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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
ハリケーン
21/85

魔法のことば / いつき

「ねえねえ、園田さん、だよね」


 中庭にはベンチが六つ、飲み物の自動販売機が四台並んでいる。

 昔はテーブルもあったみたいだけど、サボる生徒の溜まり場になってしまったとかで今は撤去されている、らしい。


 午後から部活に参加する人がやってきてはジュースを買って去っていく。

 私はそこでひとり、座ってコーヒーを飲んでいたんだけど。


「そうですけど」


 声をかけてきた男の子の胸には、一年生カラーの校章がついている。

 男の子はニカッと明るい顔で笑って、なぜかぴったり私の隣にくっつくようにして座った。


 もちろん避けて隙間を開ける。


「俺、四組の本城(ほんじょう)元気(もとき)。ハーフの彼は? 今日は一緒じゃないの? それとも待ち合わせだったりして」


 なのに隙間をまた詰めてきて、本城君はとにかく近い。


「待ち合わせです」

「そうなんだ。残念!」


 二回逃げたけど、その都度詰めてきて、それがすごく嫌で。

 

「なにか用でもあるの?」

 

 仕方なく立ち上がると、本城君はニコニコの笑顔で私に続いて立ち上がって、私の後ろにある柱にどん、と手をついた。

 うわ、これってまさか……。


「園田さんと話したいなって思ってたんだ。ずっと」

「近いんですけど」


 伸びてきた腕から逃げて、今度は周囲に壁の類がない空間に移動した。

 本城君はくくく、なんて笑うだけで、全然ペースを崩す様子がない。


「立花だっけ。カッコいいよね。ハーフなんでしょ。付き合ってるの?」


 答えに困ってしまう。

 玲二くんから正式なお返事はもらっていないけど、でも、ただのともだち以上の付き合いはしていると思うんだよね。

 それを男女交際として認定するかどうか。私が勝手に決めていいのかどうか、わからない。決めたいけど。そんなつもりはないと言われてしまったら、ショックが大きそうで。


「まだ恋人未満みたいな感じ? じゃあいいよね。俺とも仲良くしたって」


 いやだな。どんなに下がっても、その分追ってくる。

 そこまで感じが悪い人ではないんだけど、近い。近すぎる。


「いつきちゃん、連絡先教えてよ。メールと電話とWAVE(通話アプリ)のID」

「いきなりそんなこと言われても」

「教えたところで悪さなんかしないよ? たまにメッセージ送りたいだけ。俺のこと知ってほしいからさ」


 やだな。教えたくない。


「でもあなたのこと全然知らないし」

「だから! 知ってもらうために教えてほしいの。怪しいもんじゃないよ。一年四組でテニス部所属。血液型はAで、ロマンのわかるおとめ座の男。身長はいまのところ一七〇センチで、多分いつきちゃんの彼よりはちょっと小さいかな。家族構成は、両親と俺と小学生の弟ね。結構可愛がる、いいお兄ちゃんです」


 えへへ、だって。

 

