65 迷宮都市の少女(上)
迷宮都市に集う探索者の性別は大きく偏っていて、ほとんどが若い男性で占められている。
なので迷宮都市の住人は男性ばかりだと思われているが、探索者以外の街の住人に偏りはあまりない。
探索に励む若者たちの暮らしを支えるために、街の中にはたくさんの宿や店がある。
掃除や店番、薬品の調合などの仕事に従事する女性は多い。
ほとんどが近隣の小さな町や村から来た出稼ぎの労働者で、幅広い年代の女性たちがラディケンヴィルスで暮らしている。
迷宮都市を拠点として取引を行う商人たちの妻たちは街の南側で優雅に暮らし、借金を返すべく労働に励む娼婦たちは北西に閉じ込められていることは大勢が承知しているが、日中は街中で男たちに笑顔を振りまいている女性店員たちがどこで暮らしているのか知っている者は少ない。特に、街でくすぶっている探索初心者の青年たちには知られていない。
「キャリン、今日はもういいよ。そろそろお帰り」
女性向けの装備品やアクセサリーを揃えた名店、「シュルケーの工房」の南門店で働く少女キャリンは、店主にかけられた声に明るく答えて帰る支度を始めた。
小さな小さな南の農村からやってきて、運良く働けるようになった店だ。
シュルケーの工房自体が街でも有名な武器の名店であり、南門そばにある支店は特に女性向けに特化した品揃えで、客も金払いのいい商人の妻や、キャリンと似たような出稼ぎの女性たちばかり。迷宮都市にある店の中で、女性にとっては最も安全な職場と言えるだろう。
キャリンのように迷宮都市で働いている若い女性たちの為に、店主たちが共同で作った寮がある。
恋の相手に飢えた青年たちには秘密だが、街の南西に女性専用の寮が何棟も並んでいる。
年ごろの若い男性ばかりがやって来る迷宮都市の商店には、客を呼ぶための看板娘が欠かせない。
可愛らしくて愛想の良い少女が一人いれば、青年たちはいくらでも寄ってくる。
瞳が大きくて、輝いていて、髪をきれいに結っていて、頭に花でも飾っていればなお良い。
優しい色のスカートをはいていて、胸が大きければもっと良い。
客を呼びよせる少女たちがいて、店の経営が安定するようになる。
顔が良くて口がうまいだけの若者に簡単にさらわれてしまわないように、商人たちは少女たちの隠れ家を作って住まわせるようになっていた。
いつからそうなったのかはわからないが、まともな店は寮を用意して、入り口に近い部屋に用心棒を置いて同居させている。
寮と店が遠ければ、これまた共同で用意した馬車で少女たちを送迎していた。
仕事を終えたキャリンは急いで支度をして、店の裏口へと向かった。
近くにある店で同じように働いている少女たちが何人も集ったところに、馬車がかたこととやってくる。
最初のうちは怖がっていたが、強面の御者にももう慣れた。
夕方になる前に仕事は終わって、あとは安全な家へ戻るだけ。
大勢の少女たちが共同で暮らす寮は騒がしいが、同じ年頃の似たような境遇の娘たちばかりで心強い。
帰ればみんなで食事の用意をして、一緒に食べて、体を洗って眠りにつく。
労働時間は長くないし、大金は稼げなくても賃金は安定している。暮らしは安全、故郷への仕送りも問題なくできる。
思い切ってやってきた迷宮都市にもすっかり慣れた。
キャリンは、馬車の外を見ながらぼんやりと考える。
女性店員の暮らしは守られている。
街にあふれかえる青年たちに食い荒らされないよう、隠されている。
とはいえ、客との恋愛が禁じられているわけではない。
将来有望な良い相手がいれば、愛を育んで良い。いや、育んでいくべきだと考えられている。
故郷の狭い人間関係から飛び出し、自立して暮らしていけるならその方が良い。迷宮都市へ娘を送り出す親は大抵こう考えているので、本当に「良い相手」が見つかったのなら、その男と家庭を作ることを望んでいるという。
