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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
21_Self‐Reliance 〈雛鳥の巣〉

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94 安請け合い

 次の日。調査団の宿舎に残っていた面々に、レテウスはあれこれと聞いてまわった。

 街の中にどんな場所があるのか聞き、どこを訪ねるか考えるべきだったから。


 調査団は何人かの学者と、王都から派遣されてきた兵士で構成されているらしい。

 学者たちは新しい発見を待ちながら楽しげに暮らしているが、兵士たちはみな揃って覇気がない。

 チェニーに限らず、やる気に満ちている者はいないし、仕事もあまりないようだ。


 昼になるとショーゲンに誘われ、団員たちと昼食をとることになった。

 同じ制服で歩く群れに混じって、レテウスも進む。

 なんの準備もしてこなかった三男坊には着替えがなく、四日目は貸与された制服を身に着けていた。

 

 ショーゲンのお気に入りであるという食堂へ入り、奥の広い席へ通され、盃を掲げて。

「して、レテウス様」

 あとどのくらい滞在するつもりかと、団長は問う。


 腕の良い探索者たちの中に、ブルノーらしき人間がいるのかどうか探したい。

 と、思ってはいるのだが、もうブルノーその人に出会ってしまっていた。

 決めつけるべきではないだろうし、調査はもっとするべきだが、そこまで情熱的にこなせるかどうか。

 それよりも、ウィルフレドにもう一度会いにいけばいいのではないかと思ってしまう。

 なにか秘密があるのなら、誰にも言わないと誓えばいい。それで、自分はブルノーだったと告白してもらえばいい。


「レテウス様」


 しかし。改めて考えてみれば、それで満足できるかわからなかった。

 まともに会話をしたこともないのに、勝手に憧れ続けていた人がいきなり消えてしまって、落ち着かなかった。

 だから探しに来たが、去った理由もわからず、そこにいたのですね、ああ良かった、で済ませられるのか?


 いつも考えなしだと父からも母からもよく怒られる。

 気になったことがあればすぐに突っ走ってしまって、後始末はいつも誰かが引き受けてくれていた。

 兄にも叱られ、友人たちからは笑われる。お前は単純でいい奴だと言われてきたが、あれは純粋な誉め言葉ではないのだろう。


 レテウスにとって、今回の問題は複雑すぎた。

 本人だとしか思えないが、違うと言う。

 他人の空似である可能性はゼロではない。

 本人だったとして、ウィルフレドがブルノーであると認めるかどうかはわからない。


「お口に合いませんでしたか」


 眉間に皺を寄せ、太い眉毛を釣り上げて唸るレテウスを、ショーゲンが不安げに見つめている。


「いや、いや、そんなことはない。とても美味しい」


 実際には味はあまりわからないし、結局考えもまとまらない。

 何度か投げかけられた問いには答えねばならず、とりあえずあと三日くらい、と口に出してしまった。


 具体的な数字が出てきて安心したのか、ショーゲンの顔から明らかに力が抜けていった。

 隣に座る団員たちもそう。


 いきなり王都から貴族の息子がやってきて居座り、なにをしているのかも、いつまでいるのかもわからない。

 レテウスにはなんの野望もないが、調査団からはそう認識されているのだろう。

 三男坊はようやく問題点に気が付いて、また悩む。


 自分がいることがなにか問題になるのなら、宿舎は出て、では、宿を探すのか。

 北の安い宿屋の部屋はどんな風なのか。高い宿ではいくらかかるのか?


