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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
君は太陽
29/85

抱擁 / いつき

「聞いたよ、いつき。朝っぱらから駅のホームで抱き合ってたらしいじゃん」


 今日のお昼も友香と一緒に一組で。

 わざわざ呼び出してきた理由は、事情聴取のためなのかな。

 確かにちょっと、大胆すぎたかもしれない。あの駅を使って来る人はたくさんいるし、考えてみたら先生もいたかもしれないんだなーって。


「ちょっとね」

「ちょっとで抱き合っちゃうの? あの恥ずかしがり屋の立花さんと?」


 説明しようと思ったのに、結局私の口からは照れ笑いしか出て来なくて、友香はもう呆れ果てたって顔をしてきた。いいんだ別に、どう思われても。


「そういえばいつきは見たの? 例の写真」

「例の写真って?」

「原田さんっていつきのクラスにいるでしょ。島谷君が中学同じで、それで画像が来たんだって」


 スマートフォンの画面には、やけに美しい外国人女性が一人。


「だあれ、これ」


 ハリウッドのセレブとか、あんまり興味ないんだけど。


「わかんないの? わかんないか、私もビックリしたもんね」

「もったいぶらずに教えてよ」

「いつきを今日抱きしめてたっていう例の人だよ」


 えっ。玲二くんなの、これ。本当に? わ、本当かも。確かにちょっと、服装がへんだなって思ったんだよね。セレブにしては趣味が悪いんじゃないかって。しかも背景が教室だったし。なんで気がつかないかな、ハリウッド感なんてゼロなのに。


「文化祭でやるんでしょ、男の娘カフェ」

「おとこのこカフェ?」

「男の娘って知らない? 女装男子が流行ってるんだよ、今」


 だから絶対ウケるよー、だって。

 玲二くん大丈夫なのかな。間違いなく、ノリノリでやれる人じゃないと思うんだけど。


「いつきも一緒にやればいいのに、メイドコス」

「女の子は執事になるんだよ」

「ああ、男装もあるんだ。そうなんだ。島谷君のとこに来た画像はこれだけだって言ってたから、てっきり女装だけなのかと思ってた」


 友香、随分ニヤけちゃってる。よっぽどうまくいってるんだな、彼氏と。

 

「友香は島谷君とはどうなの? ちゃんと付き合い始めたってこと?」

「ん? うん、そうかな」

「どこまでいったの?」

「ちょっと、いつき、あんたはそんな質問しちゃダメ!」


 いつきは清純路線でしょ、だって。


 全然、清純路線なんかじゃない。

 だって玲二くんに抱きしめられたいし、キスされたい。

 ちゃんと付き合おうって宣言される前でも、玲二くんが私をうわっと押し倒してきたら、多分応じちゃうと思う。

 もっと深い関係になったら、もっと安心できるだろうから。


 そんな簡単な話じゃないか。

 

 抱きしめられて、すごく満たされたように感じた。

 玲二くんは私のどこを評価してくれているんだろう。笑顔がいいよとか、可愛いって言ってくれるけど、それ以上を求めてくれるのかな。

 妹みたいな感じだったらどうしよう。

 お兄ちゃんはもう間に合ってるから、これ以上はいらないんだけど。

 どうやって確認したらいいんだろう。水着は直視してもらえなかったし、いきなり下着っていうのはいくらなんでもちょっと、どうしたらいいのかわかんないし。

 世の中の肉食系の皆さんは、男の子にどうやって迫るんだろう。

 コート脱いだらいきなり裸とか、そういう感じ? 


