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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
夏陰
16/85

昼下がりダブル奇襲 / いつき

 返事がない 玲二くんから 返事がない。


 花火大会の次の日の朝くれたっきり、連絡がない。

 短いメールを何回か送ったのに、反応がない。


 頻繁すぎたのかな。負担になってるのかな。

 それとも本格的に具合が悪くなっちゃったのかな。


 八月に入って十日が過ぎてしまった。

 明日はお爺ちゃんの家に行かなきゃいけないし、課題の残りだって早めに仕上げたい。

 でも気になる。玲二くんが気になる!

 

 だって、すごく怖い。

 もしかして嫌われちゃったんじゃないかって、考えてしまう。

 あの時抱き寄せてくれたのは、なんだったのかな。

 ひょっとして私はあの時、だめ、って言わなきゃいけなかったのかな?

 あんまり軽い子は嫌で、試していたとか。

 いや、考えすぎだよね、いくらなんでもそんなトラップはありえないよね。


 家に様子を見に行けばいいんだけど、勇気が出ない。

 

 モヤモヤしすぎて、ひろげた課題は真っ白のまんま。

 頭がこんがらがっていく。考えすぎて、好きすぎて、あらぬ妄想にとりつかれてしまう。


 テーブルの端には携帯電話。あれが揺れて、玲二くんの素敵な横顔が表示されたら解決するのに。どうでもいい案内ばっかりで全然、癒されないまんま。

 

 毎日毎日考えて、期限を決めていた。

 十日になってしまったら、あの人に相談してみようって。

 五日目の期限で相談にのってくれた女友達は全員で「とにかく突撃しろ」しか言ってこない。それは本当に、最後の手段だと思うんだよね、私としては。


 玲二くんと連絡が取れないとメールを送ると、すぐに返事が届いた。


 葉山君は心配だね、俺も電話してみるよ、と返してくれた。


 それから二時間して、再びの返信。


 あいつも読んだかわかるアプリを使ってくれたらいいのにな。

 でも時期的にひょっとしたら、母ちゃん側の実家に行ってるのかもしれないよ。海外だから繋がらないのかもね。


 だって。

 それは確かに、あり得る気がする。国際対応していないのなら、仕方がないし。


 玲二くんのいない世界って、色褪せていてまるで秋の終わりみたいな感じなんだろうな。

 冷たい風が吹き荒れ、枯葉が飛んできて足にまとわりつくような、そんな寂しい世界なんだと思う。

 ついこの間まで夏が爆発していたっていうのに。海、水着、浴衣、二人きり。

 花火はみられなかったから、月末にある別のイベントにいけばいい。

 一緒に行ってくれないかな。今度は二人きりで行きたいんだけど。



 モヤモヤしながら課題を済ませ、バイトに行けない分家事を手伝って、お兄ちゃんたちのTシャツを干しているうちに時間が過ぎていく。

 お父さんの実家は割と近い場所にあるので、日帰りで行って帰ってきた。

 みんなちゃんと集まる人ばっかりだから、うちも兄弟そろって顔を出さなきゃいけない。若い女の子は私だけで、彼氏は出来たのか攻撃が止まらない。


「あの格好いい子とはどうなったんだ、いつき」

 飛男おじさんはすっかり出来上がっていて、声が大きい。

「外国人なんだって?」

 動物園の園長をしている(かける)おじさんも、おんなじ強面を並べて笑っている。

「ハーフだし、別に彼氏じゃないし」

「そろそろ彼氏くらい出来た方がいいぞ、なあ伸也(しんや)


