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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
16_Discrimination 〈白でも、黒でもない〉

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68 合わない

 カッカーが外出先から戻ってきて妻の姿を探していると、夫婦の部屋の隣、相談部屋にいることがわかった。

 子供が眠っているからか部屋を繋ぐドアが開け放たれており、ヴァージの向かいにはニーロの姿が見える。

 

 父親が帰ってきたことに喜んで飛びついてきた長女のリーチェを抱いて頭を撫でると、音を立てたせいか次女のビアーナが泣き始めてしまった。

 ヴァージが振り返って立ち上がろうとしたのを手で制して、つまらなそうな顔をしたリーチェを下ろし、かわりにまだ小さな赤ん坊を抱きあげる。

 父の大きな手では嫌なのか、すぐに泣き止んではくれないようだ。

 胸にしっかりと抱いて、ゆらゆらと揺らしてやる。なかなか泣き止ませられないカッカーを見かねたのか、リーチェがそばに来て、歌を歌ってくれた。

 愛らしい姉の声に揺られて、ビアーナの涙が引っ込んでいく。


 慌ただしく暮らすカッカーにとって至福の時間が訪れていた。

 


「僕の力で『白』と『黒』の最下層まで行くことは可能でしょうか?」


 まだたどたどしいリーチェの歌の合間に、物騒な会話が紛れ込んでくる。

 ニーロが聞きたいのは、スカウトとして探索に挑んだ場合についてのようだ。

 随分腕をあげているらしいが、さすがに無理ではないかとカッカーは思う。


「魔術師の仕事もしながらというのは無理よ」


 ヴァージの言う通り、スカウトは一番前を行かねばならない存在だ。

 脱出を使う魔術師がいるべき位置ではない。最も危険で、命を落とす可能性がぐんと高くなるポジションなのだから。


「……キーレイさんが、『脱出』をものにできそうなのです」

「キーレイが? でも、神官の消耗が激しいところだとあてにするわけにいかないでしょう。『橙』だとか『緑』ならやれるかもしれないけど」


 いつの間に、とカッカーは眉間にしわを寄せている。

 神官一筋で鍛えてきたキーレイが、毎日毎日随分忙しそうにしているのに、どうやって魔術を身につけたのだろう。


「腕のいいスカウトは、見つけてはいるのですが」

「なにか問題があるの?」


 ビアーナは父の腕に揺られて、うとうとし始めたようだ。

 リーチェはすぐにそれに気が付いて、歌をやめ、静かに床の上に座りこんでいる。


「マリートさんと合わないと思うのです」


 ニーロの言葉に、カッカーは思わず笑いを漏らしてしまった。

 重たく低いカッカーの笑い声は短かったが、響いたようでビアーナが泣き出してしまう。


「とうさま、大きな声、めーよ」

「そうだな、父様が悪かった。また歌ってくれないか、リーチェ」


 長女はぷうっと頬を膨らませて父を叱ったが、すぐに妹のために歌い始めてくれた。

 ヴァージはちらりと目を向けたが、大丈夫だと判断したのだろう、すぐに魔術師との話に戻っていく。


「マリートとすぐに打ち解けられる人なんていないでしょう。気にしないで、付き合わせたらどう?」


 ビアーナをあやすのに夢中で、ニーロの反応がどんなものだったのかカッカーにはわからなかった。

 けれどヴァージはため息をついて、こんな風に答えている。


「じゃあ、マリートの代わりを探してみたら?」


 魔術師やスカウト、神官を探すのは難しいが、戦士ならば見つけやすいだろう。

 普段は他の人間と組んでいたとしても、ニーロに声をかけられれば喜んで付き合ってくれるに違いない。


「確かにマリートの腕はとてもいいけれど、最近また引きこもっているんでしょう?」


 魔術師の返事は聞こえてこない。悩んでいるのかもしれない。

 ニーロは最下層にたどり着きたい。「白」にも「黒」にも何度も挑んでいる。だが、深い層にはまだ辿り着けていないようだった。


 六層ごとに設けられている回復の泉。一つ目の泉には、それなりの速度で行ける。けれど二つ目にたどり着くのは難しい。

 三つ目、四つ目と、難易度は跳ね上がっていく。どれも同じ六層ごとなのに、道のりの重さは増していく。

 

