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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
夏陰
18/85

青春捻転 / 玲二

 目が覚めるともう十二時を過ぎていて、思わずため息をついてしまった。

 あと二週間もしたら学校が始まるのに、ちゃんと立て直せるのかな。そもそも、学校に通っていいのかな。

 のろのろと立ち上がりながら思った。汗臭い。やっぱり心配だ。昨日、園田はどう思ったかな。頭もぼさぼさだし、こんなに男くさい部屋に通してしまった。いくら男の兄弟が多かったとしても、他人とじゃ全然違うだろうし。


「玲二、具合はどう?」


 もたもたと階段を降りた先、リビングには母さんが待っていた。

「うん」

 いいとも言えず、悪いとも言えず。

「父さんは?」

「大学よ」


 そういえば長い間海外に行って、そのあとはずっと看病してくれていた。

 仕事、大丈夫だったのかな。

「玲二、心配しないで。あなたの回復が一番大事なんだから」


 母さんは奥に置かれたソファを指差している。

 すぐにお茶が運ばれてきて、飲み干した。

「なにか食べれそう?」

「ちょっとなら」


 自分の手を見て、痩せたなと思った。もともとそんなに肉がついていないとはいえ、かつてないほど不健康なシルエットだった。

 よれよれの俺にスープが運ばれてきて、母さんが隣に座る。

 スプーンですくって、口へ。食べさせてくれるつもりだったらしい。


「自分で出来るよ」

「そう」


 確かにかなりひどい状態だったけど、母さんの過保護ぶりが少し怖い。

 これまではずっと、なんでも自分でやりなさいと言う人だったのに。


「それを食べたら、話をしましょう」


 母さんは囁くように、本当に小さい声でこう言った。俺を見ないまま。なんだか遠いところに目を向けたまま。


「昨日の夜、色々聞いたんでしょう?」


 気付かれてるじゃないか、ライ。

 あんなに努力してたのに。


「あの子は大丈夫よ。他人に行使できる力を持っていないから」

「他人に行使って?」

「物を違う形に見せたり、宙に浮かせたり、人の心を操ったりするような力は、彼にはないの」


 そういえば、ライの正体については聞かなかった。

 矢継ぎ早に好き放題話すから、会話がこう、色んな方向に乱れていたというか。


「ライの正体、母さんは知ってるの?」

「鳥よ。人間に姿を変えられる鳥」


 そういうパターンもあるのか。

 全然害のない、ただただ人じゃないだけの存在も。


「先に食べなさい」


 気づいていたのに邪魔をしなかったのは、ただの鳥だったからかな。

 俺に危害を加えないとわかっていたから。

 それとも、少しくらいはヒントをやろうと思ったからなのか。


 スープを飲み終わると、縮んでいた胃はいっぱいになってしまった。

 俺がソファに沈み込むと母さんが隣にやってきて座り、なぜか膝を撫でてくる。


「玲二、あの時にいたビル、どんな風だった?」

「ビルって、アルバイトをしていた時の?」

「そうよ」


 最初の質問の意味に悩みながら、ぼろぼろだったと答えた。

 今にも崩れそうで、長い間打ち捨てられていたような、人気のない場所だったと。


「一緒にアルバイトをしていた男の子の様子はどうだった? おかしなところはなかった?」


 蔵元さんは、終始ご機嫌だったはずだ。


「変だと思った。場所も、置かれていた本もおかしなものばっかりなのに、なんの疑問も感じていないみたいで」


 ああ、そうか。蔵元さんにとっては、あそこはごく普通の職場だったんだ。

 クロの問いの意味がやっとわかった。

 

「玲二には生まれた時から、不思議な力があった。私たち狼とは違う、ぼんやりとした力が」

「他人の力が効かないっていうやつ?」

「いいえ。そんなにはっきりとしたものではなかった。あなたはごく普通の人間の体を持っているのに、魂には霧がかかったようによく見えないの」

「姿が見えなかった?」

「あの子はそう言ったのね。でもその表現はすべての者に当てはまるわけではないわ。人ではない者は大勢いて、成り立ちもみな違うの。獣から進化が別れた私たちみたいな者もいれば、信仰心から生まれ出る者もいる」

