこないし、二階の窓にもなにも見えない。


「園田さん、お願いがひとつあるんだけど、いいかな?」

「なんですか」

「電話番号とメールアドレスを交換しておいてほしいんだ。玲二はすぐに立ち直ると思うんだけど、どうしても大変な時は手伝ってほしくて」


 お父さんは優しそうな顔に笑みを浮かべている。

 そんな顔で言われたら、断れない。


「わかりました」


 結局よくわからないけど、でも、このお父さんがいるなら大丈夫だよね。

 もしも勇気が足りないなら、わけに来よう。

 近所に住んでいるから、急いだら十分もかからないんだもん。


「いつでも呼んでください」

「ありがとう。これ、玲二に必ず渡すからね」

「はい、あの、こっちの紙袋は、私じゃなくて先輩からなんです」

「なんだ、モテるんだな、玲二は」


 あはは、だって。

 つられて私も笑ったら、なんだか胸がぽかぽかしてきて、久しぶりにあたたかい気持ちになった。

 

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