1・最高だったり、最悪だったり・5
視線が集まってとても恐いが、一旦席についてしまっているので、何も食べずに出て行くというのもやり辛い。ひきつり笑いながら壁に張ってあるメニューを見上げる。
「え、と、じゃあ、その香草焼きと、果物と……あと、ああ、レドラ牛の角切りステーキに……ふかふか揚げパンってやつ二人前。リィリーさんは、何がいい?」
「あ、そう、ですね……えっと、わたし、クリームシチューと、ふかふか揚げパンとシーフードサラダでおねがいします」
はいはい、と注文を取る店主に、おずおずと声をかける。
「あの……明日のお祭りって……」
店主はちらっとリィリーのマントの肩部分につけられているピンクのプレートを見、サレイの胸元の青いプレートを見た。それからうんうんと頷いて、
「明日になれば分かるよ」
にやりと心から楽しげに笑っている。説明する気はなさそうだ。
リィリーとサレイは顔を見合わせた。
「……わたし、なんだか恐くなってきたんですけど」
「うーん……でも、お祭りだっていうし……そんな変なものではないと思うんだけど」
「でも……」
リィリーは不安げに視線をずらす。サレイの背後で、カウンターに座っている男たちがさっと視線を逸らした。なかには彼女に向かって手を振るような男も居たが、ほかの連中に殺気混じりに睨まれている。
「なんか、変ですよね?」
「うん」
それは断言できるサレイだ。彼も横目で近くを窺うと、やはりこちらを見ている視線とぶつかる。こっちは女性だ。
この街の人らしい彼女はサレイの視線に気がつくと、うふっと笑って軽くウィンクしてきた。
「……なんだろうなぁ、ほんとに……」
モテている、のだろうか。普段なら手放しで喜ぶところだが、今は目の前にリィリーが居るのであまり嬉しくなかった。ウィンクしてきた女性より、リィリーのほうが遥かに可愛い。
リィリーも男たちの視線を一身に浴びて居心地が悪そうだ。あまり見るなと言ってやりたかったが、目をやると逸らすので注意もしづらい。
仕方なく、食事が来るのを待つが、なんだか生き地獄のような心境だ。
……居づらいことこの上ない。
食事が来るまで、とても長かったような気がする。
「はいお待ちー」
次々と運ばれてくる食事は、確かに美味しそうだ。こんな状況でなければもっと美味しそうに見えたかもしれない。
運んでくる店の主人に、リィリーがもう一度問いかける。
「あのぅ……お祭りって何のお祭りなんですか?」
店主はリィリーが恐がっているのを感じ取ったのだろう。さっきは含みのある返事をしたが、今度はにこやかに微笑んであっさりと説明する。
「恐がることないよ。恋愛と結婚の神様のお祭りだからね。ほら、街の真ん中の石像見ただろ? あれがその神様だよ」
「え、そうなんですか?じゃあどうして皆さん……」
あんなに殺気立っているのだろうか。隠れるようにひそひそと店主は二人に囁いた。
「……恋人も結婚もできない連中はいるからね」
「あー……」
サレイがうつろに笑う。ということは、睨んできたのはそういう人達だということか。
それにしては数が多かったような気もするが、とりあえず納得した。
恋愛と結婚は相手が居ないと成り立たない。出来ない人たちから見れば超美少女のリィリーと一緒に居るサレイを憎みたくもなるだろうし、男連れのリィリーを睨みたくもなるだろう。
例えそういう仲でなくとも、年の近い男女が連れ立って歩いていれば、ちょっと見にはそう見えるだろうし。
「明日、相手が居れば神様の祝福のもとで結婚できるからねえ。だから皆気が立っているのさ。特に、相手が居ない連中は、ね」
「はー、なるほどな」
サレイはちょっとにんまりしている。リィリーと恋人同士と思われているのだと考えると、正直に嬉しい。
「そういうことで、恐い祭りじゃないよ。楽しんでいくといい。そっちのお嬢さんもね。ぜひ参加していって」
再びにやりと笑って店主は言う。
「え、ええ……ありがとうございます」
リィリーは複雑な表情だ。恋愛はともかく、彼女の年頃で結婚など考えるような年ではない。
もう数年は先の話であろう。かと言って、せっかく教えてくれた店主につっけんどんにするのもどうかと思い、あいまいに微笑む。
店主が行ってから二人は食事を始めた。
理由が分かったので、見られていてもさっきよりはなんとなく気が楽だ。
「恋愛と結婚の神様かぁ……あとでお参りでもしていくかい?」
サレイが笑うと、リィリーは困ったような表情になった。
「……あんまり、考えたことないです」
「え、そうなの? リィリーさん、そんなに美人なのにもったいない」
まだ年若いとはいえ、これほどの美少女なら引く手あまただろう。
サレイだって結婚までは行かないが、それなりにそういう話はあった。根無し草のような生活をしているので、大概が続かなかったが。
「故郷ではモテたでしょ?」
「んー……そうでもないですよ?」
「ええ? リィリーさんの故郷の連中、目が悪いなぁ。こんなに可愛いのに」
リィリーがうつむいた。恥ずかしがっているようなしぐさに、サレイはハッとなる。
これでは口説き文句だ。
「あ、いや、その、そういう意味じゃなくてっ、いや、でも、嘘じゃないよっ? ほんとにそう思ってるんだけどっ、ってあああ、う〜〜〜」
リィリーの初々しい態度に、サレイまで恥ずかしくなってあわててしまう。
どう弁解してもいいわけの泥沼になりそうだ。バカップルのような雰囲気を、先に流したのはリィリーだった。頬を染めるわけでもなく、彼女は天使のような笑顔で料理を示す。
「ご飯食べましょう、サレイさん。美味しそうですよ、ね?」
「あ、ああ! うん! リィリーさん、果物食べなよ、ね」
アハハハハハ。どこか乾いた笑いで応じるサレイだ。
照れていると思ったのだが、偶然会っただけの男に言い寄られて、彼女は困っていただけなのかもしれない。
サレイは食事を取りながら彼女の様子を窺った。取り立てて嫌がっているようには見えなかったが、喜んでいるようにも見えない。
このくらいの女の子は大抵年上に憧れるものだが、リィリーはどうなのだろう?
