表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12 Gates City  作者: 澤群キョウ
16_Discrimination 〈白でも、黒でもない〉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

73/244

70 相容れない

「マリート、私だ」


 扉を叩いても反応はなく、何度試してもなんの音もしない。

 なので仕方なく、樹木の神官長は扉を両手でつかむと持ち上げるように揺らして、緩んでいた鍵を外した。


「おい、勝手に入ってくるやつがあるか」

「昨日の怪我で動けなくなっているんじゃないかと思って」

「嘘を言うな、神官のくせに」


 カッカーとの思わぬ会食の次の日。キーレイは約束通り、昼過ぎにマリートの家を訪れていた。

 ぶつぶつと文句を言う割に、体調をおとなしく確認されるのはいつものことで、剣士は万全をアピールしている。

 あちこちに傷の跡は残っているが、問題はないようで、キーレイはマリートに服を着るように告げた。


「昨日はよく眠れたか?」

「いつも通りだ」


 本当かな、とキーレイは疑いの眼差しで仲間を見つめた。

 ジャグリンの隣を歩いた三日間、ずっと苛々としているようだった。

 なんとか耐えきったようだが、明日からまた三日間、見知らぬ、しかもかなりの曲者であろうスカウトと行かなければならない。


「無理をしなくていいんだぞ、マリート」

「なにが無理だって言うんだ。俺は無理なんかしていない」


 キーレイ自身、双子のスカウト、ジャグリン・ソーとファブリン・ソーと直接会ったことはなかった。

 だが目立つタイプの有名な探索者なので、かなりの数の噂が耳に届いていた。


 マリートの探索は、ニーロ次第だから。自分で仲間を探して潜ろうとはしない男だし、用がない時にはずっと家にこもりっきりになってしまうから。だから、人間だろうが店だろうが、他人の探索の成功、失敗話だろうが、マリートの耳に噂話が届くことはない。


 ジャグリンの方は噂通りの妙な男だった。

 ファブリンもそうではないかと思える。だとすれば?