 だから深く潜りたいのなら、信頼できる誰かと共にいくべきだった。

 ニーロにとってマリートは、長い探索に欠かせない相手で間違いないとカッカーは思う。

 どんなスカウトを探してきたのだろう。気になるが、ビアーナはまたうとうとし始めていて、今は絶対に刺激できない。

 リーチェがズボンをぎゅっと握っているせいもあって、結局二人の会話は子守の間に終わってしまった。



「いい子ね、リーチェ。お歌をありがとう」

 母の用事が終わったのが嬉しいようで、リーチェはぴょんぴょんと飛び回って喜んでいる。

「マリートはどうかしたのか?」

 眠ったビアーナを受け取りながら、ヴァージは肩をすくめてこう答えた。

「なにがあったのかは詳しく聞いていないけど、『黄』から帰った時に嫌なことがあったんですって」

「あんな物騒なところになんの用があったんだ」

「物騒かどうかなんて、ニーロには関係ないのよ」


 詳細は不明だがとにかく、マリートはしばらく姿を見せていないという。

 そうなると気になってしまって、カッカーは夜になってからすぐ近くにある剣士の家に向かった。



 マリートが迷宮都市に来た時期ははっきりしていないが、カッカーと出会ったのは七年ほど前のことだ。

 街の片隅には時々、行き場を失った若者が倒れている。

 マリートもそうだった。大抵はどこかの神殿からやってきた神官に救われるが、人通りのない場所にいたせいか手を差し伸べられるのが随分遅くなってしまったようだった。

 たまたま通りかかったカッカーに発見されたマリートは、ひどく弱っていた。痩せていたし、汚れていたし、からからに乾いていた。

 見かねて連れて帰り、しばらくの間屋敷で面倒をみた。少しずつ回復していったものの、長い間名前すら言わない日々が続いた。


「マリート、私だ」


 何も言わない若者から名前を聞き出したのは、看病の手伝いに来てくれたキーレイだった。

 穏やかな神官は物言わぬ青年に水をやり、スープを飲ませ、体をきれいに拭いて、辛抱強く世話をしてくれた。

 