いい人がいるの、とティエニーが言う。
同じ部屋の仲間であるティエニーの発言に、フラーはきゃあきゃあ手を叩いて喜んで、タニーは抜け駆けは許さないと息巻いている。
いい男がいるから、会いに行こうとティエニーが言う。みんなで一緒に行こうと笑っている。
夜になったら待ち合わせをして、素敵な青年たちと食事をしようと誘ってくる。
田舎から出てきて、ずいぶんあか抜けてきたと思っている。
キャリンの暮らしはすっかり変わった。お姉さま方に教わって化粧をしてみたり、店に新しい服を用意してもらったり、故郷で暮らしていた頃の自分の姿が思い出せなくなるほどに変わっていた。
ほんのりとした恋の思い出も頭の片隅に追いやられ、気持ちはすっかり浮ついており――。
迷宮都市にあふれる若い男性たちはみんな意気揚々と迷宮に飛び込んでいくという。
彼らのうち、大成できるのはほんの一握り。
美しい女性も奪い合いだが、将来性のある男性も同じだった。
迷宮のことはわからない。そこがどんなところで、どんな人ならばうまくやれるのか、キャリンは知らない。
だからティエニーが良さそうだと言ったとしても、本当に稼げる男なのかどうか、判断できると思えない。
「でも、出会いは欲しいよねえ」
隣に座っているザディエーヌはなんの話をしていたのだろう。心の中を読まれた気になって、キャリンは顔を熱くしている。
「どうしたの、キャリン。今日はいいお客さんがいた?」
「まさか。うちのお客さんは女の人ばかりだもの」
「そうよね。そうよね、だって安心の南門店だもの。いいわよね、給料も良いんでしょう。うらやましいわ」
ザディエーヌは何度も頷いて笑ったが、こうも話した。
「私のところは探索の人ばっかり。みんな貧相な格好で剣をがちゃがちゃさせてね。でも、でも今日は! すごく素敵な人がひとりいたの」
背が高くて、優しくて、笑顔で丁寧にお礼を言ってくれて!
一緒に馬車に乗っている女の子たちが食いついて、どんな人だったの? と情報を引き出していく。
ザディエーヌもたいした答えは持ち合わせていないのだが、彼女はとにかく話が上手い。馬車の中は盛り上がって、いつか私も、とみんなが瞳を輝かせていた。
やはり、行くべきなのだろうか。
ティエニーの誘いに乗って、恋と出会いに行った方がいいのだろうか。
馬車は寮の裏手にたどり着き、騒がしい娘たちを下ろしていった。他の店で働く娘たちを迎えにすぐに出ていく馬車を見送って、少女たちはそれぞれの住処へ戻っていく。
入り口に座っている用心棒のバギャンに挨拶をして、キャリンは二階にある自分の部屋へ向かった。
四人で一部屋を使っているが、他の三人の姿はまだない。
ティエニーも、フラーも、タニーもいないが、それ以外の見知らぬ誰かがいて、自分のベッドにごろんと転がっていた。
その誰かがいる理由をキャリンなりに考えて、すぐに答えをはじき出してこう問いかける。
「あなた、新しく来た人? この部屋はもう四人で使っているから、隣とか、上の階とかじゃないかと思うけど」
とても美しい少女だった。
長い茶色の髪はまっすぐでさらさらと流れ、目はぱっちりとしてこぼれ落ちてしまいそう。吸い込まれてしまいそうなほどの煌めきに、長いまつげが瞬くさまは同性であってもうっとりしてしまう。
肌は真っ白で、手足は折れてしまいそうに細い。
華奢な体は頼りなく見えるが、羽をつければ飛んでいけそうで、美しい少女にはこれ以上なく似合う。
なにかにつけて故郷の中年男性たちから「よい子が産めそう」と言われ続けたキャリンにはない要素だ。
そんな美しい誰かだが、残念なことにとても地味な服を身に着けている。
なんともったいない――。
そこまで考えて、キャリンはやっと気が付いて声をあげた。
「それ、私の服?」
見知らぬ少女はゆっくりと体を起こし、ぱたぱたと二回瞬きをして、こう答えた。
