67 迷宮都市の少女(下)
「ごめんな、いきなり。でも、ララはマージって人の家の場所を覚えていないというし、君に頼るしかなくって」
食事代は二人が奢ってくれるという。
ティーオの表情は明るく快活そのもので、悪人にはまったく見えない。
付き添いらしきフェリクスという青年の眼差しは鋭いが、誠実そうであり、こちらも悪い人間とは思えなかった。
「あなたたちがマティルデを助けて、看病していたの?」
「最初はね。あの時は女の子が仲間にいたから、その子の部屋で面倒をみてもらっていたんだけど、その女の子も故郷に帰ることになっちゃってさ」
なので樹木の神官長の家で預かってもらうことになった、とティーオは話した。
「ああ、お金持ちだっていう神官長さん?」
「お金持ち? うーん、まあ、そうなのかもしれないけど。そんな言い方はちょっと」
「ごめんなさい、ララがそう言ってたから」
「ララが?」
フェリクスの表情が曇って、キャリンは失言だったのではないかと焦っている。
彼らには、お金持ち以前にちゃんと信頼すべき神官だと思われているのだろう。
「キーレイさんの家は、あ、キーレイさんっていうのが樹木の神官長をされている人の名前なんだけどね。とにかく、部屋が用意できるからって面倒を見てくれていたんだよ。だけど男を怖がってるって聞いて」
「マティルデは迷宮の中でいきなり襲われた上に、一緒に来ていた幼馴染に見捨てられちゃったらしいの。それで怖くなったって」
「なんてこった。あの子にそんな酷いことが?」
二人の青年はマティルデを助けたが、話したり会ったことはない。
意識を取り戻したのは、樹木の神官長が引き受けたあと。
マティルデはただ「とても親切な人が助けてくれた」としか言っていないので、この話が本当なのかどうかキャリンにはわからない。
悩める女性店員の様子を、二人の青年がじっと見つめている。
男性が怖いと感じているあの少女に、引き会わせるべきなのか?
命を救ってもらったのなら、感謝すべきだろう。礼の一言くらい、言ってしかるべきではある。
でもそれは、マティルデがそう感じて行動すべきなのであって、彼らから強要されるのは違うように思える。
マティルデはとても可愛らしい少女だから。
ティーオという青年は優しそうだが、彼だって「年頃の男性」だ。
命を救ったからといって、なにかしらマティルデに求めてくるかもしれない。
なにも持っていない少女が、お礼に渡せるもの。彼女自身しか、今のマティルデにはない。
「キャリン、あの……」
負の感情の渦にぐるぐると巻かれるキャリンの名を、フェリクスが呼ぶ。
「マティルデという子は、元気になったんだな?」
「はい。元気にはしてます」
ただ、無事かどうかはわからない。あれから三日経ってしまって、マージたちとどう行動しているか、予想がつかない。
「だったらいいんだ。本当にひどい状態だったから、回復できるか心配していたんだよ」
「え?」
「ティーオは一生懸命面倒を見ていたし、必要であれば故郷へ送っていったりだとか、協力できればと考えていたんだ」
「ちょっとフェリクス、やめてくれよ、そんなことを言うのは」
「だって男が怖いのなら、会うのは難しいだろう。無事でいるならそれでもういいじゃないか」
悩ませてしまったようでごめん、とフェリクスは言う。
ティーオもはっとしたような顔をして、友人と一緒になって頭をさげた。
「俺たちは樹木の神殿の隣にいるから。もしもどうしようもなく困った時には、訪ねてくれて構わないと伝えてくれないかな」
二人は支払いを済ませて、さらりと去って行ってしまった。
疑いを向けていることがわかったのだと気が付いて、キャリンは恥ずかしい気分で店へと戻る。
優しい青年たちだった。彼らは欲望に負けない、誠実な人間だったのかもしれない。
でも、ひょっとしたらすべて嘘なのかもしれない。ララは口が軽いから、話を聞きつけただけの悪い奴らの可能性もあるのではないか。
助けた誰かを騙っていて、マティルデを罠にかけようとしているのかもしれない。
自分の判断が正しいのかわからなくて、頭が痛い。
ため息まみれのまま労働の時間を終えて、帰りの馬車を待つ。
「ねえキャリン。男の子とどこかに行ってたって本当?」
同じ店で働いているマシュリはニヤついた顔で、キャリンの背中をつついた。
「ええ、キャリンが? どうして、どこの誰となにをしていたの」
