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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
18_How Can I Go On? 〈適材適所〉

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83/244

80 畏怖

 まっすぐに進む道のほかに、左右へも通路が続いている。

 どの道もすぐに行き止まりではないようで、それぞれ進んでみるほかないだろう。


「ニーロ、大丈夫か」

「ええ、平気です」


 腕の良いスカウトが必要だと、キーレイはしみじみと考える。

 魔術師は後方で備えておくべきだ。

 ニーロはギアノに術符を渡して備えさせている。キーレイも持っているし、きっとウィルフレドのポーチにも入れられているだろう。

 安全に脱出する用意は、あればあるほど良い。

 

 けれど、一番安全なのは、ニーロの脱出の魔術だろうと思う。

 なにも落とさず、残さず、必要なものと仲間たち全員を無事に、好きな位置に戻せるのだから。

 迷宮都市には脱出の使い手はそれなりの数いるのだろうが、ニーロほど見事に使いこなせる者はいないだろう。

 

 「黄」での無様な結果を思い出すと、胸が痛む。

 ニーロとウィルフレドを助けられたのは運が良かったからだ。

 ラーデンの夢を見たから魔術も使えたし、気力ぎりぎりのところで尽きずに済んだ。

 

 あの時あの穴の底で、もしも気を失ってしまっていたら?

 ニーロとウィルフレド、ロビッシュを失い、マリートもどうなっていたかわからない。

 

