迷路の終わり / 玲二
「おいおい……玲二、お前、シャレにならないだろその姿は……」
そう言われても困る。好きでやってるんじゃないし。
「女優みたいだ」
良太郎に続けて、周囲の女子たちもキャアキャア騒いでいる。
一年三組の文化祭の出し物は、執事とメイドがおもてなしをする喫茶店に決まってしまって、俺は人生初の女装をさせられている。その辺の量販店で買ってきた安っぽいメイド服、入らないと思ったんだけど、立花君なら細いから大丈夫、早く着替えてこいで押し切られてしまった。
スカートは短くて、ひざよりも随分上で終わってる。ひざ上までの靴下を履いて、ひらひらのスカートで、足元は上履き。穴があったら入りたい。
化粧までされている俺を、良太郎がニヤニヤと見つめている。
いつもは部活で忙しいのに、今日にかぎってないんだそうだ。
「ヤバイな、他がコミック系なだけにガチに見えるぜ」
「もうなにも言わないでくれ」
まつげを盛られ、エクステでツインテールにされて、口紅とチークで女子化した自分の姿は、正直に言って母さんにしか見えなかった。
「マジで? お前の母さんすごいな」
「すごくないよ」
そういえば、園田のお母さんってどんな風なんだろうな。
叔父さんの顔はなかなかの迫力で、お父さんも同じだと言っていた。
一番上のお兄さんはお父さん似で、二番目のお兄さんは園田とよく似ていた。
だからきっと、園田はお母さんに似ているんだろう。俺と同じで。
恥ずかしいばっかりの衣装合わせを終えて、化粧を落とし、更衣室へ駆け込んだ。廊下にいたよそのクラスの奴らの視線が痛くてたまらなくて、部活終わりの連中も来ないで欲しいと願いながらペラペラのメイド服を脱いでいく。
するとドアが開く音がして、一番見られたくない姿を目撃されてしまった。
「わ、ごめん。見ないでおくから気にせず着替えて」
良太郎だった。ほっとしていると、背中の向こうから声が聞こえた。
「玲二、お前最近園田ちゃんとどうなってんの?」
ひらひらのスカートをロッカーの中に押し込みながら、ため息をついた。
いつか聞かれると思っていたんだ、良太郎には。
「どうもなってない」
「確認してもいい? 二人は付き合ってるの?」
付き合ってはいないと答えると、良太郎は「へえ」と呟くように言った。
「夏休み、随分盛り上がってたのに」
「あのあとちょっと会えなくて、そこからはもう特になにもなくて」
「本城とかいう奴のせい?」
俺がなにも答えずにいると、良太郎はクッキングクラブでの様子を話しだした。
黒一点で女子から囲まれているくせに、園田にばっかり構っているんだと。
「園田ちゃんは少し迷惑そうだけど、そこまで嫌そうでもないよ」
まさかこんなものを身に着けることになるとは、と一番抵抗があったニーハイソックスを脱いで、これもロッカーへ投げ込んでいく。
「玲二?」
「聞いてるよ」
夏休みの後半は全部ケガのせいで潰れてしまって、前半のあの盛り上がりが嘘みたいに遠い昔のように感じられて、だから学校が始まったらまた一緒に過ごしていこうと思っていたのに、百井が乱入してきて、そして、今はまた別な問題を抱えてしまって。
父さんの言葉に励まされたし、なにもしないうちから希望を捨てる必要なんてないとは思っているんだけど。
でも、百井から向けられている敵意とか、その背後にいる誰かや、遠屋のあの得体のしれなさだとかに、心がすくんでしまっている。
待ってもらうのは、園田をあの世界に関わらせるってことだから。
そんなのが許されるのかどうかわからなくて、最近すっかり意気消沈している園田にどうしたのか聞けずにいるんだ。
「俺の知らないところでなんかあったのかもしれないけどさ」
やっと衣装を全部脱ぎ終わって、今度は制服を身に着けていく。
「最近またやたらと切ないオーラ出してるから、気になっちゃって」
夏休み前に気が付かれていた俺の絶望。
確かに、園田が好きで好きでたまらなくなって、親の居ぬ間に夢中で接近している間は忘れていたアレは、この一ケ月で急成長して俺にのしかかっている。
「確かに、悩みはあるんだ」
「それで付き合えないの?」
「うん」
「病気かなにか?」
違うけど、考えてみれば似たようなものだと思った。
良太郎はやたらと鋭いけど、実は俺の仲間だったりしないのか。
それなら話も早いし力強いのに。
