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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
17_Not Betrayal 〈あなたは、わたしの光〉

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72 夜が明けていく

 街の西のはずれの空き地で、ベリオは「仲間」の訓練を眺めていた。

 ダンティンの動きは良くなっていた。

 剣を振るスピードが随分速くなっている。

 もとが酷かったから。その分、伸びしろがあったのだろう。

 

「あいつ、随分動けるようになったんじゃねえか?」

 隣から声をかけてきたのは、いつの間にか顔見知りになった「脱落者」の男だ。

 探索者だったのか、労働者だったのかはわからない。名前も知らない。とにかく今は素人の建てたボロ小屋で、汚らしい男たちと身を寄せ合って暮らしている。

 そんな男にいつの頃からか話しかけられるようになっていて、ベリオは「まあな」とだけ答えた。

「あんただって上達してるぜ」

 汚い手で背中を叩かれ、ベリオは顔をしかめて立ち上がった。

 ダンティンはドーンとともに汗を流していて、少し離れたところでカヌートが見守っている。

 デルフィは脱落者たちに絡まれて、なぜか料理の手伝いをさせられているようだ。


「今日は終わりにしよう!」


 ベリオが声をかけると、ダンティンがふらふらと倒れこんでいった。

 剣を放り投げてよろけた足に、ドーンが容赦なく打ち込んでいく。

「痛えっ! 終わりって言われたじゃないか、ドーン!」

「魔法生物は止まってくれない」

「ここは迷宮じゃあないのに」

 仲良くなって結構なことだ、とベリオは思った。

 前回は十八層目までたどり着いた。次に目指すべきは二十四層目の泉だが、一気に六層の記録更新は難しいだろう。

 では、その間。二十一層の終わりあたりが妥当だろうか。

 そう口にすればきっと、ダンティンは「どうして最下層じゃないんだ」と騒ぎだすのだろうが。


 ボロ宿の裏手にある共同の水場で体を洗って、終わったらいつもの食堂へ。

 五人組は一人ずつ集まってきて、ささやかな食事の時間が始まる。

「そろそろ行くか」

「ようし! 俺は! この時を待っていた!」

 ダンティンが勢いよく立ち上がり、ドーンに嫌な顔をされてゆっくりと席へ戻っていった。

 デルフィは穏やかに微笑み、カヌートは黙ったまま頷いている。

「今度こそ最下層だな。俺は強くなった。『橙』ごときの敵なんか、俺が全滅させてやる」

「早く食え、ダンティン」

 長く潜るためには準備が必要だから、用意には一日かける。

 いつも通りの取り決めなのに、初心者は不満げに口をとがらせている。

「明日行けばいいのに」

「先払いしておく宿代、ちゃんとあるか? 一応五日分払っておけよ」

「最下層へ行くなら、もっと必要なんじゃないか」

「じゃあお前の好きなだけ払っておけよ」

 幸運の葉っぱの主人は、想定よりも戻りが遅れても三日待ってくれる。

 今の実力で行けるだけ行ったとして、八日よりも長くかかることはないだろう。


「明日は準備だ。いいな」

 テーブルを囲んだ四人が頷いて、初心者五人組の出発が決まった。

 しっかり休んで、荷物袋を整理して。一日かけてコンディションを整えていかなければならない。


「おう、お疲れさん」

 夜遅くなってから、ベリオたちの部屋にギアノが戻ってきた。

 察しの良い男は、ベッドの上に並べられた荷物袋の様子で、探索者たちの次の予定に気が付いたようだ。

「お、また行くのか?」

「ああ。そっちはどうだ、すっかり料理人の暮らしをしているみたいだが」

「本当だよ。料理はなんとか完成させられたってのにな。まだ客が戻り切ってないし、近くの大型店のせいで従業員がちっとも集まらないんだよ。なあ、明日あたり手伝いに来てくれないか?」