「左から見ていきます」


 青い通路を左に曲がって、ゆっくりと進んでいく。

 スカウトは目を凝らし、どこかに隠されている古代魔術師の悪意を看破する。


 ヴァージはどんな風にニーロに指導をしているのだろう。

 ロビッシュから学ぶこともあったのかもしれない。


 難しい探索に挑むのなら、腕の良いスカウトを早く見つけて、共に行けるようになった方が良い。

 だが、腕が良いだけでは駄目だった。

 隣を歩いているギアノのように、人当たりが良い誰かがいてくれればいいのにと願わずにいられない。



 こんなキーレイの思いとは関係なく、探索は進んでいく。

 左側の通路の先はまた左右に分かれていて、どちらもすぐに行き止まりになっているようだった。


 行き止まりではあるが、どちらも奥には水が溜まっている。

 左側は浅いようで、底が見えており、迷宮魚がたくさん泳いでいた。


「こんな風に浅いところなら、魚は獲りやすいだろうね」

 キーレイが呟き、ニーロは小さく頷いている。

 二人のやりとりを聞いて、ギアノは小首を傾げて問いかけてきた。

「あの魚を売りに来た連中が、魔術師のために魚を獲って一緒に食べたって話していたけど、もしかしてニーロのことなのかな」

「確かに、捕まえてもらいましたし、一緒に食べましたよ」

「あれを焼いただけの状態で、よく食べたね。おいしくなる魔術使ったんじゃないかって言われてたけど、本当にあるの?」

「そのようなことに魔術は使いません」

 魚料理が懐かしかったので食べたが、味は随分違うと思った。ニーロの表情は変わらないが、隣のウィルフレドの眉間には皺が寄っている。

「ちゃんと調理をされた魚料理を出す店ができたと聞いて、行ってみたのです」

「珍しいな、ニーロがちゃんとした食事をとるなんて」

 キーレイの呟きに、ギアノの表情には驚きが浮かぶ。


 浅い水たまりと魚の大群について、ニーロがメモを書き込んでいく。

 どこかへ続く穴が隠されていないか、罠が仕掛けられていないか。魚以外のなにかがいないのか。

 調べるのはまたいつか。詳しく調べるための仲間と道具を揃えてからになるだろう。


 振り返って、また慎重に進んでいく。

 できれば、一層目からは魔法生物が出てこない迷宮であってほしい。

 「青」には水が溢れていて、泳ぎの経験がない者は挑むことすら難しいのだから。

 他の渦と同じように、浅い階層はここだけの特徴に慣れるための旅路であってほしかった。


 神官の祈りが通じたのか、通路の先にはなにも出てはこなかった。

 曲がり角の右側はまた行き止まりで、魚の生簀だった逆側とは違って大きな水たまりが広がっていた。


「こっちは随分広いな」

 水場は広い。そして深い。三方向がすべて壁に囲まれている。

 一見すると行き止まりだが、水の中はどうだろう。抜け道が隠されているかもしれない。


「中を調べる?」

 水を覗きこみながら、ギアノが呟く。ニーロは仲間の腕を引いてまっすぐに立たせると、小さな声で答えた。

「いえ、今は行きません」

 未知の渦では、じっくり、ゆっくりだ。生き残るために、無謀な振る舞いはしない。

 次の挑戦をしたいのならば、地上に戻ってからなにが必要か検討し、どこから調べるか決めてからにしなければならない。


 道を戻っていく。最初の分かれ道まで、慎重に。

 今度は、最初の分岐をまっすぐに進む方向へ。


 魔法生物が出ない限り、迷宮の中で音はしない。

 だがここは、どこかで水の落ちる音がする。

 それは時々、樹木の神官長の心をどきりとさせていた。


 進んでいくうちに、右への曲り道が現れる。

 ニーロがメモを書き込んで、そのまままっすぐ。

 長い間進んで、突き当りで左に折れていく。

 方向を変えて進んでいくと、すぐに小さな部屋に行き当たった。


「なんでしょう、これは」

 通路よりも少し広いくらいの小部屋の真ん中に、大きな四角いものがある。

 床とまったく同じ素材のようで、高さは腰の下程度。小さなテーブルほどのサイズだった。

 ニーロは床が飛び出たような立方体をじっくりと見つめてから、たいまつ代わりにしていた棒でそっと叩いた。

 床を叩いた時と同じ響き方で、魔術師は首を傾げている。

「キーレイさん、他の迷宮でこういったものを見たことがありますか?」

「いや、ないよ。私の知る限りでは、見たことはない」


 自分の迷宮探索経験の中に、ニーロの知らないことなどあるだろうか。キーレイは考える。

 まだ六年と少し、もう二十三年以上。二人の探索の歴史には開きがあるが、知識の量は変わらないのではと思う。


「特別な仕掛けはないようですね」

「テーブルにしては小さいな」

 そもそも、迷宮の中に寛ぐスペースなど、古代の魔術師たちが用意してくれるはずもない。

「ギアノはなんだと思いますか?」

「え? そうだな」

 初心者の青年はでっぱりの周りをゆっくりと歩いて、じっくりと眺めてから答えた。

「濡れた服を置いて、乾かすための台、とか?」

 すぐに、違うかなと呟いて、ギアノは笑っている。


 その他には、小部屋の中にはなにもないようだ。

 結局でっぱりの正体は不明のまま、ニーロがメモに書き込んでいく。

 

 敵のいない行き止まりにたどり着いた時は、仲間の状態を確認するタイミングで、キーレイはそれぞれに調子はどうか問いかけていった。

 ウィルフレドは大丈夫だと頷き、ニーロも同様。

「ギアノ、どうですか」

「どう答えたらいいのかな、こういう場合」

「ははは、そうだね。『橙』や『緑』なら、こんな風に確認することもなかっただろう」


 体力はまだありそうか、痛むところはないか、普段と違う感覚はないか。

 そして、不安に満たされていないかどうか。

 心の中を探って、自分の状態を理解しなければならない。

 キーレイがそう説明すると、ギアノは目を閉じ、しばらく考えてから答えた。


「不安がはっきりとあるとは感じないけど、全然ないとも思えない。あるような気がしてる。体は平気だけど、……よくわからないっていうのが正しいのかも」

「正直だね」

「最初は少しわくわくしていたけど、今はとんでもないところに来ちゃったっていう考えが消えないような気がしてて」


 水に飛び込んだ時は、いい度胸だと思った。

 だが、あそこだけは「ウィルフレドがなにもないと調査済み」だった。

 あとは保証のない、いつ死が訪れるかわからない未知の旅なのだから。

 

