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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
ハリケーン
22/85

絡まれ上手 / 玲二

「玲二、ちゃんと食べなさい」


 夕食の席で、俺はただただぼんやりしていた。

 手にした箸を皿の隅に向けたまま。白米の中に園田の顔を思い浮かべたりしているだけ。


「体重が落ちてるんだから、食べすぎるくらいでいいのよ」

「うん」


 俺もそう思う。もともとあんまり、量は食べないし。

 良太郎も小さなスナック菓子を握らせてきたし。

 頼りないよな、ガリガリじゃ。カッコ悪いし、不健康に見える。


 だけど、頭の中が園田でいっぱいなんだ。

 正確に言うなら、園田の涙でいっぱいだった。


 涙の海にゆっくり沈んでいく。


 泣かせてしまったことが苦しい。

 でも、あんな風に泣いてくれて、嬉しくてたまらない。

 

 高校生の恋なんて、普通は一時期だけで終わるもんだろうけど。

 園田と俺なら、一生お互いを裏切らずにいられるんじゃないかな。


 どうして園田は今、俺の隣にいないんだろう。

 

 誰もいないだだっぴろい原っぱで、二人で並んで寝転んでいたい。

 もしも明日世界が終わるとしても、あの笑顔が隣にあればきっと、怖くないと思う。


「冷めちゃうわよ」

「ごめん」


 そう言われても、今日は飯の味がわからない。

 苦味としょっぱさの奥から、ほんのり幸せの香りがするだけで。


 妄想が巨大化して日常の邪魔をしている。

 恋煩いってやつなんだろうなあ。

 こんな日がお前にもやってくるんだぞと、半年前の俺に教えてやりたい。


 本城ってやつの気持ちはよくわかる。園田みたいな子がいれば、粉をかけるのが当たり前。

 でも、渡したくない。渡さない。そのためにはまず、問題の解決からだ。


 目の前に置かれた食事を残さず全部食べて、部屋に戻った。

 ライに聞かなきゃいけないことをまとめておこう。

 ちょっとばかり頼りないけれど、まずは一歩踏み出さないと。




「玲二、おい、玲二……」


 体をゆすられて目を開けると、薄暗い部屋の中で二つ、なにかが輝いていた。


「ライ?」

「話に来たぞ」


 窓の隙間をほんの少しだけ開けてずっと待っていたのに、ライはちっとも姿を現さなかった。十二時を過ぎたところで諦めたんだけど、今は何時だ?


「遅いよ」


 いや、むしろ早いというべきかもしれない。時計の短針は四を少し過ぎたところを指し示している。


「すまない玲二、どうにもこうにもうまくいかなくて」

「なにが?」

「俺の話はあまり真剣に聞いてもらえないんだ。俺はあのメンバーの中では重要視されてないし、力も自由にコントロールできないから」

「そうなのか。でもいいよ。今は百井について聞きたいんだ」

「沙夜か。そうだな。玲二のクラスに来たんだろう?」


 早速話し始めようとしたライを制して、ベッドから立ち上がった。

 ライは気にしないようだけど、寝巻のままでは落ち着かない。


 外はうっすらと明るくなり始めていて、鳥のさえずりがかすかに聞こえてくる。


「なにか飲む?」


 ライは即座に「水」と答えたので、台所に降りて水を二杯用意して戻った。


「百井がなんのために俺のクラスに入りこんできたのか知りたいんだ」

「それは俺にもわからないが、性格から考えるとやっぱり、玲二の偵察をしたいんだと思う」

「あいつはどういう力を持っているのかな。なんだかクラスが妙な雰囲気なんだよ」

「どんな風だ?」


 あの状態、どう表現したものだろう。

 