 わからないことだらけで、なにも決まらない。


 調査団たちとの食事会が終わり、レテウスはいてもたってもいられず街へ飛び出していた。

 近くにある商店の従業員や、探索以外の仕事に就いていそうな者に声をかけ、探索上級者が集う場所を調べていく。

 東側に進めばまた魔術師たちに惑わされるだろうと考え、南へ。北側と違って探索者らしき若者はあまりおらず、なんらかの店で働く従業員が多く歩いているようだった。


 迷宮の入り口らしき穴を行き過ぎると、街の風景が変わった。

 樹木の神殿へ向かった時には、クリュに導かれて東側へ足を向けていたが、今日はそのまま南へ進んでいる。

 草を大量に詰め込んだ籠がたくさん並べられている。籠は次々に運ばれてきたり、馬車の荷台に載せられたりしているようだ。

 妙な匂いが漂ってきて、レテウスは顔をしかめている。

 見たことのない形に、不思議な色の草が山のようにあって、これは迷宮都市ならではの光景なのだろうと思えた。


「あの、なにか、気になることがありますか」


 ふいに声をかけられ、レテウスは振り返る。

 草の籠の間にはおどおどとした様子の男がいて、三男坊の顔色を窺っていた。


「いや。珍しい色の草だと思って見ていただけだ」

「そうでしたか。なにかの調査ではないのですね」


 今日身に着けているのは調査団の制服であり、レテウスの「怒り顔」に不安が募ったのだろう。


「すまない。怒っているように見えたか。もともとこういう顔なのだ。初めて見るものばかりで、珍しくてな」

「そうでしたか。迷宮で採れた薬草ですし、加工する前の状態ですから。あまり目にするものではありませんからね」


 薬草屋の男はようやく緊張を解き、レテウスは着替えの一枚でも買うべきだと考える。


 衣料品店の場所を聞いて、そのまま東へと進む。

 思いついたまま来てしまったので、財布の中身が心許ない。

 クリュとの食事で思い知ったが、いちいちなにもかもを自分で支払うのは面倒なことだった。

 ここにいる限り財布の中身は増えない。このままでは空になってしまう。


 一度家に戻るべきか。

 父や兄はきっと、レテウスの行動を責める。もう二度と行くなと言われそうで、見つかりたくない。

 母だってきっといい顔をしないだろうから、納得させるための言葉を用意しなければならない。

 考えることがまた増えて、レテウスはうんうん唸りながら歩いている。


 そのせいでなにか間違えたのか、目の前に現れたのはまた薬草屋だった。

  

