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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
ミュージック・アワー
11/85

妄想ローリング / 玲二

 電話が震えて、ぱっとディスプレイが切り替わる。

 例の、園田のめちゃめちゃかわいい顔。私服も良かったけど、制服姿もいい。

 制服もいいけど、今日のワンピースはすごかった。

 イルカに罪はないけれど、俺はラッキーが憎い。

 でもびしょ濡れになった姿もちょっと、あくまでほんのちょっとだけど良かったから、少しだけ、礼も言いたい。


 今日は本当に危なかった。

 全部ぶちまけてしまうところだった。

 別に、付きあったっていいじゃないかと思っていたけれど。やっとあの時の父さんの苦渋に満ちた表情の理由がわかった。

 もしもっと距離を詰めたら、絶対我慢なんか出来ない。抱きしめて、キスなんかしたら、そこでブレーキは壊れて大人の階段を駆けあがってしまう気がする。


 少し落ち着かないと。

 いくらなんでも、夏休みが始まって即座に母さんとの約束を反故にしてしまうなんて頂けない。俺は現状狼にはなれないけど、獣にはなれてしまうわけで。

 そんな最低な息子にはなりたくない。

 

 頭の中にこびりついた汚らしい妄想のかけらは、全部流してしまおう。

 電話に手を伸ばして、まずは園田の写真を表示させる。

 可愛い。

 そうだよ。こんなにも清らかな園田を、幻滅させられない。いやらしい目で見たり出来ない。

 控え目、常識、良識的。狼になれないなら、紳士たるべし。よしこれだ。

 今日のこと、きっと申し訳なく思っているだろうから、大丈夫だよ、楽しかったよって返信すればいい。



 玲二くん


 今日は本当にごめんね。まさかあんな目にあうなんて、ビックリしちゃったね。

 おじさんからお詫びにってウォーターアイランドのチケットをもらいました。

 せっかくだから、一緒に行きたいな。あそこは大きなプールがあって、楽しいんだよ。

 泳いだあと、遊園地で遊ぶっていうのはどうかな?

 都合のいい日程を教えてください。


 いつき



 プール。


 プールだと。


 俺のこの、混沌として暗く染まった心を見抜いての誘いなのか。

 プールに行くなら、水着になるじゃないか。

 園田と一緒に水着でプールなんて、なんだ。それは。どういうことなんだ。



 電話を握りしめたまま、しばらくわなわなと震えてしまった。

 ワンピースでノックアウト、更にびしょぬれになって服が体にぴったり張り付いた姿で二つ目のノックアウトをくらっているのに、水着なんかどう対処しろっていうんだ。

 園田が水着なんか着たら、どう考えたって魅力がやばい。今日だって、なるべく意識しないようにしていたのに。ワンピースの裾からのぞいている白い足とか、斜めがけのカバンのうわー! ばか、俺のばか! 


 ひとりでぐるんとねじれてベッドに倒れ込み、頭を抱えて悶絶している。

 経験値が低いにもほどがある。だけどもう、止められない。頭の中に次々と、水着姿の園田の想像図が浮かんで、浮かんで。


 だめだ! もうだめ! 冒涜だ! 清らかな園田への冒涜!


 水着なんてただの水泳用の衣類の一種に過ぎないんだから!

 俺が短パン一丁でいるのと同じだから! いやらしさなんかかけらもないんだ!

 もう、ばか! 思春期のばか! 

 大丈夫だ、落ち着け、だから、ただの、衣類なんだから!



 夜のあいだずっと悶え続けて、気が付いたら朝になっていた。

 夢をみていた気がする。ふわっとした、幸せな物語を。

 ばかな俺のことだから、きっとプールでいちゃつく夢でも見たんだろう。

 いいな、プール。

 園田と一緒に遊園地。

 最高じゃないか。それがただの、ひと夏の思い出だったとしても。

 あんなに可愛い子に、あんなに熱い視線を向けられて、一緒に隣を歩けるんだから。



 体中の汗をシャワーで流して、ひとり、朝食がわりにヨーグルトを食べる。

 食欲はあるのに、食べられない。妄想が欲求を圧倒して、体を支配しているんだ。


 残りの課題と向かい合いながら、ぼんやり。

 クーラーのお蔭で涼しいけれど、腹が減った。

 問題は目に入っているけど、頭の中でバラバラになって、答えがわからない。

 そうだ、メール。返さなきゃ。

 