 お父さんに振るのやめてくれないかな。

 ちらりと様子を窺うと、いつも通りの無表情で、なにを考えているのかわからない。


「家にあいさつに来ても脅かすなよ!」


 早く帰りたい。もう、一族揃ってみんな顔が濃すぎ。



 お父さんが運転する車の一番後ろで、ぐったりしていた。

 毎年のことだし、慣れてはいるけど。

 なんで女の子ってだけであそこまで突っ込まれなきゃいけないんだろう。

 可愛がってくれているんだよなんて言われても、全然納得いかない。

 兄ちゃんたちにも彼女が出来たか聞けばいいのに。いとこのお兄さんたちにも結婚はいつだ、相手の子は美人なのかって根掘り葉掘りすればいいのに。


 つまらなくてたまらなくて、かなりぐだっとした姿勢で座っていた。

 夏休み前半のキラキラはどこに消えちゃったんだろう。

 私が会いたいのは親戚の叔父さんじゃなくて、玲二くんなのに。


 メール、どうして返ってこないんだろう。

「姉ちゃん、電話貸してよ」

「なんで?」

「ゲームしたい」


 隣に座る弟の葉介は中学に入ったばかりの三歳下で、充兄ちゃんとよく似たこってり顔。でも中身はまだ、この間まで小学生だっただけあって幼い。


「だめ、メール来るかもしれないし」

「彼氏から?」

 

 お前もか、って言葉をなんとか飲み込んで、電話をしまった。

「デートいかないの?」

「そんな予定はないの」

「お盆だから?」

「そ。お盆だから」


 こんな言い訳ができるのもそろそろ終わりかな。

 あとはだらだら、夏休みが過ぎて行くのを待つしかない。


「予定がないならいいじゃん。貸してよ」

「草兄ちゃんに借りたら?」

「やだよ、草兄のは釣りのゲームばっかりなんだもん」


 私の電話にはそもそも、ゲームが入ってないんだけど。勝手に入れるつもり?

 そう言おうと思ったら、イラっとしたのか前の席から草兄ちゃんの声がした。


「俺のは今故障中だから貸せねえ」


 絶対嘘だ。さっきいじってたくせに。


 ん。故障?


