1・最高だったり、最悪だったり・3
「リィリーさんはラドラスの街を目指していたのかい?」
「一応は。でも、分かれ道で立て札が壊れていたので、どっちに行ったらいいのか分からなくて。サレイさんは分かっているんですか?」
並んで歩きながら、そんな会話になった。
「いや、あいにくと地図を失くしちゃって。立て札のところでこう……棒を立てて倒してみて、先がこっちのほうを示したから、こっちに来ただけ」
苦笑する彼に、リィリーも笑って、
「わたしは『サキ、レド』で選んだんですよ。知ってます?」
「え、どんなの?」
「知りません? 『サキ、サキ、サトラ、レド、レド、ライド』って」
「ああ、知ってる知ってる。子供のころお菓子とか買うときによくやったなぁ。でも俺の住んでいたところでは『サトラ』じゃなくて『レゴス』で最後は『ミトラ』だったよ」
地方で違いがあるらしい。そこから話は広がった。北のほうでは最初のところからして違うらしい、とか、南のほうでは最後の部分が花の名前になるらしい、とか。
リィリーの住んでいたところではその地方の昔話の英雄とその恋人の名前で、サレイのところではやはりその地方の言い伝えの双子の勇者の名前だった。
たわいもない話だが、会ったばかりで共通の話題がないのなら無理もないだろう。
無難な話題を広げながら歩いていると、リィリーが足を止めた。
「? どうかしたかい」
「鳴き声みたいなものが聞こえませんでした?」
リィリーは辺りを見回す。サレイには何も聞こえていなかった。
「鳴き声? ……ゴブリンかな」
背中の剣に手をやって、サレイも見回す。しばらくして、ガサガサッと前方にあった背の高い草の茂みが揺れた。サレイがリィリーを背にかばって剣を抜く。
リィリーは彼の後ろで、口の中で呪文を呟いた。サレイよりもずっと早く、敵意と殺気に気がついていた彼女である。相手が何者かまでは分からないが、好意的に接してくれるような相手ではないのは理解している。
茂みの中からだみ声が響いた。人間の言葉ではない。奇妙だが一定のイントネーションから、それが独自の呪文だろう事はサレイにも簡単に予測できた。
「! 魔法!?」
しまったと舌打ちした瞬間だ。ひときわ大きな鳴き声がして、茂みから炎の塊が飛んできた。
「“風の抱擁”!」
リィリーの鈴のような声が響く。声に応じて風が巻き上がりサレイたちを包み、炎の塊を弾き飛ばした。ぱらぱらと火の粉が飛び散る。彼女は続けてなにやら唱えた。
「“大地の壁”!」
ごんっ! 音と共に茂みを残して器用に土だけが突き上がり、隠れていた数匹のゴブリンの姿をあらわにした。
中に一匹、明らかにゴブリンではない怪物がいる。魔法を使ったのはそいつだろう。
リィリーが魔法を使ったことに驚いたが、とりあえず先に怪物どもを片付けなければ、とサレイは走った。彼が走り寄るタイミングを計っていてくれたのだろう。土はサレイが走り寄ると同時にすんなりと消え、動揺している怪物たちは眼前に落ちてきた。
あまりのタイミングの良さに、ビックリしたが、サレイより驚いているのは怪物たちだ。
べしゃっと地面に落ちて、呆然としている。
とりあえず、真っ先にゴブリンではない怪物を張り飛ばして、それから目を丸くしているゴブリンをげしげしと蹴散らした。
安全を確認して、剣を収めると、リィリーが寄ってきた。ゴブリンたちを覗き込む。
「珍しいかい?」
「え、いえ……ええ、そうですね」
見下ろすと、ゴブリンのほうはちょっと焦げていた。リィリーが先ほど撃退したゴブリンのようだ。仕返しに来たのだろう。ゴブリンではない怪物は用心棒といったところか。
ヘギンムという怪物だ。直立歩行する豚と牛のあいの子のような外見で、ちょっとした魔法を使うことで知られている。まぁ、ゴブリンよりは多少強いかな、くらいの怪物だ。
コボルトといい、ゴブリンといい、ヘギンムといい、低レベル怪物のバーゲンセールのような街道である。
「道間違ったかもしれませんね」
リィリーは苦笑する。街道にこういう怪物が出るのだ。人が多い街が近くにあるとは思えない。
低レベルの怪物が街の近くに出るのなら、とうに退治されているはずである。人が多い街には人が集まる。それなりに力がある冒険者などが来る可能性だって高いのだ。
ここに怪物が放置されているとなると、街は逆方向なのだろう。
そう説明すると、サレイも納得した。
「じゃあ、戻るかい? このまま進んでもあるのは確か平原で、街があるのはもっと先になるはずだ。戻ったほうが楽だよ。野宿も一日で済むだろうし」
リィリーはちょっと首をかしげて考えているようだった。
ラジルダに用事があったわけではないが、平原を突っ切るほうを選ぶと、街までが遠い。
と、なると、
「……そうですね、戻りましょう」
延々と街に着くまでサレイと二人旅である。一月や二月はかかるかもしれない。よく知らない男と二人きりで一月も二月も一緒に旅をする気はなかった。
まだちょっと信用していないのだ。女の子の一人旅なので、大人の男を警戒しても当然だろう。
怪物の死体を街道の脇に片付けて、もと来た道を戻り始めた。
「そう言えば、リィリーさん、魔導師だったんだね」
魔法を使ったことに驚いたことを思い出して、サレイが問いかける。
「ええ、そうです」
「どこか魔導学校行ってたの? その年で外にいるなんて相当成績良かったんだろうね」
