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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X6_You are so Sincere

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76 迷宮都市の小さな邂逅(上)

 懐に鍵を忍ばせたまま「紫」の入り口付近から北へ向かって歩くと、道の先に見覚えのある木箱の山が現れた。

 五つの箱の隣には、扉が一枚。

 壁も塀もない空間に唐突に扉があって、ウィルフレドは戸惑っていた。

 これも、魔術師の業のひとつなのか。そうなのだろう。それ以外に考えられないのだから。

 木でできた扉は素朴なつくりだが、紫色に輝く八角形のプレートが掲げられている。

 この色合い、間違いなくホーカ・ヒーカムの屋敷に繋がるものだろう。


 銀色に輝くドアノブに手をかけて、思い切って開ける。


 その先は、以前にも訪れた「シュヴァルの部屋」だった。

 廊下から繋がる扉がまっすぐ前に見える。ウィルフレドは部屋の奥、ベッド脇に立っている。

 薄紫色の服を着せられた少年は寝転んでつまらなさそうな顔をしていたが、突然の訪問者に慌てて起き上がっていた。


「どうやってそんなところから……?」

 虚空にいきなり扉が出てきて、そこから誰かが入ってきたのだから、驚かないはずがない。

「元気にしていたか」

 シュヴァルは黙ったまま、こくんと頷いている。

「気に入るかどうかわからないが」

 久しぶりの訪問のために、屋敷に集った若者たちの間で人気の料理と、文字の学習のための本を用意していた。

 ウィルフレドから渡された土産をシュヴァルは素直に受け取って、小さな声でありがとうと呟いている。


 調子はどうか尋ねると、少年はしょんぼりとうなだれ、美しい顔に影を落として答えた。

「悪くはないけど」

「そうか」

「……ここにいても、ひとりぼっちだ。俺、すごく寂しいよ」


 まだ小さな背中を叩くくらいしかできない。引き受けるには準備がまったく足りないし、時間をすべてシュヴァルのために割いてくれる心の広い協力者が必要だ。

 そんな用意はないから、期待させるような態度はとれない。

 

 料理を一緒に食べ終わったら、本の使い方について話していく。

 キーレイに頼んで王都から取り寄せてもらった、小さい子供用のものだ。

 わかりやすく絵が添えられているし、本の裏側にはシュヴァルの名の綴り方も書き込んでおいた。


 シュヴァルは殊勝な態度で客の話に耳を傾けていたが、途中で連れ出してもらえる可能性が無いと気が付いたらしい。

 まじまじと見つめていたはずの本を放り投げ、大きなため息を吐き出して、ベッドに勢いよく倒れ込んでいく。


「あーあ、なんだよ。こんなシケたもん持ってきただけ? 冷やかしに来たのか? 相変わらず使えねえ奴だな、このヒゲオヤジは!」


 いいから早く、ここから出せよ。


 ふんぞり返って吐き出された少年らしいセリフに、ウィルフレドは思わず笑っていた。

 訪問はこれで終わり。また来ると言い残して、戦士は魔術で作られた扉を通って屋敷を後にした。

  

 


「あっ」


 そんな戦士の帰り道を遠くに見つけて、マティルデは慌てて仲間たちの手を引いて走った。

 少しくらいは稼ぎが必要だと始めたのは、湧水の壺に「可憐な飾り」をつける仕事で、花や葉っぱを模したなにかを壺につける日々を送っている。

 面白くない仕事だが、同僚はみんな女性ばかりで安心だし、非力なマティルデには向いている。


 地道な労働の果てにささやかな賃金を得て、とうとう魔術師のもとへ学びに行こうと決めた。

 マージとユレーに付き添われ、意気揚々と街の中心部へ。

 ところがいくら歩いても魔術師の屋敷の入り口は見当たらず、それどころかどちらへ向かったらいいのかすらわからなくなっている。


 そして、今。

 あの「おヒゲの君」と鉢合わせになってはいけないと慌てた結果がこれだ。

 マージとユレーの姿が見当たらない。

 いつの間にやら街のどこか、にぎやかな通りへ繋がる路地に立っていた。


 迷宮の入り口が近くにあるようで、探索者が大勢うろついている。

 マティルデはそばに置かれていた大きな樽の影に隠れて様子を窺った。

 聞こえてくる会話から察するに、近くにあるのはあの「緑」の入り口のようだ。


 路地の先は行き止まりになっている。

 あの辺りから出てきたはずなのに、何故?