「いないのか?」


 キーレイと話すようになり、マリートはそれから徐々にカッカーにも慣れていったようだった。

 体を回復させてから、少し後にやってきたピエルナ、ニーロと打ち解け、探索に行くようになり、剣の才能を開花させていった。


「マリート、無事なのか」


 扉の前で待ち続けるとようやく、家主が顔を見せた。

 ニーロかキーレイがいてくれればもう少し明るい表情をするのに、カッカーだけではそうはいかないらしい。

 やけに緊張した様子の剣士の顔色を確認して、カッカーはしばらくの間、マリートと話をして過ごした。




 すっかり夜が更けたが、小さな黒い家の主はまだ机に向かっている。

 ウィルフレドはそろそろ休もうと決めて、二階へ上がろうとしているところだった。


 突然扉が荒々しく叩かれて、ニーロは眉をひそめている。

「私が出ましょう」

 貸家と売家が並ぶ通りの境目にあるせいか、時々たちの悪い酔っ払いが現れる夜があった。

 ニーロでも対処はできるが、ウィルフレドの方が話は早い。

 そう考えて扉を開けると、もう一度ノックをしようとしていたのだろう、マリートは振り上げた拳を勢いよくウィルフレドに向けて打ち付けてきた。

「こら、マリート。すみません、ウィルフレド」

 興奮した様子のマリートと、その背後にはキーレイの姿がある。

 来訪者がこの二人だとわかって、ニーロも机から離れ、玄関へとやってきた。

「どうしたのですか、こんな時間に」

「ニーロ、お前、どうしてなんだ」

「すまないニーロ、止めたんだがどうしてもと聞かなくて」


 とにかく中で話そうとウィルフレドが言うと、マリートは忌々しげな顔をして戦士を睨んだ。

 家の中に入りながら、キーレイがかわりにまた謝って、ウィルフレドは部屋の隅から椅子を運んできて二人に差し出している。


「俺を外して探索に行こうとしてるんだって?」


 マリートの発言は唐突なもので、ウィルフレドには事情がわからない。

 キーレイはここに来るまでに聞いてきたようで、まだそんな話にはなっていないのだから、と諭している。

 怒鳴りこまれた張本人であるニーロは、呆れた顔をして小さくため息をついていた。


「カッカー様になにか言われましたか?」

「そうだよ。ちゃんと外に出て、話をした方がいいってな!」


 「白」か「黒」の迷宮の最下層へ挑みたい。

 キーレイとウィルフレドは、最近ニーロからそんな話を持ち掛けられていた。

 だが、まだ具体的な話にはなっていない。マリートを外すとも聞いていない。

 どちらに挑むにも腕の良いスカウトが必要であり、まだニーロが探している最中だと考えていた。


「マリートさん、早とちりです」

「早とちりだと?」

「僕はヴァージさんと話をしただけで、なにも決めてはいません。カッカー様は、僕たちの話をちゃんと聞いてはいませんでした」

「じゃあ、俺を外す予定はないんだな」


 マリートのこの問いかけに、ニーロは黙ってしまってなにも答えなかった。

 それで剣士は激しく狼狽し始めて、隣のキーレイに落ち着くように注意されている。


「ニーロ、スカウトはもう見つけたのか?」

「見つけはしました」

 中途半端な答えに、キーレイも顔をしかめている。

「そんな言い方ではマリートだって不安になるだろう。なにか問題があるのか?」

「そいつと俺が合わないから、前で戦う奴を別に用意しようとしているんだろう? そんな馬鹿なことがあるか。俺は誰とでもちゃんとやれるぞ、ニーロ」


 珍しく、無彩の魔術師は大きくため息をついている。

「本当ですか。マリートさん、本当にどんなスカウトとでも行けますか?」

 まっすぐに問われて、剣士は口を噤んでしまった。そんな仲間の様子を見かねたのか、キーレイがかわりに問いかける。

「誰なんだ、ニーロ。スカウトの名前は?」

「双子の兄弟です。キーレイさん、ご存じですか?」

「ファブリンとジャグリンか」

 さすがに迷宮都市暮らしの長い樹木の神官長は知っていたようで、なるほどと呻いている。

 ウィルフレドには心当たりがないが、迷宮都市では貴重な腕のいいスカウトが、兄弟そろって、しかも双子で存在しているとはと驚いていた。

「マリート、知っているか?」

「双子の、なんだか変な奴らなんだろう。噂くらい、俺だって聞いたことがある」

「話はついているのです。『黒』にはジャグリンと、『白』にはファブリンと、それぞれ三日間ずつ試しに行くと約束をしました」

「三日だと? 三日くらい、平気だ。俺は平気だぞ、ニーロ」


 マリートの剣幕におされたのか、ニーロは「わかりました」と答えた。

 最初に「黒」へ行き、一日休んでから「白」に行く。そういう約束になってしまったと話し、キーレイとウィルフレドにもそれでいいか確認を求めている。


「私は構いません。いつでも行けます」

「一日待ってくれるか、ニーロ」

「もちろんです。キーレイさんの都合に合わせます」

「顔合わせは?」

「断られました。探索以外には付き合わない主義だそうです」


 こうして「白」と「黒」への挑戦が決まり、話は終わった。マリートはキーレイに連れられて帰っていき、ウィルフレドはニーロに質問を投げかけている。


「双子のスカウトがいるのですね」

 ニーロはゆっくりと頷き、世にも珍しい兄弟の名を仲間の戦士に教えた。

「ファブリン・ソーと、ジャグリン・ソーです。双子だという話ですが、容姿はまったく似ていません。正反対と言っていいでしょう」

「マリート殿とだと、なにか問題があるのですか?」

「二人とも、マリートさんとでは合わないと考えています」

 それでも本人が行くというなら仕方ない、とニーロは言う。

「合わないというのは、性格的に?」

「もう気付いていると思いますが、マリートさんは初対面の人間とまともにやりとりはできません。僕かキーレイさんがいればなんとか取り繕いますが、慣れるまでには相当な時間がかかりますし、絶対に相容れない場合もあるのです」


