好きの定義 / いつき
月曜日の朝は憂鬱だという人は多い。
せっかくのお休みが終わっちゃって、気だるい日常がまた始まるから。
最近の私にとっては割と、楽しいものだったんだけど。
でも今日は私も憂鬱。土曜はどんより、日曜は友香たちと集まったけど、ずうっとぼやぼやしていてみんなの話もあんまり覚えていない。それぞれの学校の文化祭に行こうねって話題があったなーってくらいで。
充兄ちゃんがいたおかげか、相原君には遭遇しないで済んだ。
問題は私がストーカーまがいの行いをして、本城君とジュースを飲んだってこと。
昨日はなんだかんだ聞かれて、つい金曜日にあった出来事を話してしまった。
相原君については、よく言ったってほめてもらって、本城君とジュースを飲んだ話についても仕方ないんじゃないのって言われたんだけど。
それについて玲二くんに話すべきかどうか私は迷っていて、そう打ち明けると反応は見事に三つに分かれてしまった。
友香は「言わなくていいよ」。
千早は「あえて話して気を引け」。
そして問題は実乃梨の台詞。「もしかしたら本城君の方がいいんじゃない?」というもの。
だって立花君は影があるじゃない、だって。
確かにイケメンだけど、近寄りがたいよね、って。
あれだけ気をもたせといて付き合わないなんて意味がわからん、とも。
なかなか言葉が出て来なかった。
それでも好きなの、待つからいいの。
最後には三人にそう伝えたけど、本当にいいの? って聞かれちゃって。
意地になっちゃってるんじゃない、って言葉はかなりキツかった。
友香と実乃梨は、花火大会の時に葉山君が連れてきてくれた素敵なボーイフレンドと最近仲良くやってるらしい。だから今は、私がとても不幸に見えるのかもしれない。
昨日は結局、まあまあって話を終わらせてくれたのは千早だった。
いつもとは役割が違っていて、それで余計にモヤモヤしている。
こんな苦味ばっかりの顔で玲二くんを待ちたくないのに。
どうしてもこう、眉間にしわが寄っちゃう。
「おはよう、園田」
ほら、心配してた通りだよ。見られちゃった、シワシワの顔。
玲二くんはいつもそんなに喋る方じゃないけど、今日は輪をかけて無口だった。
話しかけたら微笑んだり、返事をしてくれるんだけど。なんだろう。私のこの胸のうちのモヤモヤに、勘付かれちゃっているのかもしれない。
昼休みは友香に呼び出されて、一組で一緒にお弁当を広げた。
「で、どうしたの? 結局話した?」
「ううん、なんか、言い出しにくくて」
「そりゃそうだよね。でもさ、別に悪いことしたわけじゃないんだし、いいんじゃないの?」
偶然だし、無視するなんて感じが悪いって思っただけなんだから。
そんなの普通でしょって、友香は私の背中をばんばん叩いた。
心にひっかかりがあると、会話って全然弾まない。
土日、なにしてたの? って聞けないし。
教室の反対側が気になって仕方ないし。
百井さんも相原君も、すました顔で座っている。
相原君、本当にもう来ないかな。
百井さんも、玲二くんにちょっかい出さないでほしい。
授業中、今日は眠気よりももやもやとの戦いになった。
玲二くんは、元気がないっていうよりも悩んでるように見えるし。
憂いを帯びた横顔に、私も思わずため息をついた。
人生についての重大な問題に、私のこの些細な罪悪感を上乗せするなんて、申し訳なくて出来ない。ひょっとしたら私が好き好きって騒いでるのも、重たいのかな。
ずっと心の隅にある、もしかして迷惑なんじゃないかって気持ち。
ごめんなんて、優しさから出たものかもしれないし。
「どしたの、今日は随分暗いね、二人とも」
葉山君のつっこみに、玲二くんはそんなことないよと微笑んで返した。
私も慌てて同じようにしてみたけど、葉山君の目はごまかせなかった。
六時間目にはホームルームで、また文化祭についての話し合いなんだけど、がやがやしている隙を狙ってメッセージを送ってくれた。園田ちゃん、悩みがあるならいつでも聞くよって。玲二くんも、葉山君になら相談できるんじゃないかな。同い年とは思えないくらい包容力を感じさせる男だもん。