「準備しなきゃならないから無理だな」

 ギアノは背伸びをしながら、最近買ったという料理人用の服を脱いでベッドの上に投げ出している。

 手伝いの話は冗談で、よくいる顔の男は優しい笑顔を作ると、明日は食事をしに来たらいいと二人に話した。

「探索のために、力をつけていけよ」

「奢ってくれるのか?」

「はは、いいよ。でも、二人だけだぞ。全員で来るのは勘弁してくれな」


 軽やかな会話のあとはぐっすり眠って、起きれば既にギアノの姿はなかった。

 魚の仕入れは時間が早いらしく、最近では二人が目覚める頃にはもう仕事へ出かけている。


「デントー、準備を始めるぞ」

 朝に弱い神官を揺らして起こし、大きめの荷物袋を整理していく。

 いらないものなど入れていないはずなのに、必ずなんらかのごみが入っているのは何故なのか。

 食料を包む葉のかけらだとか、薬を包んでいた紙を丸めたものとか。

 それらをまとめて、処分して、改めて必要なものを詰めていく。


 長い旅は荷物が多くなるものだが、迷宮探索はその逆だ。

 宝物を拾って歩く旅だから。上手くいった時には、途中でなにかを捨てなければいけなくなる。

 着替えを持っていくかどうか、何枚備えておくべきか。仲間から借りられる可能性も含めて、出かける前に決めなければならない。


 神経質な神官は、ベリオよりも少しだけ、悩む時間が長い。

 なので自分の分をさっさと済ませて、しばらく待ってから、仲間へ声をかけていく。

 

「そっちはどうだ。買い物に行けるか」

「ええ、大丈夫。これで終わりです。買い物が済んだらそのまま、ギアノの店に向かいましょうか」

「そうしよう。店の名はなんだったかな」

 落ち込み気味の店主のかわりに、ギアノは上手に店をまわしているらしい。

 軽やかな会話が心地よいのか、「コルディの青空」には最近、新たな常連ができているようだった。

「あの店、譲ってもらえばいいのにな、あいつ」

「そうですね。探索以上に得意なことがあるのなら、そっちで成功した方が良いと僕も思います」

 こんな相棒の台詞に、ベリオはふっと笑った。

 デルフィは神官なのだから、いざとなればどこかの街の神殿に迎え入れてもらえばいい。

 でも自分には、剣くらいしかない。それなりに扱えるようになった得物と、なんとか歩いていけるようになった迷宮の道で手に入る富で暮らしていくしかない。

「そうなってくれたら、食うのに困らなくなりそうだ」


 早く「橙」の最下層へたどり着きたい。ベリオは初めて強くそう思った。

 達成できた後にダンティンたちがどうするかはわからない。どうしても組んでいたいと思うのなら、それでも構わない。

 ギアノも入れて、うまくやっていけばいい。

 

 ただ、パーティに「女」を入れてみてわかったが、やはり男だけよりもやりにくいとベリオは思っていた。

 ドーンは配慮しろなどと言ってこないが、やはり体の造りは男と違う。

 どうしても探索に向かいたくない日が時々あるようで、「特別」な関係になってからはそれとなく伝えられるようになっていた。

 そうなれば、完全な無視はできなくなってしまう。だったら一日、二日くらい、予定をずらしてやろうと思ってしまう。


 初めて「赤」を踏破した五人組には、二人も女がいた。

 二人も女がいて、どうやったらそれぞれの都合を聞いてやれるのか。それともまったく気づかず、気にせず、男のペースで進めていたのか。

 腕が良くて美しい女性の仲間を抱えるのは、探索者たちの夢のひとつだ。

 けれど彼女たちには探索に向いていない日があるなんて、能天気な青年たちは知らない。

 自分にすっかりほれ込んでいたとしても、いつだって好きに抱けるわけではないと、みんな知らない。

 知らないまま、うっとりと夢を見ている。

 

「せめて、もっと愛想が良ければな」


 ぼそりと呟きながら、必要な数の保存食を用意していく。

 探索に必携の道具である保存食は、大抵はちょうどよいサイズに揃えられた干し肉で、これまでは大きさくらいしか違いはなかった。だが最近では独自の味付けをする店が現れていて、保存食のバリエーションは急速に増えている。


