序・彼と彼女と、そして彼
最後の一人が倒れ伏す。ぴくぴくとケイレンしている男たちを、不適な笑みを浮かべて見下ろしているのは、たった一人の少年だった。
年頃は十代半ばか、長い金髪に碧眼の、美少年という形容がぴったりの小柄な少年だ。
荒事には向いていないような外見の持ち主だが、彼の前には呻いている大の男がざっとで十人。
男たちは誰もが武器を携帯していた。短剣やら長剣やら、そこらの武器やですぐに手に入りそうなものだが、充分に人を殺傷できる品物だ。
そして、人相も悪い。誰が見ても盗賊や野盗の類いだと分かっただろう。
「う、うう……」
一人が呻いた。意識はあるものの、激痛で起き上がれない。
「死ぬ……」
呻きに少年は小馬鹿にしたように息をついた。
「そのくらいで死ぬかよ。鞘で殴っただけじゃんか」
少年は立派な長剣を腰に下げていた。彼の身長から考えると、先を引きずってしまいそうな気もするが。
群青と紺を基調にした柄と鞘を見ただけでも、たいそうなシロモノだと分かるような剣である。つばの部分はオウム貝を連想させるようなつくりで、中心部分には宝石のようなものが埋め込まれている。そこだけ見てもただの剣ではないだろう。
盗賊たちは彼の剣に目をつけて、奪い取ろうと襲い掛かり――あっという間に撃退されたのだ。
ちなみに、少年は剣を抜きもしていない。鞘にはツメのようなものがついており、それがガッチリとつばの部分を掴んでいる。もしや抜けないのではないかと思われるくらいにガッチリと。
「ま、骨の二、三本は折れてるかもしれないけど」
少年は笑う。彼はかすり傷一つ負っていない。年若く、幼いとも言えるような年頃だが、腕前は盗賊どもの遥か上をゆくのだ。
「感謝しろよ? こいつを抜いてたら、あんたたち今頃跡形も残ってないぜ」
楽しそうに笑って少年は腰の剣を撫でた。
少年の声に応じるように、つばの宝玉が一瞬光った。やはり、普通の剣ではないらしい。
「て、めぇ……覚えてろよ……」
別の一人が呻いた。恨み骨髄といわんばかりの声だが、少年は全く動じない。
「いいよ、覚えておいてやろうじゃないか。覚えとくよ。いつかフクシュウに来るんだろ? 覚えとくから、ちゃんと来いよ?」
フクシュウの部分を強調しながら、にんまり笑って彼は続ける。
「俺の名前も教えておくな。ちゃーんとフクシュウに来れるように。覚えろよ? 俺の名はオウマ」
その名を聞くなり盗賊たちは固まった。
「聞こえたか?」
反応に、少年は笑みを崩さない。
「フクシュウに来いよ。覚えててやるからな」
「……忘レテクダサイ……」
違う一人がカクカクと呟く。エライ相手に襲い掛かってしまったと、ようやく気がついたのだ。
――オウマ。最近よくウワサで聞く名前だ。
とんでもなく強い剣士だという。立派な剣を持ち、魔法の品らしい軽鎧をまとい、そのわりには年端の行かない子供で、ぱっと見は女とも思えるような小柄な美少年。
長い金髪を後頭部でひとまとめにしていて、生気溢れる碧眼。
どれもがこの少年と一致する情報だ。
そして、大の大人十人を相手にして、動じるどころか剣も抜かずに倒してしまうこの強さ。
この少年がオウマ本人であることは疑いようがない。騙りではありえないだろう。
ウワサでは、たったひとりで、長く恐れられていたパビリアルの魔獣を倒したとか、オランテイクの闇組織を、丸ごとぶっ潰したとか言われている。
どちらも国が手をこまねいていたくらいの難物で、誰もなんとも出来なかった魔物と組織だ。
それを、オウマはひとりで叩き潰した。人間業ではない。
人間外とまでいわれているような強さを誇る少年に、盗賊たちはケンカを売ってしまったのだ。
「忘れていーのか?」
「ハイ。是非忘レテクダサイ。オ願イシマス」
「そ。じゃあ忘れる」
ケロリと言い切って、オウマは歩き出した。盗賊たちが復讐に来ようがあきらめようが、実はどうでもいい。ただ、しつこく付きまとわれるのはさすがにイヤなので、わざとああ言っただけだ。
最近自分の名前が売れてきたのは、はっきり言って面倒だったが、こういう使い方もあるな、と彼は学習した。ようは考えようなのである、と。
***
街道の分かれ道で、一人の少女が立っていた。
金髪、碧眼、小柄で儚げなとても美しい少女だ。年頃は十代半ばだろうか。幼さの残る顔立ちで、大きな瞳を足元に向けている。
彼女の前には折れて壊れた立て札が転がっていた。片方にはラドラスの街の、片方にはレーゲンデール平原の名前が書き込まれている。どうやら彼女はどっちへ行けば街へつくのか考えていたようだ。
ひとりで旅をしているらしく、彼女のそばには保護者らしい人影もない。護身用なのか、マントの中、腰の後ろにおもちゃにも思える陶製のようなクリーム色の小剣を、刀身よりは濃いクリーム色の長いリボンで下げている。人どころか紙一枚切れなさそうな剣だ。斬るというよりは殴るしかないだろう。魔法のものらしい複雑な紋様の入った軽鎧をまとっていて、一応装備はきちんとしている。