「ま、でもいいよね。絶対立花君は清純派が好みでしょ」

「そうなの?」

「そうとしか思えないけど」


 ん、じゃあ肉食化は良くないのか。今のままの私でいいのかな。

 もっと好きになってもらえる方法があるなら、実践していきたいんだけど。


「いつきは文化祭、立花君と一緒にまわるの?」

「そうしたいと思ってるけど、まだ話してないから」

「大丈夫でしょ。抱きしめてもう離さないよ、きっと」


 でも、女装してるんだよね。

 メイクもしっかりしてたみたいだけど、どういうスケジュールなのかな、玲二くんは。確認しなくちゃ。


「実乃梨のとこは大丈夫だけど、千早のとこは男子禁制だって言ってたよ」

「そうなんだ」

「残念だね、一緒に行けなくて」

「友香こそ、島谷君と行けなくて残念なんでしょ」


 友香は恥ずかしかったのか、私の鼻をぎゅっと指で押してきた。

 これ、憧れてたやつだ。友達とお互いの彼氏の話をする、みたいな。


 彼氏じゃないけど。

 もう彼氏ってことでいいんじゃないのかな。

 あんなところでお構いなしに抱きしめてくる男の子が彼氏じゃないって、じゃあどういう存在なんだろう。


 暫定でいいから、彼女ってことにしてくれないかな。

 そうしたら私も、玲二くんの所有権を堂々と主張できるようになるのに。

 

 

 

