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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
君は太陽
31/85

いいわけ / いつき

「あれ、いつきどうしたの? 珍しいね」


 玲二くんと一緒に登校したあと訪れたグラウンドで、友香は私の姿を見つけて驚いていた。

 私も同じ。どうして来たのか、全然わからなかったから。


「で、なに?」

「ううん。ごめん、用はないんだけど」

「あ、島谷君がどんな感じか偵察に来たんでしょ。やーね、もう、いつきったら」


 照れくさそうに私をばんばん叩いたわりに、友香は彼氏がどこでどう活躍しているか紹介してくれた。短距離を走り抜ける姿はなかなか野性的で、スポーツマンの良さが伝わってくるような気がした。


 首をかしげながら下駄箱へ向かう。

 確か、玲二くんにもはっきり言ったはず。友香に用があるんだって。

 確かにこの二、三日はぼーっとしちゃったけど、こんなに完全にわけがわからないって怖い。落ち込みすぎて病気にでもなっちゃったのかな。


「園田さん」


 スニーカーを放り込んだところで、声がかかった。

 立っていたのは百井さんで、なんだかしおらしい態度でうつむいている。


「百井さん、なあに?」


 もちろん、警戒は解けない。私だけじゃなくて、玲二くんにも葉山君にも当たりが強いんだもん。文化祭の時もずいぶん落ち込んじゃったし。


「謝りたくて」


 思いがけない言葉だった。


「ごめんなさい、わたし、あなたに嫉妬してたの。すごく可愛らしいし、あんなに素敵な彼がいるから」


 しゅんとしているけど、ダイナマイトな胸は隠せないみたい。

 腕に挟まれてむしろ、強調されてしまっているような、いないような。


「それでつい、あんなひどい言葉を使ってしまって。本当にごめんなさい」


 まっすぐに切りそろえた髪がふわりと揺れて、なんともいえない甘い香りが鼻をくすぐる。


「そんな、いいよ。確かにちょっとビックリしたけど」

「本当に? 園田さんって優しいのね」


 顔にぱっと光をともして、百井さんは笑った。

 うーん、やっぱりすごく美人。高校生とは思えない大人びた美しさに、同性ながらつい目を奪われてしまう。


「友達になってほしいわ」


 この美貌だと、みんな近寄り難いのかな。

 いつも大勢に囲まれているのにこんな風に言うなんて、常人にはわからない苦労があるのかも。私が頷くと百井さんは嬉しそうに笑って、手をぎゅうっと握ってきた。

 だけど。


「あのね、園田さんに伝えなきゃいけないことがあるの」

「伝えなきゃいけないこと?」

「騙されてるの、園田さんは」

「誰に?」


 私の問いには答えず、百井さんはスマートフォンを取り出した。

 黙った差し出されたそれをのぞき込んだけど、表示されている画像が、なんだかよくわからない。


「これ……」

「立花玲二。あいつはあなたを利用しているの」


 なんだかわからないのは、多分受け入れたくなかったからだと思う。

 写真の中の玲二くんは、髪の長い誰かを抱きしめて、キスしている真っ最中だったから。


「相手、わかる? 図書委員の二年生の男よ」


 ああ、あの。フェミニンな。


「朝から堂々と校内で密会しているの。このあと、準備室に二人で入っていった」


 どん、と胸の内側から強く叩かれて、ぐらぐらと揺れた。


「なにをしているかわかるでしょ? あいつはじぶんのしょうたいをかくすために、あなたをりようしているの!」


 嘘だ、と思った。

 なのに、私の記憶の中の玲二くんはがらがらと崩れていってしまう。

 頬に触れたり、抱きしめてくれたり、真摯なまなざしを向けてくれた大切な思い出は急激に色褪せて破れていく。私に向けてくれていた好意は全部、嘘だったのかな。あれは全部カモフラージュのためのポーズに過ぎない?