 本城君は、連絡先の交換なんて普通でしょって言う。

 些細なやり取りを重ねて、仲良くなれそうって思えたらそれでいいじゃないって。


 軽薄な態度がすごく嫌だなって思ったけど……。でも。

 これって私がやっていたのと同じことなんだよね。

 ともだちになって、って申し出た流れと。

 アドレスだのなんだのは勇気の出ない私のかわりに、友香や葉山君が聞きだしてくれただけで。


 本当はこうやって自分で行かなきゃいけなかった。

 気になる人がいて、その人と繋がりを持ちたいんなら。


 自分で行かなきゃいけないのに……。


 心がぐらぐら揺れて、気分が悪い。


 玲二くんも今の私みたいに迷惑だと思ったんじゃないかな。


 悲しい気持ちばかりが溢れて、体を動かせない。

 全然そんなつもりはなかったのに、涙がぽろぽろこぼれて地面に落ちていく。


「どうしたのいつきちゃん。そんなに嫌だった?」

「ううん、そうじゃなくて」

「うわ、ごめん。気に障ること言っちゃったのかな。泣かないで、泣いた顔も可愛いけど、そんな風にされたら俺も悲しくなっちゃうよ」


 どうしてかわからないけど、どうしても涙が止められない。

 体だけが暗いところに行ってしまったみたいに、ずーんと重たくて動かせない。


「園田」


 しかもこんなに悪いタイミングで玲二くんがやって来てしまった。


「どうしたの、泣いてるの?」


 違うの、なんでもないの。どうしてかわからないけど涙が出てきちゃって、止められなくて困っているの。

 そう伝えられないまま首を振ったりするもんだから、このシチュエーションじゃもちろん誤解が生まれてしまう。


「園田になにかしたのか?」

「俺? いや、非人道的な行為はしてないよ。ただちょっと、仲良くなりたかっただけ」

「仲良くって?」

「自己紹介して、アドレス交換のお願いしたんだよね」


 玲二くんは今までにない険しい表情で、本城君を睨んだ。

 本城君は澄ました顔で、なにか問題でも? みたいな感じ。


「玲二くん、違うの」


 あんな挑発的な態度をしないでほしい。

 なんにも起きてないのに喧嘩が始まったら困ってしまう。


 でもどうしても言葉が出てこない。

 私もすっかり混乱して、思わず玲二くんに抱き付いてしまった。

 

 事態は余計大袈裟になってしまった気がするけど、争いは起きずに済んだ。

 玲二くんはびっくりしたみたいで、わかったよって優しく私の頭を撫でて、手を繋いで一緒に帰ってくれた。カバンまで持ってくれて、めそめそしている私に何度も、落ち着いて、大丈夫だからって囁き続けてくれて。


 本城君がどうなったのかはわからない。

 私の混乱は駅に近付くにつれて収まっていって、電車の中で玲二くんと並んで座っているうちに、いつの間にか涙も止まっていた。


 今はもうなんともない。さっきまでの体と分離されたような感覚はすっかり消えて、元通りの私になっている。


 おかしいな。なんであんなに泣いちゃったんだろう。

 みっともないし、意味がわかんない。


「これ使って」


 隣から差し出されたハンカチを受け取ったら、すっかり汗だくになってしまった。電車の中は冷房が効いててすごく涼しいのに、恥ずかしくてたまらない。


「あいつになにかされた?」

「ううん、本当にちょっと話しかけられただけなの」


 玲二くんの眉間にしわが寄っている。

 そりゃそうだよね、腑に落ちないよね。


 電車に揺られている間、私は自分の心を一生懸命整理して、昨日と同じハンバーガーショップで向かい合いながら、多分こうだろうと思った理由を話した。


「本城君にはメールアドレスなんかを聞かれたの。自分を知ってほしいから、まずはともだちになってよみたいな感じで」


 まるでモテ自慢みたいで、恥ずかしいけど。

 でも本題はここじゃなくて、そのあと。


「でね、私も同じことしたんだなって思ったの。玲二くんにともだちになってってお願いして、受け入れてもらったでしょ。自分も同じことをしたのに断るのってアリなのかなって考えた時に、玲二くんは私のことを嫌じゃないだろうけど、好きになってはくれてないのかなって、すごく悲しくなっちゃったの。特別に好きにはなれそうにないけど、そうはっきり伝えるのは可哀想だから、言わないようにしてるのかなって考えちゃって」


 ぎりぎり。一番の本音だけはぎりぎりで隠せた。


 今日のははっきり、過剰な反応だったと思う。

 でも反応の大きさはおいといて。問題の本質は多分、恐怖だった。


 好きだって言ってほしい。こんなにそばにいてくれるんだから、私のことを好きだって言ってほしいのに、そんな日は来ないんじゃないかって。見えないところにあった不安を上手く処理できなくなって、つい、泣いてしまったのかなって。


