93 美しい案内人
落胆しながら屋敷を出て、レテウスは思わずため息をついていた。
すぐに解決、再会できると考えていたのに、何日か待たなければならないらしい。
腹も減ったし、帰り道もわからない。
ここからは人に尋ねながら西側へ向かうことになるだろう。
だが、調査団だとか、いかにも王都から来た人間に、迷宮都市の住人はあまり好意を持っていないようだとわかってしまった。
先ほどの若者たちのような視線を向けられながら話さなければならないのだろうか。レテウスはすっかり気落ちして、大きく息を吐き出している。
「レテウス、用は済んだ?」
憂鬱な気分になる三男坊の前に、クリュがぴょこんと飛び出して来た。
長い金髪をさらりと揺らし、首を傾げたポーズで微笑んでいる。
「待っていたのか、サークリュード」
「別に」
そっけない返事をしておきながら、クリュはレテウスの隣にやって来たし、まっすぐに顔を見つめて来た。
父親が憤慨していたある日の夕餉の時間が思い出される。
どこかの貴族の子息が、まともに働かず、それどころか男を囲って暮らしているという噂を聞いてのことだった。
まだ十歳のレテウスに聞かせる話ではないと母が遮ったが、どういうことかと疑問に思ったものだった。
だが、今日で解決だ。
父がごくつぶしと罵っていたどこかのどら息子は、きっと今目の前にいるような魔性に出会ってしまったのだろう。
「ちゃんと会えた?」
「いや、あの屋敷にはいないらしい。私の知り合いかどうか確認して、伝えてくれるそうだ」
「えー、やっぱりあの管理人は意地悪だな。ちょっと会うくらいしてくれるだろう、ウィルフレドって人は。珍しいくらい紳士的だって話だよ。有名な大商人の息子の、樹木の神官長とだって仲良くやってるらしいし」
クリュの話が本当なら、隣の神殿へ行けば教えてもらえるかもしれない。
すぐに踵を返して神殿へ向かってみたが、神官長は留守にしていて不在だという。
神官たちにウィルフレドの住処を尋ねてみても、ギアノと同じ返事しかもらえなかった。
仕方なくレテウスが南へ向かって歩き出すと、またどこからともなくクリュが現れて隣に並んだ。
「駄目だった? なあ、レテウス。俺が調べてあげるよ」
「ウィルフレドという戦士の居場所をか?」
「うん。有名人だしちょっと聞けばわかるだろ」
「この街ではあまり他人について簡単に語らないような流儀があるようだが」
「俺、少し前も人探しを手伝ったんだ。ちゃんと見つけて、教えてあげたんだよ」
クリュはにこにこと笑っているが、発言の最後に「怒られちゃったけどね」と付け加えている。
「誰に怒られた」
「カミルってやつに。あいつ、細かいことにいちいちうるさくって」
でも、探していた側は感謝してくれているはず、らしい。
「サークリュード、何故私についてくる?」
「道、わかんないだろうと思って」
クリュはごく平均的な背格好をしているが、レテウスはかなり大柄だ。
身長差は歩幅の差に繋がっており、せっかちなレテウスの歩みは早く、クリュは小走りでついてきている状態だ。
どんな思惑があってまとわりついているのかわからない。しかし、多少不躾ではあるが、単純に親切なだけなのかもしれない。
そう勘付いて、レテウスは歩く速度を少し落とした。
「そろそろ道を曲がった方が良いよ。まっすぐ進むと市場があるし、レテウスにぴったりの立派な宿もあるけど」
案内通りに西へ向きを変えて進んでいく。その後も、クリュの迷宮都市案内は続いた。
昼を過ぎて腹も減り、食事をとりたい。