 わからないけれど、路地から出たら若い男たちがぞろぞろと溢れるところに行き着いてしまう。


 たかが若者。

 彼らは悪人とは限らない。いや、ほとんどが無害な人間に違いない。

 けれど。わかっていても、どうしても足が動かず、マティルデは頬を膨らませている。

 

 手を引いたはずなのに。

 マージのことだから、目ざとく「おヒゲの君」を見つけてしまったのかもしれない。

 あのヒゲが絡むと、とたんにふにゃふにゃになってしまうから。

 ふにゃふにゃの頼りないマージになってしまって、ユレーはなんとかしようと思ったのだろう。

 そうなれば、マティルデどころではない。じゃあ、仕方がない。


 樽の影で膝を抱えて、ため息をついた。

 こんなところで時間を無駄にしても仕方がないのに。

 そっと、樽の向こうの様子を窺ってみる。

 探索者の数は減るどころか、増えたように見えた。

 探索は朝始めると聞いていたのに。今はもう、そろそろ昼になる頃なのに、何故?


 両手で頬を抑えたまま悩むマティルデの上から、ふっと影が差した。


「君、大丈夫?」

 樽の向こうから、男がのぞき込んでいる。

「気分でも悪い?」


 男が近寄ってきて、マティルデはびくんと体を強張らせた。

 それに気が付いたようで、歩みが止まる。

 離れたところで両手をあげて、男はまた声をかけてきた。


「俺はこの近くの店で働いていて、買い物の帰りにここを通りかかったんだ。怪しいもんじゃない」


 マティルデはおそるおそる、男の様子を見つめた。


 どこかで見たような顔だ。

 年齢は全然違うが、生まれ故郷で世話になった、近所の道具屋のテイバンおじさんとよく似ている。

 テイバンおじさん。どんなにやんちゃな真似をしても、笑って許してくれた。

 店に入り込んで商品を駄目にしたり、用意したお茶や昼ご飯を勝手に食べたり。

 うんと小さな頃だからなのだろうが、マティにはかなわないなと、困った顔で笑って許してくれた。


「悪い人じゃないよね」

「まあね。信じてもらえるかどうかはわからないけど」

「お店ってなあに?」

「食堂だよ。休みたいんなら、おいで。そんなじめっとした暗がりよりはマシだろうから」


 男はギアノ・グリアドと名乗って、マティルデに微笑みかけている。


「テイバンおじさんを知ってる?」

「ん? 誰かな。そういう名前の知り合いはいないけど」

「道具屋のおじさんよ。あなたそっくりなの」

「ははは、そうか」


 テイバンとは関係ないけど、嫌でなければ。

 手を差し伸べられて、マティルデは立ち上がった。

 なぜかわからないが、他の男性とは違って、ギアノは「怖くない」ような気がしている。


「まだ街に来たばかりなのか?」

 問いかけられて、マティルデはこくこくと頷いて答えた。

「この辺りは人が多いから。歩くのも大変だよな」


 テイバンおじさんと同じ顔なのだから、同じように良い人に違いない。

 マティルデの考えは適当極まりないものだったが、幸いなことに当たっていた。

 ギアノは見知らぬ少女にしがみつかれているというのに、なんの文句も言わずに一緒に歩いてくれている。


「店はそこだよ。おなかすいてる?」

「うん」

「じゃあ、なにか用意するよ。厨房の奥でよければだけど」

「いいの?」

「いいよ」


 「コルディの青空」の看板が掲げられた店の中へ、マティルデは入っていった。

 妙な臭いが漂っているような気がして、鼻がむずむずしてしまう。


「臭うかな。ごめんな、ちょっと変わった料理を出すんだ、この店は」

「変わった料理って、なあに?」

「迷宮の中で獲れる魚を出すんだ。珍しくて貴重なものなんだけど、臭いが強くてね」


 中にいる従業員たちに声をかけながら、ギアノは奥にある厨房へと進んでいった。

 調理場の隅には小さなテーブルがあり、椅子が四脚並んでいる。

 そのうちの一つを引くと、「さあどうぞ」とギアノは笑った。


 マティルデが椅子に座って待っていると、親切な料理人は水と小さな皿を持ってきてテーブルの上に並べた。

「普通の料理も出す店だから、心配いらないよ。これは果実を干して、甘く味付けしたお菓子なんだ」

 仕事の合間になにか持ってくるから、これでも食べて待っていて。

 ギアノは調理場に向かい、働き始めている。


 マティルデの座ったところからは、調理場がよく見えた。

 物影の先に少しだけだがホールも見えて、客が次々に入ってくるのがわかった。


 テイバンおじさんを若返らせたような親切なギアノは、他の従業員たちと笑いあい、客と楽しげに話し、料理をしている間は真剣なまなざしで。

 次から次へとやってくる客を捌いて、給仕の少女に指示を出し、忙しそうに動いている。

 その合間を縫って、ぼんやりと店の様子を眺めるマティルデのもとにおいしそうな兎肉のシチューを運んできてくれた。


「口にあうといいんだけど」

 焼きたてのパンからいい香りが漂ってきて、マティルデの心を優しくくすぐる。

「食べていいの?」

「いいよ」

「あの、わたし、お金を持っていないんだけど」

 本当は持っている。けれどこれは、魔術師に払うために用意したものだ。だから、できるなら使いたくはない。

「いいって。心配しないで」

 たいしたもんじゃないからね。

 ギアノは笑みをひとつ残して仕事へ戻っていき、また忙しそうに動き回っている。


 パンもシチューも、本当においしかった。迷宮都市に来てから食べたものの中で一番だった。

 すべてきれいに食べ終えて、マティルデはまたぼんやりと店の様子を眺めている。


「お嬢ちゃん、ギアノの知り合いなのかい」


 客足が途切れてきて、店の中が静かになって、それで暇になったのか。男がやってきてマティルデへ声をかけてきた。

「ううん、違うわ」

「知り合いじゃないのかい」

「わたし、あの、……道がわからなくなっちゃって」

「そうなのか。お嬢ちゃんはどこの店で働いているんだい?」


 小太りの男は年齢が随分上のようで、じっとりとした視線でマティルデを見つめている。

 少女はそう感じたので、心がざわざわとして、答えに詰まってしまう。


「バルディさん、いろいろ届いたから確認してきて」

「ああ、わかったよ」


 ギアノに声をかけられ、バルディは手を振って去っていく。

 

