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1日目

 秋深き隣は何をする人ぞ。

 松尾芭蕉のことなんか大して知らないけれど、有名な俳句くらいは聞いたことはある。

 隣の人が何をしているのかは分からないが、私は体重計の上に片足で乗るという悪あがきをしていた。

 天高く馬肥ゆる秋。とは言うものの肥えるのは馬だけじゃない。マイ体重計が新記録を樹立するのを見下ろせば、頬の肉が重力に負けて下がる気がした。


「マジかー」


 薄々そんな気はしていたが、必死で目を逸らしていた。太ったにしては胸が大きくならないから気のせいだと思おうとしていたのだ。でもお尻の入らない服が増えてたのは気のせいじゃなかった。

 気のせいだと思うには無理があった。何せもう着られる普段着が無い。胸だけはぴったりだけどな。尻が入らんのだよ。

 ポテトさんやパンプキンさんがコンビニに行く度に誘惑してくるのが悪いんだ。ああ、秋のスイーツフェアが憎い。いえ、ごめんなさい。悪いのは私です。分かってます。すみません。誘惑に全敗してました。

 こうなれば増えたものを減らすしかない。ダイエットだ。去年の今頃もそう決意してダイエットを成功させた経験がある。

つまり、去年から何も学んでないという意味だ。うるさい知ったことか。今年もやってやろうじゃないか。


 一年ぶりに引っ張り出した登山服は今の体型にぴったりだった。それら身に着けて大学から少し離れたところにある山へと向かう。

 行楽シーズンになるとそれなりに観光客でにぎわう家族ハイキング向けの山だけど、登山道から頂上へ到達したら更に縦走して隣の山を目指すことも出来る。

 大体、三日間くらいの目安で山岳小屋に泊まりながら隣の県まで移動するのだ。道のりはハイキングの延長のようなものでなだらかな山道が続く感じだから、そう危ないことは無いが縦走を始めてしまうと途中で止めることが出来ない。だが、これをやると確実に5kgは減るのだ。手の届くところに甘いものがあると手が伸びてしまうから山篭りして食料を制限し、無理やりに運動量を増やす。これを私は脳筋ダイエットと呼んでいる。

 こんな方法でしかダイエットが成功しないのは自衛隊に勤めている父親の影響だろう。おのれ脳筋のDNAめ、少しは理性の因子を遺伝子の中に組み込め。


 それでも山に到着して歩き始めてしまえば、いとも容易く脳内麻薬が分泌されて楽しくなってくる。ランナーズハイと言うやつだ。


「うへへへ、燃えてる、私の脂肪が今燃えてるよぉ」


 気味の悪い独り言を発しながら一人で山を登る私は、下手をしなくてもヤバイ系の自殺志願者にしか見えないだろう。カップルは目を逸らし、家族連れは「見ちゃいけません」と離れていく。絶好の行楽日和の山中で、徐々に距離を置いて私の周りだけ人がいなくなった。うへへ、寂しい。

 重い身体を引き摺るようにして最初の山の頂上に到着した。ここでお昼休み。山頂には売店もあって暖かいご飯を食べることも出来る。

 山道に悲鳴を上げている脚をマッサージして、ほどほどに休憩したら下山する観光客とは逆方向に足を向け、いざ縦走を目指す。


「お姉さん、去年もこなかった?」


 売店のおじさんが声をかけてきた。女一人で山に入る不届きものことを、どうやら覚えていてくれたらしい。おじさんは三船敏郎にちょっと似ててカッコいい。

 コレ持っていきなよ、とビニール袋一杯に入ったキノコをくれた。山でとったキノコを売店で売ってるのだが、見た目が良くなかったり小さかったりで売り物にならないのを自分で食べる用に分けてあったらしい。

 また来年も来てよ、とウィンクする姿はチャーミングだ。結婚して下さい。

 今日の晩御飯にします、とお礼を言って山頂を出発した。


「ぐへへ、低カロリーで美味しいキノコだよぉ。おぉ、カロリーが更に燃える……!」


 独り言の声を大きくしながら山の中を進む。日が沈むまでに無人の山小屋まで到着するのが今日の目標だ。明日は1日かけて更に隣の山まで行って、同じように山小屋に泊まる。最終日は下山するだけだ。

 途中、何度か座り込んで水筒から水分を補給。パンパンに張ったふくらはぎを揉み、適当な木の棒を杖代わりにして山道を進む。鳥がチチチと鳴くのをBGMに進む。寂しく一人で進む。小鳥でさえカップだというのに、私ときたら。おかしいな、楽しいのに涙が出てくる。


 秋の日はつるべ落とし。山の上は日が沈むのが遅いとはいえ、傾き始めた太陽はあっという間に地平線に潜り始めている。

 星明りがチラチラと見え、空気が冷え込むのを感じ始めたところで目的にしていた山小屋へと到着した。


 山小屋の中は、去年も誰も居なかったが今年も誰も居なかった。誰も使っていない割には綺麗になっているので、定期的に誰かが掃除しているんだと思う。もしかすると売店のおじさんかもしれない。

 この山小屋の素晴らしいところは、小屋の中に囲炉裏があるところだ。

 前に来た人が置いていったらしい薪が小屋の隅に積んであったのでありがたく頂いて、持参した着火剤で火をつける。灰の中に埋まっていた炭も掘り起こして格闘すること30分。何とか火が安定した。