宿舎が近くなったところで思い立ち、レテウスは目についた食堂へ入った。
想像していた通り、クリュもそれが当然といった様子でついてきて、二人で向かい合って座る。
食事中もクリュはおしゃべりで、自分に任せろ、力になると言い続けている。
迷宮都市へ来てまだ一日程度、協力してくれる人間は確かにクリュしかいない状態だが、安易に頼るのは危険なように思えた。
なので申し出は断り、案内の礼として食事代は奢った。
「ここが調査団の宿舎だよなあ。ちょっと古いみたいだけど、でもさすが、立派だなあ」
食事が終わった時に別れを告げたはずなのだが。
レテウスは宿舎の前でまだクリュに腕を掴まれており、ぶんぶん振られながら悩んでいる。
「俺も泊めてよ」
「それはできない。規則があるからな」
「連れでも駄目なの? 友達でも?」
駄目だし、友達でもなし。
レテウスは冷静に断ったが、クリュはかなりしぶとく食い下がった。
「いっぺん見てみたい。調査団の人たちの暮らすところってどんなところか知りたいな」
「私は調査団の所属ではないんだ。厚意で部屋を貸して頂いている分際で規則を破ることなどできない」
「ん-。俺、そんなに大きくないから。邪魔にはならないよ」
「邪魔かどうかの問題ではない。とにかく駄目だ」
「部屋の隅でじっとしてても?」
声が少しずつ大きくなっていく。
かなり強めの「駄目だ」を放つと、クリュの青い目にはみるみる涙が溜まっていった。
「ごめん」
急にしおらしい態度を取られて、三男坊の心が揺れる。
これまでの人生で何人かの女性に恋をしてきたし、手近なちょうどいい相手には手を出してきた。
みんなそれぞれに良さがあったが、今目の前にいるクリュほどの魅力があっただろうか。
レテウスにそう考えさせてしまうくらい、潤んだ瞳の破壊力は凄まじい。
「すまない、サークリュード」
「ううん、いいんだ」
クリュが振り返り、長い髪と瞳の煌きは見えなくなってしまった。
追う訳にはいかない。どんなに愛らしく見えても男だ。たいして知った間柄にもなっていないのに、図々しく馴れ馴れしい。
愛馬の様子を見に行き、世話をしたりして過ごしたが、落ち着かなかった。
なぜか悪いことをした気になってしまっている心を立て直し、翌朝。
しばらく連絡が来るのを待つしかないと思っていたレテウスだったが、散歩でもと考えて外へ出ると、ご機嫌な笑顔が待ち受けていた。
「レテウスー!」
クリュが駆け寄ってきて、困惑する三男坊の目の前で止まる。
ただでさえ美しいのに、笑顔は朝日を受けてキラキラと輝いていてひどく眩しい。
「わかったよ、ウィルフレドって人の家」
「なんだと、もう?」
「また東側に行かなきゃいけないけど、有名な魔術師と一緒に暮らしてるんだってさ」
剣の道一筋、骨の髄まで武人といった印象のブルノーが、魔術師とともに暮らしているとは。
心がもやもやとして落ち着かないが、とにかく、居場所はわかったらしい。
「案内するよ」
準備は良いかと問われて、レテウスは悩む。
昨日の夜、宿舎に戻ってから。
調査団員たちとすれ違ったり、言葉を交わす機会が少しあったが、誰も彼も妙な視線を向けてきた。
それはきっと宿舎の前でクリュを泣かせたせいだ。誰かに目撃されていたのだろう。
クリュとの関係はとても希薄で、深めていきたいものではない。
どうしてこんなに馴れ馴れしく接してくるのかよくわからない。
レテウスの身分を知って近づいてきたわけではなさそうであり、玉の輿を狙っているという線も考えられない。