「ニーロも心配しているようだけれど、私もあのスカウトの兄弟とマリートは合わないと思うよ」


 キーレイの小さな独り言に、マリートは顔をしかめたものの、なにも言いはしなかった。

 その沈黙の間に神官長は家の中を歩き回って、床に散らばったごみを集めて回っている。


「今回もいいものができているんだな」


 部屋の奥には大きな机が置かれている。マリートはここで、こまやかな細工を入れた革の道具を作っていた。

 誰に頼まれたわけでもないのに、腰につけるポーチや、背負い袋など、軽く丈夫で使いやすい装備品を生み出している。


「これはいいな。私にくれないか?」

「いやだ」

「じゃあ、シャッドに引き取ってもらおう。マリートの新作を待っているからね」


 物を生み出しても、売る手配などは自分で一切しない。

 結局、様子を見に来たカッカーかキーレイが気づいて、道具屋に連絡をするのはキーレイと決まっている。


「これで充分、稼ぎになるだろうに」


 思わず本音が漏れてしまって、キーレイは少しだけ後悔をしていた。

 マリートの顔はぐにゃりと歪んで、子供のようないじけた表情を浮かべている。


「お前までそんなことを言うのか」

「仕方ない。私は神官なのだから」


 カッカーが引退する前にも、何回かマリートとは探索に行っている。

 ニーロに頼まれて、何度か探索に付き合った。

 頼れる神官探しのための、試しの探索だ。どうやら満足いったようで、ニーロはキーレイをカッカーの次に頼る相手として決めたようだった。

 その試しの探索には必ず、マリートがいた。


 その頃から受けてきた傷の数を、キーレイは知っている。

 有能な剣士だから最前線で戦うし、重量級ではないからこその役割を負っているから、何度も命を落としてきたと知っている。


 死んで、呼び戻される回数が一番多いのは、先頭を歩くスカウトで違いない。彼らは優秀であるほど生き返らされて、少しずつ壊れていく。

 ロビッシュだけではない。あんな風に変わってしまった人物を、キーレイは何人か知っていた。カッカーもそうなのだろう。

 大抵はあそこまで壊れる前に、命を終える。


 探索は過酷なものだから。

 迷宮にやってきた愚かな人間のうちの一部を血の海に沈めて、地上へ返してはくれない。


「俺を連れてきたのはお前じゃないか」

「イブソル」

「こんなところに俺を置いていくな」


 置いていったら許さない。

 下を向いたまま呟くマリートの背に手を置くと、キーレイは静かに、樹木の神へ祈りを捧げた。





 次の日の朝。準備を終えるとキーレイは家を出て、マリートのもとへ向かった。

 迎えに行く必要など、普段はない。

 だが、今回のように不安要素がある時には、マリートには手助けが必要だとキーレイは考えていた。

 ニーロも気を遣ってくれはするが、さすがに「お迎え」まではしてはくれない。

 どうせすぐそこだし、と樹木の神官長が足を向けると、マリートは戸締りをしているところだった。


「おはよう、マリート」

 剣士はつまらなそうな顔を向けるだけで、挨拶を返さない。

「その扉は鍵をかけても開いてしまうようになっているよ」

「お前が何度もガタガタ揺らすから」

「修理をしたらいいじゃないか。引っ越したっていいんだよ」

 どうやら家の修繕についても、気の利く神官の助けが必要なようだ。

 昨日の点検でわかったが、水の湧き出す壺も魔力が尽きかけているようだった。

「壺も枯れかけているし」

「ニーロに来るように言ってくれ」

 そのくらいは自分で言えばいいのに、とキーレイは思う。

 丁寧に頼めば、水の湧き出す壺くらいニーロは作ってくれる。

 無彩の魔術師が作った壺は、街で売られているどんな魔術師が作ったものよりも豊かに水が出て、長時間使える一級品だ。


「探索の準備はいいか?」

「いいに決まってる」


 会話が弾まない。ニーロとの会話も決して弾みはしないが、話題はそれなりにある。

 迷宮の中のあらゆる事象に興味がある若い魔術師は、経験豊富な神官に尋ねたいことが山のようにあるからだ。

 ウィルフレドとの会話も楽しい。自身の過去については話さないが、あちこちで見たもの、経験したことについては教えてくれる。

 迷宮都市についての質問も多く、キーレイにとって現在付き合っていて一番の相手はウィルフレドで間違いない。


 もう結婚を意識するような相手ができたのかと思いきや、一昨日の話は衝撃だった。

 あの時、騒ぐ声だけは聞いていて何が起きたのかと不思議だったので、理由がわかったのは良いことだった。

 妙な噂になってしまったのは、気の毒ではあったが。


「なにを笑ってるんだよ」

「え? ああ、なんでもないよ」

「どうせ、俺を馬鹿にしているんだろう」

「なんてことを。どうしてそんな風に言うんだ」


 敵を仕留めそこなうたびに怪我をするし、これまでに何度も何度も大きな怪我を負ってきたし。

 なんなら何度も死んできた。セーセリットの尾は幸運のお守りなのに、持っていても死んだ。