「君が入ったのは『橙』と『緑』だけ? 『藍』なら少し、同じような気分になったかもしれないね」

「『藍』には行ってみようと思っていたけど、機会がなくて」

 でも、「紫」には一度だけ入った、とギアノは話した。

「どうして『紫』なんかに?」

 キーレイが驚いて問いかけると、初心者の青年は少し話し辛そうにしていたが、結局理由を教えてくれた。


「たまたま流れでそうなったんだけど、薬草業者の手伝いで」

「随分危険な仕事に付き合わされたね」

 どこの業者がそんなことに巻き込んだのだろう。

 ちゃんと給料は出たのか、キーレイは小声で確認していく。

「ちゃんともらいましたよ。途中で切り上げることになって早く終わったのに、結構な額を」

「切り上げた?」

「不吉なものが出てきたとかで」

「『少女』を見たのか」

「ああそうか、当然ですよね、知ってて」

「そう言われただけかな。それともギアノ、君自身が見た?」


 急に強く確認されて、驚いたのだろう。

 ギアノは顔を青くして、やけに小さな声で肯定している。


「どうですか、全員、行けますか」

 ニーロの声に、ギアノが慌てたように立ち上がる。

「もしも万全でないのなら、言って下さい。ギアノ、僕たちも決して平気ではないのです。ここはとても危険なところですから、もう無理だと思っているのなら、正直に言って下さい」


 魔術師に確認されて、ギアノはキーレイへ視線を向けた。

 質問するタイミングを間違えてしまった。あんな言い方をして、神官が仲間の不安を増してどうする?