距離感を掴めない妙な他人でしかないのだが、愛らしさ、涙のせいでごまかされている気がする。
だが、レテウスに対して親切で、協力してくれる唯一の人物でもあった。
「何故私に構うのか」
「えっ?」
レテウスに問われ、クリュは大きな目を見開いている。
そのせいで、瞳がこれでもかといわんほどにキラキラと輝いていた。
「君にも仕事や、用事があるだろう」
「仕事なんかないよ。俺、探索者だもん。今は一緒に探索するための仲間を探してるんだけどさ、なかなかうまくいかなくて」
「なにか問題が?」
「うん。俺、よく女と間違われるんだ。見たらすぐわかりそうなもんなのに、顔のせいなのかな」
「顔のせいだろうな」
「レテウスもそう思う?」
三男坊は頷き、クリュは恥ずかしそうに笑う。
「探索の仲間はすぐ見つかるんだけど。男だってわかったら冷たくされたり、追い出されたり、男でいいから相手してくれって話になっちゃって」
この顔で十数年ほど生きてきて、慣れてしまったのだろうか。
気の毒な話だが、語るクリュ本人に悲愴感はない。
「それ聞いて他のやつまで相手しろって言ってきたりさ。探索の仲間を探してるだけなのに、変なことになっちゃって」
「探索の仲間とは、どうやって探すものなんだ?」
「仲間を探してる連中なんて、いっぱいいるんだ。食堂とか酒場とかで、強そうなやつに声をかけたり、かけられたりして組むんだけど」
「なるほど」
「アダルツォたちが入れてくれたら良かったんだけどな。あいつらは、女の真似をしろなんて言わなさそうだったから」
「アダルツォ?」
「随分前に一緒に組んでたんだけど。俺、借金押し付けて逃げたから」
笑顔を浮かべたり、首を傾げたり。クリュの話す様はとにかく愛らしかったが、人間性はとんでもないようだ。
しかけていた同情を引っ込め、レテウスは眉間に皺を寄せている。
「あっ、違うんだよ、レテウス。俺、すごく反省したんだ。悪いことをしたから、今、こんな目にあってるんだってわかってね」
慌てたようにレテウスの手を取り、クリュは悲しみの表情を見せた。
顔だけだとわかっていても、その顔の力がすごい。
引っ込んでいった同情が心に勝手に溢れてしまって、三男坊はクリュを恐ろしく感じ始めている。
「だから、困っていそうな人がいたら親切にしようって決めたんだぜ。レテウス、道に迷って困っていただろう? 今は、探している人に会えなくて困ってる」
俺が力になったら嬉しいよな、とクリュが笑う。
思わずつられて笑ってしまい、この反応が「同行の了承」になってしまった。
すべて、他人のペースでことが運んでしまっている。
レテウスは今日もまた迷宮都市の道を二人で並んで歩いていた。
確かに、調査官のチェニーに比べたらずっといい。彼女のいいところをあげろと言われても、女だということ以外に浮かばない。
クリュはとても勝手だが、善意で動いてくれている上、とにかく見た目が良い。
前日と違って北の大通りを進んでいるが、道を行く男たちはみんなクリュに目を向け、立ち止まり、振り返っていた。
よく見れば男とわかるのだろうが、長身でがっしりとしたレテウスが隣にいるせいで、小さく細身に見えるのだろう。
にこにこと笑みを浮かべながらよく喋り、なにかあった時には必ず手を取ってきて。
クリュが女だったら、王都へ連れて帰っていたかもしれない。
妻にはできなくても、側に置いておきたいと思っただろうから。
他愛のない話を聞きながら、レテウスは惜しいような、良かったような気分を持て余していた。
北側の大通りを東へ進んで、途中で南に向かって曲がり。
