74 天へ昇り、地で眠る
最高到達点である十八層目にたどり着いて、二度目の夜明かしをすることになった。
十八層の泉までの道のりは長かったが、癒しの力があるとわかったお陰で、探索者たちの歩みは早くなっていた。
薬を塗りつけて包帯を巻いたり、痛み止めを飲んでこらえて歩くのではなく、神官の奇跡の力を使ってきれいさっぱり傷を治してしまえるのだから。
唸りながら歩いたり、もう駄目かもしれないなんて弱音を吐いたりしなくて良くなった。
もちろん、無限に使えるわけではない。「脱出」に使う分の気力を残しておくのは絶対条件なので、些細な傷ならばこれまで通りの原始的な応急手当で済ませている。
また、ここまでやってこられた。皆そんな風に思っているのだろう。
二日目の探索の終わり支度は軽やかに進んでいき、会話を交わす余裕もあった。
「あの猪の肉、採りそびれたな」
戻って採取すればよかった、とドーンが呟く。
ダンティンは珍しく申し訳なさそうに下を向いて、デルフィが慰めの言葉をかけていく。
迷宮の中、ど真ん中、十八層もの深さで夜明かしをしようというのに、五人の間に流れている空気はひどく穏やかだった。
出会ってから試しに迷宮へ入り、基礎がまったくなっていないことがわかって、地道に訓練を続けてきた。
長い長い時間を、「橙」の攻略のために費やしている。
剣の持ち方、振り方から教えて、日々の暮らしの為の労働に励んで、それぞれに成長を積み上げてきた。
本当にこれでいいのかと迷いながらも、五人で歩んできたからなのだろう。ベリオはそう思ったし、他の四人も似たように考えているのだと感じている。
無口だったカヌートが軽口を言うようになり、ドーンは落ち着いてダンティンの軽率な行動をいちいち止めている。
一行の中心にいるダンティンは、本当に大きく成長したと言えた。見違えるほどに強くなった。
もちろん、まだまだ初心者の域ではある。
油断はしているし、無駄に叫ぶし、大口を叩いては誰かに釘を刺されている。
けれどもう「お荷物」ではなくなっていた。
この五人だから、なのかもしれないが。
解散した後、共に進めそうな誰かを四人集めた時に、同じような扱いをされるかどうかはわからないが。
逃げられるか、追い出されるか。我慢強く一緒に歩いてもらえるかどうか?
今の五人組は、ダンティンにとって「最良」なのだろうとベリオは思った。
勢いだけの馬鹿野郎のくせに、お人好しなところのある人間を見抜く力を持っているのかもしれない。
ベリオがふと笑うと目が合って、ダンティンは眉間に皺を寄せ、首を傾げた。
「なんだ、バルジ。なにを笑っているんだ」
「別に」
「ああそうか。とうとう十九層に行けるんだもんな。半分を過ぎるんだ。半分を過ぎたら、もう最下層なんてすぐそこだからな!」
「入り口から十八層と、ここから最下層までじゃ、難易度は段違いだ」
階層の数は同じでも、道のりは重くなっていくばかり。
ダンティンだってそれを知っているはずなのに。
馬鹿だな、と小さく呟き、また笑う。
カヌートもふっと息を漏らしたし、ドーンもやれやれと肩をすくめている。
「明日はもっと進む! 俺たちは確実に! 最下層に近づいてる!」
「大きな声を出すな。また猪に跳ね飛ばされるぞ」
小型の鼠や兎は出なくなって、猪だの、熊だの、天井から落ちてくる粘液のようなものだの、敵は強くなっている。
眠っている間に殺されないよう、見張りの仕事はきっちりとやらなければならなかった。
「今日は二回引き受けるよ」
ドーンが申し出て、ベリオは少し悩んだものの、わかったと頷いた。
眠りの不足は体の奥に蓄積していくもので、泉の水だけで回復できるものではない。
全員が順番で引き受けて、一人に負担が集中しないようにしていくべきだった。
夜明かしの準備を終えて、横になる。浅い層にいる時よりも襲撃の不安は強くなっているのに、ベリオはあっさりと眠りの中に落ちていった。