「そうよ、キャリンがとうとう男の子と、しかも二人も相手にしていたんだって」
周囲にいた年頃の女の子たちが、歓声をあげている。
素敵な雰囲気の人だったとか、可愛い男の子だったとか、紹介しろとか。いっぺんに声をあげられて頭痛がますます深刻になっていく。
「違うの、私じゃなくて、マティルデっていう女の子を探しに来たの」
「ええー?」
今日も馬車はガタゴトとやってきて、少女たちを乗せて走る。
車中でもああだこうだと言われたが、キャリンの中に残る言葉は一つもない。
自分の身になにかが起きているのではない。そう、嵐が起きているのはマティルデの周囲なのであり。
キャリンはその風に煽られているだけ。思いのほか強い風に、足を取られて転びかけているだけなのだ。
「あ、キャリン、お帰り」
馬車を降りたところに、ちょうどララが通りかかった。
仕事を終えて宿舎に帰ってきたところのようだ。
ララはマティルデほどではないが、愛らしい顔をした少女だった。
髪は顎のあたりでまっすぐに整えていて、緑の神官衣もよく似合う。
友人の顔を見て、キャリンはこの瞬間にやっと気が付いていた。
「ねえ、ララはマティルデのことを知っていたの?」
ティーオとフェリクスが話していた樹木の神官長。それは、ララの話していたお金持ちの上司ではないか。
彼らが滞在しているのは神殿の隣で、そこの家主とララは交流があると話していた。
「今日、ティーオとフェリクスっていう人たちが来たんだけど」
「ああ、良かった、会えたのね。私が教えたの」
「マティルデはその人たちに助けられたの?」
「そうみたい! あのマージって人の家で探索に付き合わされそうになったでしょう? 私すごくびっくりして、いろんな人に話したの。それでマティルデの話をしたら、ティーオが助けて看病してた子じゃないかって、詳しく聞かせてほしいって頼まれて」
「ねえ、お金持ちの神官長さんの家でお世話になってたって聞いたんだけど」
ララは笑った顔のままでしばらく黙った。
「あ! 本当だ。そうよ、アデルミラが故郷に帰っちゃったから、部屋を空けなきゃいけなくなったのよね」
「だあれ、アデルミラって」
「フェリクスの連れの、雲の神官の女の子よ。マティルデのお世話してくれていたの」
「ちょっと、ララ。やっぱりマティルデを知っていたのね?」
「そう……じゃないの。そうじゃないよ、キャリン。確かに会ってはいたけど、カッカー様のお屋敷にいた時に二回見かけただけなの。その時はまだマティルデが起きているところは見たことがなかったんだから。だから、知っていたとは言い難いとは思うんだけど」
マティルデが目を覚ましたのは、神官長の家に移った後。
そこでの看病に、ティーオたちもララも関わってはいない。つまり、三人ともマティルデの名や容姿についてはっきりとわかっていなかった。
「あの二人は嘘を言っていなかったんだ」
「ティーオとフェリクス? 嘘なんか言わないと思うけど」
「いきなりいろいろと言われて、よくわからなくて、本当なのか疑ってしまって……」
「あ、そうか。私も一緒に行けば良かったね。大丈夫だよ、二人は悪い人たちじゃないし。次に会った時に伝えておくから」
そういわれても、気持ちがすっきりと晴れてはいかない。
あれからマティルデがどうしているかわからないのに、無事でいると言ってしまったのは無責任に思えるし。
事情がわからなかったとはいえ、人助けをした良い青年を疑いの眼差しで見て、気を遣わせてしまったし。
「いくら男の人が怖いからって、命の恩人にお礼を言わないのはどうなのかな」
「どうしたのキャリン」
「すごく心配してくれているのに」
いろんな人に随分世話になったのに。黙って去っていくなんて、いくらなんでも薄情すぎるのではないか。
「神官長さんも協力してくれたんだよね?」
「そうだね。まあ、神官長が直接ってわけじゃなくて、おうちの人たちが協力してくれたんだと思うよ」
あの二人の青年は、マティルデがどんな状態で倒れていたのか知っている。
本当にひどい状態だった、と言っていた。アデルミラという名の神官も一緒になって、長い間意識が戻らないほどの怪我を負った見知らぬ少女を、見返りもないのに救ってくれたのだ。
困った時には頼ってくれてもいいとまで言ってくれる恩人がいるのだと、マティルデは考えてくれるだろうか?