「そうよ、もうしわけないきもちもあるみたいだけど、すきなあいてはあなたじゃない。あのなかむらってこでもない。だってきょうみなんかないのよ、おんなのこには」


 百井さんのハスキーな声が頭の中で響いて、ぐわんぐわんと体を揺らした。

 涙がぼろぼろ出てきて、足が震えて、なんにも考えられない。

 通りかかった誰かが声をかけてくれたような気もするけど、よくわからなかった。


「大丈夫、園田さん。顔色が悪いから、保健室にいった方が……。ううん、今日はもう……」


 帰ったらいい。

 私は言われた通り、さっきしまったばかりのスニーカーを取り出すと、ぐずぐず泣きながら履き替えて、そのまま駅へ歩いていった。

 

 



「いつき、どうしたの?」


 行ったと思った娘がいきなりすぐに戻ってきたら、びっくりして当たり前。

 だけど私はなんにも答えずに、部屋に閉じこもってめそめそと泣き続けた。


 玲二くんの言葉。

 悩んでいるけど、どうしても言えない。

 返事をしたいけど、答えられない。

 人生の重大事。確かに、同性しか愛せなかったら人生のハードルは高くなってしまうだろうから。でも、だからって、私のことを好きなフリをして、本命と付き合うための隠れ蓑にしなくたっていいじゃない。謝って許されることじゃないよ、こんなの。

 そりゃ、キスだっておでこどまりになるよね。私が一方的に始めた恋だけど、こんな形で破られるなんて思いもしなかった。

 

 止まらない涙で枕もシーツも全部濡らして、気が付くとお昼になっていた。

 おなかがすいた。なにか詰め込んだら、からっぽの心も少しくらいは埋められるのかな。


「いつき、お昼食べる?」


 お母さんの声に誘われて、ようやく立ち上がった。まずは着替えて、ティッシュを何枚も使って涙と鼻水を拭いて、リビングへ。


 お母さんは私になんにも聞かずに、具のすくないうどんを出してくれた。

 いつも一人の時はこういうものを食べてるのかな。

 あっさりしているけど、今の私にはちょうどいい。


 うどんをおなかに収めて部屋に戻ってから、学校に鞄を忘れたことに気が付いた。

 すっごい今更だなって、思わず笑ってしまう。

 制服のポケットに定期が入ってたから、それで帰ってきちゃった。

 電話も入ったまんまだ。わ、どうしよう。

 友香が持ってきてくれるかな?

 誰にも言わずに帰っちゃったから、問題になってるかもしれない。


 湿ったベッドの上で転がって、ため息をついた。

 あのフェミニン先輩、きれいな顔してたなあって。

 前に図書室で待ち合わせしたとき、不機嫌そうだった理由もわかったし。

 私が邪魔だったんだよね。せっかく玲二くんと楽しく過ごしてたのに、無関係で能天気な女子が彼氏にちょっかい出してきたんだもん。


 色白の美少年同士ですごくお似合いだと思う。

 玲二くん、苦しかったよね。

 もしかしたら、私を好きになろうと努力してくれていたのかも。

 優しかったし、騙そうとしているとは思えなかった。

 つらい思い出なんかひとつもない。寄り添おうとしてくれたのは、玲二くんが誠実な人だから、だよね。


 じゃあ私はきっぱりあきらめて、二人を祝福しなきゃいけない。


 考えてもすぐには玲二くんを頭の中から消せなくて、またぽろぽろ涙をこぼした。

 いつかこんな日が来るかもって思ってたけど、想像していたよりもずっとつらい。

 なんていうか考えておこう。素敵な日々をありがとう、とかでいいかな。

 悲しくて苦しくて、立ち上がっては座り込んだり転がったり。

 机の上のカレンダーには誕生日のしるしがつけてあって、小さなハートのシールを張り付けた少し前の自分に苛立って、びりびりに破いてしまった。


「いつきー、お客さんだけどー」


 お母さんの声がして時計を見ると、まだ二時だった。

 まだ学校は終わっていないはずなのに、誰なんだろう。

 友香、早退でもしたのかな?