「男も女もみんな夢中、みたいになってるかな」

「いつも通りの沙夜だ」


 いつも通りと言われても、困る。


「俺にとっては日常の範囲外なんだけど」

「ああ、そうか。沙夜は美しい自分を見てほしいんだ。だから、周囲に魅力を振りまく。大抵の人間は沙夜に好意を抱くようになる」

「美しいねえ」

「玲二にはそう見えないのか?」

「見えないよ」


 俺が答えると、ライは突然苦しそうに胸をおさえた。


「どうしたの」

「沙夜は美しい以外の言葉で噂されるのが嫌いなんだ」

「どうして俺のクラスに入ったかも、話せない?」

「いや、大丈夫だ。……いや、駄目だ。俺は本当に弱い。沙夜は俺に手出しできないが、マ……」


 本当に突然、ライの体が金色に光った。

 とても目を向けていられる明るさではなくて、慌てて背を向ける。


 光の氾濫は一瞬で終わった。けれど、瞼の裏には奇妙な色の光が焼き付いて残っていて、目を開けられるようになるまでしばらくかかった。


「ライ、なにがあったんだ?」


 なにかが襲い掛かってくるような気配はない。でも、返事もない。

 そっと振り返ると、部屋の中には巨大な黄金の鳥がしゅんと項垂れている。


「ライなのか?」


 大きな鳥の体は、俺よりも大きい。二メートルくらいあるだろうか。翼を広げたら部屋いっぱいになってしまうだろう。


 ライはくるくると喉を鳴らして、俺になにかを訴えているようだった。

 でも、鳥の言葉はわからない。

 控え目に翼を小さく揺らしているけれど、なんなのかな、この展開は。


「もしかしてなにか俺に言ってる?」


 きゅるる、と首を縦に振っている。


「ごめん、わからない。人の姿には戻れないのか?」


 だめらしい。悲しげにうなだれる巨大な鳥の姿は、少し微笑ましいような気もするけど、とにかく大きすぎて落ち着かない。


 ライの本当の姿は、神々しかった。

 羽根はすべて黄金色で輝いていて、尾はクジャクのように長い。

 大きな体から首が伸びていて、フォルムだけなら鶏が巨大化したものに近いだろうか。いや、鳥にはあんまり詳しくないから、もっと似ているものがいるかもしれないけど。


 ほんのりと光を放ち続けながら、ライは悲しそうに首をがっくりと落としていた。


「ライが望んでこの姿になったんじゃないんだろう?」


 誰かの力でこうなってしまったのかな。

 じゃあ、俺のすぐそばにいれば力が打ち消されるっていうのは、嘘なのか?


「母さんとなら話せる? だったら呼んでくるけど」


 まだ時間が早いけど、いいかな。

 夫婦の寝室なんて間違いなく入りたくないけど。

 ノックしたら気が付いて出てきてくれるだろうか。


「このままじゃ困るよな」


 ライはこくこく頷いている。俺も困る。こんな大きな鳥は、室内じゃちょっと世話ができない。カーテンを閉めておかなきゃ部屋の中が光って見えるかもしれないし。


「ちなみに小鳥の姿には? なれないの?」


 俺が声をかけると、ライはしばらくじたばたと体をくねらせていたけど、結局姿が変わることはなかった。


 

 結局五時半くらいに階段を降りて、両親の寝室の扉を叩くと、母さんはすぐに出て来てくれた。

 普段はいつも俺より早く起きて、寝間着姿なんて見せないんだけど。

 今日は黒いTシャツに、ゆるいラインのパンツを履いている。


「お客が来ているのね」


 一緒に二階へあがろうとした俺を、母さんは手で制した。


「玲二は下で待っていて」

「どうして?」

「実験よ」


 いつもいつも、詳しくは話してくれない。

 まだまだ子供、って扱いなのかな。怪我をした時もやたらと過保護だったし。


 十五歳とか高校生とか、半端な年齢だからかな。

 体は大きくなったけど、まだまだ世間について知らないし。いい話に飛びついたら罠だったりするし。可愛い子がいればふらふらついていって、約束なんて忘れちゃうし。


 仕方なくお茶を飲んでいると、しばらくしてから母さんだけがリビングへ下りて来た。


「どうだった?」

「今は姿を変えられないみたい。誰かがあの子を縛っているんだわ」

「縛るって」

「力の制限をかけているのよ。知られたくない話をしようとしたんでしょう」


 百井のこと、かな。

 でも、手出しは出来ないと言っていたような?