「あんなおじさんにじろじろ見られたら嫌だよな」

 ごめんな、とギアノは言う。悪気はないんだよと言いつつ、苦笑いをしているようだ。

「若い女の子に店で働いてもらいたいんだよね、あの人。ここだけの話だけど、やめておいた方がいい。変な真似しようとするから」

「ふふっ。そうなの?」

「で、道に迷ったんだっけ。家はどのあたりかな」


 昼の営業はそろそろ終わるから、よければ送っていくよとギアノは話した。

 なんと親切な男なのだろう。

 マティルデはひどく驚いていた。


「あなたのこと、全然怖くないわ」

「ん?」

「わたし、南門の近くでマージのお世話になってるの」

「南門か。ちょうどよかった。南門の市場を覗きに行こうと思っていたんだ」


 朝早く開く店のための夜市もあるから、行ってみたかったんだよね。

 ギアノの話し方は穏やかで、声が優しく響いて心地いい。


「いらっしゃいませー」


 店の扉が開いた音が聞こえた。

 ティッティという少女が客を出迎えて、席へ案内している様子がちらちらと見える。

 ギアノは客の姿を確認して、目を少しだけ見開いていた。

「お、有名人がおでましだ」

「有名人?」

「あの人はこの街じゃ有名な魔術師らしいよ」


 街で有名な魔術師。探索者なのか、私塾の経営者なのか。

 興味が湧いてマティルデは立ち上がり、厨房から客席をそっと覗いた。


 時間がすこし遅いので、客はもう一人しかいない。

 黒いローブに、短い灰色の髪。顔はよく見えないが、男性のようだ。


「魚料理はまだありますか?」

「魚ですか。ええと、ギアノさーん!」

「はいよ! ごめん、ちょっと待っててな」


 ティッティに呼ばれて、親切な男がホールへ向かって行く。

 マティルデはその後についていって、ギアノのすぐ後ろに立ち、魔術師のお客をじっと見つめた。


「魚ですよね。あと一匹だけ残っていますよ」

「ではお願いします。ここには魔術の集中力を高める効果をつけられると書いてありますが、どのくらい持続しますか」


 接客中でもおかまいなしのマティルデの振る舞いに、ティッティが困惑の表情を浮かべている。

 当然、ギアノも気が付いているし、凝視されている魔術師は謎の少女をまっすぐに見つめていた。


「僕になにか用ですか」

「どうしよう、少し怖いかも」


 ギアノの服をぎゅっと握って、マティルデは勇気を奮い起こしていった。

 大丈夫。テイバンおじさんがついているんだから。

 息を吸い込んで、吐いて。勇気を出して問いかけていく。


「あなたは有名な魔術師なんでしょう? 探索をしているの?」

 瞳まで灰色の魔術師は店員たちに順番に視線を向けたが、マティルデの問いに答えてくれた。

「探索をしています」

「随分若く見えるわ」

「なんの用なのでしょう」

「私、マティルデっていうの。魔術師になりたくて」

「僕は他人に魔術を教えません」

「教えられないの? なあんだ。たいした魔術師じゃないのね」

「こら、マティルデ」


 ギアノは少女の失礼な態度を注意して、魔術師のお客に謝罪している。


「店の従業員ではないようですが」

「そうですけど」

「では、あなたが謝る必要はないでしょう」

「そうよ。この人がたいしたことないだけなんだから」