 最近見つけて気に入っていた、少し辛い味付けのうまいやつが品切れで、ベリオは内心で舌打ちをしていた。

「どうしました?」

「なんでもない」

 不満げな顔から事情を把握できたのか、デルフィは笑みを浮かべている。

「ギアノに頼んだら、おいしいものを作ってくれるかもしれませんね」

「なるほど、そうだよな。頼んでみるか」


 適当に買い物を終わらせて、二人はなじみになってきた道具屋を出た。

 そのまま歩いて、南へと向かう。

 街の西側には探索者の住処は少なかったが、じわりじわりと増えているようで、人通りが多い。商人や労働者ではなく、剣をぶらさげた若者があちこちに見受けられた。


「新しい宿でも建っているのかな」

「建て替えが多いみたいですよ。『幸運の葉っぱ』も随分古いみたいですし、そろそろ手を入れるかもしれませんね」

「あそこはあのままでいいのにな」

 古いから、あの値段で済んでいるわけで。

「古いものは、あまりしっかりした造りではない建物が多いみたいですからね」

「ああ、そうか。最近は腕のいい職人を連れてきたりしているんだもんな」

 迷宮都市にくれば、仕事は山のようにある。

 建築現場はいつでも人手不足だから、探索者たちのための日雇いの仕事がいくらでもあった。

「裏にある空き家も、近いうちに取り壊して新しい宿を建て始めるみたいですよ」

「廃墟のままじゃ、変な奴が住み着くかもしれないもんな」

 一晩だけの繋がりの為に使う男女もいるかもしれないし。

 ベリオは自嘲気味に笑って、たどり着いたコルディの青空の扉を開けた。


「よお、いらっしゃい。ちょっと待ってくれな、片づけるから」

 最初に来た時には薄暗かった店内が、少し明るくなっている。

 店の中にはギアノと店主以外にもう一人、小柄な少女の姿があった。 

 地味極まりない少女はお盆を抱えたまま走っていて、ギアノが小声で呼び止めている。

「ティッティ、慌てなくていい。そのかわり、もうちょっと笑って。な」

 少女は頷き、ぎこちなく、恥ずかしげにだが微笑んでみせた。

 足取りはゆっくりしたものになって、誰かの使い終わった皿が厨房の奥へ運ばれていく。

「なんだか繁盛してるみたいじゃないか」

 ベリオの声に、ギアノはにやりと笑みを浮かべて答えた。

「少し前に、いい物ばっかり食べすぎて太っちまった商人が、なんとかならないかってやってきたんだよ。だから例の魚料理をすすめてやったんだ」

「あれを?」

「そう、あれをね」

 皿やカップをひょいひょいと重ねて、盆の上に積み上げて。

 かたく絞った布でテーブルをきれいに拭きながら、ギアノは軽やかに話している。

「脂を落とす薬っていうのがあったんだよ。ちょうどいいことに、魚と相性がいい薬草を使っていて、臭いをだいぶ抑えた味に仕上げられたんだ。まあ、ちょっとばかり値は張るんだけど、そこは大商人、支払いに困ったりはしないんだなあ」

 継続していけば、若い頃のようになれるはず。

 そう囁いたところ、その後も同じものを頼みにやってくるようになったらしい。

「なんといっても、世にも珍しい迷宮魚の料理だからな。ここでも王都でも、自慢話になるんだろう」

 手際の良い仕事のお陰であっという間にテーブルが片付いて、ベリオたちの席ができる。

「なあギアノ、旨い保存食を作ってもらえないか」

「保存食? 迷宮に持っていくやつのことだよな」

「そう。ちょっと高くても構わないから、好きな味のものを食いたいんだ」

「なるほどねえ。迷宮の中だって、旨いものが食えた方がそりゃあいいよな。上級者向けに売りだしたら儲かりそうだ。バルディさん、どう?」

 客との会話は届かなかったらしく、遠くから「なんだって?」の返事が聞こえてくる。

「ははは。本当に二人は、いいヒントばっかりくれるよなあ」

「いいのかギアノ、お前、本当に料理人になっちまうぞ」

「ああ、そうか。参ったな。こんなことばっかりしてらんないのに」

 ギアノは朗らかに笑うと、今日のおすすめを二人へ説明してくれた。

 探索へ向かうのなら、疲労がたまりにくくなる体力増強効果のあるものがいいのではないか。

 そう言われたが、二人はごく普通の、鹿肉の料理と果物の盛り合わせを頼んだ。


「なあ、この店は、どんな効果のものが欲しいかリクエストしてもいいのかい?」

 隣のテーブルに座っていた商人らしき男が、ギアノに問いかける。

「ええ、そうですよ。うちの売りは、薬効の得られる特別料理。『アードウの店』と提携していて、王都でしか売られていないような薬も扱えるんです」

 客の要望を聞きながら開発をする、新しいものだから。

 ペラペラと話す未来の仲間予定の料理人に、デルフィは感心しているようだ。


「ギアノと一緒に探索できるといいですね」

 店での仕事ぶりもいいし、探索に使える特技もある。

 宿で時間を共にした時にも、話題が豊富で話していて楽だ。

 