学級委員はもう文化祭の抽選に参加してきて、うちのクラスは無事に喫茶店を開けることになったらしい。
執事だメイドだって案が出ていて、今日は更に「男女逆転」にしようと話が進んでいる。
男の子がメイドになって、女の子が執事になる。鉄板だよねってものすごく盛り上がっている集団がいて、誰も反対しないせいでもう決定してしまいそう。
「じゃあ、部活で参加しない人は協力お願いしますねー」
玲二くん、こういう行事には興味ないんだろうな。
前回の話合いの時も、なんだかふわっとしていて、聞いていなさそうだった。
今日もそうだけど、大丈夫かな。帰宅部の玲二くんには、とんでもない役割がまわってきそうだけど。
案の定、玲二くんはメイドさん候補に入れられてしまっている。
黒板にこっそり書きだされているんだけど、気が付いていないみたい。
玲二くんの女装か。うーん。見たい、かな。見たいかもしれない。ひょっとしたらすごい美女に仕上がって、女の子たちが全員落ち込むことになるかもしれないけど。
「玲二くん、入っちゃってるけど」
腕をつついてみると、玲二くんもやっと事態に気が付いたみたいだった。
「メイドって? 執事じゃなかった?」
「どっちもいる店にして、しかも男女逆でやろうって話になったの」
「男女逆って、俺がメイドになるってこと?」
珍しく玲二くんが焦っていて、その様子はなんとなく子犬みたいで可愛いなって思った。あんなにシリアスな表情で悩んでいたのに、いきなり女装じゃそりゃ焦るよね。
「やらなきゃいけないのかな」
「ちょっと見てみたいけど」
「本当に?」
うん、と頷いてみたりして。
結局、どうしても外せない役目がある人以外は強制的に参加が決まって、放課後から早速準備が始まることになった。
私はクラブに参加して、玲二くんは教室でミーティング。
女装だ女装だってものすごく盛り上がってる女の子たちがいて、私が教室を出た瞬間玲二くんはその集団に呑み込まれていた。
またもやもやが大きくなってる。
珍しくお菓子作りをしないで、メニューについての話し合いなんかをしてるんだけど、教室で玲二くんが女の子にもみくちゃにされているかと思うと、全然集中できなかった。
いいな、あの子たち。玲二くん大丈夫かな。みんなべたべた触ってないかな、中村さんみたいに。アドレス交換なんかもやっぱりしちゃうのかな。
玲二くんの独り占めは私の特権だったのに。
あの中に、千早が言ってたような肉食系女子が混じっていたらどうしよう。
放課後の更衣室で襲われちゃったらどうしよう?
ハーレム作っちゃったらどうしよう!
玲二くんはそんな人じゃないけど。
でも周りは、私の望みを叶えてくれるかどうか、わからない。
立花君は素敵な人だけど、園田さんが好きだって言ってたから聖域指定で触れないようにしようなんて、考えないよね?
「園田さん、どうしたの? 気分でも悪い?」
部長の声は優しくて、みんながみんな私をばっと振り返った。
「いえ、全然大丈夫です」
「そう? じゃあ、紅茶とコーヒー味は決まりにするからね」
高校の文化祭なんて初めてだから、楽しみにしてたんだけど。
このもやもやがずっと続いていたらどうしよう。玲二くんと楽しく一緒にまわるなんて、出来るのかな。だってもしかしたら女装してるかもしれないし。
パウンドケーキの味の話し合いは続いているけど、みんなの声は耳からぽろぽろ落ちていくだけで全然記憶できそうにない。
玲二くん、どうなってるかな。女の子に囲まれて、嬉しかったりして。私がひとりできゃっきゃしたり落ち込んだり、ちょっとだけ甘えてみたり、いきなり水着で迫ったりとか、全部たいしたことなかったなーって思ってたらどうしよう。
溝口さん、すごく胸がおっきいんだよね。体育の時気になってた。原田さんは声がすごく可愛いし、東山さんはいつもいい香りがする。
百井さんもいるのかな。あのセクシーで攻撃的な、美人の転校生は。
みんなと文化祭って感じには見えないけど。
玲二くんにちょっかい出すならいい機会だろうし、やっぱり参加するかなあ。
気分が落ち込んでいく。
こういうのは嫌なのに、どうしてなんだろう。最近ちょっとダメ過ぎない?