「つっかれたぁー」


 火に当たりながら息を思い切り吐き出したら囲炉裏の中の灰が舞った。咳き込んで後ろを向く。

 丁度、背中においてあったリュックサックを開けて食べるものを取り出した。カンパンとコンビーフ。それからキノコが大きな袋にたっぷり。あとは水と焼酎、それに調味料が少々。着替えなんか無い。大変、私の中の女子力(おとめ)が息をしていないの。


 昔から父親に連れられて山登りに慣れてしまっていて、偏った知識の装備を正式なものだと思い込んでいたのは私の黒歴史だ。中学校の遠足でハイキングに行くときも担任の先生に「焼酎はおやつに入りますか」って聞いて……ぁあああああ、ヤメだ。暗い気持ちになってどうする。

 コンビーフの缶を空けて上半分だけ缶を取る、それを囲炉裏の火に当たるようにして灰の上に置くとジリジリと焼くと肉が焼ける匂いが立ち込める。塩気のある香ばしい肉の匂いがたまらんですよ。

 少し焦げてきたコンビーフをちょいと引き寄せて、火の通った部分を箸で摘んで口に入れれば、はははコヤツめ、ホロリと肉が崩れよるわ。焼酎も美味しいです。

 チロチロと焼酎を水で割って舐めながらコンビーフを焼いてチマチマと摘む。塩気が強いから、ちょっとずつ食べるくらいが丁度良い。同時にカンパンも食べる。水気の無いビスケットみたいなカンパンに、コンビーフを乗せて食べる。コンビーフの塩で唾液が分泌されて、カンパンがふやけて食べやすくなる。適度にガリガリと噛み砕いたら焼酎で流し込む。

 去年、私がこの山で脳筋ダイエットやってる間に大学のクラスメイトは集まってリッツパーティしてたらしい。シャンパンとかボジョレーとか開けながら、リッツにおしゃれなものを沢山乗っけて食べていたそうだ。学食で一人でご飯を食べていたら、そんな話を耳に挟んだ。

 それを聞いてうらやましかったので、今年は自分でリッツパーティしてやろうと焼酎とカンパンとコンビーフを買い込んでリッツパーティを目論んでいたものの、おっかしいなぁ。これ、私の知ってるリッツパーティと違う。

 そもそもリッツがどこにも無いことに気づくべきだった。畜生、リッツって何だ。リッツが知りたい。

 コンビーフがなくなったところで貰ったキノコの袋を開けた。いろんな種類のキノコが入ってる。


「これ……食べて良いやつかな?」


 スーパーマリオに出てきそうな真っ赤なキノコが入ってた。そこらへんに生えてたら絶対に口に入れないようなキノコだ。でも、あのおじさんが入れてくれたやつだし、きっと食べられるよね……? これ以上、体が巨大化してしまうと困る。

 脳内でおじさんのウィンクする姿が浮かぶ。アルコールで妙な方向に回転数の上がった脳味噌は即座に「了承」の判断を下し、私の肉体はその命令に従ってキノコを摘んで半分に裂き、鉄串に刺して火で炙った。


「お、結構良い匂いするじゃん。さすがおじさんだ」


 名も知らぬおじさんを褒めながら、キノコを回転させて満遍なく火で炙るるとキノコから水分が出て炭に落ち、ジュッと白煙を上げる。


「あちっあち」


 焦げ目のついたキノコを繊維に沿って裂いてみる。ほわっと湯気が上がった。美味しそうだ。

 プラスチックの魚の形をした醤油入れを取り出す。魚の口についている赤い蓋を取って、キノコにちょっと垂らしてから一切れ口に入れてみる。舌が痺れたりしたら吐き出そう。


「あれ……結構いける」


 結構どころじゃない。かなり美味しい。キノコの独特な美味しさがふんわりと広がる。痺れたり苦かったりもしない、大丈夫だ。これは良いキノコだ。

 ほっふほっふと息を吐き出しながら赤いキノコを裂いて口へ運ぶ。醤油が無くても美味しい。じんわりと染み出してくるキノコの美味しさが後を引く。なんていう名前だろう。スーパーでは売ってないだろうから、貴重な茸なのかもしれない。ありがとう、おじさん。

 焼酎を傾けながら色々なキノコを炙って食べていく。シイタケも店で売っているような可愛らしい大きさではなくて、私の手よりも大きいようなだったりするけれど大味になっていなくて美味しい。

 鉄串に刺して傘を裏返した状態で焼いていると、キノコの汁がじわりと傘の中にたまってくる。それがこぼれないように手元に引き寄せて、醤油をチュッっと入れてから食べる。少し焦げたシイタケの香りが醤油に合さって美味しい。プリプリとした食感が楽しい。しかし、それだけに惜しい。いまバターと交換が出来ると言われれば、私は悪魔に魂を得っていたかもしれない。

 お腹も大分、落ち着いて眠たくなってきた。火を弱くすると直ぐに寒気が襲ってくる。身震いするほどの寒気に、急いでシュラフを取り出して包まった。すぐにまぶたが落ちてくる。世界の皆さん、お休みなさい。


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