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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
夏陰
17/85

明けない夜に / 玲二

「玲二、ちゃんと送って来たぞ」

「ありがとう」


 父さんはにこにこしながら俺の部屋にやってきて、こう呟いた。


「可愛い子だな」


 うん。可愛いんだ、園田は。

 久しぶりに顔を見たせいか、体が熱い。


「痛むならまだ寝てるんだぞ」


 でも、嘘をついてしまった。

 怪我をしたのは二週間も前。まだ全然治りきっていないのは病院に行ってないからだし、本当にボロボロになったし、三日も目が覚めなかったんだけど、そんなの言えるわけがない。


「今日、何日だったっけ」

「十五日だよ」


 あの日の出来事について、俺はなんにも知らされていない。

 あんなにおかしなことがあったのに、母さんはとにかく安静にしてろとしか言わない。

 確かに熱と痛みで起き上がれなかったし、まともに頭が働くようになったのもここ何日かになってからなんだけど。

 でも、そろそろいいと思うんだ。

 あの日、どうしてあんなに蹴り回されてしまったのか。あの三人の正体が人間じゃなくて、俺とどんな因縁があるのか。

 話してほしいけど、でも、今日この時間だけは母さんがいなくて良かった、と思う。


 

 薄暗い部屋の中で考えていたのは、あの三人と来平先輩についてだったんだけど。


 急に光が差し込んできて眩しい。俺の部屋、変な匂いとかしてないかな。ずっとこもりっきりだし、風呂にも全然入ってないし、髪に触ってしまったけど嫌じゃなかったかとか、泣いた顔も可愛かったとか、それに相原のやつはやっぱり園田につきまとっていたんだとか。


 ごちゃごちゃの思考を持て余しているうちに、母さんが帰ってきた。

 最近しょっちゅうどこかへ出かけては、不機嫌な顔で戻ってくる。

 でも俺の部屋に来ると急に母性を全開にして、大丈夫? 体の具合はどう? って、ご飯を食べさせてくれたりして。


 死ぬかと思ったんだ、あの時。

 園田とキスすれば良かったとか、ろくでもないことを考えていた俺を、母さんは助けてくれた。

 目が覚めた時には狼の姿で俺の隣に横たわっていて、銀色の光をほんのりと放ちながら涙をぽろぽろと流していた。


 傷ついた箇所を優しくなめてくれて、そりゃ狼ならそうやって治すのが普通なのかもしれないけど、母さんにぺろぺろなめられる男子高校生ってどうなんだ。

 そんなことをぶつぶつ呟いたら、母さんは人の姿に戻って、涙を拭いながら少しだけ笑ってくれた。


 言葉は少ないけど、心配してくれていたのは間違いない。

 目を覚まして良かった。今日はこの辺りが良くなっているとか、毎日毎日手厚く看病してくれているし。


「ごめん、アルバイトしないかって学校の先輩に言われて、勝手に引き受けちゃったんだ」


 俺が謝ると、母さんはふるふると首を振って、こう答えた。


「あの男の子は利用されたのよ。玲二が引き受けてしまったのは仕方ないわ」


 


 あんな風に言われると、俺も母さんにあんまり強く出られない。

 どうして、なんで、という言葉を使えない。


 だけど疑問だらけの動けない日々は、苦しい。



 俺がひたすらに自然治癒の力に頼っているのは、「人間じゃないから」だった。

 そういえば、病院に行った記憶がない。

 学校で身体測定とか検診の類は受けたけど、それだけだ。保健室の世話にもなっていない。

 だからなのか、全身が痛い今の状態が辛くて仕方ない。最初に比べたら随分マシになったけど、とにかく、痛いとか苦しいという感覚に不慣れだったと思い知った。

 ずっと寝ているせいか、夜中にも目が覚めるし。

 

 目をこらして時計を見れば、まだ三時だった。

 明日もまたぼうっとして一日を過ごすかと思うと、気が重い。


 ため息を吐き出すと同時に、音が聞こえた。

 夜中もずっと騒いでいる夏の虫じゃなくて、コンコンと叩く音。


 空耳かと思ったけれど、何度も聞こえる。


 こんな時間に、二階の窓を?