 死んでいる間に役に立たないからと、大切なお守りを捨てられてしまうし。

 脱出の魔術の時には、壁にはまって出られなくなるという間抜けぶり。


 マリートの地を這うような呟きはまるで呪いの言葉のようで、キーレイは心の中でため息をついている。


「ウィルフレドがいれば、俺はもういらないんだろう?」

「そんなことはない。ニーロだって私だって大切な仲間だと思っているよ」

「あの髭は、俺が鬱陶しいはずだ」

「ウィルフレドはそんな風に考えないよ。自分とは違う特技がある剣士なのだと、常に学んでいると話しているんだから」

「でも、お前だって探索者をやめた方がいいというじゃないか」

「これまでに受けた傷を思えば、確かにと思う。だけどそれは、イブソル、君に生きていてほしいからだ」

 頭に巻いたバンダナを手でいじりながら、マリートはぼそりと呟いた。

「その名前で呼ぶな」

「すまない」


 二人はそのまま「白」に向かって歩いて行った。

 入り口のそばに、三人の探索者が立っている。

 二人には見覚えがある。ニーロと、ウィルフレドだ。

 二人の間にいる誰かはこれまでに見たことのない色彩をしていて、キーレイもマリートも、同時に歩みを鈍らせている。


「おはようございます、キーレイ殿、マリート殿」

 ウィルフレドが声をかけてきて、神官長は気を取り直して挨拶を返した。

「なーるほど。あんたが有名な樹木の神官、キーレイ殿ってわけだ」


 すると、ド派手な色合いの男が間に入ってきて、キーレイの頬を撫で、顎を掴み、顔をじろじろと眺めてにやりと笑うと、両手で髪をぐしゃぐしゃと乱し、更には尻まで撫でて笑った。


「俺はファブリン・ソー。弟のジャグリンが世話になったな。あんたに怪我を治してもらって、あんなにあったけえ癒しは初めてでサイコーだったって喜んでいたぜ?」


 背の高さはジャグリンよりも少し低くて、キーレイと同じ程度。

 真っ黒い長髪だったジャグリンとは違って、ファブリンの髪は真っ白でぐるぐると巻いてまあるい形に整えられている。

 顔は一切隠されておらず、まつ毛の長い垂れた目の周りは黄色と赤の化粧が施されている。

 鼻は先がつんととがって高く、口は驚くほど大きい。


「じゃあそっちが『慧眼のマリート』さんとやらか。あんたの剣は魔法生物の弱点に吸い込まれていって不思議だって、ジャグリンは感心していたよ!」


 街の噂通り。ニーロの言った通り。

 双子のスカウトの兄弟は、腕がいいのは同じだが、性格や見た目は正反対。

 聞いてはいたが、想像とは違っていた。ジャグリンもファブリンも、キーレイの想像できる範囲の外にいる人物だった。


「ふっふ。サイコーだな。無彩の魔術師、伝説の神官長殿、慧眼の剣士に、王国の元騎士団長だった戦士様。これ以上のパーティができるか? できないだろうな、ふうっ、ふうっ、ふうっ」


 ファブリンは、大きな口をすぼめて、吹くような妙な笑い方をする男だった。

 笑い方も気になるが、キーレイは「伝説の神官長」などという呼ばれ方の方がひっかかる。


「騎士団長などではありませんよ」

「そう聞いているよ。最近やってきたきれいな髭の手練れの戦士は、王国で一番の凄腕、王様がかつて最も信頼していた男だったってね」

「事実がひとつもないのですが……」

「いいんだよ、事実なんかなくったって。あんたはそう見えちゃうんだ。王様の右腕だったんじゃないかなんて、そこらのシロートは絶対に言われたりしないだろう?」

「私も伝説などではありません」

「ははっ! はははっ! なにを言うんだキーレイ・リシュラ! あんたよりも長く迷宮に潜って勝ち続けている探索者がどこにいる?」


 かなりおしゃべりな男だとは聞いていた。

 ジャグリンとは似ていないという話ではあったが、それでも双子なのだから、どこかしら似ているところがあるだろうと思っていたのに。


「挨拶は済んだようですし、行きましょう」

「おお、おお、いいぞ、無彩の魔術師。なんてこった、三日だけなんて約束にするんじゃあなかったなあ。あんたらとならどこまでも行きたいよ。俺は『白』(ここ)がだーい好きだから。何泊だろうが構わない。ジャグリンは俺が戻るまで、おとなしーく家で待っててくれるんだ」


 キーレイがマリートへ視線を向けると、ジャグリンの時よりももっとうんざりとした顔をして口を閉じていた。

 眉間や顎にぎゅうぎゅうに皺を寄せているのは、ファブリンも弟同様、ニーロの髪をいじりたくてたまらないからのようだ。


「あー、あー、いいねえ。無彩の魔術師の髪は良いって話してたんだ。ジャグリンと。俺たちに会いに来た時にわかったんだ。あの灰色の髪に触れたら、俺たちは天国に行けるんじゃないかってさあ。ジャグリンは随分触ったんだってな。俺も触るぞ。絶対にジャグリンより触る。なあ、一束もらってもいいか、記念に。俺たちの探索の記念にどうだい。最後にでいいんだ。解散する時で。ああいや、よくないか。探索を三日も続けたら、汚れちまうもんなあ。汚れちまったら、せっかくのこの灰色が汚れて黒ずんで、白くなくなっちまったら嫌だもんなあ」