「どういうこと?」

「長く使い込まれた道具や、長く生きた木や動物に対して、人は特別な思いを抱くの。彼らの敬意や畏怖が、物や動物を特別な存在に生まれ変わらせるのよ」


 御神木とか、化け猫とか。

 付喪神、妖怪みたいなものが、現実にいるって話か。


「私たちはもともと獣だったから。だから、お互いを目で見ている。ただ、遠く離れていても気配や意識はわかるんだけどね」

「で、俺だけはわからないのか」


 母さんは寂しそうに俯いて、そうね、と答えた。


「玲二は今までになかった存在だから、仲間たちは恐れたの。私たちはずっと一族で暮らしてきたから、異端を極端に嫌う。だから仕方なくこちらに来たの。日本は種類がとても雑多で、わたしたちの事情を聞いてくれたから」

「リーダーがどうのこうのって言ってたけど」

「玲二、周囲から離されていることについても説明させてちょうだい」


 あえて聞かなかったというか。いや、勇気が出なくて聞けずにいた点について、母さんは自分から切り出してくれた。


「こちらでも完全に受け入れてもらっているわけではないの。こちらは種類も、数もすごく多いから、まとめるのが大変なんだと彼は言った」

「マスターって人のこと?」

「そうよ。この地のマスターは龍なの。彼はこの辺りの人ではない者を集めて、ルールを守らせている。必ず所在地を知らせ、人にはちょっかいを出さない、喧嘩はしない、目立つ行動は決してしないと」


 どこの土地でも似たような方法で集まっているんだと母さんは話した。


「俺は?」

「玲二は昨日やってきた子と同じで、他人に行使できる力がないし、それにまだ生まれたばかりだったから。彼らにも人間に近い存在として扱ってほしいとお願いした」


 でも、実際には「人間じゃない」から。

 そんな存在が社会に混じっていては、いつか問題になるだろうから。

 それならば、条件がある。人とは最低限の交わりでいなければならない。

 大勢の記憶に残らず、決して子孫を為さず。

 そして持ち得る力のすべてについて残さず、話すべし。


「玲二の力について、説明するのはとても難しかったの。ただぼんやりと、霧の向こうに隠れているように感じられるだけだから。でも彼らはそれをとても嫌がった。お互いを感じ合って暮らしているのに、隠れるのは卑怯だと。もしも存在を隠す力を持っているのなら、必ず集まりには参加させろと言われ続けてきたの」

「どうして俺に教えなかったの?」

「幼かったからよ。まだ小さなあなたに、人間じゃないなんて教えられなかった。そんな風に生きて欲しくはなかったの」


 この時初めて、母さんの声は大きく震えた。

 なんだか変だ。

 結局、話しているわけだし。

 うんと小さい頃なら確かに、うっかり学校でぺらぺら話してしまうかもしれないと考えるかもしれないけど。

 でももう少し早くても、ちゃんと言い含められたら理解できたと思う。

 反抗期なんかを考慮してなのかな? わからないけど、おかしい気がする。


 でも口には出せなかった。

 母さんが悲しそうに涙を浮かべていたから。

 俺のせいで故郷を追われて、慣れない土地での暮らしになったんだから。

 たった一人でこどもを守ろうとしていた母親の必死に、文句なんてつけられない。  


「母さん、ごめん。俺、なにも知らなくて」

「玲二、違うの。私が悪いのよ」


 俺はこれからどうすべきなのかな。

 マスターとやらのところへ行って、他の皆さんに挨拶でもしたらいいのかな。


 ぼんやりとそんなことを考えていると、また意外な発言に足を取られた。


「玲二、彼らと交わらないで。危険だから」

「なにが?」

「人ではない者について研究している人間がいるの。組織で動いていて、誰でもいいからとにかく捕まえようと活動している」


 そんな奴らが現実に存在しているなんて驚きだ。

 テレビなんかでたまに見かけると、やらせに違いないと思っていたのに。


「私たちはあまり快く思われていないの。積極的に協力してこなかったから。彼らの中にはとても好戦的な者もいる。わかるでしょう?」


 白猫のクロ、か。

 確かに容赦なく叩きのめされてしまった。


「争いが起きた場合や、研究者に見つかってしまった場合、犠牲になるのは実体を持った、弱い者なの。あなたを巻き込みたくなかったから、今までも参加はさせなかった。だからこれからも決して近づかないで」

「でも、俺の力には変化があったって言われたよ。それでますます納得いかなくなったって。話せばわかってくれるんじゃない? 俺はただ見えないだけで、他になんの力もないんだって」