「せめて一言でも、ちゃんとお礼をした方がいいよね」
キャリンの呟きに、ララは渋い表情を浮かべている。
「ティーオ、癒しの為にお金を出してくれていたんだった」
「お金を?」
「神官と個人的に仲良しだったとしても、無料にしちゃうと問題になるからね」
二人の青年はこぎれいな格好をしていたが、裕福な印象はなかった。探索で儲けるのは大変だと聞いている。
やはりなんらかのけじめは必要だろう。
マティルデが今どうしているのかも気になるし、確認しに行くべきだと思えた。
「ねえ、ララ」
「ごめん、あんまり気が進まない」
「そこをなんとか」
キャリンが拝み倒すと、結局ララが同行してくれることになった。
絶対に探索には行かないという約束をして、二人でマージの家に向かって歩いていく。
すると途中の曲がり角で、見覚えのある三人組が立っていた。
角にある店の陰に隠れるようにして、道の先にいる誰かを見張っているようだ。
「マティルデ!」
キャリンが声をかけると、噂の美少女は人差し指を立てて静かにするように友人に伝えた。
なにごとかと戸惑いつつも、そろりそろりと寄っていく。
「良かった、元気そうで」
「だめよ、隠れて」
ユレーに怒られて、キャリンとララは三人の背後に回った。
女性たちの先頭にいるのはマージで、頬を真っ赤に染めてくねくねと揺れている。
「なにをしているの」
「本当に呆れちゃうんだけどね。マージ、憧れている人がいるんだって」
どれどれ、とララが前に出て通りの先の確認をしていく。キャリンもその後について前に出ると、マージが二人に気が付いて舌打ちをした。
「憧れの人がいるんですか?」
「あのお爺ちゃんよ」
マティルデが冷たく言い放ち、マージが怒る。
「お爺ちゃんじゃないわ。まったく、若い子にはわからないのね、あの素敵な方の魅力が!」
「どの人?」
「ほら、あの店の前に立っている背の高い人よ。髪をきれいに整えて、口元に髭を生やしているあのすごく素敵な人」
「ウィルフレドさんだ」
ララがぼそりと呟くと、マージがすさまじい勢いで神官の胸元をつかんで持ち上げてしまった。
「マージ、なにするの!」
「知ってるの、あんた! あの素敵なおヒゲの君のこと!」
馬鹿力で持ち上げられたララは、ふがふが言うばかりで答えられない。
キャリンとマティルデで蛮行はやめさせられたものの、五人は街角でもめ始めていた。
「今すぐあのおヒゲの君に紹介してちょうだい」
「マージ、あなたあんな年寄りの男のどこがいいの?」
「そんなのできないよ。あなたのことなにも知らないのに」
「そんなことよりマティルデ、あなたを助けてくれた人たちが来たのよ」
「年寄りなんかじゃないわ、あんたは男が嫌いなのかもしれないけどね」
「もう、落ち着きなさいよあんたたち」
ユレーが亡霊のように間に入ってきて、全員に黙るように言う。
みんなそれぞれ主張したくてたまらないが、収拾がついていないことにも気付いていた。
「ああ、おヒゲの君が行っちゃう……」
「大丈夫でしょ、ララが知っているのなら」
「そうかもしれないけど」
最初に会った時の姉御肌はどこへやら、マージは恋する少女のような瞳で通りの向こうを見つめている。
そんなスカウトを引きずって、五人はマージの家へと向かった。
キャリンとララとしては気がすすまなかったが、話を整理しなければならず、ゆっくり話せる場所が必要だった。
そこは古びた建物のボロい部屋だったが、中は可愛らしい色合いの家具が揃えられている。
マティルデもユレーも遠慮のないタイプらしく、もう自分の家のように寛いでいた。
「さ、あのおヒゲの君について早く教えなよ」
最初に片づけなければいけない議題は、マージの憧れの人についてになったようだ。
マージに鼻先まで近寄られて、ララは嫌そうに後ろへ下がっている。
「名前は?」
「ウィルフレドさん。腕のいい戦士らしいよ」
