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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
19_Over Again 〈命の護り手〉

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86 生活基盤

 またフェリクスを残して兄妹が部屋を出ると、廊下に美しい女性が立っていた。

 恩人の深い悲しみに浸っていたアダルツォだったが、女性の描き出す見事なフォルムに、一発で目が覚めたような衝撃を受けている。


「アデルミラ、一体なにがあったの?」


 妹が駆け寄っていくと、美女は小さな体を受け止めて、優しくぎゅっと抱きしめてくれた。

 心底うらやましいが、同じ対応は望めないだろう。

 美女の隣にはティーオがいて、自分と似たような視線をアデルミラに向けている。


 小さな女の子がギアノの足元にいてぺらぺらとおしゃべりを続けているし、その先には大きな体の禿げ頭の男がいて、もう一人、もっと小さな女の子を抱いている。


「アダルツォ、カッカー様とヴァージさんだ。名前くらいは知っているだろう」

 カミルとコルフがやってきて、二人の正体を耳打ちしてくれる。

 アダルツォは慌てて前に進んでいき、名乗り、アデルミラの兄であることを話していった。



 今回の厳しい旅が抱えていた一番の問題は、手助けした女性が本当にフェリクスの妹なのかの確認だった。

 けれど、それが終わっても、なにも解決はしていない。

 なんにせよ、赤ん坊の母親はもういない。追手はかけられたままかもしれない。まだ、すべてを説明し終えてもいない。

 赤ん坊がこれからどうやって生きていくのか決めなければならないし、自分たちの生活についても考えなければならない。


 神官としての大先輩であり、偉大な経歴について尊敬する人であるカッカーと向かい合い、アダルツォはなにから話したらいいのかわからなくなっていた。

 ヴァージがやってきて、アデルミラも泣き止んで、四人で向かい合ってはいるが。

 肝心のフェリクスはどうなのだろう。突然あんな事実を突きつけられて、立ち直れるのかどうか。

 事態はまだなにもかもが半端だった。とにかく今は、一番肝心な部分の説明をするしかない。


「あの赤ん坊がフェリクスの妹の子供で、妹は亡くなり、あの子が追われていると。そういう話なのか」

「そうです。本当に妹さんなのかどうか、あの女性には確認できていないのです。兄の描いた似せ描きを見て、フェリクスさんは妹さんだと思ったようですが」

 気落ちする兄妹に対し、カッカーは大きな手を差し出して、よく小さな命を救ってくれたとねぎらってくれた。

「追われているのならこの街に来て正解だ。ここは兵隊の入れない街だからな。多少の地位がある程度では、この街で大きな顔をすることなどできはしない。王でもない限り、勝手な振る舞いはできないはずだ」


 アダルツォもそう考えて、ラディケンヴィルス行きを提案していた。

 他にも理由はあったが、一番はそれだ。それですべての追っ手が入れなくなるわけではないが、頼れる知り合いもいるし、雲の神殿もある。雲だけではなく、すべての神殿が揃っているところも良い。

 人が多く、紛れ込みやすいことも。見た目が幼い兄妹であっても、稼ぐ手段が見つかるであろう場所なのも良かった。


「フェリクスはどうするかな。まだニーロに借金も残っているんだろう? 私から話をつけようか」

 カッカーの言葉に、アデルミラは表情を曇らせている。

「それは、術符の代金のことですか」

 もうなくなったと聞いていたのに。妹の呟きに、カッカーの顔も渋くなっていく。

「とにかく、今日はもう休みなさい。あの子のことは任せて。なにも心配しなくて大丈夫。私も見るし、ギアノも世話を手伝ってくれるから」


 唯一の肉親であるフェリクスの意見が一番大切だと、ヴァージは話した。

 いきなりのことで傷付き混乱しているだろうから、待たなければならない。

 カッカーは隣で頷いて、どうしていくべきか考えておくと話している。


 最近利用者がいなくなったらしく、部屋の移動が行われていた。

 カミルとコルフが使っていた部屋を空けてくれたようで、仕事の速い管理人が、今日はここで休むよう、雲の神官たちを案内してくれた。


「あのさ、二人ともなにも持っていないようだけど。着替えなんかを用意した方がいいのかな」

 