「違うわ」
胸に手を当てる動作が、これはわたしのよ、と訴えている。
それで謝りそうになったが、いやいや違う、どう見てもキャリンが故郷で母に誂えてもらった「旅立ちの服」だ。子だくさんの暮らしの合間をぬって作られた服は、ざっくりとしていて左側の裾がやたらと短い。
「部屋を間違えているんだと思うの。自由に使っていいと誰かに言われた? そんなことないのよ、みんな、それぞれの荷物だから勝手に触ってはいけないの」
茶色い髪の少女は、ベッドに座り込んだまま考え事でもしているような顔で黙っている。
自分の考えは伝えた。これ以上付け加えることも思いつかなくて、キャリンは次の言葉を見つけられない。
「ごめんなさい」
「え?」
唐突な謝罪に、キャリンは戸惑ってしまう。
「話すと長くなるんだけど、わたし、なにも持っていなくて困っているの。本当に、ほんとおーに、困っていて」
「なにがあったの」
「幼馴染と来たの、この街に。二人で歩いていたら、急に襲われて」
「え、襲われた?」
「その幼馴染、マッデンて名前なんだけど。小さい頃から私をお嫁さんにするって言って、ずっと仲良くやってきたのよ。なのにマッデンのやつ、私を置いて逃げたの!」
「なんてこと……」
「その後、どうなったのかわからないんだけど、どうやら親切な人に助けられたみたいで」
「そうなのね、良かった」
「でも、私の荷物はなにもなかったみたいで。お金もないし、知り合いもいないし……」
少女の肩は震えている。どうやらとても恐ろしい思いをしたらしく、キャリンは目の前のマッデンに捨てられた美少女にひどく同情していた。
「あなたの名前は?」
「マティルデ」
「素敵な名前。よく似合ってる。私はキャリンっていうの」
よろしくね、と差し出した手を、マティルデが握る。
「ありがとうキャリン。ねえ、今日はここに泊まらせてもらってもいいかしら」
「え?」
おっとりとした性格のキャリンは、ここでようやく、同情している場合ではないと気が付いていた。
「マティルデは、どこのお店で働くことになったの?」
「そんなの決まってないわ」
「だってここは、どこかのお店で働いている子が暮らす場所なのよ」
つまり、どこの店員でもない人間が入ってはならないところだ。
一階には用心棒がいるのに、どうやって入ってきたのだろう。こっそり忍び込んだのか、それとも他の女の子と間違われて紛れ込むことができたのか。
「ねえ、キャリン……」
慌てるキャリンの手を、マティルデは強い力を込めて握り、大きな瞳にじわじわと涙を浮かべている。
「ごめんなさい、ダメなのよね、ここには、勝手に入ってはいけないのよね」
「そう、だけど」
「わたし、怖いの。男の人がとても怖いの」
「男の人が?」
「いきなり殴りかかられたの。最初は一人だったけど、そいつと一緒にいた他の三人か四人も加わって! わけのわからないことを言いながら襲い掛かってきた。私は逃げたし、マッデンに助けてって叫んだ。だけど……」
マティルデが泣きながら話した恐ろしい「事件」に、キャリンは怯え、震えている。
「どうしてそんなことになってしまったの?」
「わからない。とにかくいきなりだった。とても信じられない出来事よ。私は長い間目を覚まさなくて、本当に親切な誰かにずっと面倒を見てもらっていたみたいで」
「もう平気なの? けがをしたってことでしょう」
「酷かったって、言われた。少しだけ跡が残っているの。大体は治ったんだけど」
「その、親切な人が看病してくれたのね」
せめてもの幸運がマティルデに降り注いだのだと、キャリンは息を吐いていく。
「とにかく、そんなことがあったせいで私はなにも持っていないの。お金もあったはずなのに、持ち物はなにもなかったらしくて」
目を伏せると、長いまつげがかかって、それがまた魅力的で。
