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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
16_Discrimination 〈白でも、黒でもない〉

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69 引退勧告

 敵が波のように現れる「黒」の迷宮には、小さな行き止まりが多い。

 探索者は休むためのスペースとして利用しているが、当然そこにも敵は突っ込んでくる。


 「藍」あたりまでならば一本で充分な線が、ここでは三本に増えていた。

 ニーロは念のためにと言って床に線を描いたが、犬や猪が近づくたびに薄れて、一番外側の線が消え始めている。


 休憩の間に、神官による手当も行われていった。

 精神的に安定しているかどうかも、キーレイは問いかけてくる。

 ウィルフレドは、まだ大丈夫だと答えた。マリートもそう答えたし、ジャグリンも頷いている。

 ニーロは地図の確認をして、その次に神官の消耗具合を気にかけてキーレイへ話しかけていた。

 敵が多ければ戦士が忙しくなり、戦闘を重ねた結果神官が疲労していく。


 水を飲んだら、剣の具合を確かめる。

 全員が強くなければ、決して進んでいけない「黒」の迷宮。

 評判通りの場所だと、戦士は思った。


「おい、ウィルフレド」


 声をかけてきたのはマリートで、視線は下に向けたまま、仲間の返事を待たずにこう続けた。

「尾が欲しいから、手伝ってくれ」

「尾、ですか?」

「さっき出てきたやつのだよ。灰猿(セーセリット)の尾は幸運を呼ぶからな」


 猿の尻には細長い尾がついていて、付け根は体色通りの灰色だが、先にいくにつれ緑がかった青になっていく。

 迷宮都市の道具屋には幸運のお守りとして売られているものがたくさんあるが、ウィルフレドは猿の尾をまだ見かけたことがなかった。


「あの猿の尾にそんな効果があるのですか」

「ありませんよ。マリートさんがそう信じているだけです」


 ニーロが口を挟んできて、マリートは不服そうに眼を据わらせている。

 だが、頼みに変更はないようだ。


「あれをまるごと切り落としてくれ。途中からでは駄目なんだ」

 そして背後を振り返り、魔術師へこう話した。

「いいだろう、それくらい。細いから切るのに時間もかからない」

「構いませんよ」

「何本あったって構わないぞ。幸運の尾なんだから」

「高くは売れませんから、一本で充分です」


 いちいちニーロが口を挟んでくるのは、本当に猿の尾にはなんの効果もないからなのだろう。

 とはいえ、なにに価値を見出すかは個人の自由だ。これさえあればと思うものを身に着けておきたい気持ちは、よくわかる。

 ウィルフレドにもかつて、お守りがわりに身に着けていたものがあった。今となっては何故あんなものをと思えるがらくただが、あの頃の自分にとってなによりも大切だったし、必要だった。