やがて揺り起こされて、体を思い切り伸ばしていく。二番目の見張りは、カヌートと組むことになっていた。
休憩の為の行き止まりから、通路の先へ目を向けて。
足音が聞こえないか、影が差さないか、見逃さないようにしなければならない。
「なあ、バルジ」
隣に座るカヌートからこんな風に声をかけられたのは、初めてのことだった。
「なんだ」
「二十一層にたどり着けると思うか?」
「さあな。なにかあるのか」
カヌートの手元には地図があり、そのうちの一枚が差し出される。
「橙」は完全な地図が出回っている。罠の位置やどんな風に動くのかもすべて書かれているものが売られている、唯一の迷宮だった。
スカウトの持っているものも完全版のようで、最短のルートがわかりやすく描かれているし、あちこちに親切な案内が書き込まれていた。
「二十一層の真ん中に、罠の見本区画があるんだ」
「見本区画?」
「『橙』にしては危険なものが設置されているんだが、どれも仕掛けはとても簡単になっている。そういうのが、この辺りにたくさん並べられているんだ」
「なるほど」
迷宮にはこんなに恐ろしいものがあるんだと、探索者に知らせるための場所なのだろうか。
下層へ進めば違うのかもしれないが、「橙」と「黄」の作りは、少なくとも六層辺りまではほとんど同じになっている。
違うのは、道の途中に罠が設置されているかどうか。
「橙」気分でのんびり歩けば天井が落ちてきて潰されるし、それを避けても無数の矢が飛んでくるし、その先には長時間もだえ苦しんだ挙句命を落とす、最悪の毒の泉が湧いている。
罠の恐ろしさは、おそらく「黄」が一番なのだろう。
入り口は同じなのに、「橙」は徹底して練習のため、学習のための場所になっている。
罠の見本まで置いてあるとは、古代の魔術師は随分と「親切」なようだ。
カヌートは地図の中央あたりを指さし、ベリオに向けて説明を続けていく。
「大きな刃が飛び出すものが、ここにある」
「ほお」
「この罠の先に、必ず宝が置いてあるらしい」
迷宮の中でしか手に入らない珍しい物はいろいろとあって、それらは通路の上にぽつんと気まぐれに落ちている。
なにも手に入らない時もあるし、やたらと拾える探索もある。
それとは別に、ここには必ず、という場所が時々あった。
「赤」の十三層目が特に有名で、罠と強敵との戦いの果てに「ご褒美」が手に入るようになっている。
「そこまで珍しいものは出ないだろうが、術符が入っていたこともあったと聞いた」
術符の発見は、初心者にとって最高の恵みだと考えていいだろう。
売り飛ばせば一人二万は手に入る。最低でも二万。暮らしはぐっと楽になる。
五人組としての結束が固いのなら、もしもに備えて持っていても良い。
「遠回りになるか?」
「少しだけだ。下層への道がここで、途中に水場もある。寄る意味はあると思う」
口調はいつも通り、落ち着いたものだ。
誰ともあまり会話をしないカヌートだが、やはり最下層への思いを強く持っているのかもしれない。
地図を眺めて、ここに寄れたらと考えていたのだろう。
二十一層目までの道のりは、そう簡単ではない。けれど今、あと少しで十九層にたどり着く。
デルフィが癒しと攻撃の魔術を使うようになったし、ダンティンも失敗から大いに学んだだろう。
ドーンは落ち着き、仲間の為の苦労を買って出るようになった。
「わかった。たどり着けたら案内してくれ」
「いいのか」
「とんでもなくいいものが出るかもしれないからな」
術符ではなくてもいい。剣でも鎧でも、迷宮の中で見つかる物は特別なのだから。
特殊な力を秘めた武器は役に立つし、普通のものよりも高く売れる。
確実に手に入れられる場所があるのなら、寄るべきだろう。
「そこ、他にも罠が置いてあるのか」
「あるが、全部地図に書いてあるから大丈夫だ」