「お断りします」

「えーっ、えー、駄目なのかあ? なあ、ジャグリンにもやらなかったのか? もらったなんてあいつは言ってなかったけど、眠っている間に随分撫でたって。そのついでにいくらか、灰色の髪を一本、いや二本かそれ以上か、頂いたんじゃないだろか?」

「マリートさん、扉を開けてください」


 頼まれた剣士は口を閉じたまま動かず、「黒」の時同様、かわりにウィルフレドが扉に手をかけている。

「髪を切るようにって、俺はさんざん言ったのに」

 呻くようなマリートの声に、キーレイはため息をついている。

 ニーロにも声は届いたのだろうが、反応はなかった。



 

 迷宮に入ればまともになるという話は、ファブリンにも適用されるらしい。

 「白」の入り口を抜けると髪の話はやめて、スカウトとしての仕事に適した位置へと進んでいった。

 だが、おしゃべりは止まらないらしい。

 次はどちらへ曲がる、その次はどちらへ向かう。

 何層目にはどんな敵が出て、戦ったらどんなところに注意するべきか、初めて戦った時にはどんな苦労をしがちか、剥ぎ取りはできるか、どんな貴重品を持っている可能性があるか、ファブリンはずっとずっと、いつまでも話し続けている。

 

 喉が渇かないのかな、とキーレイは考えながら後列を歩いていた。

 隣を行くニーロの顔色はそんなに良くはなくて、腕のいいスカウトを探してはいたのだろうが、後悔しているのではないかと思える。

 前を行くマリートからはまた苛立ちが漏れ出していて、ウィルフレドからは冷静さを感じている。

 街で聞いた噂話を本人にぶちまけることもあり、それでも平常心を保つ戦士の頼もしさに、キーレイは感心するばかりだった。


 敵が出ても、ファブリンのしゃべりは止まらない。魔法生物に与えられた名前、どんな攻撃を加えてくるか、何匹で出てくることが多いのか、特徴をぺらぺらと話しながら短剣を振るっている。

 短剣にしては厚みのある重たそうな武器を、ファブリンは軽々と振るって敵を倒していた。

 弟はおかまいなしにまっぷたつにするような戦い方をしており、兄は体のど真ん中をえぐり取るような殺し方をしている。

 なんにせよ、物騒で、強くて、癖があるスカウトなのは間違いない。

 優秀だが、仲間としては長続きしないという噂だった。納得しかなくて、ニーロが気に入っていたらどうしようか、キーレイは歩きながら悩んでいる。


「キーレイさん、なにかありましたか」

「いや、私は」

「なんだいなんだい、なんだってんだい樹木の忠実なるしもべ、リシュラ家の長男の神官長! 足が痛むのか、いや、それはないか。なにせ幼い頃から迷宮を歩きどおしだっていうんだから、さぞかし頑丈な足を持ってるんだろう!」