「生きている間に切り落としてくれ。倒すと嫌な色になっちまうんだ」

 急に採取の難易度をあげて、マリートはニヤリと笑っている。

 色の変化などあっただろうか。ウィルフレドは記憶を探ったが、猿の動きは素早く、尾の色合いの詳細まではわかりそうにない。 

「お前の剣なら一気に切り落とせるだろう?」

 マリートの剣は、猿を一撃で仕留めることはできても、尾を切り落とすには向いていない。

「わかりました。なるべく採るようにしましょう」 


 歩き出すとすぐに猿が現れ、壁を蹴って跳んで探索者たちに襲いかかってきた。

 いちいち背後に回ろうとする動きは厄介で、まっすぐに突っ込んでくる犬が可愛く思えるほどだ。


 意識を向けて初めてわかったが、マリートの願いを叶えるのは至難の業だった。

 灰猿(セーセリット)の動きは素早く、侵入者に向けて叩きつけてくる時以外は尾を丸めて背中に隠している。

 ぐるぐると渦巻く尾を付け根から切り落とすことができず、ジャグリンがとどめをさしてしまう。

 その後現れた猿を三体ほど倒したが、生きている間に尾を手に入れることはできなかった。


「お前でも駄目か」


 マリートの呟くような声が聞こえてくる。

 灰猿の尾の色は、生きている間も死んだ後にもあまり変化があるようには見えず、試しに一頭の尾をウィルフレドは切り落としてみた。

 違いはさっぱりわからない。けれど、慧眼の剣士にとっては同じものではないのだろう。

 試してみれば、武器にもなる尾の付け根はやたらと硬くて、落とすのも容易ではなかった。


「ウィルフレド、気にしないでください。マリートさんはどうでもいいことに細かいのです」


 背後からかけられたニーロの声は小さかった。

 聞きつけられたら面倒だと考えているのだろう。


 些細なやり取りが終わると、先頭を歩くジャグリンが壁を強く叩いた。

 どうやら敵が現れる合図のようで、ウィルフレドは意識を切り替えていく。

 次に現れたのは黒い石を積み上げた不格好な人形のようなもので、生物状の敵のように斬ることはできない。


 背後から力を感じた。

 魔術師の指先が揺れて、空気を変える気配がしている。

 ほんのりとした光がチラチラと瞬き、粒が集まり束になって飛んでくる。

 ウィルフレドとジャグリン、マリートに向かって光は進んで、三人の剣を目に見えない力で包み込んでいく。


 最初は言われなければわからなかった。

 魔術師は特別な力を使って、剣の切れ味を増したり、本来は斬れないものにも刃を通せるようにしてくれるのだと。

 それでやっと、地下迷宮の中を跋扈する「敵」たちと互角に戦えるようになる。


 どんな強敵でも倒してやるつもりだったし、剣が通用しないのなら他の方法を探し、戦いでは絶対に負けないと思っていた。

 だが、動く石の連なりや大きく獰猛な獣に勝つのは難しい。

 

 これまでの人生の中で、どれほど戦いを重ねてきたか。

 ウィルフレドにはわからない。ずっとずっと戦ってきた。

 一人で戦い抜いたこともあるが、戦場には大抵誰かがいた。

 信頼できる仲間も、気を抜けない連中もいた。


 今、迷宮を歩く仲間とは違う。誰も彼もが違っている。

 暗い地の底を、ただ死なないように、生きて戻れるよう歩いていくだけなのに。


「なにを笑っているんだ、ウィルフレド」


 笑っていたか、と戦士は思った。

 そこにまた猿が跳んできて、ウィルフレドは手を伸ばし、今度はうまく尾を掴んでみせた。


 


「もういいでしょう、マリートさん」


 掴んだのに、尾を切り落とすことはできず。

 床に叩きつけても大したダメージはないのか、灰猿はおおいに暴れて、命は失っても尾を守り抜いたまま果てた。


 年下の魔術師に注意されて、マリートは不貞腐れた表情を隠せなくなっている。


「お前が捨てたからだろう、ニーロ」

「あれに幸運を呼ぶ効果などありません」

「どうしてわかる? 魔術でそんなこともわかるのか」

「持っていたのに、三人も命を落としました」


 キーレイが間に入って、二人にやめるよう注意していく。

 マリートはそれで口を閉ざしたが、珍しくニーロの方が黙らなかった。


「あんなもののためにウィルフレドの手を煩わせるのはやめてください」

 キーレイは少し驚いた顔をして、マリートは下を向いてしまった。

 魔術師は眉間に入っていた力を緩めて、表情をいつも通りの涼しいものに戻し、戦士へこう告げた。

「ウィルフレド、ここからは後ろに入ってください」

「なぜですか?」

「通路の分岐が増えるからです。背後から敵が出てくることがありますから、対処をお願いします」

「俺が後ろに行く」

「マリートさんは前です」


 スカウトなのだから、ジャグリンは一番前を行く。

 大型の敵も多い場所なのだから、背後からの攻撃に備えるためには体格に勝るウィルフレドを後ろに置いた方が良いに決まっている。


 ニーロに逆らう気はないようで、ぶつくさと文句を言いながらも、マリートはジャグリンの斜め後ろを歩いていた。

 

 五人組の最後を歩くのは初めてで、目にしている景色の大きな差に感心させられている。

 キーレイが全員の様子をよく理解できているのも、この位置にいつもいるからなのだろう。

 そして今回、珍しくニーロがマリートに苦情を言った理由もよくわかった。

 初対面だし、会話もない。たかだか三日程度で理解しあえるようにはなれない。

 ウィルフレドもそう思うが、マリートにとっては耐えられないほどに不快なのだろう。

 隣を行くジャグリンが嫌で嫌でたまらない。そんな気配が、前を行く剣士から溢れている。


 ジャグリンはなにも言わない。ロビッシュは独り言をよく言っていたし、這うように歩いたのでひどく小柄な印象があり、ジャグリンとは正反対のように思える。

 だが、スカウトとしてはほとんど同じだとウィルフレドは思った。歩いていくうちに、そう理解していた。


 ロビッシュがいた頃、マリートの様子はこんな風ではなかった。

 四番目に好きだと言われていたし、会話だって交わしていた。

 それは単に、何度も探索をともにしていたから慣れただけだったのか、特別に相性が良かったからなのか。

 

