光 / いつき
駅前にあるレストランの個室に漂っている空気は微妙極まりなかった。
お互いの誕生日パーティを開き始めてもう四年目。今日のメンツは友香、千早、実乃梨。それからなぜか葉山君。
今年から、「誰かのおうち」から卒業して、夜に開催しようねって決めていた。
その通りに開催されているんだけど、みんなそわそわして、特に葉山君は何度もスマホを確認している。
そうだよね。葉山君だけって、変だよね。
玲二くんも来る予定だったんだよね。
四人以外の誰かが来たのは初めてで、サプライズだったんだと思う。
だから私も、玲二くんは来てないの? って聞きづらい。
プレゼントをもらって、ケーキが用意されて、ろうそくに火がついて。
そこでさすがに、この空気に耐えられなくなったみたい。
「ごめん、園田ちゃん!」
なにがごめんなのか、言われなくてもわかってしまう。
葉山君がぺこぺこ頭をさげて、私も大丈夫だよって慌ててしまった。
三人もなんともいえない顔で、コメントしづらい空気を振りまいている。
「電話が全然通じないんだよね」
「どうしたのかな」
「月浜まで行くって言ってたから、電車が遅れてんのかなって思うんだけど」
来たらおしおきしてやるから、だって。
それで少し笑って、じゃあもう火を消しちゃおうかって。
その時、部屋のドアをノックする音が聞こえて、思わず飛び上がってしまった。
ドアの一番近くにいた千早が開けてくれて、みんなも立ち上がって迎えたんだけど。
「いつきちゃーん、ハッピーバースデー!」
「本城、なんでお前が来るんだよ!」
「パーティやってるって聞いちゃったからね。いてもたってもいられずに」
バラの花束を抱えた本城君のファッションは、上品だしすごくスマートだった。
ツイードのジャケットにちゃんとネクタイもしていて、細いパンツで。
バラの数もちゃんと十六本。
「誰から聞いた?」
「島谷だよ。敷島さんと話してたの、偶然聞こえたからね」
葉山君の質問に笑顔で答え、ごく自然に私の隣に座る。
不自然に開けられていた私の隣は、玲二くんの席なのに。
だけどお祝いしに来てくれた人を追い返すっていうのもなんだし、空いている席は一つしかないし。
しょんぼりしていると、葉山君が出て行って店員さんを呼んでくれた。
もう一つ席を作ってもらって、本城君はそちらへ強制的に移動させられていく。
「いつき、ロウソクがもうやばいよ!」
誕生日の歌を早回しで歌って、一気に吹き消した。
楽しいけど、寂しい。
隣がぽっかり空いたままなんて。
玲二くん、どうしちゃったのかな。
電車って、本城君が家から来たなら動いてるはずだよね?
だけど、電話は通じない。おうちにかけても誰も出ないみたい。
楽しい時間は残りがもう少なくなってしまって、みんなの気遣いもヒートアップしている。
「ちょっとお手洗いに行ってくるね」
せっかくオシャレしてきたんだけどな。
かわいいって言ってもらおうと思ったんだけど。
高校生になったからって、みんなでドレスを着てみたんだけど。
頭も可愛く盛って、花まで飾っちゃったんだけど。
パーティルームから出ると、大勢のお客さんが席について食事を楽しんでいるのが見えた。
カップルが見つめあっている光景が、今の私には少し痛い。
「いつきちゃん」
お手洗いで服装を整えて出てくると、やたらとかっこいいポーズで本城君が待ち受けていた。
壁にもたれかかって、手に一本だけバラをもって。
本城君は私の前に片膝をつくと、真っ赤なバラを差し出しながらこう言った。
「お誕生日おめでとう。今日は、いや、今日もすごく可愛いね」
お手洗いの前だし、ほかのお客さんも通りかかっていくし、恥ずかしい。
だけど、ぷいっと去るのもちょっと、いくらなんでも失礼すぎるかなという迷いもあって。
「ありがと」
「よかった。受け取ってくれて嬉しいよ」
立ち上がって膝を軽くはたくと、本城君はまたまたにっこりと笑った。
「立花はどうしたの? こんな大事な日に来てないなんて。もしかして呼んでないとか?」
「……今日はみんなが企画してくれたから」
「そうなんだ。じゃあ、別に喧嘩したとか別れちゃったとかじゃないの?」
喧嘩はしてない。そして、別れることはできない。そもそも付き合ってないから。