「ねえ、電話が壊れちゃったら修理に出すよね」

「当たり前だろ」

「直るのにどのくらいかかる?」

「一万円くらいじゃね?」

「代金じゃなくて、時間の方」

「知らね」


 感じ悪いなあ。草兄ちゃん、絶対モテないぞ。

 そっか、だから叔父さんたちも突っ込まないんだな。


 それより、故障だ。もしかして玲二くんのも不具合が出ていて、それでメールを受け取っていないとか。

 それにしてはちょっと長いかなあ。大体、代わりのものを貸してもらうよね。

 でもひょっとしたら、故障しているけど気が付いていない、とか。メールの機能だけ駄目になってるとか……。



 家に辿り着いてからようやく、私は次の一手を思いついていた。

 最初に教えてもらった、パソコン用のメール。あっちに送ってみたらいい。


 玲二くん、元気ですか。

 毎日暑いね。

 あのあと、調子はどうでしたか。

 メールを送ったのに返信がなくて心配しています――。


 無難な言葉ばかりがディスプレイに浮かんでいく。

 打ち込んでは消し、打ち込んではまた消して、結局体調がどうかを聞くだけの内容に落ち着いた。落ち着いたというか、落ち着けた。

 あの日の玲二くんの声と、抱き寄せてくれた手の熱さを思い出して、毎日ドキドキしているなんて、書けないから。

 会いたくてたまらない。夢の中の幻の玲二くんじゃ、もう我慢が出来ない。


 蝉の声を聞きながらベッドに倒れ込んで、ため息をついた。

 そうなんだ。夢の中だけじゃ、全然足りない。

 匂いもしないし、あったかくもないから。

 都合のいい台詞はいくらでも囁いてくれるけど、でも、夢だってわかった瞬間すごくガッカリしちゃうし。


 愛の言葉はなくていいから、本物の玲二くんに会いたい。



 でも結局返事は来なくて、次の日も悶々としたままお昼を迎えた。

 今日も家族は出払っていて、私はひとりぼっち。

 早めに帰ってくるって言ってたんだけど、お母さんなにしてるのかな。

 誰かに会って、ぺらぺら話でもしているのかな。


 おなかがすいてきて、立ち上がった。

 いつまでも引きこもっていても仕方ないもんね。

 コンビニに行くくらい、いいよね。真昼間だもんね。


 八月中旬の街は静かで、蝉しか住んでいないのかってくらい周囲から聞こえてくる音は単調だった。

 そこら中で恋の季節を楽しんでいる蝉たちが憎たらしい。


 でも、どこかにきっと、一匹だけ一人寂しく過ごしている雌もいるだろう。

 素敵な雄の鳴き声にときめいているのに、会いに行く勇気がでなくて、どこかの木の根っこあたりでぼやぼやしている、私みたいな蝉も一匹くらいいるんじゃないかな。


 彼らに許された時間は短いのに。

 そんなにぼやぼやしていたら、あっという間に他の積極的な女の子にとられてしまう。


 そんなことを考えていたら急にうわっと、心の底から湧きあがってきた。

 私も一緒だ。ボケっとしてる場合じゃない。

 ひょっとしたらものすごく積極的でスパイシーな女の子がやってきたのかもしれないし!

 そういえば前に葉山君が冗談でこんなことを言っていた。

 玲二なら親が決めた許嫁がいたとしても、驚かないよねって。


 ちょっと浮世離れした雰囲気がいいんだよねとうっかり漏らした私に、同意してくれただけだと思うんだけど。

 もし本当にそんな人がいたら? たとえば本当は私のことを気になってくれているのに、そういう存在がいるせいで答えたらいけないって設定だったとしたら!


 ちゃんちゃらおかしい、乙女の妄想。

 でも私の足は、ぱたぱたと忙しく回り始めた。

 会いに行かなきゃ。もし事情があるなら本人の口から聞きたい。どんな理由があっても、もしも私とは一生結ばれない運命だったとしても、玲二くんにちゃんと答えてもらいたい。


 左向け、左で角を曲がって、走りだす。

 この間充兄ちゃんに送ってもらった時に通った道順を思い浮かべながら、ダッシュ。


 しばらく走って汗だくになってから、ふっと気が付いた。

 

 さっき、いきなり角を曲がった時になにかが見えた。

 電柱の陰に誰かがいたような……。


 ぼんやりとした記憶のフィルムを巻き戻していくうちに、足が止まった。

 そうだ、いたよ。いた。見えた。あれは、相原君だ。相原君が電柱の陰にいて、慌てて身を隠していた気がする!


 再びのダッシュ。この先をまっすぐに行けば少し大きな通りがあって、そこにコンビニがあったはず。

 記憶の通り、お店があった。入ると涼しいけど、全然ほっとなんて出来ない。

 お菓子の並んだ棚の間に入り込んで、外の様子を窺う。


 外は眩しく、白い光で溢れている。

 時折車が行き過ぎて、歩いている人はほとんどいない。


 気のせいだったのかな。

 それとも、あとを追っては来ないのかな。


 不安な気持ちのまま立ち尽くしていると、ふっと左側から人影が飛び出してきて、慌てて身を低くした。


 やっぱり。相原君だ。

 みんなが心配していた通り。どうして私の行き先を知っているのかって、そんなの決まってる。あとをつける以外にあり得ない。


 ガラスの向こうで相原君はしばらくきょろきょろしていたけど、やがてふてくされたような顔をしてコンビニに入ってきた。

 私は慌てて奥へ向かって、棚の陰に隠れた。

 店のコーナーには防犯用の鏡があって、相原君の姿が映っている。

 あっちこっち首を回して、さっきまで私がいたお菓子の棚の間を通って奥へ。

 飲み物を買うつもりなのかな。だったら、私はいますぐ、出て行かなきゃ。


 雑誌の並んだ棚の前を通り抜けて、外へと飛び出していく。

 自動ドアは開くのが遅くて、早く、早く、気付かれないうちに!