 教室に戻ると、玲二くんは自分の席で静かに本を読んでいた。

 いつもは葉山君も一緒になって三人で食べてるけど、私がいない時にはどんな話をするんだろう。


 葉山君にも彼女ができて、ノロけてくれたらいいのに。

 玲二も早く園田ちゃんと付き合っちゃえよって言ってくれたら、少しは考えてくれるかな。


「お帰り、園田」


 ああ、なんてあさましい考えなんだろう。

 玲二くんは悩んで悩んで、真面目に待って欲しいって言ってるんだから、私の体面のために嘘をつかせるなんて駄目だよね。


 優しげな微笑みに深く反省をして、心を整える。


「玲二くん、文化祭の日ってスケジュールはもう決まったの?」

「うん、俺は午前中の担当になった」

「じゃあ、後半一緒にまわろう」

「いいよ」


 着替えてからでいい? だって。


「園田はクラブの方で参加するんだろ?」

「うん、私も前半なんだ。玲二くんとあわなかったら交代してもらおうと思ってたんだけど、良かった」


 文化祭は十月の始めにあって、そのあとすぐに中間試験が待ち受けている。

 玲二くん、休みの日は勉強とかしてるのかな。

 人生を左右する問題があるって聞いてから、誘い辛いんだよね。

 そんなにお気楽な状態じゃないんじゃないかって。切ない横顔も素敵なんだけど、私みたいに呑気ではいられないみたいだし。


「俺の顔、なにかついてる?」


 あれ、しまった。凝視しすぎちゃった。


「ううん、あの、友香が見せてくれたんだ。玲二くんの衣装合わせの時の写真」

「敷島が?」

「うちのクラスから彼氏経由で見たって」

「そんなに転送されてるの?」

「大丈夫だよ、玲二くんすごく綺麗だった。話題のセレブなのかと思ったもん」


 あんまり嬉しくないみたい。

 だけど浮かない表情は一瞬で消して、私に向かって微笑みかけてくれた。


「クッキングクラブは、どんな内容なの?」

「お菓子の販売だけだよ。色んな味のパウンドケーキとか、クッキーとかを用意してるんだ」

「どんな味の?」

「ごく普通のプレーンと、チョコと、紅茶とコーヒーかな。定番の味ばっかりなんだけどね」

「紅茶とかコーヒーのなら、俺も食べられるかな」


 俺の分を買っといてくれる? だって。

 玲二くん、今までクラブについては全然興味なさそうだったのに。


 やっぱり今朝のアレが効いてるのかな。

 私の答えはもちろん「YES」。

 それ以外に答えようがない。


 雰囲気の良さにのって土日の予定を聞いてみたんだけど、しばらくちょっと忙しいと言われてしまった。


「試験が終わったあと、どこかに一緒に行こうか」


 しょんぼりしかけた私に、玲二くんはちゃんと光を投げかけてくれる。


「どこがいいか、考えておいて」


 中間試験は文化祭のあとだから、まだ結構あるんだけど。

 でも今の忙しない空気に流されていれば、きっとあっという間にやってくるよね。




 お祭りの空気で浮かれているうちに日々は過ぎて、とうとう文化祭の当日。

 いつもより閑散とした土曜日の電車に乗って、今日も朝から二人で登校した。

 教室は造花のバラが咲き乱れていて、すっかり異空間になっている。


 玲二くんは早速着替えなきゃいけないらしく、更衣室へ去っていってしまった。

 私もクラブの手伝いをしなきゃいけないから、ロッカーに鞄をしまったらすぐに家庭科室に向かわなきゃいけなかったんだけど。


「あ、園田さん、ちょっとちょっと」


 クラスの実行委員長の綿貫君が、慌てた様子で駆け寄ってきて足を止めた。


「なあに?」

「実は今日、山野と松川が急に休みになっちゃったんだ。それで、代役探してるんだけど、クラブの方誰かと代われたりしない?」


 山野君に、松川君。確かメイドさんに変身する予定だったはずだよね。


「それって代役は男の子になるんじゃないの?」

「それがさ、本当に誰も無理なんだ。とにかく人がいなくて困っててさ、もう女装にはこだわらないから、やれそうな人を探してて」


 クッキングクラブの販売はお持ち帰りだけで、喫茶店みたいなイートイン形式とはきっと忙しさも違うと思う。クラブの方はみんなゆるゆるやりたくて、人員には余裕があるから、ひょっとしたら私が抜けても平気かもしれない。


「クラブに確認してみないとわからないけど」

「確認してくれるだけでもありがたいよ!」


 よっぽど切羽詰まっていたのか、綿貫君は土下座でもしそうな勢いで私に頭をさげた。

 これは急がなきゃって家庭科室に走ると、部長の返事はあっさりオッケー。

 しかも、後半担当の五組の益子さんが私の代わりに前半に入りたいって大喜びしてくれた。本城君と一緒に店番したかったんだって。

 