 気を遣われた通り、なにも持っていない。金も、一シュレールですら持っていなかった。

 故郷の街から迷宮都市までは、馬車に乗れば半日でつく。

 けれど一文無しだったから、必死になって歩いてきた。

 途中にある村の神殿へ駆けこんで、他人の親切に助けられ、三人で身を隠しながら進んできた。


「ありがとうございます、ギアノさん。借りは必ずお返しします」

「堅苦しいな。良い行いの為に無理をしてきたんだろう。こんな時は甘えていいんだよ」


 話はすぐに終わって、管理人が去っていく。

 確かに、今は甘えるしかない。けれど、甘えたままではいられない。


 考えることが山積みだ。フェリクスにいきなり子育ては無理だろうし。

 ひょっとしたら、赤の他人の子かもしれないし。

 自分たちの話と似せ描きで妹だと考えたようだが、涙で目が曇っていたのかもしれないし。

 

「兄さま」


 隣のベッドから声がして、アダルツォは妹を見つめた。


「どうした、アデル。なにが一番心配だ?」

「……そうですね。心配ごとは、いっぱいありますね」

「大丈夫だ。俺たちの旅を、雲の神は見守ってくれているんだから」


 とは言ったものの、安堵など、まだひとかけらだってアダルツォの中にはなかった。

 神殿へ行ってゲルカにも挨拶したいが、誰かが待ち受けていたらどうしようか。

 自分たちは揃って雲の神に仕えているのだから、神殿へ行くことだって想定内だろう。

 あの赤ん坊を、彼らはいつまで、どこまで追うつもりなのか。

 案外もうどうでもいいとあきらめているかもしれないし、絶対に始末すると強い決意を持っているかもしれないし。

 赤ん坊のことは心配でたまらないが、まずはフェリクスの意思が先だ。だから待たねばならないが、自分たちは?

 このまま迷宮都市で暮らすべきなのか、新天地を探しに行くべきなのか。

 なにをするにも、今の一文無しの状態ではすぐに行き詰ってしまうだろう。

 だったら少しくらいは、探索のまねごとをして稼ぐべきかもしれないが。


 悩みは既に空回りをし始めている。なにから手を付けるべきか、考えるために、今は休息が必要だった。


「もう寝よう。しっかり休まなければ、この試練は乗り越えられない」

「そうですね。……フェリクスさんもちゃんと休めていればいいんですけど」


 フェリクスはティーオと一緒の部屋から出されて、今日は回復部屋とやらに押し込まれたようだった。

 今夜はまだ眠れないかもしれないが、家主夫妻と管理人が気を配ってくれるだろう。


「アデルがこの屋敷の世話になっていて、本当に良かった」


 兄の呟きに、返事はなかった。疲れ果てた妹は、既に眠りに落ちていたようだ。

 ほっと安心して、アダルツォも目を閉じる。

 不安に揺られながらもあっという間に落ちていき、目を開けると部屋の中は随分明るかった。





 アデルミラを起こして、部屋を出る。

 階下から漂ってきた良い香りに刺激され、腹がぐうぐうと音が鳴って仕方ない。


「よお、起きたか。よく寝られたかい」


 食堂にはギアノがいて、今日もまたぐるりと体に巻き付けた布の中に赤ん坊を抱えている。

 可愛い小さな顔の血色は随分よくなったようだ。頬は赤く染まって、小さな口をむにゃむにゃと動かしている。


「食事の準備をするよ。今、ヴァージさんが服を買いに行ってるから、戻ってきたら着替えをするといい」

「ありがとうございます、ギアノさん。でも、わたしたち」

「細かい話はあとでいい」

 元気が出なきゃ、なにも解決できないからな。

 管理人の男は軽やかに食堂から出ていって、廊下の先に向かって歩いて行く。

「お手伝いします」

 アデルミラが立ち上がり、アダルツォも慌ててあとに続いた。

 自分たちの仕事は、自分たちで引き受ける。

 ルーレイの家の教えとして、小さな頃から叩き込まれてきた。


 食堂へ皿を運んで、兄妹で並んで座って、今日の糧を神に感謝して。

 兎肉を挟んだパンと、たっぷりと具の入ったスープを夢中で味わっていった。


「なんだこれは。うますぎないか?」

「またそんな言葉遣いをして……。母様が悲しみますよ」


 食堂に他の若者の姿はない。どうやら大勢の食事の時間とはずれているようだ。

 普段なら寝坊だと言われるような時間に起きたのだろう。

 