 いくつもの通路を行きすぎて、気配を感じウィルフレドは振り返る。

 のっそりと姿を現したのは大きな熊の魔法生物で、すぐに戦いが始まった。

 

 黒の迷宮は大変なところだった。

 前からも後ろからも敵が現れ、余計なことを考える暇がない。

 イライラとしながらも一撃で仕留めるマリートに感心しつつ、一日が終わっていった。




 新たなスカウトを迎えての一度目の探索は、緊張に満ち満ちたものになった。

 ジャグリンは無言で、マリートはイライラ、キーレイとニーロはやることが多く、ウィルフレドは背後からの襲撃に集中し続けなければならず。


 慣れ親しんだ五人組ではないのに「黒」に挑むのは、随分と難しいことだったようだ。

 三日目の夜のたどり着いたのは、十九層目の終わり。下へ続く階段の前だった。


「今回はここで終わりにしましょう」


 夜は来たが、まだ早い。だが、階段で終わるのがちょうどいい。

 先に進めばまた戦いが始まり、脱出の機会が次にいつ訪れるかはわからないのだから。


 十九層目の終わり。

 三日という区切りがあっての挑戦だが、この結果が芳しいものなのかどうかウィルフレドにはよくわからない。

 ニーロ、マリートと三人で「白」に挑んだ時には、四日目までに二十一層まで行けた。だが、敵の出現率がまったく違うのだから、比較しても意味はない。


 今回の探索で死者は出ていない。

 だが、途中でジャグリンとマリートは深手を負った。些細なミスがきっかけになってのことだった。

 一日目にはなかった失敗が、二日目と三日目には起きた。


 奇跡や薬の力で体は回復はできても、心まで万全に整えることはできない。

 忙しなく自分の役割をこなさなければならない「黒」で、仲間として交流を深める暇などありはしない。

 心身ともに疲労を重ねていけば、取り返しのつかない失敗を引き寄せてしまうだろう。

 

 ここで終わるのが最もよいタイミングで、ニーロの宣言に異議を唱える者はいなかった。



 戦いの合間に集めていた「簡単に採れて高く売れる」ものを道具屋に持ち込んで、五等分にし、それぞれにわけていく。

 ニーロとジャグリンたちの間にどんな取り決めがあったのか、余った端数は今日だけの仲間の手に渡っていた。

 

「それでは、今回はこれで終わりです。ジャグリン、ファブリンに予定通り、明後日『白』で待っていると伝えてください」


 大男の反応はなく、伝わったのかどうかは不明だったが、ジャグリンは最後にニーロの髪のひと束を手に取り、しばらく顔を近づけて匂いを嗅ぐようなしぐさをすると、挨拶の言葉もないまま去っていった。


「なんだ、あいつは。ニーロの髪になにがあるっていうんだ」


 マリートが呟いた通り、ジャグリンは休憩の度にニーロに近づいて、起きている間はずっと髪に触れ、顔を近づけ、指先にくるくると巻いていた。

 眠る時にはぴったりとくっついて、なぜか魔術師を長い髪で包み込み、中に閉じ込めようとしているかのようだった。

 ニーロはじっと耐えるだけでなにも言わなかったが、マリートはずっとイライラした様子でジャグリンを睨みつけていた。


 魔術師の青年はいつもよりも少し、疲れた表情をしているように見える。


「今日はここで解散しましょう。明後日の朝から、ファブリン・ソーと『白』へ三日間潜ります。大丈夫ですか?」


 ウィルフレドとキーレイは頷き、マリートは「あたりまえだ」と呟いている。


「マリートさん、本当に平気ですか?」

「大丈夫だ」


 マリートだけに念を押して、ニーロは珍しく目を伏せている。

 あとは家に戻るだけだが、キーレイがそばに寄ってきて、ウィルフレドを食事に誘った。


「まだ時間も早いですし、どうでしょう」


 ニーロはもう家に向かって歩き出している。

 マリートは少し離れたところに立っていて、冷めた目で二人をじろりと睨んでいる。

 