本城君が参加してなくて良かった。今日はどうしていないのかわからないけど、横からまたキザな台詞を言われなくて良かった。
そっけない態度でいるのが申し訳なくなっちゃうから。だからって、急に仲良くなんて出来ないし。可愛いねとか付き合ってとか、なんて返事したらいいのかわからないよ。
「園田さん、もし具合が良くないなら帰って大丈夫だよ」
気が付くと目の前に部長が迫っていた。
「何回も呼んだんだけど」
「すみません!」
これじゃいても無駄っていうか、邪魔だよね。
先輩たちにぺこぺこ頭を下げて、私は家庭科室を後にした。
教室に戻って、ミーティングに参加すればいいんだけど、今どういう状態になっていうのか考えると少し怖い。誰かが玲二くんの横にピターっとくっついて座っていたら、泣いちゃうかもしれない。そういうのは封印するって決めたけど、うー、自分の意思の弱さが本当に憎い! 滝にでも打たれてくれば、ちょっとはマシになるのかな。
家庭科室から教室へ。特別室が並ぶ長い廊下を歩いていくと、中庭で活動するテニス部の様子が見えた。
一年生はずらっとコート脇に並んで、二年生が試合をしているのかな?
本城君が入ってたと言ってたから、もう少しチャラチャラしたイメージだったんだけど、誤解だったみたい。真剣に練習に勤しむテニス部の皆さん、ごめんなさい。
「あ、園ちゃんじゃーん!」
廊下で立ち止まっていた私に向かって、一年生が一人手を振っている。中村さんだった。ニッコニコの笑顔で急に走りだして、コートをぐるっとまわってこっちに向かってくる。名前呼ばれているのに、すごいな、完全に無視してる。
「園ちゃん、三組のみんなケチなんだよ! 玲二さんと話したかったのに、今日は文化祭の話し合いがあるから入っちゃダメって」
「それは仕方ないんじゃないかな?」
「そうかなー。私別に邪魔なんかしないけど」
中村さんは相変わらずご機嫌みたいで、ぱっと顔を輝かせるととんでもないことを言ってきた。
「園ちゃん、モトキと付き合う気になった?」
「へ? そんなわけないよ」
「えー。モトキは結構いい感じだって言ってたよ」
「本城君がそんなこと言ってたの?」
「うーん。モトキがそんな風に言ってたって、ショータが教えてくれた」
モトキはいい奴だから、付き合ったら? だって。
中村さんのノリは嫌いじゃないけど、この強引な押しにはさすがに答えられない。
大体、中村さんはそれでいいのかと思うんだけど。
「だってモトキは園ちゃんの方がいいって言うんだもん。最初はムカついたけど、実際に園ちゃん見たらすっごい可愛いから。私と全然タイプが違って、女の子ーって感じじゃない?」
そうかな。私、女の子って感じなのかな。
「こんなにタイプ違うってことは、本気なんだって思うじゃん。話してみたら優しそうだし、もういいんだ。モトキはいい奴だから、幸せになって欲しいんだよね」
だから、付き合ってよ、って。そうなるの? 普通の考え方なの、これって。
「でも私、玲二くんが好きだから」
「あー、そうだよねー、玲二さんもいいよねー。最初はノリ悪、って思ったんだけど、ちゃんと話聞いてくれるし、間違ってたら教えてくれるし、大体すっごいイケメンだし。外国人ってどうなんだろって思ったけど、日本語も通じるもんね」
「玲二くんは日本人だよ」
「え、あの見た目で?」
「ハーフだけど、日本育ちだから」
「どことのハーフなの?」
あ、そういえばハッキリ知らなかったかも。
「ドイツとかだったような気がするけど」
「園ちゃん知らないの? もー、好きとか言ってさー、それって本気なのー?」
本気ですって答えたかったのに、テニス部の人がやって来て中村さんは連れていかれてしまった。
モヤモヤに加えてイライラまで抱えて教室へ戻ると、私の心配していたような展開はなかった。当たり前なんだけど。みんな仲良さそうに塊になって話し合っていたけど、玲二くんはちゃんと一人背筋を伸ばしたいい姿勢で座って、みんなの話に耳を傾けていたみたい。