 辛辣な言葉にウィルフレドは思わず笑ってしまったが、確かにマリートの反応はその場にいる人間によって随分変わってくる。

 ニーロがいれば問題はなく、キーレイがいればなぜか反抗的になり、二人がいなければ黙りこくってしまうようだった。

 カッカーかヴァージがいれば、なんらかのスイッチが入るようではあったが、ウィルフレドだけでは会話がほとんど続かない。


「『白』も『黒』も、精神的な強さが求められる場所です。余計なことで消耗していては、底まで進むのは難しいのです」

「マリート殿の代わりに、誰か戦士を探すつもりだったのですか?」

「ヴァージさんがそう助言してくれただけです。カッカー様が聞いていて、マリートさんに伝えてしまったのでしょうね。確かに戦士ならば見つけやすいですから、自分が外されると考えてしまったのでしょう」


 まだ若い魔術師の青年は物憂げな表情をして、なにも見えない窓の外の暗がりを見つめている。

 そしてしばらくしてから、小さな声でこう呟いた。

 マリートほどの者は滅多にいない。

 偽りのない、本心から出た言葉なのだろう。この一言こそをマリートに聞かせてやりたかったとウィルフレドは思った。



 一日を準備に費やし、二日後の朝。

 「黒」の入口へ向かうと、大きな影のような男が立っていた。


 迷宮都市に集う男たちの中でウィルフレドはかなり大柄なのだが、その男は背中を丸めた状態で既に戦士と同じ程度の身長があった。

 今日「黒」へ共に行くのは、弟の方のジャグリン・ソーだという。

 ジャグリンらしき男は黒い長い髪を腰のあたりまでだらだらと伸ばし、垂らしっぱなしにしている。

 そのせいで顔もよく見えない。ウィルフレドのものと変わらないほどの大剣を背負っていて、体の大きさも含めてまるでスカウトらしからぬ出で立ちをしていた。

 今日共に行く「仲間」に気が付いているのかいないのか、微動だにしない。

 けれど入り口にたどり着くと、急に動き出して、ニーロにぴったりとくっついてしまった。


「ニーロ殿」

 ジャグリンはニーロの頭の上に顎を置くようにして立っている。挨拶すらせず、黙ったままだ。

 黒い長い髪がだらだらと垂れて、若い魔術師を取り込もうとしているようにすら見えた。

「なぜなのかはわかりませんが、どうしてもこうしたいようなのです」

「こうしたいというのは、今の、ニーロ殿と密着した状態になりたいと?」

「そうです。迷宮に入ればちゃんとすると聞いています」

「迷宮以外では?」

「気になるものに寄っていたいんだそうです」


 寄る、という表現では収まっていない。一つになってしまいたいと考えているのではないか。

 ウィルフレドは何度か声をかけたが、ジャグリンはすべて無視して答えない。

 マリートどころか、この様子では誰とも合わないのではないか。

 迷宮に入れば解決するというのも信じがたいが、ニーロとは話がついているわけで、どうにかすれば交渉はできるのだろう。

 どうやって、とウィルフレドが悩んでいると、道の向こうから仲間が二人歩いてくるのが見えた。


 戦士の姿に気が付いて、マリートたちの歩みが早まっている。

 近づいてきて、キーレイからは朝の挨拶の声が聞こえた。ウィルフレドはそれに答えたが、やはりジャグリンの反応はない。

「ニーロは? 買い物にでも行っているんですか?」

「ここにいます」


 どうやらジャグリンの影に入りすぎていて見えなかったようだ。

 スカウトにぴったりと寄り添われていることに気が付いて、マリートの顔が歪んでいく。

「なんだ、お前は。ニーロ、なにをしているんだ」

 どうしてもこうなってしまうという説明に、二人は戸惑っているようだった。

 納得いかずにマリートがまた文句を言ったが、やはりジャグリンはぴくりとも動かない。