 会話があったら必ず混じるというルールでもあるのか、ファブリンはどんな些細な話にも割って入った。

 わざわざ後列にやってきてキーレイの足を両手で撫でまわし、やっぱりいい足だったと笑いながら戻っていく。


 本当に大丈夫なのか。ニーロがマリートに確認した理由がよくわかる。

 ウィルフレドには詳細な説明があったのだろうか。

 一方はなにも語らず、一方は語らずにいられない特殊な双子のスカウトなのだと、ちゃんと話していたのだろうか。


 言わずとも、二人ならば耐えられると思っていてくれたのならば、それは信頼の証と言えなくもない。

 こんな考えで自分を励ましながら、異様なやかましさの「白」を行く。



 休憩の時間になると、とうとうファブリンの真価が発揮されることになった。

 ジャグリンと同じように、ニーロの真後ろに立ち、髪を撫で、つまんで、さらさらと流して。

 怪我はないか、疲労は大丈夫か、キーレイの質問を「平気」の一言で流して、夢中で魔術師の頭をいじり倒している。


 ニーロは黙っているが、マリートよりもずっと不快な思いをしているだろう。

 耐え続けている魔術師の方が心配で、キーレイはつい、ニーロへ視線をちらちらと向けてしまう。


「なーんだあ? 神官長様は。俺たちがうらやましいのかな。このきれいなきれいな灰色の髪に、やっぱり触れたくてしょうがないんだな?」


 双子のスカウトたちにとって、ニーロの髪にどんな意味があるのだろう。

 妙な言いがかりになんと答えるべきか、キーレイは悩む。


「もうやめろ。ニーロに触るな」


 とうとう我慢の限界が来たようで、マリートが進み出てファブリンを強く押した。

 よほど体を鍛えているのか、思い切り押されたのにファブリンはびくともしない。右手の上に灰色の髪をひと房乗せたまま、ふうっふうっと笑っている。


「あんたもうらやましいんだな、剣士殿。なんで髪を切れなんて言うんだ。あんたは大馬鹿モンだな。間違っているぞ」

「なんだと、お前。髪は短い方がいい。その方が男らしいんだから」


 マリートの返しに、ファブリンはきょとんとした顔をしてようやく黙った。

 ただ、意味がまったくわからないと言いたげな表情に、マリートはとうとう怒りだしている。


「お前、おかしいぞ。なんなんだ変な化粧なんかしやがって。ニーロにもう触るな、いい加減にしろ」

「これは契約に含まれてるんだ。お前なんぞに駄目と言う権利なんかない」


 二人の会話の流れが理解できず、キーレイは思わずウィルフレドを見つめた。

 戦士も似たような思いでいたのか、ちょうど視線を向けてきたタイミングだったようで、目が合ってしまう。


「マリートさん、好きにしていいという条件で来てもらったのです。スカウトとして働いてほしくて、僕が頼んだのですから」

「ふうっ、ふぅっ! そうだぞ、大馬鹿者のマリート!」

「だけど、ニーロ」

「マリートさん、どんなスカウトとでもいけるのかと聞いたはずです」


 ニーロは腰のポーチを探ると、中から「帰還の術符」を一枚取り出し、マリートに向けて差し出した。


「嫌だというのなら、帰ってください」


 魔術師の手の中で、術符はうっすらと輝いている。

 迷宮の入口へ一瞬で戻るための魔法の文言を浮かび上がらせて、剣士へ哀れみの目を向けている。


 ニーロのすぐ後ろには、ファブリンがいる。ニーロの長い髪の中に高い鼻の先を突っ込んで、ニヤニヤと笑っている。


 マリートの戸惑いが伝わってくる。

 急に弱々しくなった瞳が向けられて、キーレイの胸はひどく痛んだ。



 




 今では「慧眼の剣士」と呼ばれるマリートが迷宮都市にやってきたのは、七年ほど前。

 迷宮都市の片隅でぼろぼろになって倒れているところをカッカーに救われて、屋敷に滞在するようになった。

 ひどく痩せており、しばらく回復に専念しなければならないほどに弱っていて、手当などの手伝いを頼まれ、キーレイはマリートに出会った。


 なにもしゃべらないんだ、とカッカーは言った。確かにマリートはなにも言わなかった。

 けれど、部屋に二人きりになった時。食事を運んできたキーレイへ、マリートはとうとう声をあげた。

「久しぶりだな」

 幻でも見ているのだろうかと、キーレイは思った。だが、水を与えられている間に、マリートはかすれた声でこう話した。

「約束通り、来た」


 スープを口に運んでやりながら、キーレイはじっとマリートを見つめた。

 この時、まだ名前すらわからないやせこけた若者でしかなかった誰かを見続けて、ようやく思い出していた。


「もしかして、あの時の……」


 キーレイがまだ幼い頃、父に連れられて王都へ出かけたことが何度かあった。

 弟や妹が生まれて、母が身軽に動けなかった時期に、父にとって一番役に立つ助手はキーレイだったからだ。

 薬を作って売る先は、迷宮都市だけではない。いいものができた時には王都に持っていけば、ラディケンヴィルスよりも高い値段で捌くことができた。


 父の取引に付き合ったある日、いつもより取引に時間がかかったせいで帰る時間が遅れて、途中にある小さな村で宿をとった。迷宮都市から来た薬屋だと知って、売ってほしいものがあると声をかけてきた者がおり、話がまとまるまで時間がかかるからと、キーレイは村をぼんやりと歩いて商談の終わりを待っていた。


