1階段を踏みそこねた
参った。
ここへ来てから身体が弱くなった。軟弱というよりも病弱になった。
それに反して、ここの人たちは頑丈そうだ。
そうなのだ、ここの人たちは女性でも平均的日本人女性を軽々とお姫様抱っこできるのだ。
体格がいいだけでなく、腕力も体力も並ではない。根本的に身体の作りが違うのだ。男性の平均身長は2m以上、女性は1.8m位だそうだ。
八頭身というだけでなく骨格も、ついている筋肉も質が違う。その上見目麗しい方々ばかりだ。遠い昔、日本が開国して列強諸国と交わったとき猿扱いされたのがわかる。日本人も近年体格がよくなっただの、スタイルがよくなっただの言われているが、それは大きな勘違いだ。ここに来ればわかる。両手をつながれて持ち上げられたら、どこぞの宇宙人だ。・・・・・・そんなことさせないがな!
あの日、境 十和は大学の研究室で深夜遅くまでデータ処理をした。やっと終わり、帰って寝ようと、省エネ対策のため電気を落とした薄暗い廊下を歩いたが、自分の足音が嫌に耳についた。
「誰もいないのかなぁ~。」などとむやみにでかい独り言で恐さを紛らわしそうとしながら誰もいない廊下を進んだ。
本当に誰もいない。いつもだったら他の研究室のゼミ生や院生がちらほら居残っているのに、その日はどこのゼミも灯りが消えていて、棟全体が深閑としている。階段の手前で壁の電気のスイッチに手を掛けながら角を曲がり、階段を降りようとしたら足が次の段を踏み損ねた。
というか踏めなかった。
落下の仕方が半端ない。真っ暗闇の中をどんどん落ちていく。
垂直に。手足を伸ばしてどこか引っ掛りそうなとこを捉えようとしても、気持ちいいくらい手足が伸びる。
(おかしいだろう。下りたの階段だよ。)
最新棟とはいえ、地上5階地下2階の建物だ。底に辿り着かない。
真っ暗い中を長い時間落ちて行く。たぶん2時間ぐらいが経過した後、不思議なことにだんだんとスピードが落ち、重力無視でゆっくり落ちるようになった。
何か意識が保てなくなってきている。決して眠気がさしてきたというわけではない。
人に言われるほど図太い性格のせいではなく、単調な暗闇の中に人には知れない魔法が漂っているせいだと思う十和であった。
実際世の中なるようにしかならないとは思ってはいる。焦ってじたばたしても始まらないことは多々あるとも思っている。とりあえず体力温存・気力温存がモットーだが。・・・眠い。
と誰に釈明しているのかわからない一人トークを心の中でした挙句、うつらうつらしているとベチョッと地面らしき所に落ちた。
それもうつぶせの状態で落ちた。
そんなに衝撃はなく身体に転んだときのような痛みさえない。
ただし、服にじわじわとしみこんでくる得体の知れない液体が気持ち悪い。何より顔や手など素肌をさらしている部分がベッチョリしていて気持ち悪い。
そして冷たい・・・寒気がしてきている。急速に体温が奪われていく。
意識はあるのに目を開けられないどころか体をぴくりとも動かすことさえできない。
雨上がりの曇りという感じの明るさだ。このまま体温を奪われ続けたらやばいことになるんじゃないかと内心おびえていると直にくっつけているというか付いてしまっている地面から人の足音のような振動が伝わってきた。これで助かると単純に喜んでいると、
「,.@[;/\./]p5」
全くわからない言葉で話しかけられたらしい。重要なのでもう一度いっておこう。
話しかけられた・・・らしい。
普通倒れている人がいたら、駈け寄って抱きかかえて・・・ちょっと寸劇対応が入ってしまった。
それでも側に座って心配そうな声で大丈夫ですかなど声を掛けてくれるものではないだろうか。
少し離れたところに立ったまま命令するように声を掛けられるものか。
どうやら男の人で、口調が固いっつうか怒っているのがわかった。すごくいい声なんだが声音が怖い。
なぜか心臓が嫌な音を立てて、どくどくといい始める。
悪いことが起こりそうな時の勘は嫌なことにまず外したことがない。
嫌な自慢だ。
心臓が喉を通り越して口から飛び出そうだ。
なぜ、この不思議体験で親切プラス良心的な人に救ってもらえると思い込んだんだろう。
平和ボケした日本人そのものか。
現実逃避したくなる現実に直面しそうだ。世界だって治安の悪いところはいくらだってあることをときたまテレビが放送している。
目だけ動かして必死な思いで、男の方を見ると目の前に灰色の物が邪魔をしている。
無理やり焦点をそれに合わせると本当に口から心臓が飛び出たと思った。
灰色ではなくて銀色だった。
剣だ。
ヨーロッパで中世の騎士や兵士の持っている諸刃の厚みのある剣だ。
その剣が自分の文字通り、眼の前につきつけられている。
目だけ動かしても光を背にしているせいか男の顔が見えなかったが、金髪で下から見上げたせいかものすごい八頭身どころか10頭身ぐらいありそうだった。どこかの司令官のような物のよさげな軍服を身につけている。リアル肩マントを着けていた。
助けを請おうと口を開くが泥水が入ってくるだけでうめき声しか出ない。
自分はいったいどうしちゃったんだろうと不安どころではない。
それでも、やっと同情心が男に芽生えたのか、剣を十和からはずし、かがんで顔を覗き込んできた。
強い光を放つ金髪がまず目に入った。その後すぐに、更に強い光をはらむ碧眼で十和を見据えていたのが強烈な印象を残した。
その碧眼は真っ青で。綺麗なガラス球のようで少しの優しさも見受けられなかった。
どころか感情さえ見られなかった。
綺麗なだけに不気味だった。声に現れていた怒りのようなものもない。
うるさい心臓の音と目玉を上に動かすのに疲れたので、ふっと気を抜くと・・・そのまま意識を失った。