 時期的に、幽霊の仕業かなんて思いが頭をよぎった。

 いままでなら鼻で笑っていたけれど、今は無理だ。

 だって狼人間も、瞳が猫の男も、きっと吸血鬼やドラゴンも実在するだろうから。

 それなら幽霊だっているんだろう。俺になんの用があるのかはしらないけど。


 こつこつ叩いているだけなんだから、自力じゃ窓を開けられないんだろうな。

 それなら姿くらい見てやればいい。

 のろのろと立ち上がってカーテンを開けると、小さな小さな黄色い鳥が留まっていた。

 ぴょこぴょこと首をかしげ、何度も左右に飛んでは、窓をこつこつと叩いている。

 可愛いなと思ってしまった。

 こんな時間に小鳥がやってくるなんておかしいんだけど。

 少し予想外だったし、仕草の邪気のなさに思わず窓を開けてしまった。


 すると小鳥は隙間をくぐって部屋の中に入り、姿を人に変えた。

 なにせ、位置が悪い。俺の真上だ。いきなり人がのしかかってきた形になって、腹の上にどんと乗られてしまい、苦しい。


「ああ、すまない。なんてこった、俺はあわてん坊だ!」


 この声、そしてこのフォルム。

 暗がりに浮かび上がった誰かは来平先輩で、俺を助け起こしたあとなぜかぎゅっと、ものすごく近くに寄ってきて最早しがみついていると言っていいくらい距離を詰めている。


「ちょっと、近い」

「すまない。すまない」


 謝るくせに離れる気はないようだ。俺を立たせ、ベッドに座らせ、寝るように言いながら、でもぴったりとくっついている。


「どうしてそんなにくっついてくるんですか」

「こうしなきゃバレちゃうだろう」

「誰に?」

「君のお母さんにだ」

「なにが」

「俺がここに来ていること」


 ちょっとくらい離れたってバレないだろう、と思ったけど。

 来平先輩は少し怯えたような様子できょろきょろとしている。

 

 夢なのかな。この人、さっきの小鳥なんだよな。

 いや、夢じゃないんだ。これが俺がいるべき世界の住人で、だったらこうしてぴったりくっついてくるのも、母さんにバレないようにしていると言い訳するのも、当然の行為なのかもしれない。


「あんまり近すぎるとちょっと、嫌なんですが」

「そうか、すまない。すまない」


 がっちりとした男が真横にいるのは暑苦しいけれど、離れる気は毛頭ないみたいで、どうしようもない。

 だったら用事を済ませるしかない。わざわざ三時に窓から入って来て、おどおどした様子で謝り通しなんだから、俺に危害を加える気はないんだろう。


「どうしたんですか」

「クロたちが無茶苦茶をして、止めようと思っていたのに無理だったし、話合いだって聞いていたからりゅうちゃんに手伝ってもらったのに、こんなに怪我をさせてしまうなんて」


 わあっと一気にこうまくしたてて、来平先輩はしゅんと身を縮めるとこう続けた。


「だから謝ろうと思ったんだ」


 クロというのは、あの猫の目の男。

 りゅうちゃんは、蔵元さんだ。


「話合いって、なんのですか?」

「ええと、立花玲二の力についてだ。いつまでも隠しているからちゃんと本人から聞こうとクロが言い出して、でも期限まではあと二日あったから手荒な真似はしちゃだめだってカラスが注意したのに、あんな真似をしたしイワも止めてくれなかった」


 思ったことは全部口に出してしまうタイプなのかな。

 カラスは、あの黒づくめの男だと思う。

 イワという名前は初めて聞いたけど、あの場にいた誰かだとするなら、最後に残っているのは廊下で一番左に立っていた大男、になる。


「落ち着いて、少しずつ話してもらってもいいですか」

「そんなに丁寧にしゃべらなくていい。俺はライ。立花玲二は、本当の名前はなんて言うんだ?」

「本当の名前が、立花玲二ですけど」

「そうなのか? 名前、ないのか」


 あるけど。ミドルネームなんてものは聞いたことがないけど、もしかして本当はあったりするのかな?