「ありがたいことだな」
ベリオが笑うと、カヌートも表情をふっと緩めた。
生真面目そうな顔は特別に整ってはいないが、不細工ではない。瞳の色は深い緑色をしているようだ。
初めてじっくり見たと思いながら、視線を通路の先へと戻す。
希望に満ちた会話は短かったが、最下層を目指す探索者の心に小さな火を灯していた。
「ようし、今日も行くぞ、行くぞ、行くぞ!」
昨日危うく死にかけた癖に、ダンティンは三日目も元気だった。
ドーンとカヌートに冷たい視線を向けられても気にせず、朝食の干し肉を食いちぎっている。
ベリオも似たような食事を済ませて、ギアノが作ったのかもしれない果実を口に含んでいた。
デルフィのポーチに入れられていたデザートはこれで終わりで、次の探索に行く前に必ず頼もうとベリオは決めた。
今頃、干し肉も作ってくれているかもしれない。
臭い迷宮魚に薬草の効果を乗せて、特別に旨い保存食を作り、ささやかな癒しになる果実には砂糖を振って。
探索に行くのを待ってくれて、食堂で働いてくれて良かった。
自分たちだけではなく、大勢の役に立っているだろうから。
同じような顔の人間はたくさんいるが、その中でギアノは最も良い働きをしているに違いない。
スカウトたちの仕掛けを回収し、地図を確認し、片づけを済ませていく。
いらなくなった物は捨てて、荷物を軽くする。
ここまでに採取したものも互いに確認し、全員の負担を平等にして、出発の準備を終える。
「さ、行くか」
運の良いことに夜中の襲撃はなし。探索は三日目で、ありがたいとベリオは思う。
準備を終えた仲間たちそれぞれの顔を確認して、無理をしていないか探っていった。
「ドーン、調子はどうだ」
探索中も顔は汚れていて、色合いがよくわからない。
たまには洗えばどうだと思うが、そう言っていいのかもわからず、汚れた顔の女に声をかけていく。
「問題ない」
「そうか。みんなどうだ」
「俺は最高に漲っている!」
わかったよ、と小声で答えて、隊列の通りに並んだ。
隣にはデルフィがいて、ダンティンのあげる大声に苦笑をしていた。
「敵を呼ぶなよ、ダンティン」
「おう」
十八層の残りを進み、戦いを二つ終えて、階段へ。
半分は終わった。六層辺りまでは楽をしているので、半分とは言えないのかもしれないが。
アクシデントを乗り越えて、未知の階層へ足を踏み入れていく。
敵の顔ぶれにあまり変化はなくて、戦いも少しずつ、時間がかからなくなっていった。
「よっ!」
叫んで、剣を振り下ろす。
ダンティンが良い動きを見せて、あれほど苦戦を強いられた猪を見事に仕留めていた。
「やったのか」
剣は深く刺さって、魔法生物の動きを止めている。
いいところにうまく刺さったのは偶然なのだろうから、本人が信じられないのも仕方ない。
「やったようだぞ」
「本当か、ドーン」
十九層目は、こんな奇跡で意気が上がった。
二十層目の階段へたどり着き、五人の目は輝いている。
「着いたな」
十八層から先、一層ずつしか進めなくても仕方ないと思っていた。
できれば二十層へ、あわよくば二十一層へ。その程度に考えていたのに、すんなりとたどり着いてしまって、ベリオは思わず正直な思いを呟いてしまった。
「当り前だろう、バルジ」
ダンティンは偉そうにふんぞり返って、ベリオの背中をばしんと叩く。
「ああ、そうだな」
呆れながらもそう答えて、ついでに油断をしないよう注意もしていく。
わかったわかったと言いながら、ダンティンは階段をもう降り始めている。
「待ってください、ちゃんと確認しましょう」
デルフィに呼び止められて、全員の状態が確認されていく。
体に異常はないか、気分はどうか。同じ質問はこれまでに何十回もされてきたというのに、神官だとわかって以来、三人の態度は少し神妙なものになっている。
カヌートは二十層目の地図を取り出し、最初に歩くあたりを確認していく。