このミーティングももうお終いだからって、私たちは今日も一緒に帰っている。
「今日は早かったね」
夕暮れの中で、玲二くんはオレンジ色にキラキラ光りながら語り掛けてくる。
「うん、なんかちょっと、集中できなくて」
「風邪でも引いた?」
最近夕方冷えるようになったから、だって。
優しいな、玲二くんはやっぱり。
「喫茶店はどんな風になりそう?」
「うーん、どうしても女装と男装がいいんだってグループがいて」
今度メイド服を着せられそうだよって、玲二くんはなんともいえない表情で話した。
「あの、百井さんもいるの?」
「……今日はいなかったし、参加する気はないんじゃないかな?」
空気が変わった。
私がうっかり百井さんの名前を出しちゃったせいで、急に緊張感がうわっと漲って来たように感じた。
馬鹿だな、私って。
言わなきゃいいのに、ちゃんと考えてないから。
帰り道も朝とおんなじになってしまった。
玲二くんはほんの少し口を開いて、なにかを言いかけたように見えたけど、結局なんにも言わないままで、あとはもう、ひとつふたつどうでもいい内容の話をしただけで終わってしまった。
貴重な二人きりの時間なのに。
私が一番求めているもののはずなのに。
頭の中でぐるぐるしている中村さんの言葉。それって本気なの?
玲二くんのことを、あんまり知らなかったけど、それでも好きだった。
中学の時はそんな感じで、ぼんやりと憧れていただけだったと思う。
今はもうちょっとそれよりは進んだけど、そういえばまだそんなに、玲二くんについて知ってないかもしれない。
身長は一七五センチで、成績はよくて、ちょっと無口で趣味は読書。お母さんが外国の人で、お父さんが優しそうで、おうちの車はスラっとしたデザインのエコカー。
エコカーは関係ないか。
それから、なにを知ってる?
やせ形で、照れ屋で、ともだちはそんなに多くはなさそうで、真面目そうで、控え目で……。
他人についてなにをどこまで知っていたら、ちゃんとわかってることになるんだろう。
素敵な人だなって思えればそれでいいんじゃないのかな。
この人が好きだなあって感じられたら、それで充分なんじゃないかな。
大体、中村さんの方がよっぽど浅いのに。イケメンだよねーって。そのくらいで付き合ってもいいってどういうことかな。
玲二くんには、人に話せない秘密がある、のかな。
私には話せない、人生に大きく影響するなにかがあって、それで誰かと付き合うとか付き合わないとかは考えられないってことは、知ってる。
そのなにかが早く解決したらいいのに。
それが解決したらすぐに私を抱きしめてくれるって確約があったら、こんなにモヤモヤしなくて済むのに。
実乃梨が言ってるのは、こういうことだよね。近寄りがたくて、影がある感じだって。
明るく楽しい青春を送りたいなら、確かにもっと軽くて甘い方がいい。
私もどこかでそう思ってるのかもしれない。
全部抱え込んだりしないで、時には私にぽろっと弱音を吐いて、たまにはすべてを忘れてぱーっと一緒に遊んではじけてくれたらいいのにって。
本城君は多分、条件にぴったりあてはまるんだと思う。
だからかな、こんなにモヤモヤするのは。
玲二くんが好きなのに、玲二くんのまんまでいいはずなのに、玲二くんもこんな風にしてくれたらいいのにって思っちゃってる。
それで後ろめたくてたまらないんだ。
玲二くんになんて話したらいいか、わからないまま毎日が続いていった。
玲二くんは放課後、喫茶店の計画をみんなと立てていて、私はクラブで本城君に絡まれる生活を送っている。
一緒に行き帰りはするんだけど、お互い、心ここにあらずって感じで。
なんの進展も解決もないけど、でも、離れるのは絶対嫌だった。
今離れたら二度と玲二くんの隣にはいられない気がしちゃって。
なるべく笑顔でいようと努力してるんだけど、わざとらしく見えてないかな?
嫌なことはないけど、嬉しいこともない。
波風の立たない海は平和なんだけど、舟は全然進まないみたい。




