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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
17_Not Betrayal 〈あなたは、わたしの光〉

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78/244

75 燃えて、灰になる

 三度目の同じ音が響いて、なにかが落ちる音が続く。


 その後は静寂。


 ぴりぴりとした感覚が、足の裏から頭のてっぺんへと駆け抜けていった。

 何度も何度も駆け抜けていき、充足感に包まれていく。

 ああ、やった。とうとうやった。やってのけた。

 長い時間をかけて、ようやく、たどり着いた。


 女はゆっくりと手を離し、強く握りしめ、意を決して狭い通路の前へと進んだ。

 また、駆け抜けていく。電流のようなものが全身を駆け回って、ドーンの心を高揚させていた。


 凄惨な光景も、快感で鈍った視界で見ればなんでもなかった。

 ただ、二人分の体が落ちているだけ。血でできた河が溢れて海になろうとしているが、それだけだ。

 広がる赤黒い海の中の二人は、もう動かない。

 つまり、うまくいった。

 けれど、浮かれてはいられない。

 まだ途中なのだから。大きな山を越えた喜びに浸るのはここまでにしておかなければ。


 目的を果たさなければならないのだから。


 高揚のまま振り返る。と、その勢いはぴたりと止まった。

 冷や水を浴びせられたような衝撃を受け、辺りを見回していく。


 水場の前に、いたはず。そのはずなのに、スカウトと神官の二人の姿がみあたらない。


 慌てて走ったが、いない。隠れる場所などないのに。そこまで素早く進んでいけるはずがないのに。

 罠に気を付けて通路の先へ進んでいっても見つからない。

 

 さっきまで、すぐ後ろにいたのに。

 

 息が荒くなっていく。体が震えてよろけ、危うくなにかの仕掛けを踏んでしまいそうになる。

 床に手をついたせいで、全身がぶるぶると震えているのがはっきりとわかって、不快でたまらない。


 必死になって立ち上がり、混乱したまま歩いていく。

 どうやら道を戻っていたようで、水の湧く泉と、血でできた海がドーンを迎えた。


 二十一層。

 「橙」とはいえ、ひとりきりだ。

 五人で来たのに、今は一人。誰もいない。死者以外に、このフロアにはきっと誰もいない。

 親切な造りの罠が並んでいるだけで、あとは気まぐれに魔法生物がやってくるだけ。

 

 間違いない。

 もう、認めなければならなかった。

 置き去りにされた。

 予定と違う。三人で戻るはずだったのに。


 膝の力が抜けて、泉の前に倒れこんでしまう。

 胸の奥からこみあげてくるものを、必死になって抑えて、震える自分をどうしたらいいのか持て余していた。

 体が熱くなったり、冷えていったりして忙しい。体の熱に感情も振り回されて、考えがまとまらない。


 置き去りにされた。では、どうする?


 一人で歩いて、階段を昇っていけばいい。いくしかない。それ以外にない。


 自分を突き動かしていた昂ぶりが消えてしまって、動けない。

 だから、見えなかったものがはっきりと姿を現し、届いていなかったものは強く漂い、ドーンの心をますます激しく揺らした。


 通路からあふれ出た赤い泉から漂う臭いに、気が付いてしまった。

 ただの死以上のものが放つ香りは強烈で、ドーンは嘔吐していく。

 戦争に駆り出された経験でもあれば、この臭いを知っていたかもしれない。

 だが、そんな経験などない。だから、どうしようもない。


 なにもかもが初めてのことだった。

 死体の臭いを嗅いだのも。

 悪臭に耐えかねて吐いてしまうのも。

 迷宮の深いところで一人きりになってしまったのも。


 人の命を、奪ってしまったことも。


 とうとう涙がこぼれてきて、ドーンはしばらくの間、泉の前で泣き叫んでいた。

 大声をあげ、床を叩き、自分の足を殴りつけ、喚き散らした。

 やがて自分の愚かさに気が付いて、泣くのをやめた。深呼吸を繰り返し、口の周りに布を巻いて悪臭に耐え、立ち上がる。


 目的は果たされていない。まだ、途中だ。

 諦めてどうするというのか。なんのために長い間、仲間ごっこを続けてきたというのか。


 自分に与えられた使命を全うするために、ここから出なければならない。

 生きて戻って、裏切る者に一矢報いてやらなければならない。

 衝撃を受けて、悲嘆に暮れている時間などない。


 迷宮から出るための、支度をしなくてはいけない。

 