ドーンは隣からそれをのぞき込んで、ぶつぶつとなにか言っている。
ダンティンは元気であることをアピールし、注意されて剣の具合を確かめていた。
「バルジ、調子はどうですか?」
デルフィに問われ、ベリオはゆっくりと頷いた。
三日目は疲れが一気に出始める頃だ。戦いも罠も、無事に切り抜けるのが難しくなっている。
けれど、気力は充分。自分たちはやれるという思いが、背中を強く押していた。
迷宮の通路の先にいつもは待ち構えている恐れはなくて、最下層への夢が輝きを増している。
そんな風に思う時こそ、引き締めなければならない。
「大丈夫だ」
そう、大丈夫。油断も無理もしない。行きたいという願いに引きずられず、確実な道を取る。
癒しの力のお陰で楽になったが、優先すべきは「いつでも脱出できる」ことだ。
「デントー、お前はどうだ」
デルフィは胸に手をあてて、ゆっくりと呼吸を繰り返し、力強く頷いて答えた。
「まだ行けます」
「よし、じゃあ行こう」
階段を降りると、さっそく天井からねばねばとした敵が降ってきて五人を歓迎した。
剣で斬るだけではなかなか倒せる相手ではなく、デルフィの魔術が唸りをあげる。
あまりこのねばねばが出てきては困る、と思いながら歩いていく。
大きくなった鼠が現れ、前歯の攻撃をダンティンがまともに受けてしまう。
消耗しながらも進んでいく。
破れてしまった服の上に布を巻きつけ、傷に薬を塗り付け、酷いところは癒しを受けて。
ドーンもカヌートも戦いの中で傷付いていたが、それでも五人は進んでいった。
今の五人が絶対に安全に戻れる、限界のぎりぎりを目指して歩き続けていく。
曲がり角があれば、通路の影に隠れて敵をやり過ごす。
猪はまっすぐに走っていくので、早めに気が付けば戦いを避けることができた。
ダンティンは最下層を目指したい。
カヌートには、行きつきたい場所がある。
ベリオもまた、なるべく深い層へ進みたいと思っていた。
それがなによりも、次に歩くための活力になると信じているからだ。
足の裏に痛みが走っても、まだ歩き続けていく。
地図の通りに進んでいても、階段を見つけた時は安心できるし、心は昂っていった。
「二十層、終わりだな」
デルフィは二十四層を目指そうと言った。
行けるとは、思っていなかった。行けたら最高だろうがと、心のどこかで諦めていた。
途中で休憩をして、早めの夜明かしをして。食事も普段より多めにとって、しっかり休んで。
それで少しばかり運が良ければどうだろう。
「どうだ、調子は」
ダンティンの服はもうぼろぼろだった。いろんな敵に襲われて、ズボンが妙な色になっている。
カヌートも、いつもより視線が下がっているように見えた。
ドーンの表情には緊張が見てとれた。戦闘では随分活躍しているが、スカウトとしての仕事はほとんどできなくなっている。
「痛むところはありませんか?」
デルフィが問いかけて、三人の表情を確認していく。
ダンティンはやせ我慢をするのをやめたらしい。正直に腕と足に受けた傷を見せて、追加の治療をしてもらっている。
ドーンはたいして戦っていないから、と言う。カヌートは足をとんとんと鳴らして、じっくりと自身の状態を確認しているようだ。
「バルジ、どうですか」
後列に下がっているベリオにも、戦いの機会は多くあった。
剣を抜いて、前列の三人と共に敵を打ち倒している。
戦いだけではなく、高く売れるものを採取する時にも刃を使い、それで小さな怪我をすることがある。
だが。
「大丈夫だよ」
ダンティンが頷いて、早速階段を降りていく。
迷宮の中は明るいままで、何層にいても景色は変わらない。
早く外に出たい。いつでもそう思っている。
けれど今は、次に進むのが楽しくて仕方なかった。
そう考えて、ベリオは胸の奥から喜びが沸き上がっているのに気が付いた。
