2・人権的にどうなのよ?・5
リィリーは小さくぶつぶつと呟いた。ヒュンヒュン、と蛍のような光が舞う。
「“烈光”」
ぼそ。ごく初級の魔法が、彼女を抱えている男の顎にぶち当たる。硬度を持った光に直撃されて、男はのけぞっていく。リィリーは見事な身のこなしで男から飛び離れた。どたぁんと倒れた男にはかまわず、彼女は続けて詠唱する。
「“雷の輪”」
彼女の魔力に呼び出され、作り出された直径十センチほどの雷の輪が二十個近く、追いかけてきた男連中に炸裂した。それはもう、豪快な炸裂音が響く。可愛い顔してやることはかなり吹っ切れているリィリーだ。
ひとたまりもなく男たちは倒れた。ざっと見で十人くらいか。加減はしたので死にはしないだろう。しびれて当分は動けないはずだ。
「……恋愛と結婚の神様のお祭りって言ってたよね? で、これは一体ナニゴト?」
首をかしげる彼女の前には、屍のように男たちが倒れている。
「……人さらいのお祭り? でも夫婦うんぬんって言ってたし……」
心底から不思議そうだ。彼女を連れ去ろうとしていた男が、鐘が鳴ったらどうのこうのと言っていたが、それもよく分からない。
これは近くにいる参加者を捕まえて問いただしたほうがよさそう、と彼女は決意した。ちょうど良く、ひとつ気配が駆け寄ってくる。
「お嬢さぁあああん」
男が彼女に向かって突進してきた。頭から突貫してくる男を、軽々とかわし、地面に突っ込んだ男にしゃがみこむ。
「ちょっとお訊きしたいんですけど、これは一体なんのお祭りなんですか?」
男は顔を上げ、不思議そうに彼女を見た。
「あれ? 知らない? 結婚相手探しだよ、プレート貰ったでしょ」
ひょいと彼女の肩のピンク文字プレートを指す。このプレートは参加者の印なのだ。説明する男も青文字のプレートをつけていた。
「え」
結婚。さすがに目を丸くする彼女だ。そんなこと考えもしていないのに、単なるお祭りだと思って参加してしまった。
「で、でもわたし、まだ結婚なんてするつもりありません……そういう場合はどうしたらいいんですか?」
おろおろとうろたえて見せると、男はビヨンと勢いよく起き上がってリィリーの手を掴んだ。
「え、もったいない! おれは君を絶対に幸せにするよ! だから、ね?」
ぐぐぐっと近寄ってくる男に、リィリーはにっこりと微笑んだ。そのまま膝を勢いよく上にあげる。真上は、男の急所だ。
鈍い音がした。
なんだか鳥の鳴き声のような奇天烈な悲鳴を上げて男がぴょんぴょん踊る。リィリーはにこやかな笑顔のまま、男の首筋を一撃した。
「ほげ」
間抜けなひとことを残して男、沈没。
「……なんというか、母さん、父さん、姉ちゃん、兄ちゃん、リィリーは教えを守って元気でやってます」
どうやら、男にしつこく付きまとわれたらこうしろ、と家族から教わっているようだ。
遠い目で告げて、彼女はどうしようかなぁと首をかしげた。このまま突っ立っているのはかなりまずいだろう。次から次へとこんなのに付きまとわれるのは、この短い時間でよく理解した。
とりあえず人目に着かない場所に移動したほうがよさそう、と思ったときである。
「うをををぉぉぉっ! おぉ女ぁああぁああっ!!」
野太い声が彼女の背を打った。さっきから遠いところで何度か聞こえていた魂の叫びだ。振り返りたくなかったが、そうしないと自分の身が危ういと感じて彼女はしぶしぶ振り返る。
青いプレートをつけた、いかにも普通では嫁の来てがなさそうな男が、土煙を上げて走ってくるのが――見えてしまった。振り返ったことを後悔したリィリーだ。
なんというか、人間? と疑問形になりそうな……良い表現をすれば『野生的な男』である。
悪い表現では、いろんな意味できっぱりと『人外』だろう。
「うわあ」
思わずそう呟いて、彼女は詠唱した。アレに捕まると、背骨をへし折られそうな予感がする。
「“炎の神矢”っ!」
声を上げた彼女の細い指先から、幾筋もの炎が細く飛ぶ。狙いたがわず男に直撃した。柔らかい物に硬い物がぶつかるような音が響く。ぶつかる衝撃だけでもかなり痛い上に、火傷のおまけつきだ。威力は加減しているので、死ぬことはない。まぁ、確実に行動不能にはなるだろう。
もうもうと上がる煙を眺めてリィリーは息をついたが、次の瞬間、絶句した。
気配が消えていない。
「――おおおぉぉおぉっ!!」
煙の中から、ところどころを赤くした男がのっそりと現れる。煙を引きずるようにして、またもやリィリーめがけて走ってくる。
おそるべし、モテないくんの執念。
「女ァァァァアアアアッ!!」
すでに、ケモノである。本能のまま突っ走っているような感じだ。本気で怖気を覚えたリィリーは素早く詠唱した。アレに捕まったら、人生が終わるような気がする。
「“炸雷”っ!!」
ピシャドガァアッ!!