 使い終わったテーブルを拭きに、ギアノがやってくる。

 その後ろから小さな女の子がついてきて、管理人の足にしがみついてキャッキャと笑っている。

 

「俺は仕事中だよ。遊ぶのは終わってからにしなきゃなあ」

「はやくおわったらいいのに!」

「じゃあ手伝ってくれよ、リーチェ」


 ギアノはふきんをもう一枚用意して、まだ小さな女の子に渡している。

 リーチェと呼ばれた女の子は言われた通りにテーブル拭きを手伝いだして、アデルミラは感心したように呟いた。


「小さい子の相手が本当に得意なんですね」

「そうみたいだな」


 頼まれた仕事を終えると、リーチェは赤ちゃんが見たいとギアノにせがんだ。

 椅子に座って、リーチェを膝に乗せ、一緒になって赤ん坊を抱いて、優しく頭を撫でて。

 

 あんな風に過ごせたら良かったのに。

 シエリーのことを想うと、胸が痛んだ。

 昨日までの逃亡劇が嘘のような平和さで、まるで夢でも見ていたのではないかと思えるほどだった。


「ただいま、ああ、アデルミラ、アダルツォ、ちゃんと休めたかしら?」


 ぼんやりする兄へ、刺激的な一発が入れられている。

 家主夫人であるヴァージの姿は、今日も抜群に美しい。


「着替えを買ってきたわ。ギアノから聞いてる?」

「はい、ヴァージさん。本当にありがとうございます。私たちの為に……」

「お礼なんていいのよ、アデルミラ。私の夫が誰か知っているでしょう?」


 迷宮都市一のお節介焼き、カッカー・パンラなんだから。

 素敵なセリフだが、ああ、人妻なのだなという思いが強くなっていく。


 聖なる岸壁と同じように精進していけば、自分もあんなに美しい女性を妻にできるのだろうか。

 そんなことを考えていると悟られないよう、表情をコントロールしながら物事を進めていく。

 使った食器を下げ、世話をしてくれた人たちに礼を言い、着替えを済ませて、再び階下へ戻る。


 食堂を覗くとヴァージがいて、小さな赤ん坊を抱いて揺らしていた。


「あの、ヴァージさん」

「アダルツォ、なあに?」


 すべての神を生み出したとされる大地の女神は、きっとこんな風なのだろう。

 慈愛に満ちた笑みにうっとりしながら、家主夫人へアダルツォは問いかけていく。


「俺たち、これからのことを決めなきゃならないんです。フェリクスはどうでしょう、まだ話はできないかな」

「そうね……。できるかもしれないけど、決断をするにはまだ早いんじゃないかと思うわ」

 アデルミラも二階から降りてきて、兄の隣に並ぶ。

「そうだ、アデルミラ。この子はなんて名前なの?」

「まだ、名前はないんです。妹さんの子供かどうか確認できたら、フェリクスさんが決めるべきだと思っていたので」


 母親から名を与えられなかった理由に思い当たったのか、ヴァージは悲しげに目を伏せている。

 カッカー夫人が赤ん坊を見ているからなのか、廊下の向こうからやってきたギアノが、二人の女の子を連れて歩いているのが見えた。


「あれ、もう戻ってきたの?」

「うん、ちょっと買い物に行ってただけだから」


 食堂の外から、管理人と若者たちの会話が聞こえてくる。

 ギアノが話している相手はティーオだったようで、カミル、コルフも一緒になって部屋の中へなだれこんできた。


「ヴァージさん、アデルミラ」

 この二人にまず呼びかける理由は、アダルツォにもよくわかる。

「アダルツォ、元気になったかい」

 カミルだけが声をかけてくれて、アダルツォは手をあげて答えた。


 かつて何度か一緒に探索をした仲であるティーオが現れて、アデルミラははっとしたような顔をすると前へ進んだ。

「ティーオさん」

「なんだい、アデルミラ」

「あの……。フェリクスさんには借金がまだあるのですか」

「借金って、ニーロさんに借りてるやつ?」

「そうです。まだ、残っていたんでしょうか」

「そりゃあそうだよ。五万なんて、簡単に返せるはずないんだから」

 アデルミラの顔はみるみる曇っていって、男たちは慌てている。

「いや、頑張ってるんだよ、フェリクスは。俺たち本当に頼りにしているんだから」

「違うんです。手紙には、ウィルフレドさんを助けたから、借金はなしにしてもらえたと書いてあったんです」

「それって、アデルミラの分だけって話だ……」