同じ年頃の少女のようなのに。自分が同じ角度になってみても、マティルデの絵画のような美しさはひとかけらも生まれないだろうとキャリンは思う。
「ここって、女の子だけがいられるところなんでしょう?」
「下の階には、お店の雇った用心棒さんたちがいるけど……。この寮自体は女の子だけが入るところよ」
「ねえキャリン、いきなり、図々しいのはわかっているの。でも、少しだけ、ほんの少しだけここにいさせてくれないかな」
こう申し出られるのではないかという予感はあった。
あったが、キャリンの答えは定まっていない。
「実は私、怪我をして、長い間目を覚まさなくて、しかも目覚めてからしばらくの間、なにも思い出せなかったの」
「思いだせなかった?」
「自分の名前も、どこから来たのかも、どうして怪我をしていたのかも、全部。話もできなかった」
「そんな、なんてかわいそうなの」
親切な誰かの家で面倒をみてもらって、ようやく。三日前に、はっと、すべてを思い出したのだとマティルデは話した。
「面倒をみてもらっていたのに、私、男の人が来て怖くなってしまって」
「それで、ここを見つけたの?」
「そうなの。女の子だけが出入りしているってわかって」
「かわいそうに、マティルデ。わかった、みんなにも事情を話して、協力してもらうね。みんな田舎から出てきた子ばかりで、親切だし、苦労もしてきたから。きっと力になってくれると思う」
「ああ、キャリン」
マティルデは涙をぽろりとこぼしながら、細い腕を広げ、キャリンへ抱き着いてきた。
「優しい人」
「大丈夫よ、マティルデ。必ず道は拓けるって、私の故郷の神官様もよく言っていたわ」
小さな村にはひとつだけ、雲の神殿があって、年老いた神官が子供たちに文字や計算を教えてくれていた。
運命は神に用意されているが、必ず良いものにできるから。
幼い頃にはちんぷんかんぷんでしかなかった話だが、今日、はっきりと理解できた気がしている。
帰っていた同室の三人にマティルデについて打ち明けて、ほんの少しの協力を仰いでいく。
ティエニーは男たちの理不尽な暴力に憤り、フラーは可哀そうだと泣き、タニーは安心して働ける場所がないか考えようと提案してくれた。
とりあえず、今夜だけはこっそりと。
四人でそう決めて、食事を用意して部屋へ持ち帰る。入浴の順番を最後にしてもらって、マティルデも体を洗えるようにした。
細い左足のふともものあたりが、蒼黒く染まっている。
白い肌についた跡は大きく、禍々しい色に四人はそろって天を仰いだ。
「大丈夫よ、目立たない位置だもの」
マティルデのこの言葉に、キャリンはなんと気丈な、と思った。
予備の下着や服を渡したけれど、あの跡をちゃんとすべて覆い隠せるだろうか。
紫がかった蒼黒さは呪いを思わせるもので、この天使のような少女の体に残すべきではなかった。
けれどマティルデ本人は泣き言を言わない。渡された服を着て、髪を拭いて、こっそりと部屋へ戻って微笑んでいる。
「キャリン、本当にありがとう」
そう広くもないベッドで身を寄せ合って、キャリンも笑った。
なんて美しい大きな瞳なんだろうと、うっとりしながら眠りに落ちていく。
次の日、キャリンはちょうど仕事が休みだった。
財布の中身を確認して、心を決める。
あまり良いものは無理だが、一人分の衣類くらいなら買えるだろう。
タニーの言うように、なにか仕事を見つけなければならない。
自分の通っているシュルケーの工房なら、店員も客も女性ばかりなのだから、マティルデも安心できるのではないか。
服を買って、雇ってもらえないか確認して。
マティルデの手助けをする一日にしようと雲の神に祈って、朝食の用意をしていった。
秘密の仲間の分を持ち帰り、仕事へ出かける三人を見送って、用心棒たちの目をごまかす方法を考えて。
山のように探索初心者が歩く時間を避けて、二人はそろって寮を抜け出していった。