 戻ってからゆっくり話せばよかったのに。


「ごめん、今日はもう戻りたい」

「わかりました。今回の探索では多くを得られました。あなたのお陰です」

 感謝の言葉に、ギアノはまた驚いたようだった。

 全員に戻ることが告げられ、持ち物などの確認がされて、脱出の魔術が行使されていく。


「嘘だろ」

 迷宮から一瞬で出た先は、カッカーの屋敷前。

 ギアノはまたまた驚いて、魔術師を凝視している。


「そうだ、これ、返しておかなきゃ」

 青年は律儀に腰のベルトから術符を取り出し、ニーロへ返していく。

 魔術師はポーチから小さな袋を取り出し、術符と引き換えに差し出している。

「これは今日の報酬です」

「報酬、あったのか」

「当然でしょう。『青』に付き合わせたのですから」


 さほど長い距離を進んだわけでもないのに、もう街は夕日の色に染まっていた。

 屋敷と樹木の神殿の入り口に赤い光が射し込んでいて、ギアノは「急がないと」と呟いている。


「これで解散します。ギアノ、また付き合ってもらうかもしれません」

「俺、屋敷の手伝いを頼まれたんだよね?」

「そうですよ。カッカー様と家族のためにお願いします」

「それはそれ、これはこれってやつか……」

 ニーロは口元に笑みを浮かべ、去っていった。

 キーレイは少し迷っている。ギアノに話を聞きたいが、ウィルフレドと食事をしたい気分でもある。

 とんでもない迷宮を歩いた疲れを、少しでいいから癒したい。


「あ、帰ってきた!」


 佇んでいる三人のもとに、屋敷の中から大勢が詰めかけてくる。

 初心者の青年たちは、ベテランの二人に挨拶をしたり遠くから眺めたりして、ギアノには、掃除は終わった、疲れた、大変だったと口々に報告している。


「みんな協力ありがとう。きれいになった?」

「当り前だろう!」

「すみません、俺、中を確認してきますんで」

 若者たちに引きずられるようにして、ギアノが去っていく。

 質問をしそびれてしまって、キーレイは思わず手を伸ばしていた。

「キーレイ殿、彼にまだ用があるのですか?」

「ええ、ウィルフレド。少しだけ聞きたいことがあったのです」

「中で待ちましょうか。掃除ができたか確認するだけでしょうし、その後でもいいのではないですか」

 終わったら、どこかいい店に繰り出すつもりなのだろう。

 ウィルフレドとの食べ歩きは数少ないお楽しみなので、断る理由がない。


 わいわいと騒ぐ青年のあとを追って、屋敷の中へ入っていく。

 薄汚れていた玄関も、奥へ続いていく廊下も、きれいに磨かれたようだ。

 今つけられた薄い足跡以外は残っておらず、あちこちに置き去りにされていた物もきれいさっぱりなくなっていた。


「片付いてる!」

 背後から声が聞こえて振り返ると、ヴァージがとびきりの笑顔で立っていた。

 娘たちを抱えたまま、キーレイとウィルフレドに向けて、なにが起きたのか問いかけてくる。

「朝からみんなで掃除をしていたようだよ」

「どういう風の吹き回しなの。全員揃いも揃って散らかし放題だったのに」


 リーチェが母の腕から飛び降りて、とことこと奥へ進んでいく。

 青年たちはみんな二階へ行ったのか、広い食堂には誰もいない。

 けれどここも、しっかりと片づけられているようだ。


「テーブルがちゃんと拭いてある!」

 ヴァージはよほど嬉しいのか、小さなビアーナを高く持ち上げている。

 母が喜んでいるのが嬉しいのだろう。リーチェもぴょんぴょん飛び回って笑い声をあげていた。

「ここにいれば戻ってくるでしょう」

「そうですね」

 食堂の隅に、ウィフレドと向かい合って座る。

 ヴァージも夫婦の部屋には戻らずに、二人の熟練者たちの隣に子供たちと座った。

「ご機嫌なようだね、ヴァージ」

「覚悟してたのよ。帰ったら片づけて、片づけて、片づけなきゃいけないだろうって」

「はは、良かった。ニーロが良い人材を見つけたと言って、家事を引き受けてくれる子を連れて来たんだ」

「その話は聞いていたけど、そんなに期待してなかったの」


 ヴァージの笑顔は、ぱっと花が咲いたかのような華やかさに満ちている。

 いつも鋭い目をしていて隙がないが、笑うと少女のように愛らしい。

 

