2日目
ぐおんぐおん、という轟音で目が覚めた。
はめ殺しの窓ガラスの向こうは暗い。まだ夜なのかと思って時計を確認したら既に朝の7時を過ぎていた。
小屋全体を揺らすようなうねる音は今も続いている。うん、これは大雨強風の真っ最中だね。
「おのれ気象庁、たばかったな」
気象予報士に恨みをぶつけるが、よく思い出してみたら天気予報を見ていなかった。冤罪だ。
ガラス窓を打ち付ける音の勢いを聞く限り、とても山歩きの出来そうな天気ではない。囲炉裏に薪を足して火を強くした。シュラフにもぐりこんで、空になったコンビーフの缶に焼酎を注いで直火で燗をする。寒いときはこれに限るわい。
ふつふつと暖まってきたら鉄串で挟んでマグカップに注ぐ。ふーふー吹いてチビチビと舐めると、おぉ身体が温まる。昨日もらったキノコもまだ沢山あるから炙って食べよう。どれも美味しくて良いつまみになる。
今日はここで暖まりながら雨宿りをしよう。雨が止んだってすぐに出ては道がぬかるんで危ないはずだ。
昨日のスーパーマリオみたいなキノコが半分残っていたので、また炙って食べることにする。美味しんだよなぁ、これ。
鉄串に刺して炙ると、キノコから汁が垂れて炭に落ちる。ジュワっと蒸気が上がる。忍者が逃げるときに使う煙玉のように、いやに量の多い蒸気だった。
もうもうと立ち込める煙がはれると、そこに誰かがいた。
「……どちらさま?」
ゴスロリがいた。いや、甘ロリっていうんだっけ。わかんないや。なんかピンク色のふわふわした服に、室内なのに赤い水玉の日傘まで差している。
どう考えても山小屋に不釣合いなドレスっぽい服をきている女の人が、そこにいた。
「あら、おはようございます」
こいつ、喋るぞ。
柔和な笑みを浮かべて優雅に朝の挨拶なんかしてくるところを見ると、どこか良いところのお嬢様に見える。今の一言で判断すると、きっと「おっとりおっぱい」属性の人だ。
ドレスの胸元がざっくり開いてるから、肌が白くておっぱいがデカイのが丸分かりだ。全くうらやましい。全国のAカップに謝れ。
「あ、ええっと、はい。おはようございます」
下半身をシュラフに突っ込んだままで軽く頭を下げた。同年代の女の子と話すのは何ヶ月ぶりだろう。
半年前にコンビニで「お弁当温めますか?」って聞かれた時以来かもしれない。いや、あの時も声出さないで首振っただけだから軽く1年は会話していないな。我ながら酷い。
「雨が凄くて、雨宿りさせてもらいました」
しかも私が気づかなかっただけでずっと山小屋の中にいたらしい。暗いから隅っこに居たら分からなかったよ、ごめんなさい。
しかし、この人はドレスで山に登ってたのか。見た目に寄らず傾奇者だ。ニコニコしてるけど普通の人じゃないぞ。
「すみません、気づかないで一人酒なんかしちゃって」
「いいえ、とても美味しそうに召し上がっていらっしゃるから、見ていて退屈しませんでした」
うわああああああ、悪意はないんだけろうけど恥ずかしい。
えへへ、済みません。と愛想笑いを浮かべながらコンビーフの缶に焼酎を入れて差し出してみる。
「よろしいんですか?」
自分で出しておいて何だけど、本当に飲む気か。ピンク色のドレス着た人が飲むもんじゃないよ、空き缶に入れた焼酎って。
おっぱいドレスさんは事も無げにコンビーフの缶を持ち上げて傾ける。コクコクと喉を鳴らす飲みっぷりはなかなかだ。
ほぅ、と頬をほんのりと染めて息を吐き出す姿は艶かしい。私が男だったら押し倒してたね。そのデカイおっぱいを揉みたい。ぐへへ、声を出したって誰もこねえんだぜ。
「アマニタ・ムスカリアです」
「はい?」
「私の名前です」