 二人とは違ってキーレイは「まともな食事に癒される」タイプで、この意見に同調し、趣味が合うのはウィルフレドだけなのだという。


「いいですね。行きましょう」


 こんな場面はこれまでにも何度もあって、ニーロに断りなど不要だとわかっていた。

 灰色の魔術師はもうずいぶん先まで歩いていってしまったようで、うっすらとした影しか見えない。


 キーレイには店の心当たりがあるらしく、南へ向けて歩き始めていた。

 これまで、樹木の神官長の選ぶ店にハズレはなかった。なのでウィルフレドもキーレイについていく。


「マリートも一緒に行くか?」


 道の途中で、キーレイはくるりと振り返って、背後からついてくる剣士へ笑いかけた。

 マリートが食事の誘いに乗ったことは、これまでに一度もない。ニーロ同様、興味がないと聞いている。

 

「お前らの行くような気取った店など、俺は絶対に行かない」

「そうか。明日の昼頃に様子を見に行くから、よく休んで、いつもと違うところがあったら必ず言うんだぞ」


 子供のような扱いが不満だったのか、マリートの表情はじっとりとした恨めしいものになっている。

 家へ向かうには同じ道を行かねばならないらしく、剣士は拗ねた顔のまま二人の後ろを歩き続けていた。


「キーレイ、ウィルフレドも」


 「黒」の迷宮から南へ進んで、そろそろ樹木の神殿が見えてくる頃。

 もう少し行けばマリートの家があり、その先にはキーレイの実家がある街角で、よく響く声が二人を捕まえていた。


「カッカー様」

「二人でどこへ行っていたんだ?」

「探索に行っていました。ニーロはもう帰りましたが、マリートも一緒に」

「おお、マリートもいたのか。そういえば昨日も見なかったが、長く行っていたのか?」

「三日だけと決めて行っていました」


 声をかけてきたのがカッカーで、キーレイの発言もあったせいかマリートも二人に並んでいる。

 探索の概要はキーレイが話し、カッカーは難しい顔をして「危険な探索」だったのではないかと顎を撫でている。

 

「大きな怪我はしていないか? 『黒』は無傷ではすまないだろう」

「大丈夫です。ウィルフレドもマリートもとても強いですから」

「神殿の勤めもあるのに」

「最近、若い神官たちも頼もしく成長しています。そういえばカッカー様も、もうお帰りになるところだったのでは?」


 美しい妻と可愛らしい子供が待っているのではないかと、キーレイは穏やかに微笑みながら話している。

 カッカーの話は長くなりがちだという愚痴を一度聞いたことがあり、妻子の話は切り上げるための技の一つなのだろう。


 伝説の元探索者は屋敷へ向かって去っていき、キーレイは小さく息を吐き出している。

 行きましょうとウィルフレドへ声をかけてきて、すぐそばにある目当ての店へと辿りついていた。


「ここは最近料理人が変わって、味が良くなったのです」

「そうなのですか」

 

 探索中に食べられるものは限られている。持ち込んだ保存食か、ささやかな調理をした魔法生物の肉かどちらかだ。

 マリートがいれば、味は格段に良くなる。ありがたいが、それでも所詮「迷宮料理」でしかない。

 キーレイは金の余った商人が通うような高級すぎる店には行かないが、安い店にもあまり行かない。

 雰囲気が良く味の良い店に通じており、キーレイが勧める店ならば間違いないだろうとウィルフレドは思っている。


 美味い食事に少し酒も飲んで、明日はじっくり休む。

 それで「白」の、初対面のスカウトとの旅路も乗り越えられるだろう。

 