「ああ、なんて素敵な名前なんだい。あの凛々しい御姿にぴったりだよ。本当にあの人、いつ見ても隙がないの……。ヒゲの手入れもいつも完璧だし、髪もキレイだし。やっぱり剣の腕も凄いんだ。絶対強いって信じてた! 朝も昼も夜も、結局全部強いんだろう!」
「落ち着きなさいよ、マージ」
ユレーにたしなめられたものの、マージのくねくねは止まらない。
「あなたを愛してしまった女がいるって伝えておくれ」
「待って。ウィルフレドさんは、ティーオやフェリクスとも仲が良いの」
「だあれ、それ」
「あなたを助けた人よ、マティルデ」
キャリンとララは一緒になって、マティルデが救われた経緯について説明していった。
救われた当人は渋い顔をしているが、マージは今すぐ行こうと興奮している。
「あの人はどこで暮らしているのさ。早く、ほら早く言いな」
「知らないよ、そんなの。でも、ティーオかフェリクスなら知ってるかな。同じ部屋で暮らしていた仲だし」
「同じ部屋!」
マージの絶叫に、四人は同時にうんざりの表情を浮かべている。
「マティルデが倒れていたのを、ティーオっていう探索者が助けてくれたんだって。仲間と一緒に面倒を……。そうだ。樹木の神官長さんの家でお世話になっていたんでしょう。黙って出てきたんだよね?」
「……うん」
「あなたがいなくなって心配してたんだって。男の人が怖いって言うけど、助けてくれた優しい人まで一緒にしちゃうのは、さすがに良くないと思うよ」
マティルデは頬を膨らませて、悩んでいるようなそぶりを見せている。
そのふくれっ面はとてつもなく愛らしく、いいなあ、とキャリンは考えていた。
「マティルデ、世話になった人になにも言わずに出てきちまったのかい?」
「男の人がいて、ちょっと、わけがわかんなくなっちゃって」
「そうか、怖かったんだね。でもいけないよ、男がみんなケダモノってわけじゃないんだ」
だからその恩人に会いに行って、ウィルフレドの家を教えてもらおう。
マージは恋の炎の力で動いているようで、ララは後悔に満ちた表情で黙っている。
「ユレーはどうする? 男が憎いって言ってただろう」
「その、ティーオっていうのはどんな子だった?」
「ユレーさんよりもずいぶん年下ですよ。まだ十五歳とかだから、紹介っていうのは」
「なにさ、そんなんじゃないよ! 一度探索に行った子と同じ名前だから、気になっただけなのに!」
警戒の塊になってしまったらしく、ララはティーオの情報を教えないと決めたようだ。
自分より詳しいララが黙っているのだから、キャリンが話すわけにはいかない。
肝心のマティルデは心が決まらないのか、目を伏せたまま口を閉ざしている。
マージはそわそわと身を震わせており、ユレーは表情を失くして黙り込んでいた。
騒がしさから一転、部屋に満ちた沈黙は重苦しい。
さっきまでの祭りのようなやかましさが嘘のようだった。
「もう帰らないと。私、明日も務めがあるから」
「私も」
ララが立ち上がり、キャリンも慌ててそれに続いた。
答えを出さなければならないのはマティルデで、どうやら今日は無理なようなのだから。
「ねえマティルデ、よく考えて。あなたの為にたくさんの時間やお金を使ってくれた人がいるの。せめてお礼を言いに行ってあげて。心配ならついていくから。行こうと決めたら、会いにきてね」
ララと二人で、逃げるように宿舎へと戻っていく。
途中でおかしくなって笑ったりしながら、少女たちはねぐらへ帰っていったが、食事の時間は過ぎた後で、この日の夕飯は具のほとんどないスープだけ。
「キャリンったら、どこに行ってたの」
「あの男の子たちとどこに行ってたの!」
食事は終わったのに、年頃の娘たちは部屋に戻っていかない。誰にも言わずに食事時にお出かけしていたなんてセンセーショナルな話題をスルーするなんて、決してできないことだからだ。
「どっちの子にしたの」
「そんなんじゃないよ。お隣の宿舎にいる、樹木の神官のララに聞いて」
「二人で行ったんだぁー!」
「どうして神官の子なんか連れて行くのよ。修行中でしょ!」