 今日はクリュに捕まらないように行動しようと思っていた。それで、朝から外に出るのは控えた。

 正体のわからない第三者だけに頼っていられないと考えてのことだったが、案内の人間がいないのはとても不便だ。


 クリュくらい親切で、「わきまえて」いて、身分の保証がある案内人が欲しい。

 王都であればいつでもそんな人間がいた。自分でなにからなにまで考え、すべての手筈を整えたことなどなかった。


 かつてないほどの不自由な現状に苛立ち、思わず、そばにあった木箱を蹴り飛ばしてしまう。


 周囲の空気が一変していた。

 レテウスも気が付いたが、もう遅い。

 調査団の格好をした人間が怒った様子で店の物を蹴り飛ばしたのだから、業者たちが慌てるのは当然のことだ。


 下働きの者が走り出したのは、責任者を呼びに行ったからなのだろう。

 レテウスは慌てたが、従業員たちはみんな離れていってしまい、怒れる調査団員を遠巻きにしている。


 この場から黙って去っては、調査団に迷惑をかけてしまうだろう。

 木箱は割れて、中に入っていた草が見えている。ひょっとしたら駄目にしてしまったかもしれない。

 とにかく詫びなければ。弁償をするとなると、いくらかかるのか。

 また金のことを考えなければならず、レテウスは唸る。


「調査団の方、我々の店になにか不備がございましたでしょうか」


 奥から小走りでやって来た男は、レテウスと年の変わらない青年だった。


「リシュラ商店の、キーファン・リシュラと申します」

 穏やかな青年に名乗られ、三男坊はなにから伝えるべきか悩んだのだが。

「おお? レテウスじゃないか。なにをしているんだ、こんなところで」


 キーファンの背後から、見知った顔の男が現れていた。

 似たような立場の仲間であり、幼少時からの長い付き合いである悪友の一人、オルフリオが現れニヤニヤと笑っている。


「オルフリオ」

「その服はどうした。なんの制服だ」


 快活なオルフリオのお陰で、リシュラ商店への詫びはスムーズに進んだ。

 木箱の中身はそう高価なものではないとわかり、損傷もないからと弁償は免れている。

 更には悪友の仲介でリシュラ家へ招かれ、レテウスは久しぶりに優雅な時間を過ごしていた。


「そうですか、人を探しに」


 キーファンは穏やかに微笑んでおり、レテウスは見た覚えのある顔だと思った。

 話してみれば、どうやら王都で通っていた学校で一緒だった時期があったらしい。

 キーファンも、レテウスの顔を知っていると微笑んでいる。


「オルフリオは何故、迷宮都市(ここ)にいるんだ?」

「このキーファンは新婚なんだ。俺の従妹のフロリアを覚えているか」

「ああ、あの愛らしい」

「そう、あの愛らしいフロリアが年頃になって、このキーファンと結ばれたってわけだ」


 王都でも式を挙げたが、迷宮都市でも宴が催されたので、観光がてらやってきたとオルフリオは言う。


「王国中の名物だのなんだのが集まっていて、おもしろくてな。予定より長い滞在になってしまった」


 さすがに迷宮には入っていないがな、と悪友は笑う。


「レテウス、いい店があるらしいんだ。キーファンも一緒に、今夜あたりどうだ」

「いい店ですか」

「迷宮都市には、男の安らぎのためのすごい店があるんだろう?」

「僕はまだ、仕事もありますし」

「フロリアに遠慮しているのか。まあ、新婚だからな。でも、ちょっとくらい試した方がいい。いろんな女がいるんだぞ、世の中には。勉強になる。二人の愛を深める秘技が身につくかもしれない」

「そんな……必要はありませんし、それにこの街の人間は、特に商人たちはみんな本当に記憶力がいいんです。どんな店に出入りしているか噂になっては困ります」

「大きな商店の跡取りだろう? ちょっと遊ぶくらいなんだっていうんだ」

「父や兄も困るでしょうから」


 断り続けるキーファンを、お堅い奴だとオルフリオは笑う。

 

「なあレテウス、このキーファンは立派な商店の跡取り様ってやつだが、兄上もすごい有名人なんだぞ」

「そうなのか。兄がいるのに、跡を継がないのか」

「街で一番の探索者なんだと。しかも、樹木の神殿のまとめ役までやられている」

「神官なのか。それはそれは、立派な方なのだろうな」

 

