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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
18_How Can I Go On? 〈適材適所〉

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79 潜水

 お客様ですと言われて、珍しいと思いながら立ち上がり、上着を羽織っていく。

 キーレイのもとを訪れる人間はそれなりにいるが、みんな勝手に部屋に入ってくる者ばかりだ。

 母はなんにでも勝手に触るし、神官たちは扉を開けてのぞき込んでくるし、ニーロは寝ていても起こしてくるし。

 わざわざ呼び出しを頼むのは誰なのか。考えながら外へ向かうと、ウィルフレドがぴんと背筋を伸ばして立っていた。


「ウィルフレド」

 髭の戦士は丁寧に頭を下げて、用事を告げる。

「ニーロ殿から頼まれまして」

「珍しいですね、あなたに頼むなんて」

「もう一人連れていきたい者がいて、呼びに行っているんです」


 探索に行きたい時には、いつも自ら声をかけにくるのに。

 人を寄越されたのは初めてで、断ってもいいのだろうかとキーレイは考える。


「今から行けますか」

「急ですね」

 今日は神殿の当番がないと、ニーロは承知しているのだろう。

 どこでどうやって調べているのかわからないが、神官長の予定はいつでも把握されている。

「それで、どこへ付き合えばいいんですか」

「『青』です」


 よろしいでしょうか、とウィルフレドは問う。この戦士にしては珍しく、様子を窺うような目でキーレイを見つめている。


「もちろん、いいですよ」

 浮かない表情で答えるキーレイに、ウィルフレドは笑ったようだ。

 準備をするため、戦士を連れて部屋へ戻っていく。

「長くは行きませんよね?」

「もちろんです。一層目を少し進んでみたいだけだと言っていましたから」

「もしかして、もう連れていかれましたか?」

「ええ、三度行きました」


 ニーロは「青」にマリートを連れて行かないだろう。

 昔溺れたことがあるとかで、「青」には一度だけついて行ったが、水の音に驚いて逃げていってしまった。

 

「二人で?」

「ええ、二人で行きました」

 あの恐ろしい迷宮に、なにが必要だろう。

 深く進まないのならたいした持ち物はいらないだろうが。

 服装は簡単にしておいた方が良いと考えて、せっかく着た上着を脱いでいく。

「泳ぎが得意なんですか、ウィルフレドは」

「多少はできるつもりです。しばらく水に入っていなかったのですが、子供の頃はよく泳いでいましたから」


 キーレイは泳いだ経験がない。迷宮都市には大きな水場がないので、泳ぐという言葉自体、最初はよくわからなかった。

 

 濡れても良い服に着替え、上に神官衣を羽織り、準備を終える。

 帰りにおいしいものでも食べに行きたいが、ずぶ濡れになっていたら店に迷惑をかけるだろう。


 「青」に行くのは危険極まりない挑戦だ。

 誰かに行先を告げてから家を出るべきだろう。

 だが、言えば驚かれるに違いなく、引き留められる可能性がある。

 これまでにも危険な探索には行った。何度も行ったし、死にかけた。

 迷宮から連れて帰られて、いつまで経っても目を覚まさない長男坊を、家族はいったいどう思っていたのやら。

 

