4・納得いかずに大暴れ・3
広場に走りこんでくるリィリーたちと、その二人を追いかけてくる石像を見て、店を出していた人たちと客はものも言わずに撤収していった。石像が動いた時点で何かを予想していたらしく、動きは皆、異常に早い。潮が引くようにというのはこんな状態のことを指すのだろう。
ひょっとして、これは毎年のことなのかもしれない。
毎年――誰か彼か『なかったこと』にされてしまっているのだとすれば、そら恐ろしい祭りだとリィリーは思ったが、実は実際はそこまではいかない。
石像が動き出す前に町の住民がその二人を引き離して『なかったこと』にしてしまうからだ。
今年は、カップル扱いされた二人がどちらも毛頭そのつもりがなく、また、自分たちとは予想もしていなかったので、街の人があわてて探したときに名乗り出ることもなく、引き離す間がなかったのでこうなっただけだ。一旦石像が動いてしまうと、街の人に止める術はない。
日和見か、逃避するしかないのだった。
そういうわけで、広場に人の姿はリィリーとサレイのみである。
好都合とばかりにリィリーは剣を抜き放った。華奢な少女が持つにはごつすぎる剣だが、彼女は軽々と構える。
ぐっと力をためるように後方に剣先を回し、ひとこと。
「レヴァンテイン!」
オン! つばの宝玉が応えて光る。彼女はそのまま歩み寄ってくる石像に向かって剣を振りぬいた。まだかなり離れていて、到底刃が届く距離ではない。
だが、剣先からは三日月型の光が飛ぶ。見たサレイは思い出す。オウマはこの剣を振るって魔法を切り裂いていた。
レヴァンテイン。
装備品店のオジサンがその名を口にしていなかったか?
抜いたら命をとられる魔剣だと。
あの店においてあるものはどう見てもまがい品だったが、オウマ――リィリーの持つこれはどう見てもただの剣では、ないはず。
三日月の光は石像に直撃し、転ばせた。ゴドン、と重い音をさせてひっくり返る石像は、体が重いのかなかなか起き上がらない。
「んー、やっぱダメか? でも本気でやると周りの建物までやっちまうしなぁ」
リィリーは何事もないかのように剣を握っている。
「お、おい! 大丈夫なのか!?」
「は?」
「それ!! もしかして魔剣なんじゃないのかよ!?」
所有者の命を食うような、そんな剣なのではないのか。鞘には厳重に見える留め具がついていた。それほど物々しい剣。あっさりと使ってしまっていいものなのか。
「ああ、今は平気だ。おれはこいつの主だからな」
ケロリといってリィリーは笑みを浮かべる。
「触るなよ? 魂取られるぞ。こいつは本気で人を食う剣だから」
にんまりと言う彼女のほうこそ大丈夫なのかと心配するサレイは、心からお人好しだろう。
「そんなもん使うなよっ!?」
「使ってやらねぇとかわいそうだろ。父さんのコレクションにされるの嫌がってたのこいつだぞ」
ヒュンと剣先を振って、リィリーはのたくた起き上がろうとしている石像を眺める。
「どうするレヴァンテイン? あれ、壊すのは簡単だよな?」
オオン! つばの宝玉がまた光る。サレイはびくりとした。この剣、意思がある。
「で、周りを壊さないでやれるか?」
ウゥン……弱い光だ。難しいとでも言っているのか。
リィリーはちょっと考えた。レヴァンテインであの石像を壊しつくすのは簡単だ。でも、周りに被害が及ぶだろう。この剣の本質的な力は山をも砕くもの。こんな街中で使えば大惨事決定のシロモノだ。
とんでもない危険物であろう剣を、彼女は一旦鞘に収めた。留め具の爪がひとりでに剣に噛み付くように留める。つばの宝玉も光を失い、眠ったようにも見えた。
そんなことをしている間に、石像はよっこらしょと言うような動作で起き上がる。神様は相当お年らしい。
「おいぼんくら」
「……サレイだ、俺は」
半眼で突っ込む。可憐な少女のぶっきらぼうな物言いに、サレイはまた泣きそうな気分になった。こんなに可愛い少女なのに、基本的な性格はどうやらオウマのときのものらしい。