「わかった」


 小さい声だったから、聞こえなかったかもしれない。

 部屋を出て玄関へ向かうと、お母さんに見とがめられてしまった。


「ちょっと、ひどい格好だよ」

「いいの」


 友香になら別に見られても構わないし、大体、もうしばらくはオシャレとかもしなくていい。そんな気分だったのに、ドアの外にいた顔にドキっとしてしまった。


「玲二くん……」


 制服姿の玲二くんはかなり疲れ切った顔で、私に鞄を差し出してくれた。


「鞄忘れていったから。困るかなと思って」


 ありがとうと言いたいのに、声が出ない。


「少し話したいんだけど、大丈夫?」


 話なんかない。なんにも聞きたくない。

 そう思ったのに、お母さんが通してしまった。

 それも、乱れきった私の部屋へ。


 玲二くんは疲労に加えて緊張した顔をしている。

 今日もきれいな薄茶色の瞳はしばらくの間机の脚に向けられていたけど、お母さんがお茶を運んできて去っていくと、ゆっくりと視線をあげて私を見つめた。


「今日見たんだろ、俺と蔵元さんの写真」


 まっすぐにむけられた視線が、心に刺さった。

 玲二くんの瞳を見ているうちに、なんだか変な感じがしてきて。

 あれ、おかしいなって。疑問が膨れ上がって心に広がっていくような感じで。


「百井さんに、見せられたの……」

「あれ、もう全校中にまわっちゃったんだ。参ったよ」


 きっと園田の電話にも来てると思う、と玲二くんは言った。

 少しためらったけど、鞄の中を探った。着信もメールもたくさんあって、友香や葉山君、本城君からも来ていてびっくりしてしまう。


「言い訳させてほしい。あれは無理やりされたことで、俺が望んだんじゃない」


 玲二くんの声はすごく悲しそうだった。

 朝、図書室に行ったら、いきなりおかしな展開になったって。

 あの先輩もケガをしたんだと、苦しそうに話してくれた。


「ケガって?」

「すごく力が強くて離れてくれなかったから、投げ飛ばした。机ごとひっくり返しちゃって」


 先輩は保健室に運ばれ、事情を聞かれている間に写真についても報告があって、先生たちから追及されたと、玲二くんは話した。


「先輩は俺と付き合っているつもりだったみたいだ。どうしてそう思い込んだのかはわからないけど、でも俺はそうじゃない、そんなつもりはないって。メールだってアルバイトの時の待ち合わせに使っただけだし。話が食い違っているから、処分はまだなんだ。でも、ケガをさせたのは事実だし、キスしちゃったのも確かで、俺の言い分は聞いてもらったけどどうなるかはわからない」


 だけど。

 玲二くんは私の手をぎゅっと握って、頭を垂れる。


「そんなことより園田がいなくなったのが心配でたまらなかった。百井が、園田は気分が悪いから帰ったって言って、なにかされたんじゃないかって思ったんだ」


 玲二くんは握った私の手を引いて、自分の額にそっと当てた。

 私はそれでようやく、はっきりと目が覚めたように思った。


「百井さんに言われたの。玲二くんは私を利用して、本当はその、男の子が好きなのを隠そうとしたんだって。それをさっきまで、信じちゃってた。どうしてかわからないけど、どうしようもなく悲しくなっちゃって、玲二くんを信じるっていう気持ちが全然なくなっちゃったの」

 

 だけど、今はもう大丈夫。

 さっきまでの暗がりを彷徨う私はもういない。

 玲二くんが光で照らしてくれたから。


「百井さんがいきなり謝ってきて、それでなのかな。おかしいよね、いつもなら玲二くんにちゃんと話を聞いてからって考えられたはずなのに、今日は……」


 違う、調子がおかしくなったのは、文化祭の日からだ。


「ううん、最近すごく弱いの、私」

「園田」

「ごめんね、玲二くん」

「いいんだ。ほかのやつらにどう思われても、園田が信じてくれるなら構わない」


 また泣き出した弱虫の私の頬を、玲二くんが撫でてくれる。

 今ぽろぽろと落ちているのは、悲しみじゃなくて、嬉しくて出たものだと思う。


 しばらく頬をすりすりと撫でていてくれた玲二くんの顔がぐっと近づいて、私の顔に触れた。そして、こぼれ落ちそうになった涙を唇ですくってくれた。右と、左。両方とも。


「ごめん」

「謝らないでいいのに……」


 キスしてほしくてじっと見つめていたけど、玲二くんは結局離れていってしまった。

 おでこから、目。だいぶ下がってきたけど、唇まではまだ遠いような気がする。


「俺、家で連絡待たなきゃいけないんだ」


 時間も早いし、事件の大きさからいって早退させられちゃったんだろうな。

 手をあげて去っていく後姿をいつまでも見つめて、ぼんやりと家の前に立ち尽くしていると、お母さんから注意されてしまった。


「そんな格好で外にでちゃだめよ」


 顔を洗おうと洗面所に行ってみると、確かにお母さんの言う通り。私の姿は本当にひどかった。頭もぐしゃぐしゃに乱れたポニーテールもどきで、顔もまるでおばけみたいだし、服だって着古した部屋着で。

 こんな格好で、こんなに散らかった部屋に通しちゃうなんて!