 まとめ役まで任されるとは素晴らしいとレテウスは感心したが、しばらく続いた雑談のあと、急に思い出して立ち上がった。


「どうしたレテウス」

「いや、樹木の神殿の、神官長をされているということか、キーファンの兄上は」

「ええ、そうですが。兄がなにか?」


 クリュの話が真実なら、樹木の神殿の神官長はウィルフレドと親密にしているはずだ。


「キーファンの兄上は、ウィルフレド・メティスという戦士と懇意にしているのだろうか」

「戦士ですか。探索をされている方なのでしょうか」

「ああ。無彩の魔術師と呼ばれる青年と暮らしている」

「無彩の魔術師なら、随分昔から共に探索をしている仲のようですよ」


 では、多少なりともつながりはあるのだろう。

 自分の未熟さから騒ぎを起こしてしまったが、こんな導きがあるとは思わず、レテウスは鍛冶の神に祈りを捧げている。


「その神官長の兄上に、会わせてもらいたい」

「会うのはもちろん、問題ありません。兄は神官ですから、誰でも受け入れて話を聞いてくれますよ」


 ただ、忙しいので神殿にいるとは限らないという。

 確かに、レテウスが訪ねた時には留守にしていた。

 家にいるかもしれないからと、キーファンは立ち上がり、在宅かどうかの確認をし始めている。


 屋敷に仕える者はあっという間に戻ってきて、神官長の居場所が伝えられた。


「今は神殿にいるそうです。良かった、迷宮に行っていなくて」


 キーファンは穏やかな顔に微笑みを浮かべて、ほっと息を吐き出している。

 レテウスは親切な薬草業者に礼を言うと、オルフリオにも別れを告げてリシュラ家をあとにした。



 調査団の制服を着ているからか、誰に話しかけても丁寧に道順を教えてもらえた。

 樹木の神殿に足を踏み入れてからも、制服の効果は発揮されている。

 声をかけずとも神官の方から寄ってきて、どんな用なのか聞いてくれたし、神官長の部屋にもあっという間に通されている。


「初めてお会いしますね。新たに調査団に入られた方ですか」


 樹木の神殿の神官長、キーレイ・リシュラはキーファンとよく似た顔をしていた。

 穏やかな雰囲気も同じだが、発しているものはまったく違う。

 精神的にも肉体的にも強いと思わせる、ブルノーとはまた違った強者の気配が漂っていた。


「わけあってこの服装をしておりますが、調査団の人間ではありません。レテウス・バロットと申します」


 真摯に神に仕える者には敬意を払うべしと教わってきた。そのようにしてきたつもりだが、こんなにも緊張したのは初めてだった。

 レテウスは自分の身分について説明をし、街へやって来た経緯について丁寧に話した。

 キーレイは細かく相槌を打ち、訪問者の目をまっすぐに見つめてくる。

 内心を見られているのではないかと思える眼差しに、いつでも正直な三男坊は、馬鹿正直に神殿へやって来た理由を話した。


「あのウィルフレドと名乗る戦士が、私の探しているブルノー様だと思うのです」


 キーレイの表情は真摯なもので、すべての語りを聞き終え、静かに頷いている。


「もうウィルフレドには会われたのですね」

「ええ」

「彼はなんと答えましたか」


 当然、正直に言うしかない。別人、人違い、探している人物ではないという否定をされた。


「では、それが答えなのだと思います」

「あなたは彼と懇意にしていると聞いています。どこからやって来たか御存知ないのですか」

「彼が語らないことを知る術はありません。この街では、ありとあらゆる個人的な話を伏せていて良いとされるところなのです」


 たとえ人を殺したことがあったとしても、誰にも話す必要はない。

 語りたければ語ればいい。ただ、この街で同じことをしなければいいだけだ。


「リシュラ神官長も、あのウィルフレドという戦士はただものではないと思われませんか」

「それは……そうですね。確かに、ウィルフレドのような人物は滅多に現れないでしょう」


 だがそれは、自分がそう思っただけの話にすぎない。個人的な感想でしかないと、キーレイは言う。


「ウィルフレドがお探しの人物ではないと言い切ることはできません。でも、彼がその人であると確実に示せるものも、ないのではありませんか」

「私は、ブルノー・ルディスという人物を知っています。間違いないのです」

「本当ですか?」


 何年も寝食を共にしてきた仲なのか。

 お互いの人生を語りつくしたと言えるほどの間柄なのか。

 間違いないといえる根拠はなんなのか。

 神官長に問われ、レテウスは歯がゆい思いを内心でぐるぐるとかき回していたが、言葉に変えることができないままだ。


「たとえ家族であっても、相手についてなにもかもを知っているなどとは言えないものです。心は見えませんし、どれだけ親密な相手であっても、あなたの知らない時間をも生きているのですから」


 力になれず申し訳ない、とキーレイは頭を下げている。

 だが、最後にこう三男坊へ釘を刺してきた。


「過去を問われたくなくてこの街を選ぶ者は多くいます。ラディケンヴィルスにいる以上、これまでの人生について問わないという約束は守らなければなりません」


 それだけが、迷宮都市で守るべき決まりだった。

 他人の人生について、問わない。

 そのかわり街の中では、他人に害を為すような振る舞いをしない。


 レテウスはがっくりと肩を落とし、神官長へ礼を言うと、調査団の宿舎へ戻っていった。


 