「それともあいつ、あの写真の通りだったの?」
「違うよ。あれは巻き込まれただけだから」
「それにしてはガッチリ……」
さすがに腹が立って、本城君をにらみつけてしまった。
すると慌てたように手を合わせて、ごめんごめん、だって。
「誤解なのね。それはわかったけど、今日来てない理由はどうしてなの?」
この質問にも答えられない。
玲二くんがどうしているのか、私にはわからない。
「俺ならいつきちゃんにそんな顔させないよ、絶対」
本城君の手が伸びてきて、私の肩に触れる。
「時々寂しそうにしてるでしょ。立花って本当に、いつきちゃんのこと好きなの?」
意地悪な質問にたまらない気分になって、その場を離れた。
みんなの待っている部屋に、こんな顔じゃ帰れない。
泣いてしまいそうだから。
本城君の言葉にぐらぐら揺れていて、そんな自分が許せないから。
慣れない靴をコツコツと鳴らしながら、お店の出口へ向かった。
駅前に並んだビルの二階にあるイタリアンレストランの入り口には大きな看板があって、電飾がキラキラと光っている。
赤や青の光に照らされながら、空を見上げた。
雲はないけど、星も見えない。
味方が一人もいなくなったような心細さに、唇を噛んだ。
「そのだ」
そんな状態だから、空耳かと思ってしまった。
あんまりにも小さい声だったから。
「園田」
また声がして、慌てて階段の下をのぞくと、玲二くんが私を見上げている。
「玲二くん!」
手すりにしがみつくようにしながら私が駆け下りていく間、玲二くんは全然動かなった。
ただ、こちらに目を向けているだけ。
どうしてなのか、玲二くんにたどり着いたらやっとわかった。
「どうしたの、真っ青だよ」
「ちょっと、貧血になっちゃって」
「貧血?」
「ごめん、電話も落としたみたいで、見つからなくて」
「なにがあったの?」
ふらふらと揺れる体を支えたけど、返事はなかった。
まるでさっきの私みたいに、玲二くんは苦しそうに目を閉じている。
「プレゼントも用意したんだけど、持ってこられなくて」
「いいよ、そんなの」
「俺、もう行かなきゃいけないんだけど、でも、どうしても園田の顔が見たくて」
「玲二くん……」
腕がぐるっと回ってきて、抱き寄せられた。
頬を撫でる手が冷たい。
近づいてきて、ぎこちなく触れた唇も、びっくりするくらい冷たかった。
「今日のお詫び」
三秒くらい、だったかな。
結構人通りがある道の上で、キスされるとは思わなかった。
「玲二くん」
「父さんがそこで待っててくれてるんだ。ごめん、本当に、今日は」
「いいの。それより大丈夫?」
「大丈夫だよ。また連絡する。みんなにもごめんって伝えておいて」
玲二くんはしばらく私を見つめていたけど、振り返ると大通りに向かって去って行ってしまった。
「いつき! なにしてんのそんなところで!」
上から声が降ってくる。
追いかけたいけど、追いかけたらいけない気がして。
「いつきちゃん、ごめん、戻ってきてよ」
「本城お前なにしたんだよ、このバカ」
玲二くんの姿はもう見えなくて、さっきあった出来事が本当だったのかどうかよくわからなくなってきた。
「いつき、ねえ、ほんとにどうしたの?」
友香も千早も降りてきて、私を心配そうにのぞき込んでいる。
「玲二くんが来たの」
「どこに?」
「貧血だからって、戻っていっちゃって」
ぼんやりしたままパーティルームに戻った。
玲二くんについては詳しく話せないままだったけど、みんながちゃんと明るい空気を作ってくれて。完全には集中できなかったけど、最後はみんなにお礼を言えた。
家に帰ってからお風呂に入って、布団にばふっと倒れこんだ。
どう考えたらいいのかな。
念願のキスだったんだけど、あんな状態じゃ嬉しいとはあまり思えない。
真っ青で冷たくて、苦しそうで。
なにがあったんだろう。今までになかったよね、貧血なんて。
胸が締め付けられて、寝られなかった。
あんなに辛そうだったのに、わざわざ来てくれたっていうのと。
あんなに辛そうな理由がやっぱり話せないんだなっていうのと。
私はどうして玲二くんの支えになれないんだろう。
朝は問題なくて、プレゼントを取りに月浜に行って、それでなにかあったんだよね。携帯もなくしちゃったなんて、また悪い人に絡まれたりしたのかな?