複雑な青年の純情など、可憐なリィリーは無視である。
「ぼんくら。危険物は使わないことにしたから、お前働け」
「はぁ!?」
にこやかに彼女は呪文を唱えている。その呪文には聞き覚えがあった。オウマが使っていた飛行の魔法だ。今それをどういう風に使うのだろう?石像にかけて効果があるとは思えないし、仮にあったとして飛ばして一体どうするのか。
サレイの予想は甘かった。
「がんばれよ、ぼんくら。“飛空”」
途端に浮かんだのはサレイの身体だったのだ。
「!?」
「行って散って来い!!」
さわやかに言い切るリィリーの声を背後に、サレイは猛烈な勢いで石像まで飛んでいく。
「てめえオウマぁあぁあああああっ!!」
絶叫は、悲しげに尾を引いていた。涼しく聞き流してリィリーはにんまり。
「今はリィリーだっての」
男用と女用。ちゃんと名前は二つあるのだ。
遥か離れて飛んでいくサレイには聞こえていないだろうが。
風に混じって男の悲鳴が聞こえているのは気のせいではないだろう。顔の周りを飛び回るサレイを、石像はうっとおしそうにハエか蚊でも叩くようにバシンバシンと両手で叩こうとしているが、サレイは何とか避けている。反射神経と運動神経は良いようだ。
「おお、意外とがんばるなぁ」
無情に言いながら、リィリーは後頭部でまとめている髪をほどいた。
金色の長い髪が風に流されてふわりと広がる。
「さぁ、片付けるか」
少女は笑い――呪文を唱え始めた。
少女の声に、少年の声が重なる。
それは寸分の乱れもないハーモニー。
唄声のように、少女と少年が紡ぐ呪文。
ほどかれた金の波を割り、美しい少年の顔がある。
眠るように目を閉じたオウマの顔。
それはリィリーと対にあり、また同じものでもある。
離れることのない、月と太陽。
現れたオウマの顔は、リィリーの後頭部にあった。表していないもう一つの顔を、後ろに出現させる――これもまた、性別さえ自在に変えられる彼/彼女の特異な能力のひとつ。
一人であり二つ、そして一つであるオウマ/リィリー。
双身。
それが、彼であり彼女でもある、世界でたった一つの存在だ。
同一人物による完璧なハーモニーが綴ってゆくのは魔力の糸。
織りあい、重なり、二つの声は一つの魔法となっていく。
相乗呪文。
よほど息のあったコンビでも難しいそれを、オウマ/リィリーはいともたやすく練り上げた。
「避けろよサレイ!!」
リィリーは叫び、二重の声が破壊を告げる。
「“炸裂爆咆”!!」
ピィン! 放たれた言葉と魔力に、張りきった糸が切れるような音がする。
一瞬後、街を揺るがすような爆音が轟いた。
ゴガァアアアンッ!!
鼓膜が破れるかのような爆音と爆風に、サレイは為すすべなく吹っ飛んだ。魔法の使えない彼には回避のしようがない。
飛んでくる石像の破片にあちこちを強打されて、体だけでなく意識が飛びそうである。
何とかのしようもなく、身体を丸めてみたりもしたが、あまり意味がなかった。
イタイ。足が地面についていればまだ踏ん張って耐えられたが、今は空中で、余計に痛い気がする。
地面にたどり着くまでに死ぬかもしれないと正直に思った。
石像の破片が落ちていく地面に、サレイも落ちていく。このまま落ちたら死ぬのは確実で、石像の破片に埋葬されるだろう。
戦士サレイ、恋愛と結婚の神様になかったことにされた挙句、オウマ/リィリーに捨て石にされここに眠る。
「笑えねぇっ! 冗談でもいやだぁあああぁああっ!!」
心から絶叫したときだった。体が一瞬ふわりと浮く。くるっと体がひっくり返って、足から地面に着地できた。
目をやると、髪をおろしたリィリーの姿。彼女がコントロールしてサレイを着地させたらしい。
一瞬感謝しかけたサレイの後頭部に、石像の破片がぶち当たった。
ごっ。
「〜〜〜っ!!」
あっちの世界に逝きかけたが、何とかこらえて踏ん張り、激痛に顔をゆがめながらリィリーのところまで走り寄った。