「駄目よ。見えないんだから。他の力がないという証明はできない」


 そうなるのか。確かに、ないとわかってもらうのは難しい気がする。


「玲二、危険に近づかないで。お願いだから。あなたになにかあったら生きていられない」



 母さんの弱さをこれでもかってくらい見せつけられてしまった。

 話は終わって、むさくるしい自室に戻っている。

 頭は混乱する一方で、なんの解決もない。

 ただ、両親を責めるのは間違いだなってくらいで。


 色々と理解は出来た。

 人ではない者たちの集団が俺を気に掛けるのも仕方ないし、母さんが心配するのは当たり前だし。


 じゃあこれからどうしたらいいのか、についてはまったく定まりそうにない。

 どこにも属さず、ただひたすらに、時が過ぎて行くのを待つしかないのかな。

 時が流れるだけ流れていって、なにも起きなかった時、俺は後悔しないのかな。

 一族だとか仲間のために、この命をひたすらに無為にしていく以外、ないのかな。



 昨日から薄れていた園田の顔がふわっと浮かんできて、たまらなく愛おしい気持ちになった。

 電話が使えないから、あの写真も見られない。

 

 パソコンの電源を入れると、控え目なメッセージが届いていた。


 玲二くん、返事がないから心配しています。

 早く会いたいな。


 園田の声で再生して、埃のついたディスプレイを指でなぞった。




「ねえ、母さん」


 蝉の声が切り替わり始めた夕方、再びリビングで。


「良太郎と園田なら一緒に過ごしてもいいって言ったのはどうして?」


 夕食はまだ出来上がっていない。

 母さんの動きはいつもよりのろのろしていて、元気がない。


 台所からは包丁を動かす音が聞こえてきていた。

 母さんは毎日、ちゃんと料理を作ってくれる。

 ようやく一緒に食べられるようになったから、今日は頑張るね、なんて言っていた。


 声は届いたと思うけど、しばらくの間反応はなかった。

 ぼんやり待っていると、作業がひと段落ついたのか、母さんはくるりと振り返って流しの前でこう答えた。


「善良な子たちだから。彼らは悪意の力を受けにくいの」

「悪意の力?」

「他人に攻撃的になったり不愉快な真似をさせる力は、心が清浄な者には効きにくいの。あの子たちなら一緒に過ごしても安全なのよ」


 一般常識からだいぶ逸脱した話に、納得がいったような、あまりよくわからないような。


「心の中ってどういう風に見えるの」

「直観的に。単純に良いか悪いか、なんとなくわかるだけよ」


 母さんの考えはとにかく、俺の安全が第一らしい。

 なるべく普通に暮らせるよう、なにもかもを気に病みながら生きていかなくていいようにしようと思っての行動と発言、なんだろう。


「デートの邪魔をしたのは母さん?」


 でもそれも、もう終わりだ。

 知ってしまったから。

 自分のことなのになにも知らないなんてと思っていたけれど、知らずに生きる幸せもあった。いまさら言っても仕方ないけど。


「私のともだち。あなたの見守りを頼んでいたの」


 それってやっぱり、人じゃないなにかなんだよな。

 なんだろう。狼のともだちって、あんまり想像がつかない。


「そう」


 でも、知ってるんだ。

 俺が浮かれている間の、あれやこれやを。


「俺、園田が好きなんだ」


 こう漏らすと、母さんはまたくるりとまわって俺に背を向けた。

 やっぱりダメかと思ったけれど、答えは単純なNOではなかった。


「セックスは駄目。絶対に我慢できるというなら、付き合ってもいいわ」



 

 居心地が悪いったらない。

 あんな言葉を母親から直接言われるなんて。


 我慢。我慢だ。……我慢か。

 じゃあどこまでならいいんだ、と考えるこの思考が既に頂けない。


 換気をした成果があって、部屋は暑かったけど空気はだいぶマシな臭いになったと思う。

 シーツやタオルケットも洗ってもらって、すっきり。けれど心の中はどろっと、汚いものが吹きだしているようで苦しい。


 園田の顔を見ていると、キスしたくて仕方ない。抱きしめたい。さらさらの髪を撫でて、耳元で囁きたくなる。好きだ、好きだよって。今まで口に出せなかった返事(愛の言葉)がたまってあふれ出しそうなのを、必死に抑えている。