 荷物の中に、たいした物は入っていない。それはもうわかっている。

 魔術の効果があるような便利なものなど持っていない。

 自分の力だけで、なんとかするしかなかった。


 泉の前に座り込んでいるドーンの右側に、二十層の階段へと続く通路がある。

 左側は行き止まり。二人分の死体と、赤黒い海が広がっているだけ。


 ふと気が付いて、ドーンは左側へ足を向けた。

 どうしてさっきは平気だったのだろう。

 細い通路の上に、男の体が二人分、ばらばらになって転がっている。

 頭も二つ。その持ち主であった二人を、よく知っているというのに。


 震えながらも足を踏み出し、ドーンは血の海の中へと進んでいった。

 罠の通路の先で、なにかを手に入れたはず。

 ひょっとしたら、自分を救ってくれるものかもしれない。

 だから、確認しなければならない。

 ごろごろと転がる死体から荷物袋を奪って、なにを手に入れたのか知らねばならなかった。


 二人はもう動かない。恨みの言葉を吐いたりしないし、睨んできたりもしない。

 けれど自分が招いた二つの終わりを、真正面から見られない。

 目を逸らしながら、なるべく見ないようにしながら、ゆっくりと進んで、袋に手をかける。

 肩に背負ったものを取るのは手間で、すんなりとはいかない。

 

 死体に触れるか、剣で切るか。ドーンは剣を取り出したが、震えが止まらず、どちらのものかわからない背中に散々傷を増やしたところで諦めて、全身を血で汚しながら背負われた袋を奪った。

