悪霊
リカは朽木に腰かけた李恩の隣に座ると、李恩の鋭い横顔を見つめた。
「ねえ、昨日さ悪霊にとりつかれてるって言ってたけど、なんで李恩に悪霊がついたの?」
リカが見たところ、李恩の身体はなにか悪いものがついてる感じは全くなかった。そもそも、リカは悪霊をよく知らなかったので、リカは悪霊のことを知るつもりでそう訊ねた。
李恩はそんなリカをチラリと横目で見ると、言葉が詰まったように喉を鳴らした。だが、李恩はリカにちゃんと教えてくれた。
「・・・母上の病を治そうとしたんだ。絶対に治らないって言われた病だったから、村長の家にある悪霊のビンを盗んで悪霊と契約した。そうすれば母上の病が治る予定だったんだ」
「ははうえ?」
「自分を産んでくれた女性のことだ。お前にもいるだろ?」
「お母さんのこと? うん! いるよ」
李恩はそれを聞いて微笑むと、目をそらしてまた話し出した。
「母上は生まれた時から身体が弱かったのに、僕を命がけで産んでくれた。だから、僕も命がけで母上を助けたかったんだ。だが、僕はその悪霊にだまされて母上は死に、悪霊は僕にとりついて僕に呪いをかけた」
「え?」
リカはビックリして声を上げた。李恩はその時のことを思い出しているのか、悔しそうに膝の上の手をきつく握りしめた。
「その悪霊のせいで僕は村を追いだされてここにいる。分かったか? 僕がなぜこんな場所にいるのか・・・」
李恩はリカを見た。その瞳はひどく傷ついた、悲しい色をしていた。リカは息をのむと、目をそらして自分の膝に置いた手を見つめて、
「そうだったんだ・・・」
と、つぶやくので精いっぱいだった。
「・・・悪霊が他の人にうつるのが嫌だから、李恩は私を避けてたの?」
「まあ、そうだな・・・。僕みたいなやつを増やしたくなかったんだ。お前は巫女だからいいけど」
「呪いってなに?」
リカは一番気になっていたことを聞いた。一番恐ろしい質問でもあった。
「・・・・・」
だが、李恩は教えてくれなかった。いつか分かる、と言うだけでそれきり口を閉ざしてしまった。
リカは気になりつつも、強引に聞き出したりはしなかった。李恩がそういうのだから、いずれ分かるのだろうと諦める。
月は、そんな二人をいつまでも照らしていた。
*・*・*・*・*
目が覚めて、リカは学校へ行く準備をした。
今日も夢のことをはっきりと覚えていた。それが、リカには少し怖い。
カレンダーを見て今日は火曜日だと確認すると、リカは家を飛び出した。
そしていつも通り、友達と待ち合わせをして通学した。だが、リカにはいつも通りに思えなかった。
ガラガラッ
「あら、リカちゃんいらっしゃい」
「こんにちは、フミコさん。今日もよろしくお願いします」
リカはフミコと呼んだ60代ほどの女性に、ペコリと頭を下げた。
「最近、どう? よく眠れてる?」
「うーん」
リカはしばらく考えるように上を見ると、「うん」と答えた。
「そう、よかった。お父さんが亡くなられてから、ほとんど眠れてなかったものね」
「うん」
リカは適当にうなずいて見せた。リカは今、フミコと向い合せで座っている。毎週、火曜日は学校でフミコとこうして話をする時間があった。
「お母さんとはどう? なにかお話しとかする?」
「うーん。お母さん、忙しいから」
「そう・・・。お母さん、仕事は見つかった?」
「たぶん、まだ。夜ごはんの後、時どきため息ついてるから」
「そう・・・」
フミコは相談に乗っているリカという生徒を見た。
茶色の髪を二つ結びにしており、大きなくりくりとした瞳の可愛らしい女の子だ。おとなしい方ではなく、どちらかというと活発で運動が大好きな、どこにでもいる女の子である。
誰も知らない人が彼女を見たら、悩み事などなにもなさそうな能天気な子に見えるだろう。実際、リカは能天気で楽観主義な部分があったが、その小さな心に負った傷はそんなリカにはあまりにも不釣り合いに思えた。