 悪友のお陰で受けられた接待の時とは違い、調査団の宿舎での時間は簡素で面白味がない。

 メイドが用を聞きにやってこないし、可愛らしい彼女らへ愉快なちょっかいをかけられもしない。


 ブルノーの行方が知りたかった。勢いだけでやってきた迷宮都市行だった。


 普段の暮らしの便利さを、今、レテウスは思い知っている。

 剣の稽古や仲間との愉快な会食、酒席、王宮での勤めを果たしていればなにも問題はなかった。


 問題が解決しないのは、自分が一体なにをしたいのか、最終的にどうなれば満足できるのかがわかっていないからだ。

 夜の間中いらいらと過ごして、ろくに眠れずに不快な目覚めを迎えたところでようやく、そう気が付いている。


 なにをしたいのか。

 ブルノーの行方を知りたかった。

 いや、それだけではない。朝食をとりながら、また気付く。


 ブルノーの行方を知り、なぜいなくなってしまったのかを知り、元通りの暮らしに戻って欲しいのだ。


 彼の役割についてははっきりと知らずにいたが、誰か高貴な人物の護衛をしているのだろうと思えた。

 ブルノーは、その強さのみが語られる存在だった。

 ブルノーについて語る人間は多くはいない。けれどその存在が目に入った時に、あれは大変な剣の達人なのだと話す人間がいた。


 王宮の中に身を置きながら、正体がわからず、ただただ強者のオーラを放ち続ける無口な男。

 レテウスにとっては、ブルノーはそれだけの存在だった。

 けれど、どうしようもなく惹きつけられて。彼について知り、剣を合わせてみたかった。

 稽古をつけてもらえないか声をかけたことがある。

 けれどにべもなく断られた。その後は、まるでレテウスなどいないような顔をされた。

 直接会話を交わしたのは、この一度だけだ。

 

 悔しかったのかもしれない。

 あんな扱いを受けたのが初めてで、納得がいかなかった。

 ブルノーは特別な人間だが、身分が高いわけではないようだった。

 戦で挙げた功績だけで登り詰めた男だと、誰かが話していたはずだ。

 