街の南側の西半分は、商人たちの住む区域になっていた。
そう決められているわけではないのだが、もう既にそうなってしまっていて、探索者になろうとやって来た若者たちを拒絶するような街並みになっている。
商人たちは大きな屋敷を作って仕事に精を出している。従業員を雇って、労働者たちの暮らす場所を用意し、店番をさせ、在庫の管理をし、次に何を売るべきか考え、迷宮都市の流行を作り、利益を生み出していく。
なので当然、女性ばかりがいる場所ではない。男性の従業員のための住処も、街の隙間にたくさん用意されている。
仕事休みの者はそれぞれに街へ繰り出し、キャリンとマティルデの二人連れとすれ違っていく。
北国出身のフラーから借りたマントを頭からかぶって、マティルデは顔を隠して歩いていた。
道の先から男が歩いてくればそっとキャリンの背後へ隠れている。
どれだけ深い苦しみを抱えているのだろうと、キャリンも心を痛めながら歩いた。
絶対に男性の存在していない場所はないが、なるべくなら少ないところへ。
キャリンは店の並びを思い出しながら歩いて、まず、女性用の衣料品店へ入った。
奥には必ず店主だの用心棒だのが控えているが、扱っている物が物なので、店員は女性ばかりだ。
それほど高価なものは困るけれど、と前置きをして、マティルデに服を選ばせていく。
キャリン程度が知っている店なのだから、そもそも最初から高価なものはおいていない。
並んだ値段の札に安心しながら、優しい少女は店員へ話しかけて、仕事がないか尋ねていった。
「今は人手は足りているんだよ、ごめんねえ」
「できれば女性が多いところで、仕事がありそうなところってないでしょうか」
「うーん、実は最近西の村からいっぺんにたくさん女の子が来ちゃってね」
「田舎から出てきたばかりのなにも知らない少女ができる仕事」の枠は、それでいっぱいになってしまったと店員は話した。
「歌か踊りができる子なら、北の方にできる新しいお店で募集していたよ」
「歌か、踊り?」
「新しい派手な店ができたのよ、西側に。それに負けない店を作ろうとしている人がいるんだって。可愛らしい女の子が歌って踊るステージをやりたいんだけど、ちょうどいい子はいないか探しているんだって」
お金持ちの為の店ができるという話なのだろう。
可愛らしい女の子の歌や踊りを見せるのなら、客は男性ばかりに違いない。
美しい衣装はきっとマティルデに似合うだろうが、今の彼女にそんな仕事をさせるわけにはいかなかった。
青色の服を買い、店員に礼を言って次の目的地へと向かう。
今日は休みだったが、自身の職場であるシュルケーの工房へキャリンは歩いていった。
あそこで同僚として働けるのが、一番良いだろうと思えたからだ。そうなれば、あの寮にも滞在できるだろう。
マティルデの抱える事情は辛いものだから、いちいち新しい場所で説明していくのもきっと大変だろうから。
そう考えてキャリンはシュルケーの工房へ向かっていたのだが、連れていかれる先が女性向けとはいえ「武器屋」であることに、なぜかマティルデは喜んでいる。
「そこって、女性の探索者もやってくるの?」
「そんなに多くはないけれど、来るわ。店に置いてあるのは護身用の短剣ぐらいなんだけど、探索の人はこういうものが欲しいって注文をして、工房で作ってお渡しするの」
「女性の探索者で有名な人って、誰か知ってる?」
マティルデに大きな瞳を向けられて、キャリンは首を傾げた。
迷宮で活躍した女性探索者の中でもっとも有名なのは、初代調査団団長であり、街の名前の由来となったラディケンの妻であるバルバラ・ウォーグだろう。
恋人としてラディケンに同行してきたバルバラだったが、流水の神官である彼女は大いなる愛の力で、探索に赴き傷ついた者を大勢助けたという。
