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ダリヤ  作者: 漱木幽
3/3

 ダリアとハーヴェイは、狗族と呼ばれる隠された種族の一員である。


 狗族は人間と違わぬ生態をしているが、一部獣の特徴を残している、獣人と呼ばれるような存在だ。もっとも、彼らは「獣人」として人間の史書に記されているのが、不名誉なことだと考えている。それは人間から見て、自分たちが他の血族といっしょくたにされているのと同じだと感じるからだ。

 遥か昔は、地上にいくつかの種族が存在していた。しかし、ありがちな文明、および見た目の摩擦から戦争が起こり、類まれな技術を持っていた人間の他の種族は、そのほとんどが死滅した。狗族は絶滅を免れた唯一の種族として、人里からだいぶ離れた山間や、森の中に集落を作って暮らしている。すくなくとも、各地を旅しているハーヴェイの知る限りでは、狗族の集落は彼のふるさとを含めて、世界に四か所存在している。そのうちの二個所は完全に人間との交流を避け、排他的な態度をとっている。

 ――それも無理からぬことであろう。戦争があった時代の生き残りはもはやこの世にないが、先祖の受けた仕打ちを未だ呪いのように受け継ぎ、人間を嫌う者のほうが多い。

 ハーヴェイのふるさとは、四か所のうち、もっとも人間に友好的だ。友好的と言っても、やはりなるたけ人間との接触は避けている。決められた、あるいは強く望んだ者しか外に出ることは許されず、自分たちの正体を人間に明かしてしまうことは絶対のタブーとされた。

 ときおり、ハーヴェイは今のように人間と中途半端に関わり続けた結果、この実に危ういタブーが破られてしまうのではなかろうかと思う時がある。ふるさとが人間との関わり合いを始めたのが、名を受け継いだ大叔父が子供の頃のことだったというから、まだ百年に届くか届かないかというくらいだ。それでもそれだけの間、自分たちの秘密が守られてきたことには喫驚(きっきょう)を禁じえないが、自信とするにはあまりに頼りない。今までは細い道のりを慎重に歩んできたに過ぎないのだ。どんなに気を付けていても、いつ踏み外してしまうかわかったものではない。

 ――特に、あの娘は。

 ハーヴェイは一度スプーンを置いて、ふぅと肺にたまり込んだ息を吐きだした。

 ダリアと話したあと、慌てて彼女が持ってきたコーヒーを呑みながらゆっくりしているうちに、ハーヴェイはいつのまにか眠りの淵に落ちていた。

 目が覚めた時にはすっかり暖炉の日も燃え尽きていて、窓の外からわずかに差し込むオレンジ色の光の柱の中で、細かな埃が舞っていた。

 気分の悪さも収まったので、夕食をしに階下に降りてきたハーヴェイは、オーナー自ら調理したという料理の数々に舌鼓を打ちながら、危ういダリアの給仕を横目でちらちらと窺っていた。

 良く動き、よく喋る。誰が相手でも明るく、彼女と話すとほとんどの人間が笑顔になる。

 たしかに接客向きではあるな、とエンドウ豆のスープを口に運びながら思った。しかし、見れば見るほど動作が慌ただしい。

(いつか転ぶぞ、あれは)

 いっそ転んでくれればあとが楽なんだが。と、ろくでもないことを考える。

 この仕事には向いてないだのと、もっともらしい理由を付けることが出来るからだ。……そんなことを考えるうち、ハーヴェイは自分の目的を思い出して憂鬱な気分になった。一度憂鬱になると、ダリアの働きぶりを見ているだけで厭な気持になる。

 ダリアは仕事を愉しんでやっている。それは見る目に明らかだ。それがなおのこと、ハーヴェイには都合が悪い。どう言いくるめるべきか悩ましい。素直に彼の「目的」をダリアが受け入れてくれるかどうか、微妙なところだろう。

 味もわからぬままエンドウ豆のスープを干してしまうと、ちょうどオーナーと思しき男性が食堂に現れて、宿泊客に挨拶をし始めた。人のよさそうな壮年の男性である。丸顔に、後退しかかったはえぎわ。丸眼鏡。全体的に温和なイメージを纏っている人物だ。――誰にも言ったことはないが、ハーヴェイがもっとも苦手にしているタイプである。