 どう思われたかしばらくの間心配だったけど、でも、これ以上ひどい姿はきっとないだろうから、むしろこれからは気が楽かも……なんて考えるのはまだ無理だった。

 玲二くんと一緒の時はちゃんとかわいくして、明るい顔でいたいのに。

 

 明日からはそうしなきゃ。

 さっきショックを受けてぼろぼろになっていた私よりも、玲二くんの方がきっとつらいだろうから。


 着信履歴を確認すると、友香から何回か電話が入っていた。

 メールは、結構な人数が送ってきている。

 なあに、あれ。本当なの? 立花ってそうだったの、って。

 私はひとつひとつ、誤解だから、無責任に転送しないでほしい、勝手な噂話にしないでほしいと返事をしていった。

 でも、無理かな。みんな軽い気持ちで他人に向けて拡散して、なにかあった時には攻撃材料にするんだろう。大丈夫かな、玲二くん。


 でも、一番に私のところに来てくれた。

 言い訳しに来てくれて、本当に嬉しい。

 

 最近なんだかおかしな私を救ってくれるのはいつも玲二くんなんだから。

 信じよう、なにがあっても。


 破いてしまったカレンダーをゴミ箱に放り捨てて、ベッドもちゃんと整えた。

 髪の毛も結びなおして、よれよれの服も着替えてみたりして。


 もう泣くのはやめなきゃ。

 前にもしたっけ、こんな決意。

 邪魔が入るせいでなかなか守りきれなくて、嫌になっちゃう。



「お母さん、ごめん、学校さぼっちゃった」

「なにがあったの?」


 リビングへ戻って謝ると、お母さんはほっと安心したような表情で私を迎えてくれた。


「本当に最悪なことが起きたと思ったのに、誤解だったの」

「立花君が浮気したと思ったの?」

「う……ん。そう、だけど」


 お母さんは、私が玲二くんと付き合ってると思ってるかな。

 思って当然だよね、これまでのあれこれを考えたら。

 

「ずいぶん早とちりしたのね」

 

 衝撃映像があったから仕方ない。

 お母さんはそれ以上ほじくり返さずに、私にケーキを出してくれた。


「ありがと」

「よかった、ちゃんと解決して」


 秋の始まりを感じさせる栗ののったケーキはおいしくて、心がほっと落ち着いていく。

 だけど最後の一口を食べようとしたところで、草兄ちゃんが帰ってきてケチをつけてきた。


「いつき、なんで家にいんの?」

「今日はちょっと、調子が悪かったの」

「へえ。確かに顔がいつもより不細工だな」


 遠慮のない言葉はいつものことなんだけど、気にしている部分を的確に撃ち抜かれてついつい、頬を膨らませてしまった。


 草兄ちゃんは自分の部屋に戻っていって、私はしばらく最後の一口とにらみ合っていた。

 玲二くんが来てくれてほっこりしたけど、午前中のどうしようもない思考がよみがえってきて、責められているような気分になってしまって。

 

 ムカムカと、グズグズ。自分の中で感情を戦わせていると、再び兄ちゃんが姿を現した。

 また文句を言われるかと思いきや、黙ったまま封筒を投げつけてきて。


「なあに、これ」


 封筒は開封済みで、出版社っぽいロゴが印刷されている。

 中身を出してみると、チケットが二枚入っていた。


 湾岸クルーズペアご招待券、豪華バイキング付き。


「やるよ」


 兄ちゃんの口調はいつもぶっきらぼうで、セリフもとにかく短い。


「懸賞で当たった。俺はそれがほしかったわけじゃないし、それにこの間ほら、邪魔したから」

「……ああ、あの駅前で会ったとき?」

「あんなイケメンと付き合えるチャンス、ぼけっとしてるお前にはもう二度とないだろうから。がっちり捕まえときゃいいんじゃねえの?」


 なのに今日は長くて笑ってしまった。悪いと思ってたんだ。

 これはたぶん、照れ隠しだよね。

 

「ありがと、草兄ちゃん」


 返事はなくて、ぷいっとあっさり去っていく。

 

 試験が終わったあと、玲二くんと行ってみよう。

 船に乗ってみようなんて、普通だったら考えつかないだろうから。


 

 夜になってから、私は珍しくお風呂上りに外に出て星空を見上げた。


 玲二くんがこれ以上、傷つきませんように。

 明日もちゃんと学校にいけますようにと、ささやかな光を放つ星に祈った。

 

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