 いろいろと考え、考えすぎて、結局誰にもなにも告げないまま家を出る。


 ところが戦士が向かっているのは「青」の迷宮とは逆の方向で、キーレイは首を傾げた。

「どこに行くんですか」

「カッカー様の屋敷です。ニーロ殿が待っていますから」



 キーレイとウィルフレドが神殿の隣にある屋敷へ向かうと、中はやけに荒れて散らかっていた。

 玄関では足跡が目立ち、廊下は薄汚れて、食堂にはあちこちに食べこぼしが落ちている。

 食堂には大勢の若者が集まっており、一人が前に出て声をあげていた。


 広い食堂の隅には魔術師が座っている。

 キーレイが近付くと、まだ見慣れない短髪姿のニーロも立ち上がった。


「どうしたんだ、この有様は」

「カッカー様が新しい屋敷を建て始めて、ヴァージさんが留守にすることが多くなったんです」

 荒れた理由はわかった。初心者の若者たちが大勢でお構いなしに暮らしていれば、こうなってしまうのも無理はない。


 荒らした犯人たちは、指示を受けて二、三人ずつの組にわかれていく。

 床には掃除用具が並べられており、それぞれ必要な物を手に取っている。


「ちょうどいい人材が見つかったのです」

 ニーロが言っているのは、前に立っている見覚えのない若者のことなのだろう。

「ニーロが連れてきたのか?」

「ええ。器用で、面倒見もよく、家事はなんでもこなせるそうです」

「そんな若者もいるんだな。いったいどこで見つけてきたんだ」

「西に魚料理を出す食堂ができて、そこで働いていました」

 魚料理が出るとは珍しい。キーレイは感心したが、ウィルフレドの表情が曇っている。

「珍しいな、ニーロが食堂に行ったのか?」

「ええ。でも彼はもうそこを辞めていて、北西にあるどこかの店で喧嘩をして追い出されていました」


 経緯がさっぱりわからない。

 途中にたくさんの省略がありそうで、キーレイは質問するのを止めた。

 

 前に立つ青年は穏やかな顔で話し、細かく具体的に指示を出している。

 掃き掃除をさせ、廊下を拭かせ、厨房を片付けさせ、ごみをまとめさせ。

 難しいことは頼んでいないようで、みんなすぐに理解して動き出していく。

 質問されればすぐに答えて、それを聞いた者は楽しげに笑っている。


「ギアノ・グリアドといいます。『青』に付き合ってもらいます」

「彼と? 探索者なのか」

「そう言っていました。南の港町から来たそうです」

「じゃあ、泳げるのかな」

「はい。ですが、まずは片づけを済ませたいらしくて、待っています」


 探索に行かずに残っていた者が多かったわけではなくて、きっと朝からみんなに手伝わせようと声をかけたのだろう。そうでなければこんな人数にはならないはずだ。

 誰も文句を言わずにきびきびと働いており、きっと説得も上手いに違いない。


 最後の質問に答え終わって、ギアノが端に集った探索者のもとへ向かって歩いてくる。

「お待たせしました。ギアノ・グリアドといいます」

 キーレイに向けて頭を下げてきたので、神官長も名乗った。

 ニーロとウィルフレドには会釈をしただけで、戦士とも面識があった様子が伺える。

「リシュラというのは、薬草業者の?」

「ああ、両親と弟がやっているんだ。私も昔は手伝っていたけれど、今は樹木の神に仕える神官だよ」


 どこかでみたことがあるとキーレイは思った。それでいて、この顔の若者は知らない。

 よくいる髪の色、瞳の色、迷宮都市に最も多い年代の青年は、ごくごく平均的な背丈、体格をしていて、顔立ちにも特徴がない。

 特徴がないという特徴が、どこかで会ったと思わせるのだろう。

 

「もう行けますか?」

「ああ。時間はそんなにかからないって話だよね?」

「少し行くだけです」

 ニーロの答えを聞いて頷き、ギアノは目の前に並んだ探索者の様子を眺めている。

「この四人で?」

「そうですよ。なにか問題がありますか」

「いや……。俺がすごく場違いな気がするくらいかな」


 ギアノは随分人当たりの良い青年のようだ。

 はきはきと話すし、相手をよく見ているように感じられる。

 