おもちゃのような剣を下げた少女は首をかしげた。後頭部でまとめている長い金色の髪が日の光を反射するかのように輝く。
「……いつまでもこうしてても仕方ない、か」
壊れた看板は当てにならない。
呟いて彼女は細い指先を道の先に向けた。指先を踊らせるように二つの道を交互に指して、
「サキ、サキ、サトラ、レド、レド、ライドっ。よしこっち!」
故郷で伝わる迷ったときの選び方を呟いて、彼女は行く先を決めた。どうせどこへ行くとは決めていない、当てのない旅だ。両親と兄、姉に、見聞を広めておいでと言われて旅に出た。
いろんなものが見られたらそれでいい。
彼女は迷わず足を進めた。
こんな美少女がたったひとりで旅をするのは、とても危険だろうが、彼女は全く不安な様子は見せずに歩いていく。とても楽しそうだった。
彼女の名は、リィリー。足取り軽く進む彼女の腰で、おもちゃのような剣が揺れている。
***
青い髪、藍色の瞳の青年はぶらぶらと歩いている。プレートメイルを着て、背中に長剣を背負っているところから見ると、剣士らしい。冒険者か傭兵か、どちらかは判断がつかないが、そのどちらかであることは間違いないだろう。顔はまあまあ整っていて、長身だ。とんでもない美形というわけではないが、好感の持てる顔のつくりをしている。
彼の名は、サレイ・タッグス。二十歳で、それなりに自分の腕前に自信を持っている剣士だ。
が、今は不機嫌そうだった。つい先日立ち寄った村で、またライバルの話を聞いたからだ。
剣士オウマ。近くで略奪を繰り返した盗賊グループを叩きのめした。
年端も行かない子供が、大の大人十人を、あっという間に倒したという話だ。サレイが盗賊退治を引き受けてそこへ行ったとき、すでにオウマが叩きのめした後だった。
彼は特に依頼を受けたりはしていなかったようだ。たまたま盗賊たちに遭遇し、撃退したのだろう。怪我をして呻いている盗賊たちを取り押さえるのはとても簡単なことだった。
ふんじばって連れてくる最中で、盗賊たちからオウマの話を聞いてしまった。
とんでもなく綺麗な顔をしていて、背も小さく、とても強そうには見えなかったのに、あっという間にやられてしまったと、盗賊たちは怯えていた。
オウマは剣を抜きもしなかったらしい。実際盗賊たちに切り傷は一つもなかった。
鞘をつけたままの剣を振り回し、盗賊たちを叩きのめしたのだ。
とんでもない強さである。剣技だけでなく体術にも精通しているようだ。
サレイよりもずっと年下で、それだけの強さを持つ少年。
初めてウワサを聞いたときから、サレイは一度彼と手合わせしてみたいと思っていた。オウマの話を耳にするたびに、彼と戦って、腕前を競ってみたいと思うようになった。
ライバル、と思っているのはサレイだけである。実は、オウマに会ったこともない。
ただ、ウワサだけを聞いて、勝手に憧れ、勝手にライバル視しているだけなのだ。
行く先々で話は聞くのに、いまだ会えない。さっきなど、もう少し自分が行くのが早ければ、 オウマが盗賊と戦っている最中に間に合ったかもしれないのに。
それでサレイは機嫌が悪い。
タイミングが悪いのか運がないのか。だが、ここまで近くにいるのだから、探せば会えるはず。
サレイはオウマが去った方角に足を向けている。盗賊たちからオウマの人相は詳しく聞いた。
長い金髪を後頭部でひとまとめにしており、碧眼。女の子と変わらないくらい小柄で、魔法の軽鎧姿の、立派な剣を腰に下げている少年。
これだけ特徴を知っていればまず間違えることはないだろう。
かなりの美少年だというし、そんな美形がころころ転がっているはずもない。
サレイが目指すのはラドラスの街。結構大きな街なので、オウマもそちらへ向かっているはずと予想した。彼が向かった方角から考えても間違いないだろうと思う。
不機嫌な表情をそのままに、サレイは歩き、やがて分かれ道についた。
……立て札が壊れている。折れて地面に転がっているそれが、役に立つとは思えなかった。
「……まいったな」
心底から呟く。地図はこの間紛失してしまった。この地方を歩くのは初めてなのでどちらへ行けばいいのか判断もつかない。
「誰だよ、立て札壊したの……」
忌々しげに呟いて、サレイは周りを見回した。こういうときに限って人影はない。誰か歩いていれば訊くこともできるのに。
やはり自分は運がないのか。ゲンナリとそう思うサレイだ。
オウマはどっちに行ったのだろう? 思いながら立て札の残骸を拾う。
小さな木っ端を地面に立てて、指を離した。
木っ端が倒れる。倒れた先は、右側の道。迷ったときの基本の策である。
さらに迷うという可能性もある手だが、サレイは木っ端の導きに従ってそちらに歩くことにした。まあ、平原に出たらそのときは戻ればいいだけの話だ。
ただ、オウマに会える確率は下がるだろう。そのときは、次回に期待する。
潔く切り替えて、サレイは先に進んだ。