「ギアノだ!」

 階段から何人かが降りてくる音がして、リーチェが走っていく。

 今日は「青」などに連れ出されて疲れただろうに、ギアノはリーチェにすぐ気が付いて、「やあ」と声をかけている。

「ヴァージ、彼がニーロが連れてきた、ギアノだよ」

「どこかで会ったかしら」

 ギアノはリーチェを抱きあげて、「もしかして君の母様かな?」と問いかけている。

「うん、リーチェのかあさまよ!」

「驚いたな、リーチェにすごく似てる。とってもとってもきれいな人だ」

「えへへ。とうさまは、かあさまがだーいすきなの!」

「立派な父様に、素敵な母様か。リーチェは二人の自慢の可愛い子なんだな」

「ビアーナもだよ!」


 リーチェがぴょんと飛び降りて、ヴァージのもとへ走ってくる。

 ギアノはその後を追ってくると、家主の妻に小さく頭をさげて挨拶をした。


「ヴァージさんですよね。俺、ギアノといいます。この屋敷の管理を手伝ってほしいと言われてきました」

 カッカー様には挨拶をしたのですがと続ける青年に、ヴァージはにっこりと笑いかけている。

「あなたにもう満足しているわ。こんなに片付いているなんて、奇跡だもの」

「倉庫だった部屋、使わせてもらってます」

「ごめんなさいね。狭いでしょう?」

「充分快適なので、ご心配なく」

 リーチェの頭を撫で、ちょっと待っててと言い残し、ギアノは厨房へ歩いていく。

 待ってと言われたのにリーチェはついていってしまい、その様子を見ながらヴァージはこう呟いた。

「ニーロはどこであの子を見つけてきたの?」

「西側にある食堂で働いていたと言っていたよ」

「声をかけたのは、北西の食堂街でした」

 ウィルフレドが補足を入れてきて、キーレイは首を傾げた。

「そういえば、喧嘩をしていたと言っていたけど」

「そのようです。店から追い出されただけで、どうやらひどく咎められたわけではないようでしたが」

「喧嘩なんかしそうに見えないわね」

「かあさまー!」


 大人たちの会話を、リーチェが勢いよく駆けてきて止めた。

 小さな少女はひどく興奮した様子で、手に持っていたものを母に見せている。

「ギアノがくれた! おいしいの!」

「あら、いいわね」

「おいしいおかしなの!」

「私にもくれる?」

「えっ」

 自分で食べたい気持ちと、母への愛がせめぎ合う。

 深刻に悩めるリーチェのもとに、カップと皿をトレイに載せて、ギアノがやってくる。

「まだたくさんあるよ。リーチェ、母様にもわけてあげな」

「え、ほんとう? かあさま、はい!」


 良かったらどうぞと、三人の大人の前にカップと皿が並べられていく。

 見たことのないものが皿にのっていて、見たことのない飲み物がカップに注がれていった。

 リーチェには水と、握りしめていたお菓子が振舞われている。


 まだなにか用事があるようで、ギアノは風のように去っていった。


 皿の上に置かれたものを、ヴァージがつまんで、口へと運ぶ。

 出てきたのは、深い深いため息だった。

「疲れが全部吹き飛んでいくわ……」

 人妻の吐息はひどく妖艶で、キーレイは腰のあたりがむずむずしている。


 髭の戦士と揃ってつまんでみると、謎の一皿はとにかく美味だった。

 甘くてさわやかで、優しい味わいの軽やかな焼いたなにか。

 カップに注がれた飲み物も同様だ。初めての味だが、とにかく美味い。


「これはなんだろう。彼の故郷の味なのかな」

「ティーオたちがもう一度会いたいと言っていた理由がわかりますね」

「ニーロもこれを気に入って彼に声をかけたのかな?」

 西にある店の魚料理も、こんなにおいしいのだろうか。