 そっけない魔術師に向かって、ケチだとか、もったいぶっているとか。

 マティルデが幼稚な文句をつけていくと、なぜか無彩の魔術師は小さく笑った。


「そうですね。もっと優秀な魔術師が街の真ん中にいますから、弟子入りさせてくれる人を探した方がいいでしょう」

「そうするつもりだったのよ。今日、行こうと思ったのに。なんでかたどり着けなかったの」

「あの辺りは、初めて行く時には案内がなければまともに歩くことはできませんよ」

「やだ。そうなの? ねえ、案内してよ」

「たいしたことのない魔術師には無理ですね」


 もうやめなさいとギアノに追われて、マティルデはもといたテーブルへと押し戻されていった。

 再び厨房が騒がしくなって、妙な香りが店内に充満していく。

 匂いだけで、苦い薬を飲まされたような気分になってしまう。

 

「これ、良かったら」

 顔をしかめていたマティルデの前に、また甘い果実が運ばれてきて置かれる。

 干した果実はいい香りで、優しい味だった。

 魚の臭いはそれでだいぶ紛れて、もっともらえないかと少女は思う。

 


「やあ、お待たせ」

 客は帰って、昼の営業がとうとう終わったようだ。

 ギアノは少し呆れたような表情でやってきて、迷子の少女にこう声をかけた。

「マティルデって名前なんだな」

「そうよ。ん? 私、名乗ったかしら」

「さっきのお客さんにね」


 仕事は終わったから、南門まで送っていこう。

 それでいいかと問われて、マティルデはこくんと頷いた。


 ギアノは後片付けを他の店員に頼んで、少女を連れて店を出ていった。

「南門まで行ったら、ちゃんと家には戻れるかな?」

「門からだったら大丈夫」

「じゃあ南門に向かって行くけど、途中でもここまででいいと思うところに着いたら、教えてくれよ。女の子の寮の場所は秘密なんだろう?」

「わたしは寮に住んでるんじゃないわ。マージの世話になってるの」

「マージね」


 コルディの青空から、南へ向かって進んでいく。

 「緑」の入り口から離れると通行人の数は減って、探索者の格好をした者はいなくなり、商人や下働きであろう者ばかりに変わっていった。

 男性ばかりではなく、女性の姿もちらほらと見えてくる。

 馬車がガタゴト走ってきて、たくさんの荷物が運ばれていくこともあった。


「そういえばマティルデ、魔術師になりたいと言っていたけど」

「そうよ。魔術を習って使えるようになるの」

「探索者になろうと思ってる?」

「うん。まだ、仲間が集まってないんだけどね」


 マティルデはギアノの服の背中のあたりをぎゅうっと握って、ぴったりと身を寄せて歩いている。


「ところで、どうしてそんなにしがみついてくるのかな」

「わたし、男の人が怖いの」

「俺も男の人なんだけど」

「うん。だけど、あなたは全然怖くない」

「そう?」


 街の風景が変わっていく。

 少し先には「白」の入り口があるが、ここには探索者が群がることはない。

 覚悟を決めた手練れだけが行けるところなので、探索者の姿は今はないようだ。


 周囲には薬草業者の作業所があり、荷物置き場があり、商人たちの屋敷が並んでいた。

 馬車が多く通るため、北側に比べて道路が広い。

 「白」の迷宮入口を過ぎると、今度は東側に向かって歩いていく。

 