 大丈夫だったよと報告をしに戻ると、さっそくメイド服を渡された。


「後ろのヒモでサイズ調整できるんだって。更衣室に執事軍団がいると思うから、手伝ってもらってね」


 他の女の子はみんなスーツなのに、私だけメイドさんでいいのかな。

 玲二くんとお揃いってことだよね。うーん、初のお揃いがメイド服とは。玲二くんが執事になってくれたらいいのに。きっとかっこいいだろうから。


 更衣室には三人の女執事が待っていて、事情を話すと大喜びで着替えを手伝ってくれた。


「良かった良かった、誰もいなかったらどうしようかと思った」

「後半も一人休みでね、園田さんが引き受けてくれて助かったよー」


 紐を後ろからぎゅっと締められて、ひらひらのスカートを履いて。

 可愛いけど、これ、山野君が着てたやつなのかって途中で思ったり。


 最後に髪型もアレンジさせてって言われたところで、更衣室にはもう一人のクラスメイトが入ってきた。


「あ、百井さん、ありがとう引き受けてくれて!」


 眉毛の上でびしっとそろった前髪と、物憂げな瞳、そして真っ赤な唇。

 並んだロッカーの前で座る私を一瞥すると、百井さんはばさっとセーラー服を脱ぎ捨てた。


 思わず目を逸らしてしまうほど、なんというか、色気むんむんの体だった。

 真っ黒い下着と、真っ白い肌と、ボリューム満点の胸とお尻。

 同性なのに戸惑ってしまう。

 そんな私に向けてなのか、鼻で笑ったような声が聞こえた。


「これ、なんだか窮屈だわ」


 おそるおそる顔をあげると、同じ衣装なのに全然着こなしが違う。

 胸のあたりがはちきれそうで、谷間が覗いている。


「ボタンが全然とまらないんだもの」


 ブラウスの上半分が開いちゃって、メイド服らしからぬ雰囲気なんだけど。


「あ、じゃあ、これでごまかそうか」


 執事姿の江川さんがスカーフを取り出して、百井さんの肩に巻きつけている。

 最後に造花のバラをピンで留めたけど、なんだかんだ、その下に広がる谷はちらちら見えていて。


 教室では最後の準備がすすめられていたんだけど、百井さんが現れると男の子たちの動きはぴたっと止まってしまった。


「百井、いや、こいつは参ったな……」


 先生までデレデレしちゃって、でも、注意みたいなものは全然なくて。


「園田、どうしたのその格好」


 時の止まった教室の中で、普通なのは玲二くんだけだった。


「山野君と松川君が休みだから、代わりを頼まれたの」

「そうなのか」


 なるべく平静を装ったつもりだけど、言葉に詰まってしまった。

 玲二くん本当にきれいなんだもん。喉のあたりなんかをしっかり見ればわかるけど、あからさまな女装感は全然なくって。


「すごく可愛いよ」


 意気消沈している私の心に、火がくべられる。


 だけどぽかぽかしていられたのは、ほんのちょっとの間だけだった。


 先生からの注意があって、実行委員から頑張りましょうと言われて、文化祭はスタートしたんだけど。

 なぜか体が強張ってしまってうまく動けない。


 最初のうちはまだ良かった。

 お客さんはあんまり来なくて、私は裏でコップやお皿を出していたくらいだったから。


 でも、お昼が近くなるにつれて人が増えてきて、注文を取りにいっても聞き間違えてしまうし、テーブルに運ぼうとしたら誰かとぶつかっちゃうし。夏休み中に似たようなアルバイトをしていたんだから、大丈夫だと思ってたのに。


「ねえ、邪魔よ」


 三回目のミスをした瞬間、背後からこう囁かれた。

 百井さんはぼけっとしている私をお尻で弾き飛ばして、かわりにお客さんに笑顔と色気を振りまいている。


「お姉さん、良かったら連絡先交換してくれない?」


 男のお客さんの目は全部が全部ハートになって、視線は百井さん一人に集中していた。

 女のお客さんも、なんて素敵な人がいるのかしらってうっとりしているし。


 百井さんはお客のリクエストを華麗にやり過ごして、形のいいお尻をふりふりしながら店の中を行き来していく。

 そして呆然とする私とすれちがいざまに、こう囁いた。


「なんにもできないでくのぼうは、はやくでていったらどう?」



 