「言えないなら仕方ないけど、あんま深刻に考えすぎるなよ」
「そうだな」
「たとえ今だけにしておかなきゃいけなかったとしてもさ。お前と一緒に過ごせたら園田ちゃんは嬉しいんじゃないの?」
あんなに好きなんだからさ、と良太郎は続けた。顔は見えないけど、多分笑顔でいると思う。
今だけだとしても、一緒に。
俺の中にはなかった考え方だ。
シャツのボタンを留めながら、噛みしめていく。
俺は勝手に一生だとか、永遠にとか考えているけど、この発想がまず間違っているんだな。いや、間違っているというか、普通の高校生の恋なんて長続きするもんじゃないだろうとは考えていたのに。自分には全然、あてはめてない。
それは多分、俺が園田ととにかく深く深く繋がりたいと考えているからで、自覚した途端体が爆発したみたいに熱くなってしまった。
おかげで手が滑って、借りた衣装をばさばさ落としてしまうし。拾おうとしてふんずけて、あやうく転びそうになってしまうし。
見かねた良太郎が手伝いに来てくれたけど、そのせいで顔を見られてしまった。
「なんだよ真っ赤になっちゃって。ピュア過ぎだろ、玲二」
「そんなんじゃないよ」
「玲二も今度クッキングクラブに突撃して来い。本城がいたら遠慮しないでぶっ飛ばしてやれよ。園田は俺のものだから、手出しするんじゃねえって」
俺がそう言ったら、園田は喜んでくれるかな。
いや、でも、どうなんだろう。
ひょっとしたら煮え切らない俺に、そろそろ嫌気がさしているかもしれない。
「良太郎、あのさ」
園田と本城が二人で仲良くお茶してたみたいなんだと話すと、良太郎はまず俺にこう突っ込んできた。
「随分曖昧な言い方だけど?」
「俺が直接みたわけじゃなくて、人にそう聞かされたんだ」
あの写真がもしも百井の作った嘘だったとしたら、とは思っている。
でも俺には「見える」っていうから。その力があのカードにも有効だとしたらと考えると、どうにもこうにもむず痒い。
「園田ちゃんに聞けよ。正直に言えばいいだろう」
「でも、なんだか疑ってるみたいで」
「むしろ喜ぶと思うよ。玲二が嫉妬してくれたんだって」
そうなのかな。そういう男って、みっともないと思うもんじゃないのか。
「嫌じゃないかな?」
「それで嫌って言われたら、もう脈なんかないだろ。あの園田ちゃんがそこまで冷めるようなことがあったのか?」
「ないと思うけど」
「じゃあとにかく聞け。そんでスッキリしろよ。来月園田ちゃんのバースデーパーティがあるらしいから、とにかくそれまでになんとかしてくれよな」
「パーティって?」
「友香ちゃんから頼まれたんだよ。園田ちゃんの誕生日をお祝いするから、俺たちにも来てほしいって。玲二がいなきゃ始まらないんだから、今の妙な感じはさっさと終わりにしてくれよな」
ようやく全部着替えが終わって、衣装をたたんで小さくまとめて、二人で並んで更衣室を出た。
「良太郎って人の心が読めるのか?」
精一杯、冗談めかして言ったつもりだったのに、友人はあきれ顔でこう返してきた。
「園田ちゃんもだけど、玲二には裏がなさすぎるんだよ。馬鹿正直だから、なに考えてるかくらいすぐわかる」
じゃあ、良太郎は俺の仲間じゃないんだ。
それなのに、俺の気持ちを一番理解してくれる。
「玲二、どこか遠くに行かなきゃいけない予定でもあんのか?」
教室の前、ドアに手をかけたところで止まって、良太郎から最後の質問が飛んできた。
遠くへ行く予定、か。
あんまり深く考えないようにしてきたけど、多分「ある」んだろうな。
俺がただの人間と同じ道を歩めるなら、このままでいいけど。
あれだけ「十五年程度で」って言われるんだから、みんな相当長生きなんだろう。母さんも多分アラフォーなんかじゃない。そういえば全然、昔と姿が変わらない。
俺もいつか歳をとらなくなるのかな。
いつまで周囲と同じ時の流れの中にいられるんだろう。
「なんだよ、お前、シリアス過ぎ!」
返事をできずにいる俺の背中をバンバン叩いて、良太郎はいつも通りの明るい笑顔を向けてくれた。
「今時永遠に会えなくなるような場所なんかないだろ! 繋がっていられる方法はいっぱいあるし、とにかくもうちょっとシンプルに考えろよな」
衣装合わせが終わるとミーティングは終わりになって、二人の邪魔はしないからと言って良太郎も去って行った。
簡単に考える。