「男が怖くて、探索をできるのかい」


 歩きながら、ギアノが問いかけてくる。

 腰のあたりにしがみついているマティルデに触れないように、腕を浮かせて、ゆっくりと歩いてくれている。


「大丈夫よ。女だけのパーティを作るの」

「へえ。女だけで」

「マージとユレーと私で一緒に暮らしているのよ。神官のララと、キャリンが来てくれたらいいんだけど。なんだか探索は嫌みたいで」

「キャリンっていう子は、なにが得意なの?」

「武器のお店で働いているの! だから、剣が使えるかなって思ったんだけど」

「それって、店員ってことなのか? 武器の店で働いているってだけじゃあ、難しいんじゃないかな」


 東に向かって進みながら、問われたり、問いかけたりしながら会話を交わしていった。

 ギアノは笑みを絶やさずなにを言っても反応をくれていたが、女だらけの五人組の話が終わると、ひどく寂しげに目を伏せていた。


「どうしたの、ギアノ」

「うん?」

「なんだか寂しそうだわ」


 これに、親切な男は答えを濁した。そうかな、とだけ呟いて、またまっすぐに前を見つめた。


 歩いていくうちに、「紫」の迷宮の入り口が見えてくる。

 こちらは籠を背負った男が何人か集まっていて、あれは薬草の業者たちだよとギアノが教えてくれた。


 更に進んで、とうとう南に逸れていく。

 女性店員や神官たちの寮があるはずだが、この通りからではキャリンの住処がどこかわからない。

 どの建物も似たような見た目をしていて、目印にしていた雑貨屋も見当たらず、そうなるとマージの家の場所もまだわからなかった。


「そろそろ市場に着くよ」


 ギアノが声をかけてきて、マティルデは道の先を見つめた。

 港町へ続く南門も遠くに見える。

 あそこから振り返れば、家に戻ることはできるだろう。


「ねえギアノ。市場でなにを買うの?」

「野菜をちょっと。あとは、港町からなにか入ってきていれば買うかもしれないな」

「私もついていっていい?」

「そりゃあいいけど」


 帰らなくていいのかと、ギアノは首を傾げている。

 もちろん、家には帰る。だが、この親切な男にどうしても頼みたいことがあった。


「今日の夜ご飯を作ってほしいの」

「夜ご飯を」

「さっきのシチュー、すごく、すごーくおいしかったわ。これまでで一番おいしかった」

「それはありがとう。あれは俺じゃなくて、バルディさんが作ったんだけどね」

「ギアノは作れないの?」

「作れる……よ」

「じゃあお願い。いつもマージかユレーが作ってくれるんだけど、二人とも料理はあんまり得意じゃなくって」


 腰のあたりにしがみついたまま少女がお願いを重ねていくと、人の好いギアノは頭をぽりぽりと掻いてから、最後には了承してくれた。


「簡単なものでいいなら」

「簡単なものじゃないとできないの?」

「いや、夜の営業があるからね。多分、俺も働くメンバーに入れられているはずだから、戻らないと」


 マティルデがなるほどと呟くと、ギアノは口を抑えて笑ったようだった。


「マティルデみたいな子、初めてだな」

「わたしみたいなって、どういう感じ?」

「そうだな。なんと言ったらいいのか」


 歩きつつ、ギアノは答えを探している。

 あまり混みあう時間ではないようだが、市場のある通りには多くの人が歩いていた。


「お願いを聞いてあげたくなる感じかな」


 嬉しい返答に、マティルデはにっこり笑う。

 ギアノも笑って、たどり着いた市場でなにかいいものがないか探し始めていた。


「一緒に暮らしているのは、マージとユレーなんだよね。三人分あればいいのかな」

「ギアノも一緒に食べていったらいいわ」

「いや、俺は戻らないといけないから」

「そう……。あ、あの甘いの、作ってほしいな」

「果実のやつ? 気に入ったのかな」

「とっても美味しかった!」

「そうか。あれは、魚料理の臭いをごまかすために作ったんだ。だけど、干さなきゃいけないから時間がかかるんだよ。今から材料を買っても、夜ご飯には間に合わないな」

「ええー。あれが一番気に入ったのに」

