悩みの恋乙女 / いつき
いつもより二本も早い電車に乗ったおかげで、教室には誰もいない。
こもっていた空気を逃がそうと窓を開けていくと、後ろから足音がして、声をかけられた。
「おはよー、園田ちゃん」
振り返った先には、クラスメイトの葉山君が立っている。
人懐っこい性格のようで、四月のオリエンテーションの時に話して以来「園田ちゃん」と呼ばれている。
「おはよう葉山君」
「早いね、今日は」
「早くに目が覚めたんだ。葉山君はいつもこの時間なの?」
「そーよ。俺はなにせ家が近いんだ。徒歩五分だよ。良かったら今度遊びにおいで」
クラスでなにか決め事がある度に、葉山君はちょうどいい提案をしてくれる。明るく盛り上げてくれる、ムードメーカーだった。
だからこんな風に誘われても、なんだか楽しそうに思えて笑ってしまう。
「お、いいね。今日も素敵な笑顔だ」
窓を全部開け終わったら、もうすることがない。
玲二くんはなぜか図書室にダッシュして行ってしまった。あんな風に走り去られては、さすがに追いかけていけない。もしかして迷惑がられているのかな。いきなりともだちになってなんて、わけのわかんない子だと思われているのかもしれない。
「ねえねえ園田ちゃん」
私の席の斜め後ろが玲二くんの席。
その後ろが、葉山君。
葉山君はしょっちゅう玲二くんに話しかけているみたいで、私からするとうらやましい限り。いつもいつも、振り返って仲間に加わりたいと思っているんだけど、玲二くんがあんまり反応しない、しゃべらないので、挑戦できずにいる。
「なあに、葉山君」
「昨日玲二に『あーん』ってしてたでしょ、路上で」
「え!」
見てたのかー、葉山!
「ちょうど部活が終わって俺も家路についてたの。そうしたら、見覚えのある男女が並んで歩いてるじゃない?」
「あれはね、ええと、おすそわけだよ」
「クラブで作ったやつでしょ」
「うん。昨日は委員の仕事があって出られなかったから、私は作ってないんだけど、先輩が持って来てくれて」
「うんうん。それで、愛しの彼にも『あーん』ってしちゃったのね」
「彼じゃないよ。昨日ともだちになったばっかりなんだから」
葉山君は、いつもは細い優しそうな目をぱっちり開けて、あきらかに「ナニソレ」な表情を浮かべている。
「ともだちになった?」
「うん。昨日、ともだちになったの」
「高校生がなによ、ともだちって……」
「玲二くんとは中学が一緒だったんだけど、話したことはなかったの。全然知らないわけじゃないから、今の状態はなんかちょっと、変かなーって思って」
葉山君はやれやれなんて言いながら立ち上がると、ひとつ前の玲二くんの席に座った。
「ただのともだちに『あーん』はしないよ。っていうか、園田ちゃんそんなことしちゃ駄目だよ。大抵の男は勘違いするからね」
「勘違いって?」
「気があると思われちゃうぜ」
「や、そんなこと、男の子になんてしないもん」
「玲二にはしちゃうけど? はは、甘酸っぱいねえ!」
しまった。誘導尋問だった。
隠しておきたい気持ちがあっても、いつもこんな風にバレてしまう。どうしてなんだろう? 本当に解せない。
「違うよ。家も近いのに全然知らないっていうのもおかしいかなって思っただけで」
「言い訳しなさんなって。玲二はカッコいいもんね。園田ちゃんにぴったりだと思うよ。美男美少女の組み合わせって、見てるこっちも気分がいいよ」
ともだちなんて言わないで、告白しちゃったら良かったのにね!