「誰の仕業か、あの子は言えないみたい。そうさせられているのか、怖くて言えないか、どっちかはわからないけど」

「ライは力が弱いし、仲間内でも重要視されていないって話していた」

「そうでしょうね。かなり特殊な存在だし。今日、私が行って交渉してくるわ。リーダーなら誰の仕業かくらい見当がつくでしょう」


 邪魔だろうから、向かいの部屋に移動させておいたわよ、と母さんは言った。

 これで珍客の話は終わりで、俺はもう学校に行く準備を始めなきゃいけない。


 普段は使われていない向かいの部屋を覗くと、ライはカーテンを閉め切った暗がりの中でさみしそうに水をちびちび飲んでいた。


「ごめん、俺の質問が悪かったんだよな」


 ライはぴたりと止まったまま、反応をしない。

 打消しの力が本当にあればいいのに。

 試しにライの頭に手を置いてみたり、なんとなく念じてみたりしたけれど、なにも起きなかった。


「母さんも動いてくれるみたいだし、早く解決するといいな」


 ライはこくんと頷いて、少しだけ羽根を広げて俺を見送ってくれた。

 来平先輩は今日はお休み。連絡とかちゃんと出来るのかな。そもそも、真面目に学校生活を送っているのかどうかがわからないけど。




 愛しの園田と一緒に登校して、隣の席に座る。


「なにちゃっかり隣になってんだよ、玲二」

「左側だけ日焼けしちゃうのは嫌なんだ」

「お前、ずっとそうやって窓際避けてきたの?」

「夏の間はね」


 お熱いこって、と良太郎は笑う。

 ぼちぼちと生徒が揃い始めた教室は、平和そのものといった雰囲気だった。

 始業五分前に百井が姿を現しても、変わらない。今日はあの妙な空気にならないようだ。

 誰も窓際の女王様の席に群がっていない。

 相原も大人しく隣に座っているだけだ。


 ひょっとしたらもうお咎めを受けたのかもしれない。

 いつでも崇められていたいと思っているからって、昨日の様子は異常だった。人に手出しをしないという決まりなら、無関係の高校生をあんな風に翻弄するのは良くないんだろう。


「そうだ、玲二くん」


 園田の様子もいつも通りに戻っている。

 教室の空気よりもこっちの方が重要だ。昨日みたいな悲しい顔をさせたくない。


「あのね、今日からまたクラブがあるの」

「そうなんだ。じゃあ、終わるまで待っていようかな」

「いいの?」

「いいよ。図書室にいるから、終わったら来て」


 ああ、参るな。久しぶりに見た、小首を傾げて笑うところ。ポニーテールがふわっと揺れて、それがまたいいんだ。

 いつでも隣に園田がいるって、なんて幸せなんだろうと思う。


 今のところそれが許されるのは、教室の中だけなんだけど。



 幸せの時間はあっというまに終わって、放課後。

 園田と一緒に立ち上がったところで事件は起きた。


「立花君」


 声をかけてきたのは百井沙夜。女王様のオーラは出さなくても、転校してきたばかりの女の子という立場にかわりはない。だから、クラスの注目はどうしても集まってしまう。


「学校の中、案内してほしいの。もう具合はよくなったんでしょう?」

「誰かに案内してもらってないの?」

「あなたがいいの」


 すっと伸びてきた右手の人差し指を、のけぞってよけた。

 なにやってるんだよ、相原。来てくれよ!


「転校生には親切にするものじゃないかしら?」


 やっぱり不気味だ、百井の顔は。邪悪を集めて固めたみたいだし、紫がかった黒い空気が噴き出しているみたいで、そばにいたくない。


 周囲の空気がゆっくりと圧力に変わっていく。

 俺には断る理由がなくて、このままじゃただの冷たい不親切な男になってしまう。


「良かったら俺が案内しようか?」

「あなたじゃ駄目よ。鏡を見てから出直しなさい」


 良太郎の出してくれた助け舟はあっさり爆破されて、濁流に飲み込まれていく。

 良太郎があんなに意気消沈している姿なんて、初めて見た。


「なんてことを言うんだよ」

「私、嘘は苦手なの。あなたがいいから頼んでいるのよ。引き受けてくれるわよね」


 ささやかな苦情はものともしない。

 更には、二台目の助け舟もあっさり撃沈されてしまう。


「ねえ、良かったら私も一緒に行こうか、玲二くん」

「あなた、園田さんだっけ。引っ込んでてよ、私は立花君と二人で行きたいんだから」


 園田もしゅんと肩を落としてしまって、教室内の空気はますます黒ずんでいく。


「そんな風に言うやつに、親切にしなきゃならないのかな」

「あら、いいの? あなたの大切なお友達、ずっとあのままでも平気なのかしら」


 やっぱりライになにかしたのは、百井なのか。


「わかったよ。園田、クラブに行って。帰りは約束通りに」


 可愛い背中を押して、良太郎の肩をぽんぽんと叩いた。

 二人はしょぼしょぼと並んで教室を出て行き、成り行きを見守っていたクラスの連中も散らばっていく。


「嬉しいわ、ありがとう、立花君」


 ああ、この口元の気持ち悪さ、凄まじいな。


 でも人質をとられていては仕方ない。ライが家にいること自体は構わないけど、ずっとあのままじゃ辛いだろう。園田や良太郎に手を出されても困る。

 