 口が堅いと言っていたのも本当で、デルフィの正体についても、ベリオとドーンの関係についても、誰かに話していることはなさそうだった。


「はやいとこ『橙』の底に行きついて、変な挑戦から卒業しないとな」

「ふふふ。そうですね」

「次は二十一層くらいか」

 まだ半分しか進めていない。

 「脱出」があるお陰で随分楽をしているが、まだまだ先は長そうだと、ベリオは思う。

「二十四層を目指しましょうよ、バルジ」

「うん? はっ、そうだな。そういうことにしておこうか」

「ダンティンも夜明かしには慣れてきましたから。行けるかもしれませんよ」


 二人で一からやり直そうと考えたあの日。

 二人して真っ青な顔をして、限界まで疲れた状態で迎えた朝を思い出す。


 デルフィの表情は明るい。

 ベリオの心も、軽くなっている。


 迷宮の最下層にはなにが待っているのだろう。

 竜に出会って、戦えるのだろうか。


「そういや、最下層には地上へ一気に戻れる仕掛けでもあるのかな」

「どうしてそんな風に思うんですか?」

「最下層から歩いて戻った奴の話なんて、聞いたことないだろう?」

「確かに。……でも、底までたどり着ける人たちですよ。『脱出』が使えたり、術符を持っていたりしたんじゃないですか」

「持ってない奴はいなかったのかな」

「竜から採った物をたくさん持ち帰るには、『脱出』が必要ですよね」


 まだ、行きつけるはずもないのに。

 それでも最下層の話は少し楽しくて、二人は料理が来るまで、迷宮の底に思いを馳せていた。








「気をつけて行って来いよ」

 次の日の早朝、ガタガタとやかましいダンティンのせいで目を覚ましたギアノに見送られて、ベリオとデルフィは部屋から出た。

「おい、ダンティン、うるさいぞ」

 「橙」に挑むのなら、早い時間に出なければならない。

 宿代は昨日のうちに支払っておいた。

 念のために、七日分。

 安いボロ宿だから、たいした額でもない。

「ドーン、カヌート、準備はいいか」

「俺はいいぞお!」

「うるさいって言ってるだろう。寝てる奴もいるんだ」

 自分の分も確認しながら、出発の準備を整えていく。

 カヌートとドーンにはスカウトとしての装備品が用意できているか問いかけ、ダンティンには剣の具合についても聞いていく。

「よし、じゃあ行こう」


 何度目かの、「この五人」での「橙」行き。

 朝日が昇る前の街は暗いが、気にしない。


 あと何回こんな風に歩いたら、夢を叶えられるのだろう。

 ある日突然やってきた見知らぬド素人に引きずられて、始めてしまった無意味で壮大な挑戦は、いつやり遂げられるのだろう。


「一番底まで行くぞ、行くぞっ!」

 五人の先頭を歩いているのはダンティンで、「橙」に向かうべく、北に向かって勢いよく進んでいる。

「魔竜を倒す、倒す! 絶対に、たおーす!」

「うるさい!」

 安い食堂街の手前、かまどの神殿を通り過ぎ、初心者たちの拠り所、「橙」の迷宮入口へ。

 穴の周りには既に二組、初心者たちが待っていた。