 袋を通路の先に投げて、次。腰のポーチを取らなければならない。

 鋭い刃が生み出したもののあまりの残酷さに、体をうまく動かせなくて、目的を果たすまでには随分時間がかかった。


 それでも、手を動かし続けていった。

 自分が目指して来たもののために、必死になってベルトの金具を外していく。


 なんとか外したベルトには、ポーチと剣がついてきた。

 美しい意匠の施された鞘は、バルジの使っていたものだ。

 自分の足元にある下半身の主が誰だかわかって、女は怒りのままに、何度も何度も踏みつけて、最後に思い切り奥へ蹴り飛ばしていた。

 自分を弄び汚した獣にささやかな復讐をして、死体から奪った荷を集め、泉の前に戻っていく。


 魔法生物が現れないか、不安で仕方がない。

 焦りながら、どちらのものかわからない背負い袋をひっくり返して中身を確かめていく。


 しばらく海につかり続けていたせいで、袋の中にも血が浸み込んでいた。

 保存食や、着替え、包帯、戦利品。特別なものは、どちらの袋にも入っていない。

 念のために裏返してみても、なにもなかった。いつもとは色が違うだけの、見慣れたものだけしかない。


 腰につけていた小物を入れるためのポーチもまた、血に染まっている。

 ダンティンのものを開けてみると、枯れた薬草の葉らしきものと、腕輪が転がり出てきた。


 腕輪など持っていなかったはずだ。

 水をかけ、袖口で血を拭って、嵌められている石の色がわかる。

 橙色。とてもダンティンが持ち続けているものとは思えない。

 つまり、これがきっと通路の先で手に入れた「宝」なのだろう。


 ドーンは呻くように息を吐き出し、こみあげてきた震えにしばし耐え続けた。

 帰還の術符は大変な貴重品。そう簡単に手に入るものではない。けれど、入っていてほしかった。


 動揺しているのが、はっきりとわかる。

 体が小刻みに震えていて、自由に動かせていない。


 心を鎮めなければならない。ここでなにも手に入らなくても、必ず、迷宮から出なければならないのだから。

 弱々しく、そこらにいる女のように泣いている場合ではない。

 力を認められて、ここへやってきたのだから。

 期待に応える。無事に戻って、よくやり遂げた、よく帰ってきたと迎え入れてもらうのだ。


 まだ荷物は残っている。偉そうで憎たらしい、諸悪の根源である「バルジ」のポーチが。

 人を見下したような瞳を思い出し、怒りの力で動いていく。


 男には罰が下った。


 迷宮都市で生き残れる人間はほんの一握り。弱い者は皆、死んでいく。

 そのほんの一握りの者たちは頂へ向かうために、死体で山を築いて昇っていくんだ。


「真の強者は、足についた汚れなど気にしない」


 教えられた「言葉」を思い出しながら、最後のポーチの中身を探っていった。

 ダンティンのものとは違って、いくつかの仕切りが付いている。

 ひっくり返すと血にまみれた薬や、小石、布、小さなナイフが落ちてきて床に散らばった。

 激しく振ると、たっぷりと吸い込んでいた血が飛び散り、奥から小さなかけらが落ちてくる。

 齧って小さくなった、干した果実のかけらのようだ。


 胸の奥に、痛みが走っていった。

 どんなに振っても、もうなにも落ちてこない。

 鼓動がやかましい。残りの命があとどのくらいか大声で触れ回っているようで、腹立たしくて恐ろしい。


 役立たずの荷物入れを投げ捨て、頭を抱えてしまう。

 ここにいても、水には困らないだけだ。食料はいつか尽きるし、敵だって現れるだろう。

 その前に親切な心を持った誰かが通りかかる可能性は、どのくらい?

 ゼロではないだろうが、限りなく無に近い。

 知っているではないか。「橙」の最下層など、誰も目指さないのだと。


 そう。誰も来やしない。こんな場所へは誰も来ないから、選んだのではないか。

 なぜ他人を当てにする? 他人の力を借りなければ動けない弱虫が、あの人に選ばれるはずがない。

 