 いや、悔しかっただけではない。胸で渦巻く思いはそんな単純なものではなかった。

 だが正体がわからない。考えても答えは出なくて、それが苦しくてたまらず、またレテウスは宿舎を飛び出していた。


 今日は調査団の制服ではないせいか、街の人間の反応は鈍い。

 見慣れない種類の人間だと思われているのか、警戒されているように思えた。

 それでも街の東側にたどり着いて、黒い壁の家のあった辺りを歩く。

 目についた者にかたっぱしから声をかけ、最近名を挙げている、噂の人物に心当たりはないか問いかけていった。


 けれど誰の答えも同じだ。

 知らないか、ウィルフレド・メティスか。無彩の魔術師ニーロと共に探索をするようになった、美しく髭を整えた壮年の戦士で間違いないと言う。

 あんな男は他にいない。腕が良いだけなら他にもいるが、あんな風は珍しいとみんなが笑った。

 クリュと違う意見は出てこない。探索者ではない、通りすがりの商売人ですらそう話した。

 腕の良い探索者が使う店の名をいくつか聞き出し、そこでも問いかけていったが、結局同じ。答えは全員が同じ。

 そんな噂になるのは、ウィルフレド・メティスに違いない。

 彼にちょうどいい通り名を、大勢が考えているよと聞かされる。



 夕暮れ時まで歩き回ったが、成果はひとつきりだった。

 自分が考えた通りで間違いないのだ。

 ウィルフレドは、ブルノーに違いない。

 見た目も声も同じなのだから、そもそも間違っているはずがなかった。


 迷宮都市の東側を散々うろついて、夜が訪れようとしていた。

 レテウスは腹をぐうぐう鳴らしながら歩いて、黒い壁の家にたどり着いている。


 心身共に疲れ果てた三男坊は、拳に力を込めて扉を叩いた。

 珍しく在宅だった無彩の魔術師が中から現れ、来客の姿を見て首を傾げている。


「またあなたですか」


 なんの用か、と青年は問う。


「ウィルフレド・メティスと名乗る戦士に会いに来ました」


 家の中は明るく、背後には誰の姿もないのがわかった。

 魔術師ニーロはなにも言わなかったが、階段を降りる足音が聞こえてきて、件の戦士が姿を現していた。


「確か、レテウス殿でしたか」

 ウィルフレドもまた、なんの用なのか三男坊へ問う。


「ブルノー様、なぜ、本当のことをおっしゃってくれないのですか」

「私はブルノーという名ではありません」

「あなたはブルノー・ルディスだ。王都で、王宮で仕えていらしたでしょう。私はあなたに稽古をつけてほしいと頼んだ!」

「それは私ではありません」

「いいや違う。絶対にあなただ。あなたのような方は他にいない。なぜ王宮を去ったのです? 誰も彼も、みなあなたの話をしなくなった。語ってはならぬことだと言う者もいる。どうしてなのですか」