 イライラしながら廊下に出ると、百井は楽しそうにうふうふと声を出して笑った。


「あなた、狼なんですってね。効きにくいって聞いていたけど、それにしては気分が悪そうじゃないの」

「こんなに卑怯な手を使われるなんて思わなかったから」

「あなたがちゃんと参加しないのがいけないのよ。嫌ならちゃんと筋を通しなさい」


 案内しろと言ったくせに、百井は俺の少し前を歩いている。階段を登って、登って、突き当りの扉。立ち入り禁止の張り紙を無視して開けると、屋上に出た。

 少し空気が涼しくなってきた気はするけれど、九月の上旬はまだ暑い。空の青さは気持ちがいいけど、日光を遮るものがなくて一気に汗が噴き出してきた。


「全部話しなさい、私に。取り計らってあげるから」

「なにを?」

「これまでの無礼をゆるしてもらえるよう、私から直々に頼んであげる」

「それならライに頼んでいるから」

「馬鹿ね、あんな役立たずに頼むから拗れるのよ」


 確かにライは頼りない。会話も苦手だし、情報も整然としていないし。


「百井に頼めば解決するのか?」

「当たり前よ」


 といわれても、俺には判断がつかない。そもそも百井がなんなのかがわからないし。

 でも、言及しようとしたライは「縛られて」しまったんだから、あの煌めく鳥よりは力はあるんだろう。


「ライにも言ったけど、俺には特別な力はないんだ。それで困ってるくらいだから」

「ないわけないでしょう? あなた、見えないんだから」

「それだけなんだよ。気配が感じられないってだけで、その他にはないんだ」


 嘘はあなたのためにならないわよ、と百井は凄んだ。

 なるほど、と思う。連中はみんなこういうスタンスなんだなと。


「俺は十五年前に生まれたし、自分に狼の血が入っているってことも半年前に知ったばっかりなんだ。変身したり、誰かの心を感じ取ったりすることは出来ない。いまのところは」

「そういう設定で押し通すつもり?」

「どういう設定なら満足してくれるんだ?」


 ないものはない。

 俺は母さんとは違う。戦う力も持っていない。

 

「先月の話は知ってるのか? クロってやつに襲われた時、なんにも出来なかった」

「隠してたんでしょう?」

「危うく死ぬところだった。隠す意味なんてないよ」

「死ぬはずないじゃない、あんな程度で」


 参ったな。本当に信じてもらえないらしい。


「俺に話せるのはこれだけだ。信じてもらえないならどうしようもない」


 風がびゅうっと吹いて、雲が流れた。太陽が隠れて辺りが一気に暗くなる。

 百井を包んでいるほの暗い霧も、色を濃くしたように見えた。


「そういう百井は? 正体はなんなんだよ」


 自称「美女」の転校生は、ぐっと顎をひいて俺を睨んだ。

 瞳から飛び出してくる悪意が体中に刺さって痛い。

 皮膚が粟立ち、毛が逆立っていく。


「生意気ね、あなた。十五年しか生きていないというのなら、そんな口をきくものじゃないわよ」

「……信じてくれてありがとう」


 思わず皮肉を言ってしまったことを、俺はすぐに深く後悔した。

 百井の瞳の鋭さは今までで一番で、歪んだ顔の醜さと迫力に足がよろけてしまったほどだ。


「立花玲二。これ以上わたしたちを馬鹿にしたら許さないから」


 捨て台詞を俺にぶつけて、百井は去って行った。

 これは、やってしまった、ってやつなのかな。

 でも、どうしようもなかった。だって証明なんて出来ない。俺にはなんの力もないんだって、どうやって示したらいいのかわからない。


 力の入らない足を動かして教室へ戻ると、誰の姿もなかった。

 学校の案内はあっという間に終わってしまったから、園田のクラブが終わるまではまだまだかかる。


 自分の席に座り込んで、ため息をついた。

 母さんがうまくやってくれることを祈るしかないのかな。

 

 しばらく席で脱力してから、鞄を持って図書室へと歩いた。

 

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