 忘れるな。自分しか頼れないのだと。

 ドーンは立ち上がり、投げ飛ばした荷物袋へと近づいていった。

 使えるものはすべて手に入れなければならない。食べかけの果実だって、命を繋ぐ大切なものになるのかもしれないのだから。


 床に散らばった物を集めて、泉の水で洗っていく。

 食料も、包帯も。水にぬれていても、ないよりはいいはずだから。

 薬は駄目になってしまい、通路の隅に投げておく。

 バルジの持っていた美しい剣は、きっと自分のものよりもよく斬れる。だから、持っていく。


 再び荷物袋を手に取って中を漁ると、おそらくはダンティンのものなのだろう、濡れた地図が内側に張り付いていた。

 赤黒く染まっているが、少しだけまだ読み取れる個所もある。どうやら浅い階層のもののようで、役に立ちそうにはないが、念のために自分の荷物袋へとしまった。


 同じように、血に濡れ紛れているものがあるかもしれない。

 そう考えて、ドーンは二人の荷物入れを再び探っていった。

 ダンティンのポーチにはもうなにも入っていない。簡単な造りなので、見ればなにもないことがすぐにわかった。

 バルジのものは、細かな仕切りの奥まで探る必要があるだろう。

 小さなポケットに指を差し入れて、残っているものがないか探していく。


 するとなにかが触れた気がした。

 一番端の仕切りの中に、他とは違う感覚がある。はっきりと物が入っているようではないが、違うような気がして、ドーンは小さなナイフを手に取った。


 とっておきの薬でも入っているのだろうか。

 抜け目のない男のようだったから。あの、生意気な若い魔術師と組んでいたこともあると聞いている。

 ひょっとしたらとてつもなく貴重なものを、誰にも知られないよう隠し持っていたのかもしれない。


 ポーチの外側から刃を入れて、慎重に、ゆっくりと切っていく。

 気が付くと汗が大量に流れていた。

 血の付いた指先で拭うと、額に浮かんだ汗と二人の血が混じって、赤い珠ができあがる。


 珠は額から落ちていき、ドーンの頬に赤い線を描いた。

 ポーチに穴が開いて、指を入れて探り、中から小さな紙が取り出されていった。


 血にまみれた指で触れているのに、色が変わらない。

 赤い指に挟まれた紙は、昏い青色をしている。


「帰還の……」


 全身から力が抜けて、女は思わず天を仰いでいた。

 いや、脱力している暇などない。行かねばならないところがあるのだから。

 

 小さく折りたたまれた紙を開いていくと、金色の文字がふわりと浮き出した。

 慌てて荷物をまとめ、浮かび上がる文言を目で追っていく。


 美しかった。自分が今、最も目にしたいと願っていた色の文字が、胸を強く叩いているようだった。


「得た物とともに、地の底から浮かび」

 掠れた声でも、帰還の術符の効果は同じ。

「地上で再び、生を得よ」


 眩い光が溢れ、次の瞬間にはもう、迷宮の入り口にたどり着いていた。

 「橙」の入り口には、初心者の集団が大勢集まっている。

 外は明るく、騒がしかった。帰還者の門にたった一人で現れた探索者がいるぞとという声が聞こえてきて、女は急いではしごへと向かった。


 


 「あの瞬間」から、一体どれくらいの時間が経ってしまったのか、ドーンにはわからなかった。

 記憶の中にたくさんの穴ができている。「あの瞬間」がそもそも何時だったのかもわかってはいない。

 だがとにかく、今は昼になる前のようだ。

 東側に向かって小走りで進んでいく。

 辺りには初心者や貧しい商人向けの安宿が並んでいて、大勢の探索者の姿があった。

 彼らは女に視線を向けたり、気にせずに話していたりしていて、昼食についての話題が多く聞こえてくる。


 

 迷宮都市の三つの門のうち、北東にある最も大きな門のそばには、初心者たちのほとんどを受け入れるほどの大きな宿屋街があった。

 王都からやってくる馬車の発着場が作られ、その周辺に多くの宿屋が建てられて現在に繋がっているが、その中でもやはり門により近い店の方が繁盛していた。

 客はいくらでもやってくるが、門から遠ざかるにつれ、どうしても利用者は減っていく。

 ここで儲けようと宿を建てたはいいが、客がやってこなくて潰れてしまった店はかなりの数があって、北側の奥にはいくつも廃業され放置された建物が並んでいた。

 

 北側の最奥に打ち捨てられた宿は、皮肉なことに新しいものが多い。

 儲けようと思って張り切って建てたのに、初心者たちは他の店の客引きに全員連れていかれて、たどり着いてもくれなかったのだ。


 そのうちの一つに、女は入っていった。

 宿屋街の最も奥、他の店に隠れて、ほとんど使われないままうち捨てられた「ワーズの止まり木」という名の廃宿だ。


「おお? おい、あんた。帰ってこないって聞いたんだがなあ」


 入り口の戸を開けると、受付のカウンターの中から下品な声があがった。

 カウンターの中だけではなく、入ってすぐの食堂として使う予定であった広い部屋の中にも男が二人いて、ドーンの帰還に目を丸くしながら声をあげている。

「深いところまで行ってたんじゃないのか。どうやって戻った?」

 女は答えず、奥へと進んでいく。だが、汚らしい長い髭の男が立ちはだかって、ドーンの歩みを止めた。

「今は駄目だ。ヌウの奴がご褒美をもらってる真っ最中だからなあ」


 三人の男たちはいつの間にか、ドーンを取り囲むように立っている。

 汚らしい男たちは女をじろじろと見つめ、いやらしい顔をして笑う。


「あんたの方がまだマシだったよなあ。男のあんな声を聞かされて、まったくたまったもんじゃないぜ。なんでもっと早く来なかったんだ?」


 不快で、腹立たしく、耐えがたい。

 だが、待たなければならない。

 用があるのは、こんな下衆どもではないのだから。

 黙って食堂の奥へ向かい、ドーンは隅に置かれた椅子を取り、積もった埃を払うことなく座る。


 男たちはああだこうだと言ってくるが、目を閉じ、すべて無視をして時が過ぎるのを待つ。


 