 心の中で渦巻いている負の感情を、うまく飲み込めない。

 図々しくて、傲慢な私。それを認めたくない。玲二くんに、そんな子だって思われたくなくて我慢して、でも本当は我慢なんてしたくなくて。

 矛盾する思いがぶつかりすぎて、びりびりと引き裂かれてしまったような、そんな感覚だった。


「ごめん」

「ううん、泣いたりするようなことじゃないのに、こんなのずるいよね」

「ずるいのは俺の方だよ」


 ああ。また期待してしまう。

 そんな目を、そんな言葉を向けられたら、とうとうその時が来たのかって、高鳴りが抑えられなくなってしまう。


 玲二くんが私に魔法の言葉を投げかけてくれたら、全部解決する。

 また相原君がチケットを差し出してきても、本城君が電話機片手にやって来ても、私には大切なひとがいるから無理なのって言えるから。


「園田」


 細長い白い指がのびてくる。

 たべかけのハンバーガーの隣に置いた、私の手に向かって、のびてくる。


 やっぱりさっきの涙は間違いだった。

 流すんなら、玲二くんに言ってもらったあとにするべきだった。

 ごめんな、待たせて。

 あの唇から飛び出してきた優しい言葉に微笑んでから、嬉しくてたまらない気持ちと一緒に出すべきだった。


 期待に胸が高鳴って、ようやく人生のヒロインになれたと思ったのに。

 急に階下からどやどやと男子高校生の集団がやって来て、わたしたちの隣でテーブルをガンガン寄せて、鞄をどかどか床に投げて騒ぎ始めてしまった。


 あまりの騒々しさに、玲二くんの手が! 途中で落下しちゃってるし!


 こんなのないよ。神様、酷すぎない?

 恨みがましい気分でアイスティーを手に取って、いけないとわかっていたけど抑えきれなくて、隣のやかましい男子高校生をじろっと睨んでみたら。


「うわ、いつきかよ。なんだお前、その顔」


 草太兄ちゃんだった。

 確かによく見たら、全員、家でよく見かける制服だし。


「そのっち、誰よ。すげえ可愛いね、君」

「知り合いなの?」

「妹だよ」

「まじで! 俺、お兄さんの親友で袴田って言います!」

「ハカマー駄目だろ、目の前に彼氏がいるじゃん」

「そのっちの妹さん、彼氏イケメンっすねー!」


 この人達本当に受験生なのかなってくらいのテンションの高さに、目の前が暗くなっていく。


「お兄さん?」


 そうだけど。普段こんな風に遭遇したことなんかなかったのに。なんで、今日に限ってこうなるの!


 草兄ちゃんはふてくされたような顔で黙っていたけど、お友達の皆さんの冷やかしが止まらない。仕方なく食べかけのハンバーガーはゴミ箱に捨てて、お店を出た。


 恥ずかしかったよね、玲二くん。

 あんなに真剣な目で私を見てくれたのに。

 最悪のタイミングで邪魔されちゃって。



 日差しはほんの少し弱くなって、木の緑色を昨日よりも褪せた色に見せている。

 毎日毎日世界を溶かそうとしていたのに、九月に入ると急に力を失くして、もうすぐ秋が来るよってしらせようとしているみたい。


 それでもまだ、気温は高い。

 並んで歩いていると時々手がぶつかって、わたしたちの汗が少しだけ混じる。

 全然、嫌じゃない。私は、玲二くんとなら、なにが起きても平気。


 玲二くんもそうならいいのに。


 あの時、水族館でちゃんと聞けたら良かった。

 観覧車で答えをもらえれば良かった。

 花火大会を最後まで一緒に見られれば良かったのに。


 ラッキーもモモちゃんもリンゴ飴も、みんな私の敵なのかな。

 草兄ちゃんにはもう、釣りマガ購入を頼まれてあげない。敵なんだもん。


 気分がまた沈み込んでいく。

 好きな人と一緒にいるのに、こんな気持ちになるのは辛い。



 玲二くんは私を家まで送ってくれて、いつも通り最後に手を挙げた。


「園田」


 また明日。せめて笑顔でいなくっちゃ。

 そう思うのに、体が強張る。


「ごめん、ちゃんと返事をしなくて」


 足元に向けていた視線をあげると、玲二くんも悲しそうな顔をしていた。


「俺、園田のことすごく可愛いと思ってる。美化委員で二人だけになった日、中学の時に聞いたものすごく可愛い子がいるって噂は本当だったんだなって思ったんだ」


 いけない。ちゃんとしなきゃ。

 背筋を伸ばして、でも少し怖くて、右手をぎゅっと握った。


「園田と一緒にいると楽しいし、元気になれるよ。ちょっと事情があって、俺、すごく落ち込んでたんだ。自分の人生に意味があるのかわからなくなって、すごく辛かったけど、園田と一緒に過ごすようになってから、やっと悩みを忘れられるようになった」

「玲二くん」


 事情って、なんだろう。

 そういえば、どうして同じ高校にいるのか不思議だった。

 もっとレベルが上のところに行くんだろうって思っていたのに。

 その辺りと関係があるのかな。


 

 玲二くんはそこまで話すと、唇をきゅっと結んでしまった。

 話せない事情(こと)