 カミルに頭を叩かれ、ようやくティーオの軽口が止まる。

「ごめん……。いや、謝らなきゃいけないのはフェリクスにか。フェリクスは、アデルミラにもうここに帰ってきてほしくないっていってたから。それで、戻らなくていいようにそんな嘘をついたんだと思う」


 君を想ってのことだからとティーオが言うたびに、アデルミラの目に涙が溢れていった。

 三人の青年は焦っているし、ヴァージも目を伏せている。

 兄としては、ありがたい限りだった。


「アデル、俺はまたフェリクスに礼を言わなきゃいけないみたいだな」

「兄さま」


 迷宮都市は危険なところだから。

 アデルミラは直接見なかったようだが、一緒にやって来た誰か三人が命を落とした現場に居合わせたという。

 神官の立場は、他の探索者よりは少しだけ守られている。

 けれど、どんな者にも死は訪れる。迷宮の中では、地上よりもずっと近いところに控えている。

 探索者に憧れ、勢いのままに迷宮に足を踏み入れて。

 調子に乗って挑んだ末に、共に歩んでいた「仲間」を三人も失った。


 無事に連れて帰れたのは一人だけだ。命をかけてようやく一人。神殿へ担ぎ込んで、金を用立てるためにサインをして。

 けれど結局、命は取り返せず、最後に残っていた仲間は行方をくらましてしまった。


 仲間を失ったことも、その後閉じ込められた娼館街での日々も辛かった。

 アデルミラが自分と同じ運命を辿っていたら?

 きっと、もっと悲惨だっただろう。女に生まれたせいで、辛い「労働」を強いられていただろうから。

 

「できる限り力になってやろう」

「なんだいアダルツォは。随分優しい奴だったんだな」

 コルフに声をかけられて、そんなことはないよと呟いて。

「あの子は誰なんだい?」

「フェリクスの甥っ子だよ」

「甥っ子……」


 勝手に事情を話していいのかどうか、アデルミラも悩んでいるようで口を出さない。

 廊下でぞろぞろと並んで立ち尽くしていると、玄関の扉が開いて、カッカーが姿を現した。


「アダルツォ、アデルミラ。よく休めたか?」


 まずはこう声をかけられて、二人で揃って礼を言う。

 ティーオたちは静かに食堂へ引っ込んでいって、どうやら様子を窺っているようだ。

 カッカーは二人の顔色が良くなったことを喜び、ヴァージと子供たちを呼ぶとこう話した。


「私たちは今、新しい屋敷を建てているんだ。子供たちを育てるには、この街は向いていない。屋敷はこの街を出てすぐのところに建てているが、子育ては少し北にある村でしようと計画していてな」

「そうなのですね。確かに、この街には小さな子供はいないでしょうし」

「今から、その北の村に行こうと思う。あの赤ん坊と、フェリクスも連れて」

「え?」


 雲の神官の兄妹が驚いた声をあげると、カッカーは大きな手を伸ばして、二人の肩を同時に力強く叩いた。


「今の状況はとても悩ましいものだ。フェリクスもいきなりのことで心の整理がつかないだろう。あの年で、こんな状況で、いくら妹の忘れ形見と言われてもいきなり赤ん坊を育てることなどできないはずだ。けれどとにかく、あの生まれたばかりの子は守ってやらなければならない。どれだけ辛くとも、優先してやらなければならないのは、自分の身を守れないあの小さな命なのだから」


 カッカーたちの新しい屋敷の建設は、北の村で進めていくと決めたらしい。

 小さな村だが、子供がたくさんいるところだから、とカッカーは言う。

 あんなに小さな赤ん坊が生きるために必要なものは、迷宮都市にはなく、あの小さな村にならある。

 フェリクスもしばらく一緒に滞在して、これからについて決められるまで待つと、聖なる岸壁とその妻は決意を固めたようだ。


「あの赤子は、我々が責任を持って育てようと思っている。フェリクスが望むのならもちろん預けるが、子供を育てるための地盤を作るには時間がかかるだろうから」

「あの、でも、ひょっとしたらフェリクスの甥っ子ではないかもしれませんよ」

「それなら猶更だ。我々は幼い子供たちのために移住をするんだから。たとえどんな生まれであろうと、あの子にはなんの罪もない。今後についてはこれから決まるだろうが、万が一の時は我々が引き受ける。昨日の夜話し合って、決めたからな。だから二人は、もうなにも心配しなくていい」