「みんな気に入ったって言ってくれるよ。店に戻ればあるんだけどなあ。はは、そんなに喜んでもらえるならもっとたくさん作るようにしようかな」


 あの幸せを今夜は味わえないなんて。

 あまりにも無念で、マティルデの気分は沈んでいく。

 ギアノの店に行けばいいのだろうが、あんなにも若い探索者まみれの場所を通っていくのは難しい。

 マージかユレーに頼めばいいのだろうか。一緒に行ってもらえばいいのか。

 あれだけを売ってもらうことはできるのだろうか。


「普通の魚はさすがに売ってないな」


 マティルデがぼんやりとしている間に、ギアノは買い物を済ませたようだ。

 いつの間にやら野菜や果実、肉の包みを籠に入れて抱えている。


「よし、終わり。じゃあマティルデ、家まで案内してくれる?」

「うん」


 素敵なデザートはなくとも、おいしいディナーにはありつける。

 るんるん気分でマティルデが戻ると、部屋には家主とその相棒が待っていて、行方不明だった少女の帰還に驚いたり喜んだり、大騒ぎになっていった。


「マティルデ、あんた、心配したんだよ!」

「どこに行ってたんだい」

「それはこっちの台詞よ。手を引いたのに、どうせあのヒゲを追いかけてたんでしょう!」

 マージは「あの人がいたの?」と叫び、ユレーに耳をふさがれ、そしてとうとう仲間の連れてきた男に気が付いてまた大声をあげた。

「あんた、誰よ! マティルデ、早くこっちへ!」


 少女のすぐ後ろにいた「不審者」にマージが殴りかかって、親切な男は頬に一発、お見舞いされてしまう。


「ちょっと、マージ。ギアノはすごく親切な人なのよ。私をここまで送ってくれたの」

「え? だってこいつ、男じゃないか」

「ギアノはいいの。ねえ、大丈夫? 痛い?」

「痛い」

「マージ、はやく謝って! ユレー、手当してあげて」


 スカウトは慌てて謝り、戦士は部屋の奥へ薬を探しに飛んでいく。

 幸いたいした怪我はしていなかったようで、ギアノはすんなりと謝罪を受け入れてくれた。


「台所はどこ?」

「こっちよ」

「台所ってなによ、マティルデ」

「ご飯を作ってくれるの。ギアノはとっても上手なんだよ」

 日没くらいまでに戻らなきゃいけないからと、ギアノは手早く料理を作っていった。

 安く売られていた兎肉を、細かく切っていった野菜と一緒に煮込んでいく。

 マティルデがみたことのない葉っぱも刻まれ、投げ込まれ、狭い部屋中に香りが広がっていく。

「いい匂いね」

「本当だわ」


 何事かと警戒していたマージとユレーも、部屋に漂う料理の香りにうっとりとした表情を浮かべていた。

 三人は今日起きたアクシデントについて話し合っていったが、しょっちゅう脱線して、結局なにがどうなってはぐれてしまったか、解明にはいたらなかった。


「できたよ」

 夕日が落ちる前に、夕食は完成していた。

 親切なギアノは材料代を請求することもなく、料理人としての報酬を求めることもしないらしい。

「わあ、ありがとう! おいしそうな匂い!」

 鍋から一口勝手にすくって食べて、マティルデはすっかり満足していた。

 キャリンやララ、マージにもユレーにも言われた、「男だからって悪いわけではない」の理解が、今日一日で大きく進んでいる。


「ねえギアノ、お願いがあるの」

「え、まだあるの?」

 帰り支度をしていた男は驚いた顔をしたが、去ることはなく、少女に「なんだい」と問いかけてくれた。

「明日、ここに迎えに来て。『樹木の神殿』に連れていって」


 ギアノはしばらくぽかんと口を開けていたが、やがて腕組みをして考えだし、最後には優しく微笑んでこう答えてくれた。


「いいよ。何時くらいに来たらいい?」

「じゃあなるべく早く来て。あの甘いのも、少しでいいからもってきて」

 最後の最後まで遠慮のない少女に、ギアノはとうとう大声をあげて笑っている。

「わかった。じゃあマティルデ、また明日な」


 料理人はマージとユレーにも声をかけると、西側にある勤め先へ戻っていった。

 

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