「いえ、うちは母と兄が魔導師だったので、わたしは学校やギルドには行ってないんです。魔法は母と兄に教わりました」
それも珍しいとサレイは思う。父母や身内が魔導師でも、大抵は学校かギルドに入って魔法を学ぶものだ。
「へえー、変わってるねぇ」
あいずちを打ちつつ、リィリーの家族ならかなりの美形一家だろうな、と想像するサレイだ。
「お父さんは何をしてる人?」
家族構成が聞きたくなって、つい訊いてしまう。
「父は剣士です。剣を集めるのが趣味で、これも父から貰ったんですよ」
リィリーは腰に下げている小剣を示した。陶器で出来ているようにしか見えない剣を。
「……確かにあんまり危なくなさそうで、可愛い作りだし、女の子向けかもしれないねぇ」
なんとコメントしていいのか分からず、小剣の力を知らないサレイは無難にそう言うしかない。護身用の、飾りに近い物だとしても頼りないことこの上ない。人を叩いた瞬間に割れてしまいそうにも見えた。
「そうですね、母も姉もそう言ってました」
これなら女の子が持っていてもおかしくないし、何かあったとき相手が油断するから!と進められ、『こんなもんで何をする気だ?』とかイイ気になって油断しているところをばっさりやりなさい、とアドバイスされていることは話さないリィリーだ。
ずいぶん実戦的なご家庭である。
「お姉さんがいるんだ」
知らないサレイはのほほんと話を変えた。リィリーの姉。さぞ美人だろう。十代半ばくらいのリィリーの姉なら年頃もサレイと同じくらいだろうか。
「はい。結婚してますけど」
「あ、そう……」
釘を刺されたように感じて、サレイは苦笑した。ちょっと期待はしたので、言い返せない。
実はかなりがっかりしている。美人は売れてしまうのが早いらしい。
意気消沈している彼に、リィリーは姉に子供がいることは黙っておこうと思った。実は彼女はもうすでに叔母さんなのである。姉と兄とはかなり年が離れており、どちらも結婚するのが早かったためだ。
「サレイさんは? ご家族のこと訊いてもいいです?」
話をサレイのほうにふる。身辺調査されているようでちょっと気に障ったのだ。
「俺? 三人兄弟の長男で、親は元気で武器屋をやってるよ。弟たちはそれぞれ商売の勉強中」
自分は家を飛び出して、名のある剣士になりたいのだとサレイは言った。
だからオウマと戦ってみたいのだ。自分がどれほど強くなったのか、自分より強い相手はいるのか、常に考えている。
「そうですか。夢があるんですね」
「まあね。リィリーさんはどうして旅を?」
「ええっと、家族に世界を見ておいでと薦められたんです。いろいろ楽しいことがいっぱいあるから、見ておいでって」
「へえ……寂しくないかい?」
まだ十代半ば。家が恋しくはならないのだろうか。特別寂しくはない、とリィリーは答える。
「手紙出したりはしてますから」
定期的に手紙を出すようにとは言われている。手紙が途切れた場合、考えるに恐ろしい状況になりかねないのだ。実家から捜索隊が出るのは間違いない。
「サレイさんは寂しくないんですか?」
「いやぁ、俺はあんまり。ほら、男だし。旅のほうが気がラクだから」
寂しいと思ったことは無い。自分が目指す道がある。
「そう言えば、リィリーさんのお父さんも剣士だって言っていたけど……強い?」
「そうですねぇ……強いと思いますよ。でも、もう年だからって引退してますけど」
「え、そんな年なの?」
リィリーの父親ならまだ若いだろうと思ったサレイに、彼女はあっさりと答える。
「六十近いです。わたし、遅くに出来た子供なので」
三人姉弟の末っ子で、かなり遅くに出来た子供なのだそうだ。
「六十か……でも、学べそうな話はいろいろ聞けそうだなぁ……機会があったら会ってみたいもんだ」
実際会うことはほとんどないだろうが、世辞でも言っておく。リィリーもそれは分かっているようで、そうですね、と頷いただけだった。
そ んな会話をしてしばらく、立て札が壊れていた場所まで戻ってきた。とりあえず、どっちへ進めばどうなるかが分かったので、もう迷うことはない。街に着いたら立て札が壊れていることをどこかに知らせたほうがいいだろう。
先ほどとは別の道を行く。天気がいいので歩くのは苦にならない。
一緒に歩いているのが美少女なのでなおさら嬉しいサレイだが、リィリーはどうなのか。
少女は特に感慨を抱いてもいないようで、ときどき周りの景色を見て方角を確認しているようだった。サレイは美男とはいかないまでも感じのいい顔なのだが、彼女のほうはまったくと言っていいほど意識していない。
そういう気は最初からないらしい。
そんなこんなで休憩を混ぜて歩いているうちに日が暮れてきた。一度くらいの野宿は覚悟して歩いているので、二人とも不満はない。
サレイが薪を集めてきて、リィリーが魔法で火をつけた。それぞれが携帯していた干し肉をあぶって、食べやすい硬さに熱してかじる。
「街に着いたら、美味しいもの食べよう。おごってあげるから」
サレイに言われて、リィリーはありがとうございますと微笑んだ。
笑ってくれるようにはなったものの、寝るとき彼女はサレイから距離をとった。
まだあまり信用されてはいないのだと苦笑するサレイである。警戒している彼女にヘンなことをするつもりなど考えてもないが、リィリーの態度があからさまなのはちょっと悲しい男心。
会ってからまだ一日経っていないのだ、早々簡単には信用されないだろう。
薪がはぜる音を聞きながら、サレイは眠りに落ちた。