 店の奥にあるテーブル席へ通され、二人はやれやれと腰を下ろした。

 明るい笑顔の給仕の男がやってきて、料理長のおすすめだという酒を頼み、果実の盛られた籠へ手を伸ばしていく。


「あのジャグリンというスカウト、不思議な男でしたね」

「そうですね。ニーロのなにがあんなに気になるのでしょう」


 こんな会話を始めたところで、テーブルに大きな影が落ちた。

「大きなテーブルだな、ちょうどいい」


 家に帰ったはずのカッカーが立っている。キーレイにもウィルフレドにもどうやったのかわからなかったが、ニーロとマリートを後ろに連れていた。

 剣士と魔術師は浮かない表情で椅子を引いて、二人の向かいに座る。

 その間にカッカーも腰をおろして、いや参った参ったと言いながら、ここへ来た理由を教えてくれた。


「ちょうど子供たちが寝入ったところで、起こしてしまいそうでな」

 食事がまだだったので外へ出ると、ニーロが通りかかったので捕まえ、どこへ行こうか考えていたら、マリートがこの店を覗いていたので一緒に入ってきたらしい。

「良かった、話したいことがあったから」


 あのカッカー・パンラがやってきたと、店が騒がしくなっていく。

 料理長自らやってきて挨拶をし、おもてなしをさせてくださいと笑顔を振りまいて、食事の準備がこれ以上なく素早く進められていく。


 ニーロとマリートに聞いてもまともに頼もうとしないのはカッカーも承知していて、三人分のメニューが注文されていった。


「ウィルフレド」


 さて、とばかりにカッカーが切り出して、最初に名指しにされたことにウィルフレドは少し驚き、なんでしょうかと小さく答えた。


「屋敷の連中が話していたんだが、結婚の約束をした女性にひどい仕打ちをしたというのは本当なのか」


 カッカーの隣に座っているニーロの表情は変わらない。だが、逆の隣に座っているマリートはにやりと笑っている。

 初めてみる歪んだ笑顔に、ウィルフレドは心底情けない気分になったが、なんとかカッカーへ言葉を返した。


「それは誤解です。屋敷の前で騒ぎになってしまったのは申し訳ありませんでした」

「大勢の前で女性を罵っていたと聞いているぞ」

「違います、すべて誤解です。面識のない人物が突然やってきて結婚してくれと騒いだのです」

「罵ったというのは?」

「あまりにも大声で騒がれたので、私も声が大きくなってしまいまして」


 罵ってなどいない、と、思うのだが。

 悩み深いウィルフレドへ、カッカーの追及は続く。


「面識のない女性が、結婚を申し込むものなのか? どこかで会っていた可能性はないか」

「ありません」

「なぜそう言い切れる?」


 ここまで言われてしまうのは、マージが最後には泣き叫んでしまったからなのだろう。

 足にしがみつくようにして泣いているのを無視して立ち去ったのだから、愛を乞う女を無下にした酷い男にしか見えなくても仕方がない。

 神殿の中で騒ぐのは迷惑だと思って外へ出たのが、完全に裏目に出てしまった。

 あまり人通りはなかったと思うが、カッカーの屋敷の中に残っている者がいたのだろう。

 