素敵なスーツ姿だったのに、よく見られなかった。
でも、私に会いに来てくれた。
お父さんが待っていたなら、無事に帰ったよね。
うとうとしている間に意識が悪夢に突入して、何度も何度も目が覚めた。
次の日は日曜日で、玲二くんの家に行こうかどうか迷ってしまう。
あんなに具合が悪そうだったんだから、休ませてあげた方がいいと思うし、あんなに辛そうなのに大丈夫なのかなって心配だし。
悶々としながら家を出て、ひとまず駅前に向かった。
家にいるとどうしようもなく落ち着かないから、少しでも気分が変わるようにって。玲二くんの家に行くとしてもお見舞いがいるから。服装を整えて、財布を持ってうろうろと歩いた。
「園田いつき、ちゃん」
ロータリーを過ぎて、玲二くんと何度か一緒に入ったハンバーガー屋さんの前で、妙な呼ばれ方をしてしまった。
見覚えのある顔。玲二くんが月浜で落ち合っていた、謎の先輩が立っている。
「はい……」
「ええと、はじめまして、だよな。俺は来平翔といって、君と同じ高校の二年生で、立花玲二のともだちでもある」
「はい、何回か見かけたのでわかります」
「そうか。そうか、ええと、なんと呼んだらいいのかな? いつきちゃんでいいかな?」
なんだかちょっと、変な感じの人なんだけど。
「なにか私に用があるんですか?」
「ああ。ちょっと、話をしたい。いろいろ、玲二についてなんだけど」
玲二くんについて。
私がいま一番知りたいこと、この人は知っているのかな?
「玲二くんの、なにを?」
「君が不安に思って、心配しているだろうから、教えておきたいんだ」
「昨日の話ですか」
「ああ、ああ。昨日のこともある。ここで立ち話をするのはナンなんだろう? だったらどこか、飲み物でも吸いながらがいいんじゃないか」
日本語が不自由なのかな、この妙な話し方。
だけど教えてもらえるなら、ぜひ聞きたい。
目の前にあったハンバーガーショップで飲み物だけ頼んで、二階席で来平先輩と向かい合った。
「玲二くん、昨日なにがあったんですか?」
「月浜で会ったんだ。そこでちょっと、悪い連中につかまってしまった。それで少し、体の具合を、あー、悪くしてしまったんだ」
「貧血だって言ってました」
「貧血? ああ、そう。血が少し減ったから。あってる」
来平先輩は大きな目をくりくりと動かしながら、不思議な話し方を続けている。
時々ふとあらぬ方向を見る動きは、なんだか鳥みたいだなと思った。
「それは心配ないんだ。ちゃんと治療をしたから、すぐに良くなる」
「でも」
「玲二はすごく気にしていた。いつきちゃんの誕生日なのに行けないのは困るって」
「あの、園田ちゃんにしてもらってもいいでしょうか」
「その呼び方がいいのか? わかった。園田ちゃんだな」
話せば話すほど変な人だっていう印象が強くなっていく。
でも、玲二くんを呼び捨てにしているのが気になって。
そんなにこの先輩と仲がいいのかな。
「来平先輩は昨日、玲二くんと会う約束をしていたんですか?」
「いや、違う。偶然会った。俺じゃなくて、ほかのやつが玲二と会ったから、俺もそこに行ったんだ。玲二は……いや、急いでいたから、手伝おうと思ったんだけど、でもうまくいかなくて」
なにを手伝うんだろう。
急いでいたのはきっと、パーティに来ようとしていたからだよね。
来平先輩じゃない誰かって、何者なのかも全然想像がつかない。
でも、誰かと会って、血が減るような出来事があった?
玲二くん、戦いがあるような怪しい組織に所属してるの?
「俺は園田ちゃんに謝らなきゃいけない。りゅうちゃんについても」
「それって、あの図書委員の?」
「そうなんだ。りゅうちゃんは玲二に好意を持っていたんだけど、俺のせいで誤解が生まれてしまって、それであんなことになった」
もう、先輩、謎が深すぎる。
一体どうとらえたらいいんだろう。具体的な話は一つもないし。
「ごめん、園田ちゃん」
「どういうことかよくわからないんですけど……」
「ええと、その、つまり、まとめると、玲二は園田ちゃんが大好きだから、あんなのは困ったんだ。園田ちゃんに誤解されるのだけは絶対いやで、あんな風に口を吸われたのは悲しかったと伝えておきたい」
なに、それ。
そんな話をこの先輩とするの? 玲二くんが?