自己紹介だったらしい。遅れて私も名乗る。
アマニタさん……どういう漢字だろう、天仁田かな。ムスカリアって名前だし、外国人かも。日本語ペラペラだけど。
うーん、床にペタンと座っているけれど身長はかなり高そうだ。外国人説を採用しよう。
「は、はろー」
「ハロー」
ノリが良い人だ。コンビーフを授けよう。
差し出した未開封のコンビーフの缶を受け取ったアマニタさんは手の中で転がしながら興味深そうに観察している。もしかして開け方が分からないのか。
一度返してもらって、付属のピンでクリクリと缶の横を剥がして行くと、アマニタさんは大きく目を見開いて驚いていた。
カポッと缶の半分を取り外して手渡す。その手つきはおっかなびっくりだ。もしかして缶詰自体を始めて見たのかもしれない。
「まるでムキタケみたいですね」
「何それ。キノコ?」
「はい、湯がくと皮が剥けるんです」
へぇー。おじさんから貰ったキノコ袋に入ってるかな。袋を渡して「この中にある?」と聞いてみる。
「これは……」
「あった?」
「ツキヨタケです。見た目はムキタケに非常に似ているのですが猛毒で死亡例もあります」
「危ねぇな!」
知らなければ危うく食べるところだったよ! ダメじゃん、あのヒゲ親父。
心の中でおじさんの地位がグンと下がった。
「月夜さんは間違う方が悪いって言うんですけどね」
「誰それ」
誰か知り合いっぽいけど、それよりも毒キノコの方が気になる。
「他に毒のキノコ混じってない?」
キノコの知識なんか無いから見た目じゃどれが毒か分からない。アマニタさんは詳しいみたいだから判別してもらおう。
「あ。これは」
「毒キノコ?」
「ヤマドリタケです。食べられます。珍しい物ですが、とても美味しいですよ」
このキノコは大丈夫らしい。見た目が地味だからといって毒が無いとは限らないのが恐ろしい。
串に刺して炙ってみる。じゅわじゅわと汁が垂れて良い匂いがしてきた。匂いは松茸に似ているかもしれない。
「火を通した方が香りが良くなるらしいですよ」
「確かに良い匂いだね」
この匂いを霧散させるのは勿体無い。急いでアルミホイルを取り出して、軽く炙ってあるムクドリタケを入れる。ポン酢と柚子胡椒をかけて、そのまま包み込んで囲炉裏の中の火のあたるところに置いた。なぜ私はこんなに調味料ばかり持ってきたのか。我ながら不思議だ。
5分もすれば閉じた口から水蒸気が出てくる。蒸気の勢いが弱くなるのを待ってから手元に手繰り寄せてアルミホイルの口を開けると、ぶわっと強烈な香りが広がった。松茸の匂いだ、それにポン酢の柑橘の香りと柚子胡椒のピリリとくる刺激がたまらなく食欲をそそる。
箸で半分に裂いて片方をアマニタさんに渡す。残る半分のヤマドリタケを前歯でかじると、エリンギのようなコリコリした食感が伝わってくる。バターがあればバター醤油も良かったかもしれない。つくづくバターが無いことが悔やまれる。
「キノコの食べ方も詳しいんだね」
「ポルチーニさんに教えてもらったんです」
「イタリアの人?」
「白くて長い帽子をかぶってて、お料理が上手なんですよ」
どうやらコックさんらしい。お嬢様は交友関係も広いな。
二人でむぐむぐとヤマドリタケを食べながら焼酎を呷る。焼酎の銘柄をブラックミストアイランドって書くとホラー映画のタイトルみたいだけど、飲みやすくて大好きです。キノコが美味くて酒が捗る。困るわぁ。
いつまでも空き缶では申し訳ないので私のマグカップでお湯割を作ってアマニタさんに渡した。自分のは空き缶で十分だ。
「お酒がお好きなんですか」
「たしなむ程度には」
誰にも飲み会に誘ってもらえないからいつも一人で飲んでました。今日は一人じゃないからお酒がとても美味しいです。