背後にひときわでかい破片が落ちたのか、ものすごい音を聞いてゾッとする。走り出すのがもう少し遅かったら、本当に埋葬されていた。
「てめえ! もうちょっと安全なところに下ろせよどうせならっ!!」
「頑丈だなぁ……ちょっと感心したぞ、本気で」
あちこちからだくだく出血していても元気に怒鳴るサレイに、リィリーは真剣に感心した。
「言うことはそれだけかぁっ!?」
「うん」
こっくりと頷くと、サレイは固まった。髪を下ろしたリィリーも可愛いと思ってしまった時点で、彼の負けである。
いきなりしゃがみこんで頭を抱えた男は放っておいて、リィリーは手早く髪をまとめた。
後頭部に出現していたオウマの顔はすでに引っ込んでいる。
出しっぱなしだと、かなりおっかない光景なので、用が済んだらすぐ引っ込めることにしているのだ。
大体アレは魔力の塊で、厳密に言えば顔ではないのだが、『怪奇!ふた顔人間!』とか言われるのもイヤなので。
軽く息をついてリィリーは粉々になった石像に目を向けた。破片が動き出すような様子はない。ひょっとすると復活するかもと考えもしたが、その可能性はないようだ。
「あー、スッキリした。これでぼんくらとのカップルなんていう不名誉な事実は消えたよな」
「ふめいよ……」
足元でサレイが呻く。可愛らしいリィリーの声で言われると、なんだかショックだ。
オウマのほうなら腹が立つだけなのに、リィリーだと傷に塩を塗りこまれて、さらに唐辛子を突っ込まれているような気さえしてくる。
要するに、心が痛いのだった。
「だまされた……」
しくしくと泣き始める男に、リィリーは容赦なく蹴りを入れた。
「何がだよ。お前とカップル扱いされておれこそ不愉快だ」
言ったそのときである。
【見事じゃぁああ】
神様の声がした。聞くなり身構えるリィリーと、起き上がるサレイだ。まだなんか来るのかと警戒している。
【我が像を砕くそなたたちの想い、しかと見届けたぁ。我は認める。末永く幸福であれ恋人たちよぉおお】
…………間。
理解が頭に届くまで、時間がかかった。理解した瞬間、リィリーが叫ぶ。
「――って待てぇっ!! 誰と誰が恋人だっ!!」
【我が街初めての同性同士じゃぁあ、遠慮はいらん、祝福を――おや?】
そこで初めて神様はオウマでなくリィリーになっていることに気がついたようで、ちょっと無言になった。
【…………まぁ、祝福をぉお。三十一番と四十三番んん】
いろいろと面倒くさくなったらしい。どこか投げやりな声である。
「いらんわっ!! だから違うって言ってんだろっ!!」
リィリーと対照的に、サレイは静かだが、怒っているというより、貧血でくらくらしているだけだ。それでも言われたことに口元はひきつっている。
【なにがなにやらよく分からんが、ともかく幸せにのうぅ】
「てめえ! 出て来いっ!! そのツラぶん殴ってやるっ!!」
【痛いのはいーやーじゃぁああああ】
ブツン。声と気配が途切れた。『ごおいんぐまいうぇい』な恋愛と結婚の神様は、遠いどこかへ行ってしまったらしい。
責任放棄、とも言う。
怒りのやり場を失い、リィリーはぶるぶるとコブシを振るわせた。
とにかくどこかにやり場はないものか。
と、目をやったところにはちょうどいい『もの』があるではないか。
リィリーは握ったコブシをためらいなく『それ』――サレイに叩き込んだ。
「ぶわっ!? 何すんだっ!?」
「うるさいっ!!てめえのせいだっ!!」
「何がだよっ!?」
納得がいかないサレイではあるが、相手がリィリーのためにどうすることもできない。これがオウマだったら殴り返していたが。
一応女の子のため殴るのは躊躇してしまった。暴力で返せないので指先を突きつけて言葉を返す。
「俺だって祭りの内容は知らなかったんだぞ! 知ってたら出てない!! 大体なんでお前男になったり女になったりできるんだ!?」
丈夫なサレイと非情なリィリー。いいコンビかもしれないです(笑)