満月
「ねえ、なにが大嫌いなの?」
リカは不思議そうにそう尋ねた。クルリとした大きな瞳に見つめられ、うっと言葉をつまらせた李恩は、ぽつりとつぶやいた。
「・・・満月さ。」
「満月?」
リカは驚いたように夜空を見上げる。いま、二人の上には両腕を広げても足りないくらい大きな満月が浮かんでいたのだ。
「どうして?」
「・・・別に、お前には関係ない。」
キツくそう言うと、李恩は先ほど座っていた朽木に座った。
むっとしていたリカだったが、それ以上なにも言わなくなった李恩に急に不安になると、恐る恐るリカも朽木に座った。
それを見て不機嫌な顔をした李恩だったが、別になにも言わなかった。
「ねえ、どうして満月がキライなの?」
リカはこう訊くとまた李恩が怒るだろうなと思いつつそう尋ねた。他にしゃべることがなかったのもある。
すると、リカの予想通り李恩は怒った。
「うるさいな!!というか、お前はなんなんだ!どっかから来て、勝手に覗き見して!あっちへ行けよ!!」
目を吊り上げて李恩は鼻息荒く立ち上がると、持っていた薄を振るった。薄はリカには当たらなかったが、李恩の手はなにかを恐れるように震えていた。
「わっ、ごめん、ごめんって!」
リカは自分を守るように腕を上げると、ちょっと李恩から離れて座った。それを見て李恩は、ほっとしたような悲しそうな表情をする。
微妙な雰囲気の中、李恩もおもむろに座ると、しばらくして持っていた薄をくるくる回しだした。その横顔はどこか考え事をしているように見えたが、逆になにかに耐えているようにも見えた。その小さな桜色の唇をぎゅっと結んでいたからだ。
「・・・・・。」
リカは李恩の横顔を見たあと、ふぅーと息を吐きながら満月を見上げる。
その様子をチラリと横目で見た李恩も、リカと同じように満月を見上げた。
小さな二人はそろってぼんやりと金色に光る満月を見ていた。
リカは分からなかった。なぜ李恩が満月がキライなのか。リカは満月が大好きだった。それは、リカの亡くなった父親が満月が好きだったというのもある。
リカは好きなんだけどなあ。
足をぶらぶらしながらそう考える。すると、リカはふとどうして李恩はこんなところにいるのか疑問に思った。満月やホタルの光で明るいとはいっても、辺りは真っ暗である。普通は家で布団に入って眠っているころだろう。
リカは恐る恐る尋ねた。
「ねえ、どうして李恩はここにいるの?お家は?」
すると、呆れた顔をして李恩はリカを見た。
「お前、それを本当に言ってるのか?お前こそどうなのさ。」
「え?私は別に・・・。だって夢だし。」
「さっきからなんなんだ、夢って。・・・まあ、いいや。お前が言うように、これは夢なのかもしれないな・・・。」
そうぼんやりと言う李恩は、なぜか諦めた目をしていた。むしろ、夢であってほしい。そんな様子だった。
急にそんな表情をした李恩にリカはとまどう。
「ねえ、どうしたの?」
「・・・いいや。というか、僕はどうでもいいがお前は大丈夫なのか?今ごろ、親が心配しているんじゃないのか?」
ぼうっとした表情からふと李恩は真剣な目をしてリカを見た。
「えっ、・・・そうかな?」
リカはだんだん不安になってきた。李恩を見ていて、もしかしたらこれは夢ではなく現実なのかもしれないと思うようになってきたのだ。
とたんに不安そうな表情になったリカを見て、李恩は立ち上がるとリカの手をつかんだ。
「きっと心配している。来い、僕が人間の町まで連れて行ってやる――。」
そういうと、李恩は背後に広がっている森の中へ歩いて行った。
「えっ、えっ!」
リカは驚きつつも、握られた手が強くて離せなかった。そのまま足をつまづきながらついていく。李恩の手は冷たかった。それに、ずいぶん切っていないのか長い爪が食い込んで痛かった。
「ねえ、ねえってば・・・!」
しばらくそのまま歩いていたリカは、とうとう耐えられなくなり悲鳴を上げた。ぎょっとしたように李恩は振り返ると、そのまま立ち止まった。
「李恩、手が痛いよ・・・。」
「・・・?ああ・・・そうか。すまんな」
始め、そう聞いて怪訝な顔をしていた李恩だったが、なにか思いついたようにつぶやくと、素直に手を緩めた。
「こうか?」
「うん。」
コクンと頷いたリカを見て、李恩はまた歩き出す。今度は歩くスピードもゆっくりにしてくれた。リカにとっては小走りに近いスピードだったので、とてもありがたかった。
「ねえ、李恩。」
しばらく歩いていた二人は、お互い黙っていた。そこにリカが声をかける。
「なんだ。もうすぐ着く。」
「李恩のお家は?」
ピタッと立ち止まった李恩の背中に、リカがぶつかった。そして、つないでいた手をパッと離した李恩をリカは不思議そうに見る。
「・・・それを聞いてどうする?」
無感情な声が森に響く。李恩は、リカを振り返ろうともしなかった。そんな李恩にとまどいつつ、リカは返事を返した。
「だって、さっき教えてくれなかったから・・・。」
「・・・・もう会うこともないだろうから言っておく。明日から、あそこへはもう来ちゃいけない。それと、もう僕を気にかけるな。わかったか?」
「どうして?」
「僕は悪霊にとりつかれてる。お前にそれがうつるかもしれないからだ。」
先ほどつないでいた李恩の手が、小さく震えていた。それでもリカは尋ねる。
「どうして?」
それを聞いて、李恩は爆発した。
「――どうして、どうしてとうるさい女だ!お前は頭が悪いのか?悪霊につ・か・れ・て・い・るんだ、僕は!」
キレたように振り返ると、李恩はリカを怒鳴った。だが、言葉が進めば進むほど、李恩のきれいな頬に涙が伝う――。
リカはそれをぎょっとしたように見ると、申し訳なさそうにうつむいた。
「・・・ごめん、まさか泣くなんて思ってなかったから――。」
「泣いてないっ!!」
李恩は大声でいうと、着物の袖で乱暴にごしごし拭く。
「もうお前はさっさと家に帰れ!お前みたいな人間が近くにいると、うるさくて仕方がないんだ。」
李恩は、そういって前を振り向きながらリカの手を握ろうとした。しかし、つかんだのは温かくて小さなものではなく、なにもない空気だった。
驚いてリカを見ると、そこには暗い森が続くだけで小さな女の子の姿はどこにもなかった――。
李恩は、なにもない空間を見つめて呆然とたたずんでいた。