街の入り口付近の雑然とした様子とはうってかわって、落ち着いた街並みが見えてくる。
「この辺に黒い壁の家があるらしいよ。そこが無彩の魔術師の家なんだって」
「無彩の魔術師というのは?」
「岸壁の神官がいるだろ。その人の昔の仲間のすごい魔術師が育てたとかで、子供の頃から迷宮に入ってるんだって」
「迷宮というのは子供でも入れるものなのか」
「子供には無理だよ。大人だってすぐ死んじゃう場所なんだから」
クリュのおしゃべりを聞いているうちに、目指していた黒い壁の家が見つかっていた。
通りの一番端にあるし、他に同じ色合いの家もない。
では、ここで間違いないのだろう。
こじんまりとした簡素な造りの壁は、ブルノーに似つかわしくないとレテウスは感じていた。
王に授けられた剣を提げ、いつでも黒い服に身を包んでいた。服には金色の糸で刺繍が施されており、ブルノーによく似合っていた。
仕立ての良い衣服は美しい顔立ちを引き立て、女たちはみな憧れの目を向けていたものだ。
本当にここにいるのか、レテウスは悩みながらも扉の前へと進んだ。
クリュはこんなタイミングでは前に出るのを控えるらしく、少し離れたところに留まっている。
ひょっとしたら、クリュの情報に誤りがあるかもしれない。
そう考えると少しだけ気が楽になり、真偽を確かめるために、レテウスは扉を叩いた。
中から気配がしている。
窓の向こうになにかが動いて、扉は開き、灰色の瞳の青年が顔を出した。
「どなたでしょうか」
「私の名はレテウス・バロット。こちらにウィルフレド・メティスと名乗る戦士がいると聞いて……」
なんと説明すべきか悩みつつも切り出したレテウスだったが、家主であろう「無彩の魔術師」らしき青年の向こうにもう一人立っている人物がいて、思わず息をのんでいた。
「ブルノー様」
間違いなかった。
探し求めていた人の姿がそこにあった。
薄暗い家の中にいても、瞳の鋭い輝きは隠しきれない。
「ブルノーとは?」
「あ、その……。そちらにおられる方を探していたのです。迷宮都市にとても腕の立つ戦士が現れたと聞き、私の探している方なのではと考え、会いに来たのです」
無彩の魔術師は振り返り、背後の戦士へ目を向けている。
二人の視線を受けている偉丈夫、ウィルフレドは、眉間に皺を寄せて小さく首を傾げてみせた。
「人違いです」
「あなたはブルノー様でしょう」
「私の名はウィルフレド・メティス。ブルノーではありません」
「そんな」
「以前、王都の調査団の方からも同じ名を聞きました。よほど似ているんでしょうな、その、ブルノーなる人物と」
ウィルフレドは薄く笑みを浮かべると進み出てきて、レテウスの眼前に立つ。
「あなたはブルノー・ルディスだ」
「用がないのなら、これでお引き取りを」
レテウスが戸惑っている間に扉は閉められてしまった。
あまりにもあっさりと終わった邂逅に心が付いていかず、黒い家の前でただただ立ち尽くしてしまう。
「レテウス」
クリュが近づいて来て、手を取って。
冷えた体に温かいものが触れ、それでようやく、貴族の三男坊は意識を取り戻したような気分になっていた。
「違ったの?」
「いや、……あれはブルノー様だった」
じゃあ、嘘をつかれたのか。クリュに問われ、レテウスは迷う。
ブルノーが姿を消した事情がそもそもわからない。
あれほどの人物が、何故、王宮から姿を消したのか。消さねばならなかったのか。
ただ勤めを辞めただけなら、そう言われそうなものだと思う。
あそこにいられなくなったのだろうか。
ブルノーの身に、なにが起きたのか?