 これまでどこでなにをしていたのだろう。

 ニーロの話だけではよくわからない。はっきりしているのは「料理人だった」ということだけだ。

 ウィルフレドとはどんな縁があったのかもまだ不明だし、ここで任されているのは「家の管理」だし。

 喧嘩をして店を追われたのは、何故なのだろう。

 そんなことをしそうな人間には見えない。キーレイにはそう思えた。


「では行きましょう。ギアノ、僕はあなたよりも年下でしょうから、ニーロと呼んでください」

「じゃあ、そう呼ぼうかな? ウィルフレドさんはニーロ殿って呼んでるみたいだけど」

「そうですね。まったく、おかしなことです」


 新たな探索者とともに「青」に向かって歩いていく。

 ウィルフレドと面識があったのが不思議で、キーレイは戦士も一緒に食堂へ行ったのか尋ねた。

「いえ、店では会ってはおりません」

 では、どこで出会ったのだろう。神官長はそう言わなかったのに、戦士は質問の意図を理解していた。

「彼はマティルデと偶然出会って、ティーオに会わせる為につれてきてくれたんです」

 その時ララに声をかけられて、一緒に面会をしたとウィルフレドは言う。

「あの子はもう男が怖くなくなったのかな」

「いいえ。彼だけは平気なんだと言っていましたよ」

 キーレイが視線を向けると、ギアノはひどく照れ臭そうな顔で頬を抑えていた。

「はは、どうしてなんでしょうね。マティルデは魔術師の塾に行こうとして、なぜだか西側についてしまったらしくて。路地にしゃがみこんでいたんで声をかけたんです」

「それで仲良くなったのかい」

「仲良くなったというか。ご飯をあげたら懐かれた、みたいな感じかな?」


 確かに、子猫のような女の子だったとキーレイは思った。

 あの愛らしい大きな瞳は、若い健康な青年をころりと恋に落としてしまうだろう。


「迷っていたところを助けた上、神殿まで付き添ってあげたのか。君は随分親切なんだね」

「よく言われます」

「それにしても魚料理を出す店なんて、初めて聞いたよ。西側のどこにあるのかな」

「ああ……」


 ギアノの返事が続かない。

 ニーロは二人の前を歩いていて、振り返らずに口を挟んできた。


「迷宮で獲れる魚を使っているんですよ」

「まさか、『青』にいるという?」

「そうです。癖のある味ですから、キーレイさんの口には合わないかもしれません」

 本当にいるのだなと神官長が呟くと、隣を歩くギアノは苦笑いを浮かべている。

「癖があるのかい?」

 この問いかけに、料理上手な若者は困った顔で答えた。

「癖なんて生易しいもんじゃないですよ」



 

 お互いを探り合うような会話を交わしながら街の北西に向かって歩いていく。

 「青」の迷宮は、「黄」よりも近づく者が少ない。

 「黄」の造りは、六層辺りまではだいたい「橙」と同じだとわかっている。

 罠の位置や内容は網羅されていないが、地形だけなら確認できる。


 「青」についてはなにもわからない。解明されている部分は、入り口付近だけだ。

 入り込んだ者はゼロではないのだろうが、地図は作られていない。

 迷宮が見つかってから百年以上が経つ。

 街は繁栄して山のように人が押し寄せているのに、ここだけはずっと未知のままほったらかされている。


 回収屋の使いも、荷運び屋もいない、寂しい穴の底へ四人で降りていく。

 

「『青』かあ……」

 ギアノの呟きが聞こえてくる。

 キーレイも同じことを考えていた。同じように、ため息まじりに呟きたい気分だった。


「探索はどのくらい経験があるのかな」

「そんなには。『橙』と『緑』に何回か入ったくらいで」

「じゃあ、いきなり『青』なんて不安だな」

「キーレイさんは怖くないんですか」

「怖いよ。今日は無事に生きて帰れるかな」


 キーレイは真剣に答えたのだが、ギアノは冗談だと思ったようだ。


「どのくらいの時間、潜れますか?」

 ニーロに問われ、ギアノは考え込んでいる。

「仲間の中じゃあ一番だったけど。迷宮の中って、どのくらい潜れたらいいのかな?」


 入り口から入ってすぐのところに、深く深く水が溜まっている穴がある。

 その先に「青」の迷宮が続いているとニーロは話した。


「ウィルフレドと来て、いろいろと試しました。水中で呼吸が続いたり、自由に動ける魔術を完成させようとしています」

「そんな魔術ができれば、少しは進めるようになりそうだな」

「ええ。呼吸に関してはある程度使えるようになりました。動きに関しては少し難しいです。できるだけ水中に慣れている者で試したいと考えています」


 ウィルフレドとギアノが、同時に頷いている。

 泳ぎとはなにかすらわかっていない自分には出番は回ってこなさそうだと、神官長は思う。


「敵が出ますから、服は着たまま進んでください。裸でいるよりはましですから」

 頷くギアノへ、ニーロは「帰還の術符」を差し出している。

「使ったことはありますか」

「まさか。これ、例の術符だよね?」

「そうです。手の中に広げると文字が浮き出します。水の中でも、心の中で読み上げれば効果が出ます。あなたが一緒に連れ帰る仲間が五人まで、そこにある帰還者の門へと送られますよ」