 しばらくすると男たちが急に動き始めて、ドーンも立ち上がった。

 受付からまっすぐに伸びた廊下の先、奥にある一番広い部屋へと向かう。

 

 するとたどり着く前に、扉が開いた。

 廊下は暗く、現れた人物は部屋から差し込む逆光のせいで顔が見えない。

 けれどいつものように美しい髪は光を受けて輝いていて、女の心を崇拝で満たしていった。


「おや?」

 どんな顔をしたのだろう。一瞬の表情は見えなかったが、今は笑みをたたえている。

 微笑んだ男は手招きをしてきたので、女は背中を追って廊下を進み、部屋へと入った。




 広い部屋には、初心者用の宿屋には似つかわしくない大きなベッドが置かれている。

 ここは客室ではなく、ひょっとしたらオーナーの為の部屋だったのかもしれない。

 調度品も高価そうなものが並んでいる。どれも使われないまま打ち捨てられて、古びてはいるのだが。


「戻って来られたんだね」

 金色の髪の男は、ゆっくりと大きな椅子に腰を下ろした。

 その奥にある大きなベッドに、裸の「ヌウ」が横たわっている。

 背を向けていて、顔は見えない。起きているのか眠っているのか、見ただけではわからなかった。

「どうやって戻ってきたんだい?」

 だが今は、抜け駆けをした男に「ご褒美」を独り占めされたことについて考えている場合ではない。

 自分の果たした仕事と成果を、しっかりと伝え、評価してもらわなければならないのだから。

「帰還の術符でも見つけたのかな?」

 この問いかけに、女はこくんと頷いて、「はい」と答えた。

 すると男は、困ったような顔をして、ふふ、と笑った。


「あの貴重なものを、君一人のために?」


 これには、どう答えたらいいのかわからなかった。

 贅沢な真似をしたのはわかっている。だが、生きて戻るためには仕方がない。

「あの男が勝手に、なにも言わずに先に戻ってしまって。でも、協力してやり遂げました」

「協力して、やり遂げた?」

 なにをやり遂げたのか。

 金色の髪を輝かせながら、男はまた問いかけてくる。

「鍛冶の神官を連れ戻すための計画を」

「それはヌウがやり遂げたことだよ」

「え? いえ、協力して、やったんです。あのバルジという男を排除するためにちゃんと計画を立てて」

「そんなことを、俺がいつ頼んだ?」


 ジマシュ・カレートは女を見つめたまま、また笑った。


「大切な仲間を連れ戻してほしい、とは言ったと思うけれど」

「はい。そのために、バルジという男とは引き離さなければならなくて」

「ふうん。それで、どうやって排除したっていうのかな」

「迷宮の中に、使える仕掛けがあって」

「使える仕掛けというのは?」

「『橙』の迷宮に罠があって」

「まさか、罠にかけたのか」

 嘘はつけない。咎めるような口調に不安が募るが、認めるしかない。

「はい」

「バルジとかいう男は、それでどうなった?」

「神官と引き離せました」

「どういう意味かな」


 問われ続けて、「ドーン」はとうとう答えた。


「刃が出てくる罠にかかって、死んだのです」

「死んだ?」


 君はバルジという男をわざと罠にかけて、殺したというのか。

 ジマシュの声はひどく冷たくて、女の心に、まるで刃のように深く突き刺さっていく。


「とにかく、バルジと離したんです。それでヌウが、鍛冶の神官を眠らせて」


 バルジとデントーを引き離す。デントーは眠らせ、バルジは始末する。

 そうしたら三人で戻るという手筈だった。

 何度も話し合って決めた。役割も、うまくいかなかった時の代案も。

 長い時間をかけて、疑われないよう、信頼されるように動いていった。

 