天 より飛来した一条の雷に打たれ、ケモノ男はさすがに倒れる。ほっと胸をなでおろすリィリーだ。手加減はしたけれど、ここまでやれば、おとなしく寝ていてくれるだろう。
と、思った彼女だが。
「ぬおおぉぉぉぉぉおっ!! お、女ァアァッ!!」
甘かったようである。それでもかなりダメージがあったらしく、ケモノ男は多少ヨタついているが、あきらめず再びリィリーを目指して足を踏み出した。
人外。キッパリとこの男をそう認識したリィリーは、冗談抜きで強烈な魔法で一撃しようと決意した。手加減は必要ないような気が、ひしひしとしている。
そんな彼女の背を、違う男の声が叩いた。
「そこの金髪の娘っ! ぼくと結婚したら家と土地がついてくるよっ!!」
「なにをぉっ!? オレと結婚したら一生ぐーたらできるぜ彼女っ!!」
「何をぬかす!! やはり男は『ろまんすぐれい』よ! お嬢さんっ、私と老後を過ごしましょうっ!!」
くんずほぐれつ、なんとかして一番に彼女の元までたどり着こうと、口々に自分をアピールしながら走ってくる男の集団。
むさくるしい。
リィリーは渇いた光を瞳に宿している。
まだ十五の彼女に、結婚するつもりなど毛頭ない。それを知らない男連中は前後を挟むようにして彼女に迫る。たどり着くタイミングは、ケモノ男が弱っているのもあってほぼ同時。
男の手が、華奢な少女に迫る。
掴むのは――どちらでもなかった。
リィリーはひょいと身軽によけたからである。
勢いあまったケモノ男と男の集団がぶつかり合って肉団子になっているが、彼女は振り返らずに駆け出した。
抱きついて止めようとした男もいたが、彼女の身軽さに届かない。細い路地に入った彼女の目の前に、また青いプレートをつけた男が立ちはだかったが、彼女は勢いを殺さず壁を蹴り、トントンと身軽に男を飛び越え、軽やかに着地してまた走り出した。
とんでもない身のこなしである。軽鎧はともかく、マントをまとっていてほかの人間にその端も掴ませないのだから。
足も速い。あっという間に彼女を嫁にと狙う男たちの視界から、彼女の姿は消えてしまった。
路地裏に駆け込んだリィリーは息をついた。体力的にはたいして疲れていないけれど、精神的に疲れた。思わず呟く。
「参加するんじゃなかったなぁ」
こんな祭りだと知っていたら、絶対に見物で済ませた。見ているほうが格段に面白いだろう。どうりで誰に訊いても出てみれば分かるという返答だったわけである。街の住民は皆、面白がっていたのだ。確かに、見ている分には面白いというのは分かる。
分かるが、一言教えて欲しかった。人一人のこれからの人生がかかっているのだと、街の人は理解してくれているのだろうか。これが祭りとして成り立っているのが不思議である。
これからどうしよう。サレイと合流するのもちょっと恐い。彼もプレートを受け取っているのを知っているし、彼が自分にどういう想いを抱き始めているかを理解しているからだ。下手をすると、喜んでゴールインしようとか言い出しかねない気がする。
顎に手を当てて考え込む彼女の前方に、気配。
ゲンナリとしながら彼女は顔を上げた。
「あ、見つけたー。良かった、無事だったんだね」
彼女とサレイにプレートを渡した、あの門兵である。リィリーは少しだけ体勢を変えた。
門兵は一見して青いプレートをつけているようには見えないが。
彼女はにっこりと微笑みかける。
「こういうお祭りだって、ご存知だったんですね?」
「え、あ、うん、まぁね」
えへへと笑いながら、彼女に近付いてくる門兵。
「でも、面白いでしょ? 出てみるとね、臨場感があるから」
「そうですね」
「ええと、結構追い掛け回された? 疲れたかな、ごめんよ。怒ってる?」
リィリーはうふふ、と微笑んでいる。好感触と見たのか、門兵は彼女の眼前にまで歩き寄った。
「それじゃあ、僕とどこかで――」
門兵の声は続かなかった。
リィリーがにこやかに青筋を立てて剣を振り上げたから。
ごすん!
さすがに刀身は鋼に戻さないままである。陶器のようで脆そうに見える状態でも、硬度は変わらないのか、鈍い音を立てて門兵の頭にめり込んだ。くりん、と門兵が白目をむき、前のめりに倒れる。リィリーは受け止めず、よけて剣をしまいこむ。
倒れた門兵のどこからか青文字のプレートが転がった。六十四番。やはり、この男も参加者だ。
プレートを隠して彼女に近寄って、かくまってあげるよとでも言い、安心したところで鐘が鳴るまで待って、ゴールインするつもりだったのだろう。
リィリーはそこまで読んでいた。参加するつもりでなくてどうして彼女にわけも話さずプレートを渡すだろう。
祭りの内容も話さずに渡した時点で、企みと下心がバリバリにあったということだ。
「全くもう……冗談じゃない」
リィリーは短く呟く。このまま狙われ続けるなんてごめんである。昨日の様子から思い起こして、屋根、塀に乗っていた人たちは今日のこのとき、狙う人を探していた人たちだろう。
あの視線の数を思い返すとゾッとする。リィリーを見ていたのは一人や二人ではない。
確実にロックオンされたのは、想像するまでもない。あれだけの数の男たちと、鐘が鳴るまで追いかけっこ……力尽きて遠からず捕まるだろう。
そして、ウェディングベル、だ。
「絶対ヤダっ!!」
リィリーは叫んだ。もはや残る手は一つだけだと、彼女は――。