「へえ、心の中でいいのか。すごいんだな、術符っていうのは」

 術符はギアノの腰のベルトに挟まれていく。

「すぐに取り出せるようにしておかなければいけませんが、失くしてしまっては元も子もありません」

 水に入った時に抜け出ていかないかよく確認するように言われ、青年は真剣な顔で頷いている。


「試しに入ってみましょうか。ギアノ、入ると左右に水が溜まっているところがあります。左側に潜ると、深いところに横穴があるのです」

「そこに入る?」

「まずは横穴にたどり着けるかどうか試してください。これを持って泳げますか」

 ニーロは銀色の細長い棒を取り出して、手をひらりと揺らした。

 すると先端が輝きだして、ギアノは「おお」と漏らしている。

「中は暗いんだな」

「そうです。潜っていくと魚が出ることもあります。体当たりしてきますから、負けないでください」

「あいつら歯があるけど。噛みついてこない?」

「わかりません。ですが噛みつかれたという話を聞いたことがありますし、大いにありえると思います」

 何度か試したウィルフレドは、まだ噛みつかれたことはないという。

 だが、たまたま無事だっただけなのかもしれない。絶対にないと言い切れることなど、迷宮の中にはない。


 青の扉を開き、中へと進む。

 他の迷宮と違って、涼しい空気で満ちているように思える。

 時折水の滴る音が聞こえてくる。

 そしてなにより、青が広がる景色が美しい。


 細いロープが取り出されて、ギアノの腰に巻き付けられていった。


「最初に術符が落ちないか確認してください」

「わかった」

 灯りの棒を手に持ち、ギアノは手足や首を回して準備を進めていく。

「不思議だな」

「なにがですか?」

「あの魚の様子じゃ、水が汚れているんだろうと思ってた。でも、そうじゃなさそうだ」

 海のそばで育った青年は、足先を水に浸けてキーレイにはわからないなにかを観察しているようだ。

「迷宮の魚は、どんな風なんだい」

 キーレイが問いかけると、ギアノはにやりと笑って水に飛び込んでいってしまった。

 飛沫をあげずにすっと沈んでいって、中でくるりと回って深く潜っていく。

 水の中の灯りが少しずつ遠のいて、ロープがするすると音を立てて動き、短くなっていった。


「キーレイさん」

 視線は水の中に向けたまま、ニーロが呟く。

「覚悟はいいですか」


 もちろん、いつだって覚悟はできている。

 だが、水の中に長い時間入り続けたことなどない。

 前に「(ここ)」に来た時に入らされたが、息もできないし、視界は歪むし、体は自由に動かせないし。

 ギアノが躊躇せずに入っていく姿に感動しているくらいなのに、進むことなどできるのだろうか。

 