「最近ね、不思議な夢を見るの」
ポツリと、目をさまよわせながらリカはそうつぶやいた。
「どんな夢?」
フミコはさっと持っていたノートにメモをする準備をする。それに気づかないで、リカはフミコを恐る恐る下から見上げた。
「気味悪がらない?」
「あら、そんなに悪い夢だったの?」
「ううん、そうじゃないの。ちょっと普通じゃないんだ。ただ、そんだけ」
「そうなの。どんな夢か覚えてる?」
「うん。男の子が出てくる夢でね」
「男の子?」
「李恩って言う名前で、耳がこんな風にとがってるの。妖精さんみたいに。なんかね、李恩が竜族だからなんだって」
リカはそう言いながら耳の形を描いて見せた。
「そうなの。それでそれで?」
カリカリとノートに書き込みながら、フミコは続きを促した。
「李恩にはお母さんがいたんだけど、お母さんは治らない病気にかかっててそれを悪霊に治してもらおうとしたんだって。でも、その悪霊にだまされちゃってお母さんは死んで李恩は悪霊にとりつかれちゃったんだって」
フミコは書いていた手を止めた。
「それで?」
「それで、他の人に悪霊がついちゃうから私を最初は避けてたんだけど、なんか知らないけど私のことを巫女って言い出してさ。私、巫女じゃないのにね」
「巫女? どうして?」
「わかんない。なんか、私が海の近くに住んでるって言ったら巫女って言ったの」
首をかしげているリカを、フミコは何とも言えない気持ちで見ていた。
「それでね、李恩は悪霊にとりつかれた時に呪いもかけられちゃったんだって。でも、どんな呪いなのか教えてくれなかった」
「そう・・・」
フミコは書き終わると、ノート越しにリカに問いかけた。
「その夢が、リカちゃんは気になるのね?」
「うん。だって、私もお父さんが死んじゃったから。それに李恩はね、お母さんが命がけで自分を産んでくれたから、自分も命がけで助けたかったって言ってたの。それ、私も分かるなあって。私、お父さんが生き返ってくれるならなーんにもいらないのに」
「そうね」
「お父さんが生き返ったら、お母さんも毎日ため息を吐かなくて済むのにね」
「ええ、そうね」
フミコはこういう時、自分の無力さを強く感じる。何を言うのが正解なのか?それとも、やはり親を亡くしてから初めてそれに気づくことなのだろうか?と、悩むのだ。
「フミコさんの息子さんもどう? 仕事見つかった? 見つかったらその仕事を教えてくれる? お母さんも一緒に働けるかもしれないから」
「そうね、今度どうなったか訊いておくわ」
本当は自分の不甲斐ない息子が、一つも就職先を見つけてないことなど分かり切っている。一緒に暮らしているので、すぐに分かるのだ。だが、そういうとリカの不安が大きくなると思いフミコはわざとはぐらかした。
「・・・ねえ、フミコさん。今度、夢を見たら李恩になんていえばいい?」
「どういうこと?」
「李恩って、すごく暗いの。そんでもってすぐ怒るし。でも、気持ちが分かるから、私は気にしないようにしてるんだけどね。なんか、李恩を励ます言葉が思いつかなくて」
「リカちゃんは優しいのね。そうねえ・・・その“李恩くん”に自分がなったとしたら、どんな言葉を言ってほしいと思うかな?」
「ええー、そんなの分かんないよ。だって、私は李恩じゃなくてリカだもん」
「そうね。だけど、もしそうだったら・・・って考えてみると分かるかもしれないよ」
「うーん、そうだなあ・・・」
リカは腕を組んでうんうん考えた。
「・・・もしかしたら、何も言葉はいらないのかも? 私がそばにいるだけでも、いいと思う?」
「ええ、いい考えだと思うわ。ただ一緒にいるだけでも、心は温かくなるもの」
リカはにっこり微笑んだ。