「お酒がお好きならヒシメキさんとお話が合いそうですね」
「知り合い多いんだね」
また知らない人の名前がでた、まったく羨ましい。一人くらい紹介してくれないかな、人見知りだから紹介されても黙ってるだろうけど。
空き缶を傾けながら焼酎を舐めていると、アマニタさんがキノコ袋の中から黒くてぬめっとしたキノコを取り出した。
「これがクロカワです。お酒に合うんですよ」
「クロカワさんですか、はじめまして」
キノコ相手なら何気なく初対面の挨拶も出来るというのに、どうして人間相手になると緊張して黙り込んでしまうのか。いただきます。
とりあえず串に刺して直火で炙ってみる。白かった傘の裏が黒くなってきた。名前の通り傘の部分は黒い皮みたいになっているし結構見た目が地味だ。
満遍なく火を通したら、また半分に割ってアマニタさんに渡す。自分の分に醤油とポン酢をかけてかぶりついた。
「う゛あ゛」
苦い。
「クロカワは苦味が特徴なんです」
先に言って欲しかった。
クロカワさんあなた苦いよ。苦いけど美味しいよ。たまらずに焼酎に手が伸びる、これはもう仕方ない。苦美味いと苫小牧って似てるよね。焼酎お代わり下さい。
あぁこの苦味、もっと度数の高いお酒で合わせて飲みたい。焼酎じゃなくて日本酒の方が合うのかもしれない。
アマニタさんは顔色も変えずにキノコを食べながらマグカップに入れた焼酎を空にしていた。この人ザルか。すかさずマグカップを受け取ってお湯割を作る。
パクパクと食べ続けていると、今度はアマニタさんが袋から小さい芋を取り出した。なんぞこれ。あのおじさん、芋も入れてくれたのかな。
「松露です」
「おー、名前は知ってる」
食べたことは無いけど、何だかお値段が高いイメージだ。
「春先や秋口に浜辺の松林で取れるんですけれど、山の中でも取れることがあるそうです」
アムニタさんが「寒いのに水着で動き回って信じられませんよね」と言いながらパカッと半分に割ると外側の芋っぽい色とは反して中身は真っ白だった。
「米松露ですね。新鮮で一番美味しいタイミングですよ」
なにやら種類があるらしいけれど、美味しいのであれば何も言うことはない。
これは良い香りがするからホイル焼きだ。ポン酢を垂らしてアルミホイルに包んで火の中に放り込む。
数分待ってから取り出して口を開けると、ふわりと広がる爽やかな香り。なんだこれフルーティな感じがする。
醤油をちょろっと垂らして半分に割れたキノコを口に入れてみると、不思議なことに食感はサクサクしていて味も美味しい。
「これだけ白い物は地中に潜っているから見つけ辛いんですよ」
「へぇ、あのおじさん凄いなぁ」
地に墜ちていた心の中のおじさんの地位が少しだけ上がる。
独特の歯ごたえがある松露を齧って焼酎を飲み続けていると、なんだかお腹一杯になってきた。
「ふぁ、何時だろう」
ずっと飲んでたから時間の感覚が分からない。腕につけたアナログの時計を見ると朝見たときと同じ7時過ぎを差していた。
「ん? 12時間も飲んでたってこと?」
いやいや、そんな馬鹿な。いくらなんでも、そんなに飲み続けてお酒が足りるわけが無い。せいぜい数時間でしょう。
目をこすってもう一度腕時計を見ようとすると、急にお腹がきゅーっと痛くなってきた。
「あ、あれ。何コレ、お腹イタイ」
サーッと頭から血の気が引いていくのが分かる。良く分からないけどやばそうだ。座っていられなくなってその場で倒れるように横になった。
身体が冷える、ひたすらに寒い。奥歯がガチガチと鳴る、目の前に暗幕が落ちるように暗くなっていく。それから意識を手放すのはすぐだった。