 昏い穴の中に、ちらりちらりと魔法の灯りが揺れている。

 ギアノが動いているのか、水がいたずらしているのか。

「随分長いな」

 マリートにギアノの話をするのはやめておこう。キーレイが考えていると、光が少しずつ大きくなっていった。


 ざばざばと飛沫があがって、勢いよく青年が飛び出してくる。

 水を叩く激しい音がして、なにごとかと焦る神官の前に、一匹の魚が放り出された。


「わあ!」

「やっぱり噛みついてきたよ。でも、服だけで済んだ」

 左腕の袖に空いた穴を見せながら、ギアノは笑っている。

 息は少し荒いようだが、青年の表情には余裕があった。

 魚は苦しんでいるのか、びちびちと暴れて細かなしぶきを巻き散らしている。

「横穴まではすぐにたどり着けたけど、魚が邪魔してきて少し面倒だったかな」

「魚はどのくらいいましたか」

「四、五匹はいたと思う。結構いるもんなんだね」

「もう一度行って、横穴をくぐれますか?」

 ニーロの問いに、ギアノは首を傾げている。

「ウィルフレドさんはあの先に行ったことがある?」

「ああ」


 横穴がどのくらいの距離なのか、ギアノは尋ねている。

 戦士から説明を聞いて、自分の中でイメージを固めているようだ。


「そのくらいなら大丈夫かな。横穴を抜けたら、上にあがる感じ?」

「そうです。でも、水からは出ないでください。近くに罠はありませんが、魔法生物が出るかもしれませんから」

「なるほど。じゃあ、あまり音を立てないように出るべきなのかな」


 息を整え、背筋を伸ばし、手足をしっかり動かして。

 準備ができたようで、ギアノは腰につないだロープの確認をすると、再び水の中に飛び込んでいった。


 魚は暴れ疲れたのか、すっかり大人しくなって口だけをぱくぱく動かしている。

 本物の姿かたちを見たのは初めてで、魚とはこんな風なのかとキーレイは感心していた。

 これまで知っていた魚は本の中に描かれたものだけで、現実とはずいぶん違うことがわかる。


「やはり水辺の近くで育った人間がいないと、『青』を進むのは難しそうですね」

 そんな想定を、古代の魔術師はしていたのだろうか。

「昔はこの辺りにも川が流れていたのかもしれないな」


 魔術師が迷宮を作ってから、長い長い時が流れた。と、されている。

 偶然発見されるまで、この辺りにはなにもなかった。

 ただただ地面があり、小さな穴がところどころに空いていただけだった。


 街は発展を続けて、大きくなって、変化をし続けている。

 キーレイが生まれてからそろそろ三十年経とうとしているが、その間にも変化はたくさんあった。

 「橙」以外にも三つの迷宮が最下層まで踏破されたし、街の商店に並ぶものは増えたし、迷宮に持ち込むべき物は増えたり減ったり、魔術師の私塾周辺で迷うようになり、さまざまな地方の名物が食べられるようになって、娼館街では特殊な専門店が次々に生まれているという。

 