 いやでも、それを「本当の名前」なんて呼びはしないだろう。


「ライって呼んでくれ、立花玲二」

「玲二でいいです」

「わかった玲二。もっと気楽にしゃべってくれ」


 母さんがなにも話してくれないなら、聞いておくべきじゃないか。

 わざわざ謝りに来てくれた、可愛い小鳥に。


「ライ、教えて欲しいんだ。俺はなんにも知らない。狼の血が流れているんだって、今年に入ってから聞いたんだけど、いまだにあんまり信じられずにいて」

「んん? そうなのか。本当に知らなかったのか? そんなの嘘だってクロは喚いていたけど」

「クロっていうのはあの、目が猫みたいな、俺を蹴り飛ばしたヤツ?」

「ああ、クロは猫だ。本当は白い猫なのに、クロって名前なんだ」

 そんな細かい情報はあとでいい。

「ライ、聞いたことだけに答えて欲しい」

「いいぞ玲二。怪我はもう平気なのか」

「まだ完全には治ってないけど、だいぶいいよ」

「本当に怪我していたんだな。カラスの予想通りだった」


 カラスはやっぱり真っ白い顔に黒尽くめの男で、ライは苦手だと話した。

 イワは大男のことで、大きな岩の化身なんだとか。

 

「俺の力を確認しに来たっていうのは」

「今年に入ってからうまくいかなくなったからだ」

「なにが?」

「テレーゼの頼み事が」


 テレーゼ。母さんの名前だ。

 頼み事って? 母さんはライたちに、なにを頼んでいた?


「お前を社会から弾くやつだ」


 社会から、弾く。

 胸がひゅっと冷えて、ひどく痛んだ。

 なんの話か分からなさ過ぎて、体が震える。


「どうした、痛むか」


 ライはごそごそと自分の体をまさぐって、本当にぱっと、どこからともなく貝殻のようなものを取り出した。


「そうだ、これを渡そうと思っていた。テレーゼはもう協力はいらないと言ったけど、玲二が痛いのは可哀想だから」

「それはなに?」

「傷薬だよ。塗ってやるからな」


 ライは指先に薬をつけて、俺の顔中をべたべたと触った。

 傷があるところもないところも関係なしに、ただ揉んでいるだけのような塗り方だった。草そのまんまを思わせる臭いは正直、嬉しくない。


「もういいよ、自分でやる」


 ありがとうと礼を言うと、ライはほっとしたように息を吐いた。


「それより、社会から弾くってなに?」

「そうテレーゼが望んだんだ。玲二をしばらくの間普通の人間の子のように育てたいから、孤立しない程度に周囲とは切って欲しいって」

「どんな風に? 具体的に教えて欲しい」

「たとえば玲二に好意を持つ子が出てくるだろう? 玲二は見た目がとても魅力的だから、人間の女の子はいっぱい好意を抱くんだ。それを薄めて、執着しないようにしていく」


 女の子に限らず、男の子にもそうしてきた。

 ライの言葉で、俺はますます息苦しくなっていく。


「テレーゼは期限を決めなかったけど、理由を言わないもんだからマスターが怒ってしまって。だからマスターは十五年だけって決めた。それ以降はちゃんと全部伝えなきゃ駄目だって。だけどテレーゼは詳しく話さないから、とりあえず半年は猶予期間にしたけど、無視してくるから。でもまだ二日あったのに、クロが暴走したんだ」


 ライの結論は全部、ごめん、だった。怪我をさせて悪かったと、それが頭の大部分を占めているらしい。

 

 俺はライの話が衝撃的すぎて、なにがなんだかわからない。

 まわりにいる人々は、俺への興味を失うようにされていた。

 どうやってそんな風にするかはわからないけれど、でも、ライはなんだか嘘をつけそうにないように見えるし。


「……マスターっていうのは?」

「俺たちのまとめ役だよ。ここら一帯の担当の」


 俺たち。それは多分、人間じゃない存在を指す。

 それに自分もきっと、含まれている。

 


 ここでようやく、母さんの言葉の意味がわかった。

 八月五日までには帰るから。

 十五歳と、半年。彼らの決めた期限だったからだ。


「大丈夫か、玲二」

「いや、大丈夫じゃない。うまく理解ができない」

「ごめんな、俺は話すのが得意じゃないから」

 