「うう、どうやったら一番乗りになれるんだ」

 ダンティンの唸り声を聞きながら、列の後ろに並んでいく。

「ここからは北側の宿の方が近いからな。それで早く来れるんだろうよ」


 王都へ続く門の付近には、安い宿がたくさん建っている。

 王都方面からやってきた初心者はほとんどが、北東にある安宿街に逗留している。いや、逗留させられるようになっている。

 やってきた若者へ声をかける客引きたちはしゃべりが巧みで、値引き交渉にも乗ってくれるから。若者たちは親切にしてもらえた感動で、最初の宿を決めてしまう。

 最初に提示してくるのは上乗せした値段なのだが、経験の浅い若者にバレはしない。

「俺たちもそっちの宿屋に移ろうぜ」

「今のところより安いところはないぞ。ほんの数時間でも遅れれば、荷物を没収しやがるしな」

「そうなのか」

「そうだよ。客引き同士で揉めてることも多いし、巻き込まれたら悲惨だ」

 以前見かけたトラブルの話を少し大袈裟に伝えると、ダンティンはやっと黙った。

 どうやら前に並んでいた五人組も脅かしてしまったようで、他にいい宿はないのかという話が始まっている。


 前の五人組が進んでいって、穴の中へ降りていく。

 またしばらくして、進んでいって。

 扉の前にたどり着き、五人は互いに顔を見合わせていった。

「最下層まで行くと言いたいところだが、無謀だろう。俺たちはまだ十八層までしか行ってないんだから」

「そうだが」

「わかってるよ。底まで行きたいよな、ダンティン」

 逞しくなってきた初心者の腹を、ベリオは強く叩いた。

「お前の剣は随分良くなった。だから、なるべく深いところを目指そう」

「おお、たまにはいいことを言うじゃないか、バルジ!」

「危険になったらもちろん戻る。だが、行けるだけ行こう。俺たちには『脱出』がある。こんなに恵まれた初心者はいない」


 弱音を吐くなよ。

 ベリオの言葉に、ダンティンはにやりと笑っている。

「弱音なんか吐かない。なあ、ドーン。カヌート、それにデントーも」

 デルフィは微笑み、ドーンとカヌートも力強く頷いている。

 スカウトとスカウト見習いの目には力があって、ベリオは素直に頼もしいと思った。


 先頭を行くのはダンティンで、今か今かと順番を待っている。

 ベリオの声を聴き逃がさないよう、そわそわとした顔で耳を澄ましている。

「よし、そろそろ」

 言い終わる前にリーダーが飛び出して、扉に手をかけた。

「行こう」

 ドーンが続き、カヌートも歩き出す。

 ベリオは隣を歩く相棒へ目をやり、にやりと笑った。

「行けそうな気がしますね」

 小さな声は明るく弾んでいて、これから迷宮探索に行くとは思えない空気だった。


 見知らぬ初心者に絡まれただけだったのに、こんなことになるなんて。

 昨日の夜、二人でこんな話をしていた。

 今回の挑戦で最下層へ行けるはずはないのに、なぜだかそんな話をしたい気分になっていた。


 易しい造りの迷宮とはいえ、浮かれたまま進んでいくわけにはいかない。

 まだ敵も罠もないうちに、整えていかなければならない。

 