 スカウトの内側から声がする。

 荷物は準備できているか確認するように言われ、報酬は五等分でいいか問われ、探索前の支度が終わる。


「では行きましょうか」


 ニーロの声がして、やっとスカウトの影から魔術師が抜け出していった。

 順番にはしごを降りて、扉の前に並んでいく。

 扉の前につくとまたジャグリンがニーロにぴったりとくっついて、黒い長髪でできた檻の中に魔術師を入れてしまう。


「おい、お前、ニーロにくっつくな」

 マリートがつけたケチに、反応はない。

「本当にスカウトの仕事ができるんだろうな?」

「大丈夫らしいです。マリートさん、扉を開けてくれませんか」


 誰もが戸惑う状態だったが、考えてみればニーロが今の状態を喜ばしいなどと思っているはずがなかった。

 一番嫌なのはニーロで、早く解決したいに決まっている。

 マリートは怒っているようなので、ウィルフレドが前に出て「黒」の扉を開いた。

 すると突然、ジャグリンはニーロから離れて、迷宮の中へ飛び込んでいってしまった。


 四人が後を追うと、大柄なスカウトは通路のど真ん中で思いきり背を反らし、雄たけびを上げている。


「ジャグリン、騒いでは魔物が寄ってきます」


 「黒」は唯一、いや、「青」は定かではないのでひょっとしたら唯一ではないかもしれないが、とにかく一層目、入ってすぐのところで敵が出現する迷宮だった。

 運が良ければ犬が、悪ければ猪が駆けてきて突っ込んでくる。

 どんなに力が強くても、猪の勢いには勝てはしない。まともに真正面からぶつかれば吹っ飛ばされてしまうだろう。


 だが、ジャグリンならば平気かもしれない。天井に頭がついてしまいそうな程大柄な体は、筋肉が盛り上がっていて逞しい。

 罠を見抜き、解除をするスカウトは、どちらかと言えば手先が器用で小柄なタイプが多い。

 なにもかもがスカウトらしからぬジャグリンだったが、少し進んでいった先で更にスカウトらしからぬ姿を四人に見せている。


 「黒」の迷宮に入った者が大抵、最初に出会うのは地這犬(ドゥークレー)という魔法生物だ。

 ジャグリンの雄たけびに呼ばれたのか、地這犬(ドゥークレー)が通路の先から駆けてくる。

 体は小さく、とにかく早い。小さいが噛む力は強く、鋭い爪で襲い掛かってくる恐ろしい敵だった。


 マリートとウィルフレドは剣を抜こうと構えたが、その前にジャグリンが飛び出していく。

 大剣を振り上げ、低い声で叫び、地這犬(ドゥークレー)をど真ん中で真っ二つに切り捨ててしまった。


「おい!」


 そんな倒し方があるか、とマリートは言う。

 毛皮も肉も台無しの真っ二つでは、報酬がなくなってしまうのだから、剣士の怒りは本来ならば当然のものだ。


「マリートさん、今回は三日と期限が限られた探索です」

 ジャグリンに掴みかかろうとするマリートを、ニーロが間に入って止めた。

「三日でできる限り深く進みたいのです。ですから、今回持ち帰るのは採取に時間のかからないものだけでお願いします」

「うん……」

「肉の調達もしなくていいよう、保存食は多めに持ってきています」

「そうなのか」

「ウィルフレドに持ってもらっているのです。これは先に言っておくべきでしたね。僕の落ち度です。すみません、マリートさん」


 マリートの勢いはみるみる萎んでいって、気の毒なほどだった。

 凶暴な犬の魔法生物の皮は、きれいに剥がせれば高い値で売れる。「黒」は毛皮目当ての強者の仕事場でもあった。

 だが、丁寧な作業には時間がかかってしまう。先を急ぎたい今回の旅では、犬は切って捨てるしかない。


 この条件について、ウィルフレドは先に聞かされている。反応からして、キーレイにも知らされていたようだ。

 