こういう場では、なにを訴えても誰からも信じてもらえないようになっている。
なぜなのだろうと絶望しつつも、キャリンはただ、この日あった出来事について繰り返していった。
そんな試練を三日続けて、四日目の朝。
仕事が休みで、洗濯に精を出していたキャリンのもとへ一人の客がやってきた。
「キャリン」
「マティルデ!」
茶色い長い髪をきれいに結って、頭には可愛らしい花を一輪飾って。
服も新しいものを身に着けた少女は、相変わらずの美しさだった。
「今日、休みかなって思ったの」
「そうよ、ご覧のとおり」
きりのいいところまで作業をして、あとは仲間に任せ、キャリンは寮から出た。
マージとユレーも一緒についてきており、外に三人の女が並んでいた。
近くの路地に置かれた木箱や樽の上に座って、四人で話す。
マティルデはこの三日の間に、仕事を見つけて労働に励み、お金を貯め始めたらしい。
「偉いわ、マティルデ」
「うん。それでね、私を助けてくれたっていう人に、ちゃんとお礼を言おうと思うの」
良かった、とキャリンは思った。心の底から、素晴らしい変化だとマティルデを誉めた。
「今日はララはお勤めなの。だから、神殿まで行ってみましょ」
「うん……」
「まだ怖いの?」
「少し。でも、男の人がみんな悪いわけじゃないものね。ぶっ飛ばすのは、あの時のやつらとマッデンだけにしようって決めたから」
復讐の炎自体は消えていないようだが、一気に変われというのも無理な話なのだろう。
そのうち止めてやればいいと考えて、キャリンは出かける準備をし、三人とともに樹木の神殿へ向かった。
なじみのない場所へ行き、なじみのない人たちに会わねばならないが、ララが架け橋になってくれるだろう。
そう思って向かったのに、友人の姿が見当たらない。
「どこに行ったのかな、ララは」
神殿の一番後ろであたりを見回していると、そばにあった扉が開いて、出てくる人がいた。
緑色の神官衣の端が見えて、キャリンは慌てて声をかけに走る。
「あの、すみません」
出てきたのは背の高い男性の神官だった。ララと同じ色の服、と思って声をかけたが、同じなのは色だけで仕立てのレベルがまったく違う。
上等な造りの神官衣の上には、いかにも位の高い人が身に着けていそうなケープがかかっている。
「ようこそ樹木の神殿へ。どのような御用ですか?」
その人の声はとても穏やかで、微笑んだ顔はとても上品なものだった。
こんなにも品のある男性を見たのは初めてで、キャリンは驚いて声を上ずらせてしまう。
「あ、あのあのあの、こちらで働くララララっていう子と、友達なんですけども」
「ララには今、用事を頼んでいて。もう少ししたら戻ってくるはずですよ」
穏やかな返答をくれた神官に続いて、もう一人。
更に背の高い男が奥から出てきて、キャリンは慌てた。
「ウィルフレって人!」
神官は振り返り、おヒゲの君は驚いた顔をしている。
「あのお方」の登場に、それまで黙っていた連れのうちの一人が反応して、走ってくる。
「おひっ!」
妙な呼びかけをしながら、マージが距離を詰めていく。その後をユレーが慌てて追ってきたが、スカウトの勢いを止められはしなかった。
「ウィル様。じゃっ、マッ、マージといいます。あなたの妻にしてください!」
唐突すぎる求婚に、二人の男性はさぞかし驚いたのだろう、固まってしまって動かない。
マージはユレーが止めに入ってくれているので、キャリンは神官に事情を話そうと試みる。
「すみません、あの人、あちらのウィルフレさんという人に憧れていて」
「そうですか」
騒がしいと判断したのか、ウィルフレドは外へ出ていき、マージとユレーもそれを追っていく。
困ったなと悩むキャリンのもとに、フラーから借りっぱなしのマントを被ったマティルデが寄ってきた。
「君はもしかして、ララの友人のキャリンという子かな」
「えっ、はい、そうです」
「では、君がマティルデ?」
マントの隙間から大きな目をのぞかせて、マティルデはこくんと頷いた。