一段一段、迷宮の底へ続く階段を降りていく。靴の裏が少しずつすり減って、そろそろ駄目になってしまいそうだった。
そのおかげで床を踏みしめる感覚が足に響いて、深いところへやってきたのだという思いが強くなっていく。
ダンティンの背中を見つめながら、ベリオは笑っていた。
今回の探索の中に、灰色の影を見ていない。
「カヌート、案内を頼むぞ」
ゆっくりと進みながら、二十一層目の宝について手短に説明をしていった。
カヌートはそれに補足を入れてから、ダンティンの肩を強く叩いた。
「武器が入っていたら、お前のものにしたらいい」
「え、いいのか。ドーン?」
「別に、いいんじゃないのか」
望むものが入っているとは限らない。ベリオは注意をしたが、ダンティンはすっかり浮かれてしまったようだ。
こんなところでミスをされてはたまらず、カヌートもデルフィも、落ち着くようにリーダーへ話している。
歩く速度をもとに戻して、戦いに明け暮れて。
今の調子で進んでいけば、宝とやらを回収したあとに夜明かしをすることになるだろう。
上層部はあんなにも混みあっているのに、「橙」の下層には誰もいない。
ここに来ても儲からないし、自慢にはならないから。
きっと「宝」もたいしたことはないのだろう。
剣が入っているとしても、普通よりもほんの少しだけ切れ味が良い、程度だ。
特別に運の良い日がある。
探索者にもそうでない者にも、人生には幸運が続く日が時々訪れる。
素人に毛の生えた程度のダンティンが活躍している様子を見ながら、ベリオは笑っていた。
こんな良い日は、最下層へ挑む時に取っておいてほしかったと思いながら。
覚悟を決めて二十一層目を歩いていたのに、なぜかすいすいと先へ進んで、分かれ道が現れてカヌートが立ち止まる。
「ここから罠がたくさんある」
「たくさん?」
「そうだ。かかれば大きなダメージを受けるものがいくつもある。ただ、仕掛けはわかりやすいものばかりらしいから、注意をよく聞いてくれ」
件の、罠の見本が設置されている区画についたようだ。
壁から無数の矢が出たり、大きめの落とし穴があったり、壁の向こう側へ飛ばされたり、鋭い刃が出てきたり。
「赤」あたりに仕掛けられていそうなものが、この通路の先にいくつも待ち受けているという。
「宝が待ってるんだな、なにがあるのかな」
「浮かれるのは早いぞ、ダンティン」
浮足立つ素人をドーンが諫め、カヌートの言葉を聞き逃さないよう注意していく。
ダンティンは神妙な顔をして頷き、スカウトの少し後ろへと下がった。
案内を受けながら進んでいくと、通路の上に、わかりやすい大きな突起があった。
「これ、罠か」
「そのようだな」
「試しに動かせるか? どんな威力か見たら、みんなもっと慎重に動くようになれるかもしれない」
全員で後ろに下がって、カヌートの動きを見守っていく。
スカウトは予備の短剣を離れたところから投げて、器用にスイッチに当ててみせた。
すると通路の先、両側の壁から矢が飛びだしていった。
矢はひゅんひゅんと激しく音を立てて飛んで、反対側の壁にぶつかっては落ちて、小さな山を作っている。
「当たったら痛いよな」
「痛いで済めばいい方だ」
ダンティンは珍しく顔を青くして、ごくりと音を立てて唾を飲み込んでいた。
「あんなに大きなスイッチは、ここ以外にないぞ」
「じゃあ、気づかずに踏んじまうじゃないか」
「それが罠ってもんだろう」
ようやく罠の恐ろしさに気づいた素人は、矢の雨が降り終わると静かにこう呟いた。
「カヌートはすごいんだな」
初心者の集団の中に、スカウトがいることは少ない。
探索に挑戦しようとしてやって来た若者たちの中で、手先が器用で、通路に潜んだ違和感を察知できる人間が、スカウトを目指すようになる。
魔術師になるのと同じで、生まれ持ったセンスが必要な職業だ。慎重な性格をしていればより向いているし、視力も高い方が良い。