 話してほしい。なんでも知りたいし、どんなことでも知らせたいと思って欲しい。


「俺、今は返事が出来ない。今はなにを言っても無責任になっちゃうから。全部話せなくて本当にごめん。俺は園田のことが大事だし、守りたいし、なにかあった時には助けになる。でも、付き合うかどうかっていうのだけは、もうちょっと待ってほしい」


 それは私の望んでいた答えじゃなかったけど。

 でも、すごく誠実な言葉だと感じた。

 玲二くんのまなざしは優しくて、強くて、悲しげで、でもすごくまっすぐで。


「わかった」

「ごめん、曖昧なことばっかり言って」

「ううん、いいの。なにかはわからないけど、玲二くんにとって大変なことなんでしょう? 話してくれただけで充分だし」


 そうだよ。

 彼氏と彼女の間柄になろうと言わなかっただけで、私に対するすべての言葉は全部、幸せなものばっかりだった。


「待つのが嫌になったら、いつでも見限ってくれていいよ」

「やだ! 絶対見限ったりなんてしない。私は玲二くんをずっと見ているし、ずっと好きでいるから」


 玲二くん以外なんて考えられない。

 かなり真剣にそう感じたからこう叫んでしまったけれど、玲二くんの顔は真っ赤になっていた。

 久しぶりにみた赤面に、私もついつい、恥ずかしくなってしまったりして。


「玲二くん、ありがとう。心配させちゃってごめん」

「明日もまた迎えに来るよ」

「うん……」


 ああ、今日はこれでおしまいかあって。

 玲二終いになっちゃうのかってすごくがっくりしてしまったんだけど。


 去っていくと思った玲二くんが一歩前に進んで、私の左頬に手を添えて、不意打ちを食らわせてきた。


 おでこにふわっと。

 当たった、よね。今。やわらかいのが。


「また明日」


 素早く振り返って、顔を見せずに王子様が去っていく。

 やだ、どうしよう。おでこ汗だくだったと思うんだけど。

 左のほっぺにも、熱い手の感覚が残っている。

 でもおでこだ。どうしよう、顔が洗えない。玲二くんが、チュッて!


 家に駆けこんで、ベッドにダイブした。

 嬉しい、嬉しい、嬉しい!

 今日は散々だったのに、どうしよう。最後の最後で大逆転!

 

 ばたばたじたばた、しばらくの間ベッドの上でバタ足を続けて、はたと止まる。


 おでこにチューしてくれたんなら、好きだって考えてもいいよね。

 どうして今は答えられないんだろう。

 事情ってなんなんだろう。


 葉山君の説が再び頭に浮かび上がってきて、唸ってしまう。

 たとえばお母さん方の実家で、婚約者が待っているとか。

 それがすごく嫌なひとならまだいいけど、病弱な美少女で、ずっと玲二くんに恋焦がれているとかだったら……。

 

 うん、これが最悪のパターンだな。

 相手がいい人過ぎて、断りづらいの。玲二くんは優しいから、なんとかしようとしているのかもしれない。


 そのくらいしか、重大な事情って思いつかないな。

 だってすごく大袈裟だった。

 人生に意味があるのかわからなかったとか。

 

 話してくれたらいいのに。

 私じゃ力になれないかもしれないけど、でも、辛い時に支えてあげるくらいは出来るんじゃないかな。


 ふわっと触れた優しい感触のあとをそっと撫でながら、私はすっかり反省モードになっている。


 めそめそしてたら、頼ってなんかもらえないよね。

 動物園でも、玲二くんの家でも、今日も。

 私は怖がってふにゃふにゃしてばかり。

 自分でちゃんとなんとかしなきゃ。

 

 玲二くんが苦しくてたまらなくなった時に、そばにいてあげられるように。

 そばにいて欲しいと、思ってもらえるように。


「よし!」


 洗面所に駆けこんで、冷たい水で顔を洗った。

 気合を入れていこう。待たなきゃいけないなら、その間に私も成長すればいいよね。

 

「あっ?」


 しまった! おでこ、洗っちゃった!

 

 廊下をふらふら、自分の部屋まで戻って思わず笑った。

 いつまでも洗わずにいられるわけがないんだから。

 また明日、してもらえばいい。してくれるかはわからないけど。


 玲二くんがどれだけ照れながら帰って行ったか考えたら、今日あった嫌な気持ちが全部溶けていく気がした。

 

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