 ずっと協力してきたのに。

 卑怯なスカウトの男は勝手に戻って手柄を独り占めにし、今は満足してベッドの上で寝こけている。

 

 非難の目で自分の背後を見つめる女に、ジマシュはわかりやすく、はっきりと表情を曇らせてみせた。

「取り戻すために動いてくれているのは聞いていたよ。ヌウはよくやってくれた。たった一人であののっぽを担いで戻ってきてくれたんだからね」

 けれど、そんな恐ろしい計画のことは知らない。

 聞いていないし、信じがたいとジマシュは首を振っている。

「君はバルジという男を殺すしかないと思ってしまったようだけど。……ヌウから聞いているよ。君はその男と寝ていたんだろう?」

 思わぬ指摘に、女は焦り、混乱に陥っていた。

「それは、そうでもしないと、うまくいかなくなりそうだったから」

「相手を取り込むためにそこまでするとはね」

「違う。彼らには他に組みたいと思う探索者ができたから。そうしたら、私が」


 ジマシュの瞳に浮かぶ感情のなさに気付いて、女はまた震えている。


「しかも、関係のない初心者まで巻き込んで」


 ダンティンがいて、この計画が生まれた。

 神官を取り戻すためにどうすればいいのか、話し合っていくうちに、計画が出来上がっていった。

 最後に必要なピースだった。ダンティンは素晴らしく「ちょうどよかった」。

 有無を言わせぬ強引な性格で、思わず笑って許せてしまう愛嬌があって。

 めちゃくちゃな言動は、「二人」を強引に巻き込んだように思わせてくれた。


「彼はなにか、罪を犯したのか?」


 素直で、疑うことを知らなかった。ダンティンに落ち度があるとしたら、これくらいだろう。

 計画を進めていけたのは、偶然見つけたあの愚かな青年のお陰だ。


「しかもなんだ、そのひどい格好は。君は罪のない人間を二人も殺した。そんな姿になるなんて、さぞ残酷なやり方をしたんだろうな」


 思わず、手を見る。

 知っていたはずなのに、あちこちが黒く染まっていることに、驚いてしまう。


「『橙』からそのまま歩いてきたんだろう? それで、廃業した宿屋に入っていった。すぐに噂になる。この辺りは、商人だって多く歩いているんだ」

「ごめんなさい」

「おや、忘れたのかな。言い訳と謝罪は?」

「……世界に不要なものです……」


 何度も言い聞かされた言葉を、震えながら口に出していく。

 するとようやくジマシュは笑って、金色の髪を揺らしながら女に最後の指示を出した。


「世界に不要なものしか持っていない君など、俺には必要ない。君は不愉快なほどに卑怯で無慈悲な女だが、友人が無事に帰ってきた日だから。せめてもの情けをあげよう。君の犯した罪については、誰にも言わないよ。黙っていてやろうじゃないか。きっとこれまでに人助けをしたことだってあっただろうからね。神だって少しくらいは大目に見てくれるだろう」


 だが、もう二度と俺の前に現れないように。絶対に俺について語らないように。

 そう言い放つと、ジマシュは優しげに目を細めて、こう続けた。


「仲間から抜けるんだから、探索者などやめて元の仕事に戻ったらいい。それが一番いいよ。きっと、君の犯した重い罪を隠すのに一番良い方法だ。そうだろう、チェニー・ダング調査官殿。誰も考えないさ。王都から派遣されてきた平和を守る勇敢な女兵士の正体が、卑怯な人殺しだったなんてね!」