考えがまとまらないまま、ぼんやりと時間が過ぎていった。
クリュに連れられて少し歩いて、食事を奢らされたと思う。
昼を過ぎた頃には宿舎に戻っていたし、部屋の隅に招かれざる客がこっそり座り込んでいた。
「サークリュード、どうやって入ったんだ」
「どうやってって。レテウスをここまで連れて来てあげたんじゃないか。なんでそんな言い方をするんだよ」
ぷうっと頬を膨らませた様子は愛らしく、ひょっとしたら女を連れ込んだと思われているのではないかとレテウスは考える。
「一人で帰れる感じじゃなかったから」
確かに、記憶がぼんやりとしていた。調査団の面々にあらぬ誤解を受けている可能性と、今日受けた親切についてはわけて考えるべきだろう。
「世話をかけたようだな」
「別に。残念だったね、レテウス」
適当な返事をしつつ、心を持て余していた。
なぜ人違いなどというのか。
ちっともわからない。どんな理由があるのか、想像がつかない。
「人違いなどではない」
ウィルフレド・メティス。
見た目も声も、ブルノーとまったく同じだ。
違うのは、着ている服の色くらいか。
深い青色を身に着けているところなど、見たことがなかった。
だが、全身から放たれている強者の気配は同じ。
ブルノーと同じ。
「もう王都に帰るの?」
「うん?」
「まだ、そのブルノーって人を探す?」
クリュの問いかけに、レテウスはまた悩んだ。
最近名を挙げている凄腕の戦士がいると聞き、ブルノーではないかと思った。
あの噂の主がウィルフレド・メティスではないのなら、まだ可能性はあるだろうが。
「元は騎士団の団長だったと噂されるほどの戦士がいると聞いてやって来たんだ」
「それ、さっきのウィルフレドって人のことだよね」
「他にいないか? 同じくらいの腕の立ちそうな戦士は」
「腕が立つってだけなら、いるかもしれないけど」
探索熟練者の話は巷に溢れていて、次はどこの迷宮に挑戦するようだとか、仲間を入れ替えたとか、夜な夜な酒の肴代わりにされている。
熟練の上級者たちは、噂の的だ。だが、腕の良さの話などありふれている。多少腕は悪くても、それ以上に「珍しい」特徴を持った者の方が語られる。
「もとは騎士団長なんて言われるような探索者なんて、あの人以外にいないよ」
クリュはわかったような顔で頷き、最後になぜか、レテウスを見つめてニッと笑った。
確かに、騎士たちの中にすらブルノーと似た者などいない。
見た目だけ、体格だけ、品の良さだけならば存在するだろうが、彼は誰とも違う、凄まじい強者のオーラを持っていた。
迷宮都市にやってきて、まだ三日。諦めるにはまだ早い。
話を聞かせてくれたのはまだたった一人だけ。なぜか付きまとってくる麗しい探索者とやらが一人だけで、クリュの話を鵜呑みにするわけにはいかないだろう。
「腕の立つ探索者が集う店もあるのか」
「腕の立つ人たちはお金があるから、高いお店に行ったら会えるんじゃない?」
「どのあたりにある?」
この問いに対する答えは曖昧だった。クリュの顔は美しいが、身に着けているのは簡素なものばかりだ。
金のかかる店への出入りなどしていないのだろう。
「あっ、そうだ。レテウス、今日行った辺りは貸家とか売家が並ぶ通りなんだよ。あそこに住んでいるのは、腕のいい探索者ばっかりでさ。腕のいいやつらは宿なんか使わないで、家を買って気ままに暮らすようになるんだ」
なんとか追加の情報を絞りだし、クリュはレテウスをじっと見つめている。
これまでの振る舞いを反省し、悩める旅人へ親切にしたいと考えているのは本当なのかもしれない。
三男坊が礼を言うと、クリュはうきうきした様子でにこにこと笑った。
親切な上、愛らしい顔の若者だが、宿舎に留め置く理由はない。
粘られたもののレテウスは夕方、なんとかクリュを部屋から追い出していた。
一人になり、これからについて考えていく。
少しだけ酒を口に含み、ベッドに転がり、目を閉じて。
ブルノーの姿を思い出したところで声がかかった。
宿舎を訪ねて来たのはカッカーの屋敷の管理人で、残念ながらウィルフレドはレテウスのことを知らない、と伝えられた。
自分があの黒い家を訪ねたのと、管理人が確認に行ったのと、どちらが早かったのだろうとレテウスは考える。