葉山君はLEDの電球みたいに明るい顔で笑っている。
ケラケラと楽しい声を聞いているうちに何人かが教室に入ってきて、会話は終わってしまった。葉山君はみんなにおはようと声をかけているので、私もそれにならって挨拶をした。
玲二くんは戻ってこない。
いつも戻ってくる時間はバラバラだから、今日は借りたいものがなかなか見つからないとか、たとえば図書委員さんの仕事を手伝っているとか、そんな展開が待っていたのかもしれない。
委員の手伝いなんて、いかにもやりそうだと思う。
昨日の美化委員の仕事も、サボろうなんてカケラも考えなかったんだろうな。見るからに真面目そうだもん。困っている人がいたら手を貸す人だと思う。しかも、お礼は受け取らずに黙って去っていくタイプの。
昨日は思いがけず二人きりになったから、つい、ともだちに、なんて言っちゃったけど。
いいよって言ってくれたけど、どう思ってるんだろう。
彼女がいるのか聞いた時も、困ってるみたいだった。
一緒に帰って、しかも送ってもらえてすごく嬉しかったけど、内心どう思っていたか考えると不安になってしまう。
毎日一緒に帰れたらいいのに。
でも、帰宅部だったらすぐに帰っちゃうんだろうな。
私の部活が終わるまで待ってなんて、図々しいお願いはできない。
玲二くんと帰りたいからなんて理由でクラブをやめるのは、大袈裟すぎるよね。付き合ってるわけでもないのに……。
玲二くんのこと、すごく気になってる。
玲二くんは、知的で、静かで、目がすごく綺麗。
もしかしたら、予想外なところもいっぱいあるかもしれないけど。
でもなんにせよ、どんな人なのか深く知るためには、一緒に過ごさなきゃ始まらないわけで。
頭の中がぐるぐるして、落ち着かない。
登校してきた人が増えてきて、周囲はざわざわ、騒がしくなっていく。
「お、玲二。おはよー」
後ろから椅子を引く音がして、思わず顔を上げた。
でも視界の中に、求めている人の姿はない。
じゃあ、後ろだ。振り返ると、朝一緒に登校した素敵な「ともだち」の姿があった。
背が高くて、髪と目の色が明るくて、肌も白くて、足も長くて。
どうしたって目立つし、みんな素敵だって騒いでいた。
私は立花君が好きだから、取ったらダメだよなんて言う子もいたっけ。
だから、そっと見るだけにしてきた。
同じ学校の中にいるけれど、全然接点はなくて。
同じクラスになれますようにっていう願いはかなわなくて。
一言だって会話を交わしたことがないから、私も気になっているなんて、誰にも言えなかった。どんな人なんだろうって想像するだけ。
勉強がすごく出来るって聞いていたから、もっといい高校に行くんだろうと思っていた。
でもなぜか同じ高校だった。そして、同じクラスになった。
夢が叶って、同じ委員になって、ちょっとくらいは声をかけていい身分になって。
私の想像は少し当たっていた。穏やかで、誠実な人っていうのは正解。
その他について、もっと知りたいし、答え合わせをしたい。
多少想像と違っていたとしても、全部受け入れたい。
目が合うと、玲二くんはぎこちなく微笑んだように見えた。
これは、どうなんだろう。微笑んでくれたと考えるべきなのか、義理で笑顔を見せてくれただけなのか……。
放課後、帰り支度を済ませて立ち上がってみると、もう玲二くんの姿はなかった。
うう、早い。これはやっぱり、避けられている?