 その先。

 我慢できるのかな、俺は。

 

 いや、そもそも相手の同意がないとそういう行為はできない。玲二くん、ダメ、って園田が言って俺の鼻先をつついてくれたら、いや駄目だ。余計に無理だ。いいじゃないかって思ってしまいそうな気がする。それに、いいよ、玲二くん、って言われたらどうするんだ。いやあんなに可愛くて清純な園田がそんなの言うはずないけど、でも逆に。逆にそんな大胆さを、あの可愛いビキニみたいに見せつけてきたら最高じゃないかなんてほらもう、俺の馬鹿さ加減は底なしだ。駄目だ、やめろ、俺、この最低野郎。


 いまどき、高校生どころか中学生だって、やってるやつはやってる。

 そんなの園田だってわかってるだろう。

 のぞんでいるかはわからないけど。

 興味があっても、おかしくはないわけで……。


 むしろ俺がしたがると考えてくれちゃうかもしれないし。

 


 

 ベッドでごろごろしていると、都合のいいことばかり考えてしまうらしい。

 俺はもっと、ちゃんと考えなければいけない。

 

 二人が繋がったところで必ずしも子孫ができるとは限らないけど。

 もしも新しい命が爆誕してしまったとしたら、だ。


 俺が普通の高校生だったとしても、結婚できないし。

 将来必ず責任をとりますといったところで、子育てなんかできないし。

 そうなれば、諦めなきゃいけなくて、結果園田が傷つくわけで。


 誠実な男なら、そもそもしない。それだ。俺の目指すべき道。

 せいぜい手を繋ぐくらいで満足して、いや、ほっぺにキス……駄目だ、頬は唇に近すぎる。おでこだ。でこチューが最終ライン。これでどうだ。


「玲二」

「うわあ!」


 ベッドで妄想に浸っていた俺を、ライが覗き込んでいた。


「窓が開いていた」

「入る前にノックくらいしてくれよ」

「そうか。そうだな。玲二はわからないんだもんな」


 昨日とは違う、浅い時間の訪問に思わず首を傾げた。


「どうしたの、突然」

「昨日ここに来たのはみんなにばれていた」

「母さんもわかってたみたいだよ」

「本当に? テレーゼだけは大丈夫かと思っていたのに」


 ライは悲しそうに俯いて、なにかをブツブツと呟いている。

 

「昨日頼んだからまた来てくれたのか?」

「ああ、違うんだ。昨日ここに来たことはみんなわかっていて、それでとても責められて辛かったんだ」

「そう」

「だけど言われっぱなしじゃないぞ。クロが勝手な真似をしたのは良くない、あんなに怪我をさせたらテレーゼが怒るのも当たり前だって、マスターに話した。マスターはちゃんとわかってくれたぞ」


 じゃあ、俺の部屋に堂々とやって来て良くなったのかな。

 それは少し助かる。もう密着されずに済むだろうし。そもそもあの密着に意味はなかったみたいだけど。


「それでな、これ、お詫びだ」


 差し出されたのは、スマートフォンだった。


「あれ? これ、俺の?」

「そうだ。クロのせいで壊れたから、直した。クロじゃなくてカラスが直したんだが」


 机の上に置いていたはずなのに。いつ直したんだろう。


「玲二、マスターのところに一度来てほしい。俺は玲二の味方をするから、これ以上悪く思われないように、ちゃんと顔を出して話したらいい」


 彼らは月に一度、かならずある店に集まっているという。

 月浜駅から徒歩十分。大型のビルが途切れた道の先、路地裏でひっそりと営業している、「Waters(ウォーターズ)」という名の店で。


「まずは俺が話を通しておくから。ちゃんとみんなにわかってもらったら迎えに来る。それでいいか?」


 母さんは行くなと言ったけど。

 でも、行かない限り根本的な解決はない気がする。

 俺が行って、誠意を見せればわかってくれる者もいるんじゃないのかな。

 味方になってもらって、でも付き合いは最低限にしていれば、研究者に捕まるなんて展開はありえないんじゃないかな。俺には特殊な力なんてないんだから。


「わかった。行くよ、ライ」

「良かった。玲二、俺たちはともだちだ。いつでも頼ってくれ」


 ライは安心したように微笑むと、窓に手をかけ、黄色い小鳥に姿を変えて夜の空へ飛び立って行った。

 

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