「園田、大丈夫?」


 教室の隅で座り込んでいた。

 飲食物を置いておく、ついたてで仕切られたスペースの一番奥でぼんやり床にへたりこんでいて、ハリウッドセレブ風の玲二くんに顔を覗き込まれている。


「玲二くん?」

「ここで休んでて。もうすぐ交代の時間だから、迎えに来るよ」



 私が座り込んでいる場所からは、教室の様子はあまりよく見えない。

 ついたての隙間からちらちらと見えるだけ。


 百井さんだけが活躍していると思っていたけど、実際にはそうじゃなくて、執事姿の女の子も、メイドになっている男の子たちもみんなきびきびと働いている。

 ゆったりとしたボサノバと、廊下を行き交うガヤガヤと、止まることのない足音と。

 どうして私だけがこんな風に床に座り込んでいるのか、全然理解ができなかった。


 いつここに来たのか、自分で来たのかそれとも誰かに連れてこられたのか、記憶もなくて。わざわざクラブに断りを入れてまで引き受けたのに、なんにもできないなんて。

 悲しくなって、一人でぐすぐす鼻を啜った。聞こえちゃいけないからなんとか我慢しようと思ったのに、全然できなくて、それで余計に悲しくなって。


 私のすぐそばで、裏方の人達も一生懸命なのに。

 なにやってんだろ、私。

 情けなくて、消えてしまいたい。

 膝を抱えてうずくまって、どのくらい時間が経っただろう。

 長い長い孤独が過ぎて、頭にぽんと大きな手が乗せられた。


「園田、大丈夫?」


 顔をあげるとまだセレブ風の玲二くんがいて、私に微笑みかけてくれていた。

 それで体の奥の震えが止まって、ようやく息ができたような感覚にほっとさせられた。


「立てる?」

「うん」


 玲二くんは私を隠すように教室から連れ出して、女子更衣室まで送ってくれた。

 俺もすぐに着替えてくるから、終わったらここで待ってて。

 そう言い残して、男子更衣室に飛び込んでいってしまった。


 のろのろと制服に着替えて外へ出ると、もう玲二くんが待っていてくれた。

 顔が赤いのは、慌ててメイクを落としたせいなのかもしれない。


「ごめん」

「なんで謝るの。それより気分は?」

「謝らなきゃ駄目でしょう、全然働かなかったんだから」


 玲二くんの優しい言葉を遮ったのは、もちろんというかなんというか、百井さんだった。

 胸元のがばっと開いたセクシーな姿は、廊下を行き過ぎる人達の視線をずっと独り占めにしている。


 百井さんは勝ち誇ったような表情で、私にこう言い放った。


「手伝いますって自分で言っておきながら、なんなのかしら。なんにもしてないじゃないの、邪魔なだけで」

「やめろ、百井」

「あなた、ちょっと好意を持たれているからって、こんないい加減な女の肩を持つの?」


 声は全然大きくないのに、ものすごく鋭い。

 百井さんの言葉は全部心に直接突き刺さってくるようで、私はまたぐすぐす泣きだしてしまっている。


「……園田、行こう」


 玲二くんは私の肩を抱いて、かばうようにしてくれた。

 けれど百井さんは許してくれなくて、玲二くんの腕を掴んで凄んだ。


「立花玲二、答えなさい」


 なんて鋭いんだろう。

 どうして玲二くんに、こんなに強く問いただすんだろう?


 わからなかったけど、玲二くんは百井さんの手を払って、きっぱりとこう答えた。


「持つさ。なにもかもがお前の思う通りになると思ったら大間違いだぞ」


 玲二くんは私を抱き寄せると、早足で廊下を進んでいった。

 ちらりとしか見えなかったけど、ものすごく怒っていたと思う、百井さんは。

 全身から真っ黒い色が噴き出しているような気すらしたから。



 玲二くんに連れられてたどりついた先は、中庭の端の休憩所で、自販機とベンチが並んでいるところだった。本城君にうっかり壁ドンというか、柱ドンされてしまった場所。

 すぐそばでは書道部のパフォーマンスがあるらしく、タイムスケジュールのかかれたポスターが貼られている。


 自販機の横のゴミ箱はいっぱいになって溢れているけど、ベンチには誰もいなかった。

 演劇部、軽音部なんかがイベントをやっている時間帯だから、みんなそういった場所に行っているんだろう。


「園田」


 隣に座った玲二くんの呼びかけに、うまく答えられない。

 呼ばれているのはわかるのに、体が動かなくて、用もないのに少し離れた場所にある花壇を見つめてしまっている。


「百井になにか言われた?」


 これでようやくちょっと動いて、やっと玲二くんの方を見られた。


「うん」

「嫌なことを言われたんだろ」


 暖かい手が私の頬を撫でていく。

 緊張は随分とけてきて、私は涙のたまった目をこすりながらこう答えた。


「でも、全然なんにもできなくて、言われても仕方なかったから」

「そんなことないよ。園田はちゃんとやってた」

「失敗ばっかりだったの」

「違う。俺は見てたよ。ミスなんかしてないのに、百井が一方的に責めたんだ」


 あれ? そうだったっけ?

 記憶が霞んでいて、よくわからない。


「百井さんがいれば、私は必要ないって思ったんだけど……」


 ついさっきのことなのに、変だよね。

 玲二くんに顔を向けると、私をじっと見つめてくれていた。


 薄い茶色の、きれいな瞳。


「ごめんな、園田」


 どうして謝られたのかわからないけど、玲二くんはぎゅっと、また私を抱きしめてくれた。


 すると体にまとわりついていた不安が、ふわっと消えてなくなって、無駄に早かった鼓動が元通り、ゆっくりになっていったような気がした。


 抱きしめられたまま、至福の時が流れていく。


 体が離れた時にはすごく残念だったけど、でも、玲二くんの優しい微笑んだ顔が見られて、それもまた幸せで。


「もうすぐ良太郎の出番なんだ。書道部のパフォーマンス、見に行こう」

「うん……」


 その後は、ずっと玲二くんと一緒にあちこちを見て一日を過ごした。


 前半の手伝いについてはなんだかよく覚えていなくて変な感じだったけど、その後はずっと玲二くんに守られている感覚があった。


 だから教室に戻っても、百井さんが睨んでいても、もう怖くなかった。

 

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