 でも家に帰るのは怖い。私は手に財布を持っているだけだし、服装もすごく適当で、おでかけする感じが一切ないから。すぐに家に帰るだろうって多分、見当をつけているんじゃないかな。

 

 考えてみれば、急いで家に帰るのが一番の正解だったと思う。

 相原君が追いつけない速度で帰ってしまうのが、一番良かったはずなのに。


 でも、ちょうどいい口実が出来た気がして。

 さっきの勢いと花火大会の日を思い出しながら、私が向かったのは玲二くんの家。


 少し迷ったものの、ちゃんと辿り着いていた。

 表札にはちゃんと「TACHIBANA」と彫られている。

 古めかしい我が家と違って、なんともオシャレな洋風のお家。

 外壁はレンガで、小さなお庭には花がたくさん咲いていて。

 置かれている車も、おおきいばっかりのうちのとは違って、スマートでエコなタイプだし。


 来ちゃった。

 でも、いいのかな。インターホンを押して。

 お母さんが出てきたら、なんて言ったらいいのかな。


 クラスが一緒で、仲良くさせてもらっています?

 すぐそこまで来たので、寄ってみました?


 頭のてっぺんがじりじりと日差しに焼かれて、暑い。

 このままだと真っ黒になりそう。頭はフル回転しているのに、体が全然動かない。


 いや、正直に言ったらいいんだよね。

 花火大会の時に倒れちゃって、連絡がつかなくなったから心配だって。

 でも本当に婚約者がいたら、あなたなんておよびじゃないのよって追い返されたりしちゃうかな。


 通行人がいないのをいいことに、玲二くんの家の前でうんうん唸っていた。

 どう切り出したらいいのかわからなくて、結局何分いたんだろう。


 七回目の、インターホンに伸ばした手を引っ込めたところで突然、お家のドアが開いた。


「こんにちは」


 出てきたのは眼鏡をかけた優しそうな男の人で、年齢的に玲二くんのお父さんの可能性が高そうな感じだけど。


「もしかして、園田さん?」


 うわ。バレている。なんで。どうして。玲二くん!


「はい、園田です……」

「玲二と同じクラスの女の子が近所にいるって聞いていてね。もしかして、会いに来てくれたのかな?」


 優しそう。微笑んだ顔は玲二くんにちょっとだけ似ている。

 国籍の違う顔立ちなんだけど、不思議。


「はい、メールを何回か送ったんですけど、返事が全然ないから心配になっちゃって」


 こんなラフすぎる格好で来て、説得力があるのかな?

 こんな簡単な服装だからこそ、近所の人間だって推測が成り立ったのかもしれないけど。


「そうか。玲二は少し前に怪我をして、その時に電話も壊れちゃったんだ」

「怪我したんですか?」

「もう良くなったし、電話もそろそろ修理に出さなきゃって話になっていたんだよ。さあ、中に入って。暑いでしょう」


 玲二くんのお父さんで間違いないよね。

 優しそうなお父さんは門を開けて、私を中に招いてくれた。


 玄関も片付いていてすごく綺麗だった。うちとは大違い。男ものの小汚いスニーカーがバラバラ落ちているあの光景とは、なにもかもが違い過ぎる。すごくいい香りがするし。


 靴を揃えてあがると、お父さんは入ってすぐの階段を登っていってしまった。

 階段の先には二つの扉があって、左側がコンコンとノックされて。


「玲二、今、いいか?」


 いいよ、って聞こえた。小さい声だったけど。

 それでドアが開いて、お父さんがどうぞって言ってくれて。


 確かに、今いいか? って聞いたのはお父さんだから。

 ビックリした顔をされるのは当たり前だと思う。


「園田」


 玲二くんは慌てた様子でお父さんを見たけど、返事は「今飲み物持ってくるな」だけ。


「ごめんね、心配でつい、来ちゃった」


 おなかがすいたから家を出て、想像上のぼっちの蝉に同情して、相原君がつけてきて。


 そんな経緯はどうでもよくて、今は顔を見られて嬉しい。


 でも、あちこちに貼られた絆創膏とガーゼが痛々しい。


「どうしたの? 怪我したってお父さんが言ってたけど」

「これはちょっと、……変なやつに絡まれちゃって」


 玲二くんの部屋は涼しいけど、暗かった。カーテンが閉めてあって、だから最初は気付かなかった。


「ひどい」


 頬に青黒いあとがついている。

 おでこ、鼻、あご。顔をそんなに殴られちゃったの?