方向感覚が優れていれば地図を扱う時に役に立つし、研究、探求心がある人間の方が成長が早い。
だが、無事に一人前になるのは大変だ。ある程度の罠ならば、練習用の仕掛けは存在している。だが、ほとんどは探索中に試してみるしかない。
どんなに指導を受けていても、実際にやってうまくいくかはわからない。
スカウトになると決めて、実際になれた者は、ダンティンの言う通り「すごい」のだ。
すごい仲間の案内で、数々の罠を見学しながら五人は進んだ。進んでいって、とうとう、寄り道したかった場所にたどり着いていた。
罠があるという細い通路の手前には泉があって、これは罠ではなく、飲める水が湧き出しているという。
水の補給をして、喉を潤したところでカヌートの説明が始まった。
宝があるのは、今いる場所から続いている細い通路の先。
通路は並んで歩けない程の狭さで、一人ずつ入っていかなければならない。
この細い通路に罠が仕掛けてあって、入り口付近の壁にあるスイッチを押すと、左右から大きな刃が飛び出してくるという。
試しに動かしてみると、平均的な背丈の男ならちょうど腰と首があるあたりから厚い刃が勢いよく出してきた。
手を離すと、刃も戻っていく。なにごともなかったかのように、通路は再び静寂に包まれていた。
「これを押さなければいいんだな」
ダンティンの呟きに、カヌートは首を振っている。
「そうなんだが、奥に扉があって、それを開ける仕掛けになっているんだ。扉の向こうに宝があるから、通路を通り抜けてから誰かが押さなきゃならない」
「へえ。そうなのか。一人じゃお宝は手に入れられないんだな」
更に、通路の先には「二人で」行かなければならないと話は続いた。
罠を作動させるスイッチは扉を開けるが、その奥にもう一つ格子戸があって、左右のボタンを二人で同時に押さなければいけないのだと。
「最低三人はいないと、宝は手に入れられない」
「はあ、なるほどなあ」
ダンティンはしきりに頷くと、ぱっと笑顔を浮かべて、自分が宝を取りに行くと宣言をした。
「ああ、よかった。この五人で来て! なあバルジ!」
自分はけっして独り占めなどしないから、安心してくれ。
ダンティンの能天気な発言に、ベリオは思わず笑ってしまう。
「二人で行かなきゃいけないんだから、独り占めなんて無理だぞ」
「ああ、そうか。ははは。じゃあ行こう。なにが入っているか早く見に行こう」
ダンティンは共に行く相棒にベリオを選んだようだ。
勝手な奴だなと呟いて振り返ると、ドーンは既にスイッチの前に進んでいた。
「行ってもらってもいいか」
カヌートは苦々しい表情で、隣のデルフィに話しかけている。
「足の裏が痛くなってきたんだ。二人が行く間に見てもらいたい」
「わかった。ドーン、見張りも頼むぞ」
罠の見本区画であっても、敵が出る可能性はなくならないだろう。
ベリオが声をかけると、スカウト見習いの女は少し青い顔をしながら頷いてみせた。
「気分でも悪いのか?」
「そんなことはない」
三回の夜明かしをして、更に深く進んだのだから。そろそろ限界がきているのかもしれない。
通路の奥に隠されているものを手に入れたら、もう帰るべきなのかもしれなかった。
これまでの挑戦で最も深いところまで進んで、ひょっとしたら良い物が手に入るかもしれないのだから。
そろそろこの幸運続きの旅に満足して、地上へ戻るべきなのだろう。
こう提案するのは、この罠の先にあるものを手に入れてからにしよう。
ベリオはそう決めて、カヌートとドーンと共に手順を確認していった。
「早く行こう。なあバルジ、なにがあるんだろうな!」
「少しくらい待てないのか、お前は」
通路を進んで扉の前についたら、声をかける。
二人で格子戸をあけて、宝を手に入れて、戻る。
ダンティンに余計な声をあげないように注意をして、通路へ向かう。
振り返ると、カヌートが右の靴を脱いでいる姿が見えた。