 オーナーは順繰りに挨拶をしていき、最後の最後でついにハーヴェイの近くまでやってくると、丁寧にお辞儀をしてにっこりと笑った。屈託のない温かみのある笑み。

「ようこそ、我が宿へ。オーナーのピーター・クレメンスと申します。お見受けしたところ旅慣れていらっしゃるようですが、この地には始めておこしですか?」

 ハーヴェイは開口一番、オーナー・クレメンス氏の問いかけに、少しだけ面を食った。

「ええ、その通りです。よくおわかりになりますね」

 なるたけ優しげな声音でそう応えておく。作り笑いだけはどうも苦手で、笑みを返すことはできなかった。

「ハハ、ダリアに聞いたのですよ。彼は船酔いをしたらしい――と。この街に何度か来ているのなら、船旅には慣れているでしょうからね」

「――ああ、なるほど」

 まったく、あのおしゃべりめ。

 ハーヴェイはよっぽど睨んでおどかしてやろうかと思ったが、ちょうどタイミングよく、ダリアは厨房のほうへと引返して行くところだった。彼の恨めしそうな視線には気付かず仕舞いである。

「それを聞いたということは、私が彼女と昔馴染みということも御存じなのですか?」

 たしか、ダリアはそれも話したと言っていたが。ハーヴェイの確かめるような言葉に、クレメンス氏は頷いた。

「ええ。同郷だと聞きましたよ。ダリアはここに勤めて三年になりますが、彼女と同郷だという方は、あなた以外には会ったことがありませんでしたよ」

 まるで自分のことのように嬉しそうに語るクレメンス氏。ハーヴェイは頭痛が強烈になっていくのを感じずには居られない。そんな彼の事情などはつゆしらず、クレメンス氏はさらに世間話を続けた。

「この街にはどう言った御用件で?」

「訪ね人があるのですよ」

 再び垂らした前髪を指先で弾きながら、半ば捨て鉢のようにそう答える。嘘はついていない。

「その人物にあって、話をつけなくちゃならんのです。先方が首を縦に振るまでは、ここで部屋を貸してもらいたいと思っています」

「この時期は部屋が埋まることもありませんからね。言ってくだされば、部屋は融通いたしますよ」

「それはありがたい」

 笑顔で答えようかとも考えたが、やはりだめだ。顔が引き攣ってしまう。

 まさか話をつけるべき相手がそこのダリア嬢だなどということが、どうしてこのタイミングで言えようか。しかし、ダリアに「この話」を持ちこむ以上、いずれこのオーナー殿にも話をする時が来るはずだ。――ハーヴェイは悩ましげにクレメンス氏の広い額を見つめた。

 ……いずれにしろ、まずはもう一度ダリアと話す機会を設けなくてはならない。さきほどは話しそびれてしまったから、少しでも具合よく事を運ぶために時間を置く必要があった。

「いえいえ、私としてもお客様の相手をさせていただけるのは、嬉しいことですからね。……ところでお食事はお済みのようですが、どうです。マフィンなどはいかがですか?」

「せっかくですから、いただきましょう」

 笑顔で「かしこまりました」と去っていくクレメンス氏の背を見送りながら、ハーヴェイは嘆息しつつ、あれこれと腐心した。これは存外、デリケートな問題になってしまった。ふるさとを出てくるときは、よもやこのように厄介な「気持ち」になるとは思いもよらなかった。

(さて、ほんとうにどうするべきか)

 目的自体は単純だ。けれど、それを達成するには複雑に絡み合った事情をどうにか解いてしまわなければならない。頭の中でいくらか打算はあったが、そのいくつかはすでにダリアの迂闊な行動でおじゃんになっている。

 ――いや、迂闊だったのはおれのほうか。ハーヴェイは自重気味に笑う。


 しばらくすると、ダリアがマフィンを持ってやってきた。彼女はハーヴェイの表情から何かを察したのか、バツがわるそうに曖昧な笑みを浮かべた。

「これ、クレメンスさんから。クレメンスさんのマフィンはとっても美味しいんですよ」

 誤魔化すようにそう言うダリアに促され、ハーヴェイはマフィンを一口かじってみる。

 しっとりとしていて、まだ少し温かい。甘い香りがした。

 しばらくむぐむぐと口だけを動かして咀嚼した後、思い切り顔をしかめて、彼は言った。


「――――甘い」




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