 問題はそんなに単純じゃないんだ。話し方なんかどうでもいい。むしろライのこの迂闊なおしゃべりに感謝すべきだと思う。

 今まで知る由もなかった真実が、ぼろぼろと顔をのぞかせ始めているんだから。


「今年に入ってからうまくいかなくなった、っていうのは?」

「んん? ああ、それは、カラスが言うんだ。玲二の存在の希薄化がうまくいかなくなったって。二月になってからそうなった、おかしいってマスターに報告していた」

「何日から」

「それはわからないけど、二月の終わりにそう言っていた。最近おかしいって。うまく術がかからなかったり、勝手に解けてしまうことが増えたって」


 カラスは優秀なのに、とライは言う。

 カラスとやらがどんな魔法を使うのかはわからないけど、問題は「二月」だ。

 俺の誕生日。二月六日に十五歳になった。

 母さんたちから正体を教えられてから一ケ月、一番落ち込んでいた時期だ。


「誕生日があったんだけど、関係あるかな」

「そうだ玲二、お前は何歳なんだ。転生体なのか?」

「なにそれ」

「いや、新しい体が馴染んでいないんじゃないかという者もいて」


 知らない、そんなの。もしそうだとしたら、どう感じるもんなんだ?


「わからない。俺は十五歳だと思っているけど」

「本当か」

「それ以上の記憶なんてないよ」


 疑問が大量に湧いてきて、俺はしばらくライに質問を続けた。

 でも彼は、事態をあんまりよくわかっていないらしい。

 そもそも俺に関してのあれこれをしている担当じゃないんだとか。全部また聞きだから、確信はないとかなんとか。


 じゃあ本当に、怪我をさせて申し訳ないと謝りに来たってことだ。

 少し変なところもあるけれど、悪いやつじゃないんだろう。


「すまない玲二。うまく話せなくて。でもとにかく、お前の周囲のコントロールはもう効いていないんだ。だから、大勢がお前に関心を抱いている。テレーゼは焦っているみたいだけど、マスターはもう協力はしないと決めてしまった」


 理解できた。なるほどって。

 園田も良太郎も、そういう理由で仲良くなれたんだろう。


「玲二は不思議だな。全然わからないんだ、存在が。だからクロは少し恐れている。クロだけじゃなくて、半分くらいのやつがなにかあるって思ってしまって、それであんなめちゃくちゃになってしまった」

「なにかあるって、なに?」

「俺たちは互いを目では見ない。感じるし、意思を伝えるために言葉を使わない。だけど玲二には届かないんだ。でもあんなに怪我をしてしまって、それがそういうフリなのか本当なのか」

「ちょっと待って。俺には届かないって部分を話してほしい」

「だから、玲二がどこにいるのか、わからないんだ。それになんだか、力の打消しがあるみたいで。だから俺も目で見ているしこんなにそばで話すんだけど」


 普段は言葉を使わないのなら、ライが話し下手なのも納得がいく。

 要点があやふやだし、余計な情報が混じりすぎだ。


「力の打消しっていうのは、カラスが言った。二月から始まったやつだ。玲二にはそもそも少し効きにくかったんだけど、二月からは完全に効かなくなって、すぐそばにいると同じように解けるようになって」


 時計はもう四時をさしている。

 がっちりとした体の男と密着して、話も脱線しがち、痛みもまだ残っている状態だからか、急に眠気が襲ってきて、クラクラしてしまう。


「玲二」

「ごめん、少し疲れたみたいで」

「そうだな、こんな時間にすまない。見つからないようにしたくて、掟もあるし、それにクロたちも怖くて」


 ライやその他の、人ではない存在が抱える事情は、まだ全然わからない。

 だけど今夜、たくさんの断片を掴んだ。

 俺をとりまく存在と、母さんが語ろうとしない秘密のかけらを。


「いいよ、色々話してくれて助かった」


 助かったのかな。でも、役には立った。

 深く探るのはこれからだけど、なにも知らないよりはずっといい。


「また話を聞かせて欲しいんだけど」

「ああ、ああ。俺が役に立つなら、いいよ。でもマスターたちには内緒にしなきゃいけない。それと、りゅうちゃんはなにも知らないし悪くないから、今まで通り仲良くしてほしい」

「気にしてないよ」


 それよりもあの日、無事だったのかが気になっていた。

 動けるようになってからニュースをチェックしたけど、蔵元さんらしき誰かが酷い目にあったみたいな内容のものはなかった。


「りゅうちゃんなら大丈夫だ。アルバイトをしてちゃんと帰ったという記憶になっている」

 

 玲二がいないところでやったからちゃんとかかったんだぞ、とライは言う。


 俺、一体なんなんだろう。

 少し眠って、朝になったら母さんに聞かなきゃいけない。


「じゃあまた、なんとか見つからないように来るからな」


 ライは俺の目の前で金色に輝くと、小鳥に姿を変えて窓から飛び出して行った。

 

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