「大丈夫だよ、もう随分よくなったんだ」

「でも、こんなにあちこち怪我しちゃうなんて、ひどい。どうしてこんなことになっちゃったの?」


 電話もその時壊れちゃったのかな。壊されてしまったのかもしれない。

 玲二くんみたいに優しくて、常識的で穏やかな人が、どうしてこんな目にあわなきゃならないんだろう。


「泣かないで」


 泣いちゃうよ。痛かっただろうし、怖かっただろうし。

 それに、玲二くんが辛い思いをしている間、私は会いたい会いたいってそればっかり。自分勝手な幼稚さが情けない。


「ごめんね、怪我してるなんて思いもしなかったから」

「そんなの当たり前だよ。俺もこんな怪我するなんて、思いもしなかった」

「でも」


 お父さんが麦茶を運んできてくれてようやく、涙を止められた。

 すみませんと謝る私に、お父さんはなぜか「ありがとう」と言ってくれた。


「顔だけなの? 怪我は」

「いや、他にもちょっとあったけど、でももう痛みは収まったから」

「いつ怪我しちゃったの?」


 この問いかけに、玲二くんはしばらくの間答えなかった。

 あんまり聞かれたくなかったかな。

 玲二くんがやり返したとも思えないし、一方的にぼこぼこにされちゃったんなら、語りたくなくても当たり前だと思う。


「先週、月浜に行ったんだ。その時に」

「怖かったよね」

「うん」


 怖い思いをしたのは玲二くんなのに、私の方がしゅんとしてしまって。

 しょげた頭を、玲二くんは優しく、ちょっとだけ撫でてくれた。


「私、パソコンの方にもメールを送っちゃったんだ。ごめん」

「謝らないでいいよ。いきなり連絡が取れなくなったら、心配するよな」


 俺の方こそごめん、だって。

 優しい玲二くん。

 早くよくなって欲しい。


 あんまり長居しても良くない。

 そろそろ帰るね、と言おうとして思い出した。

 相原君のこと、すっかり忘れてた。


 どうやって帰ったら遭遇しないで済むかな。

 電話、忘れちゃったんだよね。

 借りていいかな。お母さんに連絡して、迎えに来てもらおうか。


「どうかした? 園田」


 玲二くんに心配かけたくないのに。でも、電話を貸してなんて言ったら、結局理由が必要になってしまうよね。


 すごく悩んだんだけど。

 でも、玲二くんに会えたらほっとしてしまって。

 私が嫌われているだとか、他の女の子の影がないんだとか、さっき優しく撫でられて舞い上がってる部分もあって、二人で問題の共有をできたらなんていうすごく傲慢な考えがひょいと顔をのぞかせてつい、ぽろりと。


「家を出たら、相原君がいたの」


 玲二くんの表情が歪む。

 でも歪めた結果、痛かったみたいで小さく唸った。


「あのね、大丈夫だから。電話を貸してもらえたら、お母さんに迎えに来てもらうから」

「だったら父さんに送ってもらって。車なら安心だろ」


 玲二くんはゆっくりと立ち上がって、扉へと歩いていく。

 どこを怪我したんだろう。すごく辛そう。


「いいよ、玲二くん」

「駄目だよ。安全な方法で帰ってくれなきゃ、俺も落ち着かない」


 きりきりっとした顔はガーゼであちこちが欠けているんだけど、嬉しくてたまらなくて、また涙があふれてきてしまった。

 

 玲二くんはお父さんに私を家まで送るように頼んでくれて、私は快適なエコカーの後部座席に収まっていた。



 静かだな、エコカー。

 窓もスモークになっていて、外からはあんまり見えそうにないし。


 車だと家まであっという間で、お父さんとの会話はほとんどなかった。

 道順の案内をしたくらい。


 優しいお父さんは私を家の前でおろしてくれて、また遊びに来てね、と言ってくれた。

 行っていいなら、行っちゃうけど。本当にいいのかな。

 

 少しだけ浮かれた気分だったから、お昼ご飯を買いそびれたことに気が付いたのは、一時間くらいあとになってからだった。

 

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