 先に入った探索者が何組かいたせいで、敵とはまったく遭遇しないまま迷宮を進んでいった。

 先行するグループが三組、回復の泉で詰まっている。

 あっという間に着いた六層目。疲労もダメージもないが、水は飲んでおくべきだろう。


「あんたら、前にもここで見たな」

 一つ前のグループの一人から声をかけられ、ダンティンが顔を向けている。

「そこそこやれそうな感じなのに、なんでこんなに早い時間から『橙』なんかに来ているんだ?」

「ははは! そうだろう、そうだろう。俺たちはやれるんだ。前回は十八層までたどり着いたんだから!」

「じゃあ、『緑』だとか『藍』に挑戦したらいいのに。あっちの方がいいものが獲れるって話だぞ」

 声をかけてきた男の服装、腰から提げた短剣の頼りなさからして、まだまだ探索を始めて数回程度の超初心者なのだろう。

 どう答えるのかベリオが眺めていると、ダンティンは珍しく不敵な笑みを浮かべ、声を潜めてこう囁いた。

「俺たちが目指しているのは、(いただき)なんだよ」

「頂?」

「難しい迷宮に行けばいいってもんじゃないんだ」

 順番が回ってきて、男は首を傾げながら泉へ向かって行った。

 珍しいことに、このやりとりがカヌートにはおかしかったようだ。

 笑顔を見せたことのないスカウトは、口元を手で抑え、体を震わせている。


 六層目で詰まっていた三組のうち、一組はすぐに戻っていってしまった。

 二組はまだ下を目指していくようだ。

 なので泉の水を飲んでからしばらく待って、ベリオたちも探索を再開させていく。


 魔法生物の死骸を乗り越え、簡単な罠に引っかかって呻いている先行者たちを行きすぎて、九層目。

 先に行っていた五人組とすれ違う。

 今、「橙」の迷宮の十層よりも深いところを歩いている人間はいるのだろうか。

 いたとしても、多くはないのだろう。

 戦いは減り、罠の解除をしなければならなくなる。

「気を引き締めていくぞ」

 ベリオが声をかけ、前を行く三人が振り返る。

 それぞれ頷き、ダンティンだけは大きく、鬨の声をあげた。

「ここからが本番ってわけだな!」

「わかってるなら前を見ていろ」


 最初に試しにやってきた時とは、歩き方がまるで違う。

 体も随分たくましくなったように見える。

 歩みは力強く、もう剣の重さに振り回されてもいない。

 

 カヌートが合図を送ってきて、戦闘の準備が始まった。

 大きな鼠と飛び跳ねる兎の混合軍がやってきて、探索者たちの足を狙って襲い掛かってきた。 

「全部で六匹!」

 最初の戦いにしては、敵の数が多い。珍しい群れでの登場に、空気は一気に引き締まっていった。

「俺も戦う。デントー、下がってろ」

 靴にかみつこうとする大きな鼠の背を、ダンティンが突き刺している。

 「良い倒し方」ではないが、六匹も出てきたのだから仕方ない。

 とにかく仕留めた。それは良かった。だがどうやら、剣が抜けないらしく、バタついている。

「踏んで引き抜くんだ」

 カヌートの声は低いがよく通る。

 間抜けなダンティンにとびかかっていた兎は、ドーンの剣にやられて床の上に落ちていった。

 アドバイス通り鼠の死骸を踏んずけて、ダンティンはようやく剣の自由を取り戻している。

 もたついている戦士のかわりにベリオが前に出て、五番目にやってきた鼠を仕留めていく。

「バルジ、俺がやる!」

「じゃあ最後はお前がやれ」

「よっし!」


 ぴょんと飛んで、足をついたところに兎が落ちていて、滑って転んで。

 間抜けな初心者のかわりは、ドーンが務めてくれた。


「足元は常に気にしろ」

 カヌートのアドバイスは短く、的確だった。

 尻を思い切り打ったようで、ダンティンは歯を食いしばって悶えている。

「馬鹿だな、調子に乗って」

「くう……」

 デルフィに元気づけられて、ダンティンはゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がればもう、いつも通りの勢いを取り戻せるようだ。

「次はこうはいかない!」

 転がる魔法生物の死骸に向けて怒鳴りつけ、五人組の先頭へと進んでいく。

「本当に馬鹿だな、ダンティンは」

「元気が出ますね」

 デルフィがこう小声で呟いて、ベリオは思わず吹き出していた。


 愚者と暮らすのは大変だ。

 ましてや探索など絶対にしたくないはずなのに。


 フィーディーとの探索は最低だった。

 結局は一緒に行ったし、行方がわからなくなった後に探してしまったが。

 けれど、再会の瞬間から気分はかなり悪かった。


 ダンティンも足手まといな馬鹿だが、フィーディーとは違う。

 橙の通路を行きながら、ベリオは考え、納得していた。


 ダンティンはまっすぐだから。

 自分の見た夢を叶えたくて、仲間探しに励んで。

 少しくらいなら反省だってする。駄目だと言われれば、必死になって剣を振る。


 欲にまみれたフィーディーなどと一緒にするのは失礼だろう。

 ごく、まっとうな初心者なだけなのだから。

 なにをしたいのか、どこを目指したいのかはっきりと決めて、仲間を探し、共に歩んでもらえないか頼んできただけ。

 自分の実力は見誤っていた。だが、ダンティンこそが理想の探索者のはじめ方を実践している者だと言っていいだろう。


 一からやり直そうと決めた人間にとって、最適じゃないか。

 最初の渦を並んで歩く仲間として、ふさわしい男だと言えるだろう。


 自分の上にとどまり続けていた闇が晴れていくような気がしていた。

 一歩ずつ進みながら、ベリオは少しだけ目を閉じ、こみあげてきた涙を堰き止める。



 これが、泣くようなことか?


 天井を見上げながら、自分の愚かさを笑う。

 

「敵が来るぞ」


 カヌートの声が聞こえて、次に現れる魔法生物が何なのか、ベリオはまっすぐに前を見据えた。


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