 これ以上ない、素晴らしい提案だとアダルツォは考えていた。

 カッカーもヴァージも、フェリクスや兄妹とは無関係の人間だし、そもそも、聖なる岸壁の名は王国中に知られている。

 元は神官であった高名な人なのだから、追っ手が気づいたとしても手を出すことは難しいだろう。


「とにかく、フェリクスと一緒に移動をする。アダルツォ、アデルミラ、二人は少し休むといい。ギアノに手助けをしてもらうよう頼んでおいたから」

「ありがとうございます、私たちのことまで」

「人のために命を懸けた勇敢な魂に、神の祝福があるように」


 

 廊下の奥から青い顔をしたフェリクスが連れてこられて、カッカー一家とともに去っていく。

 仲間たちが駆け寄っていき、いくつか言葉を交わして、互いの無事を祈り合い。

 まるで嵐が去ったあとのように、今は静かだった。

 カッカーもヴァージも昨日のうちにどうすべきか話し合って、準備を進めていたのだろう。

 小さな子供を三人連れて、大人たちも三人で、北にある小さな村に向かって去っていってしまった。



「行っちゃったな」


 ティーオが呟き、カミルとコルフと顔を見合わせている。

「あの赤ちゃん、フェリクスの妹の子どもなの?」

 カミルに問われて、アダルツォとアデルミラもまた、顔を見合わせていた。

 三人にとってフェリクスは大切な「探索の仲間」で、いきなりしばらく帰ってこないとなれば、いろいろと問題があるのだろう。

「説明できることだけ、話すよ」


 五人で食堂の隅で集まって、フェリクスには妹がいて、無理やり引き離されてしまったこと、アデルミラたちと出会った経緯などについて話していった。

 フェリクスとシエリーの上に起きた悲しい出来事について、ティーオたちは深い同情を抱いたようだ。

 それならば仕方ない、少し待つしかない。

 三人は口々にそう言い、そんな意見しか出てこないだろうとアダルツォは思う。


「カッカー様たちが協力してくれて、良かったよな」

「そうだよね。あんなにすぐに引き受けると決めてくれる人なんてなかなかいないよ。さすがカッカー様だよなあ」

 カミルとコルフは感心しきりといった様子でこう話して、ふいに雲の神官兄妹へ視線を向けた。

「そういや、追われちゃったんだよね、二人は。故郷へは帰れるの?」

「ああ……」


 赤ん坊の次に深刻な問題について、アダルツォたちは決めなければならなかった。

 あの小さな命の安全はとりあえず確保できたようで、本当になによりだと思う。

 フェリクスがどうするか想像もつかなかったので、こんなに早く、とりあえずでも結論が出たことは喜ばしかった。

 だが、次の問題はなかなかに深刻だ。


「俺たち、もう帰るところがないんだ」

 アデルミラの顔はすっかり青くなって、下を向いている。

 アダルツォの告白に驚いたようで、ティーオたちは口をぽかんと開けている。

「え? どうして?」

「お母さんがいるんじゃないの」

「いや、実はね。俺が帰って少ししてからなんだけど、急に病気が悪くなっちゃってさ」

「なんてことだ。そうだったのか」


 フェリクスの妹の名を聞いて帰って、わずか三日後の夜。

 母は急に苦しみだして、それからはあっという間だった。

 神の膝元へ送り出し、埋葬を済ませ。

 兄妹二人で悲しみに浸っていたら、伯母がやってきて、家を明け渡すように命令されてしまった。


「随分強欲な伯母さんがいたんだね」

「もともと自分たちの家だったんだからって言われちゃってね……。本当かどうかはわからなかったけど」

「でも、ちょうどいいと思ったんです。私たちは神殿のお世話になろうって決めていました。あの街にいられなくても、他の街で勤めてもいいと考えていましたし」

「そうだな。そうなんだよ、俺たちは家を失ったけど。でも、そのおかげでシエリーに付き添うことができたんだ。俺たちにはもうお互い以外に家族はいないから、だから、あの子を任せて下さいって言えたんだ」