俺は園田が好きで、それから、園田が好きで一緒にいたくて、でも人間じゃなくて、人間じゃない感覚は希薄で、へんてこな力のせいで問題視されていて、でも一応これ以上手出しはされそうにはない、のかな。
「玲二くん、おまたせ」
考えがまとまらないうちに、園田が戻ってきてしまった。
「今日はなにか作ったの?」
「マカロンだよ。食べてみる?」
玲二くんの分もあるんだよ、と微笑む園田がとにかく可愛い。
なのに、すごい勢いで邪魔が入った。
「いつきちゃん! 一緒に帰ろう」
まずは本城。同じクラブに入ったんだから、帰る時間はどうしても近い。
「お、今日のマカロンね。俺頑張ったよね、いつきちゃん。メレンゲ作りの時、力強かったでしょう?」
「そうだね」
「立花、俺のマカロン食べて」
せっかく盛り上がった気分がみるみるしぼんでいくのがわかった。
お前じゃなくて、園田のマカロンが食べたいのに。
「あー、玲二さんなにそれー。うわーおいしそう。園ちゃん私にもちょうだいよー」
もう一人は中村で、相手の返事を待たずに一つ持っていってしまった。
「あっ」
園田の小さな抗議は、中村のはしゃぎ声にかき消されてしまう。
「うわー、おいしー! 私もクッキングクラブに入ろうかな。テニス部つまんないもん!」
ねー、玲二さーん、とここで俺に抱き付いてくる理由はまったくわからない。
「おいおい、なんだよ。立花はとうとう三股かよ」
「えっ、三股ってなに? 私と園ちゃんと、まだほかにもいるの?」
「いないよ」
離れてとお願いしても、中村はぎゅうぎゅう体を押し付けてくるばかりだった。肩のあたりを押してみても、ダーメ、だって。園田だったら喜ぶところだけど、こんなのは困る。
「転校生ともこそこそ会ってるんだろ?」
「関係ないって言っただろ。それより本城、中村をなんとかしてくれよ」
「俺とは関係ないもん」
園田の顔は悲しそうで、俺は中村にしがみつかれて身動きが取れず、本城はこの隙を逃すわけがない。
「いつきちゃん、どうしたの?」
「ううん、中村さん、玲二くんから離れて」
「えー、なんでー?」
「嫌がってるでしょ」
「そうかなあ。そうなの? 玲二さん」
ようやく離れてくれたけど、迷惑な元カップルは結局駅まで一緒で、俺はマカロンを食べそびれたままだった。
なんだか困っちゃうねと言ったきり、園田は無言のままだし。
俺はなんて声をかけたらいいかわからないし。
黙り続けていたくなかったのに、良太郎からのアドバイスもうまくいかせなくて、結局会話はちょっとしかなかった。俺からは相槌とまた明日、だけ。情けなくて仕方ない。
次の日の朝、駅前で俺はずっと立ち尽くしていた。
園田が来ない。いつもの時間を過ぎても、姿を現さない。
朝は一緒に行くとはっきり約束しているわけじゃない。
何時だと指定したことはなくて、ただ園田が俺の時間に合わせてくれていただけで。
メールを送っても返事はなくて、仕方なく、学校に間に合う一番遅い電車に一人で乗った。
教室には園田のカバンがあったけど、姿はない。
からっぽの隣の席を見つめている俺のもとに良太郎がやってきて、肩に手を置いてこう呟いた。
「本当に馬鹿だな、お前って」
不安に駆られて学校中を駆け回ると、体育館裏のひっそりとしたスペースでやっと園田の姿を見つけた。
四月になると桜の花を満開にさせる大きな木の下で、二人はじっと見つめ合っている。
俺が入るべきポジションには本城がいた。それだけでも許せないのに、チャイムが鳴り響く中、もっと許せない光景が繰り広げられていく。
二人は何度もお互いの唇を触れ合わせていたけど、やがて強く抱き合って、目をそむけたくなるほど深く深く繋がり始めた。
呆然としたまま肩で息をする俺のうしろから、ふんわりと柔らかいものが当たる。
「いいじゃん、玲二さん。わたしがいるじゃん」
明るい中村の声に、体が震える。
「そうよ、あなたにはあんなアバズレ、ふさわしくないんだから」
顎を掴んできたのは百井で、その勝ち誇ったような顔に腹が立って腹が立って仕方ない。
「ふざけるな!」
背中から抱き付いていた中村を振り切って、百井の顔を思いっきり殴りつけてしまった。
そんな惨めな俺を、本城に抱きしめられたままの園田が、蔑むような目で見ている。
「園田」
俺の呼びかけに眉をひそめたけど、園田はまた本城に呼ばれて見つめ合い、ラブシーンを再開させた。