 遊園地だけにしようって、言えばいい。

 だけどどうしようもなくもったいなくて、指が動かない。

 一緒に水の中に浮かんで見つめ合いたい。

 最後は夕日で輝く観覧車に乗って、唇に触れたいって、考えてしまっている。


 ぐだぐだの午前が終わり、午後に突入しても、状況は変わらず。

 俺の思考は史上かつてないレベルに低下したままで、水着、ただし園田のっていう単語に圧迫されている。

 男って本当にしょうもない。可愛い子がいたらすぐにこれだ。

 

 課題を放り出して、リビングで大の字になって転がった。

 母さんがいたら、絶対にできない、こんなこと。

 冷たいフローリングが後頭部の熱を下げてくれて、それでもう少しマトモに戻れたらいいと思った。


 唯一の趣味である読書も、ここのところ全然していない。

 課題も手がつけられないとなると、途端になにもすることがなくて、暇だ。

 母さんがいればもう少しシャキっとするんだろうけど。今はいない。

 いないからこんな幸せな妄想に浸って、イヤイヤしていられるんだけど。


 からっぽで、幸せだ。

 例の禁止事項についても、考えられなくなるから。

 だけど、一人は寂しい。最近それに気が付いてしまって、苦しい。


 天井に向かって、ため息を吐き出してみる。

 どこまで届くのかな、ため息は。天井には届かないんだろうな。

 

 園田に、会いたいな。


 

 昨日の夜眠れなかったせいか、リビングのど真ん中でうとうとしてしまった。

 俺を起こしたのは、電話の音。

 夏休みに入ってから何回か母さんから連絡があったから、それかと思った。


 無為な時間を過ごしてしまったと思っていたけど、まだ一時半だ。


 のろのろと立ち上がってテーブルへ向かうと、ディスプレイにはめちゃめちゃに可愛い顔が映し出されて揺れている。

「もしもし、園田?」

 一発で覚醒して、即座に電話に出た。

『玲二くん、いま、大丈夫かな』


 なんだか不安そうな声。俺が返事をしなかったから?


「大丈夫だよ」

『あのね、今、希望が原動物園にいるの』


 動物園。アルバイトしているという、叔父さんが園長を務めているところ。


「うん」

『相原君がずっといるの。ずっと、レストランの隅に座ってて』


 声が震えて、まるで泣き出しそうだと思った。

 希望が原動物園。水族館同様、小学生の時に行った。


「わかった。すぐに行くよ。どこにいる?」

『アフリカエリアのレストラン』

「待ってて」


 俺が大人だったら、車ですぐに駆けつけられるのに。

 財布と電話を掴んで家から飛び出し、駅前まで走る。

 バスはちょうど来ていて、タクシーは出払っているのかいなかった。

 でもバスは、一直線に園田のところに向かってくれない。

 もどかしくてたまらないけど、平日の昼間だから、渋滞に捕まることもなかった。


 目的の停留所に辿り着いて、飛び降りて、窓口へと向かう。

 二時二十分。電話が来てからもう、一時間近く経っている。

 

 チケットを買って、案内図をもらって、アフリカエリアへ向かってまた走った。

 走りながら、電話を掛ける。呼び出し画面にも表示される笑顔が、どうしようもなく愛おしい。


『玲二くん?』

「園田、動物園についたよ。今向かってるから」


 レストランの裏口で待ってるね。

 いつも明るい声なのに。震えて、弱々しくて、頼りなくて。

 

 アフリカエリアは長い長い坂の上にあって、象やキリンの彫刻がほどこされた門に辿り着いた時には汗だくだった。息も切れていて、情けない。だけど、止まっていられない。

 何組もの家族連れや、子供の集団とすれ違って、ようやく件のレストランが見えた。

 少しばかり古めかしい、南国ムードが漂うレストランの中には客が結構入っていて、それでもすぐに気がついた。一番端、ガラスの向こうに座る、相原の姿に。


 気が付かれるときっと厄介だろうと思ったけれど、相原の視線はずっと奥に向けられていて動かない。料理の出されるカウンターを見つめているので、多分園田の姿を探しているんだろう。