ますます混乱してしまうんだけど。
だけど今のはちょっと。ううん、かなり嬉しい話だったけどね。
「玲二くん、私の話をするんですか?」
「ん? あ! 違う、これは秘密だ!」
この発言にはさすがに笑ってしまった。
なんて正直な人なんだろう。こんな会話、現実にもあるなんて思わなかった。
来平先輩は両手で口を押えて、わかりやすくあわあわしている。
「ああ、園田ちゃん、忘れてはくれないよな?」
「それはちょっと無理です」
「そうか。そうだな。すまない。秘密なのに」
感謝したいくらいだけど。
よくわからないつかみどころのない人だけど、今の話が全部本当なら、こんなに嬉しいことはないもん。
「玲二は少し休めばよくなる。待ってやってほしい。いつかきっとなんとかするから、園田ちゃんがいるから最後まで頑張れる」
ん?
今のは、なにについての話なのかな……。
「今日は眠った方がいい日だから。だから、三日くらい待ってやってくれるかな」
「はい。その、いつかきっとなんとかするっていうのは?」
「あ! すまない。それは言えない」
「そこをなんとか」
「それだけはダメだ。俺がまずい」
来平先輩は紙コップの中身を勢いよく吸うと、ではまた! と突然手を挙げて去っていってしまった。
不思議な気分で家に帰って、しばらくリビングでぼやっとしてしまった。
テーブルの上には花瓶が置かれて、本城君から贈られたバラがドヤ顔で咲き誇っている。
「素敵ねえ、それ。いいわね、かっこいい彼氏がいると」
お母さんはこの花が玲二くんからだと思っているんだろうな。
私もそう思いたい。誰かに好きだって言ってもらえるのは幸せなことなんだろうけど、私は一人でいい。玲二くんだけがいい。
来平先輩の話はどこまで本当なんだろう?
嘘はないように思った。おかしなしゃべり方のせいでよくわからない部分も多かったけど、嘘を言えるようなタイプじゃなさそうだよね。
玲二くん、私のことを好きだってはっきり話しているのかな。
これまでのいろいろから考えて、好意は持ってくれているのはたぶん、間違いない。
玲二くんに関してはあまり当てはまらないだろうとは思っていたけど、一応外国の血が入っているから。スキンシップのハードルが低い可能性もなくはないかなっていう思いもあったんだけど。
でも、とうとう唇にキスしてくれたし。
お詫び、だって。
お詫びか。
キスがお詫びになる関係、か。
なんだか急に気恥ずかしくなってきて、テーブルにどんと突っ伏してしまった。
「どうしたの、いつき。あ、もしかして昨日いいことがあった?」
あったような、なかったような。
玲二くんはどうしていつもピンチの中にいるんだろう。
イルカに水をかけられたり、犬に襲われたり、悪い人たちに絡まれたり。
トラブルとは縁遠そうな誠実な人なのに。
もしかして、マフィアのドンの孫とかだったりしないよね?
命を狙われている立場とかじゃ、ないよね?
お見舞いに行きたかったけど、今日は眠った方がいい日って言われたから。
玲二くんを補給できなかった日曜日。
寂しかったけど、ものすごくいい夢を見てしまった。
小高い丘の大きな木の下で二人でお弁当を食べて、寝っ転がって、それからもう、ずっとずうーっとチュッチュチュッチュとひたすらキスをする夢。
玲二くんはずっと私とおでこをくっつけたまま、キスするたびに名前を呼んで、「好きだよ」って言ってくれた。
起きた時の幸福感がなんだかすごくて、ぽやーっとしたまま着替えを済ませた。
食べなれたはずの朝ごはんの味もやたらと豊かに感じられたし、ずーっとにこにこ、顔が笑っちゃうの。
だけど、玲二くんはいつまで経っても現れなかった。
家にも来てくれなかったし、駅前にもいないし、教室にもいない。メールも届かない。
「園田ちゃん、玲二はどうしたの?」
「具合が悪いみたいだったんだよね。電話も落としちゃって見つからないんだって」
「なにがあったのよ、あいつに」
葉山君は首をかしげている。心配だね、お見舞いに行ってみようか、だって。
「玲二が来なかったせいで本城が調子に乗ったって、文句言ってやろう」
来平先輩は、三日くらい待ってって言ってたんだっけ。
「じゃあ、明日も来られなかったらにしよ。私、文化祭の時にケーキを取っておく約束をしたのに、できなかったの。今日作って明日もってくるから」
もし来たら一緒に食べればいいし、来なかったらお見舞いに持っていけばいい。
そして結局、次の日も玲二くんは登校して来なかった。
「今日行くんだよね、園田ちゃん」
三日目、だよね。
来平先輩の言葉を信じるなら、そろそろ元気になっているはず。
放課後、私は葉山君と二人でパウンドケーキを持って玲二くんの家に向かった。