 どう声をかけたのか気になって、キーレイはウィルフレドへ「どうやってギアノを呼んだのか」を尋ねていく。


「かまどの神殿の前で、店から追い出されたところに出くわしたのです。その時、マティルデを連れてきた青年だとわかりました」

 ウィルフレドが用事を終えて歩いていると、ギアノを見送ったティーオたちにちょうど出くわした。 

 若者たちはウィルフレドを捕まえて、振舞われた食事のおいしさ、ギアノの親切さ、そして清廉さについて語ってきたという。

「ティーオとコルフが騒いでいたのです。彼はマティルデに随分頼りにされているのに、つけ入るような真似を絶対にしない、ものすごく良い奴なんだと」

 この発言に、キーレイとヴァージは揃って笑ってしまっている。

「仲間を失ってしまって、いちから出直すところだと聞きまして。屋敷の管理者としてやっていけるか、試してみても良いのではないかと思ったのです」

「ウィルフレドが声をかけたのですか?」

「いえ、ニーロ殿です。ニーロ殿も、あの青年に気づいていました。知っているというので、ティーオたちから聞いた話を伝えました」

「ニーロも屋敷の管理者を探すよう頼まれていたのかな」

「どうでしょうね。ひょっとしたら、魚料理を作ってもらえると思ったのかもしれませんが」

 そんな馬鹿な、とキーレイは笑う。

 ヴァージが魚の話に反応してきて、二人で「青」で獲れると説明していく。

「魚なんて、ここには滅多に入ってこない高級品よね」

「そうですが、味はとんでもないものでした」

「ウィルフレドも食べたのですか」

「ええ、ニーロ殿の付き合いで。食べる前から味は良くなさそうでしたが……」

 戦士はここで言葉を濁し、ただ眉間に深い皺を寄せている。


 いつの間にか、厨房からは得も言われぬ良い香りが漂い始めていた。

 ギアノの仕業に違いなく、「青」の探索で疲労しているだろうにとキーレイは思う。


 二人を残して台所へ向かうと、案の定管理を任された若者が鍋と向かい合っていた。

「ギアノ、さっきは御馳走様。とてもおいしかったよ」

「簡単なものですけど、気に入ってもらえたんなら良かった」

「あれが簡単?」

「俺は南にある小さな港町から来たんですけど、少し離れたところに農村があって、そこによく行ってて」


 さっき出してくれた素晴らしく美味いなにかは、その農村でよく作られるナントカという菓子なのだという。


「それは? 夕食を作っているのか」

「ええ、多少はなにか用意しておくって決まりだと聞いたんで。今日はいっぱい作ってますけどね。みんな仕事やら探索やらに行きたかったのに、それを阻止して掃除させちゃったんで」

「君も疲れただろう」

「確かに。でも、すごく緊張したからかな、いつもやっているような、慣れたことをしていたくて」


 昨日の間に仕込みを済ませていたので、たいした仕事でもないんです。

 ギアノは話しながら手も動かして、別の鍋に材料を放り込んでいる。


「少し話を聞きたいんだけど、いいかな」

「まだもうちょっと作業があるんだけど、いいですか」

 それとも、キーレイさんも食べていきますか?

 ギアノに笑顔を向けられて、キーレイは思わず唸った。

「興味深いな」



 外へ繰り出す予定はやめて、今日は初心者たちと一緒に夕食を取ることが決まった。

「お待たせしました」

 ギアノの作る料理は迷宮都市よりもずっと南の地方で愛されているもののようだ。

 ラディケンヴィルスにはまだこの地方料理を扱う店がないか、知られていないのか。

 わからないが新しい美味の登場に、神官長はすっかり浮かれている。

 