「問いたいのはこちらの方です。なぜ、人違いだとわかっていただけないのか」

「人違いなどではないからです」


 今日一日、あちこちで聞いて回ったとレテウスは必死の思いで語り続けた。

 だが、ウィルフレドの心は少しも動かなかったようで、三男坊へ向けられた視線はひどく冷ややかだ。


「そのブルノーなる人物がこの街にいるとは限らないでしょう」


 レテウスの心はぐらりと揺れる。

 まず、スタート地点から間違っている可能性がある。この指摘にぐらぐらと揺れたが、だが、それでも納得がいかなかった。

 目の前で話す男の瞳の色、体格、髪の色、整えられた美しい髭と、声、話し方。

 なにもかもがブルノーなのに。

 なのに、ウィルフレドは隙を見せない。会話の中に肯定のかけらすら含ませなかった。

 自分ではない、人違いをしている、あなたの勘違い、記憶の間違いだと、レテウスをひたすらに拒んで認めてくれなかった。


「あなたはブルノー様だ」

「違います。もうよろしいですか。私はこちらで居候をさせて頂いている身で、あまり迷惑をかけたくないのです」

「居候? あなたが? ブルノー様ともあろうお方が?」


 夜は更けて、辺りは暗い。だが、騒ぎが聞こえたのか、無彩の魔術師の家の周りに人が集まっていた。

 なんだあいつは。無彩の魔術師と、その相棒である最近名を挙げている戦士に食ってかかっている奴がいるぞ。

 囁き声が集まり、ざわめきに変わっていく。馬鹿な奴だと嘲る声も聞こえてきて、レテウスは身を震わせていた。


「私はあなたに教わりたいだけだ! 剣の稽古をつけて欲しいと願っているだけなのに。なぜそうも拒むのです!」

「それならば何故、私を違う名で呼ぶのでしょう」

「あなたがブルノー様だからです!」

「レテウス殿、あなたは服装からして身分のある方だとお見受け致します」

「私が何者かなど、御存知でしょう」


 ウィルフレドはただ小さく首を振って、この問いには答えなかった。


「どんな身分であっても、この街ではなんの意味もありません。王その人が現れたのであれば、さすがに違うでしょうが」

「私の身分などどうでもいい。あなたがこんなところで、こんな暮らしに身を落としているのが問題なのです」

「こんな暮らし?」

「得体の知れない穴に潜って、命をかけたその日暮らしをするなんてどうかしている!」


 この街に来てから、なにもかもがレテウスの思う通りにならなかった。

 行方を知りたい人がいて、探しに来ただけ。その人に戻ってきて、願いを聞いてほしかっただけ。

 こんな些細な願いがまったく叶わないとは予想外だった。ここまで話が通じないとは思わなかった。

 街の人間たちのよそよそしい態度も嫌だった。苛立ちが積もり積もって怒りに繋がり、それで思わず、声を荒げてしまったわけなのだが。


 ようやく、ウィルフレドの表情が動いた。

 軽蔑の目が向けられていることに気付き、レテウスははっとして、息を吞んでいる。


「そうですね。我々はたかが探索者。古代の魔術師が作った謎深き迷宮に潜り込み、命を賭ける大馬鹿者です」


 静かな声だが、明らかに怒りが秘められている。


「そんな人間に、あなたのような方が構う理由などありませんな」

「いや……、いや、違います。その、さきほどの言葉は」

「早く去った方がいい。皆、聞こえていたでしょうから」


 三男坊が慌てて振り返ると、騒ぎを聞いて集まった群衆が自分にどんな目を向けているのがわかった。

 怒りに満ちた者もいるし、あざ笑うような顔をしている者もいる。舌打ちの音も聞こえたし、恨みがましい視線を向ける者もいた。


「ブル、いや、ウィルフレド殿!」


 もう一度振り返ると、黒い家の扉は閉められる寸前だった。

 慌てて縋り付き、足を差し入れ、力づくで止める。


「申し訳なかった! 失言だった!」

「なにを言われても同じです」


 このまま扉を閉められたら、すべてが終わってしまうとレテウスは思った。

 けれどいい案などない。この場に最もふさわしい言葉など、この貴族の三男坊に思いつくはずもなく。


「どんなことでもしますから、話を聞いてください!」


 勢いのままこう叫んでしまった。

 扉の動きは止まる。あと少しの隙間が残って、ウィルフレドの右目だけが見えていた。


「どんなことでも?」

「ええ、ええ。あなたに話を聞いていただけるのなら、なんだってします」

「無理でしょう」

 戦士がふっと笑ったように感じて、レテウスはまた叫んだ。

「無理などではない。なんだってやってみせる!」

「本当ですか? 面倒になったら、途中で投げ出してしまいそうだ」

「そんなはずはない。私は私とバロットの名にかけて、なんであろうと成し遂げてみせる」


 興奮しすぎたようで、息切れをおこしていた。

 レテウスが肩で息をしていると、ゆっくりと扉は開いた。


「では、ひとつ願いを叶えて頂きたい。大変な仕事になりますが、引き受けて頂けますかな」

「もちろんだ!」


 ウィルフレドは外へ出てくると、家を囲んでいる群衆に声をかけ、帰るように告げた。

 騒動はまだ続きそうで、野次馬たちは名残惜しそうだったものの、結局は一人残らず去っていったようだ。


「子供をひとり、預かってもらいたい」

「子供を?」

「ええ。安全に暮らせる家を用意して、面倒を見てください」

「面倒?」

「彼はまだ十一歳で、どうやら家族は最早ない様子。衣食住すべての面倒を見る大人が必要なのです」


 思いがけない願いで、レテウスはしばらく絶句していた。

 住む場所を確保して、子供と暮らす。

 自分が、誰かの衣食住すべてを用意して、暮らしていくなんて。


「やはり、無理でしょうな」


 言葉を失うレテウスへ、ウィルフレドは肩をすくめてみせた。


「この街で探索者になる若者たちはみな、そのくらいできるのですがね」

「みんな?」

「ええ。あなたはカッカー様の屋敷の管理人に会ったでしょう。彼は家のことならなんだってできます。掃除も炊事も洗濯も、金の管理、交渉だってお手のものだ。彼は南の港町から来ただけの十九歳ですが、誰にでも親切で、私などよりもずっと大勢の役に立てる、素晴らしい若者ですよ」


 管理人の顔はぼんやりとしていて思い出せない。

 どこにでもいる、ありふれた顔の若者のように見えたのに。

 けれどウィルフレドは、ブルノーはこう思っている。

 あの管理人ならなんでもできて、レテウスにはなにもできやしないと。


「いや、やれる。子供を預かるくらい私にもできる」

「では、家を用意できたらまた来てください」

「家を」

「この近くだとありがたい。様子を見に行けますからね」


 今度は優しげに微笑んで、ウィルフレドが扉の向こうに消えていく。


 辺りは急に暗くなって、レテウスは夜の道の上に一人、しばらくの間立ち尽くしていた。

 

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― 新着の感想 ―
貴族の人ストーカーすぎて怖いですね〜。
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