自分の方が後だったと思いたい。カッカー・パンラの屋敷の管理人に無駄足を踏ませて、情けない気分だった。
「レテウス様」
宿舎での手伝いをしてくれているのはガランという名の青年だったが、今日夕食を運びに来たのは陰気なチェニー・ダングだった。
ガランよりも荒い手つきでテーブルの上にトレイを載せ、虚ろな目のままカップを置いて。
随分な振る舞いだったが、ぐっとこらえてレテウスは礼を言った。
そんな三男坊へ、チェニーはようやく視線を向けた。
「お探しの方は見つかりましたか?」
「……いや、見つかってはいない」
「ウィルフレド殿は、あの屋敷にはもういらっしゃらなかったのですか」
「ああ。だが、ウィルフレドなる戦士には会えた。私の探している人物ではなかったようだ」
いや、本当はウィルフレドこそがブルノーで間違いない。
目を閉じると、あの黒い家で見た光景が浮かび上がってくる。
初めて見た、灰色の髪と瞳をした若者。彼の鋭い視線と、背後に控えていた探し求めていた人。
レテウスの訪問を、なんとも思っていない顔をしていた。焦りもなく、慌ててもいない。まったく知らない人間を見るような目を向けられた。
「では、もう王都へお戻りになられますか」
三男坊は口をぎゅっと閉じ、太い眉毛をぴくぴくと震わせている。
なんの用意もなく迷宮都市へやってきてしまった。すぐに見つかるだろうと高を括っていた。
見つからなかった場合について、考えがなかった。
だがとにかく、このまますごすごと帰るのは嫌だ。納得がいかないし、性に合わない。
今のところ得られた情報はクリュのおしゃべりだけであり、他の住人たちからも聞いておくべきだろう。
「まだだ。もう少し探す」
「そうですか」
「ダング調査官は、噂になるほどの腕の良い戦士、探索者というのか。身分のある方だったのではと言われるような者に心当たりはないか? あのウィルフレドと名乗る戦士とは別に」
レテウスが問いかけると、チェニーはぱっと目を逸らし、ぼそぼそと答えた。
「ありません。私たちは、あまり探索をする者たちとは交わりませんから」
「そうなのか」
では、調査団員の話は役に立たないのだろう。
「街に集う探索者に詳しい者はどこにいるだろう。誰に聞けばいいかはわかるか」
「商人ならば知っているのではないですか。初心者と腕の良い者では、使う店も違うといいます」
クリュは住む場所の違いを話していた。商店も同じで、扱う物の差があるのだろう。
どのあたりに店があるか問いたかったのに、レテウスが考えを巡らせている間にチェニーは姿を消していた。
ヘイリー・ダングは快活な男だ。
髪をさっぱりと短く切りそろえていて、声は大きく、返事ははっきり。よく食べよく笑い、年上からは可愛がられ、周りの人間からは慕われているようだった。
彼にあんなにも陰気で地味な妹がいるとは。意外だし、気の毒だとレテウスは考える。
ろくに化粧の仕方も覚えず、愛想を振りまくこともない。彼女を嫁にした男は、家に帰るのが憂鬱になるに違いなかった。
調査団の宿舎で不自由はないが、楽しくはない。
下働きの者は何人かいるようだが、どうしてなのか男ばかりのようで、遊ぶのにちょうどいい女は見当たらなかった。
この三日間、歩いてみてわかったが、迷宮都市では若く愛らしい女性がその辺を歩いていることはあまりないようだ。
迷宮都市の空気は王都とはあまりにも違う。
同じ国の中にある街なのに、随分勝手が違うようにレテウスは思った。
厩舎に向かい、愛馬の様子を見に行って。
馬を留め置く場所は立派な造りだったが、あまり活用されていないらしい。
確かに、街中で馬で移動する者など見なかった。
馬車はいくらか見かけたが、のんびりと人や荷物を運ぶものばかりだ。
このまま愛馬に飛び乗って、気楽な暮らしに戻ってしまいたい。
レテウスは悩んだが、なんとかこの思いを胸の奥にしまい込んだ。
王都まではすぐにたどり着く。すぐにたどり着けるところならば、なにも解決していない今でなくてもいいだろう。
明日はなにをすればいいのか、もっと考えるべきだった。
宿舎に戻って、ベッドに横たわり。三男坊は目を閉じると、夜が更けるまで考えを巡らせ続けた。