 中には入らず、外壁に沿って裏側へと向かう。熱い空気の中を進んでいくと、裏手にはトラックが停められ、潰されたダンボールが山になって積まれていた。

 大きな扉があるけれど、閉まっている。勝手にあけていいのか一瞬ためらったけれど、園田が待っているんだからと手をかけた。


「失礼します」

 小声で呟くと、すぐそばからわっと、影が飛び出してきた。

「玲二くん」

 園田が、俺の腕にしがみついている。

 二の腕を掴む手の熱さに、あやうくまた理性を失うところだ。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫」


 そう言いながら、手が震えている。


「バイト、まだ終わらないの?」

「ううん、もう帰っていいって話になったの。だから帰りたいんだけど、一人だと怖くて」

「わかったよ、一緒に行くから。だから安心して」


 奥から日に焼けた男が出てきて、園の裏門へ送ってくれると話した。

 出口のすぐ前に停めてあるトラックで連れて行くから、裏門から出てほしいんだと。


 うつむいて謝るばっかりの園田が、可哀想で仕方がない。

 謝られた色黒の男も、俺にすまないすまないと謝ってきて、なんだか変な気分だった。


 相原に気が付かれないように、園田はこっそりと身を小さくして、俺の隣でしゃがみこんでいる。俺もあんまり姿を見られてはいけない気がして、助手席で顔を伏せていた。

 トラックは動物園の中をゆっくり進んで、裏の従業員用の駐車場へと進んだ。荷物の搬入もしている場所のようで、客の姿はない。

 大きな門の外にあるのは、こんもり茂った森と、道路だけ。

 運転してくれた日焼けさんは、わざわざ門を出たとこまで一緒に来てくれて、道路の右側へ親指をくいくいと向けている。


「こっちへまっすぐ行くと、希望が原二丁目の停留所があるんだ」

「わかりました。ありがとうございます」


 一緒に礼を言っているけれど、園田は明らかに元気がない。

 昨日とは違うアルバイト仕様の服装のせいもあるんだろうけど、とにかくしょんぼりして見える。


「園田、歩ける?」

「うん、歩けるよ。本当に大丈夫なの」


 台詞と表情が全然あっていない。


 一時間も待たせてしまったのが申し訳なくて、いつもの明るさが全然ないのが不安で、思わず園田の手をとってしまった。


 停留所まではどのくらいの距離があったかな。

 近くにあって、すぐに家に帰らせてあげたられたらいい。

 でも今、ぎゅっと手が握り返されて、できるだけ遠くにあればいいなんて思ってしまう。


 手を繋いで、一緒に歩いている。すぐそこに見知らぬ誰かも歩いているんだけど、でも、世界に今、二人きりみたいな気分になって浮かれている。


 黙ったまま歩道を歩いていくと、動物園の周囲に広がっていた緑が途切れて、住宅街に入った。

 停留所もすぐに見つかった。簡単な屋根があって、真っ赤な自動販売機が設置されている。水やお茶は全部売り切れのランプが光っていて、渇いたのどを潤してくれるのはジュースかコーヒーしかないらしい。


「なにか飲もう。暑かっただろ?」

 

 園田は黙って首を振って、俺の手をぎゅっと握った。

 くそう、なんて可愛いんだ。

 俺も思わず、強く握り返してしまう。

 

 抱きしめなかったのは、他のバス待ちの客がいたから。

 彼らがいて良かったのか、それとも悪かったのか。

 二人で黙ったままボロボロの屋根の下に並んだ。手はずっと握ったまま。じっとりと汗ばんでいるけど、今はそんなの気にしない。


 バスが来て、いくつも停留所を通り過ぎて、いつもの駅前に戻るとようやく、園田は少し落ち着いたみたいだった。


「ごめんね、玲二くん。喉乾いたよね」

 

 終業式の時にも入ったハンバーガーショップに入って、また二人で向かい合う。


「いつもは厨房の中で手伝いしてるんだけど、今日はひとり急に休んじゃって、それで、テーブルを拭いたり水を補充したりする仕事もしてたの。そうしたら、相原君がいてね、話しかけられたの」