「おい、ウィルフレド。お前、随分と酷い男だったようだな」

「いえ、本当にそんな話ではないのです」

「どこで知り合ったんだ。どこの店の女なんだ?」


 帰り道では萎れていたはずのマリートが、急に生き生きとした様子でウィルフレドへ笑顔を向けている。

 元気が出たのならばなによりだが、このまま事実として認定されるのはあまりにも不本意で、耐えられそうにない。


「ウィルフレド、探索者としてうまくいっているのだろうし、金の使い方は個人の自由ではあるが」

「カッカー様、違うのです。確かに結婚をしてくれと言われましたが、初対面の相手でしたし、それに」

「それに、なんだと言うのだ」


 できれば言いたくなかったのだが。

 ウィルフレドはため息をついて、仕方なく「自分にとっての真実」を語った。


「女性の格好をしてはいましたが、あれは男でした」


 騒がしかったテーブルは一気に静まり返って、カッカーもマリートも口を閉ざしたきりになってしまった。

 給仕の青年が料理を運んでくると、キーレイがウィルフレドの肩を叩いて、それでようやく元神官長が口を開いた。


「そうだったのか、それは、……なるほど」


 運ばれてきた料理のお陰で、場はなんとか繋がっていた。

 肉料理の豊かな味わいが体中に広がっていき、探索中に溜まったストレスが少しずつ晴れていく。


「その、女の格好をした男のことを、キーレイは知らなかったのか?」

 カッカーに視線を向けられ、キーレイは慌てた様子で首を振った。

「迷宮で保護をした女の子が尋ねてきてくれたのです。ティーオがいなかったので、私が代わりに話をしていまして」

「そうなのか。今はどこにいるのかな。もう故郷へ戻ったのか」

「いえ、その……。どうでしょうね、詳しくは聞けていないのです。男性が怖いのは変わらないようで、直接はあまり話せなくて」


 ウィルフレド相手に大騒ぎした相手を連れていたとは言えず、キーレイは口ごもる。

 カッカーの意識は男性恐怖症の話に引っかかったようで、それならば仕方ないと納得したようだ。


「そうか、わかった。屋敷の者たちには、あまり無責任な話を広めないよう伝えておく」


 勝手な噂話で責めてしまったことをカッカーは丁寧に詫び、ウィルフレドは仕方ないことだと返していった。

 髭の戦士の初めての醜聞はこれで解決し、しばらく舌鼓を打ったあと、カッカーからの二つ目の話が始まっていく。


「マリート」

 隣から強い視線を向けられて、油断していた剣士は慌てて背筋を伸ばしている。

「マリートはまだ探索を続けていくつもりなのか?」


 探索者になってから、七年近く経つ。

 マリートがその間に何度か命を落とし、大きな怪我も負ってきたことを、カッカーは淡々と話した。


「私は近いうちにあの屋敷を出るつもりだ」

「そうなのですか」

「ああ、とは言っても、遠くへ行くわけではない。街の北東側に新しく家を建てようと思っている」

「北東側、ですか」

「王都からの馬車がたくさん着くところがあるだろう。あそこよりももっと東寄り、街の外側に自宅と、初心者が訓練できる場所を作ろうと思っている」


 カッカーが迷宮都市から出ようと考えていたことは、全員が承知していた。

 ラディケンヴィルスは子育てに向いていない。商人たちは多くが家庭を持っているが、みんな他所の街に別宅を用意してそこで子供を育てている。


「北にいけば小さな町があるんだ。大きな教会があって、子供たちはそこで学んだり、交流したりしているようでな。馬車があればすぐに行き来できる距離だから」


 カッカーはまだ、街へやってくる無謀な若者のために手を差し伸べたいと願っているらしい。

 確かに、なにも知らないまま迷宮になど入らない方がいい。

 剣の扱いも、罠の恐ろしさも知らないまま、人生を棒に振る若者がどれだけいるか。

 まだ短い迷宮都市暮らしの中で、ウィルフレドも随分目にしてきた。

 キーレイやカッカーは、その何十倍もの悲劇を見てきたのだろう。

 心構えや準備ができれば、彼らは生きて帰れるようになる。

 どれだけ恐ろしいものかわかれば、違う人生について考え、自分にふさわしい幸せを見つけられるかもしれない。


「家はこれから建てるが、どうだ、マリート。剣の講師になってくれないか。剥ぎ取りや加工も教えてくれたら助かる」

「カッカーの旦那、あの……」

「マリート、もう充分じゃないか。探索で得られるものは多いが、長く続けていくものではないだろう。これ以上ダメージを受けるのは、良くないと私は思う」

 傷は癒えても、完全な元通りにはならない。自身もそんな経験があるカッカーの言葉は重い。

「そうだろう、キーレイ」

「え、ええ、まあ。……そう、でしょうね」


 同意をしたキーレイを、マリートは恨めしい顔で睨んでいる。


「ウィルフレドもどうだ。未来ある若者たちの為に、力を貸してもらえないだろうか」


 まさか自分まで誘われるとは思わず、戦士は言葉に詰まる。


「キーレイも、探索はそろそろ終わりにしてはどうかと思うぞ」


 神官長としての仕事もあるのだから、カッカーがキーレイに引退を勧めるのは当然なのかもしれない。

 ほんのりと笑みを浮かべたものの、キーレイもはっきりとした返事はできずにいるようだ。

 

 引退勧告を受けた三人はそれぞれ、水や酒を口元に運んで考えを巡らせている。

 テーブルに満ちた重たい沈黙は、意外にも最も若い魔術師が破ってくれた。

 

「僕には言わないのですね、カッカー様」

「言って聞いてくれるのか、ニーロ」

「いいえ、聞きません。この三人も同じです。少なくとも今は、誰も探索者を辞めたりはしません」


 明後日には「白」に行く。試しに行ってみて手ごたえがあれば、最下層を目指す。

 ニーロははっきりと宣言をすると、たいして手をつけなかった皿を残して立ち上がり、店を出ていってしまった。

 マリートも立ち上がって、慌てたように後を追い、テーブルには三人が残されている。


「もう少しまともに食べてもらいたいのだがな」


 カッカーはこう呟き、ニーロの残した皿を手前に引き寄せている。


「カッカー様」

「いいんだキーレイ。こうなるのはわかっていた」


 いつか必ず、無事に引退してほしいだけだ。

 カッカーの言葉はいつまでもしんみりとテーブルに残って、ウィルフレドは二人とともに静かな夕食の時を過ごした。


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