仕方なくとぼとぼと家庭科室へ向かって歩いていると、後ろから声がかかった。
「園田ちゃん!」
こんな呼び方をしてくるのはひとりだけ。振り返ると、やっぱり葉山君はLED的な眩しさを全身から放っていた。
「部活?」
「うん。葉山君も?」
「そうだよー。書道部、どう? かけもちでもいいけど」
四月にも誘われて、見学に行ったんだよね。
葉山君みたいな人がいたら楽しいかなと思っていたんだけど、意外や意外、ものすごく達筆で驚かされてしまった。筆を持った瞬間人が変わったようになって、私のようなお気楽な気分じゃとても隣にはいられない感じだった。
「私はお菓子作るので忙しいんだ」
「今度俺にも一口ちょうだい。手に渡してくれていいから」
「あはは。いいよ、四時半くらいには出来上がってるから、良かったらのぞきに来て」
葉山君は人の良さそうな顔で、やったね! と喜んでくれている。
そういう台詞を、玲二くんの口からききたいんだけどな。
「ね、葉山君」
「なんだい園田ちゃん」
この調子の良さに、ちょっとだけ助けてもらいたい。
そう考えて、私はこう質問してみた。
「よく知らない女の子にいきなりともだちになってほしいって言われたら、困る?」
「そりゃ、ケースバイケースってやつじゃないの?」
それはもちろん、そうなんだけど。
思わず口をへの字にしてしまった私に、葉山君はなぜか驚いている。
「そんな顔しても可愛いってすごいね、園田ちゃんは」
「そんなことないよ」
「俺だったら、園田ちゃんにともだちになって欲しいって言われたらめちゃめちゃ嬉しいよ。女の子が男に向かって、あえて『ともだちになりたい』なんて言わないでしょ?」
「そう……かな?」
確かに、いちいち「ともだちになろう!」なんて言わないか。
よっぽど小さい子なら、そういう風に口に出すものだろうけど。
「特別に仲良くなりたいと思ってくれているんだって受け取るよ。OKもらったんなら、いい方に考えていいんじゃないかなあ」
ぺらぺらと嬉しい台詞を言ってくれたと思いきや、葉山君は「ただし」と付け加えた。
「普通の男だったら間違いなく、言葉通りの『ともだち』止まりだろうな、なんて考えないと思うけどね」
急にシリアスな顔で決めたかと思ったら、じゃあとで、と手を振って去っていく。
気がつかなかったけれど、もう家庭科室の前だった。
上の空の私はぼんやりしてばっかりで、出来上がったカップケーキはかつてないくらいのがっかりクオリティになってしまった。
これじゃ、葉山君におすそわけできそうにない。
「どうしたの、園田さん。失敗するなんて珍しいね」
朗らかなクラブの仲間達は、楽しそうに笑いながらカップケーキをいくつか交換してくれた。
部長の作ったショコラのケーキは、ぴったり四時半に顔を出した葉山君にあげた。
「クッキングクラブって天国みたいだね。なんだか優しい雰囲気で、いい子ばっかりって感じでさ」
下駄箱でもまた葉山君と出会ってしまって、私たちはほんの五分の道のりを一緒に歩いている。
「うん、優しい人ばっかりなんだ。先生も先輩も親切だし」
「いいね、俺も入りたい」
「葉山君が入ったら楽しそうだね。みんなを褒めちぎっていい気分にさせてくれそう」
「わかってるじゃない、園田ちゃん。言っておくけど、俺は本気で褒めるよ」
「あはは」
玲二くんだったら、どうだろう?
私がふっとした想像を、なぜか隣のLEDは察知したようだった。
「玲二だったらかなり真剣に、お菓子作り出しちゃうんだろうな」
確かに。
真面目そうだもん。昨日も明らかに「チカンに注意」の看板を見て、「送ろうか」って提案してくれたんだと思うし。
お菓子作りは丁寧さが重要だから、真面目な人には向いている。
玲二くんの作るお菓子は、すごくおいしくなるんじゃないかな?
いいな。食べてみたい。私のために作ってくれたりしたら、どれだけ幸せな気持ちになるだろう。
葉山君と別れて、今日はひとりで電車に揺られた。
ひとりでいると勝手に頭の中で反省会が始まってしまう。
都合のいい妄想にヘラヘラしてる場合じゃないんだよね。
昨日と今朝。玲二くんの様子を思い出して、私は小さく唸った。
お口にクッキーは失敗だった。甘いものはあんまりって言われたから、焦ってついあんなことをしちゃったけど、イヤだったのかもしれない。
今からでも謝ればいいのかな。でも、連絡先がわからない。自宅に電話するっていうのもなんだか大袈裟だし。家に直接突撃なんてもっと出来ないし。
みんなどうやって連絡先を知って、デートの約束なんて取り付けるんだろう。
雑誌に載っていた「彼から告白させる方法」なんて、全然参考にならなかったけどな……。
頭の中の反省会の成果はゼロで、私は結局いいアイディアがないまんま一日を終えた。