 変わっていないのは、たくさんの若者が相変わらず毎日どこかしらからやってくることだろうか。

「ん?」

 三人で眺めている水面に、なにかが浮かび上がってくる。

「魚ですね」

 ウィルフレドが近づいて、浮かんできた迷宮魚の尾を掴んで持ち上げていった。

 ぷかぷかと浮かぶ四匹の魚は迷宮の床の上に並べられて、ぎょろりとした大きな目を開いたまま動かない。


 しばらく待つと水の中の静けさが消え、灯りが見えてきた。

 ギアノの顔がすっと現れて、ぶるぶると振られ、雫がキーレイの足元を濡らしていく。


「向こう側、見てきたよ」

「この魚は君の仕業なのか」

「邪魔だったんで」

 噛まれたらいやでしょ、と青年は笑っている。ギアノは軽やかに水から出てきて、顔を手で拭い、髪を絞っていく。


 水の中でどうやって魚を仕留めたのだろう。聞いてみたいが、今はおしゃべりの時間ではない。


「水の中で動きやすくなる魔術を使います」

 それで、キーレイを連れていってくれるか、とニーロが問いかけている。

「キーレイさんは泳げませんから、誰かが連れていかねばならないのです」

「なるほど。泳ぎの練習をする場所もないもんな」

「先にウィルフレドが行きます。次にギアノが行って、ロープを渡してください」

 その後、ニーロが行くらしい。

「ニーロは泳げるの?」

「少しは。泉で練習させられましたが、ここのように深い水辺ではありませんでした。潜るのはまだ苦手なので、ロープを使って辿っていきます」


 水の中を移動するのは一人ずつ。

 万が一に備えて、ロープを腰に縛り付けて、それぞれに脱出の手段を用意して進んでいく。

「いいですか、キーレイさん」

「ああ。すまないね、ギアノ」

「あのくらいの距離なら大丈夫」


 迷宮の水はしょっぱくもないし、濁ってもいないから進みやすいと青年は話した。

 海の水は塩辛くて、天気によって色も変わるし、さまざまなものが浮かんでいるらしい。

「波もないし、海に比べたら楽……ってことはないか。海の魚は襲ってこないし、もっと美味いもんな」


 話している間にウィルフレドが準備を終えて、剣を背負って水に入っていった。


「海の魚なら、一度食べたことがあるよ」

「この街で?」

「ああ、誰かの開いた宴席に連れていかれてね」

「干物にしたものなのかな。生の魚は、ここまで運ぶのは難しいだろうし」


 雑談をしていくうちに、戦士に繋がるロープの動きが止まった。

 たどり着いたのだろう。未知の「青」の通路の先で、今、たった一人で待っている。


「ギアノ、お願いします」

「よし。じゃあ、行きますか」

 二本目のロープを腰に結んで、持ち物を確認していって。

「灯り、持ってもらえます?」

 水の中での姿勢をどうするか、細かく指示をされていく。

 キーレイにだけは特別に、ニーロが「息が続く魔術」を使ってくれるらしい。

「では、行ってください」


 前回の「青」の調査はずいぶん前の話で、深い水に浸かるのは当然久しぶりだ。

 あの時、水の中で使える魔術は開発されていなかった。

 なので、ギアノと共に潜って、キーレイは驚いていた。

 視界はぐらぐらするし、妙な音に包まれて戸惑っている。

 だが、息は苦しくない。ギアノに支えられて、すいすいと水の中を落ちていく。

 腕に力を込めて、灯りの棒をかざして進む。

 腰をとん、と叩かれる。

 横穴に入る合図で、青年がなにをしたのかわからないが、一気にぐんと前に進んだ。

 

 「青」の迷宮は水の中も青いタイルが張り巡らされていて、灯りを受けて煌めている。

 進むたびにどこからか空気の粒が飛び出してきて、二人の周りを流れていった。

 

 再び、腰が叩かれる。

 一気に上昇していく。スピードは更に増して、青い輝きが広がって、一瞬で世界が変わった。


「ふう!」

 横穴の先にたどり着いたようだ。すぐそばに、ウィルフレドが立っている。

 二人がやってきたことに気が付いても、振り返らない。通路の先からなにか現れないか、気を抜くことなく立って仲間を守っている。


 先に通路に上がったギアノに手を貸されて、キーレイも水から出ていった。

「ありがとう」

「いえいえ」


 いい人材を見つけたものだと思った。

 珍しく食堂へ行ったのは、いや、まさか「青」の調査に使える人材探しのためではないだろう。


 隣に立って、ギアノは息を整えている。

 深く吸い込んで、吐き出して。

 魔術のお陰で、キーレイはいつも通りだ。服がびしょ濡れになった以外は、なんの問題もない。

「服を絞った方がいい」

 水に不慣れな神官の手伝いをして、後から上がってきたニーロに手を貸して。

 ギアノの振る舞いは親切に満ちていて、できた若者がいたものだとキーレイは思う。


「どうでしたか、動きは良くなりましたか」

「かなり。魔術って便利なんだな。海沿いで店を開いてくれたらみんな大喜びでやってくると思う」

 楽に進めたという感想に、ニーロも頷いている。

「キーレイさん、息はできましたか」

「ああ、助かったよ」

「では、先へ行ってみましょう」


 ロープを回収し、全員の状態を確認して、四人で並ぶ。

 ニーロはスカウトの役目も負うらしく、ウィルフレドと二人で前を歩くようだ。


 水を吸った服はすぐに乾かず、誰かの髪からぽたぽたと雫が落ちる音が鳴りやまない。

 青い通路は他の迷宮と同じような幅で続いており、四人は慎重に歩いていった。

 迷宮にはおそらくはこうであろうと思われている法則があるが、「青」にどのくらい適用されるのかはわからない。

 床、壁、天井すべてをよく見ながら進まねばならず、自然と歩みは遅くなっていた。


 しばらく進むと、通路の途中に水の湧く泉が設えられていた。

 回復の泉ではないだろう。問題は、ただの水か、そうではないかだ。

 他の迷宮ではみたことのない造形の泉だった。

 壁から小さな滝のように水が湧き出し、下に置かれた真四角の箱へ落ちていく。

 

 ニーロは泉の前で立ち止まると、流れ落ちる水へ手をかざし、ふわりと振った。

 一見、なにも起きてはいない。

 だが魔術師は、こう話した。


「飲み水ですね」

 腰のポーチから紙を取り出し、細い炭のようなものでメモを書きつけている。

「それ、濡れないの」

「濡れないようにしています」


 「青」で地図を作りたいのなら、濡れるのを防ぐ仕組みが必要だった。

 今回は早めに切り上げると決めているが、最下層を目指すとなれば相当な装備が必要になるだろう。


 「黄」には水がないだけ、随分とましなのかもしれない。


 泉での補給は必要なくて、四人は再び進みだす。

 ゆっくりと歩きながら、キーレイは泉の前で自分の考えたことに大いに呆れて、もう二度と他人を「迷宮中毒」などと言わないと誓った。

 

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