 その時、一人の少年に出会った。鋭い目をした、汚れた服を着た少年だった。

 離れたところから自分を見ている同じ年ごろの少年に気が付いて、キーレイは微笑み、声をかけた。


「イブソルかい」


 名前をやっと思い出すと、やせこけた青年は弱々しく、けれどはっきりと笑みを浮かべた。

 

 キーレイが子供時代に出会った、小さな村にいた少年。カッカーが助けたのは、あの時に少しだけ言葉を交わしたイブソルだった。


 この村に住んでいるのか声をかけて、どこから来たのか聞かれたように思う。

 迷宮都市から来たと話したし、どんなところか問われ、答えたのはなんとなく覚えている。


 キーレイの記憶はこの程度だったが、マリートは一言一句あの時の言葉を覚えていたと言い、いつか必ず行くという約束を交わしたのだと話した。


 どうやら迷宮都市にやってきたはいいが、キーレイを見つけられず、とうとう街の隅で倒れてしまったらしい。

 マリートがどんな人物なのかは、ここから徐々に理解されていった。

 探し求めていた「幼馴染」と出会って安心できたのか、少しずつ話すようになったし、剣の才能があることもわかった。

 


 マリートは不器用な人間だ。

 手先は器用なのに、人と話したり、どう振舞ったらいいのかはまったくわからないようだった。


 ニーロに心を許しているのは、世話を焼いてやらねばならない、可愛い弟のようなものだから。

 ニーロは唯一そんな言い訳をできる相手だし、どれだけ構っても逃げてはいかない。

 マリートの持っていた才能を認め、多少のわずらわしさを許し、自分を仲間にと思ってくれる相手だからそばにいられる。

 だからニーロがいれば、マリートは頼もしい兄貴分でいられる。守ってやらなければと勇気を奮えるようになる。


 カッカーに忠実なのは、自分を守ってくれる父親のような人間だからだ。

 小さな村に住んでいた頃のマリートは、あまり幸せそうではなかった。

 彼自身の父親と母親は既に失われていて、遠縁の人間に育てられているような話をしていた。

 命を救われ、暖かい食事とベッドを用意し、親身になって身の振り方を一緒に考えてくれた恩人だ。

 すこしばかりおせっかいが過ぎると思っているようだが、カッカーに対しては恩を返すべきだと考えている。

 だからカッカーがやってくれば、マリートは必ず扉を開ける。協力すべき時には、きっと駆けつけるのだろう。

 

 マリートにとって、ニーロとカッカーは特別だ。

 この二人以外には、どうしたらいいのか、いつまで経ってもわからないままでいる。

 

 たとえ探索者を辞めてしまったとしても、今、ファブリンが嫌で地上へ戻ったとしても、キーレイとの関係は揺るがない。

 そんな些細なことで揺らいだりしないのに、マリートはすべてが無になってしまうと思い込んでいる。

 

 カッカーもニーロもウィルフレドも、マリートをいなかったことになどしないのに。

 不器用なイブソルはそう考えられない。


 だから、選択肢は一つしかない。




「すまなかった。ニーロ、もう、言わない」

 悲しげな眼をキーレイに向けたまま、マリートはこう答えた。

「そうですか」


 そこまで耐えて、壊れてしまわないだろうか。

 キーレイの中に不安が渦巻いていき、そんな神官の背を、ウィルフレドが優しく叩いた。


 振り返ったキーレイへ黙ってうなずいたのは、どんな会話も聞きつけるおしゃべりすぎるスカウトがいるからなのだろう。 


 ファブリンは満足げにニヤリと笑って、これで休憩は終わり。

 難儀な「白」の探索が、再開されていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