すると神官はにっこりと優しげに微笑んで、無事で良かった、と話した。
「もしかして、神官長様ですか」
「私はこの樹木の神殿を任されている、キーレイ・リシュラ。会えてよかった、マティルデ。キャリン、マティルデを助けてくれてありがとう」
樹木の神官長は察しのいい男のようで、なにも言わずとも少女たちに気の利いた言葉を投げかけ、応接間に案内してくれた上、飲み物を用意してふるまってくれた。
ティーオとフェリクスの二人は朝から外出していて今はいないことも教えてくれたし、二人の暮らしの上に神の恵みがあるようにと、神官らしい祈りの言葉までくれた。
「すみません、勝手に出ていって」
「どうやら大変な目にあったようだし、普通の状態ではなかったのだろうから」
マティルデが素直に謝ったのは、神官長がとても良くできた大人の男性だったからかもしれない。
「私には妹がいるんだが、結婚して王都で暮らしていてね。だから母は、可愛らしい女の子がいてくれるのが嬉しかったようなんだ。早く元気になって、平和に暮らせるようになってほしいと願っていたんだよ」
「ごめんなさい」
「飛び出していけるくらい回復したんだから、いいんだ。母に顔を見せに来てくれたら、嬉しいけどね」
マティルデの「ごめんなさい」は、きっと「平和に暮らしていない」ことだとキャリンは思った。
親切な神官長様を裏切ってしまって、申し訳ない気分になっていく。
「神殿によってくれれば、いつかティーオに会うこともあるだろうから。迷宮都市でしばらく暮らすというなら、顔を出してほしい」
「うん」
「それでマティルデ、君が嫌でなければ、一つだけ質問をさせてもらいたい」
いいかな、とキーレイは言う。
「なあに?」
「不快な気持ちになるようなら、答えなくていいんだけれど」
「緑」の迷宮の中で襲われたというが、その時、君は一人きりでいたのかい。
キーレイの質問はこうで、キャリンは何故そんなことを聞くのだろうと不思議に思っている。
「襲われた時、誰もそばにはいなかったのかな」
マティルデの白い肌が少し、青ざめたように見える。
キャリンはハラハラしたが、隣に座る少女は意を決したように答えた。
「わたし、その時は一人きりだった。マッデンはその、ちょっと離れたところにいて」
「そうか」
「それが襲われる理由なの?」
「いや、わからない。まだわからないけれど、『緑』と『紫』でしか起きない現象があってね。それが関係しているんじゃないかと思ったんだ。詳しい者に調査を頼むし、それでもしも君に襲い掛かったのが誰かわかった時には、伝えるようにするよ」
神官長には、心当たりがあるのかもしれない。
ぜひとも聞いておきたいとマティルデは思ったのだろうが、部屋の外から大きな声が聞こえてきて、それは叶わなかった。
あまりの大声に応接間を出ると、マージがおいおいと泣いていた。
ユレーがなにか話しかけているが、効果はまったくないようだ。
大方憧れの君にフラれたのだろうが、それにしてもマージの泣く声が大きすぎて、樹木の神殿に余りにも申し訳ない。
神官長へ礼を言って、マティルデを連れ、慌ててマージを神殿から追い出していった。
地響きのような号泣に耐えつつ、なるべく人の少ない通りへ向かって歩く。
マージの涙が少しずつ枯れて、声が小さくなり、四人は近くにあったグラッディアの盃へ入った。
スカウトはまだ肩を震わせているものの、迷惑極まりない騒音は収まっている。
「なにがあったの、マージ」
「わかるでしょ。断られたのよ」
「ひーん!」
ユレーの冷たい言い方に、マージは再び咽び泣く。
「妻にしてなんて、いきなり言うから」
「そうだよねえ。知らない女にあんな風に言われて、引き受ける男なんかいないよ」
でも、とユレーは言う。
「あのヒゲ男、冷たかったよ」
「なにかあったの?」
マティルデに問われ、マージがおうおうと唸る中、ユレーは答えた。
「お前が妻になどなれるわけがないだろうってさ」
「まあ、随分酷い言葉ね」