 誰かがあの子を連れて逃げなければならなかった。

 神殿から出て、隠れ家に駆け込んで、そこからまた逃げなければならなかったから。


 自分たち以外に、誰もできないことだったと思う。

 アダルツォが呟くと、ティーオたちは二人の大仕事をねぎらう言葉をくれた。


「それじゃあ、アデルミラたちはここで暮らすつもりなの?」

「まだわからないけど、しばらくは迷宮都市にいるよ。俺たち、一文無しだからさ」


 探索に行ければ、多少なりとも稼げるはずだ。

 アダルツォはそう考えているが、アデルミラを迷宮に行かせたくはない。

 なんとか二人分の稼ぎを手に入れて、生活の基盤を整えなければならない。


「この屋敷に滞在させてもらってもいいのかな。ギアノに相談したらいいのかな」


 雲の神殿には宿舎があるだろうが、男女で分かれているはずで。

 今は、兄妹別々に過ごすのは危険かもしれないし、頼れる人がいるこの屋敷にいた方が安全だろうと思える。


「雲の神殿に顔を出すのは危ないかもしれないし、お隣に挨拶に行った方がいいかな?」

「そうですね、キーレイさんなら事情を話せば力になってくれると思います」


 今から行くかとアダルツォが呟き、アデルミラが立ち上がる。

 そんな兄妹に、カミルが手を伸ばし、声をかけてきた。


「キーレイさんへの挨拶が終わったら、ここに戻ってくる?」

「うん、もちろん。ギアノは相談に乗ってくれると言っていたし。いろいろと決めたいから」


 

 とにかく、新しい生活が始まろうとしていた。

 アデルミラの言う通り、樹木の神官長はきっと話を丁寧に聞いてくれるだろうとアダルツォは思っている。

 自分が救われたあとに少し話しただけだが、まだ若いのにとても頼もしく、印象が良かったから。


 お隣の樹木の神殿へ行くと、ララという可愛らしい女性の神官がいて、アデルミラとの再会を随分喜んでくれた。

 妹に同じ年頃の同性の知り合いがいたことに安堵し、神官長との面会で事情も話し、追っ手への不安についても理解と協力が得られそうだった。


 とにかく少し休むといいと言われ、屋敷へと戻っていく。

 厨房から、たまらなくいい香りが漂っていた。

 そろそろ昼になる時間だから、なにか料理が作られているのだろう。


 

 とりあえずの生活は、心配しなくてよさそうではあった。

 アデルミラが自分を追ってやってきて、この屋敷に運よくたどり着き、その時に作った周囲との関係のおかげだ。

 自分の情けない迷宮都市暮らしについては反省ばかりが溢れているが、その結果が今に繋がっている。

 不思議な気分で廊下を進んでいくと、食堂にはまだティーオたちがいて、戻って来たアダルツォに向けて手を振っていた。


「アダルツォ」

 カミルに呼ばれ、アデルミラを振り返る。

「私、なにかお手伝いすることがないか聞いてきます」

「わかった。ギアノの時間が空いたら、少し相談させてほしいと伝えておいてくれるか」


 妹が厨房へ入っていくのを見届けてから、探索初心者たちの集うテーブルへと向かう。

 三人はアダルツォへ座るように椅子をすすめて、雲の神官は座ると、自らこう切り出していった。


「フェリクスのかわりになるかはわからないけど、戻ってくるまで……。探索の仲間に加えてくれないか」

「なんだいなんだい、話が早いな、アダルツォは」

「いや、本当に困ってるんだ。家から持ち出せたものなんてほとんどなかったのに、それも置いてきちゃったからさ」


 そのかわり、アデルミラは迷宮には行かせたくない。

 自分が行くと話すと、三人は少しだけ残念そうな顔をしたものの、快く頷いてくれた。


「ご存じの通り、娼館で下働きをさせられていたから、探索のド素人だと思ってくれると助かる」

「わかったよ。少しずつ慣らしていこう」


 ずっと神官を探していたから、とカミルはニヤリと笑った。

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