2・人権的にどうなのよ?・2
サレイの手の中には小さな包みがある。あとは渡すタイミングだ。
楽しそうに店を覗きながら前を歩くリィリーの小さな背中を眺めながら、どこで渡そう、と、彼は悩む。
渡すときに告げるつもりだった。
これから先も一緒に旅をしたい、と。
まだ彼女のほうはサレイのことをどうこう思ってはいないのは様子からなんとなく分かる。
でも、一人で旅をしていると言う彼女を放っておくことはできない。
まだ幼さが残る彼女、しかも美しく可愛らしい。性格も穏やかで、争いごとなど考えることも出来なさそうな印象だ。
護ってあげなければ!
何度目か分からないが意気込むサレイは……街道で彼女が魔法を使ったことは忘却しているようだ。攻撃的な魔法を使わなかったため、印象が薄いのかもしれない。
それとも、都合よく脳内変換したか。
――後者の可能性が高い。
男が燃えているのを気がついているのかいないのか。リィリーのほうはマイペースに店を覗いて楽しそうだ。
あどけない微笑を浮かべて楽しそうな少女に道行く男性が見惚れるが、サレイが睨みつけ、威嚇するので近づけない。
悔しそうによけていく。ちょっと優越感に浸るサレイと、全く気にも留めていないリィリー。
そんな風に時間を潰していると。そのうちパッパラッパラーとラッパが吹き鳴らされた。
メインイベントがもう少しで始まる合図だ。
「あ、始まるみたいですね」
リィリーは周りを見渡す。プレートをつけている男女がそれぞれ逆方向に走っていく。男女で集まる場所が違うというのは、宿で聞いていた。
「じゃ、サレイさん、お祭り楽しみましょう」
「うん、リィリーさんも楽しんでおいで」
サレイは青いプレートをつけている男たちと、リィリーはピンクのプレートをつけている女とちと同じ方向に歩いていった。
何が始まるのか、予備知識といえばこれが恋愛と結婚の神様を崇めるお祭りだというくらいだ。
さて、一体どんなイベントなのか。
単純に楽しめればいいなと考えていたことを、二人が悔やむまで――あと少し。
***
すたあと地点。
ピンク色の文字で地面に書かれている場所には、たくさんの女性が立っていた。
皆、リィリーと同じくピンク色の文字が書かれたプレートを身体のどこかにつけている。
比率的には若い人が多いが、中には年かさの人がやはりいる。いないのは幼児、子供だけだ。
リィリーくらいの年頃の娘も数人見受けられる。
唯一、彼女らに共通しているのは、目の真剣さだった。恐いくらいに真剣である。特に年かさの人が恐い目つきだった。
簡単に言うなら――飢えた野獣のような目だ。
猛烈に恐い。一体何が起こるのか。参加しないほうが穏便に過ごせそうな雰囲気だが、女性 たちが引く様子はない。
リィリーはちょっと隅のほうによって、何が起こるのだろうと首をかしげた。
なんというか、これからバトルロイヤルでも始まりそうな雰囲気なので、中心に混ざるのは危険なような気がする。
やっぱり闘技会か何かなのだろうか? でも恋愛の神様が闘技など喜ぶだろうか? ハテナマークが彼女の頭上を飛び交う。
恋愛はある意味戦いだと、恋の経験のない彼女はまだ知らない。
そして、結婚もたどり着くまでは戦いだ。
たどり着いたらついたであきらめに変わるのだが、それも年若い彼女には知る由もない。
同じ場所にいる女性たちに、これから何が起こるんですかと訊いてみようかとも思うが、彼女らがまとう殺気のような真剣さが、それも許さない。
声をかけるのも恐いのだ。
やっぱり帰ろうかな、とリィリーが考え始めたとき、すたあと地点にラッパをもったおじさんが立った。
リィリー以外の女性たちが今にも走り出したいというように前のめりになる。
「??」
わけが分からず突っ立っているのはリィリーだけだ。
これからメインイベントが始まるのだろうということくらいは分かるが、どうしてみなさんこんなに殺気立っているのだろう。
そして、何の説明もされないのは何故なのだ?
パッパラッパラー!
ラッパが吹き鳴らされた。ほぼ同時に、離れたところからもう一方のラッパが聞こえてくる。
パッパラッパラー!
瞬間、地響きが起こった。
ズドダダダダダダダッ!!