街門のときの様子では、男としては意識されていないような感じだった。
それとも……故郷で何かあったのだろうか?
故郷の話を振ったときに彼女はうつむいてしまった。
旅に出た理由を彼女は家族に勧められたからと言ったが、実は何らかの事情があって故郷に居られなくなったのではないか?
勝手に想像して、サレイは内心青くなった。彼女が気にしていることを言ってしまったのかもしれない。
思わず手を止めて彼女を見た彼に、リィリーは気がついて首をかしげている。
「どうかしました?」
きょとんとしている。可愛らしい顔から、悲惨な過去のような気配は感じられない。
考えすぎかな、とサレイは息をついた。
「いや、サラダ美味しいかい? ずいぶん具が多いなぁと思ってさ」
おそらく、美少女へのサービスなのだろう。サラダはどう見ても具が多い。多分サレイが頼んでも同じ品は出てこないだろうと思うくらいに。
「美味しいですよ。ドレッシングがとてもいい味です。隠し味に……多分トトリコの実の果汁を使っていると思うんですけど……」
楽しそうに言うリィリー。隠し味が分かるということはそれなりに料理が出来るらしい。
エプロン姿で料理をする彼女を想像して、サレイはちょっと違う世界に行きそうになった。
「く、詳しいね。料理できるの?」
「少しですけど……うち、兄夫婦がとても料理上手で、特に義姉が教えてくれるんです」
「へえ……」
リィリーの兄とその妻が彼女に料理を教えている光景。それを眺める自分、とか考えて、またちょっと違う世界に行きそうなサレイである。
幼な妻とかいう単語がよぎって心であわてている。リィリーに知られたら怒られるか嫌われるかもしれない。彼女に悟られないように食事を続けるが、味は分からなくなっていた。
***
「ごちそうさまでした。美味しかったです。ありがとうございます、サレイさん」
店を出てから、リィリーはそう言ってサレイに頭を下げた。
「いや、そんな、改まってお礼を言われるほどのことじゃないよ」
苦笑する彼に、リィリーは真顔で言う。
「いえ、ちゃんとお礼を言える人でいたいので。母からも人の親切にはお礼を言うのを忘れないようにと言われていますし」
彼女の母は子供のしつけにちゃんとした人のようだ。サレイは素直に感心した。
リィリーはいい子だ。そして、こんな彼女を育てた母親もすばらしい人だと思う。
「じゃあ、どういたしまして、かな」
笑いかけると、彼女も微笑んだ。本当に、天使のような女の子だとサレイは思う。
同時に、彼女を守りたいという思いも心に芽生え始めている。これほど美しく、また、心も清らかな少女。
一人で旅をさせるなど恐ろしい。どこで暴漢に襲われても不思議はないだろう。万が一のことがあったとき、華奢な少女一人ではどうにもなるまい。
勝手に燃えるサレイを見て、リィリーはなにやら思案顔だ。
彼女としては一人旅に戻りたいのが本音だが――。
「サレイさん」
にこりと微笑みかける。
「わたし、これから今日の宿探しに行きますけど、サレイさんはどうします?」
「え、ああ……そうか、宿は男女別だって言ってたっけ」
祭りの間は男女別。どういう意味かよく分からないが、そう決められているのなら従わなくてはならないだろう。
「俺も宿を探すよ。で、あの……」
できれば、これから先も。
そう続けようとした彼に、彼女はきらきらとした笑顔を向ける。
「明日のお祭り、一緒に見て回りませんか? わたし、この街に知り合いもいないし、一人より二人のほうが楽しいと思いますし」
サレイは一も二もなく頷いた。
明日からお祭りです。ふふふ。