 なにも答えられない哀れなチェニーの肩を掴むとくるりと振り返らせ、ジマシュは小さく縮こまった背中を強く、強く押した。


「おい、調査官殿がお帰りだ」


 三人の男たちがどこからか現れて、女を外へ連れ出すと、扉は乱暴に閉められてしまった。



 

 ふらふらと、あてもなく歩いていく。

 なにが間違っていたのか考えながら、チェニーは暗がりを選んで進んでいく。

 しかし、すぐに立ち止まった。さびれてはいても、辺りの宿屋は営業をしている。

 全身に血をつけた姿なのだから、人通りの多いところに入ってはいけない。


 近くにあった廃墟の影に身を潜めて、膝を抱えたまま時が過ぎるのを待った。

 時が流れていくのがいつもより遅くて、自分がなにを間違えてしまったのか、悩みの淵に沈みこんでいく。


 ジマシュと共に行動するようになって、探索に慣れていった。

 一緒に過ごしていくうちに、大切な幼馴染を探していることを打ち明けられた。

 鍛冶の神官である「デントー」が、弱みを握られて、悪い男と行動をともにさせられているのだと。


 大切な仲間なんだ。

 そう囁くジマシュの顔に浮かんだ苦悩の色を、はっきりと覚えている。

 彼の願いを叶えたかった。求めている物すべてを与えたいと思った。

 

 そう思っていたのは、自分だけではなかった。

 ジマシュに付き従っていた「ヌウ」も、「デントー」奪還のために動き出していた。

 他にも、あの金色の髪と深い緑色の瞳に焦がれる人間は何人もいた。

 崇拝し、言う通りにし、彼のために働く者が何人いるのかはチェニーにはわからない。

 

 神官を取り戻すためにどうしたらいいのか。

 誰が切り出し、話題にあげたのだろう。

 いったいあの中の誰が、「バルジ」を排除するべきだと語り始めたのだろう。

 「橙」にちょうどいい罠があるんだと、誰が最初に言ったのだろう。


 なにもわからない。

 チェニーが見ていたのは、夢だけだった。

 願いの叶ったジマシュが微笑み、望みを叶えたチェニーを抱き寄せ、愛を注いでくれる日を夢見ていた。


 神官を取り戻すために何人かが動き出して、出し抜かれないよう、互いの様子を探っていった。


 なにがいけなかったのだろう。

 美しい人に愛されたいと願っていただけなのに。

 自分だけにあの瞳を向けてほしいだけだったのに。


 日が暮れていく。薄汚い脱落者たちが暮らしている街の西側に、太陽がゆっくりと降りていく。

 チェニーが蹲っている廃墟はすっかり影に飲み込まれて、あまりの暗さに体が震える。


 

 罠を利用した計画のために、五人組にならなければいけなかった。

 信じてもらうために、「ドーン」になった。

 どこから来て、どんな風に考え、どう振る舞うのか決めた。

 その甲斐はあって、なにもかもがうまく進んでいったのに。


 

 汚れた手の中にあるのは、ダンティンの袋から持ってきた橙の腕輪と、バルジから奪った一振りの剣だけ。


 自分の手も、髪も、腕輪も剣もすべてが血で汚れている。

   

 二人からなにもかも奪ったのに、なにも持っていない。

 自分を満たしていたものはなくなり、汚れたからだがひとつ、残っているだけだ。


 夜がやってきて、街がすっかり闇に包まれた頃。

 チェニーはよろめきながら立ち上がって、歩き始めた。


 虚ろな顔で、人の気配がない方へ。

 


 「橙」で消えた二人と同じように。

 光を失ったチェニーの心も死んで、迷宮都市の暗がりに沈んでいった。

 

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― 新着の感想 ―
朱に交われば赤くなるですね。ジマシュの精神汚染力は異常ですね。
[一言] 78【17_Not Betrayal 〈あなたは、わたしの光〉   75 燃えて、灰になる】感想 まじか……ベリオが死んでしまうとは……。 そしてジマシュが恐ろしすぎる。なんせ、指示して…
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