「海で獲れるものを入れるともっと旨くなりますけどね」

「そうなのか」


 今日は後片付けの必要もない。ヴァージは幸せそうに微笑んで子供たちと部屋に戻っていった。

 ここからは個人的な質問をしたいので、用のないウィルフレドも家へ帰っている。

 食堂にはまだパラパラと人が残っているが、端の席に座っているのは二人だけだ。


「いや、ビックリですよ」

 仕事を終えて戻ってくるなり、ギアノは声を潜めてこう漏らしている。

「なにがだい?」

「あんなすごい美人、初めて見たんで」

「ははは、そうか」

 ギアノと食堂の隅で向かい合い、キーレイは改めて質問を投げかけていった。

「今日、脅かしてしまってすまなかった。『紫』で少女を見たかなんて、強く聞いてしまって」

 青年は「ああ」と答えて、こくこく頷いている。

「『緑』と『紫』で少女に出会ってはいけないってやつですよね」

「そうだ。薬草業者が必ず守らなきゃいけない教えだよ」

 見たのか、とキーレイは問う。

 ギアノは唾を飲み込んで、こくんと一回頷いている。

「どんな姿だったか覚えているかい」


 若者は目を閉じて、記憶を探っているようだ。

 背後から屋敷の住人が「美味かったよ!」と声をかけてきて、ギアノは手だけ挙げて答えている。


「ぼんやりした感じだったんですけど」

「あれはぼんやりと見えるものなんだ」

 青年は「へえ」と小さく呟いている。

「小さな女の子みたいだったかな。ふんわり盛りあがった形のスカートを履いていて、髪が長くて、楽しそうに跳ねていたように思う」

 けれど、顔はわからない。

 ギアノの答えに、キーレイはゆっくりと頷いていく。

「薬草の群生地帯で見た?」

「群生って、たくさん生えているところですか」

「ああ。薬草がまとまって生えている、業者が目指していくところだ」

「なら間違いないかな。『紫』の四層目で、薄い桃色の草がたくさん生えていたから」

 神官長は再び、ゆっくり深く頷いていった。

 ギアノは眉間に皺を寄せて、不安そうに声を潜めている。

「あれ、なんなんですか」

「まだわからないんだ。できれば早く正体を知りたくてね。実際に見た人間に話を聞くようにしている」

「はあ」

「あれには、普通の探索をしていても出会えない。見たり、犠牲になるのは薬草の業者だけだ」

「そうなんですか」

「業者たちはみんな見ないようにしている。そう教えられているから、床に伏せて、去るのを待つ」

「俺もそうしました」

「だから目撃者がなかなか現れないんだよ。当然なんだけどね。あれをじっと見つめていると、引き寄せられてしまうというから」

「引き寄せられてしまう?」

「引き寄せられてしまった者はみんな死ぬ。カラカラに乾いて、床に落とされる」


 体中の水分を失った状態になってしまい、生き返りの奇跡でも呼び戻せなくなってしまう。

 

「でも時々、仲間に助けられる者もいるんだ。そして生き残った者は大抵、少女の姿をしていたと証言する」

「大抵ってことは、少女じゃないこともあるんですか」

「そうだよ。君は鋭いんだね」


 ほとんどの者が「少女の姿をしていた」と言う。

 だが、その詳細はさまざまだ。

 髪の色、服装、肌の色合いなど、違いは多くある。


「少年の姿をしていたとか、青年だったとか、大人の女性だったという者もいた」

「じゃあ、見た人間によって変わるんですか」

「そう考えるのが良いだろうと思う」


 「あれ」の正体はきっと、魔法生物だろうとキーレイは思っていた。

 様々な証言から、薬草の群生地帯だけで現れ、なんらかの理由で幻を見せられているのだろうと考えている。

 

「私も見たことがあってね」

「へえ。キーレイさんにはなにに見えたんですか」

「まだ幼い頃に見たんだが、あの時、母が現れたと思った」


 それで近づいてしまい、危うく死にかけた。

 父が腕を引いてくれて、ぎりぎりのところで助かった。

 まだ六歳か七歳だった頃の恐ろしい経験だ。


「もしかして、マティルデはそれと勘違いされて襲われたんですか」

「その可能性はあると思う。私もそう考えて、マティルデに少しだけ話を聞いたよ」


 あの話は、薬草の業者にしか知られていない話のはずだった。

 薬草業者なら、戦いを挑んだりしない。薬草の生えている迷宮で少女に出会った時には、隠れるか逃げるか、どちらかを選ぶように指導されている。

 けれど、「業者しか知らない」とは限らない。


「この街には大勢探索者になろうと若者たちがやってくる。日雇いで薬草を採取する者もいるだろうから、この教えが中途半端に広まっている可能性があると思う」

 

 君はどう教えられた?

 キーレイの問いかけに、ギアノはまた目を閉じていく。


「見るな、絶対に出会うなって言われたかな」

「そうか」

「出会わなければ大丈夫だからと。アードウの店の、バリーゼという人に教わりました」

「バリーゼか。みんな彼のようならいいんだけど」


 少女の姿をした魔法生物が出るんだ、という言い方をしないようにしなければならない。

 業者たちに注意をするよう、両親へ伝えなければとキーレイは決める。


「ありがとう、ギアノ。今日は探索にも来てもらって、食事も振舞ってくれて、とても感謝しているよ」

「役に立ちましたかね」

 もちろんだと答えて、神官長は立ち上がる。

 そろそろ神殿へ向かって、神官たちの仕事ぶりを確認しなければならないだろう。


 

 将来有望な若者にねぎらいの言葉をかけて、長い廊下を抜けて、自分の居場所へ帰っていく。

 ギアノが作った謎の菓子の話をすると、ララにひどくうらやましがられて、しばらくの間恨めしい視線を向けられることになった。

 

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