音を立てて女性たちがいなくなる。
残されたリィリーはきょとんとするだけだ。
これは一体なんなのだろう?
「あ、あのう」
ラッパを吹き鳴らしたおじさんに物問いたげに視線をやると、おじさんはグッと親指を立てた。ガンバレ! とか言いそうな素敵な笑顔だ。
「いえ、そうじゃなくて……」
「早く行かないと取られちゃうよ!!」
「がんばれー、おねえちゃんっ」
見ていた子供から声援が飛ぶ。
取られる? 何を? わけが分からないが、とりあえずリィリーは先に走っていった女性たちの後を追うことにした。ついていけば何が起こっているのか分かるかもしれない。
メインイベントは街のかなり広い地域で行われているようだった。ほとんど街の全域を使っているような感じがする。
でも、何が行われているのかが見当がつかない。何か探すのだろうか?
何の説明もされなかったので分からないことだらけだ。普通こういうイベントの寸前にはこれから大体こんなことをしますよと説明があるものなのだが。
分からないなぁ、とリィリーが困っていると、どこかから声が聞こえた。
「うおぉぉおおぉおお!! おぉ女ぁああああっ!!」
「イイ男ぉおおおおおぉっ!!」
魂の叫び。そうとしか思えない勢いだ。
何が起こったんだろう、と周りを見回す彼女の耳に、破壊音らしき大きな音が聞こえてくる。
よーく耳を澄ますと、剣戟らしき金属音まで聞こえてくる。
イベントが始まる前に、バトルロイヤルでも始まるのか、と危惧していたのだが、本当にどこかで戦闘が起きているのか。
「……街、だよね、ここ? 恋愛の神様のお祭りって、言ってなかったっけ??」
自信なさそうに呟くリィリーだ。音の勢いからして、本気バトルのような感じがする。
周りを見るが、町の住民はのんびりしたものだ。あわてている人は誰もいない。むしろなにやらほのぼのと過去を振り返るような遠い目をしている人もいた。
「??」
ますます分からなくなるリィリーだ。
ドドドドッ。地響きがする。何かがこちらに向かっているような音だ。逃げたほうがいい、直感がそう言っている。リィリーは身を翻し、近くの路地裏に逃げ込んだ。そっと覗き込むと、血相を変えた男性たちがきょろきょろと周りを見ながらすごい勢いで走ってゆく。
何か探しているようだった。
「? ?やっぱりなにか探し出すのかな……宝探し、とか??」
それにしては男性たちの表情が鬼気迫る感じだった。
平たく言えば、またもや『恐い』だ。ちょっと近寄りたくない感じだった。
「……どうすればいいんだろう??」
とりあえず、路地裏を反対方向に進んでみる。さっきの血走った男たちが走っていった道に出るのはちと恐い。初めて来た街なので、迷子にならないように目印になりそうな建物を覚えつつ、違う道に出た。
そこへ、
「お、お嬢さん!」
二十代半ばくらいの一人の男が声をかけてくる。胸には青い文字のプレート。番号は五十五番。
「はい? わたしですか?」
呼びかけられて、リィリーはきょとんとする。
「ぷ、プレート持ってますね!?」
「は、はい」
血走った目で詰め寄られ、リィリーはちょっとのけぞりながら答える。男は彼女の肩にあるプレートを確かめ、それから彼女の両手をがしっと掴んだ。
「!?」
「ぼ、僕と――」
ばき! 男の後頭部で鈍い音がした。ずるずるとリィリーの手を握っていた男は倒れる。完全に白目をむいていた。
殴り倒したのもまた男だ。リィリーより少し年上だろうか。サレイより若い感じがする。やはり胸には青文字のプレート。四十七番。
「えと、なにをしてるんですか?」
いきなり殴り倒すなんて、強盗かなにかだろうか? 呆然とそう問う彼女に、若者は無言で手を掴んで走り出した。
「へ!? あ、あの!」
「いいから、早く!」
何かから逃げ出すような、切羽詰った感じだ。わけの分からない彼女の手を引いて、若者は近くの路地に飛び込み、物陰に彼女を押し込む。
「あ、あの」
「しっ!」
黙るようにと合図して、若者はそこらへんの荷物を積み上げ、外の路地から彼女と自分の姿を隠した。
「よし、これでしばらくは安心だ」