デルフィは膝をついた姿勢で、ポーチの中身を確認している。
「頼んだぞ、ドーン」
仲間が頷くのを確認して、ダンティンと共に細い通路を進んでいった。
歩きながら左右に迫った壁に目を向けると、よく見てみれば、うっすらと細く隙間があるのがわかった。
スカウトはこんな異常にすぐに気が付いて、罠を察知しているのだろう。
ぼんやり、うきうきと歩く素人には気づけないようで、ベリオの前を行くダンティンは弾むような足取りで先へ進んでいる。
細い通路を進んでいくと、道の広さは突然元通りの幅に戻った。
その先に、扉がある。鍵穴も手をかける部分もない、四角いだけのドアが二人の前に現れている。
「着いた!」
振り返って声をあげると、細い通路に刃が現れ、扉はすっと左に流れていった。
中に入ると狭い小部屋で、目の前にはカヌートの言った通りの格子戸があり、左右に小さなスイッチが備え付けられている。
格子の向こうには、橙色に塗られた木の箱が置かれていた。
「ダンティン、同時に押すぞ」
「わかった」
声をかけて小さなスイッチを押すと、格子戸もすうっと、音もなく開いていった。
開くなりダンティンが箱に飛びついて、ベリオが注意する前に開けてしまう。
「おい」
「なんだ、これは」
箱にも仕掛けがあるかもしれないのに。いや、ここにはないのかもしれない。カヌートの持つ地図には、必要な注意書きが書かれているはずなのだから。箱については注意がなかったのだから、こんな風に無防備に開けてもいいものだったのかもしれない。
「腕輪かな?」
ダンティンが取り出したのは、確かに腕輪のようだった。
金色の輪に、橙色の石が嵌められている。
つるりとした石は安っぽい輝きで、あまり高価なものには見えない。
「剣が良かったなあ」
「俺は術符が良かった」
「欲張りだな。いや、確かに術符の方がいいか。あれはすごく便利なんだもんな」
ダンティンは朗らかに笑って、腕輪をどうするかベリオに問いかけてきた。
「それ、重いのか?」
「普通の腕輪だよ」
宝を差し出されて受け取ってみると、確かに、特別に重たくも軽くもなく、大きくもなかった。
「お前が持っておいてくれ」
「いいのか」
「ああ。それ、自分で使いたいか?」
「え? いや、いらないよ。こんなの戦いの邪魔だ」
特別な効果が隠されていない限り、ダンティンの言う通り身に着ける必要などないだろう。
腕輪の形はシンプルで、女性が喜びそうな細工はされていない。
どんな人間がなんのために使うのがいいのか、よくわからない半端な代物だとベリオは思う。
だからこそ、ひょっとしたらという思いも生まれている。なんらかの特別な効果が得られる魔法の道具なのかもしれない。
「道具屋で鑑定してもらうから、落とさないようにしろよ」
「わかった。ははっ、なんだかすごく嬉しいな」
初めて手に入れた「特別」なものだとダンティンが呟いて、ベリオも思わず笑みを漏らしていた。
「よし、じゃあ戻るか」
小部屋を抜けて、通路の先へ向けて声をあげる。
部屋の扉を開いていたスイッチから手が離れたようで、通路を塞いでいた刃も引っ込んでいった。
来た時とは逆に、ベリオが細い通路に先に入った。
カヌートの足の具合はどうだろう。まだ、歩いていけるだろうか。
できれば二十四層にたどりついてみたいが、夜明かしまでにどのくらい進めるだろうか。
敵の姿は見えない。だから少しだけ、意識を高い所へ持ち上げていく。
五人で進む先にどんな未来が待ち受けているのか、ベリオは思い描きながら歩いていた。
「なあ、ダンティン」
お前はまだ、歩けるか?
そう問いかけようとしたベリオの意識は、細い通路がもう少しで終わる頃、突然途切れた。
夢は夢のまま空に浮かんでいったが、迷宮を歩いていた二人の探索者の体は地に落ちていき。
その命は永遠の中に沈んで、消えた。