 九つある迷宮の中で、「黒」は最も戦いの激しくなる場所だと考えられている。

 そして通路の一部は曲線を描いていて、とにかく地図が作りにくい。かわりに、罠の数は控えめなのだという。

 ジャグリンは戦闘力が高く、スカウトとしては異様だ。だが、とにかく「黒」に向いている。


 先頭を行くジャグリンは鋭く剣を振って、次から次へ魔物たちを切り捨ててしまっている。

 他の迷宮に行った時にはちゃんと「最も良い」倒し方をできるのどうか、ウィルフレドにはまだわからない。


 楽しみにしていた「黒」で、戦士はまだろくに戦えていなかった。

 罠があっては困るから、ジャグリンよりも前に出るわけにはいかない。それはマリートも同じで、二人とも自分が担当するべき仕事をこなすことができないでいた。

 もちろん、階が進めば事情は変わっていくのだろう。その時に活躍すればいい。ウィルフレドはそう考えていたが、隣を歩くマリートの表情は渋い。


 ジャグリンとは合わないと思う。

 ニーロは珍しく悩み深げな様子だった。

 単に性格の話だけではなかったのだろう。


 ウィルフレドの視線にマリートが気が付いて、ぷいと顔を逸らされてしまった。

 キーレイもニーロも、あなたにもそろそろ慣れるはずだから、と言う。

 これまでに何度も共に迷宮へ潜ってきたが、親しくなれるまでにあとどのくらいかかるのか、ウィルフレドにはわからない。


 地図を頼りに六層まで一気に進んで、一つ目の泉にたどり着く。

 ここに来るまでに飛び出してきた犬たちはみんなジャグリンに切り捨てられていた。

 大柄なスカウトは戦士として戦いながら、地図もよく確認していて、罠があれば他の四人へ合図を送って歩みを止めている。

 どうやら「黒」に随分慣れているようだった。地図を出しはするが、じっくりと見つめることはなかったし、確認しなくてもどちらに曲がるべきかわかっている分岐点はいくつもあった。

 当然ながら、敵の足音がするたびに構えてはいる。いつでも戦う準備はしていたが、ジャグリンが狙いを外すことはないまま泉に辿りついていた。


 少し休憩をとることになり、ちょうどよく開けた場所まで進んで、ニーロは黒い床におまじないの線を描き始めている。

 キーレイはほっとした様子で息を吐いていて。

 ジャグリンはじっとニーロを見つめている。

 そんなジャグリンを、マリートは恨めしい顔をして睨んでいた。

 

 バラバラと立つ仲間がどう動くのかウィルフレドが待っていると、ニーロが最初に動いて、奥の壁のそばに荷物を置き、腰を下ろした。

 ジャグリンがそれを追っていって、ニーロのすぐ隣に座り込んで、髪に触れている。

 マリートはそれをただ見つめるだけ。ひどく頼りない表情をしていて、幼い子供のようだった。


 声をかけるべきか、ウィルフレドは悩んだ。だが、声をかけるとして、なんと言えばいいのだろう。

 気にするなというのもおかしいし、活躍するのはこれからだぞ、などと言える立場でもないように思えるし。

 フェリクスやティーオのような素直な若者ならば、それなりに言葉は用意できる。しかしその思いつく言葉のすべてが、今のこの場にはふさわしくないだろう。

 

 髭を撫でながら悩むウィルフレドの脇を、キーレイがすり抜けていった。

 大丈夫だと伝えるような横顔で歩いていって、マリートの背に手を乗せている。

 なにも言わずとも意思は伝わるらしく、剣士の肩から力が抜けていく。

 顔を見合わせて、キーレイが小さく頷いて。それで解決できたのか、剣士の表情から頼りなさは消えていった。

 

 短い休憩の時間が過ぎて、再び「黒」を歩いていく。

 七層目になると明らかに敵が強くなり、犬は大型の紫狼(デイズマ)に変わった。

 紫色でもなく、狼でもない魔法生物の名づけは誰がしたのか謎に満ちているが、ジャグリンが一撃で倒せる強さのものではないようだ。

 ようやく出番が回ってきて、ウィルフレドもマリートも戦いに身を投じている。

 倒すなり次が現れ、息をつく暇もない。


 八層目になると灰色の毛をした猿が現れて、壁を蹴って進む素早い動きに惑わされた。

 まんまと背後を取られて振り返ると、一撃でとどめをさしたらしいマリートが笑っている。

 その様子にウィルフレドはなぜかほっとして、ようやく緊張が解けたように感じた。


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