「そんなの、自分が一番わかっているだろうって言ってたよ」
「なによ、あのヒゲ。いやね、性格の悪い爺さんって」
「ウィル様を悪く言うんじゃないよお!」
これが恋の力なのか、とキャリンは思った。
マージはこんなにも泣いているのに、まだあのウィルフレという大男をかばっている。
場はぐだぐだにしかならなかった為、女だらけの街歩きはこれで終わってしまった。
キャリンが寮に戻って家事をこなしていると、夕方になってからララが尋ねてきて、一緒に夕食をとることになった。
「ごめんね、御用を頼まれてて」
「謝らないで。私たちが突然行ったんだから」
ティーオたちには会えなかったが、神官長には会ってお礼を言えた。
キャリンが話すと、ララは肩をすくめて笑っている。
「お客様にはちょっと気取っているでしょう?」
「すごく丁寧に対応してくださったよ」
あそこで働いている神官にしか見せない顔がキーレイにはあるのだろうか。
ララはお坊ちゃんが金の力で他人を動かしているかのような言い方をするが、本人からはそんな印象は受けなかった。
「そういえばね、マティルデを見つけたのはティーオなんだけど、迷宮から連れ帰ってくれたのはウィルフレドさんなんだって」
「え、そうだったの? なんてこと。今日会えたのに、お礼を言えなかったわ」
「神官長、話してくれなかったの?」
「違うの。マージがちょっとね……」
随分厳しいお断りの言葉があったようだが、きっとマージが妙なことを言ったせいなのだろう。
「しまった、ウィルフレさんって呼んじゃってた」
「あはは。大丈夫だよ、きっと。ウィルフレドさんはすっごく大人だもの」
マティルデは「お爺ちゃん」呼ばわりしていたが、おヒゲの君は確かに、近くで見るとかなり「いい男」だった。
まだ十代のキャリンたちには年上すぎるが、あんなにも姿勢が良くて、身なりをしっかりと整えていて、眼光も鋭く、頼もしそうで。
そしてなによりも、美しく整った顔立ちだ。
あと十歳若かったら、大勢の女性がマージと同じ状態になってしまうかもしれない。
キャリンはそう思った。あんなに美しい男性を、初めて見たと思った。
キャリンの父を含め、同じ世代の男性たちはみんな、故郷では農作業か羊飼いか、とにかく土にまみれ、酒を飲んで顔を赤くして、村の女たちに叱られてばかりだというのに。
「神官長様も素敵だったよ」
「ええー? キャリン、本当に?」
あんなに余裕のある大人の男性がいるのは、迷宮都市が都会だからなのだろう。
キャリンがほうっとため息をつくと、ララはニヤリと笑った。
「神官長もウィルフレドさんも確かに立派だけど、探索が大好きなのよ。なにかあればすぐ迷宮に行っちゃうんだから」
「そうなの」
「まあ、なんだか難しいところに行って、ちゃんと帰ってくるんだから。すごく強いんだと思うけどね」
キャリンはまだ、迷宮がどんなところなのか知らない。
知る気もないし、ましてや自分が足を踏み入れようなどと、絶対に考えられないと思っていた。
探索に赴く青年たちはみんなギラギラしていて、なんだか怖いと感じていた。
けれど彼らが歩んでいった先。強さを手にした人たちは、キーレイやウィルフレドのような大人になれるのかもしれない。
少しの時間、テーブルを共にしたフェリクスは優しく、気を遣える人だった。
ティーオの笑顔は明るくて、迷宮の中から見知らぬ女の子を救う勇気を持ち合わせている。
誤解していたのかもしれない。
店主たちは、獣の毒牙に気を付けてと言って、自分たちを守ってくれるけれど――。
ララと別れて、自室のベッドの上にころんと転がって。
次にマティルデがやってきたら、どんな風に探索をしていこうと思っているのか聞いてみようとキャリンは考えた。
「ねえキャリン、あのマティルデって子、マントを持って行ったままよね?」
「あ、そうだった。ごめんねフラー。今度会った時、返してもらうね」
同じ部屋の仲間にこう返事をして、キャリンはうふふと一人で笑ってから、明日の労働のために目を閉じた。