二人の唇がふれあい、舌が絡み合う音に俺は完全に打ちのめされて――。
これが、今朝俺がみた夢だった。
人生で一番の悪夢にげっそりしている俺を、父さんも母さんもずいぶん心配してくれた。
顔を洗ったあとに鏡を覗くと、自分のものだっていうのに驚くほど悲しそうに見えた。
あんなの嫌だ。たとえ夢であっても、あんな光景は二度と見たくない。
やっぱり園田しかいない。
他の誰も俺の心を埋められない。どれだけ愛してもらっても、柔らかい手で触れてもらっても、絶対に無理だ。
いつも通りの時間に、園田の家に向かった。
扉が開いて現れる、いつもの笑顔。最近少し輝きが鈍いのは、間違いなく俺のせいだった。
「おはよう、玲二くん」
「うん」
思い切って手を取って、ずっとつないだまま駅に向かった。
「今日はどうしたの、玲二くん」
問いかけにはうまく答えられなくて、かわりにぎゅっと、手に力を込めた。
あれは夢だから、大丈夫。
一番最悪のシミュレーションなだけで、現実じゃない。
改札をくぐって、電車に乗り込んで向かい合ったら、園田は少し恥ずかしそうに俯いていて。
それを見たらたまらなくなって、頬に触れた。
「なにかあったの?」
いつもこんな真似しないから、不思議に思って当然だ。
今日はちゃんと行動しなきゃいけない。単純な俺たちなんか完全にお見通しの親友がくれたアドバイスを、ちゃんと取り入れよう。
「すごく迷ったんだけど、やっぱりどうしても気になるから聞かせて」
「なあに?」
俺を見上げている瞳。ずっと虜になっている輝き。
他の奴に譲りたくない。
「金曜日、本城と一緒にいたの?」
園田はびっくりしたような顔をして、こくんと一回頷いてみせた。
「どうしてか、聞いてもいい?」
頬に触れるのをやめて、また手を強く握った。
園田はまた少しだけ俯いてしまったけど、すぐにまた俺を見上げて、理由を話してくれた。
百井の言葉がどうしても気になって、俺のあとを追ってきたんだって。
「ごめんね、玲二くん。あの図書委員の先輩のお友達となにか用事があったんだよね」
そうしたら駅前で強引なナンパにあって、たまたま通りかかった本城が助けてくれたんだと。すぐに帰ると言ったけど、少しだけ付き合って欲しいと言われて、断りづらかったからジュースを奢ってもらった。
「それだけなの。本城君と一緒に出掛けたとか、約束をしてたんじゃないの」
本城といたのは本当だった。でもそれは、俺のことが心配だったからで。
「ごめんな、園田」
電車が揺れて、体がよろけてしまう。
園田に向かって倒れ込んだら、ポニーテールにしている髪から優しい花のような匂いがして、思わず抱きしめてしまった。
「俺が悪い」
「どうしちゃったの? 玲二くんは悪くなんかないよ。私が勝手に邪推しただけだもん」
「園田にいっぱい伝えたいことがあるのにどうしても話せなくて、こんなに中途半端なまんま待たせて、悪いと思ってるのに、俺は結局、待ってくれるだろうってすごく甘えてたんだ」
抵抗されないのをいいことに、背中に手をまわして俺の中に閉じ込めた。
すぐそばにある頬から熱を感じた。俺もすごく熱いんだけど、園田も同じように感じてくれているのかな。
電車はもうすぐ駅についてしまう。いつも降りている大瀬東駅までは多分あと二分もしないうちに辿り着いて、この時間が終わってしまう。
今のうちにとぎゅうぎゅうに抱きしめていると、園田が俺の耳元でこう囁いた。
「私もね、ずうっと悩んでたの。あとをつけたのも本城君とデートみたいになっちゃったのもすごく後ろめたくて。どうするのが一番いいかわからなくて迷ってたんだ」
ぐっと内側から押されて、体を離した。
だけど今度は園田の方から、胸に抱き付いてきてくれた。
「私、玲二くんが好きだから。他の人なんか見ないから。ずっと待つから。だから、ごめんなんて言わないで」
ドアが開いたから、降りなきゃいけない。
手を引かれるまま、改札に向かう人の流れを避けてホームの隅に進んだ。
園田はしばらく黙っていたけど、やがて意を決したように両手で俺の手を握って、大きな瞳に涙を潤ませながら微笑みかけてくれた。
「玲二くんのこと、好きでいさせて」
こんな幸せ、ほかにあるのかな。
真っ赤な自動販売機の前。横にあるベンチにはサラリーマンが座っているけど、今は構っていられない。
俺は嬉しくてたまらなくて、また園田をぎゅっと抱きしめてしまった。