ラディケンの勇敢な活躍とバルバラの献身的な働きは物語としてまとめられており、王都では子供のためにもっとも聞かせたい話として語り継がれている。
「違うわ、そんな伝説みたいな話じゃなくて、今現在活躍している人よ」
キャリンは正直、探索者の話に興味がなかった。迷宮都市は迷宮に潜る探索者たちのお陰で潤っているところだとは知っていても、誰がどんな活躍をしただとか、どの迷宮がどこまで攻略されただとか。噂話の数はあまりにも多くて、理解がちっとも追いつかず、すべて聞き流してしまっている。
「今、現在、活躍してる、女性の、探索者……」
キャリンにとって実力がありそうな探索者というのは、工房へ特別な注文をしてくる客でしかない。
特注の剣を頼む客は数が少ない。工房の棚に立派な細工のものが置かれて、待ちぼうけになっていることは滅多にない。
なので、記憶にはっきりと残っていた。一番最近、特別な注文をしたお客様について。
「この間、マージって名前のお客様が剣を頼んでいたの」
特注をできる客についても、合わせてマティルデへ説明していく。
背の高い隙のないお客様であり、おそらくはスカウトとかいう役割の人だと思われ、剣は昨日の朝仕上がって店に届いたものの、まだ受け取りは済んでいない。
「じゃあ、今日取りに来るかしら」
「そうかもしれないわね。特別に頼んだものをほったらかしにする人なんて、いないもの」
そのマージなる探索者にぜひ会いたい。マティルデは突然そう話した。
キャリンには疑問でしかなくて、当然、どうして? と問いかける。
「探索の仲間になってもらうのよ」
「え?」
「スカウトなんて一番ちょうどいいわ」
「え、ちょっと待って、マティルデ。あなた一体なんの話をしているの?」
幼馴染の男の子と迷宮都市へやってきて、突然の暴力にさらされ、傷だらけになって一人取り残された。
あまりにも不幸な運命の波に飲まれ、悲劇のヒロインとなってしまったマティルデ。
なにも持たず、行く場所もない彼女を手助けする理由は……。
「なにって、これからの話だけど」
「あの、え? 故郷に帰りたいんじゃないの?」
「どうして帰るの。せっかく来たのに」
苦しみ傷ついた美少女は、家族のもとに帰りたいのだろうと思っていた。
そのためには旅費が必要だろうし、今は辛くとも、帰る前にせめて一言くらい「親切に助けてくれたどなたか」に礼くらいしたいだろうと考えていたのに。なにを言ってるんだといわんばかりの表情に、キャリンは驚き、なんと返したらいいのかわからなくなっている。
「わあ、ここね。素敵だわ、剣があんなに並んでる!」
シュルケーの工房は武器の店だが、支店である南門店は女性の護身用ナイフをメインに取り扱っており、細工を施したり、宝石を埋め込んだり、美しく加工された品が店頭に並べられている。
「キャリン、あなた毎日こんなにたくさんの剣に囲まれて暮らしているのね」
「毎日ではないけど、まあ、確かに」
「自分の剣は持っているの?」
「ナイフは一振りあるわ。働き始めてひと月した頃に、記念に頂いたものが」
「じゃあ、剣士ね」
なんの話なのかさっぱりわからない。
マティルデはお構いなしに店に入っていって、カウンターの奥に一振りの剣が置かれているのを確認している。
「ねえキャリン、マージって人が来たら教えてくれない?」
「マティルデ、あなた一体なにを言ってるの」
「なにって、探索の仲間を作らなきゃ。私、気が変わったんだわ。女性だけの仲間を作って、探索に行こうと思う」
「え、ええ?」
「あの連中、いきなり複数人で襲い掛かってきた卑怯なクソ探索者どもを! 私は絶対に許さない!」
「クソって」
戸惑うキャリンに向けて、マティルデはマントを脱ぎ棄てると高らかにこう宣言した。
「男なんかもう信じないわ。マッデンもいつかボコボコにしてやるけど、あいつらを必ず見つけ出してやるの。キャリン、これからよろしくね」