「え……と」
リィリーはさりげなく腰の後ろの剣に手をやった。剣を留めているリボンがするするとひとりでにほどける。
「あの、もしかしてヘンシツシャですか? ゴーカンマとか、そういう類の。でしたら、それなりに抵抗しますけど」
あどけなく問いかける彼女は、後ろ手に剣を抜いている。路地裏に女の子を連れ込んで、なおかつ表通りからは見えないように荷物を積む。これがヘンシツシャでなくてなんだというのだろう。
「ち、違うよ!おれはただ――」
彼女の反応にあわてて若者は手を振って否定したが、次の瞬間積み上げた荷物と一緒に吹き飛んだ。風系の魔法だ、とリィリーには分かる。
「ふん、こんなところに女性を連れ込むとは、この変態め。マナーをわきまえろ若造」
言い捨てたのは魔導師風の男だ。三十は超えているだろうか。マントに青文字プレートをつけていた。数字は十九。
「お嬢さん、この変態に何かされなかったかね? 嫁入り前の大事な身体だ、こんな変態についていってはいけない」
「いえ、ついていったというか、連れてこられたんですけど」
ひそかに剣を収め、リィリーは怪訝な表情だ。なんだかこの男の人もタイミングが良すぎるような気がする。リィリーが引っ張り込まれるのをたまたま見ていたというのならそれまでの話だが。
「む、強引だな。女性はもっと大切に扱わねば。これだから若い者は」
なんとなく、この人は話が通じそうだな、とリィリーは思った。ほかの男たちは目が血走っていたのだが、この人は落ち着いた感じだ。
「あの、何が起こっているんですか?」
「ふ、イベントさ。この街独特の……そう、独特のものだ」
「それがよく分からないんですけど」
「なに、心配することはない。私がついている」
男はそっとリィリーの手を取った。こいつもさっきの男と同類らしい。
「君は私が護るよ。誰からもね――」
かっこつけたおじさんは、いきなり倒れた。ひょいと身軽に彼を避けたリィリーは遠い目になる。さっき魔法で吹き飛ばされた若者が復活して魔導師に足払いをかけたのだ。顔面から倒れた魔導師は、鼻血を吹き出しながらも起き上がって若者と対峙する。
「いきなりとは卑怯な……お嬢さんを路地裏に連れ込み、なおかつ不意打ちか。卑劣の塊のような男だ! そんな男にこのお嬢さんは渡せんな!」
かっこいいセリフだが、鼻血。
「何を言う! 彼女を幸せにするのはおれだ!!」
でもって若者は頭から流血している。怒鳴りあっているより、お互い早く病院か施療院に行ったほうがいいような気がしているリィリーだ。
「あの」
「尻の青い若造が!」
「えーと」
「ふん! シワだらけのおっさんが!!」
「……」
呼びかける彼女を無視して、エスカレートしていく鼻血魔導師と流血若者の路地裏バトルロイヤル。
リィリーは黙って身を翻した。
放っておいても、大丈夫だろう。お互い血の気が多そうだし、さすがに死にそうになる前に止まるとも思うし。
路地裏から表通りに出た彼女に、気配が殺到する。
「!?」
その全てが男だ。青いプレートをアチコチにつけている男たち。
ビックリして思わず固まる彼女を、男の一人が抱き上げた。
「え!?」
声を上げた瞬間、男は別の男にタックルを受けて倒れこむ。一緒に倒れかけたリィリーをすくい上げたのもまた別の男。男性は彼女を抱えたまま、ほかには目もくれず走り出す。
「え、ち、ちょっと。いきなり何――」
彼女を抱えている男も顔がこの上もなく真剣で、恐いくらいだ。
「あ! てめーっ!!」
「その娘は俺んだーっ!!」
怒声が後ろから飛んでくる。ばたばたとほかの連中も後を追いかけてくるのが音で分かった。
一体何が起こっているのやら。
「あ、あのう」
自分を抱えている男に向かっておずおずと話しかけると、
「心配するなっ! オレが必ず幸せにしてやるッ!!」
男はそう叫んだ。リィリーは眉を寄せる。何を言っているのだろうこの人は。
「は?」
いぶかしげな彼女に、男はふんっと鼻息をはいてから叫んだ。
「鐘が鳴るまでに逃げ切れば、オレとあんたは晴れて夫婦だッ!!!」
はい、そういうお祭りです(エー)