 あの映画は終わってしまって、来てくれなかったのは本当に残念だったよ。

 でも今度、月浜美術館で企画展示が開催されるからね。エーゲ海の秘宝展だよ。君に相応しい美しいものを、一緒に見に行こう。今度こそ、絶対だよ。


「断ったんだけど、また全然なの。行った方がいいとか、行かないなんておかしいよって。すごく怖くなっちゃって、奥に戻って、もう中の仕事だけにしてほしいってお願いしたんだけど、理由をきかれちゃったんだよね。それで、どうしようもなくて話したら、大事になっちゃって」

「全部話したの?」

「結局、話す羽目になっちゃったの。同じクラスで、最近ちょっと変な感じで絡まれてって話したら、相原君、何度も来てるんだって、あそこに。夏休みが始まってからもう何回も見かけてるって言われて」


 いつもは一緒に来ているお兄さんたちは今日は不在で、かわりに誰かが送って帰ろうかという話になったと、園田は困り果てた顔で話してくれた。


「でもね、昨日も水族館でちょっと騒ぎになっちゃって、ただのお客さんでももちろんちゃんと対応するだろうけど、園長の身内だと別な意味で気を遣われちゃうでしょ。場所は違うけど、今日もまたっていうのは嫌だったから、それで、信頼できる人がいるから、その人にお願いするって言っちゃったの」


 ここで園田は頬を真っ赤に染めて、消え入りそうな声で俺に、ごめんなさい、と謝った。


「謝らないで。頼ってくれて、嬉しいよ」

「本当に?」

「うん」


 俺の方こそごめん、昨日の夜、散々色んな水着をきせたりして。

 怖い思いをしていた時に、自己嫌悪に陥ってゴロゴロした挙げ句うたたねしていたんだ。


「ありがとう、玲二くん。すごく早く来てくれたから、すごく嬉しかった」

「一時間も待たせたけど」

「早いよ。家にいたんでしょう。よくあんなに早く来られたなって思ったもん」


 やっと笑ってくれた。恥ずかしそうにだけど、ようやく笑顔を見せてくれた。


「玲二くん、今日のお礼っていうか、お詫び、ちゃんとするからね」

「いいよ、そんなの」

「でも、入園料も払ってくれたでしょ? 動物見てないのに」

「水族館も招待してもらったし、それに」


 そういえば返信、忘れたままだった。

 もう、いい。行けばいいんだ。いやらしいとかいやらしくないとか関係なしに、俺はとにかく園田の笑った顔が見たい。


「ウォーターアイランドも行くんだろ」

「いいの?」

「もちろん、昨日は早く寝ちゃって、返信が遅くてごめん」

「そんなのいいよ。嬉しいな。良かった。プールも大丈夫?」

「うん、大丈夫」


 ああ、これだ。これが見たかった。

 園田の小首ちょこん付きの眩しい笑顔。


「いつなら行ける?」

「例の花火大会の日と、その後の二日間以外ならいつでもいいよ」

「わあ。じゃあ、明後日とかでも平気?」


 早い。でも、早い方がいいか。

 母さんたちが帰ってくる前の方が、間違いなく行きやすい。


「もうね、バイトもしばらく来ない方がいいよって言われちゃったの。色々欲しいものがあったけど、諦めなきゃだめかもね」


 可愛い唇をつんと尖らせて、園田は苦笑いを浮かべた。


「あいつ妙に行動力があるみたいだし、送っていくよ。明後日も朝、迎えに行く」


 ストーカーだと考えていいんじゃないかと思う。

 でも、あんまり不安がらせても仕方がない。


「ありがと、玲二くん」


 多分このあと、俺はまたベッドの上で悶えるんだろう。

 あんなに迷っていたのに、プール行きは決定しているし。

 守ってあげたいとか、一緒にいたいとか。手を繋いでいつまでも歩いていきたいとか、恋のどつぼに思いっきりはまっている。


 

 あの時生まれた、俺の中の憤り。

 こんな半端な血筋の人間が出来たのは、父さんと母さんのせいじゃないかって思っていた。

 ハーフは駄目で、自制すべきだってわかっていただろうに。


 でも、好きになってしまったんだろう。

 どうしようもなく好きになったら、ちょっとくらいの禁忌なんて頭から消え去ってしまうものなんだろう。


 俺の立場は半端なままで、なにも変わらないけど。

 両親への苦い気持ちは少しだけ薄れた気がした。

 

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